第36話 116
MLBのチームによる年間最多勝は116勝である。
試合数は時代によって違うため、これが永久に数字どおりの価値を持つかは分からない。
だが今のメトロズの勝率は、わずかにこれを上回っている。
すると同じ勝ち星のアナハイムも、やはり上回っていることになるが。
ア・リーグとナ・リーグのそれぞれで、直接対決のない二つのチームが大暴れしている。
せめてインターリーグで当たるなら、少しは治まったかもしれない。
だが当たることなくこの有様であれば、全米が注目しだす。
この両者の戦いを、ワールドシリーズで見たいと。
ただお互いの首脳陣は、そんな能天気なことは考えていない。
アナハイムは直史が、メトロズは大介が、それぞれ欠けたら終わりである。
いやポストシーズンには進むであろうし、ワールドシリーズにも進めることは進めるかもしれない。特にメトロズは上杉を補強したのが大きい。
だが観客が見たいと思うのは、やはり直史と大介の対決が中心になるだろう。
大介はともかく直史は、今年がメジャー一年目である。
日本時代のプロ成績を見ても、一年目は中六日で投げているし、二年目は中四日で投げていたこともあったが、終盤には本人にとっても不本意な休みがあり、何よりNPBの中四日は消耗がMLBとは違う。
つまりアナハイムとしては、直史を大事に使わないといけない。
実際にここのところのアナハイムは、直史の球数にかなり注意しているように見える。
「実際のところ、佐藤はポストシーズンに耐えられるのか?」
上杉としてはそう疑問が浮かぶ。何しろ彼は去年、中四日で投げていた直史を見ていない。
「そこがあいつの底知れないところで……」
大介としてもそう言うしかない。
直史のピッチングのクオリティは、やや落ちている。
それは間違いないが、その理由までは分からない。
パーフェクトをしたにしろ、あの試合は確かに変化球のパターンも変えて、割合も違った。
何よりストレートが普段よりも速かった。
結局のところ一番負荷が大きいのは、全力のストレートなのだ。
上杉に確認したところ、少なくとも自分はそうだな、と同意が得られた。
肘に大きな負荷がかかるというスプリットを使えない上杉は、他にも球種が限られているので、あまり参考にはならないのかもしれない。
ただ高校時代もプロ入り後も、周囲にはたくさんのピッチャーがいた。
後にプロで一緒になった真田も、高校時代に一時期故障していた。
やはり負荷がかかる変化球とは、それなりにあるのだとは分かる。
直史の故障らしい故障は、一年の夏に少し肘を痛めた。
スルーを投げたからであるが、スルーを投げる理屈はスライダーに近い、と直史は言っていた。
疲労の蓄積かわずかな痛みなどであれば、今のうちに故障者リストに入って休めばいい。
既にアナハイムはポストシーズン進出は確定しているようなものだし、今のうちに休んでおけば、ポストシーズンまでには治るだろう。
ただ大介は直史が、無理をして投げることはまずない人間だとも知っているので、調整しながら投げて大丈夫な程度の疲労だとは思っている。
直史は約束は守る人間なのだ。
あまり他球団の心配をしていても仕方がない。
メトロズは驚異的な連勝記録が、どこまで続くか期待されている。
圧倒的な得点力が、それを後押ししている。
アナハイムも強いが、投手力にかなり比重がかかっている。
強いピッチャーのところではともかく、ローテの弱いピッチャーのところでは、そうそう勝ち続けることも難しいだろう。
やはりレギュラーシーズンは、バッティングの価値が高い。
ついこの間対戦したアリゾナと、今度は攻守を変えて相手の本拠地で挑む。
日程に偏りがあるのは、アメリカの地理的条件を考えれば仕方がない。
それでもニューヨークの球団は、東海岸で戦うことが多いため、比較的移動は楽なのかもしれない。
第一戦は前回のアリゾナ戦でも投げたオットー。
オールスター明けに故障から復帰しているが、なんとそこから五戦五勝。
防御率も3を切るという、絶好調なのである。
この日も初回から好調なピッチングをして、七回までを一失点で抑える。
そして一失点で抑えたなら、そこでメトロズの心配は、八回に何点取られるかというだけだ。
もっともこの試合は打線の援護も大きく、勝ちパターンのリリーフを使わなくても済んだ。
