反撃のための抱擁
■ 忍び寄る崩壊
「猿どもが下らぬ遊びを始めたようだな」
都の中心部を見下ろす空中庭園に父祖樹の誹りが響き渡る。慈姑姫率いるインガルフ当局は既に二つの反抗作戦を察知していた。アシッドクランの
「硝酸族が何を企もうと航時技術(クロノロジー)を持つ我々の敵ではないわ」
慈姑姫はビートラクティブを煽って息巻いた。最近の彼女はつとに飲酒量が増えたようだ。足元がおぼつかない時があり慈姑小町がすんでのところで転倒を防ぐことも日に二、三度ある。
「飲みすぎは体に毒ですよ。あまりに深酒がすぎると体内の因果律に支障をきたすっていうじゃないですか」
小町がやんわりと否定すると姉は「何だってんのよー」と突っかかってくる。そのまま床に倒れ込んでセーラー服の破き合いに移行し、破れたビキニパンティや洋服の残骸を布団にして朝までということも一度や二度ではない。
慈姑小町は姉がそう長くはない事を薄々感づいていた。航空事象艇(クロノサーフ)を飛ばすことはパイロットの健康に負担を強いるからだ。
航空事象艇は正確には飛翔能力を欠いている。短い時間跳躍(タイムスリップ)と空間の座標選択(ワープ)を繰り返して「空中を転々とする」ことで飛行しているように見えるだけだ。そして、その原動力はパイロット自身の脳力に左右される。
「ビートラクティブは操縦士の脳に働きかけて強力なプラセボ効果を誘発するんです。空を飛びたい欲求とそれを障害だと認識している人間の集合無意識を偽薬効果で改善するんです。でも、どんな薬効にも耐性ができてしまう。すると服薬量がエスカレートして……」
小町は虚ろな目の姉を介抱しながら父祖樹に打ち明けた。
「ふむ。硝酸人どもは毒されていないからな。航空熱という病を患っているようだが」
父祖樹はどうしたものかと考え込んだ。自分が分泌する航時樹液(ビートラクティブ)は副作用や依存性が少ないほうだと自負している。
宇宙工学を封じられたアシッドクランは空を飛ぶことまでは禁じられていない。成層圏滞空能力を持つ航空機生産技術は許されていた。そうでなければ地表に住む賃借民に滅ぼされてしまうからだ。戦争において飛行機の果たす役割は大きい。空爆しかり、対艦攻撃しかり、空軍力の登場によって用兵思想が革命された例は少なくない。
それでも地球を俯瞰できる航空事象艇には及ばない。硝酸族がどんなに新しい発明をしようとも使用するためには表に出さざるを得ない。そして、航空事象艇の偵察活動でたちどころに見つかってしまう。
あそこに巧妙に隠されたサイロがある。
豪華客船を装った洋上発射台がある。対空母弾道ミサイルでドカン。
登山列車に搭載した超電磁加速式カタパルトがある。巡航ミサイルでドカン。
超大型旅客機にみせかけた空中発射ロケットプラットフォームがある。高出力レーザー砲でドカン。
という次第である。
「依存症の治療法は叢書世紀の完全生命体に開発させている。お前たちは硝酸族どもを抑圧しておればいい」
父祖樹は落ち着いた態度で副作用に悩む工作員たちをなだめた。「案ずることはない。竪穴式住居の原始人に何ができるというのか」
■ アイスランド スィンクヴェトリル
現地語で大地溝帯(ギャオ)と呼ばれる裂け目が広がっている。ここ全人類的裂孔(アルマンナギャオ)では北米プレートとユーラシアプレートがせめぎ合い、切り立った断崖は噴煙に覆われている。
たぎるマグマを見下ろす場所にアシッドクランは宇宙への足掛かりを築いていた。
おおぜいの血と汗を流して培った宇宙工学を喪失させられ、取り戻すのに一世紀ちかく費やした。硝酸族たちは地球の持つ潜在的なエネルギーを利用しようと考えている。
解離再結合加熱推進機関は噴煙を耐熱パネルに勢いよく吹き付けることで、空中の酸素原子と窒素原子を分離させ、再結合する時の熱エネルギーを運動に変える装置である。
キラキラと鏡のように輝くスペースシャトルが岩場に隠されている。もうもうと沸き上がる雲は航空事象艇をまったく寄せ付けない。インガルフは攻めあぐねている。
ガロン提督が急峻な現場を視察していると見覚えのある女が襲い掛かって来た。
「お前は!」
「提督!!」
二人はとっさに剣を抜き、不安定な足場で切り結ぶ。鉄柵ぎりぎりに追い詰められた遼子。頭上には火気厳禁の看板がぶら下っている。
ブラブラと振り子のように往復する鉄板。あそこまで飛べるだろうか。遼子はとっさに距離を見積もった。提督が剣をのど元に突きつける。彼女はとっさに翼を広げて看板に飛び移った。
「こんなところで何をしている?」
ガロンに呼びかけると彼は怪訝な顔で答えた。
「お前こそ、なぜ父祖樹の味方をする?」
「えっ? じゃあ、お前は敵になったの?」
「そういう事だ! とりあえず剣をおさめて、降りてこい」
