第38話 二人の記録
※ 本日もAL編38話の大きなネタバレがあります。
×××
メトロズには大きな怪物と小さな怪物がいる。
そしてこの両者が、記録に到達しようとしている。
大介は打撃に関して、多くの記録を。
そして上杉ははっきりとした、セーブの記録。
現在51セーブを記録している上杉は、残り29試合で12セーブを上げれば、それで記録更新だ。
八月には14セーブを記録しているので、難しいことではない。いや、もちろん普通なら難しいのだが。
セーブ記録というのは、なかなか本人の力だけでは達成出来ないのだ。
味方が弱くてリードしないまま終盤を迎えれば、そもそも出場の機会がない。
逆に勝っていても大量点差をつけていると、わざわざクローザーを使うまでもないし、セーブとして記録されない。
今のメトロズはたいがいの試合で大量点差で勝てるが、そのわずかしかリードしていない試合で上杉を使うことで、セーブ機会が増えているというわけだ。
ただ上杉のセーブ記録は、たとえ数字は更新しなくても、それ以上の価値がある。
これまでにセーブ機会失敗という登板がないのだ。
あえてビハインドで投げたこともあったが、それはセーブ機会とは関係はない。
とにかく上杉がリードした場面で投げれば、そのチームは負けない。
そもそもまだ失点していないという時点で、恐ろしいことではあるのだが。
「まあそんなことはどうでもいいが、またアナハイムに逆転されたな」
己の記録にこだわらないと言うか、セーブ数にはこだわりのない上杉はそう言った。
直史のピッチングをきっかけのように、アナハイムは11連勝。
消化した試合数が違うとはいえ、八月終了の時点でアナハイムは98勝36敗、メトロズは96勝37敗と、明らかにアナハイムが優っている。
だがそれもほんのわずかな差だ。
「これがセ・リーグ同士の対戦なら、直接対決で負かしてやるんだけどなあ」
「そうは言うがスターズもライガースも、佐藤には勝てておらんだろう」
まあ直史は無敗であるので、仕方のないところはあるのだが。
チームとして対戦するなら、おそらく直史以外のピッチャーのところで、メトロズの方が優位だとは思うのだ。
直史が投げて勝ったとしてのも残りの二試合は勝つ。
もちろんリーグも地区も違うのだから、気にしすぎてもいけないとは分かる。
だがせっかくMLBの記録を破れそうなのに、先にアナハイムがいるとなると、嬉しさも半分ほどであると言うべきか。
さて、改めて八月が終了した時点の、大介の成績である。
打率 0.418 出塁率 0.636 OPS 1.680
打点197点 ホームラン68本 盗塁91
ホームランを70本打てるバッターが、盗塁を100決めるという、頭のおかしなことになってきている。
やはりシーズンの終わりが近づくと、個人成績が注目されてくる。
上杉のセーブ記録に関しては、どうしてもその状況が達成出来るかどうかを左右する。
ただそれを言うなら大介の打撃成績も、相手がちゃんと勝負してくれるかどうか、それに左右されるというが。
完全に己の実力だけで封じ続けている、直史の記録が一番、頭がおかしいとされてしまう。
昨年も言われたことであるが、NPBよりもレベルが高いとされるMLBに来てからの方が、大介の成績は上がっている。
ただこれをもっても、もうNPBのレベルの方がMLBより高いとか、そんなことを言えるわけではない。
確かなのは大介にとっては、MLBの環境の方が、実力を発揮しやすかったということだろう。
これは直史などの分析によると、MLBのトレーニングや練習の効率化の弊害と言える。
単純にフィジカルの数字を見れば、今でも明らかにMLBはNPBの上をいく。
だがそれでもNPBがMLBより大介を抑えられるのは、そこにフィジカル以外の部分が含まれているからだ。
単純にパワーだけで抑えられるならば、大滝は大介相手に、三連続ホームランを打たれることはなかった。
今のMLBではフィジカル重視で、どうしてもそこを伸ばそうというのが前提にある。
ただし日本の場合は甲子園で、小ざかしい野球で大物を食ってやろうという意識が強い。
小手先の技術までしっかり使って、泥臭く一点を取る。
そんな力があったからこそ、最強世代の白富東に、善戦できるチームがいたのだ。
