第34話 雷
※ 本日もAL編34話が出来事の順番としては先になっております。
×××
トレードデッドライン。
七月末日のその日まで、試合後のメトロズのロッカールームはそれなりに話題となっていた。
だがなかなか、最後の発表はない。
帰宅してからようやく連絡されて、さすがの大介も腰を抜かしそうになった。
だがよく考えてみれば、これはこれでありなのだろう。
上杉は今年一年間の、レンタル移籍。
来年にはまた日本に戻るため、ボストンが所持し続けることはない。
主力数人の故障離脱により、ポストシーズンを狙うのも難しいこの状況。
そしてメトロズはポストシーズンのその先の、21世紀になって初の連覇のために、クローザーを必要としていた。
メトロズは若手の有力選手と、リリーフピッチャーを一枚ボストンに差し出して、そして上杉を得た。
この上杉の補強により、メトロズのリリーフ陣は一気に強いものとなる。
いや強いとかどうとか、そんなレベルで表現していいものか。
3~4年後の戦力になりそうなプロスペクトを三人ほど持っていかれたが、今年優勝するためには、確かに必要な補強だ。
驚いている大介へ、チームメイトからメッセージが入ってくる。
大介は上杉と、日本時代に同じチームだったことはないのか、という問い合わせが一番多い。
MLBの人間には理解出来ないのだろうが、NPBでは主力選手の移籍はそうそうあるものではない。
そもそもFA権獲得の条件が、NLBよりずっと厳しい。
負けるためにあるようなチームが多いMLBと、NPBは違うのである。
そうは言ってもNPBにも、毎年のように最下位争いをしているチームはあるのだが。
MLBの歴史を見れば、年間に一度もセーブ機会を失敗しなったというケースはないでもない。
だが上杉はまだ、一点も取られていないのだ。
直史は自責点ではないが、一点は取られた。
しかし上杉は回の途中からランナーを背負った状況で登板しても、一点も取られていない。
なぜなら三振を奪えるからだ。
メトロズがこのタイミングで上杉を獲得したのは、完全にこれ以上ないというものであった。
なぜなら八月の初日からは、メトロズはラッキーズとの間にサブウェイシリーズが開催される。
同じニューヨークのチームであり、そして人気や歴史は長いラッキーズ。
MLBの中でも一番の人気を誇るが、それに対して投げるのが、宿敵ボストンでここまで投げてきた上杉。
ラッキーズはポストシーズンに上杉と対決しないように、必死でボストンとの差をつけてきた。
その中では故意か事故かはともかく、ボストンの選手がクロスプレイで故障離脱したこともある。
そんなわけで無理に今年のポストシーズンを狙わず、故障者の回復を待ち、上杉で獲得したプロスペクトを育成する。
来年以降を見極めた、ボストンのフロント陣であったのだ。
対するラッキーズは今年もポストシーズン進出、そしてヒューストンを破ってのワールドシリーズ進出を見越して、オフに補強を行っていた。
それはまあ、西地区のアナハイムのせいで、とてもかないそうにないのだが。
メトロズとしてはプロスペクトを放出はしたものの、大介をその成績に比べたら格安で使えているため、今年も優勝を狙っていける。
三年契約であるが、実際のところはもう少し長めの契約を結びたかった。
この三年間で、何度ワールドチャンピオンを狙っていけるか。
オーナーもGMも素晴らしいチャンスに巡り合ったと思っていたのだが、海の向こうからはもう一つの核弾頭がやってきた。
直史がまさか、あそこまで支配的なピッチャーであったとは。
大介と契約をするにあたって、その実績は調べたのだ。
その中で唯一、大介と真正面から勝負しながらも、ほとんど負けていないピッチャーがいた。
もう少し詳しく調べてみたら、パーフェクトやマダックスを複数回する、頭のおかしな存在であった。
ただしプロ入りが遅く、ポスティングなりFA移籍なりも、だいぶ先のことにはなりそうだった。
なのでそのポスティングが発表された時は、確かに驚いたのだ。
獲得するかどうか、メトロズでも話題にはなった。
体格的にアベレージヒッターがせいぜいだと思われていた大介が、大活躍というどころではない活躍をしたからである。
しかしなんだかんだ言って大介は、日本での九年間の実績があった。
それに比べると直史は、日本でまだ2シーズン投げただけ。
体格もそうだがその線の細さも、敬遠の要因になった。
