第43話 ラストカード
とりあえずマイアミには、スクリーンを壊してごめんなさいをした大介だが、彼は知っている。
大介が破壊したスクリーンの残骸を、あるいはオークションに出したり、あるいは球団の博物館に展示したり。
むしろ壊されて、焼き太りするのを知っている。
日本でも何度かやったから、知っているのだ。
移動に一日を使って、メトロズは最後のカードであるフィラデルフィアの本拠地に乗り込む。
115勝44敗。
とてつもない成績を残しているが、新記録に到達するかどうかは、まだ分かっていない。
今年のフィラデルフィア相手の成績だと、二勝は出来そうな気はする。
だが実際に対戦してみれば、どうなるかは分からない。
それが野球というものだ。
メトロズはこのカード、三連勝でもおかしくないと思っている。
先発ピッチャーたちには球数を減らさせ、疲労を抜くように起用している。
去年までと違ってポストシーズンで、地区優勝をしても休みの日程に差がない。
だからここで上手く、試合勘を鈍らせない程度に、しっかりとやすませないといけない。
オットー、スタントン、ジュニアという強いピッチャーが並ぶ。
ただフィラデルフィアはここで負けても、ドラフトの順位が多少有利になるだけ。
上位ドラフトならともかく、今年のフィラデルフィアはそこまで低い勝率ではない。
ホームでの試合で最強のメトロズに善戦できれば、フランチャイズのファンも来年に期待を持ってくれるかもしれない。
そんなことを考えて、この試合に挑む。
アナハイムには一勝リードしている。
だがたったの一勝なので、一敗でもすれば並ばれるかもしれない。
逆に言えばこの三連戦を全勝すれば、アナハイムが何をしようと並ぶことは出来ない。
もちろんアナハイムも最後のカード、ピッチャーの強いところと当たるとは限らないので、さらに一つ負けるかもしれない。
だが直史のローテに入っている以上、必ず一勝はしてくる。それは確実だ。
大介はこの三連戦、心に決めている目標がある。
それは彼にとっては、とても控えめなことだと言えた。
ヒットを二本打ちたい。
それによって年間の安打が、200本に到達する。
ホームランがどこまで伸びていくかとか、いつの間にか110個まで増えていた盗塁とか、そういったものもとんでもないものだ。
特に盗塁など、歴代でも上位に入ってきた。
昔の野球ではなく、今の盗塁の重要度が低い野球で、これだけの数字を残している。
それも成功率が90%ほどもあるのが凄い。
体の小ささによるスタートダッシュ、またベースランの能力は、やはり大介の長所だろう。
普通に走るスピードも、あの身長からなる歩幅からすれば、信じがたいものだ。
だがそれでも、野球をするのに特化したような、100m走よりもさらに短い、距離を走る能力。
どこまで伸びていくのか、それを期待されている。
ホームランは80本に到達し、四球は300を超え、盗塁は100どころか110以上。
さすがにこの記録は超えられないかな、と大介自身でさえ思っている。
大介の限界と言うより、野球のルール的な限界だ。
どう考えても大介を敬遠した方が、得点の期待値が減っていく。
たとえ満塁でも敬遠の方がいい。今までにも何度かMLBではされたことだし、不思議なことではない。
なので盗塁の数は、これまた来年以降に、世界記録を超えるかもしれないが。
わざと力を控えめにして、勝負を促さなければいけないのか。
もしもそうならMLBという世界は、NPBよりもよほどチキンなピッチャーの集団しかいない。
そうは言っても大介は、このMLBという大舞台で、アドレナリンが噴出する。
そしてよく言われるのが、脳をクロックアップさせるコルチゾール。
もっともこれは本来、生命の危機に瀕して、分泌されるものであるらしいが。
こういった脳内物質を分泌させることを、才能と呼ぶべきなのかどうか。
むしろ人間の動物的本能や、性格に依存していると思える。
日本人が周りに少ない、どこか孤立した感覚。
そして身近な者の死。
