魔王降臨

 掟破りの魔王降臨に万事休すかと思われた。


 それでも軍人の端くれたる遼平は諦めない。なにより、ユズハの無念を晴らさずにおれるものか。


「馬鹿野郎。むざむざ殺されて終わるのかよ?!」


 遼平は俯いた小町を激しく揺さぶった。彼女は目を見開いたが、焦点が遠い所にあるようだ。


「あなたは何も知らないのね。あいつは、いわゆる初見キラーよ。見ればわかるじゃない!」

「VRMMOじゃあるまいし、誰得なんだよ」

「でも、あなた丸腰じゃない! どうやって勝てて? 根拠のない自信は過信と言うのよ」


 小町の言い分はもっともだ。だが、この「現実」はゲームとは違う。真剣勝負ガチの殺し合いだ。プレイ続行を望むプレーヤーに無理やり課金アイテムを買わせる運営もいない。


 遼平にはふわっとした勝算があった。冷静に考えてみれば、死ぬべき人間が超法規的措置で物理学に反した世界に放り込まれたのだ。神だか魔王だか知らないが人為的な意図が絡んでいる事は明白だ。


「おい、転生勇者にはボーナスがあるんだよな?」

「えっ、チートのこと?」

「お前、さっき言ってたじゃないか? ステータス表示がどうのこうの」


 遼平はある筈のないキーボードを叩くように空気を爪弾いた。


「ええ。あくまでも一般的なVRMMOラノベの話よ」

 小町が興味なさそうに遼平の仕草を眺めている。その間にも魔王とやらは重々しい剣を羽箒のようにブンブン振り回している。


「ええい、ままよ!」


 遼平がやけくそ気味に宙をぶっ叩くと、唐突にウインドウが開いた。エメラルドグリーンの半透明で畳半畳ほどもあり、びっしりと英数字が並んでいる。


「ちょっと、どいて!」


 あっけにとられる遼平を小町が突き飛ばした。アバターはウインドウに覆いかぶさり、泳ぐように両手を羽ばたせる。ひしめくパラメータは体力や俊敏度などゲーマーにはお馴染みの数値。どれも初期レベルに相応しく総じて低い。


 プレイヤーキャラクター加島遼平は事細かに設定されているらしく、戦闘能力以外に日常生活力ひとつを取っても、包丁さばきの器用さ等、閲覧しているだけで日が暮れそうなほど膨大だ。


「ちょっと、使えそうなスキルが何一つないじゃない」


 魔王の鼻息が間近に聞こえてくる。のんびりと遼平の潜在力を調査している暇はない。小町は目を血走らせて右から左へウインドウをさばいていく。


「あ、あったわ」


 スクロールを止めて、「BASIC STATUS  CHARISM :LV 999999999」と記された項目を指ではじく。

 サブウインドウが開いて、使用可能なスキルがずらりと列挙された。


 魔王の鉄剣が彼女の頭上に振り上げられた、その瞬間――。


【魅惑(チャーム)】


 遼平の全身が桃色の透過光で包まれた。


 ムッと生暖かい風が魔王に吹き付けた。饐えた臭いと甘酸っぱさが入り混じった独特の芳香が薫り立つ。鼻腔に菜箸を突っ込まれたような強烈な刺激がアバター小町を昏倒させた。魔王もピンク色の逆光を浴びてとろけてしまう。


 何とも言えない妖艶な世界にアバターと遼平は沈んでいった。


 ■ 慈姑城下町


「姫様、こちらへ!」


 身の丈数十メートルはあろうかという鋼の戦士が城下町を聾している。慈姑姫は小町の従者に導かれるままロボット兵の背後に回った。股間のハッチが開き、スポットライト状のビームが姫君の周辺を照らす。


