第22話 到達者

 バッティングの到達点。

 大介はそんなことを言われたりもするが、それはないだろうな、と自分でも思っている。

 むしろ人間の限界が、こんなところであっては困るのだ。

 自分がバッティングを極めた者だとするなら、直史はピッチングを極めた者なのか。

 敗北している回数が圧倒的に多くても、大介はそうは思わない。

 人間の可能性は、まだまだ無限に近く広がっていると思うのだ。


 そんな大介はもう、ボール球を選んでしまうと、延々とフォアボールが積み重なっていく。

 そして走ってホームを踏む。

 足があるのは確かだが、打点よりもはるかに得点が多い。

 分かってはいても対戦すると、まず敬遠が頭に浮かぶ。

 大介はもう、そんなバッターになってしまっているのだ。


 アメリカのスポーツと言うか社会のシステムの良い点として、前例主義に陥らない、というところがある、

 それはルールを絶対視せず、必要だと思えば積極的に変えていくところだ。

 日本であればどうしても、現状維持の力が大きく働く。

 だが大介の置かれている状況を考えれば、敬遠のルールは変える必要があるかもしれないと、思う者がいるのだ。

 しかし大介一人に、ここまでMLBがいいようにされているのも問題だ。

 特にその焦点は、敬遠というものが逃げてしまうことが出来る、という点でクローズアップされる。


 ピッチャーとバッターの勝負は、力と力、技と技の対決。

 そもそもレギュラーシーズン中、大介の打率は四割と少しなのだ。

 ピッチャーの方が有利であるのに、どうしてそこまで勝負を避ける必要があるのか。

 高校時代の大介の打率などは、最終年には八割を超えていたが、プロに入ってからは四割。

 それでも突出してはいるが、人間をやめているとまでは言えない。

 ……いや、やはり言えるか。


 とにかく一年目はともかく、各球団が対策をしたはずの二年目も、大介の躍進は止まらない。

 しかしながら観客などから問題と考えるのは、大介ではなくその対戦するピッチャーだ。

 特にわざわざスタジアムに足を運ぶ観客は、地元のチームのピッチャーが、一球も投げることなく申告敬遠で大介が塁に進むのに、ブーイングを投げかける。


 異常事態である。

 敵地でブーイングが聞かれるのは、それは当たり前のことだ。

 だがそれがホームフィールドで聞こえる。

 つまり地元のファンでさえも、大介を敬遠する今の姿には、満足していないということなのだ。


 たとえば、一試合あたりの申告敬遠を、一人に対しては一度までとする。

 大介はボール球でも打ってしまうことがあるし、そもそも最初の導入の理由であった試合時間の短縮も、ほとんど効果がなかったことは知られている。

 敬遠であればそれだけ、そこにバッテリーのミスが生じる可能性もある。

 それすらもなくす申告敬遠には、なんだからのペナルティをかけるか、制限をかけるべきではないか。


 たった一人のためにルールを変えるのか、と言われればそれは違う。

 変えるべきルールを変えたとしたら、その恩恵を受けるのが今は、大介だけということになるだけだ。

 それにアメリカのマスコミは、日本での大介の成績も調べている。

 純粋にMLB一年目よりも、大介を抑えていることに成功している。

 それでも四割60本は普通に打たれて、これを抑えていると評していいのかは微妙だが。


 日本のピッチャーたちは、大介から(あまり)逃げなかったのだ。

 それなのにMLBのピッチャーは逃げて、そこまでやってキャリアハイの成績を残されている。

 この屈辱的な事実は、MLBでも本多が大介と勝負していることもあり、ひどくMLBに対するイメージが悪くなっている。

 実際のところは100年に一人の選手が、三人も集まってしまったというのが、この場における問題なのだが。


