第61話 鬼と修羅

 メトロズはニューヨークに戻ってきたが、このままでは負けるな、と多くの者が思っていた。

 まさかポストシーズンでパーフェクトを食らうとは。

 同じニューヨークのラッキーズが、さらにひどいパーフェクトマダックスを食らっているのだから、それぐらいは覚悟しておかなければいけなかったのだ。

 大介は一人でもどうにかするつもりでいる。

 だが大介が全打席ホームランを打っても、四点しか入らない。

 いくつかは敬遠されるだろうし、陰鬱たる雰囲気は投手陣にも広がっている。

「ワシが投げるしかないか」

 MLB移動用の飛行機の中で、上杉がそう言った。


 大介は自分が勝つことばかりを考えていたが、確かにチームが優勝するためには、それしかないのかもしれない。

 上杉がチームを発奮させる力は、大介以上のものがある。

 だからこそ逆に上杉が抜けたスターズは、二年連続で最下位に沈んでいたりもする。

 上杉が帰ってくるならと、FA権を取っても行使を保留している選手も何人かいる。

 上杉はそれぐらいのピッチャーと言うか、プレイヤーなのだ。


 カリスマ性を別にしても、上杉は登板間隔も充分に空いている。

 前にクローザーとして投げてからは、中五日。

 先発として投げて、アナハイムの打線を七回ぐらいまで抑える。

 その時までに打線が復活していれば、後はどうにかなるだろう。

 問題となるとしたら、第七戦までリリーフとして投げられるか。

 第六戦を先発で出て、勝利が確定的になるところまで投げる。

 その次の日、回復しきれているのか。

 上杉は確かに今年、クローザーとして連投はしている。

 だが三連投が最大で、それも一イニング程度。

 NPB時代もルーキーイヤーにクローザーをしていたが、回復力があの頃とは違うだろう。

 何よりも故障明けなのだ。


 このあたりが上杉の、限界と考えておくべきではないか。。

 第七戦、あるいは双方無失点のまま、延長にでも入るとする。

 今年ずっと先発で投げている直史が、中二日で第七戦に投げたとして、どこまで投げられるだろうか。

 NPB時代の実績から考えれば、九回を完投出来てもおかしくはない。

 大介はそう考えているが、実のところ直史は、大介を相手にして相当に消耗している。

 第六戦、あと一回だけ投げれば優勝できるという状況なら、投げてきてもおかしくはない。

 だが二回以上であり、そして大介の打席が回ってくるなら、確実なことは言えない。

 直史に負けてまだまだ楽しそうにしている大介は、精神的に異常であることは間違いない。




 ニューヨークに戻ってからも、マスコミの対応はあまり好意的ではなかった。

 地元のチームであるので、もちろん味方はいるのだが、今季歴史を塗り替える117勝を達成したチームが、一人のピッチャーに完全に抑え込まれたのだ。

 また同じようにニューヨークのもう一つのチーム、ラッキーズも完全試合を食らっている。

 メトロズにその敵討ちを、などという一方的な感情もあったのかもしれない。

 別にメトロズはラッキーズの味方ではなく、むしろ敵なのだが。


 ともあれ選手たちは、それぞれの家に帰る。

 上杉は球団の手配してくれたマンションに戻るが、そこで待っているのは妻と娘が二人。