大介の成績のアップ、パフォーマンスのアップには、そんな望んでいなかったものが絡んでいる。
この日の一打席目も、一球目のボール球から、ピッチャーの意識が伝わってくる。
(こういう感覚だけはさすがに、あいつらにもないんだよな)
ツインズはほとんどオカルトめいた身体能力を持っているが、それでも物理的限界はある。
だが大介はそのあるはずの限界を超えている。
あるいはこういった力を持っていた者こそ、イリヤ一人であったのかもしれない。
ならばその娘を自分が育てるのは、順当なところだなとも思える。
逃げたい、逃げたいとボールが言っている。
大介はゾーンから外れた、ボール球に対して手を出す。
サードの頭を越えるイメージ。だが、どうしてもイメージと実際の動きには、誤差が生じる。
サードライナーで第一打席は終了。
一回の先頭打者としては、失格なバッティングの大介であった。
新記録がかかっている。
そう思ってしまうと強心臓なはずのメジャーリーガーでも、全くプレッシャーがかからないわけではない。
それに自分の記録であれば、それは自分だけの責任であるが、チームの記録ともなれば、自分が打たれて済むものではない。
今日の先発であるオットーも、まだ26歳とFA権を獲得したことはない。
メトロズが大介加入以前に、高い選手を売り飛ばして獲得してきた、プロスペクトの中の一人だ。
メジャーリーガーはFA権を取得してようやく一人前。
本当の意味で実力を評価されるのは、そこからである。
オットーにしてもまだ、年俸は三億程度と成績に比して安い。
今はまだ実績を積み上げている期間なのだ。
このオットーは今年、一ヶ月ほどの期間を故障離脱している。
MLBのピッチャーというのはやはり、故障せずにシーズンを投げられることが、とても重視されるのだ。
一ヶ月程度の離脱であれば、それほどの問題はない。
昨今のピッチャーはどいつもこいつも、すぐに肘を壊してトミージョンをする。
FAになる前の安い時期にトミージョンをしておく方が、むしろそこから壊れにくいという風潮さえある。
その意味ではオットーは、特に評価を落としていない。
今季はこれが最後の登板で、離脱があったにもかかわらず、ここまで18勝4敗。
今年のメトロズは先発ピッチャーが、とにかく勝ち星を稼ぎやすい傾向にあった。
五月までは防御率も3点を切っていたのだが、その後は悪化と言うか例年通りに落ち着く。
それでも3点台で順当に、イニングを食っていた。
一回の表に先制点を取ってもらえなかったオットーは、プレッシャーの中で球数が増える。
それでもリリーフ陣に無理が利く今は、イニングをただ進めるよりも、少し球数を増やしても、失点を減らした方がいい。
先頭打者を出したものの、失点にまでは結びつかず、なんとかベンチに戻ってくる。
ただその様子を見て、ベンチの首脳陣は早めにブルペンの準備をする必要はあるかな、と判断した。
五回までを投げてくれればいい。
オットーが普段の調子なら、それで充分なはずであった。
だがこの立ち上がりを見て、今年も大きく負け越しているフィラデルフィアが、そこを突いてこないわけがない。
二回の表にもメトロズが点を取らないと、その裏にはセーフティまで絡めたピッチャーを攻める攻撃をしてくる。
ランナーが出て、かいてもない汗を拭うオットー。
ここで上手く声をかけられるほど、まだ大介は英語に習熟していない。
「ヘイ! 俺のとこに打たせろ!」
だからこれぐらいしか言えないのだ。
今年の大介による併殺処理は、一試合に一つはしてくるぐらいの勢いである。
その守備範囲の広さと、肩の強さと判断のスピード。
視野の広さまで合わせて、とにかく全てのスピードが早くて速い。
左に打たせることが、オットーの頭の中に浮かび、その分プレッシャーを減らしてくれる。
続くショートへのゴロに、大介は飛びつきながら回転し、そのままセカンドへと送球。
見事にダブルプレイを取ったのであった。
首脳陣が大介に求めているのは、あくまでも攻撃力である。
