第9話 極意

 バッティングの極意とは何か。

 大介は突き詰めれば、それだけを考える。

 他にも考えるべきことはあるのだろうが、そちらはもう反射で出来る。

 スーパープレイでダブルプレイを取ったり、ピッチャーの隙を見て盗塁をしたり。

 そのあたりはほぼ直感的に出来るようになっている。

 もちろんこれまでの、多くの蓄積から生まれたものであるが。


 バッティングの極意と言うか、最も大切なものが、分かった気がする。

 それは皮肉にもと言うべきか、直史のピッチングを見て唐突に思ったのだ。

 打ち取るまでの過程が、鮮明にイメージされているのではないかと。


 何らかの技術を習得するというのは、まず目から入る。

 見て盗む、というものだ。

 そこから次には、自分で再現する。

 自分の手で再現するのだ。


 再現するために必要なものは何か。

 フォームの修正のためにビデオで確認するが、その映像は何と比較するのか。

 理想のフォームと当然比較しなければいけない。

 ただその理想のフォームというのはどこにあるのか?

 他のバッターのスイングを参考にするには、大介は体格もバットも、基準から離れすぎている。


 だからイメージが必要なのだ。

 一から創造するわけではない。

 そこには既に、自分という肉体がある。

(基本的な攻略法は、反射で打つことで間違ってないはずだ)

 たった一人のピッチャーを打つために、大介は考える。


 MLBのピッチャーたち全員を、たった一人のピッチャーを打ち崩すための練習台にする。

 贅沢なことかもしれないが、それでも足りないと思っている。

 直史は他のピッチャーとは違う論理でピッチングを行っている。

 それに一番近いのは誰だろう。

(真田かなあ)

