第82話 2~3倍返し

 武史は集団競技に向いていないわけではないが、とりあえず野球に関しては、かなり限定された興味しかない。

 プロとはそういうものだと言えばそうなのかもしれないが、とにかくチームへの帰属意識が薄い。

 あるいは関わり方が他の選手とは違う。

 アマチュア時代はまず同じ学校という枠組みがあり、そこから野球部に入っていくこととなった。

 そしてプロでは導いてくれる先輩がいた。


 大学時代の最後の一年、本当に武史は自由なもので、リーグ戦前後しかグラウンドに顔は出さず、やることはとりあえず勉強であった。

 普通に就職するよりも、社会人チームの名門に入った方が、野球の実力を活かせて有利だという程度には思ったものである。

 プロの選択にしても、かなり条件をつけて志望届を出したものだ。

 NPBではドラフトでの選手獲得を、NPBという会社のどの部門に配属されるか、という言い方で職業選択の自由を限定している。

 ただそこは最初から、在京球団以外は行かないと言っていた武史。

 それでも複数球団が指名してきたのに、一番いいだろうというレックスに引いてもらえた。


 武史は一試合単位で見れば、確かにパーフェクトやノーヒットノーランを逃したりする。

 だがもっと長いスパンで見れば、実は直史よりも成功していたりする。

 高校時代は五回も甲子園に出て、そのうちの四回で優勝したのだから、その強運はほとんど運命的だ。

 いい大学に行って、美人の嫁さんがいて、子供たちも健康。 

 事件や事故に遭うこともない。

 直史や大介、それに上杉などと比べても、圧倒的に運が良すぎる。

 人生全体で見れば、パーフェクト未達成や今日の退場なども、わずかなスパイスに過ぎない。

 

 挫折を知らない人間は弱いと、したり顔で言う人間がいる。

 確かに武史は挫折はしていないが、それなりの苦難を乗り越えている。

 あっさり挫折して嫉妬の視線を向ける者は、ほぼ全員が武史ほどの苦難を乗り越えていない。

 それにまだ挫折を知らない人間というものは、怖いもの知らずでもある。

 ブレーキを踏まずに挑んでいける精神が、どれだけ貴重であるものか。

 そんな人間は実際のところは、挫折に相応しいダメージを受けても、平然とまた立ち上がっているのだ。

 結局最後に勝つ者は、負けても負けても勝つまでやる人間。

 常人は途中で、妥協と言うよりは現実を見て、地に足のついた幸福で満足する。


 武史は違う。

 今日の退場にしても、間が悪かった。

 ヘルメットにポコンと当たっただけで、バッターも普通に歩いていた。

 試合には負けてしまって連敗が止まらないが、まだいくらでも巻き返しがきく。

 才能に恵まれすぎているというのもあるが、その精神性もまた才能ではないが成功要因の一つ。

 負けたところで自分の責任ではないし、そもそもプロで全勝はありえない。

 ……どこぞの兄二人を除く。


 お気楽な武史であるが、無責任なわけではない。

 自分なりに本日の敗戦の原因は考えている。

 ただ、本当に運が悪かったとしか言えないのだ。

 雨という天候に、変化球の失投。

 しかもそれが左打者の頭に向かった。


 ナックルカーブは雨の時には封印するか?

 少なくとも左打者相手には、多投しない方がいいだろう。

 それに既に警告が出ていて、自分のコントロールを過信していた。

 他のボールもそれなりに変化に違いが出ていたのだから、ナックルカーブはより慎重に使うべきだったのだ。

(なんでもいいから、あと一つ変化球がほしいな)

 そう思う武史であるが、簡単に身に付けられるものなら、とっくの昔に誰かが教えてくれているだろう。

 本来はあまり器用ではない武史は、握りが完全に違うナックルカーブを、ようやく手に入れた。

 高速チェンジアップは、上手く力を空回りさせるのが要点なので、他の変化球とはかなり性質が違う。


 武史は色々と勘違いしている。

 確かにピッチャーとしての、本質的な部分は上杉の方が強い。

 しかし持っている変化球と、アイドリング後のストレートの特殊性を含めれば、上杉よりも技術的には選択肢が多い。

 そこからさらに強くなろうというのは、確かに無茶苦茶な話なのかもしれないが。

(使える変化球か……)