それによって上杉も、休むことが出来た。
上杉としては試合勘を鈍らせないため、ある程度は投げても良かったのだが。
メトロズの連勝は止まらない。
第二戦ではさらに打線が爆発し、ピッチャーを強烈に援護。
第一戦よりもさらに点差をつけて、無事に勝利する。
第三戦はややピッチャーの弱いところであったが、ここでもメトロズ打線は止まらない。
大介はホームランを打てなかったが、それでも打点は記録。
そして三試合振りに上杉の出番があり、またも三人で終わらせたのであった。
やはり一点差の接戦をものに出来るというのは強い。
これにてメトロズは脅威の20連勝。
あるいはMLB記録に並ぶのか、という期待がそろそろ出てきたりもする。
次はやはり敵地に移動して、サンフランシスコとの試合。
そして第一戦の先発は、今年が実質デビューのジャッキー・ロビンソン。
ここまで16勝2敗と、圧倒的な打線の援護はあるとは言え、次のメトロズのエース格のピッチング。
七月以降は内容もよく、なんと防御率が1点台。
ただこういう勝っているときにこそ、若手の弱みは出てしまうものである。
立ち上がりに制球難で苦しみ、二回で降板。
そしてメトロズ打線も、打たれたら打ち返すとばかりに打っていったが空回り。
(ダメだな)
勝機の見えたこの試合、大介は完全に敬遠されている。
どうせ勝負しにきたように見せても、打てる範囲にボールは来ない。
それでも無失点で抑えられるほど、今のメトロズは弱くはないのだ。
首脳陣も迷っただろう。
ビハインドの展開であるが、強いピッチャーを使っていけば、メトロズの得点力なら追いつけなくもない。
だが勝てるかどうかも分からない展開に、勝ちパターンのリリーフを持っていくのか。
そもそもジュニアが二回で降りてしまったため、リリーフもどたばたしたものになった。
それでも普段より点を取られない展開になるのだから、野球というのは統計の中の異常値が目立つスポーツである。
リリーフ陣に勝ちパターンのピッチャーを、メトロズはつぎ込まなかった。
その結果と言えるのか、結局メトロズは追いつく点数を取れない。
後続は一点で抑えたので、ジュニアが序盤に崩れたのが、やはり敗北の最大の原因だ。
それは反省してほしいが、それでもプロのシーズンは続く。
第二戦はリリーフ陣の継投で勝負する試合であったが、ここでまた大介はホームランを打った。
ツーランホームランに加えて、盗塁で二塁に至り、そこからホームに帰ってくる。
どうにか二点差で最終回を迎えれば、そこで上杉の登場だ。
移籍後既に、10セーブ目。
メトロズは連敗することなく、アナハイムに勝率で優っている。
下手に連勝記録などを作っていると、アドレナリンがドパドパと出て、限界以上のプレイをしてしまったりもする。
第三戦目からはメトロズも、強いピッチャーの並びとなっている。
統計的に見て今年のメトロズは、地区優勝は出来なければおかしい状態になっている。
打線は必ず三点以上を取っている。
そして先発陣はそれなりに好調で、リリーフが一気に強くなった。
オットーが離脱していた間には、若手のピッチャーに経験を積ませることも出来た。
アナハイムはピッチャーが強いと言われているし、実際に先発の三人はメトロズの先発を上回る。
だが四人目以降を含んで見れば、メトロズの方が強いとさえ言えるかもしれない。
最終回の点差が二点差以内でリードしていれば、上杉を投入。
無失点セーブの記録は、いまだにずっと続いている。
三点以上の点差なら、上杉は休ませる。
忘れてはいけないが、おそらく全員忘れているだろう。
上杉は故障明けなのだ。
シーズン途中でのトレードという特異性はあるが、上杉のセーブ数はもう、40セーブを超えてしまった。
なおMLBのシーズン最多セーブ記録は、62セーブである。
打撃力のあるメトロズだけに、最終回でも余裕の点差であることはある。
ただそれでもこれまでは、数試合残りの二イニングで、逆転されることもあったのだ。
上杉が後ろにいると、自分が同点にさえされなければ、チームが負けることはない。
そんな無茶苦茶な信念を生んでしまうのが、今の上杉のピッチングだ。
クローザーとはいえ、奪三振率が20に迫ろうとしている。
