第60話 ただ打つだけの存在

 三回から五回にかけて一点ずつ。

 ジュニアのピッチング内容は、六回を終えて三失点なので、本来ならば及第点だ。

 問題があると言えば、そのうちの二点をソロホームランで打たれていることだろうか。

 もしもランナーがいれば、さらに失点していたという指摘をされる。

 だがランナーがいればいたで、ピッチングの内容は変わったはずなのだ。

(ナオのやつは、本当に期待以上のことをしてくれるよな)

 ただ一本、単打を打たされただけ。

 それ以外はいい当たりこそ出ているが、完全に封じられている。

 あと少し打球のコースが違えば、などとは言っていられない。

 結果としてアウトになっているし、もしもあそこでヒットになっていても、大介をホームには帰さなかったはずだ。

 直史とはそういうピッチャーなのである。


 七回の裏から、メトロズはピッチャーを交代する。

 大介としては三点目が入った五回で、ジュニアは降板させても良かったのではないかと思う。

 ジュニアは先発ピッチャーであるが、ポストシーズンでは先発であっても、リリーフにガンガン使っていくのが常識だ。

 明日は移動日で休みなので、それを加えれば二日の休みで、ジュニアを最終戦に使うことが出来る。

 酷使ではあるが、ポストシーズンではままあること。

 なぜそうしなかったのか、大介としては疑問がある。


 後から言えばいくらでも批判出来るが、確かにメトロズの選手運用は失敗していた。

 第三戦をもっと全力で、取りにいかなければいけなかったのだ。

 アナハイムには上杉のような、絶対的なリリーフエースはいない。

 だからビハインド展開でも上杉を投入して、逆転を信じるべきであった。

 本当に今さらである。

 

 ここから何をやっても、メトロズが逆転することはない。

 なので大介は、もう全力で自分のやりたいようにすることにした。

 そもそも色々と考えて、小ざかしいことばかりを成そうとしていた。

 それが間違いだったのだ。


 他のことに回す脳の動きを、全て打つだけに集中する。

 そして反射で、全ての希望を破壊する打球を放つのだ。

 無心になって、大介はバッターボックスに入る。

 マウンドに立つのは、グラウンドの頂点に位置するスタジアムの支配者。

 あれが最後の初見殺しだとは、大介は思っていない。


 


 スタジアムの熱狂が、大介には伝わってくる。

 直史のホームであるが、それでも単純に直史の勝利ばかりを願っているわけではない。

 大介にもまた大きな期待がかかっている。

 ここまでパーフェクトを続けてきた直史が、第一戦ではヒットを打たれて、結局ノーヒッターも逃してしまった。

 そしてこの試合、マダックスもまた達成できないであろうと思わされる。

 大介の粘る姿は、直史との決闘を思わせる。


 荒野のガンマンなら、一瞬で決着がつく。

 だが二人の行っていることは、完全に刀剣を持った侍同士の対決だ。

 一瞬で勝負が、つくかもしれないしつかないかもしれない。

 それも含めて全て、見逃してはいけない。

 