あとはアナハイムとの契約が、早々にまとまってしまったというのが、一番大きい。
エースピッチャーの価値は、レギュラーシーズンとポストシーズンでは違う。
サイ・ヤング賞が存在することもあるが、基本的にピッチャーはシーズンMVPを取ることは少ない。
だがワールドシリーズのMVPは、それなりに取っている。
このままではワールドシリーズで、アナハイムに勝つことは難しいのではないか。
直接対決がないだけに、実際にどんな感触なのかは分からない。
だがあれだけのマダックスやパーフェクトを残しているのは、明らかに異常だ。
幸いと言うべきか、チームとしては七月の末に、四連敗を喫していた。
直史以外のピッチャーを打てば、勝てなくはないのだ。
そして直史と同レベルのピッチャーが、メトロズに合流する。
八月一日、前日までアナハイムにいた上杉は、疲れた様子も見せず、メトロズのロッカールームに現れた。
身長は190cmで体重は100kgと、MLBの巨漢たちの中に入っても、見劣りはしない。
大介や直史が、小柄だったり細かったりするのとは反対の、目に見て分かる威圧感。
身長は2mぐらい、体重もかなりプラスして見せるたけの、圧倒的な存在感があった。
NPBにおいても上杉は、西郷ほどではないが肉体の厚みはあった。
そしてピッチャーでありながら、少ない打席の機会に、毎年五本以上はホームランも打っていた。
いっそのこと二刀流でもしてもらえばいいのではないか。
大介はそう思ったりもする。はっきり言って日本時代を思い出せば、パワーピッチャー相手には負けないスイングをするだろう。
だが上杉はクローザーだ。
「奇妙なことになったな」
上杉は大介に話しかける。高校時代には対決することなく、プロでは最も有名な対戦。
何度となく名勝負を演出し、かなり上杉の方が勝った回数は多い。
それでもチーム力の差で、ライガースの方が優位である場合が多かったが。
「オールスター以来ですか」
「ただ、シーズンでお前にバックを守ってもらいたいな、と思ったことはないでもない」
上杉の奪三振能力を考えれば、守備力はそれほど影響はないであろうに。
怪物に見えない怪物と、明らかに見た目で分かる怪物。
日本語で話しているため、その内容が分からないのが、周囲の選手はもどかしい。
「奥さんもこちらに?」
「近日中にはな。さすがに話が急すぎた」
「来てくれるなら、うちの嫁たちが喜びます」
「うちのもだ。なんだかんだ言って、子供たちは日本にいるしな」
「あれ? でも三人目生まれてましたよね?」
「今は四人目がお腹にいてなあ」
「何人作るつもりですか」
「いや、それこそお前のところは二人もいるんだから、野球チームが作れるぐらい産んでもらえばいいだろう」
「いやいや、さすがにそれは」
なんだか野球の話ではなく、世間話になっていた。
ただそうやって笑った後、上杉は凄みのある表情に変化する。
「ワシがいても佐藤に勝てないなら、もう二度と勝てんかもしれんぞ。少なくともチームとしては」
「ですよねー」
上杉は本気で言っている。
そして上杉自身、自分ひとりの力では、直史に勝てないと思っている。
大介と違って直史はプロ入り後が遅く、上杉との本格的な対決は、数えるほどしかない。
エキシビションマッチや代表内紅白戦を除けば、公式戦では二回だけである。
一度はお互いが、一人のランナーも許さないという、世界史上最高にして最悪の投手戦となった。
二度目は上杉が途中で降板したため、一応直史の判定勝ちといっていい。
来年は日本に戻る上杉は、これが最後の対決の機会となるかもしれない。
「上杉さんはどのくらい事情を知ってるんですか?」
「おおよそ知っていると思うぞ」
セイバーの長い手は、ライガースにレックス、そしてスターズからボストン、アナハイム、メトロズと広い範囲に及んでいるらしい。
そして上杉をメトロズに送ったのは、おそらくそれでようやく、両チームの戦力が釣りあうと考えたのか。
確かにリーグが違うとは言え、アナハイムの投手力は恐ろしい。
だが大介が打てないほど、支配的なピッチャーはいないと思うのだ。
直史を除いては。
「ワールドシリーズ、3-3で七戦目になれば、ワシが投げるぞ」
「いいんですか?」
「ただなあ。やっぱりまだ、全盛期に比べれば、ボールが行かんのだ」
「ええ~」
30セーブを軽く超えて、無失点のクローザーが、なおその評価であるのか。
