第121話 アドバンテージ

 それにしてもアメリカの大地を、東から西へ、西から東へ大横断するポストシーズンである。

 ニューヨークとサンフランシスコ、そしてまたニューヨーク。

 ここからまたロスアンゼルスに行く必要がある。

 アナハイムも似たようなものだが、ミネソタとの移動なだけ、まだマシなのだろうか。

「第六戦までもつれ込んでも、あんまり変わらないな」

 大介はそう考えている。


 トローリーズとの対決は、ニューヨークから始まる。

 そしてワールドシリーズも、ニューヨークから始まる。

 六戦目以降にまで勝負が決まらなければ、ニューヨークで終わる。

 去年は最終戦をフランチャイズのゲームにしながら、勝ちきることは出来なかった。

 だが今年はアナハイムが勝ち上がってきても、勝てる可能性はかなり高いと思う。


 目の前のトローリーズ戦も、確かに重要だ。

 だがワールドシリーズで、直史と対決する。

 そのために自分は、ここにいるのだ。

「今回勝てなければ、もう勝つ機会はないかも」

「チームの総合力とか考えて」

「いや、そういうもんじゃないな」

 ツインズの分析に、大介は否定的な見解を持っている。


 二人の分析は、おそらくどのMLB球団よりも精度は高いだろう。

 この二人の背後、あるいは握り合った手の先に、他の誰かがいることは分かっている。

 だが自分たちの対決は、そういった数字やデータで決められるものではないと、直感しているのだ。

(運命なのか?)

 あと一年、あるはずだ。

 そこでの対決はないと、誰かが語りかけている気がする。


 単純に戦力分析をすれば、アナハイムもメトロズも、主力が何人か抜けるはずだ。

 特に言われているのは、アナハイムがスターンバックとヴィエラを手放すであろうということ。

 直史が一人で40勝して貯金を作っても、それでは勝てないのが野球というスポーツだ。

 打線陣はしばらく、安定した成績を残せるだろう。

 だがピッチャーが足りなければ、試合に勝っていくのは難しい。


 メトロズにしても、打線陣がどれだけ残るのか。

 シュミットを残せるかどうかで、来年の成績は決まるかもしれない。

 他にウィッツも契約は切れるし、ペレス、シュレンプ、そしてまたクローザーをどうするか。

 戦力の再編について、考えなくてはいけないことが多いのだ。

(次がある、なんて思ってたらダメだな)