大介の活躍がもう数年続けば、MLBのトレンドもまた、変わっていくかもしれない。
読み合いと技術、そして駆け引きの野球にだ。
今でもそれらを使う、ベテラン選手はいる。
だが若手はまず、速い球を投げられてこそ、という意識は強いだろう。
そんな指導をしている限り、佐藤直史はアメリカでは絶対に生まれない。
上杉勝也は生まれるかもしれないが、白石大介もまた、生まれないだろう。
九月になると完全に、ポストシーズンを見据えた選手起用が始まる。
セプテンバーコールアップとなって、契約はメジャーでありながらマイナーで待機していた選手が、メジャーに上がってくるのだ。
そこで様々な選手が、実戦で試される。
ただし今年のメトロズの場合は、事情が異なっている。
アナハイムとの勝率争いもあるが、116勝の記録を破ろうという意気込みがある。
それでも怪我人の離脱はあるし、ポストシーズンに向けて、疲労を取ってもらおうと休ませることがある。
その中でも大介は、元気にバットを振り回しているが。
普通に誰もが、大介の食事量を知っている。
あれだけ食べながらも、体重が目立って増えることはなく、軽快な動きを維持している。
それだけ消化機能が優れていて、新陳代謝が激しいのだろう。
疲労の回復は食事で行う。
ただし大介の真似をすると、体が上手く動かなくなるが。
もっとも上杉は、大介と同じような食事を、軽々と詰め込んでいる。それも格別に美味そうにでもなく。
「飯はやはり日本の方が美味いな」
「こっちでも美味いところはありますけど、大体は大味なんですよね」
大味な食べ物は、どっさりと食べるのには向いている。
食事休みもほとんどなく、すぐに練習に入る。
今日はマイアミとの四連戦の最後の試合であり、ピッチャーは弱いところと当たってしまう。
スタントンで負けたのは故障による被弾が大きかったが、それでもそれ以上に点を取れば良かった。
今日はゲーリックが10点取られようと、11点取って勝つ。
最後にリードしていれば、上杉が終わらせてくれる。
最後の最後にそんな安心の防壁があると、選手は積極的にプレイできる。
全員の期待と信頼を背に負って、最後のマウンドに立つのだ。
クローザーというのは大変なのだろうな、と大介がそこそこのんびりと思うのは、直史のパーフェクトリリーフを最初に見たからだろう。
試合が開始され、ゲーリックはそれなりのピッチングをする。
五回を三失点であれば、メトロズ打線にとっては充分に勝ち越すことは可能だ。
だが今日のマイアミはピッチャーが、若手の怖いもの知らずだった。
大介のホームランは一本あったが、弱体化している今のメトロズ打線では、リリーフにつながるまではその一点のみ。
だが七回からは、マイアミのリリーフ陣を叩きにかかる。
大介が歩かされても、その後続がしっかりと打つ。
ぎりぎり九回の裏に追いつき、そこから延長へ。
大介はまた歩かされるが、走りまくってタッチアップで一点。
この一点のリードがあれば、メトロズは充分なのだ。
いともたやすく行われる、クローザーによる蹂躙。
ヒットの数よりもバットにボールが当たった数を数えた方が、むしろ建設的かもしれない。
三者三振で終わらせて、メトロズは九月の第一戦を勝利。
次もまた同じ地区の、ワシントンとの試合となる。
ワシントンと行われる三連戦。
この試合を全部勝つと、それ以降の試合を全部負けても、もうメトロズは地区優勝が決まる。
それはありえないし、どうせなら勝ち星の記録を狙えと、地元のファンは大興奮だ。
もっともそれは西でも、アナハイムが同じようなことをしているのだが。
記録というものは、基準や評価などが違うので、あまりこだわりすぎてもいけないと大介は思っている。
年間の試合数が違った時代とでは、ホームラン数や打点数が変わるのは、当たり前の話なのだ。
また運というものも介在する。
実際にアナハイムが同じリーグの同じ地区にいたなら、両者の記録は間違いなく更新できなかっただろう。
どちらにしろ大介は、難しいだろうなとは思っている。
ポストシーズンまでに間に合うことは間に合いそうだが、上位打線から二人、そしてローテから一人が抜けている。
これは首脳陣としても冷静に、ポストシーズンを重視したということなのだろう。
実際に116勝したチームは、その年には優勝していないのだし。
