第41話 二試合に一本
記録の価値は、時代によって変わる。
例えばベーブ・ルース以前など、ホームランは年間にせいぜい一桁。
しかもそれがほとんどはランニングホームランであったという時代である。
ホームランの価値は禁止薬物時代に暴落した。
正確には後から、その記録に意味がないと誰もが判断したのだ。
そんな中で大介が、その体格でホームランを量産したこと。
それ自体に大きな意味がある。
人間が薬物に頼らず、70本が打てるということ。
もちろん他の選手の何倍も、検査は受けている。
それでも大介の異常さは分かっても、イリーガルな反応は出てこない。
特異体質。そうとでも言うしかない。
そんなのはもう天才以外の何者でもないと思うかもしれないが、大介からしたら自分より頭一つも大きな選手たちの方が、よほど天からは恵みを与えられている。
ホームに移動して、ナ・リーグ東地区以外のチームとの、最後の対戦カード。
ア・リーグ中地区のミネソタとの、三連戦に入る。
ミネソタは今季、それほどひどい負け越しをしているわけでもないのに、ア・リーグ中地区では最下位となっている。
最下位は避けたいと思うか、それともこうなれば最下位になって、ドラフトの指名順位を少しでもいいものにするか。
日本では考えられないことだが、アメリカでは後者が主流である。
MLBはNPBと違って、優勝したからとか、最下位だからだとかで、選手の年俸を上げたり下げたりは基本しない。
もちろんポストシーズンに進出して、そこで活躍することが、良いアピールポイントになることは間違いない。
しかし昔のNPBのように、最下位だったからタイトルを取っても年俸は上がらない、ということはもう考えられない。
選手の能力とチームの成績は、全く別のものとして捉えるからだ。
それ以上にMLBでは、FAかそうでないかで、大きく年俸は変わるものだが。
貧乏球団でしばらく本格的な浮上が見込めないなら、スター選手を売り飛ばすことはある。
金銭トレードだけは珍しく、選手も含めたトレードになる場合が多いが。
ミネソタはそんなわけで、負けてもいいとは思っているが、選手は自分の成績を残すことを重要と考える。
そんな中で大介相手にも、向かってくるピッチャーがいるわけだ。
それは断じて間違いであるのだが、去年の大介は九月に長く離脱していたため、共通の認識が出来ていない。
ろくに休みもせずに試合に出ているため、最後の息切れするのではないか。
この不世出のバッターを打ち取れば、評価は高まるのではないか。
少なくとも打たれても、評価が下がることはないだろう。
積極的になったピッチャー相手に、大介は打っていくことになる。
そんなわけでミネソタとの三連戦、第一戦の最初の打席。
一番大介は先頭打者ホームランを打って、そこからの三連戦はやっぱり警戒されることになってしまった。
これにてホームラン数は75本に到達。
ついに己の持つシーズン記録を塗り替えたのである。
地元ニューヨークでは、盛大にこれが祝われた。
同じニューヨークでもラッキーズは長く、ホームランのシーズン記録を保持していた。
なのでチームは違えど、去年からホームラン記録は、ニューヨークに戻ってきていることになる。
大介は試合に出続けて、フル出場で75本。
それだけ長く休みなく出なければ残せないし、それだけ休みなく出ることもまた、偉大なことである。
ラッキーズではないが、ニューヨークのチームにホームラン記録が刻まれること。
ニューヨーカーはこれを、なんとなく誇らしく思ったりした。
ベースボールはまだまだ、衰えたとは言えアメリカの国技。
そしてこの二年の間に、その人気の復権は著しい。
無敵のスーパースターが、どんな記録も塗り替えてくれる。
悪いピッチャーが勝負から逃げても、結局は大介が打って勝ってくれる。
そう、逃げるのはいつも悪党だ。
大介としてはそれも、作戦としては間違っていないのだろうとは思うのだが。
去年もあったことだが、ニューヨークの市長や大統領が、この偉業にコメントする。
彼は日本から来た。そしてこれから、どこまで行くのか。
なんだかパクリのような台詞であるが、あとはどれだけ記録を伸ばすかだ。
「ホームランってそんなに特別なものかね」
打っている本人だけは、あまりそういう意識がない。
今年のMLBの話題の中心は、主に西海岸。
