第136話 どっち?
「どっちに勝ってほしい?」
「お前は?」
「勝つのはアナハイムだと思う」
「それはそうだろうさ」
「佐藤と白石の勝負か?」
「それも、何をもって勝利とするかなあ」
バックネット裏の特等席で、織田と並んで座っているのは、なぜか本多であった。
なぜかと言うこともなく、この絶対的な人気カードを見るためには、普通の手段ではチケットは手に入らない。
なので自然と伝手を使って求めれば、近くの席にはなる。
だがそれでも織田と本多が隣り合う席になるとは、何の運命が働いたものだろうか。
織田はニューヨークでの第一戦も観戦に行った。
そしてアナハイムでの試合も、同じ地区だし見にきたわけだが、アナハイムとシアトルとの距離は、普通に飛行機で移動するものだ。
逆に本多の場合は、リーグが違うが本拠地ロスアンゼルスは、車で30分の距離である。
ニューヨークにまで決戦を見に行くつもりはなかったが、アナハイムならば別だ。
こういう時は関係者用チケットというのは、どうにかギリギリで手配がついたりする。
二人が推すのはどちらのチームか。
いやチームではなく、個人になるのだろうか。
「俺は佐藤が勝つと思う」
織田がそう言うと、本多は首を振る。
「俺は白石が勝つと思う」
どちらも自分に勝った相手にこそ、より高い極みにいてほしいと思ってのものだ。
二人は同学年で、そして地元は同じ愛知県の出身だ。
織田は地元の名徳へ、そして本多は東京の帝都一へと進学した。
甲子園での対決はなかったが、練習試合やシニア選抜、またワールドカップでは関わることが多かった。
織田は日本チームでは切り込み隊長で、本多はエース格。
バッティングでは実城や西郷、ピッチングでは一個上に上杉、一個下に直史など、やはりトップに立つには競争相手が強すぎた世代だ。
だがリーグが違ったおかげで、織田は様々なバッティングのタイトルを得ることが出来た。
本多はピッチャーのタイトルは一つも得ることが出来なかった。これがパ・リーグであればと思ったのは、一度や二度ではないが。
そこでの評価の差が、織田が先にMLBに来ることにつながったのではないかと思っている。
また本多の場合は、投打のどちらで使うかということが、タイタンズ首脳陣の間で割れていたこともあった。
どちらも通用しそうであったことが、本多にとっては不幸であったろう。
実際に上杉と同じぐらいには、ピッチャーにしては打っていたのだ。
結局はMLBに来てまで、二刀流をやろうなどという気にはならなかったのだが。
本多は今年のハイウェイシリーズで直史と対決し、去年と同じように敗れている。
アナハイム打線に一点しか許していないのだから、ピッチャーとしては金持ち球団トローリーズの間でも、相当の評価にはなっているのだ。
MLBで15勝もしていれば、立派なものだ。
またメトロズと対戦した時にも、しっかりと勝ち星を上げている。
リーグチャンピオンシップではメトロズに負け続きで、それでも大介とはまともに勝負出来る、数少ないピッチャーの一人だ。
パワーピッチャーである本多は、別に直史のことは嫌いではない。
だがその相棒たる樋口のスタイルとは、あまり相性が良くない。
もっともそう思っているのは本多だけで、国際大会などでの実績を見れば、樋口と組めば本多の成績は上がっている。
甲子園も、NPBも、MLBも、自分たちは脇役だ。
ただ主役がどちらなのかは、身近で見ていても分からない。
直史と大介、どちらがこの世界の、この時代の野球の主役なのか。
対戦してきた相手を見れば、大介なのだと思う。
甲子園で、そしてNPBで、倒すべき相手は明確であった。
そして大介の勝利を止めるかのように、直史がプロの舞台に現れた。
大介の後を追うように、MLBの世界にまで。
主人公の前には必ずライバルが必要で、それが強ければ強いほど、主人公もまた強くなれる。
NPB時代の大介の成績は、おおよそ毎年上がっていくものであった。
そして直史が来た最終年に、最高の数字を残している。
スキャンダルから逃れるように、MLBへとやってきた。
そこで頂点に立ったかと思えば、またも直史が立ちはだかる。
最初は同じチームの戦友として、大介と共にあった。
だが大介が頂に立ったかと思うと、今度は敵として対決してくる。
事実は小説よりも奇なり。
だがこの二人の運命は、まさに伝説めいて絡み合っている。
第一打席は直史の勝利。
初球がゆっくりとしたカーブで、二人はうなったものである。
「俺ならあれを打っていったけどなあ」
織田はそう言って、本多もそれは否定しない。
初球からのカーブ、織田なら上手く合わせていって、内野の頭を越えたあたりに、ぽとんと落とすことが出来ただろう。
だが織田相手であれば、そんなボールを投げてこなかったのも確かだ。
本多としてもNPBの一番打者なら、あれに手を出していたとは思う。
