第26話 調整中
※ 話の展開的にAL編26話が先となります。
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大介が直史に明確に優っているところは、それなりにある。
中でも顕著なのは、体力であろう。
体力お化けと言われたのは、日本時代から変わらない。
怪我による離脱がないわけではなかったが、九年間のうち七年間は全試合に出場。
甲子園が使いづらい夏場でも、特にそれが原因で成績を落とすことはない。
それは去年、海を渡ってきたこのMLBというリーグでも同じことであった。
屈強なメジャーリーガーといえども、年に数日はスタメンを外れるのが、MLBの常識である。
休養を取るという意味もあるし、予備戦力を試すという意味もある。
だが大介は九月まで平然とプレイしていたし、あの事件がなければずっと、フル出場を続けていたはずだ。
体が小さいということは、いいこともある。
食事をしっかりと摂取しておけば、体の大きいやつよりも、消耗は少ないのだ。
また腱や靭帯、軟骨などにかかる負荷もへる。
そういう点では大介は、長いレギュラーシーズンを戦うのには向いているのだ。
六月最後の試合では、ベアーズからホームランを打っている大介。
七月最初のこの試合にも、一本のホームランを打っていた。
しかしその第一戦と同じくこの第二戦も、チーム自体は負けている。
オットーが離脱したことが、そろそろ投手陣全体へのダメージとなってきた。
ただし首脳陣はここのところピッチャーを無理に回そうとはせず、とにかく勝ちパターンでないピッチャーには、イニングを食ってもらうピッチングをさせる。
55勝23敗と、六月の時点で既に、チームはもう優勝するような勝率を誇っているのだ。
ただ順調に回復しているオットーが戻ってきたとしても、やはり投手陣は補強の必要があるだろう。
リリーフ陣はあと一枚、出来れば二枚強力なピッチャーがほしい。
おそらくもう、対象となる選手はある程度選んでいるのだろう。
あとは相手チームが、その選手を出すつもりがあるかどうか。
もしもポストシーズン進出を考えているなら、交渉は難航する。
主力が故障して絶望となれば、放出も考えるチームは多いだろうが。
そんなことを考えながらも、今日の大介はインタビューもそこそこに、マンションへの帰路についた。
気になるのはボストンで、直史がどう投げたかだ。
大介もオープン戦で一度経験したが、はっきり言って日本人の美意識には受け入れがたいものであった。
ただああいった歪なところを、なぜかアメリカ人はありがたがる。
元は野原でやっていたという、原始のベースボールの精神が、受け継がれているのだとか。
このあたりアメリカの合理精神と、伝統へのコンプレックスが混在していて、文化的には面白いのだろう。
マンションに戻ると、しっかりとツインズが準備を完了していた。
食事に飲み物、全てリアルタイムで追いかけるために、早送りなどもしない。
子供たちは既にベッドでスヤスヤと眠り、音量はそこそこ絞って試合を見始める。
一回の表にアナハイムは、先取点は取れなかった。
そしてその裏から、直史のピッチングが始まる。
大介がふと思ったのは、直史が味方にいると、バッターの成績はやや伸びにくくなるかもな、というものであった。
特に打点やホームランなどの、積み重ねる数字がだ。
なぜならホームで試合をして直史が先発をした場合、九回の裏が回ってこない可能性が極めて高い。
パソコンで調べてみたら、実際に九回の裏に一点をとってようやく決勝点という試合が一度ある以外は、全て九回の裏がない。
シーズンを通してみれば、数打席は機会が減っているだろう。
今日の直史は、前の試合を引きずっていないように見える。
一回の裏にはコーナーを突くピッチングをして、どうやら上手く審判を騙したらしい。
「あれやられると辛いんだよなあ」
大介としてもやはり、ゾーンの四隅のボールは打ちにくい。
そのゾーンがボール半分ほども広がれば、本来なら打てるはずであるのに、わずかに苛立ってくる。