 シライシ・ルールを考えるべきか。

 これはあちこちの新聞やペーパーで、議論されることになる。

 もっとも大介は、もうちょっと深刻なことを考えていたが。




 ミルウォーキーとの第二戦となる60試合目で、大介のフォアボールは100に到達した。

 そしてそのうち敬遠が45と、去年よりもはるかに早いペースとなっている。

 ちなみに去年は60試合が終了した時点で、61個。

 脅威度がようやく分かってもらえてきたともいえるが、それだけに勝負を避けられることも多い。


 ホームランはもちろんだが、大介は塁に出た回数が、安打よりもフォアボールの方が多い。

 そして去年と同じように、打点よりも得点の方が多い。

 大介の後ろのバッターたちを止めなけら、どうせ大介がホームベースを踏む。

 このあたりのことを考えると、大介との勝負でホームランを打たれても、その後のバッターと集中して対決した方がいいとさえ思える。

 確かにそうなのかもしれないが、さすがに大介もヒットの数の半分もホームランには至らない。

 ヒットの数と打点がほぼ変わらない異常な状況。

 他にも色々と、大介はおかしい。

 一年目以上におかしいのは、直史が来たためにメンタルのコンディションが向上しているためか。


 とにかく重要なのは、ワールドシリーズへ進出すること。

 大介は勉強は出来ないが、頭が悪いわけではない。

 なのでもうこのあたりの時点から、逆算してどうすればいいかを考えていく。


 とりあえず考えるべきは、個人の成績にはこだわらないということ。

 レギュラーシーズンであまり打ちすぎると、ポストシーズンでも巧妙に勝負を避けられていくかもしれない。

 上手く対決してもらうためには、ここで打ちすぎてはいけない。

 そんな判断は、実際にバッターボックスに入ると吹き飛ぶ。

 たしかに目標はワールドシリーズだが、そのための進路ぐらいは選ばせてもらおう。


 ミルウォーキーとの四連戦のカードは、三勝一敗で勝ち越し。

 だがここで恐れていたことが起こる。

 先発ローテの一角であるオットーの離脱である。

 ひどい負傷ではないが、脇腹の軽い肉離れ。

 それも痛みを隠して責任回まで投げてしまったからか、一ヶ月ほどの離脱になるだろうと伝えられた。


 時期的にここでトレードをするべきでは、と大介は考える。

 補強の手段はトレードが、この時点では現実的だ。

 デッドラインに近づけば近づくほど、トレードの対価として渡すものも高くなる。

 だがGMのビーンズは他の球団から引っ張ってくるのではなく、下からメジャーに昇格されるのを選択した。


 これもまた、一つの考え方であるのだ。

 オットーが抜けたことにより、マイナーのピッチャーがメジャーで投げる機会を得た。

 今のメトロズは地区別では、二位のアトランタにも大きく差をつけている。

 ここで新しい力がチャンスをつかんでくれてもいいし、それが上手くいかなければ改めてトレード補強を行う。

 スタメンやローテが崩れた時というのは、それだけ他の選手を試すチャンスでもあるのだ。




 ミルウォーキーとの対戦の次は、ピッツバーグとの対戦がまたやってくる。

 だが今回は前回と違い、フランチャイズのニューヨークでの対決だ。

 あまり大介から逃げ回るようだと、バスで球場入りするピッツバーグの選手に、腐った生卵が投げつけられるかもしれない。

 比較的富裕層が多く、住人の民度が高ければいいのだが、ここはニューヨーク。

 階級も天辺から底辺まで、満遍なく揃っている。


 派手な活躍をして勝利すると、それだけ人気も広がっていく。

 その中にはあまりよくない客層もいるが、それを完全に排除することも出来ない。

 良くも悪くも、MLBの興行はお祭りだ。

 羽目を外すやつらは、どうしても出てくるものだ。

 