勝率は高い方が、確かにホームのアドバンテージを得られる。
だがそのために無理をして、コンディションが悪いままポストシーズンに突入したら本末転倒だ。
そんな中で大介は、とりあえず今日もホームランを打つ。
最終的にそれで勝てたが、かなりギリギリの勝負であった。
上杉が前の試合までに、三連投していたため、首脳陣が上杉を使わなかったからだ。
本気で投げればいくらでも連投する上杉であるが、MLBではそれを止めるというか、こんなところで消耗させては、ポストシーズンに響くと考えているのだろう。
実際に上杉が大丈夫かどうかは問題ではない。
首脳陣としては当たり前に、上杉を運用している姿を見せなければいけないのだ。
試合には勝ったとしても、問題はアナハイムの勝敗だ。
難しいとは思っても、どうせなら勝率でも上回って、有利な状況でポストシーズンに入りたい。
今日の相手はシアトルで、直史が先発で投げているため、負けることは全く期待出来ない。
そう思っていた大介なのだが、ラジオの放送を聞いて驚いた。
直史が失点している。
なんじゃそりゃとは思いつつも、大介の車にはテレビはついていない。
普通に考えてテレビなど設置しては、そちらに目が向かいそうで危険だからだ。
だがラジオで音楽を流す程度なら、問題はないのだ。
気になる大介は集中がそちらに取られることを避けるため、あえてラジオは消す。
今日のアナハイムの相手はシアトルで、確かに好打者は多い。
だが直史から点を取るのは、かなり難しいのではと大介は普通に思っている。
ここまで直史は、二度失点している。
一度目は幻のホームランとなって、失点は取り消された。
二度目はエラーが二つも絡んで、自責点とはならなかった。
今日の試合もエラー絡みかと、大介はスピードを出し過ぎないようにしながらも、マンションへと急いだ。
マンションに戻ると子供たちは寝ていたが、ツインズはしっかりとテレビを見ていた。
帰った大介のお出迎えもなく、大画面に集中している。
大介としても特に寂しいなどとは考えず、荷物を置くとどっかりとソファーに座った。
「何があったんだ?」
「初回初球打ち」
「ホームラン」
「なるほど」
前の幻のホームランと、同じパターンであったか。
そして相手がシアトルともなれば、先頭打者は織田である。
毎年二桁前後はホームランを打っているのだから、上手く直史の初球に合わせたのだろう。
それにしても、ついに記録が途切れてしまったか。
まあ幻のホームランの時点で、既に記録は途切れたと考えた方がいいのか。
「それで、打たれた後はどうだ?」
「全然動じてない」
「さす兄」
直史は劣等生ではなかったが。
大介の見ていく中では、織田の打ったホームランと、その後のヒットがリプレイされた。
最初のホームランはともかく、二度目のヒットは技ありのヒットであった。
左バッターが直史のツーシームを打つなら、ああいうのもあるのか。
ただあれでは、100%ホームランは打てない。
大介にとって直史は、対決したい相手である。
だが同時に親友であり、縁戚でもある。
そしてライバル、という意識はあまりない。
むしろ上杉などにこそ、そういった感情は抱くのであるが。
直史と試合で対決するのは、他のどの対戦とも全く趣が違う。
単純にパワーで勝負するというわけではないし、読み合いが大事なものになる。
考えるな、感じろ、などとはよく言われたものであるが、感じさせないのも直史だ。
静かな立ち姿から、投げるボールは完全にコントロールされている。
「フォアボールは出してるのか?」
「出してない」
「エラーだけ」
それはこの間の、幻のホームランを打たれた時とは違う。
相手が織田であったからか、それとも経験済みであるからか。
直史はどうやら、ホームランを一本打たれても、そこで崩れるようなメンタルは持っていない。
それは敵として見た場合、とてつもなく厄介なことである。
大介が直史から打点を上げるとすれば、それは一発である可能性が高い。
そもそも日本時代も、直史は一発以外の失点は少ないのだ。
大学時代に完成してから、もう全く崩れることがない。
崩れたとしてもフォアボールを少し出して、そこでまた修正してくる。
目だった制球の乱れがないというのは、ピッチャーとしては得がたい素質だ。
今のメトロズの中では、ベテランのウィッツが一番、そういったピッチャーであるだろうか。