バッターが審判に不服そうな表情を浮かべることには、ほとんど有利なことはない。
大介の場合など明らかに、ボール半個分はゾーンが広くなることがある。
そしてだいたいネットなどで、審判は人種差別主義者だと騒がれる。
大介としては審判が公平ではないとは思うが、そこに人種問題が出てくるのが、なんともアメリカと言おうか。
単純に大介の打撃が突出しすぎて、審判たちも困っているのだ。
バッティング以外の走塁などで、そうそう変な判定を食らったことはない。
ただ、直史は逆の扱いを受けていることが多い。
審判を上手く味方につけているのだ。
坂本のフレーミング技術が高いこともあるが、直史は全く同じコースに同じボールを投げ込むことが出来る。
すると後からの検証もしやすく、明らかにストライクをボールと宣告されていると、かなりの問題になった。
そういった批難が高まってくると、審判の判断もコントロールがいいはずの直史よりになる。
また直史の場合は、一般的なメジャーリーガーと違って、完全なインテリだということも関係する。
アメリカの有色人種の中の野球好きは、大介や直史のことが大好きだ。
どちらも今までに、ありえなかったことをしている。
なので審判の単なる誤審が、もっと大きな問題になってしまう。
ただ大介はボール球でも平気で打っているので、微妙に審判の判定が辛いのは仕方がないとも思っている。
届くなら打つ。
それが大介の基準なのだ。
直史の場合はフロントドアやバックドアのボールで、上手くゾーンに入れてくる。
審判など根本的に信じていないと、高校時代から言っていた。
なので今の、ゾーンで勝負するスタイルを確立した。
ボール球を投げるのは、バッターに振らせる時である。
ただここまで圧倒的なピッチングを続けていると、そのうちバッターがスイングをしていてもボールなどと審判が宣告して、FMがブチ切れることがあるのではないか。
直史自身は審判には、何も期待していない。
それは高校時代の判定から、ずっと変わっていないそうだ。
なので誤審をされても、それに怒りを出すこともない。
ストライクをボールと判定されることは、ピッチャーにとっては腹立たしいことであるのは間違いない。
特に直史のようなコントロールで勝負するピッチャーは、自分のアイデンティティに関わるとさえ思える。
だが実際に直史が言うのは、そんなことよりも大切なのは、誤審によって自分の集中力に波が立ってしまうこと。
フォアボールを出す前に、ボールカウントスリーまでに片付けてしまえばいいのだ。
この間の幻のホームランなどが、直史の集中力が乱れた好例だ。
本来ならホームランが取り消しになってよかったはずなのに、ピッチャーは悪い判定でもいい判定でも、動揺してしまうことはあるのだ。
重要なのはフラットであること。
この間の、ついに一点を取られた試合から、この試合までにどう立て直しているか。
それが気になっていたのだが、全く問題はなさそうだ。
とにかくゴロを打たせるという、基本に戻ったような配球。
それで内野安打は出たが、アナハイムは先制点。
するとここからは、直史のピッチングの幅が広がる。
フライを打たせても、スタンドまでは届かせないというスタイル。
ゴロとフライ。この組み合わせによって、ピッチングのコンビネーションは広がる。
「なんか全然影響受けてないよな」
「受けてるよ?」
「タイミング外し、あんまり使ってない」
大介にはあまり通用しないが、直史がバッターのタイミングを外すため、あえてピッチングのフォームを変える。
それを今日の試合では使っていないのだ。
初心に戻ったような、基本的な配球と駆け引き。
メカニックから相手を騙すような、高度なことまではしていない。
おそらくピッチングもバッティングも、その極意などというものはないのだろう。
その日その日によって調子が変わり、その微調整をどれだけしていくか。
プロになると本格的に鍛えるなど、レギュラーシーズンに入ればとても無理になる。
それでも今はまだ、ピッチャーとの対戦経験を積み、オフシーズンにトレーニングをすることによって、伸び代はあると感じている。
直史の場合は、おそらく既に極まっている。
