第15話 訪問者

 ※ 時系列はAL編15話が先です。



×××




 遠征によってカリフォルニア州サンディエゴへ向かう。

 結局直史と出会う予定など時間が作れなかったが、わりと近いところでプレイしているんだな、と思ったりもする。

 100kmほどは離れているのを、近いと言ってしまうなら、そいつは北海道民である。

 車を飛ばして一時間半は、断じて近いとは言えないし、そもそも普通なら一時間半で100kmは移動できない。


 そんなわけで大介は、普通に試合に集中する。

 ただメトロズとサンディエゴの試合を見に来ているはずの観客から「サトー」の名前が出ているような気がする。

 大介は耳もいいのだ。

「あいつ、他のピッチャーにとったら迷惑な存在なのかもなあ」

 雑談なので大介は、杉村に対してそんなことを言う。

「佐藤投手?」

「そうそう、いくら活躍しているって言ってもさ、あいつを基準にしちゃうと他のピッチャーのピッチングは物足りなくなるだろ?」

 杉本は大きく息を吐いて、厳然たる事実を告げる。

「あんたは他のバッターの迷惑になってると思いますけどね」

 は、と真顔になる大介である。


 バッターは三割打てれば巧打者で、30本打てれば強打者で、30盗塁出来れば好選手と言える。

 トリプルスリーという言葉はアメリカではないが、概念自体はおおよそある。

 ただ三割という打率ではなく、ホームランを打てる長打力と、盗塁の出来る走力の両立が難しいとは思われている。

 30-30とか40-40とか言われるものだ。

 そして去年の大介は、70-90となっている。

 言うまでもなく度の過ぎた化け物だ。


 そういえばそうかなと思う大介であるが、その様子を見ていると杉村は不思議になる。

 大介はスーパースターだ。誰もが認めるし、そして永遠に記録されるであろう。

 ただ本人には全くその自覚がない。

 杉村が誘導するような質問には、注意して通訳していることもあるが、マスコミの悪意にも晒されていない。

 完単に言うと、極めて庶民的な感性なのだ。


 野球をやって食べていく喜び。

 それだけで野球をやってしまえているようにも思える。

 だいたいアメリカンドリームなどと言って、メジャーリーガーの大半は、いやアメリカ四大スポーツのスタープレイヤーはすぐ「調子に乗る」。

 男であれば外見にステータスを振ったような女に引っ掛けられ、莫大な慰謝料をなぜか請求されて離婚するのはパターン化されている。

 女をトロフィーのように考える男も悪いが、こういったものはほとんど、どっちもどっちだ。

 引退後の破産の数を調べてみても、スポーツ選手のセレビリティというのは、ほとんど一過性のものだ。

 大介にはそういうところがない。

 スプリングトレーニングでも、サインをもらいに来た子供にサインするだけではなく、一緒にキャッチボールをした、アドバイスをしたりもする。

 人に教えるのが下手な大介だが、さすがに基本的なところは共通しているのだ。


 テレビの番組に出演するにしても、バラエティ色の強いものには出たりはしない。

 専門性の高いものに出て、芸能界のエンターテインメントの色が強いものは関心がない。

 イリヤが生きていたら、また少し違ったのかもしれないが。

(いい意味で、子供がそのまま大人になったような人だな)

