第42話 奇跡的な成績

 二打数一安打ながら、その一本がホームラン。

 そして塁に出た後は、盗塁を一つ決めて、さらにホームベースを踏む。

 それでも比較的、その日の大介はおとなしい。

 後続が打てず、むしろ下位打線が頑張る、珍しい日であった。


 リリーフ陣が点を取られ、二点差になったところで九回。

 八回までに逆転しなければ、メトロズには勝てないのだ。

 上杉が投げて、三人で終わらせる。

 いまだ無失点の61セーブ目。

 大介の記録がどこまで伸びるかと、上杉が記録を更新するかと。

 メトロズは二つも話題があって、賑わしいものである。


 残りは七試合。

 チームは既に、112勝。

 大介のホームランは78本。

 80本に届くかどうか、割合的には届いてもおかしくない。

 ただそれよりもキリのいい数字がある。

 それは今年の、大介の食らったフォアボールの数だ。


 前年も205個と、驚異的な数ではあった。

 しかし今年に比べれば、はるかに可愛いものであったのだ。

 現在大介のフォアボールは、295個。

 七試合で五つのフォアボールというのは、大介にとってはごく普通の数だ。

 おそらく今後二度とないであろう、300フォアボール。

 あるいは来年、さらに大介があっさりと更新してしまうのかもしれないが。


 大介一人のために、ルールの変更をする必要が出てくるかもしれない。

 このままポストシーズンまで、圧倒的な成績を残せば、の話だが。

 去年の大介のポストシーズンの成績は、打率が五割、出塁率が七割、OPSが2.2を超えていた。

 どれだけ一人で、圧倒的に試合を支配したか。

 特にワールドシリーズは、16打数の8安打ながら、そのうちの四本がホームラン。

 打点は六点にとどまったものの、出塁してからホームベースを踏みまくり、14得点を記録したのだ。


 レギュラーシーズンの大介は、まだおとなしいということを、MLBの関係者は今年こそ、思い知ることになるだろう。

 ただしその大介でさえ、レックスと対決したポストシーズンは、直史相手にはヒット一本に終わっているのだが。

(あれから差は、開いたのか、縮まったのか?)

 大介は色々と考える。


 MLBに来てから大介は、NPBよりも多くのピッチャーと対決してきた。

 マイナーから上がったばかりで、ろくなデータもないピッチャーとも多く対戦している。

 投げるボールに一球もストレートがないどころか、そもそもストレートが投げられないピッチャーもいた。

 全てがカッターかツーシームで、それにスプリットやカーブを混ぜるなど。

 見てきたピッチャーの多彩さは、それこそアンダースロー以外は、アメリカの方が多い。

 淳ほど完成度の高いアンダースローは、今のMLBにはいない。


 ただ直史の能力は、それらのピッチャーの能力を、全て一人で備えているというものだ。

 サウスポーの投げる軌道にはならないので、さすがにそれだけは大介も安心している。

 もしも直史のあのスライダーとカーブが、サウスポーによって投げられるものなら、今の大介が打つのは不可能に近い。

 あれを上回るスライダーは、真田ぐらいしかみたことがない。

 ただ直史のスライダーは、変化量はともかくスピードはそこまでではない。

 カットボールに切り替えられたら話は別だが。


 


