第138話 真昼の夢
ワールドシリーズの第四戦が終了した。
たった一つのエラーが出たが、直史が自分の責任で出したランナーは0という、また頭のおかしな数字だ。
九回までフルイニングを投げて、どうして93球で終わらせることが出来るのか。
日本においてそれを見ていた者たちは、大きく息を吐く。
日本はまだ真昼であり、これからいろいろな用事が入っている者もいる。
「で、次も集まるのか?」
「次は第七戦を予約してある」
「第六戦までには決まらないと?」
「もし決まるとしたら……アナハイムが勝つ」
ジンはそう断言した。
第七戦までもつれこめば、どちらが勝つのかは微妙なところだ。
だが第六戦で決まるならば、アナハイムが勝つという。
そう断定するジンの分析を、聞いてみたいと思う者もいる。
しかし肝心のジンが、そろそろ出なければいけないのだ。
「次も見に来る人は?」
ほとんどの手が上がるが、悔しそうな顔をする者もいる。
オフシーズンでもプロ野球選手は、仕事が入ったりするのだ。
もちろんシーズン中に比べれば、ずっと拘束時間は短い。
だがプロの世界はプロでいる間から、ある程度の営業をしておくことが重要になる。
今日は来なかったとしても、次には来たいと思っている者もいるだろう。
「なんならワシの家に来るか」
上杉はそう言って、他の人間の興味を引いていく。
神奈川にある上杉の家は、東京を中心に活動している人間からも、それなりに便利はいい。
豪邸なのでなんなら泊り込んでもいいぐらいだ。
ただホテルを借りた大スクリーンや、食事の準備までは手が回るのか。
「それこそケータリングのサービスも使えばいいが」
もっともこのホテルのように、料理や飲み物の追加は、高いものを用意するのは難しいかもしれない。
「まあ、第七戦はまたここに集まるとして、第五戦と第六戦は、上杉さんのとこに集まってもいいんじゃないかな」
ジンとしてもこの大きな対戦を前にしながら、同時にチームのほうも見なければいけない。
秋の都大会を制していた帝都一は、11月の神宮大会に出場を決めている。
そしてそれは同時に、センバツへの出場も決まっているということだ。
高校野球の監督としては、明らかに若いジンである。
だが結果はちゃんと残して、センバツ行きを決めた。
神宮大会でも優勝したら、それは自分が現役であった時のように、四大会を制する最初のステージを突破することになる。
さすがに神宮大会で強い、関東代表や東北代表に、必ず勝てるとまでは言えないが。
ワールドシリーズが終わって、およそ二週間後が神宮大会。
プロに行った人間には、懐かしい舞台であろう。
もっとも神宮大会は、甲子園よりも出場するのは難しい。
東京を除けば全て、地区の代表が出場するからだ。
この場にいるほとんどの人間にとっては、過去の思い出。
だが高校野球に再び関わるようになったジンには、完全なる現実。
あるいは今はプロにいる人間も、また指導者として関わっていくのかもしれない。
既にプロを引退して、他の道に進んでいる者も、同年代には普通にいる。
30歳前後までプロでいられたというのは、それだけですごいことなのだ。
その道を選ばず高校野球に携わると決めていたジンは、やはり異色の存在だ。
「そういえば次の時は、妻を連れてきてもいいか?」
上杉のその言葉に、数人が激しく反応した。
この場にいるのは男同士の絡みばかりであるが、その配偶者ともなると、また違った絡みが存在する。
佐藤家の血縁や、聖ミカエルをはじめとする、女子野球の系統であったりするが。
「それなら俺も奥さん連れてきますけど、いいですかね」
「それこそ関係者じゃないすか」
鬼塚はそう言うが、彼の妻も元球団職員であったりする。
岩崎の妻も、元は白富東のマネージャーだ。
まあそういったあたりを連れて来ても、問題にはならないだろうが。
「来れる人間はいくら来てもいいと思いますよ」
本来なら倍の人数でも、充分に収容できるところを借りているのだ。
明日と明々後日は、上杉の家に集まる。
果たして何人が集まれることか。
なお上杉の神奈川の家は、ホームパーティーが出来るほどの広さを、一室が持っているのだ。
NPBが終わり、高校野球も秋季大会まで終わり、大学のリーグ戦も終了。
今年の大きなイベントとなると、後は高校と大学の神宮大会ぐらいである。
もちろんNPBなどはオフにおいても、色々なイベントはある。
ドラフトがつい先日終わり、帝都一からも一人、プロに送り込むことになった。
そういったこととは別に、ジンはやることがある。
この季節はシニアなどにおいては、新チームがそろそろこなれてきている頃だ。
来年の夏の結果などを見ていては、もう遅い。
早ければ二年生の夏には、中学生は進学先が決まっている。
高野連の規定にて、私立のチームも特待生で迎えられるのは五人まで。
だがスポーツ奨学金の制度などを使って、実質の特待生としては、10人以上を勧誘することも可能である。
正直なところジンは、単純に素質のある中学生だけを集めても、それで甲子園で優勝できるとは思っていない。
そう、出場するだけなら、まだしも簡単なのだ。
だが重要なのはさらに上、優勝を目指すことなのだ。
神宮大会を前にして、帝都一の選手たちは気合を入れて練習をしている。
ジンはそれに対して、細かい指導の全てには手が回らない。
だが帝都一は名門であり、コーチの人材も豊富である。
それだけに結果を残すことにも、貪欲なことはある。
夏を終えて中学三年生たちは、束の間の休息に入っているだろう。
帝都一のシステムは、別に特待生やスカウトされた選手だけで、チームを作るということはない。
一般入試で入ってくる選手もいて、そこでセレクションを行うというわけでもない。
