第21話 着火

 五月末の試合はブラックソックスとのもので、六月の初日にその第三戦が終わる。

 この日も歩かされてばかりであった大介は、一打席を外角のボール球に手を出してアウト。

 ただこれで内角への球を誘い、次の打席ではホームランを打っていた。

 五打席もあって打ったホームランは一本だけだが、まともに勝負されなければ仕方がない。

 五打席四出塁というのは、本当に頭のおかしな数字である。

 

 かくて六月最初の試合で、しっかりとホームランを打った大介。

 ただここからは、また遠征となる。

 マイアミ、ピッツバーグ、ミルウォーキーと10連戦となる遠征。

 それでもちゃんと、最初に一日移動の日が休みというのはありがたいのか。

 大介はアメリカナイズされてきたわけでもないが、玄関で息子をぐるぐる振り回してから、遠征の旅に出たのであった。


 白石家は母親が二人いて、そして家で仕事をしていることで、あまり他の家庭と接触する機会がない、

 セレブはセレブなりの社会があるのだが、この二人はイリヤの死後、あまり外には出ていない。

 それでも時々イリヤの友人から、呼ばれて出て行くこともあるが。

「稼ぐ旦那がいないと駄目だね」

「男はやっぱり甲斐性だね」

 などと言いつつ二人は、大介が引退したら引退したで、ものすごく甘やかしつくす気もするのだが。


 同じマンションの住人とは、最上階のプールやその下のジム、またレストランなどでわずかに交流がある。

 基本的にセレブの住むマンションであるが、特に芸能関係などの、エンターテイメント系の人種が多いらしい。

 だが意外なことに二人の英会話は、大介とさほど変わらないぐらいの熟練度しかない。

 これは大介がチームプレイにおいて、積極的にコミュニケーションを取りたければ、通訳を待っている暇が惜しいと考えたりするからだ。


 二人が子供たちを引き連れて、本格的に出かける場合は、セイバーなどから呼ばれることが多い。

 変わったところでは偶然、こちらに遠征に来たアレクと出会ったりもした。

 アレクはツインズとは同じ学年だったので、それなりに仲が良かった。

 地球の裏側の、あまり治安の良くないところで育ったアレクは、実は相当に喧嘩にも慣れていたのだが、ツインズの危険さを察知する力も持っていた。

 ガチの喧嘩でも銃が出てくるわけではない日本の喧嘩をしていた鬼塚とは、そこが違う。


 