当ててもほとんど前に飛ばないのだから、どうしようもない。
もし年間セーブ機会失敗が0であれば、本来ならクローザーながら、サイ・ヤング賞の候補にもなっていただろう。
だが今年は直史がいる。
運命の神様は残酷なのか、それとも享楽的であるのか。
二つの巨大な力をぶつけて、よりスタジアムを劇的にしようとしている。
だがそのためにその両者は、本来得られてもおかしくないはずの栄誉を、得ることが出来ないのであろう。
しかしそれは、仕方のないことなのだろう。
大介が九年間もNPBにいたせいで、打撃タイトルはほぼ完全に独占されていた。
殿堂入りするような選手でも、タイトルが取れなかったのだ。
その意味ではパ・リーグは非常に幸運であった。
ただ同じことは、ピッチャーにも言えた。
この世に上杉と佐藤兄弟がいなければ。
セ・リーグのピッチャーの多くが思ったのではないか。
もっともそんな中でも、わずかにタイトルを取っている選手はいるのだ。
上杉は故障したことがあるし、大介もそうだ。
ただ大介の場合、故障があったにもかかわらず、積み上げていく数字である打点とホームランは、タイトルを取っていたが。
なぜか首位打者のタイトルを取れなかった。
おそらく全米の新聞記者は困っている。
ア・リーグのサイ・ヤング賞は直史でいいだろう。
だがナ・リーグのサイ・ヤング賞は上杉ではなくていいのか。
途中で移籍してきたので、四ヶ月の成績はア・リーグでのもの。
だが最初からナ・リーグにいたならば、直史と競合することもなく、クローザーながらサイ・ヤング賞を取っていただろう。
なにせ今年まだ防御率が0のピッチャーは、二人しかいないのだ。
防御率0のピッチャーが二人もいるのはおかしいという指摘をしてはいけない。
上杉自身には、そういったタイトルへの執着はない。
ただおそらく、最多セーブのタイトルで、困ったことにはなる。
ア・リーグにいたころの上杉のセーブ数は、おそらくシーズン終盤で抜かされる。
しかしナ・リーグに移籍してからのセーブ数はどう計算したらいいのか。
どのみち特別賞を作るしかないか、とは思われているだろう。
ちなみに記録と言うなら、直史も偉大な記録を既に達成している。
MLBはこれまで、規定投球回に達しながら全勝であったピッチャーというのはいない。
だが直史は163イニングを大きく上回る、202イニングを既に記録している。
そして22勝0敗。
ここで残りのシーズンを全部放棄しても、素晴らしい成績なのだ。
そもそも自責点が0という時点で、頭がおかしいのだが。
また大介も、規定打席には到達している。
現時点で打率は0.417なので、ここから全休すれば、去年の自分の記録を上回ることが出来る。
おそらく打点もホームランも、既にこの時点で追いつかれることはない。
もはや自分自身しか、競争相手がいない。
ただ大介の場合は、あと少しだけ頑張れば記録を更新できる。
その記録とは、一シーズンあたりの四球記録だ。
既に敬遠数は、過去の記録を更新していた。
八月下旬のこの時期に、既に更新していたのだ。
そこからまだ、フォアボールの数は増えてくるだろう。
そして歩いて、盗塁をして、どうにもならない場面では打っていく。
正直なところ記録を言うならば、去年が最大のチャンスだったのだ。
なぜならまだ、大介の危険性が認識されていなかったから。
去年の大介は最終的に、205個のフォアボールと、86個の申告敬遠があった。
だが今年は227個のフォアボールと、126個の申告敬遠を記録している。
あの事件がなければ、どれだけ記録が伸びていたか。
少なくともホームラン数は、80本に到達していただろう。
個人の記録だけではなく、チームの記録も更新がかかっている。
特に20連勝をしたメトロズは、MLBの記録である116勝の更新が期待されている。
これまでと同じペースで勝っていれば、充分に更新は出来る勝率。
アナハイムの方は、それに比べるとやや微妙か。
やはりエースピッチャーも大事だが、守護神のクローザーも大事だ。
何度か指摘もされているように、直史が優れているのは完投によって、事実上のリリーフの役目まで果たしているからだ。
22勝している直史だが、これを六回までの先発と、それ以降のセットアッパーとクローザーに換算してみる。