 必死の思考の果てというわけでもなく、ただなんとなくそちらの方が楽しそうで。

 武史はお気楽に、重大な決断をしていたりした。




 七回までで84球しか投げていないから、というのが武史の言い分である。

 アトランタからワシントンに移動して、武史は坂本に相談してみた。

 新しい球種をどうしようか、という問題である。

「シーズン中に新しく憶えるがか」

 坂本としては武史の余裕っぷりに、さすがに呆れるものがある。

 兄弟の才能はかなり正反対のものだが、武史もまた非常識であるのは間違いなかった。


 武史がこれまで他の変化球を習得しなかった理由。

 それは不器用という以上に、無理に投げれば球種がバレバレで、しかも肩や肘を痛める可能性があったからだ。

 一応変化をつけようとするなら、スライダーもシュートも投げられることは投げられる。

 だが腕の振りなどを見ていれば、明らかにそれは違うと分かる。

 分かっている中途半端な変化球など、狙い打ちの餌食にしかならない。

 カットボールやツーシームなど、握りだけで変化を付けられるようにならないと。

 もっともカットボールの方は、ほんのわずかな違いはあるのだが。


 左右に曲がる球は使えないとする。

 ならばあとは落ちる球だけだ。

 カーブに関してはナックルカーブがある。

 普通のカーブでもっと緩急差をつけるなら、チェンジアップと変わらないのではないか。


 考えていくと方向性が見えてくる。

 緩急差を活かすための、高速ではないさらに遅いチェンジアップ。

 もしくはチェンジアップではなく、ムービング系の速い落ちる球。

 スプリット・フィンガー・ファーストボール。

 通称スプリットを、100マイルオーバーで投げられれば、もういくらでも三振は奪えるのではないか。


 クローザーの中には、球種が二つしかないピッチャーもいる。

 その中で多いのが、ストレートとスプリットの二つだけというパターンだ。

 速いストレートに、それと速度差の少ないスプリット。

 これで三振を量産するのだ。

「方向性はあっちゅう」

 坂本もそれには同意してくれた。

「けれどなしてこれまで、使わんかったがか」

「必要なかったから」

 これである。


 正直今のままでも、充分にスーパーエースとしての力はある。

 だが前日の試合を見れば、雨でナックルカーブが使えない事態はまた出てくるかもしれない。 

 それに確かに、スプリットを見せるだけでも、ホップ成分の高いストレートは、より強力な武器になるだろう。

 習得が可能であるなら、やってみてもいいだろう。

 ただしこのシーズン中に、普段のローテに負担がかからないよう、それをすることが出来るのか。

「出来そうにないなら仕方ないし」

 そこはあっさりと割り切る武史である。




 スプリットとフォークボールは、その原理と変化からすると、同じ変化球である。

 より落差のあるのがフォークだとか、スピードの落ちないのがスプリットだとか、区別する者もいればいない者もいる。

 ちなみに大介によると、フォークボールは打てるから投げるな、というものであるらしい。

 動体視力に優れていると、ボールの回転で沈むなと分かるのだ。


 スプリットならまだ、そこそこ回転があるため、分かりにくい変化球にはなる。

「でもスプリットを多投すると、肘がいかれるって言うけどな」

「それはアシが教えるから心配はいらんぜよ」

 坂本は元々、スプリットを投げていたピッチャーだ。

 ピッチャーの状態を見て教えることも出来るだろう。

「コーチにもちゃんと相談しとけよ」

 大介としてはそれより、自分の成績の方が問題である。


 大介はMLB一年目、日程の都合もあったとはいえ、四月に22本のホームランを打った。

 以降はおおよそ11本以上、ほとんど二桁は打っている。

 四月の試合が残り三試合となったところで、現在の数は九本。

 実は同じリーグの中で、ホームランダービーのトップを走っていなかったりする。


 もちろん安定して二桁打てる大介と、たまたまハマっているバッターを同列に論じることは出来ない。

 だがフラストレーションが溜まっていく。

 そしてあまりに実戦で打っていないと、打ち方を忘れてしまう可能性もある。


 ワシントンとの三連戦、もちろん一番大事なのは、この三連敗を止めることだ。

 ホームでのワシントン相手の敗戦から、この連敗はスタートしている。

 また仕方のないことだが、ワシントン戦の敗戦が最後のきっかけとなって、マクレガーはトレードに出された。

 交換で入ってきたリリーフは、今のところ勝ちパターンでは使われていないが、短いイニングで既に失点している。

(あんまり他人の心配してる場合でもないんだよな)

 大介はしっかりとバットを振ってから、この日の試合に臨む。




 この日のメトロズは、ワシントンでのアウェイゲーム。

 三連敗中であり、大介の打撃を見に来たファンも、地元のチームを応援したりする。

 だがジュニアが先発のこの試合、メトロズは気合を入れなおしている。


 初回先頭の大介が歩かされるのは、もはや様式美。

 そして塁上で細かく動いて、ピッチャーの動揺を誘う。

 しかしリードはそれほど大きくはなく、油断したところで完全にモーションを盗んだスチール。

 キャッチャーが投げるのを諦めるタイミングで、二塁にまで進塁した。

 そしてそこえ調子に乗って、三塁までも窺う仕草を見せる。

 さすがにそれはないと思ったのだが、投げたと同時に走った。

 そして二番シュミットは、外していないその球を打ちに行く。


 下手にライナーでも打てば、ダブルプレイになる案件だ。

 だがシュミットの打球はセンターオーバー。

 まずは先制点を取った。


 三連敗はなんだったのだ、とワシントンとしては言いたくなるメトロズの動きだ。

 だがメトロズとしても、三連敗の最初の敗北の相手であり、しかも環境が変わっていたため、気分転換は出来ていたことに加えて、戦意も充分なのである。

 一回で早々にワシントンの先発をノックアウトし、さらにそこから序盤で一気に勝負を決める。

 だいたい六回で六点差がついていれば、アンリトンルールが適用されるが、それ以前の五回までで、メトロズは10点を取っていた。

 そしてジュニアに失点はない。


 五回までにフォアボール二個だけと、ノーヒットノーランを継続中。

 だがさすがに残り四イニングは、厳しいと思われるのが野球である。

 しかし六回に入ってメトロズはさらに追加点を入れ、勢いは完全にメトロズにある。

 今年の最初に武史がパーフェクトをして、次の日にジュニアも好投して勝利していた。

 前日の試合で武史が、あれだけのピッチングをしながら無念の退場。

 本人は気にしていないが、周囲は気にしているのだ。

 難しい顔をして、変化球について考えていたのも、誤解を誘った。

 ジュニアのノーヒットノーランは、七回まで続いた。


 球数が多くなってきたところで、ヒットを打たれてノーヒットノーラン不成立。

 だがこのぐらいでいいのだ。

 本人としても記録が途切れて、集中力が落ちるタイミング。

 メトロズはここで、あっさりとピッチャーを代えることが出来た。

 11点差というのは、もうとにかく試合を終わらせようという点差だ。

 だがそれでも初球のストライクを、打ってはいけないという暗黙の了解はない。


 昨日と同じく、もはや試合の趨勢に影響しないホームランを、大介は打った。

 この日も二度も歩かされていたため、怒りの一発と言っていい。

 おかげでと言うべきか、少しはストレスの発散になった。

 だが本当の勝負は、競った試合の中でしか成立しない。

 大介とすればこのホームランは、フリーバッティングのようなものであった。

 それでもこれで、二桁10本目のホームランとなった。

 最終的には14-0という大差で、メトロズは勝利した。

 続く二戦にも、影響しそうな快勝であった。




 ひどすぎるほど一方的な三連戦となった。

 第一試合に14-0で勝利したメトロズは、第二戦も10-0、第三戦も8-1と、一方的な虐殺を繰り広げた。

 なんでこんなひどいことが出来るんだ、とあまりの惨さにワシントンの観客は目を逸らしたりもした。

 しかしそんな中で、大介は普通にホームランを量産。

 四試合連続でホームランが飛び出し、ホームランダービーのトップに立った。


 四月はこの三連戦で全試合終了。

 日程の関係もあるが、純粋に負けた回数の差で、勝率はアナハイムが上を行っている。

 ただ大介は相変わらずというか、今年は異常な数字を残している。

 それは出塁率だ。


 打率0.448 出塁率0.694 OPS1.799

 毎年四月は調子がいいが、今年はさらに平均値が化け物じみている。

 27打点、12ホームラン、14盗塁。

 結局は25試合消化時点で12ホームランというのは、ほとんど去年と同じレベルの成績である。

 とにかくほぼ七割の出塁率が凶悪すぎる。

 またチームの打力が高いため、五打席目の回ってくる試合が圧倒的に多い。


 これに比べれば武史の成績は、まだしもおとなしい方であっただろう。

 四勝0敗であるが、一試合は勝ち星がつかなかった。

 単に勝ち星の数だけなら、ジュニアの方が五戦全勝していたりする。

 しかし五試合で96奪三振というのは、異常と言う以外に何者でもない。

 30試合に先発すれば、MLB記録を更新するレベルである。

 いや、そこまでは行かなくても、近代以降のMLB記録、奪三振記録を塗り替えるような。

 こんな武史であっても、上杉がシーズン離脱することがなければ、一度も奪三振王にはなれなかたのだが。


 メトロズは翌日からすぐに、また移動してアトランタとの対戦となる。

 その移動中であっても、FMやコーチなどは、色々と思考を止めることがない。

 一番大介の扱い。

 これは大正解であったと言える。

 昨年に比べて打点は落ちているが、大幅に得点がアップしている。

 ホームランはほとんどソロなのだが、とにかく出塁したときに、ホームまで帰ってくる回数が多い。

 一番シュミットということも、開幕までは考えていたのだが、やはり走力の差で大介となった。

 そして初回の打席の出塁率は、ほぼ八割以上の大介である。


 スラッガーと単純に言うには、総合力が高すぎる選手。

 初回に塁に出て、いきなりチャンスを作ってくれる。

 二打席目以降はランナーを返すバッティングが出来る。

 本当にどこに置いても活躍できるが、やはり一番が効果的であったか。


 昨年のワールドシリーズで思ったのは、もう一人バッターがほしい、ということであった。

 シュミットがいるのに何を贅沢な、という話ではあるが。

 直史から連打が出来なかったのが、結局は敗北の最大の理由であった。

 大介はヒットなら打っていたのだ。

 今年のアナハイムは去年以上に強いため、おそらくワールドシリーズまで勝ち上がれば、二年連続で同じカードとなる。

 そのスーパーエースを倒すために、せめて二割少しの確率でヒットが打てるバッターがほしい。


 だが今年のメトロズは、坂本を獲得した影響もあるのだろうが、明らかに失点が大きく改善している。

 武史をそのままぶつければ、アナハイム打線であっても封じることは出来るだろう。

 するとお互いのスーパーエースをぶつけ合うか、それとも確実にその二人で勝ちにいくかで、話は変わる。

 直史はMLB二年目に突入しながら、いまだに負け試合がない。

 もちろんそれは武史もだが、NPB時代の成績は、同じチームにいたので比較が楽に行える。


 ピッチャーとしての能力は、直史の方が高い。

 武史が優っているのは、ボールのスピードと奪三振率。

 あとは大介の言葉によると、スタミナなども武史が上回る。

 だが直史はスタミナに不安があると思えば、省エネピッチングに切り替えて相手を封じてしまう。

 

