第37話 挑戦者たち

 野球はチームスポーツだ。

 守備の連携や打線をつないでいくこと、これらはチームスポーツであることに間違いはない。

 だが同時に、ひどく個人技が重視されるスポーツでもある。

 バッターとピッチャーの対決以外にも、守備がボールをキャッチしてスローするのまで、それぞれの個人技の連続である。

 それでもやはり、全員が一つの目標に向かって、一丸になるということはある。


 優勝したくない人間などメジャーリーガーならばいるだろうか。

 既に去年優勝していても、それでも目指すのは優勝である。

 個人成績ももちろん大事だが、その追求の果てには優勝がある。

 上杉が入ってからこっち、メトロズには何か、きっちりと枠のようなものが作られた気がする。


 それは個人を拘束するものではなく、むしろ動きを補助するもの。

 選手たちの個人成績が、のきなみ向上している。

 そんな中で対戦したセントルイスは、それこそ不運であったのかもしれない。

 ただし運の偏りで、勝敗が変わってしまうのも野球というものだ。

 それでもなお絶対と言えるものがあるとしたら、それは上杉のピッチングに他ならないであろう。


 MLBの世界でなお、ボールがまともにバットに当たらない。

 ストレートではなく、カウントを稼ぐためのムービング系を狙う方がマシ。

 だがそれでも101マイル程度は出ているため、とてもミートなど出来はしない。

 人間の動体視力の限界に、迫るほどのボールだ。


 だが上杉の出番というのは、接戦でチームが勝っているか、少なくとも同点の状況となる。

 圧倒的に勝っていれば、そもそも必要がない。

 そしてセントルイスとの三連戦は、全ての試合で二桁得点。

 圧倒的と言うよりもひどいが、うち一試合は二点差で最終回に突入し、上杉の出番があった。


 前回の対戦で負け越していたからという、ごく普通の敵愾心もあっただろう。

 だがとにかく今のメトロズの前に、立ったその事実だけで不運。

 大介など六回目の打席が回ってきて、とても驚いたものだ。


 ただ完全に順風満帆というわけでもない。

 今のメトロズは先発ローテの中で、ウィッツ、オットー、スタントンの三人がベテランと中堅の計算出来る数字を持つピッチャーだ。

 やたらとショートの守備力が高いのと、援護点が多いので、勝利数がえらいことになっている。

 しかし今年から売り出すはずであった、ジュニアがこの数試合乱れている。

 連勝を止めてしまったのを気にしているのかもしれないが、それを引きずっていてはいけない。

 セントルイスとの第三戦も、序盤で降板して勝ち星がつかなかった。

 もっとも取られた以上に取ったので、試合自体には勝った。


 さてジュニアの不調の理由である。

 ボールは走っているし、変化球の精度にも問題はない。

 ならば単に慣れてしまったのか、あるいはクセでも見つけられたか。

 ジュニアはチェンジアップとツーシーム、そしてフォーシームを投げ分ける。

 打たれたボールはフォーシームとチェンジアップで、ツーシームの割合は少ない。

 これは慣れでもクセでもなく、単純にツーシーム以外の球を待っているということか。


 問題はこれが、二つの相手に読まれているのか、ということだ。

「まあフォーシームとチェンジアップの差は分かるよな」

 大介はあっけらかんと言ったが、ジュニアとしては衝撃的だったらしい。

「肘の高さが違う」

「なんで教えてくれなかったの?」

「いや、だって相手が見抜いてないなら、シーズン中にいじるのは難しいだろ」

 それもそうなのだが、打たれたときには教えてほしかった。

「全部のチームに見抜かれてるとは思えないし」

 そうは言うがこういうことは、最悪を想定しておいた方がいい。


 ジュニアのフォームはそれぞれの球種によって肘の高さが少し違う。

 フォーシームとチェンジアップの間の中間よりややフォーシーム寄りが、ツーシームの肘の高さだ。

 ただ聞いてみたバッターが打席に立っても、はっきりとはその差が分からない。

 直接やってみてすぐに分かったのは、大介とシュミット、あとはなぜか上杉ぐらいであった。


 フォーシームとツーシームだけで組み立てるか、ツーシームとチェンジアップだけで組み立てるなら、判断は難しい。

 だが二種類だけにしてしまえば、今度はどちらかを狙い打てばいい。

 さてさて、ジュニアをこのまま26人枠に入れておくか、一度マイナーに落としてそこで修正を考えるか。

 ポストシーズンの中でもワールドシリーズの相手が、レギュラーシーズンでは対決していない相手なら、このクセには気付いていないかもしれない。

 そもそもマイナーで調整したとして、そう簡単に修正できるのか。

 ピッチャーのメカニックは繊細なものなのだ。




 結局は首脳部案件となったが、大介と上杉はこっそり話し合う。

「佐藤だったら気付くか?」

「ナオは……気付きますね」

 関心があるかどうかは微妙だが、勝つために必要であるなら気付くだろう。

 そもそも直史が気付かなくても、複数球団が攻略している以上、アナハイムの分析班が気付かないと考える方が甘すぎる。


 ここから一ヶ月、フォームの修正が間に合うかどうか。

 直史ならあっさりと修正してくるか、そもそもそんな隙は見せないだろう。

 上杉は案外不器用なので、シーズン中に修正するのは無理だと言う。

 もっとも上杉を他の人間と同じ目線で見るのは、さすがに無理があるとも思えるが。