 真田はストレートの速度こそ直史と同程度だが、カーブとスライダーが強みのパワーピッチャーだ。

 ただそれだけでは、あそこまで打たれない理由にはならない。


 直史を打つということは、直史を知るということである。

 そして直史をよく知っている人間が、大介の周りには二人いる。

「お兄ちゃんは、怖かったなあ」

「なんでだろ? 怖かったよね?」

 ツインズはそんなことを言う。


 正直なところ、もしも単純な暴力であれば、直史のよりもこの二人の方が強い。

 下手をしなくてもフィジカル・モンスターである大介よりも、喧嘩ならば障害が残っていてさえ椿の方が強い。

 それは格闘技とか力とか技とかではなく、精神性の問題だ。

 何かを守るためなら、人を殺すことが出来る。

 それがツインズの強さ、ためらわないことなのだ。

 直史はもちろん頭でっかちな人間ではないが、そもそも子供の頃から、大人である教師をどうしたら殺せるかと、無意味に考えていた二人には勝てない。

 人が人を殺すためには、まずためらわずに最初の一撃で命を奪う必要があるのだ。


 ただそれでも、ツインズは直史のことが怖かったという。

「なんでかな~。何かの感情の裏返しのような」

「好きだからかな? 嫌われたくないから怖い」

 どこか人を畏怖させるところが、直史にあるのは確かだ。

 それはカリスマ性とはまたちょっと違い、見ただけで分かる気迫などとも違うと思う。


 大介は己の心に語りかける。

 自分は直史をどう思っているのかを。


 今となっては二人の関係は、他の人間との関わりもあって、複雑なものになっている。

 一番単純に言ってしまえば、大介が直史の義弟であるということだ。

 ただそれよりもずっと前、自分は直史のことをどう考えていたか。

 同じチームの選手として、共に戦っていたわけである。

 最初に出会った頃はどうであったか。


 キャッチボールで、丁寧にスピンをかけて、胸元に投げてくる選手だった。

 几帳面であり、センスがあるなと思った記憶はある。

 だが怖いとは思わなかった。そして今でも怖いとは思わない。

 元チームメイトだからというのもあるのだろうか。

 ただおそらく同じくチームメイトだったジンも、直史のことは怖がってはいないと思う。

 岩崎は怖がっているというか、より畏怖に近い感情を持っているかもしれないが。


 何がなんだか分からない。

 もちろん一つ一つのことを挙げていけば、そう感じる理由にはなっていくのだろう。

 ただ大介にとっては、敗北すらもまた楽しむべきものだ。

 挑戦する山は、高ければ高いほど、踏破する価値は上がる。

 そこに山があるから。

 だから大介は登り続ける。




 フィラデルフィアとの三連戦、残りの二試合では、大介にはホームランはなかった。

 それだけで調子が悪いのかな、と思われてしまう辺り、大介への期待は過剰である。

 だが本人としては、新しい感覚を考えながらも、ある程度は成績を残していく必要がある。

 毎試合打点を上げて、自分でもホームベースを踏む。

 盗塁もしっかりとしていく。


 周囲はなぜか、本当になぜか心配してくるが、大介でもそうそう簡単にホームランを打つわけではないのだ。

 それにチーム自体は五連勝と、素晴らしいスタートを切っている。

 五試合全てで五点以上の得点があり、逆に全ての試合を四点以内の失点で済ませている。

 打撃のチームではあるが、投手陣もしっかりと機能している。

 先発が五回までにKOされた試合がない。

 素晴らしい安定感だ。


 ここからまた、次の三連戦を地元で行う。

 相手はマイアミ・シャークス。

 今年もまた、シーズン前からシーズン終了などと言われていたりする。

 ただやはりスタメンの中には、それなりに育成中で売り出し中の選手もいる。

 もっともピッチャーの若手有力株は、このカードでは出してこなかった。

 おそらく大介に折られることを恐れたのだろう。

 そこまで警戒しなくても、と大介は思うのだが、去年のメトロズはマイアミには二試合しか負けていないし、大介は12本のホームランを打っている。

 19試合で12本なのだから、それは警戒もするだろう。


 シャークスとしてはこの試合も、試合を勝ちにくると言うよりは、個人のスタッツを残してくるという意識が強いらしい。

 初回から積極的に打ってきて、メトロズの先発オットーからは先制点。

 ただその裏に、先頭のカーペンターを打ち取ったのが、逆に悪かったのかもしれない。

 ワンナウトランナーなしで、大介の打席を迎える。

 せっかくリードしているのだし、既にワンナウトを取っているのだから、歩かせてもよかったのだ。

 だが安易に攻めすぎた。


 去年の末にメジャー昇格したピッチャーだったのも、大介と勝負しようとした理由なのだろう。

 どうして去年の数字を見て、大介とまともに勝負しようなどとするのか。

 ただそうやってまともに勝負しようとしてくるピッチャーを相手にしてこそ、大介の今の訓練は、実戦的になる。


 カーペンターへのピッチングを見て、おおよそは投げてくるボールのイメージがつかめている。

 あとは過去の試合の映像と、マイナーでの映像。

 それほど注意はしていなかったが、データと映像と目の前の実体が、上手く頭の中で組み上がる。


 一球目はインローであった。

 上手く投げ込んだな、というのが大介の感想である。

 そして二球目。

 リリースの前から、それはカーブだと分かった。

 ゾーン内に入ってくることは、リリースの瞬間には分かっていた。

 だがそこで打とうとはせずに、ボールの軌道を見送る。

 自分の予想と正しかったかどうか。

 おそらくこれは正しかった。


 二球で大介を追い込むことに成功してしまった。

 だがそこから、安易に三球勝負には来ない。

 来たとしてもカットするだろう。

 大介はひたすら、相手のボールをイメージすることを意識して、それが現実とのどれぐらいの差異があるかを認識しようとうする。


 ボール球が二つ続いた後、内角に鋭く入るボールがあった。

(カット)

 スイングした打球は、イメージ通りにファースト方向にファールの打球となった。

(違うな、もう少しだけライナー性の打球にして)