 今季メトロズのレギュラーシーズン、ホームで行われる最後の試合。

 大介は三打数一安打。

 打点一、盗塁一、フォアボール二。

 ついにフォアボールの数は297となり、残り試合数を考えれば、300を超えることは間違いない。

 たった一人のバッターが、これだけのフォアボールを得ること。

 メトロズの他のバッター全員を合わせたより、大介一人の方が多くなっているという異常さ。

 大介以外にも長距離砲はそれなりにそろっているのに、だ。


 残るはマイアミとフィラデルフィアの、アウェイゲーム六試合。

 なんだかんだ言いながら、チーム勝利数の記録を塗り替えられるかは、微妙なところである。

 六試合を五勝一敗というのは、それなりに難しいだろう。

 だがマイアミもフィラデルフィアも、相手にして12勝4敗というのがここまでの記録だ。

 ぎりぎりどうにか、勝てなくはないと思う。

 特に今は、上杉がいるのだし。


 ニューヨークからマイアミへ移動し、まずはそのままその日に試合を行う。

 この時点でメトロズとアナハイムの勝率は、完全に同じ。

 そしてアナハイムはあと二試合、直史の先発が残っている。

 これはもう、ほぼ自動で勝利と考えていいだろう。

 なのでメトロズとしても、そのつもりでマイアミと戦わなければいけない。


 三連戦の初戦はジュニアの先発であり、試合も安心出来る展開であった。

 常にリードを保ちつつ、先発の球数も制限し、早めに交代して後に疲労を残さない。

 序盤から四点差以上をつけて、大介は久しぶりのスリーベースを打った。

 ただ圧勝であったのにも、問題がないわけではない。

 上杉のセーブ機会がなかったのである。


 MLBは建前として、個人の記録よりもチームの勝利、というものが言われている。

 その証明とでもいうものが、試合がまだ残っているにも関わらず、順位の決定に関係がないのなら、日程によっては一試合ぐらいはなくなってしまうというものがある。

 ただメトロズは地区優勝までは決めているが、おそらくその心配はない。

 アナハイムとの勝率争いが、最後まで残っているだろうからだ。


 そして二戦目、大介はソロホームランを一本。

 先発のゲーリックも調子が悪くはなかったのだが、その後続が打たれていく。

 これが幸いと言っていいのか、終盤にメトロズ一点リードのまま、九回に突入。

 この時点でマイアミは、諦め顔になる。

 上杉が登場して、もうほとんどいつものように、三者連続三振。

 さすがはクローザーとは言え、20近くの奪三振率を誇る男である。


 ただこれで、上杉のセーブ数も62となった。

 MLB記録に並び、そしてブロウンセーブは一度もない。

 過去にもセーブ機会の失敗がないというセーブ王はいたが、それをセーブ数を更新しながら、記録しようという人間がいる。

「無失点ってなんなんだ……」

 直史が一応先発であるため、上杉の連続無失点試合記録が、とんでもないものになっている。

 クローザーだからと言うのもあるが、ランナーが出たところでピンチの状況からでも無失点なのだ。

 自責点0ではなく、無失点。

 究極のクローザーと言っても、間違いではないだろう。


 