直史がどんな記録を残していくか、ということであった。
先の試合でもノーヒットノーランを達成。
これで今年八度目のノーヒッター。そしてMLB記録である、七度のノーヒットノーランに並んだ。
ただ現時点では、大介の話題の方が大きくなっている。
シーズン記録と通算記録。
一シーズンで通算記録を更新している直史の方が、大介は化け物だとは思う。
もちろん大介以外の人間は、どちらもが化け物だという意見しか認めない。
今のメトロズには、幸いにも化け物が二人いる。
小さな巨人と、超人である。
点差が開いた試合があると、どうしても上杉の記録は更新の機会がなくなる。
大介もまた、そのつもりになればピッチャーは逃げていく。
そのあたり自力で記録を出せる可能性は、直史が一番高いと言えるのかもしれない。
ミネソタとの第三戦は、またしてもホームランを一本。
ただ実は九月に入ってからの大介は、いささか無理をしている。
ホームランになりそうなボールであれば、ゾーンに入っていなくても打っていく。
なのでほんの少しだが、打率は下がっている。
そのくせ出塁率は上がっている。
無理に打ちにいくことすら出来ない、申告敬遠が増えているのだ。
去年の大介は結局、シーズンの出塁率記録は更新できなかった。
だがその危険性が知れ渡った今年、フォアボールによる出塁は極端に増えている。
打席に入れば半分はおろか、三分の二近くは出塁する。
これを同じ人間の範疇に入れていいものだろうか。
久しぶりの二桁得点で、メトロズは圧勝。
喜ばしいことなのだが、つまりそれは上杉の出番は回ってこないということだ。
対戦相手を考えれば、メトロズの方がややアナハイムよりは優位か。
次の三連戦はホームでアトランタとの対戦だが、それが終わればフィラデルフィアと七試合、マイアミと三試合。
どちらが相手にしろ、今年はチーム全体の成績は諦めている。
ポストシーズンにナ・リーグ東地区から進むのは、メトロズとアトランタ。
これはもう決定事項である。
この地区は二強三弱となっており、来年もあまり変わらないのでは、と言われている。
ただしメトロズは、ピッチャーの補強をどうにかしないといけないだろうが。
九月に試しているピッチャーの中に、来年のクローザーが務まりそうな者はいない。
どうしても上杉と比べてしまうということもある。
ホームでのアトランタとの三連戦、大介はより歩かされることになる。
仕方のないことだ。アトランタは確かにポストシーズン進出は決まっているが、そこで対戦するにも勝率は、少しでも高い方がいい。
ただそうやって粘る試合になると、終盤に上杉の出番が出てくる。
そしてマイナーでの調整を済ませて、ジュニアも戻ってきた。
アナハイムの勝ち星が計算出来るピッチャーは、直史の他にスターンバックとヴィエラ。
対してメトロズは、これでオットー、スタントン、ウィッツ、ジュニアの四枚となった。
またクローザーの力も、メトロズの方が上。
アナハイムのクローザーであるピアースとは、まだ対戦のない大介である。
だが上杉と違ってセーブに失敗していることはあるので、それに比べたらまだしも、といったところだ。
あとの問題は、直史をメトロズ打線が打てるかどうか。
直史以外のピッチャーも、アナハイムはいい数字を残している。
計算出来るピッチャーの枚数はメトロズの方が多いが、ただその内容はどこまで信じていいものか。
メトロズのピッチャーは、味方が大量点を取ってくれるような前提で投げる。
そのため防御率やWHIPなどはアナハイムのピッチャーを下回る。
ただ直接対決が、この二チームはない。
実際に対戦してみなければ、本当の相性は分からないのだ。
大介はこのホームでの対戦の間に、少し遅れたが墓参りをした。
イリヤの墓である。
去年の九月に死んだイリヤは、バッターやピッチャーなどの垣根はなく、最も評価していたのが直史であった。
直史のピッチングを見たからこそ、わざわざ日本に数年間もいることになった。
世界中がイリヤの音楽を待っていた。
その音楽に深みを与えた存在は、直史であると言われている。
あの事件の残した傷跡は大きい。
NPBとMLBで、もっと大きな記録が達成されたのを、妨げてしまった。
あれがなければ野球界も、また違った動きが見えただろう。
凶弾に倒れたイリヤの娘は、大介が胸に抱いている。
