第40話 境界の果て
遠征の三連戦を中地区で行った後、一日は移動日で休みで、そこから西地区の六連戦を移動して行う。
この最後のきつい日程を、上手く休ませたのは、むしろ軽い怪我で良かったのではないかとも思う。
大介自身はシンシナティ戦で、前年の自分を上回る201打点目を記録。
ホームでもないのに試合が一度中断され、セレモニーが行われた。
大介に次に求められるのは、まずホームラン。
己の去年の記録74本まで、あと三本となっている。
あとは21世紀以降は一度もない、100盗塁も迫っている。
こちらは別に新記録でもなんでもないのだが。
盗塁はやや控えるように言われている。
それでも歩かされる以上、大介自身の力ではどうにもならない。
ちなみにフォアボールと申告敬遠の数は、とっくに記録を塗り替えている。
我がことながら一シーズンで250回以上も歩かされるとは、野球というスポーツにはどこか欠陥があるのではとさえ思う。
それは大介だからそうなのであって、他にはそんなおかしなことはない。
ちなみにこの年二番目にフォアボールで歩いている選手は、まだ100個もフォアボールの出塁はない。
現代に再臨したダビデ。
そう言われても大介には、さっぱり訳が分からなかったが。調べる気にもなれない。
ホームのニューヨークに帰ってきてからは、連日当たり前のように満員になっている。
もう大介が打点をつけたりフォアボールで歩いたりすれば、それだけで記録が更新されていくのだ。
上杉のセーブの数も、54まで伸びている。
無敗で記録更新となれば、それは本当に素晴らしいことだ。
直史がホームランを打たれた今、よほど少ないイニングしか投げていない者を除けば、リリーフ陣を含めても、失点のない選手など上杉しかいない。
投げているイニングは直史の三分の一だが、それでも驚異的なのは間違いない。
何より上杉は、ノーアウト満塁からでも、三者連続三振でピンチを切り抜けることが出来るからだ。
ホームでの最初のカードは、アトランタとの対戦。
なんだかんだ言いながら今年も、アトランタは地区二位をキープしそうだ。
他のチームがメトロズのあまりの強さに、チーム解体に走ったというのもあるが。
この試合あたりから、メトロズは大介の打順を一番に上げた。
打点に関しては従来の記録を更新した以上、少しでも打席数が増えるようにしたのだ。
あとは大介が、安打数に悩んでいたのも話しに聞いていた。
200安打を達成出来るかどうかは、けっこう微妙なところなのだ。
初戦、初回に先頭打者として、単打で塁に出る。
単打ならばOKと言いたいところであるが、ノーアウトでしかも前にランナーが詰まっていない大介なのだ。
絶対に走ってくると思っていたのに走らず、むしろそれでバッター二集中しきれない。
普通にヒットで前の塁に進み、そのままホームを踏む。
華麗なる先制点である。
二回以降はマトモに勝負してこないが、それでもノーアウト一二塁で、回ってきたりはする。
下手に打たれたら二点が入るが、ノーアウトで満塁にはしたくはない。
打ち損じてくれと願って投げたアウトローを、見事に三塁線に運ばれる。
そこから二点タイムリーになり、歩かせておけば良かったかと後悔するまでがワンセット。
そして後続がさらに打って、結局はホームにまで帰ってきてツーセットである。
記念すべき100盗塁は今日もなし。
そしてこれで三試合連続で、ホームランが出ていない。
「理不尽である」
ぷんぷんと大介は怒っているわけだが、期待されるのは仕方がない。
二安打二打点と、大介がいなければ勝てなかったかもしれない試合だ。
ただしおかげで点差がついたため、上杉の出番もなかったが。
スーパースターは辛い。
高給取りなのだから、色々と金を使ってみてもいいのでは、と言われたりもする。
一応大介も、時計や靴などはそこそこのブランドやオーダーメイドなどを買ったりしている。
それでもその年俸と比べると、身だしなみに金を使っているとは言えない。
「だってあんまり金持ってないしな」
お前がそんなわけないだろう、と周りの視線が言う。
「嫁が運用してるから、すぐに動かせる金は少ないんだよ」
むぐ、とメジャーリーガーたちは沈黙する。
だいたいメジャーリーガーに限らず、アメリカの成金セレブの男にとって、妻とはトロフィーみたいなものだ。
なので金のかかる美人を妻とする。