 決着は、あるいはただひとたびの勝利は。

 自分の力で、この舞台で決める。




 メトロズはトローリーズとの初戦を、武史に託す。

 トローリーズは第四戦までかけてディビジョンシリーズを戦ったため、ピッチャーの運用を少し考えないといけない。

 ただもう、二年も連続で、メトロズには辛酸を舐めさせられているのだ。

 ここは意地でも、勝ってワールドシリーズへ進む。


 もちろん意地だけで勝てるなら苦労はしない。

 戦力の運用を適切に行って、計算の上で勝つのだ。

「第一戦を捨てるのか……」

 ディビジョンシリーズで二試合に登板した本多は、これは日本的合理性の野球ではないか、と感じたのだ。

 アメリカのMLBは、合理的なところは徹底的に合理的だが、同時に完全にプライドを賭けた勝負というのも存在する。

 ポストシーズンこそが、まさにそれであるのだ。

 エース同士が投げ合って、相手のクリーンナップとも正面対決。

 もちろん戦術において、勝負を回避するということが、なくなるわけではないが。


 第一戦の先発は、メトロズは当然武史だろう。

 自分は二度投げているが、それならばフィッシャーだと思ったのだが、レギュラーシーズン五番手のピッチャーを使うのだという。

 確かに武史は今年、26勝0敗という、頭のおかしな成績を残した。

 延長まで投げて、負けた試合で31奪三振などという記録も作っていたりする。

 NPB時代も対戦経験があるので、本多にしても確実に勝つなどとは言えない。

 だがこれでは、試合の始まる前から負けを認めているのではないか、という感想を抱くのは当たり前だろう。


 105マイルのストレートを四隅にコントロールし、さらに変化球もしっかり投げられるという武史は、天才と呼ばれ続けた本多の目からしても、チート野郎にしか見えない。

 だが完全にバグった直史に比べれば、まだどうにかなりそうだと思うのだ。

「たとえ負けてもエース同士の対決で、相手を削るのが本道じゃないのか?」

 本多の意見にスタッフは苦笑いを浮かべる。

 なんだかんだ言って、負けるようならルールを変えるのが、欧米の文化だ。

 ジャッジがおかしくても、その場でどうこうするのではなく、後出しでルールを変えてしまう。

 そういう文化なのだとは、もう納得するしかない。


 この場合はルールではなく、暗黙の了解といったものだ。

 興行であるMLBは、見ていて面白くなければいけないのだ。

 だが面白さと勝敗の間に、完全な比例関係が存在するか。

 また面白さから、利益が生まれるのかどうか。

 多くの部分ではNPBよりも優れた面が多いMLB。

 ただ企業の広告塔という点で、赤字を親会社が許容するという点だけは、NPBの方がいいのだろうか。

 もっともそれは単純に、日本ではスポーツビジネスで儲けるのが下手だという話にもなるが。


 第二戦をフィッシャーに任せて、第三戦以降に本多を投入。

 メトロズのジュニアとウィッツは、どうにか打てなくもない。

 そういう判断なのだろうが、本多としてはこれは悪手だと考える。

 メトロズとトローリーズとの実力差は、メトロズの方がある程度上なのだ。

 ならば先制攻撃で、あちらにダメージを与えなければいけない。

 勝算は薄いと思っていても、第一戦を勝ちにいく。

 それぐらいのギャンブルをしなければ、残りの試合にも勝てないと思うのだ。


 10%ぐらいはあった勝算を、1%ぐらいにする行為。

 本多はそう思ったが、チームの投手起用に口を出す立場ではない。

(せめて俺だけは勝つぞ)

 ここが意地を見せるところだと、本多は判断した。




 ニューヨークからまた始まる、リーグチャンピオンシップ。

 これで三年連続で、ナ・リーグは同じカードとなる。 

 メトロズもトローリーズも、選手に金をかけることでは上位の球団ではある。

 だが故障者が出ないことが、レギュラーシーズンを安定して勝ち抜き、ポストシーズンの頂点に至るまでには重要なことだ。


 メトロズもトローリーズも、主力の故障はない状態でここまで来ている。

 わずかにレギュラーシーズンでは離脱しても、ポストシーズンに間に合えばいい。

 武史は故障ではないが疲労を抜くためにわずかに休んだし、スタントンもそうだ。

 ずっと元気な大介も、桜の出産に伴って、二試合は欠場している。

「二年前は二週間以上休んだのに、よく優勝できたなあ」

 武史は他人事のように言っているが、大怪我をしたのはお前の妹である。

 そして死んだのが、高校時代の同級生であった。


 家族そろってニューヨークを歩けば、時折見かけるのが『イリヤのお気に入り』だった場所である。

 武史は日本のイリヤしか知らないが、世間的にはイリヤが活躍したのは、やはりニューヨークであるのだ。

「イリヤが生きてたら……」

 武史も思っていたが、口にしたのは恵美理であった。

「絶対に、見たがっていたと思うの」

「そうだな」

 イリヤが引き合わせてくれたというわけではない。

 だが彼女がいなければ、今の自分がないのは確かだ。


 彼女は大きな影響を与える人間であった。

 そして今も影響を与え続けている。

 27歳で亡くなった、それも悲劇的で衝撃的な死を迎えた、間違いのない天才。

 実はまだ、編曲の完成していない曲が、いくつも残っている。

 そしてそれを残した遺言も、ちゃんとあるのだ。

 その遺言の中に、恵美理の名前も出てくる。


 大介は去年、死ぬのが二年早かった、と言った。

 20代で死んだ彼女が、二年も何もないだろう、と武史は思った。

 だが今では、三年早かったな、と自分で思っている。

 彼女が愛か、それに近い感情を抱いていたのは、間違いなく直史であった。

 音楽のためには自分すら壊してしまえるのが、イリヤという人間であった。

 彼女があと三年生きていたら、直史と大介の対決を見て、そして今年の対決を見て、そこから音楽を創造できただろう。

 