どんな選手がチームにとって必要なのか。
それは確かに長期的に見ているが、全ての選手が想定どおりに、ちゃんと育ってくれるとは限らない。
本当ならば大阪光陰のように、スカウトされた少人数の選手を、重点的に鍛えた方が効率はいいのだろう。
帝都一がそうしないのは、それが帝都一の精神であるからだ。
100人以上の部員が、三軍にまで分けられて競争する。
それによって強いチームを作るのだが、ジンは別に天才だけを集めて、当たり前のように甲子園に行きたいわけではないのだ。
体格によってセレクションしている、私立のチームもある。
だが帝都一はそうではない。
指導陣の手間や労力は大変であるが、それでもチームをどう作るかは、監督とその属する学校の精神による。
実際に身長が、入学時は170cmもなかったピッチャーを、高校卒業時までには150km/hを投げられるまでに鍛え上げ、プロに送ったこともある。
少なくともジンは、父と違って才能で選手を見ることはない。
高校野球レベルまでなら、適切なトレーニングと戦術によって、フィジカルで上回る相手を倒せるのだ。
ただ強い選手を集めるだけではない。
強い選手を育てて、何より強いチームを作る。
それがジンの好みであり、帝都一はそれに合ったスカウトの仕方をしている。
うちで野球がしたくて、実力があって金がないなら、特待生で迎える。
そこまででなくてもやりたいならば、入ってくればいい。
三軍であっても練習メニューは、手を抜いたものではない。
だいたい年に一人か二人は、最初は三軍であった人間が、ベンチ入りメンバーには入ってきたりするのだ。
ただジンは同時に、選手の限界も分かってしまう。
限界など突破すればいいと、他の者には言うのだが。
現実的に人間のスペックには、フィジカルの差が存在する。
それでも守備職人や、代走要員などは、絶対に必要であるのだ。
今のプロ野球においては、なかなか見つけられない。
だが高校野球のレベルでは、自分がしっかりと見つけてやろう。
そんなことを考えていると、父から「面白い選手がいるぞ」と連絡が入ってきたりするのだが。
学校のスカウトとは別に、レックスのスカウトをしている鉄也が、帝都一で育てられそうな選手を、声をかけてくることがある。
かと思えばいい選手なのに、他の学校に任せてしまったりもする。
それが仕方のないことだ。プロのスカウトが必要とするのは、高校を卒業した時点で、プロか大学野球に進むべき者。
あるいは社会人という選択もあるが。
甲子園に行きたいが、プロには届かないだろうなというぐらいの選手。
親が金持ちであれば、なおそれはいいことだ。
特待生とまではいかないが、優先して入学させる。
そういった選手をそろえて、全国制覇を目指すのだ。
学校に戻ってみれば、そろそろ部活が始まる時間だ。
新チームの一二年生とは別に、大学に野球進学する者や、プロに入る者が、体がさび付かないように練習をしている。
そしてそれを見つめる者もいる。
帝都一はグラウンドを敷地内に持つ、東京としてはかなり贅沢な金の使い方をしているチームだ。
都内の強豪私立であると、グラウンドは校舎から、随分と離れたところにある場合も多い。
だが偵察や無用の見学者を隔離するためには、これはありがたいことだ。
無用でない者は、ちゃんと許可を得て入っている。
全体の練習は見るが、ジンの仕事はそれだけではない。
たとえば今日のように、プロのスカウトが見に来ている場合。
「やっぱりショートはあいつか」
「伸びてきてるしね」
軽い口調で応対できるのは、レックスのスカウトである実父の鉄也であるからだ。
プロのスカウトの仕事は、単純に選手を見つけて取ってくることではない。
高校に入ってからの選手と接触するのは、プロアマ規定に反する。
だが不思議なもので、中学生とは接触しても問題がないのだ。
なんならその中学生の選手の、進学先にアドバイスまでしたりする。
最終的にどんな選手に完成するか。
それを見据えた上で、ちゃんと育ててくれる進路を決めるのだ。
午前中は世界でも最高峰の、MLBのプレイを見ていた。
それに比べると高校野球は、まだ原石が粗くカットされただけのように見える。
おそらくもっとも成長する、高校野球の三年間。
その黄金の時代を共有することは、ジンにとっての喜びである。
そしていつか、と思う。
いつか直史や大介のような、そんな選手を見つけて、育てることが出来れば。
ただ大介はともかく直史は、帝都一のような環境では、育たないという気もする。
大学野球の世界でも、慣例をことごとく破壊した、唯一無二の存在。
もっともそれを運用する指揮官が無能であれば、試合に勝つこと自体は出来るのだ。
全体の練習を、父と並んで眺める。
こんな景色をずっと昔から考えていた。
ジンがもう一つ願うのは、最強のチームを作るということ。
自分自身がいた白富東をも超える、単純に個の力だけではなく、絶対的なチーム力で勝つということ。
そちらの方がまだ、100年に一人の選手を育てるより、可能性はあるだろう。
勇名館も、神奈川湘南も、大阪光陰も、春日山も、まだ未熟な白富東には勝っていたのだ。
そしてそれとは別に、次のワールドシリーズ第七戦。
連絡を取っているジンは、来年はこのカードが、成立しない可能性を直史から伝えられている。
チームがある程度、アナハイムもメトロズも解体されるだろうと。
ならば今年が、最後のチャンスになる。
はるか海の彼方で、最高の決戦が行われる。
それを直に見られないのは、さすがに寂しいジンであった。
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