それもまたアメリカンドリームの一部なのだ。
大介の場合は妻が二人いて、芸能人であったが学もある。
金がかかるどころか、増やしていくのが得意である。
どれだけ恵まれた男なのかとも言えるが、少なくともプロ入りするまでは、なかなか人生の成功者とは言えなかった。
アメリカでは珍しくもないが、大介も母子家庭であったからだ。
だが二人分の人生を抱えても大丈夫だと、思えるぐらいの資産を貯めてからは、全力で富は蓄積し始めた。
野球選手として、経費で色々と買うことが出来るものはある。
大介は認識していないが、その周りでは大金が動いている。
金は動かさないと腐るのだ。
それに大介が質素であるのは、ツインズの人生を背負うと決めたときからだ。
下手に生活レベルを上げると、引退した後の消費がとんでもないものになる。
二人と、そしてその間に生まれるであろう子供。
それらの人生のために、大介は俗物的に金を稼いだ。
もう運用で充分すぎる贅沢は出来るのだが、それでも無駄な消費をしようとは思わない。
アトランタとの第二戦、ようやく大介に待望のホームランが出る。
ただその代わりと言う訳でもないが、盗塁は一つも決めない。
三点差のため余裕はあったが、上杉の記録も大切である。
もっとも二つのリーグを渡ったことで、最多セーブの記録にはならないのだが。
今年のメトロズは間違いなく打線が強力で、相当の確率で五打席目が回ってきている。
特に大介などは、多くの試合で五打席目を経験した。
そしてそろそろ、夢の一つはさすがに無理なのだな、と分かってくる。
それはシーズン打率記録の更新だ。
去年、第二次大戦後のシーズンとしては、唯一の四割打者となった大介。
しかし上には上がいるもので、近代野球と言われる20世紀以降には、さらにその上の打率のバッターがいた。
そもそもこれより前となると、マトモな野球場で試合が行われていなかったりする。
20世紀以降の打率の記録を、四月の大介は上回っていた。
だが結局は徐々に、それが下がっていった。
そう言うとどんどん落ちていったように思えるかもしれないが、実際は四割を下回った月は一度もない。
常に高いアベレージを保ちながらも、さすがに20世紀の記録は抜けそうにない。
充分だと思う。
二度と達成されないと思った記録を二度も、しかも長打力も維持して。
おそらく今後10年どころか、50年は記録は破られないだろう。
何か先天的に、大介のように反射神経や動体視力の高い、特異体質の人間が出現してこないかぎり。
あるいは試合数の変化やルールの変更など、根本的に野球というスポーツが変わらない限り。
73本目のホームランを打ち、300四球が見えてきた。
あとは故障しないことが、一番大事になる。
アトランタとの最終戦も、大介はホームランを打った。これが73本目である。
ただし試合の方は珍しく、打線があまりつながらず、ソロホームランの多い常にリードされる展開。
結局は上杉の出番はなく、メトロズの敗戦。
こんなことなら七回あたりから上杉を出して、相手の追加点を防ぐべきであったか。
だがそれをしてしまうと、逆転して勝ち星がついてしまい、上杉にセーブがつかなくなる。
セーブポイントという概念があれば、それはそれで良かったのだろうが。
なんだかんだ言いながら、大介は九月に入って10試合で、五本のホームランを打っていた。
残りの試合は19試合。
フォアボールの数は269個に達している。
記録というのは破られるときは、いともたやすく破られるものだ。
そしてこれだけ勝負を避けられながら、どうしてホームランの数は増えていくのか。
歴代タイの73本。それも、まだまだ試合は残している。
ちなみに九月は、出塁率だけなら今のところ、七割に達している。
試合が終わればその次の日は、また遠征でワシントンだ。
今年のワシントンとの試合は、この三連戦で終わりとなる。
メトロズの故障していたメンバーも戻ってきて、最大戦力で戦える。
アナハイムとの勝率差はわずかに縮まる。
どうにかして逆転し、最高勝率で終えたいものだ。
以前はワールドシリーズのホームフィールドアドバンテージは、オールスターの結果で決まっていた。
勝ったリーグのチームのスタジアムで、四試合を行っていたのだ。
だがインターリーグの開催も含めて、色々と話し合った結果、今では全体の勝率でアドバンテージを決めることになっている。