ただアナハイムと対戦したとき、上杉は二イニングを投げていた。
それによってようやく、直史の投げた試合は全て勝つ、というアナハイムのパターンを崩したのだ。
元々上杉は、直史のような絶滅危惧種、先発完投型であった。
ピッチングの内容は、かなりの差があるが。
長いイニングを投げるより、短いイニングをというのは、医者の判断である。
しかし本人はやはり、先発して完投したいのだ。
「とりあえず今日は、ラッキーズ戦ですけど」
「あいつら、なかなか出番がなかったからな。一点でいいから勝ってる状況で持ってこい」
めちゃくちゃ頼りがいがある。
そうか、上杉と同じチームというのは、こんな感じになるのか。
確かに国際大会では、同じチームになっていたことがある。
オールスターでは奪三振を記録しまくる中で、大介は決勝打をぽんぽんと打っていた。
しかしこれは、お祭り騒ぎではない。
チームとして、シーズンを戦っていく。
そうするとこんな感覚であるのか。
(でもこれ、こっちが勝たないとおかしいぞ)
大介としては、上杉を打てるバッターが、アナハイムにいるとは思えない。
ホームランダービーで争ったターナーや、坂本のような油断出来ない曲者もいるが、それでも上杉とは役者が違うと思うのだ。
もちろん勝つためには、直史を打たなければいけない。
ただこの選手層であるなら、さすがに消耗させた直史を打てるとは思うのだ。
もし、これでも勝てなかったら。
来年は何をどうすれば、勝てるようになるのだろう。
大介はまだ、セイバーの暗躍を知らない。
ラッキーズとのサブウェイシリーズは、まずメトロズホームで二戦を行い、次にラッキーズホームで二戦を行う。
ア・リーグ東地区首位のラッキーズと、ナ・リーグ東地区首位のメトロズ。
近年これほど充実したサブウェイシリーズはないだろう。
戦力的にも、勝率はメトロズが抜けているが、ラッキーズも負けてはいない。
だがそれも、上杉がトレードで来るまでの話であった。
うわあ……という雰囲気が、スタジアムに満ちている。
勝負を避けられまくった大介が、勝負しているフリのボール球を打って、勝ち越し点を記録。
そして5-4の一点差で、九回を迎える。
同じニューヨークなので、ラッキーズファンもそれなりに観戦に来ている。
だが上杉の名前がコールされると、そこでもうお通夜の雰囲気になる。
ああ、上杉が味方だとこうなるんだなあ、とまたも大介は感じていた。
圧倒的な安心感というか、なんだろうかこれは。
試合中であるのに、母体の胎内に包まれているような、この安住感。いや、もちろんそんな記録はないのだが。
(あれだな、生でガチにセックスしてる感じに似てるな)
ひどい感想を抱く大介であった。
ただ他のメトロズの選手も、上杉の背中を守るということの意味を、はっきりと認識した。
MLBで多くのパワーピッチャーの球を受けているキャッチャーが、それでも痛みを訴えていたりはしたが。
ブルペンでは軽く投げていたので、どうやら分からなかったらしい。
104マイルの表示が出ると、スタンドは盛り上がる。
直史はなんだかんだ言いながら、打たせるピッチャーであった。
計算して配球し、内野フライや内野ゴロがそれなりに多かった。
それでいていざという時には、三振を奪っていく。
その瞬間の背中には、ピッチャーとはこういうものだ、と見せ付ける気配があった。
上杉の背中も、それに近いものがある。
孤独な存在と言うよりは、絶対的な王とでもいう存在。
その背中を守ることは、ある種の喜悦さえ感じる。
もっともボールが飛んでくることは、滅多にないのだが。
サブウェイシリーズの第一戦と第二戦、やってきたばかりの上杉は、共に一点差の九回にマウンドに登った。
そしてそこから、ランナーを一人も出さなかった。
九回を迎えた時点で、勝っていれば終わり。
まさにこれこそが、絶対的な守護神の仕事だ。
「つーかまだランナーも出てないんですけど?」
呆れたように大介は言うが、呆れているのはメトロズの他のメンバーも同じである。
大介はなんだかんだ言って、一匹狼的な素質がある。
だが上杉は同じ狼でも、群れを率いるようなカリスマを持っている。
舞台をラッキースタジアムに移した第三戦は、メトロズの打線が爆発。
大介も久しぶりに、一試合に複数本のホームランを打てて、上杉の出番はなかった。