 仕方がないので大介は、バッティング以外でも頑張ってみる。

 だが走塁や守備などというのは、どうしてもバッティングに比べれば地味に見えるらしい。

 ホームランと三振が、やはり派手であるのだ。

 直史のピッチングというのは、どうしても玄人向けとも言える。

 だが玄人であればあるほど、あのコンビネーションからのピッチング内容が追いつかなくもなるのだが。


 自分はそういった、初心者でも分かりやすい野球をすればいい。

 大介の考える分かりやすいものは、やはりホームランだ。

 そう思ってホームランを狙いにいき、そして実際に打ってしまう。

 三試合で二本を打ったが、いまいち届いていないかもしれない。

 映像だけを見れば、大介は全自動ホームラン製造マシーンにも見えるのだろう。


 大介の勝負が避けられすぎることは、MLB全体で見てもいいことではない。

 野球はやはり、ピッチャーとバッターの対決から、プレイが始まるからだ。

 しかし一方的にピッチャーは、勝負を避けることが出来る。

 ただでさえ本来、バッターの打率は四割に届かないのにだ。


 おそらく今年、大介がフォアボールや敬遠の記録を更新すれば、ルール改正議論は活発なものになるだろう。

 もっともそもルールが、単純に大介一人のために、有利になるものであってはいけない。

 またバッター全員が有利になるようなルールでも、それは良くないことだろう。

 現実的に考えるなら、一試合で一人のピッチャーが投げられるフォアボールの数を、ある程度制限するとか。

 本来なら敬遠など、一試合に三度も四度もするものではない。

 だが大介は普通に、一試合に三度から四度もフォアボールで歩かされている。


 本来ストライクが入らずフォアボールの多いピッチャーは、使う側にしても厄介なはずだ。

 一試合に何度かフォアボールを出したら、ピッチャーは交代しなければいけないなど、そういったルール改正が出来ないものか。

 だがいくらなんでもこれは、野球のルールの基礎に抵触するものだ。

 しかしこのまま放置しておけば、大介は打席の半分を、歩かされたりするようになるかもしれない。


 今の時点でもまだしも、MLBのピッチャーのプライドによって、どうにかそれなりの勝負となっている。

 だがいつまでもそのプライドが、続くとは限らないのだ。

 むしろ変なプライドを持っていない方が、大介との勝負はしやすい。

 運よく打ち取ることが出来れば、それだけ評価も高くなるのだ。

 上を目指すためには、蛮勇のように大介に挑む必要もある。

 だいたいはそれでホームランを打たれるのだが、運がいいと外野フライぐらいで終わったりする。




 大介はとことん、勝負を避けられるようになってきていた。

 だがいざ打ったときには、確実に打点が入るようになっている。

 意識すればボール球は、見逃すのが正解だと分かっている。

 だが打てると思ったボールには、勝手に体が反応するのだ。


 これで打率が下がるなら、さすがに何か言われても仕方がない。

 だが六月に入っても打率は四割を維持したまま。

 出塁率も六割を超えたままなのだ。


 試合展開によって、大介が出塁を重視するか、それとも長打を重視するかは変わる。

 だがボール球を打っても四割というバッターに、もっとボール球を見極めろ、というのもおかしな話だ。

 大介にとってボールゾーンというのは、ボールとカウントされるコースではない。

 自分が打てないコースがボールゾーンなのだ。


 ピッツバーグとの三試合で、大介は四本のヒットを打った。

 そしてそのうちの二本がホームランである。

 フォアボールでの出塁が六回。

 つまりヒットの数よりも、フォアボールの数の方が多い。

 もっともこれは、今更な話ではあるが。


 だが、日本時代を見てみよう。

 大介は通算九年間で、1524本のヒットを打っている。

 そしてその間にフォアボールは、1325個しかないのだ。

 MLBよりも平均的には低いはずのNPBのピッチャーの方が、ちゃんと大介と勝負していたということだ。

 MLB初年の大介は、192本のヒットを打って、206個のフォアボールを与えられた。

 試合数が違うことは違うが、それでもフォアボールよりヒットの方が多いことは間違いない。

 NPB時代も最後の一年は、フォアボールの数の方が多くはなっているのだが。


 純粋に大介は、MLBに来てからさらに、打つのが上手くなっていると言える。

 そしてもう一つNPBには上杉がいたし、直史とも対決していた。

 強いピッチャーと対決すれば対決するほど、大介のバッティング技術は上がる。

 だから日本時代の大介は、まだ完全体になっていなかったとも言える。


 トローリーズの本多は大介に打たれているが、試合には勝っている。

 単純に大介を敬遠すれば、それで勝てるというものでもないのだ。