 結局のところチームは、別の理由でジュニアを一度故障者リストに載せて、マイナーに落とした。

 フォームの修正の方を選んだのだ。

 せっかくここまで勝っているのに、勝てるローテの一角を崩す。

 それでもその先のポストシーズン、さらにその先のワールドシリーズを目指したということだ。


 首脳陣も肝が座っている。

 そんな首脳陣の気配を、選手たちも敏感に受け止めている。

 メトロズが狙うのは、単純に優勝というものではない。

 その前にシーズンの勝ち星の記録が狙える。

 過去の116勝というのは、とんでもない数字だ。去年のメトロズも相当に強かったが、それでも114勝であった。

 大介の離脱がなければ、更新できていただろうとは言われているが。


 そして他の29のチームと違い、メトロズの優勝にだけは特別な意味がある。

 それは連覇というものだ。

 MLBも金満球団の戦力強化を防ぐために、戦力均衡の手段として、色々なことを行っている。

 その結果21世紀に入ってからは、一つのチームの連覇というものはない。

 もっとも地区で見れば、トローリーズが地区優勝をかなり続けていたりもするが。


 今年のメトロズは、最強のバッターと最強のクローザーがそろっている。

 投手力はアナハイムの方が上と言われているが、それは直史一人で他のピッチャーの負担を減らしているというのもある。

 それにリリーフ陣の力は、メトロズの方が上回る。

 ポストシーズンでも特に、ワールドシリーズはちょっとしたぐらいの故障は覚悟で、先発のピッチャーも投げていく。

 ジュニアがポストシーズンまでに間に合えば、全体的な戦力はかなり、メトロズの方が優位になるだろう。


 それでも野球は、やってみないと分からないスポーツだ。

 一発勝負のトーナメントほどではなくても、短期決戦であれば、やはりピッチャーが重要となる。

 上杉は状況が状況なら、九回のみならず八回から、あるいは七回からでも投げられる。

 元々上杉にとってのリリーフとは、そういうようなものであるのだ。




 ごくほんのわずかに、直史が調子を落としたのは、メトロズにも伝わってきていた。

 だが故障者リストに入ってマイナーにでも落ちない限り、直史はすぐに修正してくるだろうな、とは思っていた。

 そして不調であっても、絶対に負けないのが直史である。

 もう幼馴染が絶対に負けないぐらい、直史は負けない。いや、そういうことではなく。


 それはそれとしてセントルイスを廃墟にしてきたメトロズは、ホームに戻ってまたカードがある。

 フィラデルフィアの三連戦と、マイアミの三連戦である。

 もうこの二つのチームは、ポストシーズンは諦めて、来年以降のチームの育成にかかっている。

 なのであっさり勝てるのかというと、そういうわけでもない。

 確かに試合自体には勝てることが多いが、選手単体で見れば、自分の価値を高めるために全力でパフォーマンスを発揮してきたりするからだ。


 ナ・リーグ東地区は、もうポストシーズンに進むのは、メトロズは確実で、おそらくアトランタもそうだろうと思われている。

 実際に大介もそう思うというか、勝率的に考えても、他のパターンはないと思う。

 それこそ大介を含む主力数人が、同時に故障して離脱したりでもしなければ。

 そんなことを思っていたのだフラグだったのか。

 先発ローテのスタントン、そして野手ではシュミットとシュレンプがほぼ同時に怪我をした。

 幸いにもポストシーズンには間に合いそうな程度であるし、九月になればセプテンバーコールアップで、多くの選手を試していくことが出来る。

 それでもいきなり、メトロズは戦力がダウンした。


 原因としては格下と思っていたフィラデルフィア相手に、負け越したことだろうか。

 ゲーリックはともかくベテランのウィッツが、早いイニングで降板したのは意外であった。

 ここでシュミットが次の塁を狙っていって、そこでふくらはぎを軽い肉離れとなる。

 シュレンプの場合は、単なる背中の張りであるらしいが。


 絶大なパワーを誇るメジャーリーガーどもは、それだけに怪我をする可能性も高い。

 スポーツは体にいいなどというレベルではなく、人間のパフォーマンスの限界に挑んでいるだけ、故障の可能性も高くなる。

 筋肉の出力に対し、骨や靭帯、腱といったものがどれだけ耐えられるか。

 そのあたりもほとんど、故障知らずの大介である。


 MLBもNPBも、単純な骨折であれば、治るのに時間はかかったとしても、後遺症が残ることは少ない。

 重要なのは軟骨の磨耗や、靭帯や腱の断裂などだ。

 あとは筋肉の肉離れが、クセになってしまったりもする。

 すると途端に、パフォーマンスは完全には発揮できなくなる。


 不思議なことに打撃の主力の二人が離脱しても、得点力にはそう変わりがない。

 もちろん長い目で見れば、それも変わってくるのだろう。

 しかしこの数試合は、むしろピッチャーが大きく崩れた。

 取られた以上に取り返すというマインドで、メトロズは向かっていく。

 そして最終回までに逆転していれば、そこで上杉が勝利を決めてくれる。


 ライガース時代にも、絶対的なクローザーはいた。

 特にルーキーイヤーの足立などは、球界屈指のクローザーであった。

 それでも上杉に比べると、どうしても見劣りしてしまう。

 上杉は不調だとか好調だとか、全く関係なくピッチングをする。

 力の絶対値が違うため、ストレートで空振り三振が取れるのだ。

 