 直史が何を投げてくるかは、大介も楽しみである。

 チームに与えるダメージなど、そういうことはもう考えない。

 そういった戦略的なことまで考えれば、直史には敵わないと感じるからだ。

 高校時代に何度か行った紅白戦。

 どちらかと言うと大介の方が、直史相手にもそれなりに打っていたと思う。

 だがこれだけは確かだ。

 フリーバッティングの時はともかく、紅白戦においてなら、大介は一本もホームランを打っていない。


 味方の主砲の調子を落とすような、フリーバッティングでのピッチングはしない。

 紅白戦にしても、それなりにヒットは打たせる。

 だがホームランは別だ。

 それだけは直史は、意識的に打たれないようにしていたはずだ。


 真剣勝負をしてみたいと思っていた。

 それがかなったのはWBCの壮行試合であったが、日本代表はアマチュアの学生バッテリーに、ひどい目に遭わされてしまった。

 そこからまた同じチームで戦い、またも伝説的なピッチングをしたのだが、公式戦で意味のある勝負はしてこなかった。

 まさかプロの舞台では、ああまで封じられるとは。


 まだ自分は成長している。

 ここで打てなければ、もう来年まで機会はないかもしれない。

 そもそも来年はお互いのどちらかの戦力が離脱して、共にワールドシリーズまでは勝ち進めない可能性すらある。

 一期一会。

 この打席に全てを賭ける。

 もう一打席回ってくるとか、そんな甘い考えは持たない。




 試合に負けるのはもう仕方がない。

 だが負けるのではなく、壊滅するのは避けなければいけない。

 第一戦も結局、直史を打ったのは大介だけだったのだ。

 他は打順調整と思われるフォアボールが一つで、完全に封じられた。


 この試合もここまでパーフェクト。

 シカゴ・ベアーズ、オークランド、ヒューストン、ラッキーズと、強力なチームからも容赦なく、パーフェクトを達成している。

 そもそもパーフェクトというのは、バックがエラーをしないことや、難しい打球も処理してくれるのが前提だ。

 さすがに15個以上も奪三振してパーフェクトなら、完全にピッチャーの力と言えるかもしれない。

 そういったパーフェクトも直史は、今年だけで二試合達成している。


 二桁奪三振していれば、充分かとも思える。

 今日の試合もここまで、八奪三振。

 残り三イニングで、二つの三振を奪うことは出来てもおかしくない。


 ただ、そんなことは考えない。

 自分が相手にするのは、最高にして最強のピッチャー。

 単純なフィジカルだけでは勝てない、名状しがたき異形。

 大介は打つためだけの機械となって、バッターボックスで待つ。


 初球から入ってきたのは、スローカーブだ。

 打てるか、と思えば打てる、と脳が返答してくる。

 だが同時に打つべきではない、とも判断していた。

 一応ゾーンは通るように見えたが、審判もボールと判定を下すスローカーブ。

 これは遅すぎて、打ちにいったら肩に無駄な力が入っていただろう。


 バッティングの極意は脱力。

 どれだけ力を使わずにトップを維持し、そしてそこからどれだけトップスピードに持っていくか。

 自分の力だけではなく、ピッチャーの力も使わなければいけない。

 バットとボールの反発力の間から、ホームランは生まれる。

 ミスショットをすれば、バッターの骨が砕けることもあるが。


 このボール球のスローカーブは、打ってもホームランにはならないものであった。

 ならば次は、何を投げてくるか。

 速い球というのがセオリーだ。

 だが直史なら速く見えて遅い、チェンジアップを使ってくるか。


 投げられたのはアウトローのツーシーム。

 見送ればぎりぎり、ボール球だったかもしれない。

 だが変化しなければ、アウトローいっぱいであった。

 なので打つしかなくファールとなり、これでまたストライクカウントが増える。

(読まないといけないんだ)

 反射で打てる、他の球種も少なくコントロールも微妙なピッチャーとは違う。

 技術の塊であり、そして投球術の結晶。

 それを打つには、純然たる打つマシーンにならなければいけない。


 無駄なことは考えない。

 読むよりも今は、自分に出来ることを考える。

 読まなければ打てないと分かりつつも、今はそれでは足りない。

 視界から入ってくる情報を、高速で処理して対応する。

 そのためだけに脳を使う。


 初球とはスピードの全く違う、カーブが内角に入ってくる。

 バットの根元で打った打球は、今度は右方向に切れていった。

 パワーはスイングに乗っている。

 納得のいくものではなくても、結果を出したい。

 ホームランを打って、まずは西郷や織田と並ばなければいけない。

 あとはチームとして勝たなければ。


 追い詰められている。

 だが無理に打つのではなく、難しい球はカットする。

 どこに投げてくるかと思えば、こちらの腹を突き破るようなスライダー。

 もちろん少し腰を引けば、充分に避けられるものだ。

 これもまた、打とうと思えば打てた。

 だがヒットにはならなかっただろう。


 平行カウントにして、次はアウトコースに投げてくるのか。

 そう考えもするが、思考は消す。

 打てる球を、打てるように打つ。

 そのためだけの存在になるのだ。


 直史は確かに外に投げてきた。

 だが珍しくも、完全にボールとなる高めの球。

 これは意識を外に誘導するものなのか。

 しかしそれなら、懐に飛び込んできたスライダーの意味が分からない。


 直史のピッチングは、まるで問いかけのようだ。

 何かちゃんとした意図があって、そうやって投げてくる。

 答えを見つければ、打てる類のものなのだ。

 今年の織田のホームランは、明らかに初球を狙っていた。

 それ以外も直史がヒットを打たれる時は、初球が多い。


 フルカウントまで来てしまった。

 これは直史も明らかなボール球は投げられないというものだ。

 だがこのカウントを作ったのは、直史である。大介ではない。

(確かフルカウントからは、審判の判定がピッチャー有利になるんだったか?)