 大介との勝負を避けるというのは、ピッチャーのメンタルに弱気を植えつける。

 そこから調子を崩してしまう、というのがあるとは思うのだ。


 開幕から65試合が経過し、打ったホームランは32本。

 歩かされたフォアボールは113と、MLB史上最悪のペース。

 筋骨隆々の大男ならともかく、大介は現在のメジャーリーガーでは一番小さい選手だ。

 それがこれほどもホームランを連発するというのが、完全な異常事態なのだ。

 もっともこれでも、総合的に見た場合、直史の貢献度の方が高いかもしれない。

 先発のピッチャーがそれほどの影響力を持つとは、いったいどういうことなのか。

 前半戦の終了までにまだ試合数は多いのに、既に12勝。

 試合数も多いことはあるが、昨年達成できなかった、シーズン30勝が充分に見えている。




 ピッツバーグとの試合をまたも三連勝し、メトロズはこれで六月に入ってから13勝1敗。

 ピッチャーが弱いと散々に言われながらも、この成績である。

 慎重なGMのビーンズも、ここから少し主力が離脱しても、ポストシーズンには進めると判断する。

 あとは補強をどうしていくかだ。


 ワールドシリーズを連覇する、という誘惑が見えている。

 そしてそれは充分に、可能性のあることなのだ。

 今年のア・リーグの代表になりそうなアナハイムは、確かに奇跡的な強さを発揮している。

 だが大介を含んだ打線であれば、直史以外のところから四勝することが出来ると思う。


 補強するとしたら、リリーフとクローザーか。

 ただライトマンをクローザーからセットアッパーとしてチェンジするなら、先発が一人ほしい。

 一応オーナーから追加の予算は許可されている。

 だが一流の先発ピッチャーともなると、その年俸は3000万ドルを超える。

 せめてトレード期限ぎりぎりに成立させて、年俸負担を少なくしたい。


 今年は先発のローテで、ジュニアが大成功している。

 今の勝率でシーズンが進めば、九月にはマイナーの選手を、メジャーの実戦で試すことが出来る。

 その中からまた来年も期待出来る、ピッチャーがいれば。

 

 欲が出てくる。

 連覇のその先の、三連覇という欲だ。

 現在の戦力均衡とトレードのシステムでは、およそ現実的ではない。

 20世紀末にラッキーズが達成しているが、それ以外はオークランドぐらいで、完全に戦力が歪であったころに、ラッキーズが無双しているぐらいだ。

 チーム作りのシステム上、どうしても三連覇などは出来ないはずなのだ。

 だがそれでも大介を中心にチームを作れば、毎年コンテンダーとしてチャンピオンを狙えるチームになるのではないか。


 巷で噂される、ルール改正。

 大介の敬遠がもっとまともな数になれば、打撃成績はさらに伸びるのではないか。

 シーズン100本塁打。いや、それはない。

 だが過去には、更新不可能だとか、達成不可能だとか言われていた記録を、新しい才能が塗り替えていったのだ。


 ただ、もはや自体は、ビーンズには想像も出来ない次元になっているように思える。

 禁止薬物でも使わないと、更新不可能だと思われた記録を、余裕を持って塗り替えた選手。

 シーズンに三度のノーヒットノーランと、これもまた過去には一度もなかったことだ。

 あちらは既に、七度のマダックスを達成している。

 日本時代を合わせた通算ではなく、この一年の、この三ヶ月弱での成績だ。

 ボストンのクローザーの上杉は、そのポジションがクローザーだからというのもあるが、奪三振率が20を超えている。

 本当に今年は、日本人選手がおかしい。

 おかしいやつらが偶然、この数年の日本に出現していた、と言った方が正しいのかもしれない。


「しかし、本当にルール変更なんかはあるのか?」

 MLBに限らずアメリカのスポーツは、興行的な面を意識して、そこそこ頻繁にルール改正をする。

 興行的に言うなら大介の打席で、ピッチャーと勝負する映像は、絶対においしいものだろう。

 ただフォアボールの数の制限など、そういったことは変更するのに無理があるのではないか。

 また逆にピッチャーの方を有利にすると、他のバッターが余計に打てなくなってくる。

 

 自分の手の届かないところで、またMLBの歴史が動こうとしている。

 そのルールの範囲の中で、ビーンズは最善を尽くすしかないのだが。

 ただの一ファンとして見るならば、今年はおそらくMLBの、一番過激な一年として記録されることになるだろう。

 またそこに自分が、足跡を残すことも出来る。


 選手の確保はGMの職掌。

 ビーンズの動きもまた、MLBを大きく動かす。

 だがそれをさらに大きな範囲で、見守っている視点もあるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る