 杉村の感想は、おおよそ間違っていないだろう。




 大介はプロの道に進むと決めたとき、そしてツインズから逃げられないと判断したとき、生涯にどれだけの金銭が必要か、ちゃんと考えたことがある。

 そして現役を引退したとき、自分がどんな仕事が出来るか。

 はっきり言ってそれは少ない。

 肉体労働は得意だが、大介にはそれに必要な、持続型の筋肉が不足している。

 なので生涯働かなくても大丈夫かな、という金額目標を達成してから、あの二人を引き受けたわけだ。


 後輩が出来てからは、食事に連れて行ってやることも多かった。

 だが基本的に高級店などにはいかず、遊びも教わっていないし、教えてもいない。

 それは年俸が3000万ドルという、とんでもないものになっても変わらない。

 ただでさえニューヨークは物価が高いのだ。

 住んでいて便利なのかもしれないが、それでも住みやすい街ではない。


 家賃は球団持ちで、光熱費なども球団持ち。

 だが食費などは自分で用意している。

 ツインズは家庭的な面もあるし、ビジネスパートナーとしては非常に優秀だ。

 なので正直子供をどんどんこさえて、しっかりと教育していこうかと思っていたこともある。

 椿の後遺症が残ったため、その計画はスケールダウンしているが。


 大介は上流層出身ではないし、またアメリカ人という意識も薄い。

 なのでアメリカ的な贅沢というものに、あまり興味がない。

 それでも別荘を買ってしまったり、馬を買ったりしてしまうが、別荘の方はキャンプ用の家なので、ある程度税金の融通が利く、らしい。

 自分で調べたのではなく、ツインズが調べたものだ。


 自分は本当に、野球しか出来ないと大介は思っている。

 そして周囲の色々な影響もあってか、それ以外の欲望が薄い。

 とにかく野球に関わっていれば幸せという、実はかなりお手軽な人間であるのかもしれない。

 下手な名誉だのに興味がないため、野球においても純粋に、野球に対してだけ集中できる。

 むしろ金遣いはツインズの方が荒い。

 もっともなぜか使う以上に稼ぐので、大介が文句をつけるところではない。




 アウェイでのサンディエゴとの試合でも、大介はいつも通りに集中している。

 そしていつも通りに集中しているということは、いつも通りに打てるということだ。

 求道者というわけでもなく、純粋に野球を楽しむ。

 それだけにやることが、そのまま身に付いていく。


 長期間のアウェイを含めた、17連戦。

 頭がおかしくなりそうなスケジュールというのは、むしろこれをこそ言うのではないか。

 いかなるブラック企業よりも、ある意味においてはひどい待遇。

 ただ大介はそれを、楽しむだけの強さがあった。


 最終的に好きかどうかで、その人間が踏ん張れるかどうかは決まる。

 ただ日本ではそうかもしれないが、アメリカにおける野球選手や他のプロスポーツ選手は、とてつもなくハングリーだ。

 これで食えなければ、自分には惨めな一生しか待っていない。

 そう考えてプレイする人間は、おそらくとてつもなく多い。

 もっとも大介も、野球がなければ自分はどうしていたか、とても想像するのが怖くなることがある。

 平凡な人生は送れたかもしれない。それで幸福にはなれたかもしれない。

 だが人生が激動的で、充実していたかというと、そうは思えないのだ。


 大介は元は、公務員か資格職の職業に就きたかった。いや、就くつもりだった。

 母が一人で育ててくれる姿を、ずっと見ていたからだ。

 自分も堅実な職に就いて、母親を安心させてやりたい。

 そう思ったからこそ苦手な勉強を必死でして、偏差値の高い高校に入ったのだ。

 卒業するころには、単位が足りないほどの成績に落ちぶれていたが。

 それでも結局は、父親と同じ道を選んで、そしてその先へとやってきた。

 MLBという世界。

 同じ野球だ。

 それなのにやたらと騒がれるのは、違和感があると言うよりは、ひどく不快な時もある。


 ただニューヨークは基本的に、有名人を放っておいてくれる街だ。

 ここにツインズと一緒に来たのは、間違いではなかったな、と思う。

 思えば自分は、かなり流されたように見えて、ほぼ最適解を選んでいる。

 母校を初めての甲子園に導き、ドラフトで一位指名でプロ入りし、そしてFAで高い年俸を払えるMLBに移籍し、契約金も大きなものとなった。

 ジャパニーズドリームからアメリカンドリームにつなげて、既に大介は成功している。

 成功したいという欲望。名誉欲や金銭欲だけで野球をやっていたなら、自分はここでもう終わる。

 だが直史がいる。今年だけだが上杉もいる。

 とりあえずはオールスターを目標に、調整をしていかなければいけない。

 レギュラーシーズンは大介にとって、オールスターやその先にある、ワールドシリーズへの準備期間でしかないのだ。

(とは言っても俺一人でどうにかなるほど、野球は個人が突出したスポーツじゃないしな)