「どういう事だ?」

「なぜ、王族がロボットに載っている?」

「裏切り者!」


 人々はあらん限りの罵声と投石を浴びせるが、黒光りするロボットの楯に弾かれてしまう。そうこうする間にも姫君一行は機械巨人ロボットの体内へ吸い込まれていく。


 勇敢にも攻城兵器の何基かが巨岩をゼロ距離投擲する。ロボットは無言のまま眼光をきらめかせると、投擲機は骨組みをまき散らして爆散した。焼け焦げた死体が路上にばら撒かれる。


 怯むことなく、二組の櫓が進路を阻む。ロボットは大きく足を振り上げて、それらの中腹に風穴を開けた。内部機構が爆発炎上し、ひしゃげた歯車やロープが吐き出される。


 あっけなく倒壊していく反乱軍を見おろしながら、小町が泣きそうな顔で尋ねた。


「慈姑が連綿と築き上げた技術文明が音を立てて崩れていくの。どう思う?」


 慈姑姫は涙目を悟られぬようにしっかりと操縦パネルを見据え、凛と答えた。


「舶来文化をしっかり消化できた文明だけが生き残れるのよ。旧科学を――ロボット工学を肥やしにするのは罪ではないわ」


 侵略者の先兵を鹵獲して秘蔵してあったのも慈姑の将来を想えばこその保険だ。閉塞した技術体系は発想の陳腐化を招き、停滞する。故事いう毒を以て毒を治める、を彼女は踏襲した。


「姫様、まさか、あの計画を実行に移そうとお考えでは……?」


 だだっぴろい操縦室の後方に控えていた技師長が眉を顰める。用心深い慈姑姫は召還計画が失敗した時に備えていくつかの代替案を準備していた。それは過去世界から精子を採取する方法よりも兇悪であるがゆえに、実行が憚られる内容であった。


 だが、慈姑の女子を宗主国の集団的自衛権に参加させるよりは、はるかに良心的であろう。


「そうです。『シャーマン将軍の森』へ進路をとりなさい。近衛師団の残存兵力をかき集めて王立植物園を何が何でも死守なさい」


 冷徹かつ悲哀に満ちた声で姫君は下命した。王城から街はずれの御用樹林までは首都を横断せねばならない。ほとんど壊滅状態に近い王党派の行軍を怒りに満ちた民衆が阻むだろう。衝突は避けられない。惨劇は火を見るよりも明らかだ。


 無辜の流血を避けたいが故の犠牲。この大矛盾に慈姑姫の鬱屈は深まるばかりだ。操縦室の天蓋ごしに蒼穹が見える。


 どこまでも青く澄み渡って、その果てが黒ずんでいる。ずっと凝視していると吸い込まれてどこまでも落ちていきそうな錯覚に襲われる。そのずっと向うに慈姑本土と惑星露の都を結ぶ召喚ゲートが遊弋している。


 慈姑の領土は狭い。ロボットの飛翔能力を巡航モードに移行せずとも、わずか一分足らずで首都上空を飛び越えた。


 切り立った崖を緑が装飾している。ロボットの逆噴射に揺れるこずえは異様に高く、遥か天を掴むように伸びている。背丈は百メートルを優にこえているだろうか。


「間もなくシャーマン将軍の森です。禁断の果実を齧る覚悟はよろしいですか」


 小町に促されるまでもなく、慈姑姫は王族専用格納庫の扉を開いた。



 ■ セコイアデンドロン


 地上でもっとも巨大な生物はクジラでも恐竜でもない。

 植物である。

 スギ科の巨木セコイアデンドロンは確認されているケースで最大二千トンまで成長する。

 その個体が二十七世紀のカリフォルニア州立メタセコイア国立公園から慈姑王家の庭園に移植されていた。


 その威容に独特の父性を感じ取り、小町は思わず息を飲んだ。貫禄と称すればいいか。重苦しさと安らぎが入り混じった――慈姑の男性たちが持ち合わせていない頼もしさが伝わってくる。


「彼」が慈姑姫の心に直接語りかけてきた。


 ”だから、言っただろう。女たちだけの力で争いは収拾できないと。政を為すは人にありという”