 大介の遠征期間中、ツインズはセイバーと会うことが多かった。

 懐かしい思い出話もすることはあるが、この三人の間に発生する話題は、未来志向のものである。

 それは主に、将来的な利益をどう出すか、というものになる。

 セイバーの計画は長期的なものであったが、もちろん何度も修正をされている。

 たとえば直史が全くプロに興味がなかったというのも、その一つである。

 まさかあんな事態になって、とは誰も思うまい。

 真琴の心臓のことを知ったときは、セイバーがもっと積極的に動くつもりであったと、今はもう聞かされていたりする。

 結果から言えば大介が動いてくれて、むしろ事態は想定より良くなったと言える。


 三人は共犯者だ。

 イリヤを失って、これまた計画は修正されたが。

 直史や大介といった、表で盛大に活躍する者がいる。

 だがそれを上手く利用して、力で強引にではなく、少しずつ誘導していく。

 去年のエキシビションマッチなども、その成果であったと言える。


 とりあえず三人は金融資産を中心に、企業投資などを中心に行っている。

 いくら表で動こうとしても、三人には男性陣のようなカリスマがない。

 芸能分野に強い影響力を持つイリヤは失われた。

 彼女のような魔女とさえ言える存在は、そうそう都合よく出てくるはずもない。

 あちらの業界はイリヤの縁から、まだそれなりのつながりは存在するのだが。


 最終的な到着点を、セイバーは決めてはいない。

 どこまでのことを自分が出来るか、それが人生の目的である。

 経済的なことを言うなら、国家や企業は常に成長を求められる。

 自由主義経済音構造的欠陥とも言えるが、そもそも人間の持つ業とも言えるのだろう。

 ツインズにとってはそこまで、深刻に考えているものではないが。


 直史と大介、この二人がアメリカの東西に分かれて、MLBを無茶苦茶にしている。

 そういった乱れた世の中でこそ、既得権益には付け入る隙があるのだ。

 アメリカの真の上流階級には、まだまだ届かない。

 極端な話セイバーの最終目的は、人類の管理であるとすら言える。

 そしてツインズはそういったことを、面倒とは思うが悪いとは思わない。

 一般大衆の集合知というものは、全く信じていないのだ。


 ただ椿の体の自由が、完全には戻っていないのも計画の修正要因だ。

 ツインズはだいたい、適当な武器さえ手に入れば、体格の違う職業軍人にも勝てたりする。

 だが今の椿はさすがに、それだけの動きは出来ない。

 こうやって妥協を繰り返しながら、セイバーは世界を裏から支配しようと、暗躍を続けていくのである。




 嫁たちが物騒なのか野心的なのか、よく分からないことをしていても、大介にはさほど関心がない。

 良くも悪くも大介は、いまだに野球少年のままの感覚でプレイしている。

 マイアミとの三連戦、大介はそこそこホームランを打った。

 三試合で二本なのだから、そこそこどころではないとも言える。

 マイアミはメトロズやアナハイムと違い、オーナーの権限は誰か一人に集中していたりはしない。

 持ち株制のオーナーであるのだが、そこからGMを通しての要望は一つ。

 金を稼げ、というものだ。


 マイアミはさほどの補強もなくシーズンに入り、序盤からかなり負けが込んでいる。

 観客も一万人に届かず、選手にも高いプレーヤーがいない。

 若手のまだ年俸調停を受けられない、三年目までの人間が多い。

 そしてFA権を得れば、ほとんどが出て行ってしまう。

 ある程度年がいって、そこそこの活躍は出来るが安い、というプレーヤーと若手との二極化。

 今季二度目の対戦カードだ。


 本当はマイアミはピッチャーに対しても、大介と勝負はしていけ、という指示を出していた。

 大介のホームランが見られるのなら、観客ももっと集まるだろうからだ。

 実際に今日の観客は一万を軽く超え、二万に近くまでなっている。

 負けるにしても大介と勝負した方が、球団としてはメリットがある。

 それはFMまでは浸透しているが、実際に投げるピッチャーにとってはたまったものではない。


 フォアボールで歩いた数は三試合で六回。

 打てば打点のつく打球になり、歩かせても走ってくる。

 去年ならば打ったボール球も、今年は見逃しすることが多い。

 これはマイアミが弱いことも関係してくる。 

 自分が打たなくても後続に任せれば、しっかりと点を取ってくれる。

 そう判断したからこその、見逃しである。


 チームも三連勝。弱いピッチャーで当たった試合も、しっかりと逆転勝ちした。

 また今季ようやく、継投ながら完封した試合が成立した。

 メトロズは本当に打撃力が優位であり、ピッチャーと守備は微妙。

 守備も悪くはないのだが、とにかくピッチャーは充分な力があると、周囲から認識されたかもしれない。

