第135話 地球の裏側
※ AL編135話が時系列の先になります。
×××
現地アナハイムでは、およそ午後五時から試合が始まる。
日本との時差は16時間となり、おおよそ午前九時からテレビでの中継がされる。
ちなみにニューヨークでの試合は、現地時刻では遅いが、日本時刻とはさほど差がない。
なぜこのようなことになるかと言うと、アメリカではその国内で、なるべく視聴者が見やすい時間帯としているからだ。
ニューヨークで行う時は、開始時間は遅い。
その時間にはまだ西部では、夕方頃となっている。
逆にまだ太陽が西に残るこの時間、ニューヨークは既に日が没している。
一般的なサラリーマンは、仕事が始まるこの時間。
東京のホテルの会場の一室を借り切って、豪華な観戦がなされている。
現役のプロ野球選手もいれば、かつて同じチームでプレイをした選手。
今は野球からは離れていても、運よく休日であったりすれば、この誘いには乗っていた。
既にレジェンドクラスと言われている現役選手も、何人かここにいる。
だが中心となって人数を集めてしまったのは、プロの道には進まなかった人間である。
「まあ、ホテルの手配はホッシーの奥さんの伝手なんだけどね」
現在帝都大学付属第一高校、通称帝都一の監督を務めているジンの言葉である。
集まったのはおよそ20人強で、白富東のOBが多い。
だがレックスのつながりや、ライガースのつながりなど、また早稲谷のつながりなどもあって、てんでばらばらな人員である。
「このレジェンドを俺がまとめるわけ?」
「別にまとめなくても、勝手に集まりは作るでしょ」
鬼塚はそう言うが、なかなかに派手な面子が集まっている。
ワールドシリーズの第四戦は、直史が先発する。
そして同じチームにはアレクと樋口がいるので、白富東の人間と、早稲谷の人間にジャガースの人間がいる。
またメトロズ側も大介と武史がいるので、ライガースの人間がいる。
これに加えてレックスの人間といった具合だ。
一番の大物は、言うまでもなく上杉だろう。
上杉兄弟の揃い踏みで、事実上この場の空気を支配している。
「せごどんでもいたら良かったんだけどなあ」
こそこそと小声で呟くジンである。
本多や織田といった人間は、まだアメリカに残っている。
樋口のつながりで上杉兄弟に声をかけたが、まさか本当に来るとは思っていなかった。
ただ上杉正也はアレクともチームメイトであった期間が長いので、やはり不自然ではない。
それに上杉勝也は、去年はあの舞台に立っていたのだ。
「どっちが勝ちますかね」
「どちらにしろ、ナオは第一打席を必ず抑えないといけないな」
ジンの断定した言葉はやや大きく、他の反応を引き出す。
「今日のメトロズの先発を考えれば、アナハイムは五点ぐらいは取ってもおかしくないだろ」
近しい関係ということで、岩崎がそんなことを言った。
「それは違うな」
否定したのは上杉である。
「この第一打席を抑えて、さらに一試合を抑えてこそ、アナハイムにはやっと勝機が見える」
上杉は基本的に、策を用いるのはあまり得意ではない。
だが自分の力で判断できるものならば、かなり的確に答えを出す。
この場にはジン以外にも、頭脳派の人間はいる。
単純に策を考えるのではなく、もっと大局的に物事を見る人間だ。
「ワールドシリーズ全体で見たら、ということですか?」
そう声を上げたのは、大阪光陰出身で、レックスではチームメイトであった緒方である。
そんな頭脳派だったかな、とジンはナチュラルにひどいことを考えながら、自分の考えを口にする。
「アナハイムがワールドシリーズを制するには、まず直史の投げる試合で、必ず勝つことが重要になる。ただこれはそれほど難しくはなかった。去年なら」
上杉をもしも直史にぶつけていたら、どんな試合になったのか、ということは想像することがある。
そして今年は上杉の代わりに近い存在がいる。
「大介をどうにか抑えて、他の試合でも一つは勝たないと、アナハイムは勝てない。そのためにはこの試合で、大介を徹底的に抑える必要がある」
普段の調子から大介と勝負していれば、確実にメトロズには点を取られる。
大介を敬遠しても、その後のバッターは怖いのだ。
第一打席を抑えて、この試合全体も完封して、メトロズの勢いを完全に止めなければいけないのだ。
それによって殴り合いに持ち込み、強打のメトロズを相手に、二番手ピッチャーの投げる試合で、一つは勝たないといけない。
「それ以外にも方法はあるだろう」
ジンの話を聞いていた上杉が、そう言葉を発した。
「佐藤が第一試合から、第三試合、第五試合、第七試合と先発で投げれば、勝てる可能性はある」
いやあなた、それをやって負けましたよね?