 カウントごとに審判のゾーンがわずかに変化するのは、否定し得ない事実である。

 わざとフルカウントにしたのは、際どいボールを投げるため。

 そう考えればこの、難しい状況も直史の有利になるのか。


 カーブで高低差のあるストライクを取るか、スルーで低めいっぱいを取るか。

 ツーシームは今、外の球を投げたから、それはないと思うのだが。

(考えるな)

 直史が立つのは、プレートの端。

 そこから何を投げてくるのか。


 ゆったりと足を上げて、そこから流れるように投げてくる。

 リリースした瞬間は遠いと思ったボールが、スライダー回転で内に入ってくる。

 左バッターからすれば、むしろ打ちやすいそのボール。

 だが意識が外に向いていた大介は、またも懐に突き刺さる。

 これはストライクになる。

 体を開くのが遅れるが、それでもバットの根元で打てる。

(行け!)

 スイングスピードは、確かに高い数値を出したであろう。

 だが打球は、ファーストの真正面。

 シュタイナーのファーストミットは、衝撃で後ろに弾かれそうになる。

 だがそこはさすが、ピッチャーのスピードボールを打てるシュタイナー。

 ボールをこぼすことはなく、これでライナーアウト。

 大介の三打席目が終わった。




 とてつもない記録が一つある。

 大介は今季レギュラーシーズン、出塁出来ない試合が一度もなかった。

 ヒットはもちろんのことだが、フォアボールのなかった試合が一つもなかったのだ。

 そしてその記録は、ポストシーズンになっても続いていた。

 サンフランシスコ、トローリーズと、必ずヒットを打つか、塁には出ていたのだ。


 ワールドシリーズになってからも、その記録は途切れなかった。

 直史から一本のヒットを打ったことで、塁には出ていたのだ。

 ただ、その記録が終わろうとしている。


 試合が終わりに収斂しようとしている。

 大介の三打席目が終わり、続くシュミットとペレスも凡退し、まだパーフェクトは継続中。

 おそらくメトロズの中には、去年のエキシビションを思い出している者もいるのかもしれない。

 そしてアナハイムの攻撃も、淡白なものになってきた。

 しかし客席の緊張感に満ちた熱狂は、遠い雷鳴のように響いている。


 メトロズの選手も早打ちにならないよう、注意しながらスイングしている。

 だが直史は上手く打たせることも、三振を奪うこともある。

 どちらかだと決め付けるのが良くない。

 直史はオールラウンダーなピッチャーとでも言うべきなのだ。


 八回の表の、メトロズの攻撃も三者凡退。

 大介が確認したところ、この時点で球数は96球。

 目安の100球以内には収まらないが、充分に完投は出来る数。

 あとは直史が、どれぐらい体力に余裕をもって投げるかだ。

 八回の裏はアナハイムも追加点はなく、そして九回の表。 

 ここで一人でもランナーが出れば、大介の第四打席が回ってくる。

 下位打線には代打を出して、そしてラストバッターはカーペンター。

 出塁という点では、頼りになるバッターなのだ。


 ありとあらゆることが上手くいってやっと、メトロズは二点を取ることが出来る。

 三点を取って追いつくなど、とても考えられるものではない。

 代打を出しても直史のボールを体験していなければ、打力はあまり関係ないのではと大介は思う。

 そして実際に、バッター二人は凡退した。


 パーフェクトで投げている。

 直史がパーフェクトで投げる時は、だいたい球数も少なくなる。

 しかし今日は100球を超えていて、かなり三振の数も少なめだろうか。

 あと一人を抑えればパーフェクト。

 ワールドシリーズでパーフェクトなのだ。


 ア・リーグのチャンピオンを決めるラッキーズとの対戦でも、直史はパーフェクトを達成していた。

 その衝撃によって、ラッキーズはスウィープされたと言っていい。

 メトロズもまた、衝撃が受けるだろう。

 だが去年のエキシビションマッチを経験し、そして今年の直史の成績を知っている。

 パーフェクトはしてくるピッチャーなのだ。

 狙ってパーフェクトが出来る、唯一のピッチャーなのだ。

 長いMLBの歴史においても、そのプロとしての通算記録で、パーフェクトを二度達成したピッチャーはいない。

 しかし直史は初先発でパーフェクトを達成し、さらにポストシーズンでも達成した。

 NPB時代も含めて、果たしてどれだけパーフェクトを達成していくのか。


 カーペンターはどうにか粘ろうとしているが、おそらくは無理だろう。

 直接対決してきたメトロズの選手は、それも仕方がないと諦めている。

 九回まで投げても、ストレートの球速が初回と全く変わらない。

 確かに球数100球程度ならば、まだ本格的に疲れるわけでもない。

 もちろん球数ばかりが、ピッチャーの疲労を計るものではないだろう。

 また球速が出ていても、疲労している場合はある。