ただウィッツの場合はむしろ、左のサイドスローという方が、特徴としては間違いがない。
何か攻略の糸口は見えないだろうか。
そう思って見ていた大介であるが、結局それ以上に乱れることはなかった。
織田が一試合に二本も直史からヒットを打っていて、ひょっとしてこれは日本時代も含めても、初めてのことではなかろうかと思ったりもした。
だが表面の数字を追いかけるのではなく、直史を見なければいけない。
その表情に、何か苦悩や怒りが浮かんでいないか。
何もない。
これで25勝目という、そんな感慨も感じていないように思える。
「あと五試合か」
直史の勝利数は、大介と違って過去の記録を更新するというものではない。
だが今の時代では、他の誰にも出来ないというものだ。
そしてここまで全て無敗という記録。
こちらは間違いなく、MLBにおける記録となる。
MLBでは規定投球回に到達していて、シーズン無敗という記録はないのだ。
直史は既に、規定投球回に到達している。
ここから全休してしまっても、偉大な記録を残すことに変わりはない。
もしもそれを上回る人間がいるとしたら、上杉が先発に戻って、MLBで投げるしかない。
ただ上杉は完全に個人的な理由で、今年いっぱいだけをアメリカで過ごしたのだ。
メトロズが今年、ワールドチャンピオンになるには、まずアナハイムとのワールドシリーズを制することが問題になるに違いない。
過去には最高の勝率を上げながら、ワールドシリーズにまでたどりつかなかったチームもあるが、アナハイムにはそんな隙が見られない。
バッティングにしてもそれなりの長距離砲を備えているし、ターナーが完全に覚醒した。
あとは直史がベストコンディションでポストシーズンを戦えるかだが、おそらくそれは大丈夫だろう。
直史はそういった大一番への調整が上手い。
そして過去の事例から見ても、燃料切れは考えなくていいだろう。
直史以外のピッチャーを、確実に打てるのかどうか。
アナハイムが冷徹な戦術を取ってくるなら、大介はかなり敬遠されるだろう。
大介を敬遠して許されるのは、直史が勝負するからだ。
どんなピッチャーもが、アウトローに外れていく球で、カウントを稼ごうとする大介。
それと真っ向勝負するなら、他のピッチャーが多少逃げても、バランスとしては間違っていない。
逆に言えば他のどのピッチャーを打っても、直史を打たずに優勝するのか、ということにもなる。
調整に成功するのは大前提。
これも逆に言うのなら、調整に失敗したら負ける。
メトロズは今、わずかなコンディション異常の選手を、外してレギュラーシーズンを戦っている。
それに対してアナハイムは、特に大きな怪我人などは出ていない。
ただ大介は、信頼できるはずだが心配してしまう。
直史は投げすぎではないのかと。
30先発前後は普通であるが、エースクラスでもシーズンに数回は、序盤の立ち上がりで崩れて早めにマウンドを降りる。
直史は崩れそうに見えても、普通に無失点で100球前後は投げる。
球数が多いが、それでも力の抜けた球なら、それほどの負荷はかからないのか。
大介としてはお互いに、最高の舞台で対決したいだけなのだ。
九月。今年はシーズンがわずかにずれていて、10月にも試合がある。
だがそれでも、もうこの一ヶ月が、シーズン最後の攻防となるのだ。
色々な記録が、期待されてはいる。
その期待に応えようとか思わなくても、大介は目標としている記録はあるのだ。
ここまで勝負を避けながらも、どうにか達成できそうな記録。
年間200安打である。
来年も今年と同じ程度に打っていければ、名球会入りの資格は得る。
大介としてはあまり、価値など感じていないが。
2000安打以上を打っていれば、間違いなくレジェンド。
それ以前に大介は、日米通算のホームラン記録に関心があるが。
ただどうせアメリカで通算のホームラン記録を打っても、日本の分を足してもな、という反応はされるだろう。
こちらは上杉や直史、武史といったあたりと対決し、ホームランの記録を作ってきたのだが。
長くて短いレギュラーシーズンは間もなく終わる。
ただこの最後の一ヶ月は、特に長く感じるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます