一章 スタートダッシュ
第6話 VSモンスター
上杉に勝ったとは思わない。
おそらく上杉の肩が、完全に治ることはない。
それを確認するために、あえて大介とはああいった勝負をしたのだろう。
(終わった……)
一つのこだわりが、もうなくなってしまった。
もちろんここからも上杉は、充分すぎる成績を残すのだろう。
あるいはスタイルを変えて、技巧派として大介の前に立つぐらい再生するかもしれない。
ただそれは、少なくとも今年ではない。
今年でないのならば、もう大介との対戦の機会はない。
自分を縛り続けていた祝福であり呪縛でもある存在。
上杉は、少なくとも大介が憧れ、そして挑んだ上杉は失われた。
(まあ、一度肩を壊して、それでも170km/h投げられるって方がおかしいわけだしな)
それもあれ以来数日、上杉は投げていない。
軽い炎症が出たという話は聞こえてくる。
それでも大介は、モチベーションを失ったりはしない。
直史のおかしな試合を、ちゃんと聞いているからだ。
(こっちのチーム相手でも余裕でマダックスかよ)
それも試合のスコアを見る限りでは、スルーは使っていないのではないだろうかと思える。
アナハイムも基本的に、先発は五人で中五日、一日はリリーフ陣を駆使して投げる日を作る。
だがおそらくシーズンの途中から、直史には中四日で投げさせるようになるのではないか。
(去年やってたからなあ)
イリヤの事件がなかったら、30勝に達していたのではないか。
そういう点でもイリヤのことは、後世に影響を残すことになった。
おそらく不慣れな一年目の今年も、20個ぐらいの貯金は稼いでしまうだろう。
だが直史の真価が発揮されるのは、ポストシーズンである。
一試合の価値が低いレギュラーシーズンは、ピッチャーはイニングを潰していけばいい。
だが短期決戦のポストシーズンは、勝てるピッチャーが重要になる。
ピッチャー全体が、ポストシーズンでは貴重になるから、ボンズはシーズンのMVPにピッチャーを選ぶな、などと言ったりしたらしい。
サイ・ヤング賞があるだろうがというのが言い分であるのだが、それならば今はバッターにもハンク・アーロン賞がある。
ただピッチャーの役割が細分化されすぎたというのは言えるかもしれない。
年に10も完投する20勝投手がいれば、さすがにそれは今でもMVPに相応しいのではないか。
ピッチャーの評価基準が、指標的になりすぎたというのもある。
大介はそろそろ今年のメトロズの状況を把握している。
やはりピッチャーが薄いのではないか。
エースクラスを先発に揃えろとは言わないが、短期決戦には弱いのではないかと思う。
オープン戦ではライトマンは、そこそこのセーブを挙げてはいるが。
先発ローテにジュニアが入り、クローザーはライトマン。
やはりリリーフが弱い。
防御率などの指標がことごとく悪いくせに、リリーフでありながら、なぜか16勝も勝ち星をついたグラハムと、契約を結ばなかった。
確かにすぐに同点にされたり、あるいは逆転されたりもしたが、45試合も登板していたのだ。
負け投手になった数の少なさを考えれば、この運が良かったグラハムは、残しておいても良かったのではないか。
ただそのあたりは、大介に責任はないが原因はある。
契約内容を変えたため、補強に使える資金が減ったのだ。
1800万ドルであったのを、3000万ドルへ。
オーナーもさらにペイロールを増やしたそうであるが、それでも切るべきところは切っていかなければいけないのだろう。
先発で投げてはいないのに45登板16勝3敗10ホールド。
このおかしな成績のピッチャーは、本当にいらなかったのか。
あるいは先発に転向させたら、ほどほどの点数で抑えるピッチャーになれたのかもしれない。
ともあれチームを作るのは選手の仕事ではない。
選手を揃えるのがGMの仕事で、選手を鍛えて運用するのがFM以下の現場の仕事だ。
オープン戦はジュニア以外にも、数人がそこそこの数字を残している。
打線は予想通り、最初は調子の悪かったベテランが、確実に仕上げてきている。
負荷をかけなければ成長どころか維持も難しい。
だが負荷がかかりすぎると、加齢によって衰えた肉体は、呆気なく壊れてしまう。
練習やトレーニングの負荷と怪我の問題。
これはアスリーツにとっての永遠のジレンマである。
打撃に関してはベテランもいるが、あるいはピッチャーが足りないと思われれば、またトレードで出て行く可能性はある。
チャンピオンを目指してずっと一緒だったチームメイトが、何の拍子もなくいなくなる。
これはNPBではなかったストレスだ。
もっとも才能の塩漬けという点では、やはりMLBの方がいいのだ。
日本にしても待遇はアメリカよりいいかもしれないが、機会を得るという点ではアメリカの方が優れている。
アメリカは才能を発掘し活用するということに関しては、とてつもなく貪欲だ。
だからこそここまでの成長を遂げてきたのだと言える。
本来は日本も日本で、独自の人材発掘と育成のシステムはあった。
それがグローバルスタンダードなどを取り入れると、上手くいかなくなる。
プロ野球に限って言えば、二軍の待遇が悪いことを除けば、ほとんどMLBの方が上だろうか。
もっともこれはアメリカが、ショービジネスに関して強いのが、根本的な理由になる。
そんなショーに限っても、日本が優っているものもあるが。
今年のメトロズの初戦は、カンザスシティ・ノーブルズとの二連戦から始まる。
ア・リーグ中区のチームとの対戦から始まり、そこからはナ・リーグ東地区のチームと地元で六連戦だ。
大介も分かってきたが、おそらくまだまだ補強の用意はある。
年俸を大きく削った分を、まだ残しているはずなのだ。
ただ主力に大きな怪我人が数人出たら、それで今年は諦めてしまうかもしれない。
怪我人を抱えたままで、さらに大きな補強をして、ポストシーズンを狙うかどうかは微妙だ。
全般的な印象として、メトロズのGMであるビーンズは優秀だ。
去年は結局、シュレンプもだがランドルフを取ってきたことが、最終的にはワールドチャンピオンになれた理由と言っていい。
それだけにランドルフを、その予定であったとはいえそのまま放出したあたり、大介にはやはりまだMLBの移籍に慣れないものがある。
優勝するために、必要なピースの選手をしっかりと揃える。
これはもちろん当たり前なのだが、不必要と思えば切れる。
そのあたりも日本であったら、なんであいつを切るんだと、もっと大きな不満が球団に上がるだろう。
しかしランドルフは、去年の七月からチームに合流した人間だ。
ワールドチャンピオンをチームにもたらしてくれたとは言え、そこまでの存在ではなかったということか。
ランドルフにしても次のチームが決まっていないわけではなく、早々に移籍は決定していた。
その契約内容も、かなり満足しそうなものであった。
ランドルフに、そこまでの価値はないと見たのか。
ストーブリーグで若手のピッチャーを多く揃えて、その中からブルペン要員を育てる。
あるいは既にマイナーから上がってきたピッチャーも、ジュニア以外にもいないではない。
(なんだかゲームみたいだな)
選手を駒のように、コロコロと入れ替える。
それが面白いと見る人間もいるのかもしれないが、大介としては一箇所でプレイしたい。
そうすることによってそこが、第二第三の故郷になるのではないか。
確かに選手のファンというのはいるし、またフランチャイズプレイヤーという者もいる。
少し安めではあるが、長期大型契約を結んで、チームが抱え込もうとする選手だ。
もっともこれはやはり、チームに資金力がないと出来ない。
なおメトロズは、その資金力があるチームである。
大介が思うにメジャーリーガーは、NPBの選手とはメンタルが違う。
メンタルの強弱ではなく、その性質が違うのだ。
移動することを苦にせず、アメリカのみならずカナダまで、年間で地球を一周半以上も移動する。
安定して一箇所にとどまる性格の人間と、あちこちに旅行することを楽しむ人間。
それが大きくメンタルからパフォーマンスに影響する。
自分はどうだろうと考えたとき、少なくとも保守的な人間じゃないんだろうな、と客観視することが出来る。
本当に保守的な人間は、嫁を二人も抱えたりしないし、そもそもプロ野球選手にはならない。
MLBで成功しない以前に、NPBでも成功しない才能のある選手というのは、そのあたりが問題ではないのか。
環境の変化に、必要以上に動揺してしまう。
これは神経が細いとか太いとかではなく、純粋にただ向いていないというものだ。
そう思う大介はいよいよオープン戦を終えて、カンザスシティへ向かう。
前年度優勝チームでありながら、オープン戦は敵地。
ただこういったカードはもう、二年以上も前に組まれているのだ。
MLBは試合数の関係上、一年間でそのカードの対戦地を、決めることが出来ない。
およそ三年をかけて、どのチームにも不利がないようにしている。
もっとも地区によって、強いチームが多く出たりする場合はある。
そんな地区では一つのチームが圧倒的に弱くなり、100敗したりするのだ。
ナ・リーグ東地区で言うなら、マイアミがそれであった。
大介はオープン戦を敵地で迎えることに慣れている。
もっと正確に言えば、ホームで迎えたことがない。
去年もアウェイであったことは確かだし、そしてNPB時代はライガースであったからだ。
大阪ドームを借りることはあっても、真の開幕は甲子園から始まる。
そのあたりが大介にとっては、よりMLBに馴染みやすいと感じた理由かもしれない。
その意味ではほんの少し、左手の小指の爪のほんの先ほどであるが、直史のことを心配している。
あちらはホームで開幕戦を行うことが出来るが、直史自身があまり、移動を経験していないからだ。
大学時代からずっと、神宮球場であった。
そして先発のローテーションのピッチャーは、チームが遠征している間も、地元に残っていたりする。
特にセの在京球団三つは、移動による負担が少ない。
かと言ってどの三チームが、常に強いというわけでもないのだが。
開幕はどちらも同じ日であるが、直史は開幕投手ではない。
そして時差を考えると、メトロズの試合の途中から、アナハイムの試合は始まるはずだ。
アメリカは日本と違い、国内に時差がある。
三箇所の時刻変更点があるのだ。
オープン戦で調整しているのは、大介も分かっている。
そしてまだ余裕を持ちながらも、完封勝利などをしていた。
ただそれでも、直史への負担は大きいだろうし、これまでに感じたことのないタイプの負担のはずだ。
その安定感は抜群であっても、経験していないことに人は弱い。
だから直史が打たれても、それほど不思議には思わないであろう大介だ。
結局は確信しているのだ。
その途中にどれだけ寄り道をしても、最後にはしっかり先頭を走っていると。
(そうやって考えていくと、レギュラーシーズンは全部前哨戦か)
傲慢な考えだ。
だがそれを悪いものだとは感じない。
本日の相手、カンザスシティはどちらかというと、低迷しているチームだ。
だが単純に低迷しているわけではなく、チームを再建しようという努力はしている。
戦力の補強は若手が中心で、今年ではなく数年後を見越している。
このあたりMLBは、スピードの早いところは本当に早いのだが、長期的な視野もしっかりと持っている。
基本的に広告塔になるNPBの球団と違い、MLBは球団自体がその価値を高めようとしている。
持続的な成長。
セイバーあたりは分かるだろうが、今の日本人には基本的に分からない。
現状維持をしていると、結局は抜かれて落ちぶれるだけだと、分かっていない保守的な人間は多い。
競争社会の自由主義経済というのは、そういうものなのだ。
大介としてはそれを、自分の成長として考える。
技術の維持をベテランは考えるという。
ただそれは単純に維持するということではなく、必死でやらなければ維持すら出来ないのだと言う。
大介はまだ、毎年自分が成長しているのを感じる。
衰えを感じ始めたら、どうやってそこにしがみつくのか。
その気持ちは、まだ若い大介には分からない。
(つっても俺ももうすぐ29歳だしなあ)
嫁が二人に子供が三人。
守るものが増えた……と庇護するような弱さは、ツインズにはない。