22勝44ホールド22セーブ。
化け物以外の何者でもない。
リリーフ機会66回全て成功。
絶対に化け物以外の何者でもない。
ジュニアが早々に炎上した試合は、確かにかなりの点を取られていた。
だがその試合、メトロズも四点だけと、普段よりは得点が少なかったのだ。
その後の三試合では、六点以上の得点。
一日を移動日として、次はサンフランシスコからセントルイスに移動するメトロズである。
アウェイでのゲームが続くが、この時点で90勝に到達。
メトロズのスタイルは、基本的に攻撃的な野球だ。
投手陣も悪くはないが、時々崩れることもあるし、それなりには点を取られる。
だが取られた以上に、点を取り返すのだ。
基本的に野球の試合は、点の取り合いの方が面白い。
完全にピッチャーが支配する、パーフェクトに近いような試合は、それはそれで面白いが。
大介との勝負を必要以上に避けても、後続に打たれた時のダメージが大きいと、統計でも分かっている。
それでも大介はある程度勝負を避けられるのだが、やはり後ろにも強打者がいると、そこそこ得点の機会は多くなる。
満塁でも敬遠、というのはなかなかない。
大介の前にはランナーを貯めないように、全チームが注意しているからだ。
そんな大介を中心とした攻撃的な打線に、最後は上杉が控えている。
リードして最終回に突入すれば、負ける展開がない。
圧倒的な破壊力と支配力。
これを兼ね備えたメトロズは、本当に史上最強なのかもしれない。
それを証明するためには、とりあえず116勝を塗り替えるべきだろう。
これまでの勝率を考えれば、それも目に見えている。
なお最近、上杉は機嫌がいい。
理由は簡単で、ボストンの住居を引き払った明日美が、娘とともにニューヨークにやってきたからだ。
機嫌がいい上杉なぞ、恐怖以外の何者でもない。
笑いながら蹂躙するというのは、とても攻撃的なことである。
ただでさえ上杉の表情は、くっきりと野太いのだから。
ちなみに大介も機嫌はいい。
明日美がこちらに来た事で、ツインズの機嫌もよくなっているからだ。
嫁が機嫌がいいと、多数決で白石家の雰囲気は良くなる。
大介としては相変わらず、フォアボール記録の達成も間近で、苛立つこともあるのだが。
「ところで白石は、家族の写真とかは持っていないのか?」
「お守り代わりに持ってますよ、ほら」
「ほう、なるほどなるほど」
そう言って上杉も見せてくれるのだが、息子たちは上杉に似ていて、娘は明日美に似ていた。
まあこの二人の子供ともなれば、どちらもフィジカルエリートの可能性は高くなるのだが。
「娘さん、奥さんに似てよかったですね」
「皆そう言うな!」
がははと豪快に笑う上杉は、やはり貫禄がある。
今度の対戦相手であるセントルイスは、現在ナ・リーグの二位となっている。
ポストシーズンに入れば、対戦する可能性が高い相手だ。
それを相手に、メトロズはいつものごとく、全力で打撃で叩きにいく。
この間炎上して負けてしまったジュニアのローテも回ってくるので、その時にもしっかりと援護してやらなければいけない。
味方打線が打っていくと、ピッチャーも悠々と投げることが出来るのだ。
精神的な負荷が、あまりない状態でプレイすること。
それは肉体的な負荷も、かなり軽減してくれるはずだ。
ポストシーズンまで、あと一ヶ月と少し。
大介にとっては、そしてメトロズにとっても、連覇がかかったポストシーズンとなる。
この戦力で達成出来ないなら、いったいどうやったらいいのか。
先発にスーパーエースはいなくても、勝ち星はとんでもない数を積んでいる。
すさまじく強かった去年よりも、さらに選手層、つまるところはクローザーが強化されている。
本当にもう、これに勝てるチームなど、どれだけの選手を集めなければいけないのか。
ファンの間からさえそんな声が出てくる、メトロズの黄金期であった。
怪我だけには気をつけろと、FMなども口を酸っぱくする。
この状態を保ったままで、ポストシーズンに入りたい。
それがかなえば、もう優勝も目前であろう。
フラグはどんどん立っていくが、これが逆フラグになる可能性は、とても低いと見ている大介であった。
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