 移籍してきてから一ヶ月の間に、14セーブ。

 移籍前と合わせて、50セーブを超えた。

 MLB記録を塗り替えそうだが、途中でトレードがあるのが、なんとも惜しいことだ。

 それでも記録自体は、塗り替えることが出来そうであるが。

「先発が一人抜けたなら、ワシが投げても構わんのだがな」

「それは待って」

 首脳陣はとにかく、今のままの状態を維持することを考える。




 MLBのファンの中には、色々な種類の人間がいる。

 もちろん一般的なのは、選手のファンか球団のファンであろう。

 だが中には数値に注目するファンもいる。

 記録を見ることが好きなファンなのだ。


 大介のホームランの数が、68本まで伸びてきた。

 去年の離脱がなかったらと考えると、このまま80本に到達してもおかしくはない。

 そしてそのホームラン以上に、とてつもない数字が出ている。

 いや、単体ではそれよりも上はあるのだが、ホームランと同時に達成するのが異常なのだ。


 盗塁が90個を突破していた。

 去年の大介は70-90というホームランと盗塁の数を記録している。

 もちろんこれは、過去のMLBの歴史において、誰もなしえなかったことだ。

 だが今年はこの調子であると、80-100というものが達成されてしまうかもしれない。


 MLBにおける年間最多盗塁は、130というものがある。

 100を超える盗塁数は、これまでに何度も記録されていた。

 しかし20世紀の末ごろからは、盗塁の数は減少する傾向にあった。

 統計的に見て、盗塁が必要な場面が少なくなってきたからだ。

 大介の盗塁にしても、得点に結びついたかというと、それほどでもない。

 その打撃力を考えれば、怪我につながる盗塁は、出来るだけ抑えた方がいいとも言える。

 ただし大介が盗塁をしまくることにより、歩かせてしまったら事実上の二塁打と考えると、勝負をしなければと考えたりもするのだ。


 それに大介は二塁から、さらに三塁までを狙うことも少なくはない。

 実際にはそう多くはないのだが、狙う姿勢を見せられることで、ピッチャーにはプレッシャーがかかる。

 そして実際に三盗を狙ったときは、決まる確率が高い。

 そんなわけで盗塁は、大介とは切っても切り離せないものになっている。


 加齢によって腱や靭帯、筋肉が硬くなってくれば、それだけ故障は増えやすくなる。

 だから盗塁の数は、若いうちに稼いでおくべきなのだ。

 まだまだ若いと思っていた大介も、今年が20代で最後のシーズン。

 日米通算の盗塁数は、もう800を超えていた。


 セイバーの指標の中では、やや低めに評価されている盗塁。

 しかし大介は盗塁数とその成功率が、極めて高い。

 85%以上の盗塁成功率は、足が専門の選手でも、そうそういないだろう。

 総合的に見て、一番価値の高い選手。

 大介はそんな存在になっている。




 そんなザ・化け物な大介であるが、基本的にあまり記録には興味はない。

 他の人が喜んでくれるので、出来れば達成できたらいいな、という程度に思っているのだ。

 だが大介が唯一、出来れば記録したいというものがある。

 それは年間の安打数だ。


 プロ野球のレジェンドが名を連ねる名球会の入会資格は、野手であれば2000本安打、ピッチャーであれば200勝か250セーブ。

 別にそんなものには何の関心もない大介であるが、年間200本安打というのにはなんとなく憧れめいたものがある。