大介としてはワールドシリーズ、アナハイムが勝ちあがってきた場合、七戦目までもつれ込む可能性は非常に高いと思っている。
甲子園をフランチャイズとして使ってきた大介には、応援の重要さが良く分かっている。
レギュラーシーズンでもこの終盤は、特に記録達成のために盛り上がっているが、MLBの応援は日本の野球と比べると、まだ随分とおとなしいものだ。
……ライガースと比べてはいけない。
勝率はもちろん大事であるが、メンバーが復帰したここから、どれだけ勢いをつけられるか。
日本でもクライマックスシリーズなどで、一位通過の充分に休めたはずのチームが、ファーストステージを勝って勢いづいたチームに負けるのは、珍しいことではない。
むしろそういった勢いは、高校野球でこそあったものだ。
その時に重要なのは、どんな勢いも止める絶対的なピッチャー。
勢いは重要だが、今のアナハイム相手には、勢いだけでは絶対に勝てない。
メトロズの勢いの理由を、ちゃんと把握するべきだ。
それは打線の厚さによる。
何よりも大介が、スランプらしいスランプがない。
これはどんなバッターにもほとんどあるので、とても貴重な特性だ。
アナハイムはこれに比べて、着実な勝利が多い。
ポストシーズンの勢い任せではない、一勝の価値が高い試合になると、アナハイムのようなチームの方が強い傾向にある。
ただしそれは、上杉が入る前の話。
メトロズのクローザーは、完全に安定している。
終盤に持ち込めば、必ず勝てると言っていい。
ただし先発の防御率などを見ると、明らかにアナハイムの方が上だ。
もっともこれはピッチャーの、普段の心構えの問題もある。
多少は打たれても、打線が取り返してくれる。
今のメトロズの攻撃力は、MLBの歴史を見てもおそらくは屈指。
そのため自然と先発は、ローテをしっかり回すことを重視している。
ピッチャーの投球内容を調べてみれば、確かに防御率には差があることが分かる。
だがWHIPなどはそこまで、差があるわけではなかったりする。
なのになぜ、そんなにも防御率には差があるのか。
これはアナハイムには直史がいるからである。
単純に言って一人のピッチャーが、自分の先発では序盤で崩れず、リリーフも必要なく完投する。
これでベンチの他のピッチャーへの、負担が軽くなるのだ。
結果的に短いイニングに、より多くの力をかけることが出来る。
実際に出ている現象としては、アナハイムは今季、ピッチャーに故障らしい故障がない。
やや調子を落としてマイナーに行ったピッチャーが、改造されて先発からリリーフに変身したりしている。
短期決戦はエースの勝負。
甲子園では、特にセンバツでは、よく言われたことである。
決勝まで一人で投げるのは、今の時代ではもう少ない。
だがそれでもエースクラスを二枚以上そろえれば、優勝は狙っていけるのだ。
ワシントンとの対戦、実のところメトロズの首脳陣は、ピッチャーの運用に迷っていた。
連戦の合間に休日がちゃんと入って、ピッチャーを中六日で休ませることが出来るのだ。
だが中四日で回すならば、より強いピッチャーを多く使える。
しかしこの九月も中盤に入ろうという時期に、ローテに少しでも負荷はかけたくない。
アナハイムとの勝率争いで、少しでも数字のいいピッチャーを使いたいのは分かる。
だが厳しいからと使って、ポストシーズンを故障で迎えては、それこそ意味がない。
ワシントンももうこの時期は、無理に勝ちにこようとはしない。
もちろん選手は自分の成績が、年俸には反映される。
しかしこれまた、怪我をしてまで成績を残そうという選手はいない。
MLBは大金が動く。
選手にとっての最大の資産は、自分自身の肉体である。
かと言ってだらだらと、残りの試合を流すような選手が、翌年以降も活躍出来るとは思えないが。
ワシントンとの三連戦は、ハイスコアのゲームを覚悟する。
投手陣の中でも特に、九月以降の拡大枠で上がってきた選手は、だらだらと長い敗戦処理をさせられるかもしれない。
だがそこでぴしっと相手を封じていけば、間違いなくそれは印象に残る。
殴り合いになった場合は、メトロズはこの九月、ピッチャーを余計に使えるだけ、断然強いのだ。
そんな覚悟を最初からしておくと、意外とと言ってはなにかもしれないが、先発はワシントンをそれなりの点数に抑えることが出来る。
二点差で九回を迎えれば、そこからはもう上杉の出番である。