 一年間という短期間であることもあり、長男と次男は日本の実家で預かっていてもらっている。

 そのあたりのことも含めて、上杉はアメリカに滞在し続けるつもりはない。


 アメリカに、上杉の名前は刻まれた。

 無失点のクローザー。

 それはポストシーズンに入ってからも、同じことが言える。

 なんだかんだ言いながら、さすがに失点はしている直史。

 負けこそつかなかったものの、勝ち星をつけさせなかったのもまた、上杉というピッチャーであった。

 直史が投げて、唯一負けた試合とも言える。

 八回まで投げて、味方の援護が一点もないというのは、さすがに直史のせいではないだろうが。


 その上杉は元は先発である。

 高校時代は延長15回までを無失点で投げぬいたこともある。

 そして当然のように翌日も登板したりした。

 本来の体力や耐久度は、直史以上であろう。

 だが先発から遠ざかっていた感覚が、そう簡単に戻るとは思えない。

 また第六戦で投げて勝ったとして、第七戦はどうするのか。

 クローザーであれば一イニング程度は、どうにか投げられそうではあるが。


 その上杉に電話がかかってきた。

 自分の気持ちはもう、首脳陣に伝えてある上杉だ。

 その場で返答は出来なかったFMのディバッツであるが、今のメトロズを鼓舞するには選択は一つだけ。

「分かりました」

 そう短く答える上杉であった。




 上杉の覚悟を聞いていた選手は、同じ日本人だからという気安さもあっただろうが、大介のみ。

 確かにあの雰囲気を変えるためには、上杉が先発するぐらいしかないだろう。

 世界のプロ野球リーグで、複数回パーフェクトを達成しているのは二人だけ。

 もっとも高校時代は、上杉の方がパーフェクトをしている回数は多い。

 チームが弱かったため、一年の頃はコールドになかなかならなかったためだ。

 直史の場合は逆に、地方大会ではコールドばかりであるし、甲子園でも勝てそうと思えば他のピッチャーに任せてきた。

 そのおかげで15回参考パーフェクトなどというおかしな記録があるのだが。


 MLBでは基本的に、全てが予告先発である。

 もっともポストシーズンに入れば、その限りではない。

 また当然のことながら、怪我などで先発が変わることはある。

 それでも試合の前には、相手側にオーダーが伝えられる。

(アナハイムがどう動いてくるか)

 大介は予想する。


 直史はおそらく、上杉に勝てるとは思っていない。

 いや、最終的には勝てると思っても、おそらく安全策を取ってくるだろう。

 そうは思うのだが、これも確かなこととは思えない。

 今の直史は勝利のためだけに戦っているのではないはずだからだ。


 大介の願いによって、あの天下に二つとない異能は、プロの世界に、日の当たる世界の野球に戻ってきた。

 そして大介の望み通りに、試合の中で勝負を避けることもなく、ほぼ正面から対決している。

 ふと、思った。

 直史は上杉とも対決したいとは思わないだろうか。

 二人が対決したのは、日本代表での紅白戦などの非公式戦を除けば、NPBのレギュラーシーズンの二試合のみ。

 MLBでも同じ試合に投げたことはあったが、直史が先発で上杉がリリーフと、真っ向対決と言えるものでもなかった。

(いや、それはないか)