 直史はそうでないというだけで。


 ネクストバッターズサークルにいる大介の前で、直史は最後のアウトを取った。

 史上最強クラスの、メトロズの打線を相手に、ついにパーフェクト達成。

 ヒューストンやラッキーズ相手にも達成しているため、これはもう間違いない。

 直史は本当に、狙ってパーフェクトが出来るピッチャーなのだ。


 スタジアムが沸いている。

 おそらくこの客席にいる観客は、もう二度と見られないであろう、歴史的な光景を見たと思っているのだ。

 だが実際のところは違う。

 来年もまだ、直史はアナハイムにいるのだから。

 大介のいるチームを相手に、パーフェクトを達成するということ。

 それは日本でも、一度だけ達成している。

 だがポストシーズンでの対決ではなかった。

 両チームが共に決戦モードに入った状態で、それでもパーフェクトをしてしまう。

 オフの各球団の分析班は、直史を丸裸にするのに必死になるであろう。




 試合でも勝負でも、大介は負けた。

 残りの二試合、直史が先発で投げてくることはないだろう。

 だがおそらく、最終戦までもつれ込めば、それなりに長いイニングのリリーフで投げてくるかもしれない。

 今日の試合では、直史からまともに粘ることさえ、出来たのは大介だけであった。

 リリーフで投げればどんなことになるか。

 大介はワールドカップで、それを間近で見てきた。


 奪三振率を考えれば、本来は先発に向いている。

 だがリリーフとしての条件も、充分に満たしている

 移動日と第六戦、二日間を休んだとする。

 そうしたら中二日で、かなりのイニングは投げられるのではないか。


 もちろん大介は、直史の一年目を知っている。

 樋口と武史の離脱によって、さすがにレックスも負けるかと思われたのだが、日本シリーズの第六戦と第七戦を連投で投げて見せた。

 しかも後の方の試合は、パーフェクトを達成してのものだ。

 直史は自分ではそうとは思っていないかもしれないが、逆境であれば逆境であるほど、逆に力を発揮する。

 味方が一点も取ってくれない試合を、15回までパーフェクトで投げて、また同じような試合をプロでも、12回までパーフェクトで投げている。


 大介としては、もちろん優勝はしたい。

 だがそれ以上に、直史に勝ちたい。

 ほとんどのピッチャーが大介相手には逃げている中、直史だけは勝負してくる。

 今日の試合もいい当たりはあったが、結果的にはアウトとなった。

 それに究極のところ、バッターがピッチャーに確実に勝ったと言えるのは、ホームランを打った時だけだ。


 記者から言われて、大介は自分の毎試合出塁記録が、この試合で途切れたのを知った。

 言われてみればいつもどこかで敬遠されたり避けられたりしていたため、出塁はしていたのだ。

 それが途切れた。 

 途切れさせたのが直史というのは、とても納得のいく人選とでも言おうか。

 二人が絡み合ってプレイをすると、とんでもない記録が出てくる。

 そういった意味では今日は、大介は完敗と言えるだろう。

 だが折れてはいない。

 人が本当に負けるのは、挑戦するのを諦めた時。

 戦い続ける意思を持ち続ける限り、その魂は敗者のものとはならない。


 残り二試合は、大介の慣れたニューヨークで行われる。

 単純に戦力だけを見れば、直史の投げないアナハイムよりも、大介の打つメトロズの方が、上にはなるだろう。

 だから問題はアナハイムが、一勝のアドバンテージをどう利用するか。

 点の取り合いになっても、もしくはロースコアゲームになっても、両者の力に差はさほどないはずだ。

 ただアナハイムは直史が完投を二試合しているので、その分リリーフの消耗は少ない。

 もっともメトロズの方も、上杉という決戦兵器が控えている。


 舞台は再びニューヨークへ。

 メトロズのホームであり、それがある程度は影響するのかもしれない。

 だがひょっとしたらメトロズファンでも、直史がマウンドに立てば、そちらを応援してしまうかもしれない。

 あの第一戦、大介以外を完全に抑えた。

 直接見た者は、ショックが大きかっただろう。


 世界最大の都市で、最強のチームが決まる。

 世界中の野球ファンが注目する、MLBのワールドシリーズ。

 去年までとは全く、含有する熱量が違う。

 去年の優勝チームメトロズと、それに匹敵する成績をレギュラーシーズンで残したアナハイム。

 これこそ本当の、世界最強決定戦だ。

 シーズンの最後に、まだ波乱は残されているのかもしれない。

 野球の神様は、間違いなくこの試合を見ているだろう。

 甲子園の神様や、神宮の神様、ついでにマモノさんなども、やってきているのかもしれない。

 さながら百鬼夜行か、神在月のように。

 全世界における、本当の最強のチームを、決定するに相応しい対戦である。

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