第一戦も三人で片付けて、リリーフとして失点なし。
むしろランナーが出ることさえ、滅多にないのだ。
直史とポジションは違うし、スタイルも全く違う。
だが日本のピッチャーがこれだけ活躍しているのは、MLBにおいて最初で最後になるだろう。
そう思っているとまた、来年恐ろしいことが起こるかもしれないが。
実際のところ今年は、本多などもいい活躍をしていた。
本多の場合は特に、日本時代の代名詞であったフォークに、ツーシームをよく使っている。
100マイルのツーシームというのは、MLBでもそうそうあるものではない。
その本多のトローリーズとは、順当に行けばポストシーズンで対戦することになるだろう。
サイ・ヤング賞も沢村賞と違って、リーグごとに出るものなので、本多にも少しは票が入ってもおかしくない。
ア・リーグは完全に、直史以外の選択はなくなっているが。
ワシントンとの第二戦、大介はついに己の持つホームラン記録へ、145試合目で到達した。
更新は出来るだろうと思われていたが、予想以上に早い時期であった。
あと一本ぐらいは、普通にやっていても出るだろう。
既に注目は、記録がどこまで伸びるかということになっている。
メトロズやそのファンとしては、微妙な気持ちである。
出来れば次の試合では打たずに、ニューヨークに戻ってきてほしい。
そこからはホームでの10連戦が待っているので、そこで記録を作ってほしい。
ただワシントンは、敵地ではあるが一応、更新時の準備はしてくれている。
こういう記録はやはり、一つの球団だけのものではないのだろう。
一人のスタープレイヤーは、そのチームだけではなく、リーグ全体を盛り上げていくことになる。
そしてそのスタープレイヤーを倒すために、他の選手もパフォーマンスを上げてくる。
今年のようなフォアボールの嵐は、はっきり言ってリーグとしては情けないことだ。
そしてそれだけ勝負を避けても、大介の記録を阻止することは出来なかったのだ。
考えてみれば当たり前で、去年の大介は事件の影響で、16試合も欠場している。
146試合で達成した記録に、145試合目で到達した。
しかも打率などは、ほとんど全てが去年を上回る。
日本時代と比べてみても、明らかにMLBでの方が、大介のバッティングは脅威度が高くなっている。
ピッチャーの平均値を見てみれば、MLBがNPBに劣っているとは思えない。
だが現実は、大介はMLBでの方が打っている。
レベルが高いはずのリーグで、散々に逃げられながらも、高い打率を維持しているのだ。
NPBのピッチャーのピッチングに、なんらかの理由がある。
今年はそれを確信したチームが多いが、ここからその謎を探るには、もう時間が足りないだろう。
もしもそれでも、大介を抑えられるとしたら、可能性があるのはほんの数チーム。
NPB出身者、特にピッチャーを抱えているチームだ。
アナハイムと、そしてトローリーズは間違いがない。
そんな大介は、目の前で記録の更新を見るのは嫌だという、ワシントンの選手たちの必死の頑張りで、珍しくも三戦目はノーヒットに終わった。
それでもボールを選んでいき、見事に出塁率は維持していたが。
また試合自体も、勝ったのはメトロズであった。
勝率はまだアナハイムにわずかに及ばない。
だが先発の弱いところのここで、そこそこ相手をロースコアに抑えたのは、いいことであった。
チームは上杉を取るためにプロスペクトを放出していたが、その分まで活躍してくれそうな選手が、何人か輝きを見せてくれているのだ。
40人にまで拡大しているロースターだが、またポストシーズンになれば26人に戻る。
この時期には他のチームでは、実質的なメジャーデビューを飾る選手が多い。
メトロズでもピッチャーを中心に、そのポテンシャルを見せる選手はいた。
そのあたりがリリーフとして成功したため、さほどのハイスコアゲームとならなかったと言ってもいい。
もっともそれはワシントンも同じことで、初めて見るピッチャー相手には、あまり打てなかったりするのは当然である。
75本目のホームラン。
ニューヨークの期待を背負い、メトロズのメンバーはニューヨークに帰還した。
残るレギュラーシーズンは16試合。
16試合しかないのだ。打てよ、大介!
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