 確かに直史は真田相手に、執念すら感じさせるピッチングで夏の甲子園を制した。

 だがお互いの打線の力が違うことも考えれば、そこえ上杉と戦おうとは考えないと思う。

 それでもなお競争するなら、シーズンの成績ではないか。


「どう思う?」

「どう思うって……」

 ツインズは顔を見合わせる。

「そもそもお兄ちゃん、誰かと個人的に勝負したいってあんまり思ってないと思う」

「でもいるとしたら多分、フリーバッティングとかで打たれてる相手」

「ああ」

 大介も納得してしまう。


 直史という人間を、大介はよく知っている。

 あるいはバッテリーを組んでいたキャッチャー以上に、深く理解しているかもしれない。

 義理の兄であるということもあるし、高校時代のチームメイトであったということもある。

 そして自分以外の視線から見た、家族としての直史のことも聞いている。


 頑固であるが頑迷ではなく、強情であるが固執せず、因習を尊重しつつも合理的であり、保守的なのに柔軟性がある。

 相反している要素があるように思えるが、自分が納得すればいくらでも許容するのだ。

 自信家でありながらも保険を多くかけておく。

 一人の人間の限界を承知しているからこそ、数の論理を軽視しない。

 中庸、とそれを言うのだ。

 歴史上の人間でいれば、徳川家康に似ているのかもしれない。




 そんな直史の作戦を、大介は自分だけではなく、ツインズにも読ませる。

 戦力をどう運用するかで、ワールドシリーズの行方は決まる。

 そのための現状把握として、まずはツインズは数値化されていない、メトロズのお通夜状態を大介から聞いた。

 そしてそんな雰囲気を払拭するために、上杉が投げるであろうことを。


 ここは確かに、それしかない。

 歴史を紐解いてみても、野球に限らずほとんどの戦いでは、諦めている方は最初から負けているものだ。

 その空気を突き破るためには、上杉の強烈なピッチングが必要だろう。

 これに大介のホームランを組み合わせれば、第六戦を制することは可能だ。

 だがそのために、上杉を先発で使ってしまうのか。


 大介はピッチャーではないが、他のピッチャーから話を聞くに、クローザーで一イニング投げた後、次の日に先発という使われ方はしんどいという。

 逆に先発である程度投げて、次の日に一イニングだけなら投げられなくはない。

 先発というのはそもそも、ある程度はペース配分を考えて投げるものだ。

 わずかなりとも余力は、残っているはずなのだ。


 対してクローザーは、回復力が必要になるが、スタミナはそれほど必要ではない。

 確かに世の中には、30球までなら神といった感じで、投げられるピッチャーはいるのだ。

 上杉もまた、おそらく今シーズン一度もやっていない先発をやるということは、体に疲労が蓄積されると思う。

 スタミナ自体はあまり心配しないが、指先の感覚や肉体の細部のコントロールが、どうなるかは分からない。

 なので第七戦の上杉は、確実に期待出来るクローザーにはならないかもしれない。

 いや、そもそも第七戦、アナハイムがどういう選手運用をしてくるか。


「お兄ちゃんが投げる」

「そして完投する」

「完封じゃないのか?」

「大介君が打つ」

「でもチームは負ける」

 そういう見通しが。


 中二日で、直史が投げてくるということ。

 これが中三日ならば、ポストシーズンではごく普通のことだ。

 ただ第五戦でパーフェクトをしたピッチャーを、第七戦の先発で使う。

 リリーフとかではなく、先発で。

 暴挙にも思えるが、直史の戦歴を知っていれば、出来ると日本の野球ファンなら思うだろう。


 10月14日 九回92球 被安打一 これがクライマックスシリーズの最終戦。

 中四日

 10月19日 九回91球 被安打一 これが日本シリーズ第一戦であった。

 中三日

 10月23日 七回75球 被安打三 四死球一 これはリードがあったため、後続のリリーフに任せることが出来た。

 中二日

 10月26日 九回138球 被安打六 四死球二 完封して勝ちはしたものの、さすがにこれが限界だと思われた。

 連投

 10月27日 九回80球 パーフェクトマダックス。


 これが直史のNPB一年目、ポストシーズンでの成績だ。

 正確にはクライマックスシリーズで、第一戦でも投げてはいるが。

 日本シリーズの四試合、全てで勝ち星を上げた。

 昭和のエースでも、後半になればもう、こんな無茶な使われ方はしていない。


 これに比べれば、九回108球でパーフェクトをしても、中二日の休養がある。

 いや、基準があまりのもおかしいのではあるが、実績があるのだ。

 直史は確かに持久力はかなりあるが、それでもピッチャーとしてはおかしい。

 自分にはあまり持久力がないと思うからこそ、省エネで普段は投げているのだ。

 試合中も力の入ったボールは、それほど投げていない。

 八分の球を上手く組み合わせて、体力を温存させて勝利するのだ。


「まさかとは思うが、中一日で第六戦に投げてきたりはしないよな?」