 野球はピッチャー。

 ポストシーズンになれば、必ずそれが重要となる。




 直史がミルウォーキーでまたも、頭のおかしなことをしでかした日。

 いや本当に開幕から六試合で、五完封、パーフェクト一回、ノーノー一回、マダックスは三回と、本当にあいつは何をしているのだ、とは思う。

 大介は毎試合出られる野手だが、直史はローテで投げる先発ピッチャーだ。

 だがそれゆえに、直史にはあって大介にないものが出てくる。

 それは希少性だ。


 大介がホームランを打つのは、もう日常となっている。

 もちろん節目の記録などでは、しっかりと注目もされる。

 ただニュースで「今日もいつも通り打ちました」とか言われると、少し困る。

 まるでホームランを打つのが簡単なようではないか。


 それに対して直史は、中四日か中五日でしか登場しない。

 アナハイムの試合でも、地元はともかく敵地となると、直史の投げる試合のチケットだけが確実に売り切れる。

 そんな化け物のようなピッチャーを、大介が連れてきてしまった。

 よく新聞は大介のことを、小さなゴジラなどと、ちょっと気になる言い方で呼んだものだ。

 しかし大介からすると直史の方が、よほど恐怖をもたらす存在だ。


 試合が始まった直後には、もう敗北の覚悟をしなければいけない。

 いやあるいは、そのカードのその試合で投げるのが、決まった時点で。

 大介を相手にした場合、ピッチャーは申告敬遠で逃げることが出来る。

 しかし直史の投げるボールから逃げることは出来ないし、球数を投げさせて潰そうとしても失敗している。


 直史に勝つには、一発に賭けるしかない。

 そう思いながら大介は、今日も元気にホームランを打つのであった。




 サンディエゴにやってきた大介を、訪ねてくる人物がいた。

 直史ではない。その気になれば可能であったろうが、家族サービスを最優先にする男だ。

 もちろん日本人メジャーリーガーの誰かでもなく、会ってもおかしくはない人物、セイバーであった。


 いつも通りに愛想のいい笑いを顔に貼り付けて、普通に宿泊先のホテルに面会希望に来たのだ。

「久しぶりですね。つーか今は何をしてるんすか?」

 セイバーは去年まではレックスのフロントの一員であった。

 だが直史がMLBに移籍するのと同時に、その役職からは退いたと聞いた。

 おかげで、と言うべきなのかレックスは外国人選手による補強を、今年はあまり出来ていない。

 それでも正捕手がいる限り、リーグの優勝候補であることは変わりはない。


 セイバーはいつも、何かを動かしている。

 それがいいことなのか悪いことなのか、大介には判別が出来ないこともある。

「今は特にどこかの球団には所属していませんね。ただエージェントを抱えてはいますが」

 エージェント、つまり代理人。

 アメリカのプロスポーツを大きく動かす存在だ。


 一人のエージェントが複数の選手と契約し、有利な環境や年俸を球団と交わす。

 この時のエージェントの動きによって、他の選手の契約まで動いてしまうことは少なくない。

 あまりエージェントが選手を抱えすぎると、そこでリーグの戦力バランスまで崩してしまう。

 ただMLBのエージェントは、NBAに比べるとそこまで強力ではない。

 単純にチームを構成するために必要な人数が、バスケットボールの方が少ないからだ。


 MLBとその参加のマイナーは、とてつもなく多くの選手を抱えている。

 トップの選手だけではなく、マイナーの選手にも声をかけていくのが、将来を見据えたエージェントの動きだ。

 ただセイバーがそれだけで満足するとは思えない。

 それにエージェントを抱えていると言ったが、自分がエージェントであるとは言わなかった。

「今考えているというか携わっているのは、新球団構想ですかね」

「あ~」

 大介も普通に聞いてはいる。


 MLBはその規模を拡大したがっている。

 現在の30球団というのはかなりバランスがいいのだが、それでもまだチームを設立させる余力が、アメリカという市場にはある。

 二つのリーグで五チームによる地区が六つ。

 このバランスになったのは、意外と最近のことなのだ。


 またMLBもそうだがアメリカのプロスポーツは、それなりにフランチャイズを移すことが多い。

 NPBにおいても特にパ・リーグは、球団の本拠地移動は多かったものだ。

 球界再編など、大介が生まれる前の問題で、リーグが一つに統一されるかという動きもあった。

 そんな中でセイバーは、球団を増やしたい、などと言っていたのを知っている。

「オーナーになりたいんですか?」

 レックスの経営に関わったのは、そのためのものではなかったのか。

「そうですね。ただ日本でやろうとしたんですが、結局はアメリカの方が可能性は高いな、と分かりましたが」

 大介にもそれはなんとなく分かる。

 日本の場合はとにかく、既得権益の層が強すぎるのだ。


 MLBのチームを増やして、そのオーナーになる。

 大介としてはそれを、応援も反発もしない。

 ただ今のMLBでは、負けるためだけに存在しているようなチームもいる。

 このあたりのテコ入れの方が、先ではないかとも思う。

「ところで白石君、ワールドシリーズで対戦するとしたら、上杉選手と直史君、どちらがいいですか?」

 世間話のようにセイバーは尋ねてくるが、これがただの雑談のはずはない。

「上杉さんが本当に今年だけなら、上杉さんですけど……」

 ただ、未来を考える。

 大介はその気になれば、日本に戻ることも出来るのだ。

 ならば時間が限られている直史だろう。

「やっぱ、この三年間で、ナオとやりあいたいですね」

「なるほど、やっぱりそうですか」


 そしてセイバーは用事を終えて帰っていくのだが、大介は首を傾げざるをえなかった。

「何がやりたかったんだ、あの人は」

 もちろん何か大きな動きを、ここからMLBはしれしまうのだろう。

 グラウンドの外でも、MLBは大きく鳴動しているのであった。

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