極まっているところから、その技術をどう選択していくかが、直史の彼なりの伸び代だと思う。
そしてそれに対して、自分はまだ対抗で来ていない。
あれがピッチャーの、一つの到達点ではあるのだろう。
調子が良くて調整もつけば、81球以内でパーフェクトを達成してしまう。
いざという時には三振も奪える、グラウンドボールピッチャー。
ただ到達点というのは、一つだけではないとも思う。
バッターとピッチャーでは、同じ野球の選手でも、到達点が違うように。
試合を見ているが、本当に直史に隙がない。
点差が二点になってからは、フライか三振でアウトを取ることが、やや多くなった。
現代のMLBでは、基本的にフライを打たせるよりも、ゴロを打たせるほうがピッチャーとしての価値は高い。
基本的にはと言うのは、例外がいくらでも存在するからだ。
フライがホームランになることはあっても、ゴロがホームランになることはない。
そういう理屈であるらしいが、大介はこれだけのホームランバッターでありながら、この理屈には懐疑的だ。
ゴロでもランニングホームランはあるであろうに。
今は高校野球でさえ、変にセイバーにかぶれてフルスイングなどとやっているが、それはあくまでも体がちゃんと出来ている選手のための理屈。
小柄な選手、俊足の選手、長打を打てない選手は、転がしてどうにかすることも、ちゃんと一つの手段ではある。
もっとも大介は、その小柄な選手なのだが。
統計を取ったらこれこれだから、全てにこれを当てはめよう、などというのが乱暴な話なのだ。
まさか直史に向かって、95マイル程度しか投げられないから一流ではない、などとは言えないだろう。
この試合でもついに、八回まで無失点で投げてきた。
球数は充分に完投ペースである。
「あれ? 上杉さんブルペン行ってね?」
「いるみたい」
「投げてるみたい」
わずかにカメラが、その投げている様子を映した。
上杉はクローザーだ。
だから負けている試合では、しかも三点も点差があれば、出番などないはずだ。
まさか直史が、ここから三点も取られるなど、同じNPBの選手であれば、思いもよらないだろうに。
それでもブルペンに移動し、しかも肩を作り始めている。
ピッチャーの肩肘は消耗品という考えのMLBで、よくもまあこんなことが許されるものだ。
だがこの意図はなんなのか。
「ナオにプレッシャーかけようとしても無駄だよな?」
「無駄だね」
「無駄無駄無駄」
そんなパンチをラッシュしそうなことは言わなくてもいい。
「じゃあなんでだ?」
「守備にプレッシャーかけるわけでもないだろうし、バッターの奮起を促す?」
「根性で打てたら技術はいらないと思う」
実際のところ大介は、根性を否定するわけではないが、ここはツインズの言うとおりだろう。
問題なく直史が八回の裏を抑え、そして九回の表に上杉が出てきた。
今日はもう見れないだろうと思っていたお客さんは、確かに大喜びだろう。
そして単にブルペンで準備するだけではなく、実際にマウンドに立ったことで、大介も意味が分かった。
この試合ボストンは直史から、ぼてぼての単打を二本しか打てていない。
しかもそのうちの一つは、大介だったらアウトに出来ていただろう内野ゴロだ。
三連戦のカードの初戦をそこまで抑えられて、チームの士気はどうなるか。
残る二戦をしっかりと戦うために、ここでそのボールの威力を見せ付けるのだろう。
マウンドに立った上杉を、アナハイムは初めて体験するはずである。
ひょっとしたら国際大会か何かで、対戦した者もいるのかもしれないが。
だが大介の見る限り、完全にストレートについていけていない。
100マイルオーバーのストレートは、前には飛ばないのだ。
そして追い込んだら、105マイルを投げてくる。
これでもNPB時代の最速よりは、そこそこ落ちているというのだから尋常ではない。
追い込んだが105マイル。
一応バットには当てたが、それでも追い込んでからのボールにはついていけていない。
「チェンジアップも使わないのかよ……」
ストレートのギアチェンジだけで、アナハイムを抑え込んでしまった。