 もちろんこれでも、ピッチャーの補充は考える、GMのビーンズである。




 マイアミとの三連戦、翌日には移動して、ピッツバーグとの試合になるはずであった。

 だがここで大介は、初めての体験をする。

 雨天中止と、そこからのダブルヘッダーだ。

 去年も雨天中止自体はあったのだが、それは日程を先の試合にくっつけて、ダブルヘッダーとはならなかった。

 しかしそれは同じリーグの同地区のチームであったから調整が出来ただけで、ピッチバーグとの試合は六試合のみ。

 次の対戦の前後には、回すことは出来なかった。それに次の対戦は、メトロズ側のホームゲームになる。


 一戦目の予定日が雨で中止となり、二戦目の日に二試合を行う。

 実は日本時代も大介は、プロではダブルヘッダーを経験していない。

「やっぱ試合数多すぎじゃね?」

 大介としてはそう思ってしまう。


 なおMLBは実は、162試合が全て行われるとは限らない。

 161試合あたりが終わった時点で、雨天などで日程の都合がつかず、そして順位の変動もないとなると、もう残りの一試合が行われなかったりするのだ。

 それでは個人の記録などが、どうしても公平ではないと思われるかもしれないが、そこはアメリカの理屈が働く。

 野球はチームスポーツであるから、個人の記録は二の次三の次という理屈だ。


 もちろん順位を確定させることは、ドラフトの指名順位にも関係するので、そういう場合の試合は順延しても行われる。

 だがそういったこともなければ、本当に試合が行われないのだ。

 ただ実際に大介がまたホームラン記録を更新しそうになり、162試合目が行われないとなれば、さすがに試合にはなるだろうなと思われている。

 もっともポストシーズンがずれこむようなことになって、それで順位が変わらないのなら、やはり行われない可能性はある。


 アメリカは個人主義で、個人のスタッツを重視する査定をするが、ここで持ち出すのがチームスポーツという理屈。

 報復死球などの件も含めて、明らかに日本人とは思考が違う。

 もっともシーズン終盤の162試合目というのは、確かにポストシーズンに影響を与える可能性がある。

 なので仕方のないことなのかな、とそこは思わないでもない。

 ただこれが大介の場合に本当に発生したら、人種差別問題とかにまで発展しかねないのが、アメリカという社会だ。

 合理、公平、このあたりを重んじるくせに、妙なところで現実的。その現実的な本音を隠すために、チームプレイという言葉を使う。

 大介などは首を傾げるが、実際にそうなっているものは仕方がない。




 なおこのピッツバーグとの三連戦は、大介に珍しい役割が回ってきた。

 第一戦も第二戦も、試合自体はメトロズ側の圧勝であった。

 なにしろ今年のピッツバーグは、マイアミと同じように弱かったのだ。

 しかしそうなるとメトロズとしては、第三戦以降のためにも、リリーフ陣にあまり投げさせたくはない。

 ここで日本でも問題になった、野手のリリーフというのが発生する。

 そして第二戦、リードした試合の終盤に、大介はマウンドに登った。


 ショートとして不動の地位の大介であるが、それは逆に言うとショートのためのサブメンバーが、全く試合に出ていないということ。

 あまりにも出場機会がないのは、大介が故障でもしたときに、困ったことになる。

 もちろんそういう時は、マイナーの選手を引き上げてきてもいい。

 だがショートを守る選手は、他のポジションのサブも同時に務められることが多い。

 なので大介はマウンドに立ち、ショートを他に譲ることになった。


 高校時代に練習試合と、一年の秋ぐらいには少し、ピッチャーでマウンドに立ったこともある。

 だが二年になってからは、武史やアレク、鬼塚といった本職が増えたため、もうピッチャーをやることはなくなった。

 ただ球速を測る程度のことは、それ以降もやっていた。

 MLBでも試しに、計測したことはある。 

 だがこれは公式戦だ。


「しかしまあ、本当にこんなことがあるんだなあ」

 大介はそう呟いたが、別にプレッシャーがあるわけではない。

 だがコントロールはアバウトに、高めか低め、内か外の二分割程度にしかならない。

 MLBのピッチャーのコントロールとしては、さすがにお粗末なはずである。


 そして投げた大介のボールは、95マイルが出た。

 直史よりも速い。

 後にこれを知って、直史はひそかに落ち込んだりもするが、投球練習はしなくても、遠投などで肩は鍛えていた大介である。

 これを見て「ピッチャーも出来るんじゃないか?」などと思った視聴者もいたかもしれないが、それは錯覚である。

 大介はおおよそど真ん中から、わずかにずらして投げる。