「それは……」

「さすがに……」

 一日休めば投げられる。

 大学時代の直史なら、土曜日に投げて日曜日は休み、月曜日にも投げるということはやっていた。

 もっともあの頃の早稲谷は、他にもピッチャーがいたので、滅多にそんなことはなかったが。

 ただ、先発はともかくリリーフなら、投げてきてもおかしくはない。

 この三人もさすがに、直史を過大評価している。

 実績が実績なだけに、無理もないのだが。




 ワールドシリーズ第六戦。

 先発に上杉の名前があり、多くのファンを熱狂させる。

 それはメトロズだけではなく、MLBのファン全員だと言ってもいい。

 今季の上杉は、ある意味直史よりもすごい。

 なにしろ失点していないのだから。

 先発で投げる直史より、圧倒的にイニングは少ないのだとしても。

 それでも70イニングほどを投げて、一失点もしていない。

 クローザーとしてはランナーがいる場面で、出てきたりしてもだ。


 106マイルを計測して、驚かせたこともある。

 それは別にマグレではなく、その前後にも普通に、105マイルまでは投げていたのだ。

 これが故障明けの人間の投げる球か。

 七月まではボストンが、それ以降はメトロズが、最終回でリードしていれば、もうその試合は勝ち確定としていたのは、全くもって大袈裟なことではない。


 アナハイムは上杉がボストンにいた頃と、そしてこのワールドシリーズとで、全くても足も出ないという経験をしている。

 なので試合の前から、士気はいまいち高くなかった。

 ロッカールームではFMのブライアンが必死で士気を高めようとしていたが、いまいちその演説には説得力がない。

 上杉は確かにクローザーであったが、NPB時代は先発で、既に200勝以上をしていた。

 そしてその試合の中では、大介を封じて勝った試合が、いくらでもあるのだ。

 情報化時代の今、そういったネガティブな情報も、手に入ってしまう。

 アナハイムには大介に匹敵するバッターはいない。

 いや、世界のどこにもいないのだが。


 ただ、別に上杉を打てなくてもいいのだ。

 ツインズは大介の味方ではあるが、同時に直史の思考も読んでいる。

 それによればとりあえず、アナハイムは上杉にパーフェクトさえされなければいいし、パーフェクトをされても球数を投げさせれば、それでいいと思っているだろう。

 パーフェクトをしたとしても、上杉が連投できるのか。

 直史は第七戦、下手をすると先発で出てくる。

 その直史に対抗するピッチャーはいない。

 なので第七戦は、大介が直史を打たなくてはいけなくなる。


 パーフェクトをした後の、中二日で先発してくるピッチャーから、打てなかったとしたらそれは、もう完全に大介の敗北である。

 だが直史であるから、どうにかこうにか単打程度には抑えて、完封ぐらいはしてきてもおかしくはない。

 しかし大介は、今度こそ直史を打てると思っている。

 自信があるわけではないが、もうそろそろ打てるだろう。

 自分の中にある、野球の魂が、そう告げてくる。


 あるいは直史が、またさらに限界を超えたピッチングをしてくるのか。

 それならそれで、またそれは望ましいことだ。

 今までの直史では勝てないからこそ、限界を超えて投げてくる。

 そんな直史を引き出せたなら、それはそれで大介も、勝利ではないが未来に続くことだ。




 一回の表、アナハイムの攻撃。

 上杉は投球練習の頃から、既に観客を魅了していた。

 そして最初に投げた球が、いきなり102マイルであった。

 そこからの三球、102マイル以下のボールはない。

 バットがボール二当たることさえなく、三球三振。

 その瞬間にはスタジアムから、大歓声が湧き上がった。


 直史のようなピッチングでは、こうはいかない。

 もちろんそれはそれで、とてつもない緊張感に満ちたピッチングとなるのだが、上杉ほどの派手さはない。

 分かりやすい凄さは、当然ながら上杉の方が上。

 だがそれでも、勝つのは自分だと思うのが、直史という人間なのだろう。


 この日の二番も、もう今年の大ブレイクと言っていい、ターナーが打順に並んでいる。

 ホームラン数ア・リーグ二位の彼は、おそらく今のMLBにおいて、スラッガーとしては五本の指に入るであろう。

 そのターナーが初球から、ゾーンのストレートを見逃してしまった。

(速い!)

 分かっていたはずだ。だが、先発とクローザーとでは、感触が違うと思っていたのだ。

 だが上杉はクローザーの時よりは、少し大きな投球フォームで、100マイル超えの球を連続して投げてくる。


 ターナーに対しては、103マイルから入って、101マイルのツーシーム、そして105マイルのストレート。

 最後のストレートには、スイングも出来なかった。

(速過ぎる!)

 戦慄するほどの球速。

 一回の表のアナハイムは、三者連続三球三振で、攻撃を終了した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る