不倶戴天の敵どうしが今は男女となって向き合っている。遼子は苦み走った表情で仇敵を睨む。ユズハは草葉の陰でどんな顔をしているだろう。
「スカートぐらい履いたらどうだ」
提督は目のやり場が無いという風に顔を背けた。遼子は破れかけたビキニパンティをベージュのアンダースイムショーツごと脱ぎ捨てた。ブラのパッドに着替えカプセルが入っている。さっと一振りして洋服の束にするとガロンの方にお尻を向けたまま、そそくさとショーツに足を通した。
「ユズハのこと、どう思っているの?」
スク水の中に翼を押し込み、ピンク色レオタードの肩ひもを引っ張り上げながらチクリと言う。
「あの『事故』は俺が仕組んだと本気で信じ込んでいるのならもっと広い視野で考えた方がいい」
ガロンは毅然と言い返した。
「えっ?」
するするとスコートをあげる手が濃紺ブルマの半ばで止まる。
「量子燻蒸された介護士がヴァンパイアに変質する確率を計算しなおしてみろ」
「何が言いたいの? 確かにゼロではないけど」
「皆無だ。お前の妹はすり替えられたんだ」
「苦し紛れの詭弁か!」
遼子がセーラー服にブルマ姿のままで蹴りを放つ。
「人の話を最後まで聞かんか!」
提督が足払いをかける。
「入れ替わったのは死体の方だ。おかしいとは思わんか? 誰もがお前を遠ざけようとしただろう」
「そういえば、証拠隠滅するようにさっさと処分されちまった」
遼子は泡の中に溶けていくユズハを思い出した。人の形をしたドス黒いシミに女児用のビキニだけが残っていた。
「妹の肉体なんか持ち去って誰得だと思っているんだろう?」
提督は辛辣な質問をした。
「ああ。いや、待てよ! 俺の体液は慈姑姫に奪われた。今はあちこちで好き勝手に使われている……そうか、分かったぞ! 畜生」
遼子は剣で鉄柵に八つ当たりした。
「男女の細胞を一式、欲しがっている奴がいる」
「父祖樹か? 慈姑姫か? それとも」
「カミュだ」
「奴は死んだ筈だろうが!」
「半分は死んださ。残りの部分。『勝った方のカミュ』は死んでいない」
「どういうことだ? 奴はリヴィエールと相打ちになった。勝った方のカミュって、IF(イフ)、もしもの可能性のことか。それって実在するのかよ」
「お前はカミュの潜在可能性浪費を危惧してたんじゃないのか?」
「そうだ! しかし、奴が死んだ今となってはどうでもいいことだ。それとも何か? カミュがIFの世界に逃げ延びているとでも?」
「俺が言いたいのはまさにその点だ。やつは宇宙をリブートさせるためにアダムとイブを欲しがっている。始めに言葉ありき。第一種造物主になりたがっているんだ。ここで、お前にだけ証拠を見せてやる」
提督は内ポケットから一枚のホロ写真を取り出した。ユズハの死体写真だ。計測値らしき数字がいくつか書き添えていある。
「提督。この数字はシニフィエじゃないか。しかも見たことのない値だ」
食い入るように写真を眺める遼子
「ああ。シアに言い返してやろうと思ってな。査察騒ぎの最中に部下に調べさせた。シニフィエ値は人類圏のものでも妖精王国の物でもない」
遼子は記憶を掘り起こすように遠くを見つめる。
「どちらかといえば、侵略ロボット軍団の値に近いようだが」
「正確に言えばアルベール・カミュのシニフィエだ」
提督はそういうと、手を遼子の両肩に添えた。吸い込まれそうな黒い瞳に決断を迫られた中年男が映る。仇敵同士のしがらみを越えた何かが通い合う。
しかし、彼女は視線を落とした。弱々しい声で言う。
「……協力するわけにはいかない。ユズハの魂は死んだんだ」
「幽子情報系に還元したとしても、それは可能性の一つに過ぎない」
「ロストしたんだ」
聞き分けのない女は激しくかぶりをふる。
「だから、カミュの側に『可能性』が保存されていると言うとるだろォ!」
乾いた音がして、遼子の頬にくっきりと手形が残った。
ガロンの胸に女の体重がのしかかった。そして、すすり泣きが聞こえてくる。
「俺についてきてくれるな? 悪い様にはせん」
■ 木星 人工火山クロノス
「敵襲。木星第六十一衛星付近に大規模な重力波探知」
艦隊共同交戦システムの警告を受けてオーランティアカの姉妹が飛び立った。
「敵味方識別完了 航空戦艦シトラス・ジュノン号を確認。ブラックポロサスを引き連れています。その数、無量大数」
サンダーソニア号が裏切り行為と認定して、即座に戦力評価を開始する。自滅指数(デストロイドしすう)、姉妹と対等。イケる。
「わ〜撃たないで! 味方だってばぁ〜〜」
遼子のアイコンがワタワタしながらヴァーチャル空間に飛び込んできた。
「ちょ。敵を引き連れて帰ってくるとは何事よ?!」
シアが大きく開脚しつつ艦長席から転げ落ちた。
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