もっともほとんどのバッターは、力んでしまって内野ゴロを打ったりしてしまったであろうが。
もう長くバッターボックスには入っていない本多だが、自分でもあれは打っていくだろうな、とは思う。
ただ打球はおそらく、レフと側の内野スタンドに入るか、それとも内野フライになってしまった可能性が高いとも思うが。
織田と大介は同じ一番バッターであるが、役割が完全に違う。
大介はバッティングに関しては万能であるが、それでも本質的にはスラッガーなのだ。
大介が普通に塁に出ても、メトロズはおそらくそれをホームに返せない。
織田と大介では、求められているものが全く違うのだ。
直史から点を取るにはどうすればいいか。
それは織田自身が、ホームランで点を取っているので知っている。
だがレギュラーシーズン中ではなく、フルパワーで投げている直史が相手なのだ。
「とりあえず塁に出て、エラーが出るのを期待するかな」
織田であればそうである。
一番打者ながらそれなりの打点を記録している織田だが、やはりホームベースを踏む回数の方がはるかに多い。
相手の守備のミスや、ミスとまではいかなくても緩みを、確実に突いていく。
それが織田の、野球選手としてのタイプなのである。
一方の本多はと言うと、NPB時代はピッチャーながら、それなりの長打力を持っていた。
いや、ピッチャーとして使うのはもったいないほどの、と言うべきだろうか。
先発のローテに入っていたので、代打で出るなどということもあまりなかった。
だがチャンスの場面で代打を出されることはほとんどなかったし、ピッチャーなのに敬遠されたこともある。
「俺ならどうしたかなあ」
本多としてはバッターとしての勘は、もう完全に鈍ってしまっている。
なのでどうすれば良かったのか、はっきりとしたことは言えない。
カーブ、シンカー、ツーシームを内と外、そして最後はまたもカーブ。
「だよな?」
「ああ」
本多としては大介を相手に、こんな遅いボールで勝負出来るというのが不思議なのだ。
高校時代まではピッチャーも兼任していた織田としても、大介には全くピッチャーとしては叶わないな、とは思っている。
「カーブを打つべきじゃないのか?」
「それはお前ぐらいのパワーがあればそうだろうが」
「白石にはパワーはあるだろ」
「いやあれはパワーと言うよりは……」
織田がわずかに言葉を濁すのは、大介の情報を他球団の本多に教えることになるからだ。
織田はリーグが違うので、メトロズとはあまり当たらない。
だが本多は同じリーグで、しかもポストシーズンでも対決していた。
大介の長打力を見て、パワーがないと評するのはおかしい。
だが織田のようなアベレージバッターからすれば、大介は本質的にはスラッガーではないのだ。
もちろん織田よりもはるかに高い打率を誇っているので、アベレージヒッターとは言えなくもない。
それでも強いて言うなら、万能型と言うべきか。
万能型のバッターは、トリプルスリーが目指せるバッターと言えるだろう。
樋口はそうであるし、織田も日本時代はそれに近いと言われたものだ。
他にはアレクもそうであるが、MLBではどうしても長打は減る。
それなのに大介のパフォーマンスは、逆にどんどんと上がっている。
つまり単純に、大介はまだまだ伸び代を残していたというわけだ。
あるいはそれ以外の要素もあるのかもしれないが。
アナハイムが先制し、しかも二点を取った。
この時点で二人は、アナハイムの勝利を確信した。
大介は確かに第一戦、ホームランを打っている。
だが直史には不思議なジンクスがある。
ホームランを打たれた試合では負けていないのだ。
単純にプロ時代の話であれば、そもそもそれ以外でも負けてはいない。
だが高校時代は、一年春の県大会で、ホームランは打たれたが負けなかった。
そして二年の秋には、あの坂本にホームランを打たれている。
結果的に試合には勝っている。
直史から高打率のバッターが連打するよりは、スラッガーの一発に期待するべきだ。
例えば上杉や武史が投げて、アナハイム打線にも得点を許さないなら、それは確かに確実なことと言える。
だが上杉とのパーフェクトゲームや、武史との延長試合、高校時代なら大阪光陰の真田との投げあいでも、大事な試合では直史は点を取られない。
なぜあれだけ点を取られないのか。
同じピッチャーとして本多は、不思議に思うことはある。
「佐藤のやっていることは、野球のピッチングじゃないのかもしれないな」
「いや野球だろ」
織田に対してツッコミを入れる本多であるが、そういうことではないのだ。
直史は確かに野球のルールの中で、ピッチングを行っている。
ただ中学まではエースであった織田は、鍛え方が根本的に違うのでは、と思っている。
直史の代名詞と言えば、コントロールの良さだ。