これはアナハイム打線にとって、そこそこの衝撃を与えたことになるだろう。
上杉が出てくると勝てない。
ボストンを相手にするなら、試合は八回までに決めなければいけない。
最終回で負けていたら、もうそこにチャンスはないのだ。
「大介君ぐらいだね」
「それでも厳しいね」
ツインズはそう言うが、大介の感想は違う。
オープン戦で一度対戦したが、あの時とはまださらに、球威を戻してきていると思う。
だがそれでも、大介ならば打てる。
今のままならば、アナハイムとボストンがポストシーズンで対戦した場合、おそらく勝つのはアナハイムだ。
それは直史と上杉の起用法の違いというのもあるが、純粋にボストンは故障者が出て戦力が落ちている。
上杉を一度、先発にしてもいいのではと思うが、それはあちらの考えることだ。
正直大介としても、今のように上杉が使われているならば、ポストシーズンでもボストンには勝てると思う。
試合は結局、直史が最後も三者凡退で、アナハイムの勝利。
直史は今季九度目のマダックスだ。
マダックスの通算記録は、そのマダックス自身の13度。
だがそれはキャリアを通してのもので、直史はたったの一年で、しかもまだ半分ほどしかシーズンを投げていないのに、この回数である。
実際のところは過去には、球数をスコアにつけていなかった時代もあるので、この記録がどれだけの順位かは分からない。
だが間違いなく、技巧派投手の最高の技術の発露だ。
大介はこの試合の成績が反映されるまでの、六月までの直史の成績を確認する。
ようやくフォアボールやデッドボールを出してくれたため、BB/9などの数字がやっと出てきた。
しかし一試合あたりに記録するフォアボールは、平均で0.02で、フォアボールでランナーを一人出す間に、どれだけの三振を取るかというK/BBは52.33という訳の分からない数字になっている。
普通のピッチャーであれば、フォアボールでランナーを一人出すまでに、五つも三振を奪っていれば、充分にすごいことなのだ。
直史のコントロールの規格外さが、ようやく数値になった。
実は直史の奪三振率は、MLBで残したこれまでの記録に比べると、まだしも常識的である。
ここまで10.54で、たとえばキャリア通算であっても、マックス・シャーザーやランディ・ジョンソンの方が上であり、シーズンでの成績ならノーラン・ライアンが常軌を逸した数字を残している。
またイニング数の少ないクローザーなどであると、これよりもさらに高い奪三振率のピッチャーはいて、上杉ももちろんはるかに直史を上回る。
ただフォアボールと三振の数を比較すると、とんでもない数字になるわけで。
ランナーを出さないということを考えると、そして球数を節約するということを考えると、奪三振率は評価の仕方が変わる。
直史はここまで、100球未満の完封を重ねながら、これだけの奪三振率も記録しているのだ。
やはり、ワールドシリーズで対戦するのは直史だろう。
上杉は日本に戻って、さらに記録を伸ばしていく。
将来的なことを考えると、上杉が日本に戻るのは、仕方のないことなのだ。
ワールドシリーズ七試合のうち、二回は最低でも先発してくる。
そしてそこで、大介が打てるかどうか。
メトロズもアナハイムも、毎年戦力の入れ替わりが激しい。
出来ることなら約束のあと三年、直史とは世界最大の舞台で対戦したい。
だが野球はチームスポーツなのだ。
直史がいくら勝っても、他のピッチャーで負けるなら、アナハイムがポストシーズンに進めないことはありえる。
またそれはメトロズにも同様のことが言え、いくら大介が打っても、味方のピッチャーがそれ以上に打たれれば、勝つことは出来ないのだ。
一期一会。
何度対決の機会が、回ってくるかは分からない。
だが大介は、試合後のインタビューまで見て、そして大きく息を吐く。
約束は五年であったが、対決できなかったあと一年、どうにか延ばしてくれないものだろうか。
大介がそんなことを考えるのは、とても珍しいことではあった。
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