 大介は打率が高く長打が多すぎるがゆえに、どうしても歩かされることは多い。

 そのため日本時代は、最も多くのヒットを打ったのが、警戒が薄かったルーキーイヤー。

 それでも185本しか打っていない。


 去年のメジャールーキーイヤーでも、192本。

 八月が終わった時点で、171本のヒットを打っている。

 残りの試合が29試合なので、一試合に一本を打てば、ついに達成出来る。

 だがやや後ろのバッターが薄くなったため、歩かせやすくなってしまった。

 盗塁は100を記録するかもしれないが、安打数の200が難しくなっている。

 もっとも打点は、ほぼほぼ去年の200打点を上回ることは間違いない。

 ヒットの数より打点が多いというのは、本当になんじゃこりゃ状態ではあるが。


 残り29試合。

 これまでは記録に関しては、ずっと直史の方に注目が集まっていた。

 投げる試合ごとに、何かの記録が達成されるような直史。

 パーフェクトの数において、たったの一年でMLBの記録をぶち抜いた。

 マダックスの数は既に12となっている。

 なおこの記録の元となったマダックスは、その通算選手生活において、13回のマダックスを達成している。

 今年も他に、マダックスを達成したピッチャーは二人いる。

 二人で二回だ。

 だが直史は、たった一人で一年間で、既に12回を達成しているのだ。

 この記録に隠れていたが、いよいよシーズンが終わりに近づいてくると、大介の記録にも注目が集まる。

 とりあえず既に、現時点で更新している記録もある。


 年間の四球数は245、敬遠は137で、これは八月の時点で、MLB記録を塗り替えた。

 197打点というのは、去年の自分自身の200打点を、ほぼ確実に塗り替えるだろう。

 打率は0.413で、さすがに油断した初年度以外は達成出来ないだろうと思われた、四割をさらに更新している。

 もっとも打率は、打てなければ下がるものでもあるが。


 どの記録を、どれぐらい塗り替えるか。

 全ての記録を塗り替える可能性も、ないではない。

 ただやはり打率は、時代が違うので無理なのか。

 四月の打率だけなら、歴代最高レベルであったのだが。


 チームとしても残り29試合。

 ここで21勝以上すれば、記録を塗り替えることになる。

 ここまでの勝率が70%を超えているので、達成できそうではある。

 しかしそんな中で、故障離脱のメンバーが出てしまったのが、本当に惜しいところだ。


 チームとしては大介が、一試合か二試合くらい、スタメンで出なくてもいいのではと思っていたりする。

 162試合を駆け抜けるのは、タフなメジャーリーガーでも難しいことだ。

 だが大介は疲れたとか言った翌日には、全く平然として顔で、フリーで全ての打球をスタンドに放り込んだりするのだ。

「これは、行けちゃう?」

「連覇か」

 圧倒的に強いチームがいると、逆に白けてしまうという意見もあるが、今年はその限りではない。

 ア・リーグでメトロズとの対戦のないアナハイムも、圧倒的な勝率で勝っている。

 そしてそこには、いまだに無敗のスーパーエース。

 日本時代からの因縁も含め、記事に出来ることはたくさんあるのだ。


 マスコミも喜ぶし、ファンも喜ぶし、オーナーやGMも喜ぶ。

 メトロズは今、球団史上最高の雰囲気の中にある。

 なお去年も、球団史上最高の雰囲気であったことを、忘れてはいけない。

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