 一度バッターボックスを外し、素振りをしてイメージとの一致を図る。


 そこからは、地獄のような時間が始まった。

 大介は自分のバットの届く範囲なら、とにかくボールをカットしていった。

 打てるボール、そうヒット性の打球になるボールもあったが、あえてカットして行った。

 自分の理想の打球として、カットしていけるか。

 大介は若手のピッチャーを相手に、そんな悪魔のような練習を繰り返す。

 ツーツーからカウントが変わらない。

 ボール球であるのに、手を出してくる。

 まるで球数を投げさせるのだけが目的の、ひどい手段だ。

 どうしてこんなひどいことをするのか。


 当たるようなコースにさえ投げさせた。

 しかし大介はこれも、バットで打ってファールにしてしまった。

 コンビネーションによって、どうにか出来ないものか。

 そう思うのだが大介は、じっくりとボールを待った上でカットしてしまう。

 おそらく緩急が全く通用しない。


 ここはもう開き直って、全力のボールを投げるしかない。

 そうしたキャッチャーのサインに頷いたピッチャーに、大介はこれまでと違う感覚を発見する。

(来るな)

 甘く入った100マイルのストレートを、そのままに打ち返した。

 打球はライナー性で、スタンドのライト最上段にまで飛んでいく。

 さすがに場外には出なかった。

(打球もイメージ通りだ)

 ニコリともせずに、大介は淡々とベースを一周した。




 この試合の大介の打席は、全てこのようなものであった。

 三打数二安打で、二本目のヒットは右中間のフェンスを直撃した。

 唯一のアウトとなったのは、ライナーがセカンド正面に飛んだもの。

 これは大介にとって、イメージからかけ離れた打球であった。


 バレルではなく、常に強い打球を打つということ。

 それを大介は意識している。

 初回に20球以上粘られたのはともかく、他の打席も歩かされたもの以外は、10球ほどは粘っている。

 実際のところは粘っているのではなく、練習をしているのだが。

 レギュラーシーズンの試合で練習をするな、と他の人間なら言うところであろうが、レギュラーシーズンの真剣勝負だからこそ、身に付く練習が出来るのだ。

 味方の首脳陣も、複雑な顔をしている。


 大介のやっていることは、無駄に粘っていることではないのか。

 ボール球ならボール球で、普通に出塁すればいい。

 フォアボールではなくヒットを選ぶのは、バッターのエゴである。

 ただ大介の実績を考えると、そんな単純な考えではないのでは、とも思えてしまうのだ。


 こういう時に話を聞きやすいのは、ベテランのシュレンプである。

 通算400ホームランを打っている彼には、かろうじて大介の目指している高みが推測できる。

「ダイ、お前、試合で練習していないか?」

 このあたり通訳を通すので、他の選手にも分かってしまう。

「ああ」

 大介も分かった上で、これをやっている。

「それはピッチャーにとってはひどく侮辱的な行為だと思うが」

「そう思わないでもないんだが……」

 アマチュアならば、特に高校野球などの一発勝負ならばともかく、プロのリーグ戦でこれをやるのは、ピッチャーを物理的に消耗させる行為だ。

「今からしっかり鍛えてレベルアップしていかないと、本番に間に合わないからな」

「今が本番のシーズンだろう」

「いや、そうじゃないんだ」

 大介としては、目的は明確なのだ。

「もっと高いレベルに達しないと、ナオには勝てない」

 それが大介の目標とするものだ。


 おそらく試合の中で、何打席も戦えば一度は、ホームランが打てるのではと思っている。

 直史はある程度抜いて投げて、一発を打たれているのだ。

 もっとも他のピッチャーと比べても、そもそも打たれている回数が圧倒的に少ない。 

 普通に投げればノーヒットノーランが狙える。

 そんなピッチャーを打つのではなく、勝つためにはさらに上を目指さないといけない。


 今のメトロズでは、たとえ大介が偶然に一点を取っても、相手を完封することが出来ない。

 直史を相手に、二点以上を取ることは難しい。

 だから単に打つのではなく、折らなければいけない。

 もっとも直史は大介の作戦を見抜いたら、あっさりと歩かせてしまうかもしれないが。

 いや、これはまだ前提なのだ。

 こんなところで止まっていたら、直史は普通に歩かせてしまう。


 そう、これはあくまでも練習。

 普通に対決して、普通に直史を打つ。

 そのために必要なことを、大介はしている。

「やるのは分かったが、もう少し上手くやれ。他のバッターに報復が来る」

「あ、そっか」

 大介に対しては、たとえビーンボールを投げても、避けられるかバットで上手く弾かれるだけだ。

 だがそれが他のチームメイトに及べば、色々と問題になる。


 この試合もメトロズは、7-3で勝利した。

 開幕からの連勝は、まだまだ止まらない。




 直史を打つのはどうすればいいか。 

 おそらく、と大介は極端に考える。

 他の全てのピッチャーを打つためのリソースを、全て直史にかけるなら、打つことは出来る。

 だがそれをやれば、成績が悪化する。

 たった一人のピッチャーを打つ。

 それなら代打にでもなるしかないし、それでも他のバッターが直史を打てなければ、負けてしまうことは分かっている。


「難しい問題だね」

 赤ん坊をあやしながら、椿はそう言う。

 まだ左足の麻痺は残っているが、それでも片足だけでの動きが出来るようにはなった。

 補助の義足をつければ、ほぼほぼ元通りに動くことが出来る。

「大介君なら、出来るはずだと思う。でもどうしたらいいのか……」

 桜もまた、大介の力は信じている。

 しかし今の大介が、まだ足りないと思っているのも分かる。

 いったい何が足りないのだろう。


 技術的な問題であれば、一つ言えることはある。

「普通の人みたいに打ってみる?」

 大介の持つ、バッティングフォームは異常だ。

 前後運動での力よりも、回転運動の力がかなり大きい。

 ただその変なスイングでも、ボールはちゃんと飛んでいくのだ。


 重心をもっと、後ろ足にかける。

 そうすることによって、さらにギリギリまでボールを見ることが出来る。

 そこから打ったならば、直史のボールを、本当にギリギリまで見て打てる。

 球速自体はそれほどではない。それが直史の弱点だ。

 もっとも誰も、それを弱点とは思っていない。


 重心をもっと後ろ足に。

 それは今までの打撃理論を、一から変更するということだ。

 単純に成績が悪化するだろうし、直史を本当に打てるとも限らない。

 ただ理屈としては、それは確かにありかな、とも思うのだ。

「あまり試行錯誤して、結局調子を崩したら本末転倒だしなあ」

 大介も迷ってはいるのだ。


 いくら準備をしたとしても、実際にガチの対決となれば、ワールドシリーズを待つしかない。

 そこまでの時間をかければ、形にはなるだろう。

 だが今のこの成績を崩す可能性を、どうしても消すことが出来ない。

 直史との対決だけにこだわって、チーム全体の戦力を低下させるわけにはいかない。

「なら、レギュラーシーズンの優勝をさっさと決めて、そこからお兄ちゃんの対策をしたら?」

 この発言は、椿から出たものだ。

 体が不自由になった経験を持つ彼女は、体を動かすということに対して、むしろ前より貪欲になった。

 大介の持っている葛藤を、桜よりも理解しやすいのだろう。


 ワールドシリーズで、直史と対決する。

 大介は予感を信じているが、それに全てを振ってしまうわけにはいかない。

 それにレギュラーシーズンの優勝を決めても、ワールドシリーズまえ勝ち残るのはまた難しい。

 ポストシーズンは、各チームの本気度が違うのだ。


 チーム力が足りない。

 そのために大介の選択肢も、狭められている。

 だがいつかは、選択しなければいけない。

 それに大介は、直史と対決するために、野球をやっている。

 少なくとも、ここからの三年間は。


 大介は悩む。

 凡人はおろか、天才と言われる人間でさえ、こんな悩みは持たないだろう。

 今の技術の延長の先に、直史を打つ極致があるのか。

 ただ公式戦で練習をするという、自分のプラン自体は間違っていないと思う。

「野球って面白いよなあ……」

 ひどく苦い顔をしながら、大介はそう呟く。


 なおここから、メトロズの勢いはまだ止まらない。

 そして大介も、大介基準では平凡な成績を残す。

 それはつまり、二試合に一本は確実にホームランを打っていくというものだ。


 勘弁してくれ、とマイアミのピッチャーたちは思ったかもしれない。

 だが極論すれば、彼らが大介を抑えられないのが悪いのだ。

 つまり大介がここまで鍛錬しなければ打てない、直史の存在が悪い。

 直接対決は一回もないまま、直史はナ・リーグの東地区のほうにまで、影響を与えているのである。

 とんでもなく傍迷惑な存在であることは、間違いなかった。

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