桜は里紗を胸に抱き、そして椿は今でも杖を手放せない。
歩こうと思えば、歩けなくはない。
ただ踏ん張る筋肉の一部が、まだ麻痺したままなのだ。
イリヤの墓を前に、命日を過ぎてなお、参る者たちがいる。
短い人生で、どれだけの影響を後世に残したか。
自殺や薬物死などではないだけに、その死は鮮烈である。
「芸術的才能っていうのは遺伝しないんだよな?」
「そのはずだけど、子供の頃の影響は大きいしね」
「実際は家庭環境が意味はあると思うよ」
イリヤもまた、その血筋にはクラシックの王道の血が流れていた。
ジャズに触れ、POPに流れたのは、クラシック界の損失だとも言われているが、大介はそうは思わない。
あの人を食ったようなうっすらとした笑みは、そういう世界で収まるものではないと思っていた。
ニューヨークにいる間は、しょっちゅうケイティが訪ねてくるし、ピアノなどを弾いてみせたりする。
わざわざそのために買ったのは、珍しくも無駄遣いに近い。
ただそのケイティは、自分だけでは無理かな、とも言っていた。
既に初めて会った時、イリヤは肺の半分を失っていた。
だがそれまではトランペットなども演奏する、マルチプルプレイヤーだったのだ。
一番得意なのはピアノであったが。
いずれは、と大介は思う。
武史の家に、預けてみるべきなのか。
イリヤの遺言に書いてあったのは、ケイティと恵美理だ。
そのうちイリヤ自身の人生の軌跡に近いのは、恵美理の方である。
ただイリヤの多くの年上の友人たちは、暇があれば大介の家を訪れる。
彼女の残したイリヤの血を見るために。
「こいつやっぱり、普通に母親に似てるよな?」
「似てるねえ」
「そうだねえ」
生まれたばかりの頃は分からないが、今ならおおよそ判別がつくようになってくる。
まさか母親の才能まで、受け継いでいるとは思わないが。
シーズンが終われば、やりたいことはたくさんある。
テキサスの牧場にも行きたいし、もちろん日本には帰る。
年末と年始は日本で過ごすし、それ以外も極力日本に帰りたい。
そうは言っても昇馬が育ってくれば、こちらで過ごすことが多くなってくるのかもしれないが。
子供が生まれても、あまり父親になったとは感じなかった。
だが子供が育っていくと、嫌でも親の感覚が育っていく。
大介の場合はそれでも、家庭内の多くの役割は、母親に任せてしまっているが。
一番大事な、金を稼いでくることを、大介は行っている。
なのでそれは仕方がない。
ホームでのフィラデルフィアとの四連戦。
メトロズのレギュラーシーズンで、ホームの試合はこれが最後。
残り六試合は、アウェイでのものとなる。
109勝43敗。
残り試合数が違うが、アナハイムと負け星は同じで、勝ち星はアナハイムより一つ多い。
面倒なことがないように、どうにかこちらが勝って、勝率を上にしておきたい。
ここまで直接対決がない中で、これほどの成績を残している両チーム。
去年はなんだかんだ言って、メトロズが優勝する勢いがあった。
だが今年は本当に、どちらが優勝するのか分からない。
去年メトロズとワールドシリーズで戦ったヒューストンは、これまでアナハイムに大きく負け越している。
メトロズに勝つために、かなりの補強は行ったはずなのにだ。
そのあたりを考えると、アナハイムの戦力の高さが分かる。
だがメトロズも上杉という、絶対的なクローザーがいる。
あと10試合。
(あと10試合か)
大介としては、とてつもなく長く感じたレギュラーシーズン。
だがそれが終わっても、まだ長い戦いが待っている。
全てはワールドシリーズの前哨戦だ。
あらゆる記録を塗り替えてきたのも、ワールドシリーズを少しでも優位か、互角に戦うため。
日本で直史と対戦した、クライマックスシリーズの二試合。
直史は足かせつきで、しかもブランクがあったのに、ライガースは、大介は負けた。
あれからもう、二年にもなる。
その間大介は、直史とは接する機会はあった。
だがもちろん、真剣勝負などはしていない。
直史はあれから、ツーシームを磨いてMLBにやってきた。
今年の投球成績を見るに、明らかに日本時代よりも上回っている。
直史は自分の全盛期は、大学二年の時であったなどと言うが、大介はそうは思わない。
戦うたびに、強くなっていると分かる。
だからこそ、戦って勝ちたい。