 まだまだこれからどんどんインプットして、さらに強力なアウトプットが出来るはずであった。

 それが凶弾に倒れてしまったのだ。

 生前は彼女のスタイルと対立し、音楽性が違うと言っていた人間もいる。

 ただイリヤの残した音楽が、死後にどんどんと出てくると、彼女の持つ音楽性の豊かさというか無節操さには、とんでもなく驚いたものだ。


 もっと話しておけばよかった。

 あるいは一緒にプレイしていれば。

 そう言っているミュージシャンはとても多い。


 イリヤは直史を気に入っていたが、逆に大介に対しては顔をしかめていた。

 たった一度バットを振っただけで、全てをひっくり返してしまう。

 そういう音楽もあるが、イリヤの音楽はもっと、クラシックに近い。

 どんな音楽もたしなむ彼女であったが、それでも好みというのはある。

 もっともそれはジャンルの好みではなく、プレイヤーの好みと言った方がいいか。

 大介は彼女の好みではない。

 だがとても強い存在だ。

 二人の天才の対決を、彼女は見たかったに違いない。

 そう思うと恵美理などは、彼女がまだまだたくさん、やりたいことはあったのだと思うのだ。


 イリヤは好き放題なことをしてきた。

 だがまだ満足していなかった。

 新しいものを求めるために、子供を産もうとしていた。

 彼女にとっては育児でさえもが、芸の肥やしというわけだ。


 イリヤの娘である伊里野には、一応ミドルネームが存在する。

 名づけたのはツインズであり、普段はそちらで呼んでいることが多い。

 そのミドルネームを聞いたとき、恵美理はなるほど、と思ったものだ。

 まだ乳幼児の彼女であるが、恵美理のピアノやヴァイオリンには、しっかりと反応する。

 他の子供たちも恵美理のピアノには、しっかりと観客になってくれる。

 大介や武史、そしてツインズもリクエストをしてくるが、恵美理に知らない曲が多い。

 半世紀もアニメの曲など、普通は知らないのが恵美理の世代だ。


「また、最初の試合に出るの?」

「分からないけど、多分」

 上の子供二人の手を引いて、恵美理は尋ねる。

 武史はベビーカーを押しながら、あまり試合のことには関心がないらしい。


 天才と呼ばれる人種がいる。

 恵美理が知っている中で、最初に出会った天才がイリヤであった。

 彼女の才能は恵美理を絶望させた。

 だが恵美理自身の才能も、それまでに多くの人間を絶望か、それに近いものを味合わせていたのに。


 全く違うジャンルではあるが、恵美理はその後にもその道の、天才と呼ばれる人間に出会っている。

 存在自体が周囲に影響を与える明日美。

 そして佐藤兄弟や、上杉などといった太陽のような力を持つ男。

 その中で一番訳が分からないというか、才能を感じさせずに結果を残すのが、武史なのだ。

 アンバランスさの正体を求めて、結婚までして子供まで産んでしまった。

 それでも恵美理は、まだ武史のことが理解できない。

 しかし理解できないことを、幸運とさえ感じている。


 野球というジャンルの、世界最大の舞台。

 そして世界最高のワールドシリーズで、武史がどう投げるのか。

 恵美理は楽しみであり、心配でもあった。




 休日が終わると、また大介と武史は練習に戻る。

 もちろんここで追い込んだ練習などはせず、調整のための練習だ。

 武史には全く疲労などはない。

 だがちゃんとキャッチボールをした後で、10球ほどは100マイルオーバーの球を投げる。

 直史にはあって、武史にはない才能、あるいは技能。

 それは徹底したコンディションの管理能力だ。


 トローリーズとの対戦、武史は第一戦を命じられている。