 球種はほとんど曲がらないスライダーとなっており、カットボール的に使うしかない。

 野手の送球というのは、基本的に一箇所だけを狙って投げるものだ。

 そんなわけで上手く散らすというのは、普段の常識と違うため、野手にとっては難しいものなのだ。


 だが一イニングを投げてベンチに戻ってきた大介に、FMのディバッツは告げた。

「ダイ、もう一イニングな」

 まあ点が入らなかったので、さらに本職のリリーフを休ませたかったのだろうが。

 二イニングを投げてヒット一本ずつの、フォアボールはなし。

 死んでもフォアボールは投げたくないという意思は、おそらく義兄に似てしまったのだろう。

 三振は一個も取れず、普通にゴロとフライでアウト。

「これ野手とは別口で年俸ほしいぞ」

 思わずそんなことを言ってしまった。


 なお大介はこれ以降も、何度かどうでもいい場面で、マウンドに立つことになる。

 そして長らくそのどうでもいい場面で、失点することなくイニングを食っていった。

 少ないイニングではあるが防御率のいいピッチャーを調べたMLBの人間は、大介の防御率が長らく0で、驚いたものである。

 ただそれを公表すると、すぐに必死になって、対戦相手は点を取りにきたが。

 勝負の決まった試合で、大人げのないことである。




 ピッツバーグとの三連戦は、変則的ながらもメトロズが全勝。

 マイアミといいピッツバーグといい、メトロズは弱いチーム相手には強い。

 当たり前のことであるが、ここで勝ちを取りこぼさないことが、確実に優勝へ近づくことになる。

 五月の後半から息切れしだしたのではと言われた大介は、六月に入ってからは七試合で五本のホームラン。

 出塁率もとんでもないことになっている。


 ここまでくると辛口などと言われるスポーツコメンテーターも、大介の粗探しには無茶苦茶なことを言うしかなくなる。

「今年の白石は、一試合で二本以上のホームランを打った試合が、まだ二回しかない」

 いやそれ、おかしいことじゃないから。


 大介は確かに強打者であるが、本質的にはアベレージヒッターだ、などという暴論もあったりする。

 それは高打率を誇ることと、スランプらしいスランプがあっても短いこと。

 ホームランはまとめ打ちすることは少なく、一試合に一本あたりと、それが普通である。

 逆に言えばどんな相手からでも、かなりの確率でホームランを打っているのだが。


 一試合あたりの最多ホームラン記録を探すなら、高校二年生の夏にまで遡らないといけない。

 桜島を相手にした甲子園史上屈指の殴り合いでは、それまでの記録を大きく更新したものだ。

 ちなみに去年のレギュラーシーズンは、一試合に複数のホームランを打ったのは七回。

 そして一試合に三本以上のホームランを打ったことは一度もない。


 MLBはさすがに一試合三本のホームランは許さないレベルだ、と見るべきだろうか。

 だがだいたいどの試合でも、一度か二度はフォアボールで塁に出ているのだ。

 その他の打席で全てホームランを打つなど、それこそありえないことである。

 つまり大介から逃げるため、三本以上のホームランは打てない。

 どう考えてもそうとしか捉えられないだろう。


 勢いをつけたまま、次は同じナ・リーグ中地区のミルウォーキーとの試合に向かう。

 ミルウォーキーとしてはこんなに勢いづいたメトロズには当たりたくなかっただろうし、それを許したピッツバーグを恨んだかもしれない。

 だが野球というのは本当に分からないもので、大振りしすぎたメトロズは、ミルウォーキーとのカードの初戦を落とす。

 野球は勢いで勝てるスポーツであるが、その勢いが空回りすることもある。

 ピッツバーグ戦で打線が打ちまくり、一試合平均10点を取ったのが悪かったのだ。

 大介も個人として、久しぶりのノーヒットに終わった試合。

 頭を冷やしたメトロズは、ここからまた立て直していこうとする。


 ちなみにどうでもいいことだが、オールスターのファン投票がもう始まっていた。

 今年はどうやら直史が、一位の得票を得るのでは、と思われている。

 大介のやっていることも派手だが、去年の拡大再生産。

 それだけ直史の方が、やっていることは鮮烈なのだ。


 五月の時点で既に、10勝目を挙げている直史。

 勝ち星だけがピッチャーの価値ではないと、MLBの各種指標は教えてくれる。

 だが投げた試合の全てを勝っている直史は、それらのもっともらしい指標の全てを、吹き飛ばすほどの説得力を持っていた。

 やはりエースは勝ってこそ。

 もっともピッチャーの価値基準が昔のようなものに戻るなど、一番望んでいないのが、その直史でもあった。

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