レギュラーシーズンの記録にしても、もしも直史が同リーグの同地区のチームにいたら、かなり大介の成績は抑えこまれただろう。
そんな思いを振り払うように、大介は練習をする。
打球をスタンドの中段あたりへ、狙ったように飛ばす。
あまり大きくフライにならないように打つのだ。
ピッチャーのピッチングにホップ成分があるように、大介のバッティングにもホップ成分がある。
打ちそこなった時は、その回転でボールは伸びていく。
球場に来ているファンに、サインなどもしたりする。
大介に憧れるファン層は、特に子供である。
それはなぜかというと、自分たちに近いから。
体格の面で。
メジャーリーガーの身長は、だいたい180cmはある人間がかなり多い。
平均が187cmほどというからには、大介より頭一つ近く大きい。
子供たちにとっては巨人で、それはそれで人気はあるのだろうが、大介は小さいのに、誰よりも強い。
だから凄いと、子供たちは考える。
そう言われてみれば、大介はともかく直史も、全く平均的な体格に至っていないのか。
直史の場合は身長はともかく、体重はメジャーリーガーの平均よりも20kgは軽い。
上杉の場合は、身長も体重も平均を上回る。
それでも圧倒的な巨大さでないあたり、やはりスポーツの世界は体格である。
そんな生まれつきのものを、今さらどう嘆いても変わらない。
大介は今日も、ホームランを打つ。
九月に入って打率は、この月だけなら初めて、四割を切っている。
それでも出塁率は、むしろ高くなっている。
これでチームも110勝に到達。
去年の114勝を、さらに上回ろうとしている。
上杉のセーブ数も、60セーブに到達した。
残り九試合で、どれだけクローザーを必要とする接戦となるか。
ただ上杉自身は、これで三連投。
首脳陣は常識的に、出来ればここは避けたかった。
クローザーとしての上杉は絶対的であるが、故障明けなのだ。
チームとしても本当に必要なのは、ポストシーズンでの働きだ。
特にワールドシリーズにアナハイムが進出してきたら。
それはもうほとんど確定のように思えるが、直史と投げ合えるのは、上杉しかいない。
試合終盤の回またぎでのピッチング。
それをしてもらうためにも、上杉にこんなところで、消耗してもらっては困る。
しかしもっと困るのは、全く消耗したように見えないことだ。
日本時代の上杉は、中六日が普通の貧弱なNPBのピッチャーの中で、一人中四日でローテを回していた。
しかも130球ほども投げて、完投することが多かったのだ。
そんな上杉を失ったスターズは、去年も今年も最下位のザをキープ。
だが上杉が戻れば、一気にその勢いは取り戻すだろう。
フィラデルフィアとの四連戦の第二戦。
大介は珍しく、打点のつかないヒットを打つ。
先発が強いピッチャーであるので、それなりに抑えることが出来る。
そして大介が打たなくても、しっかりと点を取っていく。
セーブ機会の試合であったが、三連投していたため上杉は休み。
そして他のピッチャーを使って、クローザーの適性を見ていく。
来年以降も見据えて、首脳陣は戦っていく。
上杉の抜けるクローザーを、どうすればいいのか考えなくてはいけない。
ライトマンはセットアッパーとしてはいい数字を残すのだが、クローザーとしてはそこまで安定していない。
それでも平均的なクローザーとは言えるのだろうが、ワールドシリーズ制覇を狙うためには、もっと磐石のクローザーが必要になる。
ライトマン本人としては、次の契約のためにも、クローザーとしての適性を見せておきたかったのかもしれないが。
本当に上杉をトレードで取ってきた、GMは偉いと思う現場だ。
もちろん計画したのは、GMなどではないが。
大介は上杉の移籍が、セイバーの動きによるものだと知っている。
そしてアナハイムに直史を置いて、メトロズに大介を置いて、さらにメトロズには上杉が必要だと判断した。
逆に言えば上杉抜きでは、圧倒的にアナハイムが有利だと計算したのだろう。
セイバーの統計予測は、短期決戦の動向を見抜くのには不向きだ。
しかしそれでもなお、アナハイムが、直史が勝つと思っていたのか。
(どれだけの差がある?)
迷いはなく、ただ戦意に燃えて。
大介はまた今日も、ホームランを打っていくのであった。
×××
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