「おっしゃいますが、父祖。妖精王国の不当な要求さえなければ、慈姑は問題なくやってこれました」


 シャーマン将軍の木は笑うように枝葉を揺らした。


 ”母系社会の結束は砦になる。だがハリネズミには成りえぬ”


「ネズミで結構。それなりの闘い方があります」


 負けず嫌いな姫君はやり返した。手元のタブレットに軽く触れると庭園の一角が映し出される。

 そこには黒っぽいミイラの様な人影がいくつも横たわっていた。火災現場の焼死体と思える。画面がズームアップすると、それが節くれだった樹木だとわかる。


「召還計画が失敗しました。これも想定内のこと。粛々とプランBを実行します」

 ”禁忌に手を染めるのか?”


 父祖は幹を震わせて驚いている。


「虚構の世界から採取した花粉を受粉させて超人型装甲歩兵樹(ウルトラファイト)を促成栽培します」


 タブレット上にはベージュ色のアンダースイムショーツ一枚に剥かれた少女が表示されている。起伏に乏しい胸にみずみずしい乳頭がふたつ。激しく上下に揺れている。看護婦が彼女の前髪をそっと払い、バリカンを滑り込ませた。それは草を食む家畜のごとく貪欲に女の命を奪い取っていく。


 シーンが切り替わって、豆粒のような白い物体が枝に鈴なりに実っている。ズームアップすると、その一つ一つが人間の大脳に似ている。それらが次々に収穫され、ミイラ樹の突端つまり人間の頭にあたる部分に取り付けられていく。


 動画はウルトラファイトの最終工程を流している。褐色のマネキン人形がベルトコンベヤーに乗せられて次々と運ばれていく。顔はどれもこれも髪を刈られた娘にそっくりだ。


「やむなく慈姑は神の領域に踏み込みました。彼女たちはロボットと同じシニフィエを備えています。食虫植物の祖を持つ慈姑だからこそ可能なもの。人間を素材にしてこのようには参りません」


 慈姑姫はしれっと恐ろしい考えを口にする。


 ”厄介の種を蒔いてくれたものだ。私は心底、祖先を憎んでいる。いずれこうなる時が来ると言われていたが何も我々の世代でなくともよかろう”


 セコイアは怒髪冠を衝くように怒りに打ち震えた。


 ■ 惑星露の都 第一衛星『青天の霹靂』 軌道上



 サンダーソニアはフルバースト状態で恒星金鴉を目指していた。


「ガロン提督がバンパイアなのは間違いない。問題はどこまでヤポネ軍が毒されているかって事」


 真帆は機体に付着している素粒子ドローンを無効化しようと磁気嵐が吹き荒れる内惑星軌道をひた走っていた。もちろん、この動きがモニタされている事は承知の上でだ。泳がされている事に気づいた後に提督がどう動くか、出方を見ようというのだ。


 サブシステムがドローンの焼灼完了と大規模な重力波探知を告げる。


「……細工は流々。発信源の偽装ってやってみると案外難しいもんだね」


 ワープアウトしてきたアストラル・グレイス号とランデブーする。


「お姉ちゃん、ズボラな所があるから、わたし心配だわ」

「おっと、超長距離外洋強攻偵察艦の通信精度を甘く見てもらっちゃ困るね」

「二人ともいい加減にしなさい!」

 オーランティアカ姉妹の喧嘩に養母が割って入った。


「どこまで通用するか疑問だけど、釣れたら万々歳としましょう。玲奈、ごくろうさま」


 シアは長女の工作をねぎらう。ガロン提督がハンターギルド本部の介入を前提としているならば、そのように装うのが得策だろう。その背後にどんな意外性が潜んでいるのか炙りだす必要がある。


 気に入らない組織を抹殺する為に大がかりな陽動作戦を仕掛けるというのは、中学生が好んで読む幼稚なライトノベルの筋書きだ。それでも玲奈はノリノリでハンターギルド本部とシアの交信をみごとに演じきった。


 シアはほくそ笑む。


 地球の方角からの亜空間通信波は盗聴者に届いている頃だ。

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