子供の成長を、日々楽しんでいる。
その成長に比べると、自分の技術の成長は、はるかに遅い。
0を80にするよりも、80を100にする方が難しいという。
技術は高度になればなるほど、それを向上させる余地がなくなっていく。
ただそんなことを言っていたら、直史は打てない。
わざわざ自分の人生に、五年間もつき合わせてしまった。
しかもそのうちの三年は海外。
それに相応しいだけの、好敵手とならなければいけない。
開幕戦、カンザスシティは今はそれほどの人気がないはずだが、観客は満員であった。
これはあれだ。たとえ的であっても、タイタンズとの試合は観客が入ったというあれだ。
大介を見るために、観客はここに来ている。
本日の大介の打順は二番。
去年も一番多かった打順だ。
(基本的に今年は、インセンティブが高くなるプレイをすればいいんだが)
そのために簡単なのは、ホームランを増やすこと。
しかし出塁率を高くしてもいい。
アウェイでの試合というのも、悪いものではない。
試合の開始直後に、自分の打順が回ってくるのだから。
(他の球場はどうなってんのかなあ)
直史の先発は明日だが、上杉は出番があったかもしれない。
大介の頭の中を占めるのは、その二人のピッチャーが大半である。
(いかんな、目の前の試合に集中しないと)
カンザスシティの先発も、若手の急成長中のピッチャーが先発しているのだ。
メトロズの投手陣がそこまで圧倒的でないことを考えると、先取点は取っておきたい。
だがカーペンターは追い込まれて内野フライ。
ランナーのいない状態で大介に回ってくる。
ネクストバッターズサークルから立ち上がると、それだけで歓声が上がった。
敵や味方と言うよりは、あの選手のチームなら見に行くかという心理。
おそらくにわかの野球ファンも増えているのだろう。
だが誰だって最初は、初心者であったのだ。
バッターボックスに、長大なバットを持った、小さな巨人が立っている。
そのバットが妙に大きく太く見えて、マウンド上のピッチャーはパチパチと瞬きをした。
小柄な、そしてがっしりとしているとも言えない体格。
だがその一年目の実績を考えれば、甘く見ていいはずがない。
オープン戦の成績は、かなりの高打率を維持していた。
しかし長打が減っていて、それだけミートに重点を置いているのかと思われた。
あるいは年間の打率記録を抜くつもりでもあるのか。
……ないとは言えないのが怖いところだ。
(まずはアウトロー。ボール一つを外していけ)
大介の傾向として、今年はボール球はあまり打たないようにしているらしい。
いや、それは普通に当たり前のことなのだが。
このスタジアムはMLBとしては珍しく、左右対称。
なので大介としては、どちらの方向に打っていってもいい。
(どう投げてくるかな)
そう思っていたところに、投げられたボール。
アウトローのボール球に、手が出てしまった。
「いけね」
打てると思って、反射で打ってしまった。
ボールの行方を追って、大介はバットをそっと置く。
バックスクリーンにコーンと入ったホームラン。
難しいコースを初球から、あっさりと打ってしまっていた。
(こんなことしてたら、また勝負してもらえなくなるよなあ)
本人としては、本当に打つつもりなどなかったのだが。
悪いボールではなかったし、そもそもゾーンをちゃんと外れていた。
その外角球を、レフトでもなくセンターに。
深いところにしっかりと、放物線を描いて。
引っ張ったときの強力な打球とは違うが、簡単に持っていかれた。
初めての対決にしては、あまりにも呆気なさ過ぎる。
せめて経験となれば、とベテランのキャッチャーは考えていた。
これからのチームを背負う、エースに成長してくれるはずだったのに。
大介はまたも、ピッチャーのプライドを折ってしまっている。
もちろん折った大介ではなく、折られた方が悪いのであるが。
ともあれ初球をホームラン。
今年もやはり、モンスターはモンスターであるらしい。
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