だがコントロールがいいだけでは、優れたバッターをここまで抑えることは出来ない。
コントロールに加えて洞察力。
配球の組み立てについても、直史は飛びぬけている。
もちろん組んでいたキャッチャーが優れているというのもあるが、それでもそのキャッチャーの判断の的確さはピッチャーが信じているのだ。
ワールドカップで直史は、試合においては樋口とのみ組んでいた。
あの時の相性が良かったからこそ、大学でも組んだのだろう。
そしてNPBではレックスでのバッテリー復活。
去年は坂本と組んだため、今年よりは多くの点を取られている。
坂本が高校時代、直史から数少ないホームランを打ったバッターであるということ。
それを考えれば坂本は、やはり読みの優れたバッターなのだ。
キャッチャーとしてはその読みを、相手のバッターを翻弄するために使っている。
ただこのワールドシリーズ、直史からは打てていない。
アナハイム打線も強いので、キャッチャーとしての負担が大きいのかもしれない。
だがこの試合に限っては、バッターとしての役割を果たした方がいいのではないだろうか。
アナハイムの得点力は、全30チーム中、三番目を誇っている。
もっとも対戦する相手がリーグと地区によって違うので、それだけで打撃に優れているとは言えない。
対戦相手の守備の指標によって、得点力は変わるのだ。
それでもホームランの数だけを数えても、リーグ三位は変わらない。
メトロズは大介がとにかく異常に打っているので、他の追随を許さないが。
三回の表には、大介には二度目の打席が回ってくる。
既にツーアウトであるので、ここもやはりホームランを第一に狙っていくのだろう。
アナハイムは二点リードしているので、ここで大介にホームランを打たれても、同点にまでは達しない。
だが織田は、それ以前に気になることがあった。
「ツーアウトか……」
「ここからなら歩かせてもいいだろうな」
本多は呑気に言うが、直史は勝負するだろうと分かっている。
ミネソタ戦ではブリアンを相手に、敬遠してあっさりと勝負を決めた。
そのことで色々と物議をかもしたものだが、じゃあ大介との勝負を避けるピッチャーはどうなのだ、という話である。
この状況は、直史に有利だ。
大介がホームランにこそならなくても、長打でランナーになった場合、続く打者の進塁打で、ホームを踏むことが出来る可能性があるのだ。
しかしツーアウトからなら、バッターを確実に打ち取れば、点にはならない。
エラーによってランナーが出たので、この状況になっている。
だが大介一人を止めるためには、むしろこれで楽になっているのではないか。
「少なくとも俺なら、そんな無茶は出来ないけどな
織田の考えすぎとも言える憶測に、本多はそう返す。
だが間違いなくこれは、直史に有利な状況なのだ。
「ただエラーでランナーが一人出たから、白石に確実に四打席目が回ってくるようになったじゃないか」
ピッチャーとしての本多からは、そういう見方になるのだ。
大介ともう一打席、多く対戦することになる。
それはピッチャーにとって、とてつもなく苦しいことだ。
だが直史の制圧力は、本当にとんでもないものだ。
それに対して大介は、勝負していけるバッターなのだ。
実際に去年のワールドシリーズでは、長打も打っているし、惜しい打球もあったのだ。
長打で三塁まで進んで、そこでシュミットなどが内野ゴロを打つ。
直史相手でもそれぐらいは、さすがに出来ると思うのだが。
この二打席目の大介は、珍しくも空振りなどをしていた。
「チェンジアップか」
織田が苦々しく呟くのは、彼の最後の甲子園を終わらせたのが、直史のチェンジアップであるからだ。
前向きな彼は、すぐに次のステージであるプロに、意識を移したが。
それでも負けてしまった三年の夏は、いまだに心の中で棘となっている。
アウトローを見逃しの三振。
大介にしては珍しいというか、他のバッターでも打てそうなボールだった。
「今のはなんだ?」
「いや、俺に聞かれてもな」
織田の方が頭脳派であるので、88マイルのストレートがアウトローに決まっても、大介を封じることなど出来ないと思ったのだ。
なぜ見逃したのか。
そこはピッチャーとバッターの、それにキャッチャーを含めた駆け引きが、存在しているのだろうとは思うが。
大介のやっていることは、フィジカルによる圧倒的なスピード野球である。
対して直史のやっていることは、おそらく詰め将棋のような、正解を手繰り寄せるものだ。
野球における正解とは、後付でしか存在しない。
それが常識であるはずなのだが、直史のピッチングには、正解への道を歩いているように感じる。
大介の二度目の打席が終わって、そして試合は進んでいく。
直史のノーヒット記録は、まだまだ続いていく。
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