そう思ったジンであったが、クライマックスシリーズのファイナルステージと、ワールドシリーズでは事情が違う。
クライマックスシリーズでは、アドバンテージが大きかったのだ。
ペナントレースを制したチームに与えられる、一試合分の勝利。
さらに引き分けも、一試合は一勝と同じ価値があった。
大介のプロ入り三年目、スターズは上杉をファイナルステージで三試合に登板させた。
山田と山倉には投げ勝った上杉だが、中二日で真田を相手に投げて1-0で負けている。
大介を封じても、点というのは入るものなのだ。
だが上杉にも言い分がある。
「今のアナハイムには樋口がおる」
確かにそれは言えている。
樋口は直史や上杉、大介に比べれば、さすがに尋常の範囲に収まる人間だと思われている。
だが高校時代、大学時代、そしてプロ時代。
特にプロ二年目は、武史がいたとは言え、ペナントレースを制し日本一に輝いている。
直史はチームを優勝させるピッチャーであるが、樋口もチームを優勝させるキャッチャーなのだ。
「佐藤と二人がかりなら、白石も抑えるだろう」
確かにそれもそうなのだと、ジンは分かっている。
ただジンは知っているのだ。
直史には大介を敬遠出来ないという、足枷があるのだと。
本当の勝負をするというなら、直史に敬遠をする権利がなければいけない。
ただ高校時代の紅白戦では、直史は大介にヒットを打たれたも、点には結び付けないようにしていた。
直史と樋口が組んで最後まで投げた試合では、負けた試合は一つもない。
大学時代とプロ時代、直史は樋口と組んで、本当に一度も負けていないのだ。
高校時代にはジンと組んで、負けている試合がある。
もちろん高校時代には、まだ樋口も未熟なところはあったとも言える。
だがワールドカップではあのバッテリーは、12イニングも投げてランナーを一人も出さなかったのだ。
ホームランを景気よく打っていた大介の方が目立ったが、間違いなくあの大会の真のMVPは、あのバッテリーである。
去年は坂本と組んだ直史は、MLBでもNPBと同じく、無敗記録を更新した。
だが投げた試合において、全てに勝ったというわけではない。
自分に負けがついたわけではないが、全ての試合には勝てなかった。
それに比べると今年は、32先発の32勝。
MLBに永遠に残る記録を、間違いなく樹立している。
無敗というわけではなく、全勝。
引き分けや勝ち負けなしといった試合も、一度もないのだ。
ここに集まった人間の中で、ピッチャーはほとんど大介にホームランを打たれているし、バッターはかなりが直史に封じられている。
チームメイトであった白富東や、レックスの人間は少し違うが。
「とりあえず、試合を見ましょうよ」
開始までのわずかな時間で、こうやってぐだぐだと話しているのもいい。
だがようやくリアルタイムで、試合は始まろうとしている。
そう声をかけたのは小此木で、集まった中では最年少だ。
帝都一から直史と同期でプロ入りした小此木。
こいつもまた今年は、トリプルスリーに近い万能な打撃記録を残している。
直史が抜けて、さらに今年は樋口と武史が抜けたレックス。
一気に最下位にまでなってもおかしくないぐらいの、戦力の離脱と思われた。
それがどうにか四位までで収まったのは、正捕手になった岸和田の成長と、従来からの投手陣が機能したこと。
そしておの小此木と緒方の二遊間が、高い守備力を誇ったからだ。
緒方はそれほど長打力はないが、体格にしては充分に打っている。
それに小此木も一番セカンドとして、リードオフマンとして働いたからだ。
直史はあまり、他人の世話を積極的にする人間ではない。
頼られたらしっかりとするが、自分からは近寄っていかない。
だが年齢差はあるが同期であった小此木とは、かなり話すことが多かった。
高校時代はショートであった小此木は、緒方がいたためセカンドに回った。
そしてその守備負担が減ったのが良かったのか、三年目からは完全にブレイクしている。
ピッチャーとしての直史が上なのか、バッターとしての大介が上なのか、それを正確に評価することは難しい。
せめて同じピッチャー同士などであれば、いくらでも数字は比較できたのに。
ホームランを打っても、大介は直史を相手に、試合を勝利に導いたことがない。
だがこれまではホームランも打っていなかったのだから、その差は確実に近づいたのでは、とも思える。
そう単純ではないだろうな、と二人をよく知るジンは思うのだが。
日本で一番豪華なメンバーによる、試合の観戦。
鑑賞といってもいいぐらいの、野球芸術が、間もなく始まろうとしていた。
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