 連勝したメトロズは、第三戦に臨む。

 マイアミは今年も最下位ではあるが、それでも全く選手がいないわけではない。

 ただしそこそこ育っても、トレードで上手く金にしてしまう。

 そしてまたプロスペクトを集めて、それらの同時開花を狙う。

 可能性は低いが資金力のないチームでは、それをやるしかないのだ。


 かつてセイバー・メトリクスが脚光を浴びた頃は、従来の評価システムではあまり高くないが、実は貢献度の高い選手を集めて、ポストシーズンに進むことが出来た。

 だがセイバーの評価が当たり前になると、そういった選手を集めるのも難しくなった。

 もちろんそれは選手の、正当な評価という意味では正しいことだ。

 だが一発逆転の手段は少なくなり、そしてポストシーズンまでは進出したとしても、最後にワールドシリーズを勝つには、絶対的な個の力が必要になる。


 大介や上杉のような、絶対的な力。

 そしてアナハイムには、直史がいる。

 もちろん野球はチームスポーツ。九人いなければ出来ないし、ポストシーズンもピッチャーは回していかなければいけないし、バッターが出塁して代走も出る。

 実際には意外な選手が試合を決めることも、珍しくはないどころか、むしろそちらの方が多いだろう。


 ただやはり、主戦力という存在はあるのだ。

 どんなチームもやはり、FMの意思を体現するために、必要な選手はいる。

 そしてその中には数人、スーパースターと呼ばれる存在もいる。

 ベビーフェイスもいるし、ヒールもいる。

 その中では直史などは、ポーカーフェイスとでも言おうか。


 この試合はメトロズも、勝てるピッチャーであるウィッツを先発させている。

 絶対に勝たなければいけないというわけではないはずだが、ここでスウィープしておくと、残りの試合が楽になる。

 アナハイムは直史以外のピッチャーのところで負けている。

 やはりレギュラーシーズンの試合は、基本的に殴り合いの点の取り合いになる。

 それでも今年のアナハイムの、全体の防御率などは、他のチームと比べても圧倒的なのだが。


 日本にいた頃、上杉がやっていたのと同じようなことを、直史がやっている。

 絶対的な存在として君臨し、投げた試合では必ず勝利する。

 それによってチームを鼓舞して、最終的にも勝利する。

 勝利を重ねたその先、本当の最終的な勝利は優勝だ。

 おそらく直史は、そのために必要なピッチングを、最も分かっている人間だ。


 ただそれでも、今度こそ勝つ。

 坂本だのターナーだの、確かに甘く見ると怖い選手はいるが、レックスに比べればアナハイムは、まだ隙が多いチームだと思う。

 ならば今の時点なら、メトロズで勝てるはずだ。

 逆に言えばこれで勝てなければ、どれだけ補強すれば勝てるというのか。

 いや、違う。それは関係ない。

 勝たなければいけないのは、大介が直史に対してだ。

 あとの勝敗は全て、完全におまけである。




 ポストシーズンを戦って、そしてワールドシリーズに進出する方法。

 大介は去年、それを一度経験している。

 なんだかんだと言いながらも、レギュラーシーズンのピッチャーのピッチングは、ローテを回してイニングを進めていくもの。

 もちろん勝敗や投球内容は大事だが、総合的に見て試合を進めていくのが重要なのだ。


 ポストシーズンのエースクラスは、本当にプライドをぶつけてくる。

 だが相手が本気になればなるほど、大介も力を発揮できる。

 結局のところはレギュラーシーズンよりも、ポストシーズンの方が気合が入るのは、大介も同じことである。

 気合と言うよりは、集中力だろうか。


 凡人と天才の最大の違い、というものがある。

 別にスポーツだけではなく、芸術的な才能も含めてのことだ。

 純粋に肉体の要素だけがものをいう、陸上や水泳などの、測定競技はさすがに別だろう。

 だが相手がいる競技であると、最も違うのは集中力だという。


 大介は地方大会も甲子園も、対戦するピッチャーのレベルは明らかに違うのに、打率は全く変わらなかった。

 それはやはり大きな舞台でないと、自然と気が抜けてしまっていたということなのだろう。

 もちろんそれは、あまりいいことではない。

 だがその理屈に頼るなら、今度こそ大介は、直史に勝てるかもしれない。


 直史のすごいところは、安定感にある。

 どんな相手でもどんな状況でも、一定以上のピッチングは必ず行う。

 そしてあの甲子園の決勝や、日本シリーズのような最終決戦。

 ぶっ倒れるまで全力を出し切るなど、大介には出来ないことだ。

 つまり、直史の才能というのは、限界まで本当に出し切る、集中力。

 それに対抗するには、最大の舞台でないといけない。


 クライマックスシリーズの舞台では、まだ足りていなかったのだ。

 甲子園で対決していたなら、もっと力は出していたかもしれない。

 そういうことを考えると、ワールドシリーズの決戦で、舞台は世界一の都市ニューヨーク。