だが守備力も優れていて、さすがに負担の多いショートから外すにしても、代わりの選手がいない。
それに大介は基本的に、キャッチャー以外はどこでも守れるが、それでもショートほぼ一本だ。
慣れないポジションを守らせて調子を落としては、本末転倒である。
そしてこの守備でようやく、オットーの固さが取れた。
二打席目の大介は、三回ワンナウトランナー一塁から打順が回ってくる。
前にランナーがいるので、普通に出塁しても足が活かせない。
こういう時は長打を狙っていくべきだが、相手も相手でこういう場合は、やってくることは分かっている。
申告敬遠で、普通に歩かされてしまった。
申告敬遠制度というのは、本当にゴミだなと思う大介である。
もう昔のような、敬遠のボールを打ってサヨナラ打にしてしまうことはなくなったし、別に試合の進行もさほど早くなってないし、プレッシャーによる暴投のリスクまでピッチャーから排除している。
抗議の空振りをしてスタジアムを盛り上げることも出来ないし、頻繁にルールを変えるアメリカのメジャースポーツとしては、ぜひまたこれを撤廃してほしいものd。
敬遠球がわずかでも内に入れば、大介はそれを打っていける。
どうせ日本の場合、外圧やアメリカの真似以外で、ルールを変えることなどないのだから。
その意味ではMLBは素晴らしい。さっさと日本も画面のゾーン表示を加えろよ、クソが。
ただ前にランナーがいる状態で大介まで歩かせると、次は打率と出塁率が高いカーペンターなのだ。
終盤までは一番を打っていて、記録さえかかっていなければ、普通に一番を打つべきバッター。
大介の一番というのは、今のメトロズの戦力からすれば、適切ではない。
もっとも、大介以外にはヒットさえ打てないピッチャー相手なら、適切ではあるのかもしれないが。
目の前のランナーが歩かされる。
大介は素晴らしいバッターで、ランナーがいる状況で勝負するのは、かなり難しいとはカーペンターも分かっている。
だがそれと、腹が立つかどうかとはまた別の話なのだ。
左バッターのカーペンターに左に打たせようというのは、サードとファーストでダブルプレイでも取りたいのか。
ただそんな都合のいい打球は、カーペンターは打たない。
掬い上げるように打ったボールは、レフト前に着地。
ワンナウト満塁で、メトロズ脅威のクリーンナップにつながる。
打線が爆発した。
ランナー一掃の長打から、続いて連続ホームラン。
ピッチャーが交代してようやく、メトロズの勢いが止まる。
それでも一気に五点を先取し、これによってオットーのプレッシャーはさらに弱まる。
伸び伸びとなげるようになって、五回までを無失点でリリーフにつなぐ。
心配された球数も、結局は90球にも至らなかった。
大介としてはあとは、自分の打撃成績に集中することが出来る。
ランナーのいない状態で回ってきた三打席目、ピッチャーは外角の出し入れを中心に攻める。
無理をせず、バットのヘッドを走らせて、強い球をライナーで。
レフト線への打球は、ツーベースヒット。
これで安打数は199本となり、目指す目標へはあと一本。
メトロズはその後も点を積み重ねて、大介は少しだけ無理をして打ったため、残りの打席ではまたもライナーでアウトになってしまった。
試合自体はリリーフ陣も安定して、8-1のメトロズの圧勝。
だがこれで上杉の、セーブ機会を奪ってしまった。
理不尽であるが、フィラデルフィアはもっと頑張ってほしい。
大介としてはホームランの数は、80本でもう、今年は充分なのだ。
来年以降もチャンスがあるかどうかは別だが、これはこれでもういいだろう。
あとはヒット一本と、チームの勝利のみ。
上杉が来年もいるなら、記録のチャンスはいくらでもあるのだろうが。
上杉に対しての残留交渉は、間違いなく行われる。
だが元の契約からして、一年間だけであるのだ。
そもそも残留が通るなら、ボストンが手放すわけもない。
メトロズはおそらく、今の大介以上の年俸を積んだだろう。