 現在の戦力で戦って、アナハイムに勝つことが出来るか。

 幸いなことにトレードデッドラインの前に、アナハイムとの対戦がある。

 アナハイムのローテーションを見れば、直史の投げる試合に対戦する可能性は高い。

 そこでまだ敵わなければ、トレードで戦力を補強する必要があるだろう。

 必要なのはバッターだ。

 だが見回してみても、大介とコンビを出来るようなバッターがいない。

 そもそもシュミットで満足しろ、というのが戦力的には常識なのだが。


 いずれにせよ、今はまだ現場がどうこう判断する段階ではない。

 メトロズのFMディバッツは、そう考えてタブレットの電源を落とした。




 バッター同士、ピッチャー同士の比較はともかく、バッターとピッチャーのどちらが上か、比較するのは難しい。

 実際の対戦成績はどうであっても、試合全体に対する貢献度は違うからだ。

 大介は相変わらず怪獣めいた成績を残しているが、武史のパーフェクトデビューも壮絶であった。

 五試合を投げて一失点と、これもまた先発としては驚異的。

 何よりその奪三振率は、歴史を変えるレベルである。


 大介はデータが蓄積し、研究されていっているはずなのに、毎年成績を伸ばしている。

 他のチームが対策する以上に、大介の能力が伸びるか、あるいはピッチャーへの対策が出来るようになっているからだ。

 フィジカルなどではなく、技術的なもの。

 大介はまたもプレイヤー・オブ・ザ・マンスに選ばれるだろう。


 だいたい世の中には、あいつさえいなければと臍を噛む人間が多い。

 たとえば真田などは、高校時代からそう思っていたピッチャーであろう。

 実質的な一年生エースとして投げながら、そこからずっと優勝には手が届かなかった。

 出場機会五回中全部に甲子園に出場を果たし、そのうちの三回は決勝まで進んだ。

 そして全て、白富東に負けている。


 プロ入り後も上杉、武史、直史と、あまりにも分厚い壁に沢村賞を阻まれた。

 そもそもほとんどタイトルも取っていない。

 間違いなく少し時代がずれれば、複数回の沢村賞を取って、タイトルも多く取っていただろうに。

 もっとも同じ事はバッターにも言える。

 大介が日本にいた九年間、打者三冠を全部獲得出来なかったのは一年のみ。

 ちなみに上杉は大原に、勝率で負けてタイトルを取れなかった年がある。

 それでも沢村賞には選ばれたが。

 上杉以外を選ぶという選択肢がなかった、とんでもない時代である。

 なお今年はそれがまた復活しているらしい。

 

 五月に入ってメトロズは、まずこの間連敗したアトランタと対戦する。

 二試合目はオットー、三試合目は武史にローテが回ってくるが、第一戦は今年もリリーフで使うことが多かったワトソン。

 去年も先発ローテを一時期担っていたが、今年は先発で投げるのはこれが初めて。

 前回のカードでアトランタがメトロズに勝っているので、この一戦目は重要になる。


 マクレガーをトレードしたので、ここは確かに経験からしてワトソンを入れるべきであった。

 もしもここで上手く投げれば、先発を六人体制にするかもしれない。

 幸いなことにアウェイゲームのため、先制するチャンスは大いにある。

 大観衆の中で、メトロズの選手たちはひそかに燃えている。


 武史の投げた試合は、本当なら勝っていた試合であった。

 あのデッドボールにしても、雨で滑っただけである。

 先にデッドボールを出していたのは、アトランタであった。

 それなのに退場を食らったのは武史という、不条理がメトロズの選手の思考の中にある。


 今日の試合は、まだまだ若手のワトソンの先発。

 なのでとりあえず、殴り合いで勝利しよう。

 どれだけ点を取られても、それ以上に点を取る。

 メトロズはそれが出来るチームなのだと、選手たちは信じている。

「仇討ちじゃあ、ちゅう感じになってるぜよ」

「別に俺は気にしてないんだけどなあ」

 武史が被害者のように思われているが、実際にはデッドボールを当てた加害者である。

 もちろんわざとではなかったのだが。


 下手にノリを弱めようとは思わず、武史は他人事で観戦する。

 借りを返すのは、自分の投げる第三試合。

 パーフェクトだのノーヒットノーランだのは、確かにやるのは難しい。

 だが三振だけならば、ある程度の数は奪っていくことが出来る。

 直史のように、長期間続けて呪いをかけるような、そんなピッチングは出来ない。

 だが三振を奪いまくって、自分もファンもすっきりするような、そういう試合なら出来なくはない。

 一見すると飄々としていて、実際にそれほど恨んでいるというわけでもない。

 だがそれでも、お返しという考え方を、全く持っていないというわけでもない武史であった。

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