 あちらはあちらでフィッシャーを出してくるだろう。

 本多は第四戦で投げているので、おそらくはこのカードの第三戦以降。

 そこで一つ、落とすか落とさないかといったところだ。


 去年のメトロズは、このリーグチャンピオンシップで、本多を相手に二敗している。

 一方のアナハイムは、無敗のままでワールドシリーズに進んでいた。

 大介にはピッチャーの起用について、専門的な知識はない。

 だが武史のタフネスさは、よく分かっているつもりだ。


 そろそろメトロズ打線も、本多を打たなければいけない。

 今年のレギュラーシーズン、強力な打線を誇るメトロズが敗北した中で、無得点に抑えられた試合は二つだけ。

 直史が投げたメトロズと、そしてもう一つが本多の投げたトローリーズ。

 大介のみならずメトロズ打線の人間は、誰だってそろそろ勝ちたいと思っているだろう。


 ここで本多を打つ。

 そしてその勢いのまま、ワールドシリーズを戦う。

 まさかミネソタが勝ったら嫌だな、と大介は思っている。

 だが直史が三勝しても、他で四敗すれば、勝てないのがポストシーズンだ。

 いったいどういうピッチャーの運用をするのかは、他人事とはいえ心配になる。


 ニューヨークの空気が加熱していく。

 例年であればもう、次第に冷えていく季節だ。

 だがニューヨーカーは期待しているのだ。

 全米どころか全世界でも、最大の都市であるニューヨークとロスアンゼルス。

 この二つの都市を代表して、メトロズとトローリーズの対戦が始まる。


 もっともニューヨークはラッキーズファンの方が多いが、この数年でメトロズは一気にファンの数を増やしている。

 試合を見に行けば、大介のバッティングが見られるからだ。

 フロントや首脳陣からすると、相手のピッチャーのみならず、味方のファンからさえ巨大なプレッシャーをかけられる大介。

 ヒット二本を打ってもホームランがなければl、調子が悪いと思われてしまうこの選手は、プレッシャーを感じないのか。


 日本人はプレッシャーに弱いと、よく言われている。

 だが大介も武史も、そして坂本もそういった傾向にはない。

 そもそもそんなメンタルでは、海を渡ってアメリカに来ることは出来ないであろう。

 中でも坂本などは、マイナーから自力で上がってきた選手であり、ハングリー精神の塊なのではないかと思われる。

 だが坂本も武史も、そういったものではない。

 何かを欲するのではなく、満たされていないのでもない。

 ただ楽しさのためにプレイしているのだ。その楽しみ方は、それぞれ違うものであるが。


 大介はなんなのか。

 大介は飢えている。

 財産も、名誉も、権威も、あと性欲も満たされているであろうし、多くの選手からリスペクトされ、そして希望を見せている。

 だがそれでも、何かを欲している。

 欲しながらも、楽しんでプレイしている。


 打って、走って、守る。

 大介のプレイはまさに、自分が楽しいからやっている、と思えるものだ。

 ニューヨークは多くのマスコミがいるだけに、何度も質問はされている。

 大介のモチベーションはいったいどこにあるのかと。

 そのたびに大介は、色々と答えが変わることもある。

 だが結局のところは、野球が好きだからという結論になるのだ。


 そして大介が一番楽しいのは、強力なピッチャーとの対決。

 MLBにおいてさえ、もう大介に正面から立ち向かうピッチャーは、ほとんどいない。

「本多さんとの対決は楽しみだな」

 大介はまさに野球少年のような目で、本多との対決を待っているのであった。

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