だが本当に上杉は、金では動かない。
もっと正確に言うなら、上杉の信じている人間を納得させるための金を、メトロズは出せるのか。
それはさすがに無理な話だ。
上杉は五分の一の年俸でも、日本で投げることを選ぶ。
そしてMLBは永遠に、最強のクローザーに見捨てられたリーグとなるのだ。
(年俸100億円ぐらいなら、さすがに動くかなあ)
おそらく上杉のことだから、九割がたは寄付するなり、財団を作るなりして有効活用してしまうだろう。
忘れてはいけないが、上杉は政治家の家系に生まれているのだ。
その精神性などは、意外と清濁併せ呑むことが出来るのは知っている。
だが根本的な部分で、金だけのために動くことはない。
おそらくセイバーであれば、上杉を上手く動かすための、手段を思いつくのではないか。
そう大介は思うのだが、それがまだ動きを見せていないということは、彼女は上杉が日本にいた方がいいと思っているのだろう。
その理由などはもちろん、大介に知らされてはいない。
もし情報を漏らすとしたら、ツインズにではなかろうか。
かといってそのラインから、思惑をたどろうとは思わない大介である。
大介は一人のプレイヤーである。
そしてそれ以前に、野球少年の心を持っている。
何か色々と思惑はあるのだろうし、セイバーの動きで面白いことが多くなることは、感謝もしている。
だが自分は、自分のやりたいようにやって、そして勝つだけである。
今はとりあえず、あと一本のヒットがほしい。
観客はアウェイであるにもかかわらず、大介のホームランを望んでいるようだが。
フィラデルフィアとニューヨークは、離れているがそれでも、比較的距離は近い。
なのでわざわざここにまで、やってきているニューヨーカーはいる。
もはやポストシーズンにも出場しないフィラデルフィアのスタジアムが満員になるのは、完全に記録の更新を見たい普段はファンではない人間がいるからだ。
ある意味フィラデルフィアの先取は可哀想だが、己の哀れさを払拭したいなら、自分たちのプレイを見せ付ければいいのだ。
最終カード三連戦、メトロズの先発はスタントン。
スタントンも一時離脱したが、軽い炎症だけですぐに復帰してきた。
彼もまだ若く、オットーよりも一歳下の25歳。
この試合に勝利すれば、MLBの記録を更新する117勝目となる。
どうもアメリカ人は、武者震いというものを、単なるプレッシャーと勘違いしている人間が多いらしい。
ロッカールームで試合を待つスタントンの肩を叩く大介。
振り返ったスタントンの頬に、大介の指がぷすりと刺さる。
「OKOK! イッツパワフルダンシング!」
なんといういい加減な英語かと思うものもいるが、そもそもネイティブであっても、英語はいい加減に使われることは多い。
アメリカというのはそのあたり、とても寛容な社会である。
毒気を抜かれたようなスタントンであるが、野太い笑みを浮かべた。
自分よりも頭一つほども小さい、この小さな超人は、とにかく点を取ってくれる。
メトロズの投手陣の成績がやたらといいのは、間違いなく打線の援護のおかげだ。
今日も一番を打つ大介に、まずは先取点を取ってもらおう。
試合の時間が迫り、選手たちはロッカールームから溢れる。
「それにしても人数多いよな」
「仕方なかろう」
上杉は悠然としているが、記録のことはどう思っているのか。
もっとも日本時代、上杉は多くの記録を作ってきた。
このまままたちゃんと先発で投げるなら、日米通算の奪三振記録を、塗り替えてしまうかもしれない。
いや、試合数の関係からすると、さすがにそれは無理なのか。
ただこの超人と一緒にチームとしてプレイするのは、おそらくこれが最後になるのだ。
ポストシーズンを前に、残り二試合。
どうせなら上杉にも記録を作ってほしいな、と願う大介。
本人は多くの人間から、ホームランを期待され、そして願われていた。
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