 これぐらい舞台を整えれば、自分は最高の力を出せる。


 そんな言い訳をしながら、今日も大介は打つ。

 先発のウィッツは好投し、六回まで二失点。

 そしてその間に大介は、歩かされて既に一度ホームベースを踏んでいる。

 だがこのままでは、勝負されないのか。

 九月に入ってからのこの一ヶ月では、大介の打率は四割を切っている。

 出塁率は六割超えで、それは間違いなく全バッターナンバーワン。

 今の大介相手に、まともに対戦してきたいと思うピッチャーがいるものか。




 いた。

 マイナーから上がってきて、今日が大介との初対決。

 リリーフとして投げてきた三打席目は、普通にゾーンに投げられてしまって、平凡な内野ゴロを打ってしまった。

 それで調子に乗って、第四打席も勝負してくる。

 ここで下手に打つと、四点差となり上杉のセーブ機会を奪うことになる。

 だがそれでも大介は、初対決の102マイルピッチャーを、打っていかないという選択肢はない。


 ストレートだけというおかしなピッチャーであったが、正確にはストレートが何種類かあるのだ。

 チェンジアップ気味であったり、ツーシーム気味であったり、しっかりとバックスピンがかかってホップしてきたりする。

 これははっきり分かる変化球を一つ身に付けたら、さぞ面白いピッチャーになるだろうな、と大介も思う。

 だが今はただ、一つの生贄に過ぎない。


 よく打つ手前で変化する、などという表現が使われる。

 カッターなどは手前で変化して、打球が詰まってしまうというものだ。

 実際のところはそんなはずもない。

 大介の動体視力で見れば、リリースの瞬間には、ほとんどその変化の傾向は分かる。

 投げてからバッターの手元に来るまでに、空気抵抗で回転も弱まってくるため、より空気による変化を受けやすいのだ。


 基本的にはナックル以外は、全ての変化球は一種類の方向へしか変化しない。

 ただ大介も、直史のカーブだけは、二段階で落ちてくる錯覚を感じたりはする。

 しかしこの若い21歳のピッチャーは、クセ球と普通のストレートを、おそらく本人も無意識に投げてくるだけだ。

 こんなレベルにまで上がってきたが、おそらくは来年もスプリングトレーニングから、マイナー送りになるだろう。

 そしてまともな変化球を一つ手に入れれば、恐ろしいピッチャーとして覚醒するはずだ。

(とか思ったやつ、去年もいたけど結局出てきてないな)

 そのあたりが上手く、ピッチャーが成長するかどうかなのだろうが。

 MLBは広く深い。


 二球連続のクセ球を、大介はファールにした。

 ツーナッシングとなって、あちらとしては追い込んだ状態。

 おおよそゾーンの中にしか投げてこない、コントロールはともかくコマンドも未熟な投手。

 だがそれでもこのピッチャーに代わってからは、メトロズは得点できていない。


 追い込んでからこのスピードでアウトローにきても、大介はカットする。

 ただそれはないだろうな、とはちゃんと分かっている。

(いいぜ。たまには力と力で対決しないと、錆付くからな)

 球が高めに浮くのは、むしろ他のバッターがバレルで捉えるのには、難しい要素となっている。


 投げてくる球を、大介はフルスイングする。

 右に左にファールにはなるが、それでも空振りが取れることはない。

 102マイルで大介から空振りを取るなら、もっと投球術を磨いてほしい。

 あるいは直史の球のように、見逃すしかないほどの組み合わせを使ってくるか。


 ファールが続いて七球目。

 指にかかったストレートは、やや高めに外れながらも、完全にホップして投じられる。

 大介のレベルスイングは、真正面からそれを打ち砕いた。

 打球はライトよりのセンターへ。

 ライナーのはずの打球は、ぐんぐんと上昇していく。

 そしてモニターにぶつかって、破壊した。

 力と力が、完全に反発して可能な、大介でも滅多にないこと。 

(103マイルか。まあそれぐらい出たならあるよな)

 大介はガッツポーズもせずに、ベースを一周した。

 観客たちはマイアミのファンであっても、区別なくこのホームランには歓声を送る。

 もしもあそこにモニターがなかったら。

 打球がどこまで飛んでいったのか、誰にも分からないだろう。


 マイアミのスタジアムは、レフト方向であれば、場外にまで飛んでいってもおかしくない。

 さすがにこれを打たれて、ピッチャーは交代。

 そのピッチャーは五打席目の大介を、当たり前のように敬遠した。

 これにて大介のホームランも、ついに80本に到達。

 今後100年破られないであろう、人間の限界に挑戦するような数字。

 そのホームランがスクリーンを破壊したことは、よく知られることになる。

 打たれたピッチャーの名が知られるようになるには、彼自身の翌年以降の活躍が、どうしても必要になるのであった。

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