しかし翌日、ニューヨークはともかく、全米的に言えば、話題はまたも西海岸のことで一色になっていた。
第四戦を控えた、メトロズ側のロッカールーム。
誰が買ってきたのかは知らないが、一面になっているのはアナハイムのユニフォームを着たピッチャー。
「これは、ワシには出来んな」
上杉でもそれを認めるのは、直史のパーフェクト達成の記事である。
ただ上杉が出来ないと言ったのは、パーフェクトのことではない。
このパーフェクトの内容のことだ。
昨日の試合の帰宅後に、わずかにリアルタイムで見ることは出来た。
オークランドとアナハイムの試合だ。
アナハイムは移籍前の上杉にやられて、ボストン相手に四連敗。
そしてピッチャーの弱いところに当たったこともあるが、オークランドの敗北して、今季初の五連敗となる。
別に大介は、アナハイムが負けたところで、メトロズが勝つわけではないとは分かっている。
ただ勝率で上回れば、ホームでのアドバンテージが取れる。
だから見ていたのだが、終盤の直史は無茶苦茶なことをしていた。
「一応最後当たりは見てましたけど、本気で投げてましたからねえ」
「いつもは本気じゃないのか?」
「う~ん……何を目標としての本気か、というのが違うんですよ」
大介は高校時代の直史を知っている。
勝てる試合では投げない。それが直史の基本方針。
勝たなければいけない試合で、直史は投げるのだ。
だから二年の夏以降、直史自身は負けがない。
ローテを回す用の本気と、単なるシーズンの一試合ではない試合の本気では、その力の入れ具合が違う。
具体的には昨日の試合は、ストレートのスピードが平均で、普段よりも1~2マイル速かった。
見直したところ、序盤から大きなカーブを使っていた。
その結果が18奪三振である。
直史はグラウンドボールピッチャーだ。それは間違いない。
だが三振を奪えないピッチャーでもないのだ。
「77球では、そうそう疲労もしておらんか」
「いや~、球数はあんまり関係ないと思いますよ」
事実直史は、体力ではなく精神的な緊張感が途切れて、失神したりすることがある。
あれは心臓に悪いので、どうにかやめてほしいものだ。
上杉にとっては直史の、最終的に勝てばいいのだ、という本気は価値観が違うのだろう。
だから上杉は本気で投げすぎ、故障したのだと言えなくもない。
直史は上手く抜きながら、本気で投げることが出来る。
統計的にちゃんと試合に勝つなら、それは力が全力でなくても、本気であることは間違いないのだ。
ローテを回す用の本気と、勝負どころになる試合での本気と、ポストシーズンでの本気と、優勝を決める試合での本気。
それぞれに違いがあるところが、直史の本気のややこしいところである。
デビュー戦で記録を残したのは、自分にとって重要な一戦だと理解していたがゆえの本気。
ただオークランドは二度もパーフェクトを食らっているので、おそらくもう今季は立ち直れないと思う。
「ややこしいやつだな」
上杉はなんだかんだ言って、直史と接触することはそれほど多くない。
ただ妻の関係である程度、瑞希とのつながりはある。
「けっこう上杉さんに似てるところもありますけどね」
「ほう?」
「絶対に大丈夫だと、味方に思わせるところとかです」
「それは楽しみだな」
実際、直史も上杉も長男気質。
何かに対する責任の持ち方は、似ているところはあるのだろう。
サブウェイシリーズは、下手に大介と勝負してしまったということもあり、メトロズの四連勝で終わりを告げた。
上杉は三セーブを記録し、完全にセーブ数ではトップ。
メトロズの弱かったリリーフ陣は、完全に補強されたと言っていいだろう。
(でもこの絵図面を描いたセイバーさんとしては、こうでもしないとワールドシリーズでは勝負にならないと思ったんだろうな)
それを洞察している大介としては、少しならず複雑な気持ちにもなる。
レギュラーシーズンは残り二ヶ月、60試合を切っている。
大介の記録も楽しみであるが、おそらくMLBファンは今年、歴史に残る熱戦を目撃することになる。
(まあ怪我だけは心配だけどな)
そう思いながらも、またホームランを打っていく大介。
いつの間にかそのホームラン数は、二試合に一本の割合を超えているようになっていた。
×××
※ 本日群雄伝を投下しています。先行公開版とはやや変わっています。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます