第4話 ショートのこだわり

 オープン戦で大介は、外野も守らされた。

 ショート一筋13年の大介であるが、さすがに去年も離脱はしたことがあるため、サブ要員の経験値を積ませることに文句はない。

 だがベンチに引っ込むのではなく、外野をやらされるとは。

 それでもフライの反応も早く、センターかライトを守ったりする。

「いい肩だな」

 ベンチの中では首脳陣が、その強肩を誉めていたりする。

 ショートで完全に上半身だけで、ファーストに一番深いところから投げるのだ。

 球速もピッチャーをやらせたら、95マイル近くは出る。

 ショートという花形のポジションから、今は大介を動かすつもりはない。

 ただ結局、去年はゴールドグラブには選ばれたものの、プラチナ・ゴールド・グラブには選ばれていない。

 プレイも派手であったし、各種守備指標は高かったのに、不思議なものである。

 これは一つには捕手の部門別重要度の高さで割り増しがあったのと、そこまで全ての表彰を一人に集めるのかという、謎の論理が働いたらしい。

 実はさすがにこの部門はインセンティブの対象になっていなかったので、大介も不満はなかったのだが。


 大介が何歳までプレイ出来るのか。

 それは大介が決めることではないし、首脳陣が決めることでもない。

 いつまでプレイのクオリティを維持できるのか、それが問題となる。


 バッティング面において、多大な貢献をしている大介。

 だがその長打力はさほど優れているとも言えない体格からでは、大きな負荷がかかっていることは間違いないのだ。

 もちろんこれまで大きな怪我は一度もしていない、どころか不調さえもがまずない。

 必要最低限の筋肉、というのが大きな要素なのだろうが、骨密度や腱の柔軟性や強靭性は、ある程度は天性のものだ。

 若くしてその才能を失った父親の分まで、輝こうとしている息子。

 ただいずれは、限界が来るのかもしれない。


 その時にバッティングに専念するにしても、あの守備力は活かしたい。また強肩も魅力だ。

 ならば外野か、あるいはサードか。

 さすがにここからキャッチャーをするのは、憶えることが多すぎるだろうが。

 いずれは、というのはずっと先にしても、チーム事情でユーティリティ的に使いたくなるかもしれない。

 もっともこれだけのショートを使わないのは、普通ならば考えにくいが。




 ライトやセンターといった外野を守るのも、これはこれで面白いな、と大介は思っている。

 ショートというポジションは、まさにここさえ出来ればバッテリー以外はどこでも出来る、などとやや誇張して言われるポジションだ。

 大介のような内野屋から見ると、ピッチャーというのはどこか象徴性の高いポジションで、キャッチャーもかなり特別なポジションだ。

 特に高校生の時には、臨時とは言えキャッチャーをやったので、はっきりとそれが分かっている。

 ショートにいると、まるでグラウンドの中の全てが分かるように感じる。

 だが外野からでは、はっきりとそれが具体的に見えるのだ。


(う~ん……)

 ショートをやっている自分にプライドを感じているし、むしろ打順はかなり勝手に動かされても、守備のポジションを動かされれる方がきつい。

 シーズン中はそう思っていたのだが、オープン戦でのんびりと外野から眺めていると、ちょっと違った感想を抱いたりもする。

(今日も空が青いなあ……)

 こんないい天気の日に、いい大人が楽しく野球をやっていて、本当にいいのだろうか。

 いやもちろん、それが仕事であるのだから、いいに決まっているのだが。


 ナイターの多いプロの試合だが、デーゲームもそれなりにはある。

 特に週末の青空の下での野球は、格別のものだ。

 フロリダはこの時期でも、既に寒くはない。

 オープン戦だけに、観客の表情も明るいものだ。

 この時点で暗かったら、もうそのチームは終わっている。


 本日はセンターの大介は、追いかけていったボールをスライディングキャッチ。

 基本的にダイビングキャッチは、受身が取れない状態ではやらないのがプロだと大介は思っている。

 ただ体の頑健さに任せて、やってしまうことはあるが。

 そのあたりまだ、大介の心の中には野球少年が残っている。

 まだ、飢えているのだ。

 それは逆に長所にもなるため、あまり抑えすぎてもいけない。

「よし、今日も勝ったか」

 メトロズは順調に、選手たちの調整を終えていっている。




 先発に若手が台頭してきている。

 ジャッキー・ロビンソンという名前の、野球をするしかないような名前を付けられた選手である。

 やたらとジュニア、もしくはセカンドと悪気もなく呼ばれているが、元のレジェンドとは違い、ピッチャーなのである。

 なお親は特に、そこまで考えて名前を付けたわけではないらしい。

 本人は普通に人懐こい黒人男性であるが、でかい。

 2mはあるのだから、トニーと同じぐらいか。

(そういや~、あいつどうしてんのかな)

 卒業後、ここまで名前を聞いていない以上、MLBには入っていないか、入っても芽が出なかったのだろう。

 確かにトニーはあの巨体には似つかわしくなく、あまり競争意欲の高くない、アメリカ人らしいアメリカ人ではなかった。


 大介もジュニアと呼んでいるこのジュニアだが、実はかなりバッティングの練習相手として相応しい。

 サウスポーで大きく変化するスライダーを使うのだ。

 もっとも真田のスライダーとは、何かが違うが。

 打ちにくいことは打ちにくいが、全く打てないわけではない。

(あいつのスライダーの強さっていうか左バッターへの強さも、よく分からなかったよな)

 MLBの機器で解析すれば、何か分かるのだろうか。


 サウスポーのスライダー打ちの練習をするということは、それがあ苦手だと宣言するようなもの。

 実際に数字を見てみれば、三割程度しか打っていないことが分かるだろう。

 真田のスライダーは、本当に打てなかったが。

 NPBでは不思議な縁で同じチームメイトだったが、他のチームにいれば苦戦したことは間違いない。


 甲子園では、あれほどの死闘を繰り広げた。

 実際のところ大介は、真田には勝ったというイメージがない。

 もちろん真田にしても、場外ホームランなどとを打たれたという、トラウマ級の衝撃はあっただろう。

 だが大介が、ある意味では直史以上に、天敵と思っていたのは真田だ。


 今年はサウスポーのピッチャーのスライダーの価値が上がりそうだ。

 もっとも安易な一夜漬けであれば、それはむしろ練習に丁度いいということになるのだが。

 ジュニアはまだ22歳で、大学中退からMLB入りし、一気にルーキーリーグから上がってきた俊英。

 ストレートも101マイルを出してくるので、これから期待の選手ではあるのだ。

「ねえダイ、僕は今までに対戦したピッチャーの中で、何番目ぐらいにやりにくい?」

 ちょっとアレな愛称で大介に呼びかけるジュニアだが、大介としても数百人のピッチャーと対決しているのだ。

「10番前後にはなるんじゃないかな。ただまあ一番と二番と三番が凶悪すぎて、あまり参考にならないけど」

 これぐらいは大介も喋れるようになっている。




 そしていよいよ、待ちに待った瞬間がやってくる。

 ボストン・デッドソックスとのオープン戦である。

 

 ここまで上杉は、さすがに無安打というわけではない。

 速いだけなら打てるというバッターはいるのだ。

 それでも日本時代の上杉には、まだ戻っていない。

 なのに上杉を打ったと、気楽に喜べるバッターがいる。

 当たって前に飛べば、それはヒットになるかもしれない。

 だが大切なのはそれではないだろう。

 短いイニングしか投げていないということもあるが、上杉はいまだに失点していない。


 マスコミの数が多い。

 そしてまた、試合前のマスコミの質問も多い。

 こういう時大介は、まだ英語が通じていないフリをする。

 ただそれは、下手に喋ってしまってニュアンスが変わることを恐れるからである。

「上杉さんは一年間のブランクがあるんだ。それを打てたとしても不思議ではない」

「上杉さんは自分のストレートに確かにプライドを持っているけど、それよりもずっとチームのために投げる人だ。だから今はあくまでも調整」

「対戦すれば打ってみたいか? それは腹が減っている人に食欲はあるか?と訊いているようなもんだ」

 多少は大介も、洒落た物言いをするようになってきたのだ。


 大介がアメリカに来て良かったなと思うのは、マスコミのレベルやスタンスである。

 日本にいた頃はど素人の記者もいて、別に大介はそれに怒ったりはしなかったが、説明を徒労に感じたことはある。

 逆に面白いと思ったこともあるが。

 基本的にアメリカのマスコミは、ものすごくよく勉強している。

 中には専門のスポーツ力学などを勉強している人もいて、そういうマスコミとは長く話し合ったりしてしまうこともある。

 あと何度も言われるのは、君の体を調べさせてほしいというものだ。

 去年もオフに入ってから何度も言われたが、それは散々に高校時代にやっている。

 ただ時々セイバーに連絡したとき、そういったことについて話したりすると、年齢によってそういった身体機能は変化するので、検査することは悪くないと言われた。


 上杉のボールのことを考えると、大介が一番気になるのは、加齢による目の衰えである。

 18.44mを動くボールを、目の筋肉の収縮で、ミートポイントを捉える。

 動体視力とは、筋肉によるものなのだ。

 バッティングの中で衰えるのは、致命的なのはこれだと言われている。

 レジェンド級のバッターであっても、限界であるのが45歳前後。

 40歳まで打てるバッターというのは、本当に少ない。

 子供の頃からずっとやってきた野球。

 今までやってきた時間よりも、残されている時間の方が、ずっと少ないのだ。

 そして現役を引退してから、いったい何をすればいいのか。

 そんなことを考えている暇があれば、それこそ眼球の筋肉のトレーニングをすればいいのだが、やはり何かの拍子に考えてしまうことはある。


 大介は監督は出来ない。自分でやるぐらいならヘッドコーチに丸投げする。

 あとは責任だけ自分で持つぐらいしかないだろう。

 自分の技術を他の人間に教えられるか? 

 今年ロイの様子を見ていたが、自分が学んだ中で効果的だったことを、他人にも伝えることは出来る。

 だが自分だけが持っているのだろうな、という感覚を他人に伝えても分かりそうにない。


 おそらく引退してからも、金に困ることはないだろう。

 しかし長めに45歳までプレイしたとして、そこから平均寿命まで30年間、いったい何をすればいいのか。

(あれだな。リーグの違うところに行ってでも、現役最高齢を目指してみるか)

 日本においては50歳までプレイしたピッチャーの例もある。

 ただピッチャーには、動体視力はさほど必要ではない。

(するとナオのやつなんか、技術だけで60歳ぐらいまで通用するんじゃないか?)

 どこの岩田鉄五郎だろう?


 直史の現役生活はあと三年。

 だがそれがなかったとしても、自分のピッチングが出来なくなったら、その時にはすっぱり引退するだろう。

 むしろ直史にとって、人間として社会人として生きていくのは、そこからが本番だ。

 江川のように前年二桁勝利していても、自分が駄目だと思えばやめる。

 直史などは防御率が一点になってしまったら、それでやめてしまうのではないか。




 色々と想像していたが、どうやら今日は上杉の出番は回ってきそうにない。

 クローザーが必要とされるのは、勝っている試合だからだ。

 それに大介が聞く限りでは、まだ上杉は完全には復活していない。

 MAX170km/hでは物足りない。

 樋口はそんなことを言っていたが、大介も同じ思いである。


 現在のMLBにおいては、上杉を除けば、最速は168km/h。

 だがそれは過去にその数字を出したというだけで、去年は165km/hの選手までとしか対戦していない。

 だからと言って簡単に打てたわけではない。

 直史の150km/hを、大介は打てないのだから。


 単純に球速のことだけを考えると、大介は日本の武史のことを思い出す。

 分類的には義兄であるが、実質的には義弟である。

 169km/hがMAXの武史は、それなりに大介との対戦成績はいい。

(あいつMLB来ないのかな)

 大介はそんなことを考える。


 武史は今年が、プロ入り六年目。

 大卒で入団しているので、来年が終わればFA権が発生する。

 そして今の武史に、相応しい契約をレックスが出せるのか。

 レックスははっきり言って、資本力はそれほど高くない。

 一応親戚なので知っているが、今年の年俸は4億5000万。

 去年は怪我があったとは言え、15個の貯金を作った。

 大介もMLBの選手の価値には、だいたい通じてきている。

 28歳になる武史であるが、MLBに来るなら最初の年俸は、直史と同じで三年3000万ドルぐらいは高くない。むしろ圧倒的に格安と言えるだろう。

 直史が自分の条件に合ったところをセイバーに探してもらったわけで、本来なら交渉次第では、それよりもずっと上の金額は要求できたはずだ。


 武史は直史にない、純粋なスピードを持っている。

 誰もが納得せざるをえない、圧倒的なスピードだ。

 怪我さえなければ直史でさえ、その奪三振数を上回ることは難しい。

 実際にプロ入り一年目、直史は投手タイトルのうち、奪三振だけは取れていなかった。


 真田はそのボールとの相性から、MLBに来ることはないと言われている。

 だが武史にはそんな弱点はない。

 直史ほどの異常なコントロールはないが、コマンドは充分。

 先発で年に40億稼ぐピッチャーになれるはずだ。

(でもあいつも、生活環境の快適さを考えるやつだからなあ)

 そこが問題だ。


 結婚することもあったが、東京近辺の球団ということで、レックスだけと最初から言っていた。

 実際はスターズでも行くつもりであったのだが。

 あの頃の武史はとにかく、肉欲に塗れていたのだ。

 嫁との生活をしっとりと送るために、セの在京球団以外に魅力を感じていなかった。


 ただ武史は大介や直史よりも、よっぽど俗物的な人間である。

 いや、そう言ってはなんだから、金銭であっさりと価値を計るタイプと言うか。

 恵美理の実家が裕福なため、ある程度はそれに合わせた生活レベルを必要とした。

 極論すればそれが、武史の野球をやっている理由であり。

 好きでもないことで、世界でもトップレベルの成績を残せる。

 そのあたりの才能では、おそらく大介も直史も、武史には及ばない。




 武史はアメリカに来るだろうか。

 自ら積極的には、動こうとはしないであろう。

 だが彼を誘引する要素はある。

 一つではなく複数ある。


 まず恵美理が、元々、アメリカに住んでいたことがるという点。

 これは大介も後から聞いたことだが、中学になって初めて、日本で本格的に生活することになったのだとか。

 それ以前はヨーロッパとアメリカを回っていた。

 なので家族の理解は得やすいだろう。


 そして単純に金。

 今年のNPBにおいて武史は、上杉も直史もいないリーグで投げることになる。

 おそらくは真田がよほど頑張らなければ、二度目の沢村賞を取ってしまうだろう。

 肉体の頑健さでは武史は、真田よりは上だ。

 そこまでの成績を残してしまった武史に、レックスはどれだけの年俸を準備できるのか。

 FAを取ったならば、単純に金が目当てであれば、同じ関東でもタイタンズに行くという方法がある。

 大介としてはあまりオススメしないが。


 あとは既に、ルートが出来ているということか。

 武史はあれはあれで、保守的なところというか、面倒くさがりなところがある。

 知り合いのいない土地で暮らし始めるのを、嫌がるのが武史であるのだ。

 ただ大介がいて、直史がいて、他にもほぼ同期の選手が数人いる。

 激しく年俸で選ぶのではなく、生活の便利さで選んで、年俸で妥協することすらありうる。


 最後に、これが一番ミーハーな理由だが。

 NBAを現地で見たい、というものがあるだろう。

 フロリダにもNBAのチームがあるので、自主トレ中にそれを見に行っていた。

 大介はさほど興味はなかったのだが、マイアミのチームはMLBと違って、NBAはそれなりに強いらしい。

 MLBもNBAも、フランチャイズを重視するということで、同じ地域にチームが被っていることは珍しくない。

 なので純粋に自分の趣味のために、アメリカに来てしまう。

 それがありうるのが、武史という人間だ。


 ただ、大介としてはチームメイトでないなら、歓迎するところである。

 やはり強いピッチャーとは、ガンガンと戦っていきたい。

 大介は戦闘民族の出身ではないが、散々にそれを揶揄されたことはある。

 日本で満足できなくなったピッチャーが、MLBにやってくる。

 それは大介にとっては望ましいことなのだ。

(六年目っていうことは、来年にはFA権だからな。ポスティングをするとしたら、一番いいタイミングか)

 そう、タイミングもいいのだ。


 こんなことを考えている間に、ボストンとの試合は終わってしまった。

 大介はやや手を抜いて単打一本しか打っていないのに、他のバッターが相手の先発を攻略してしまった。

 上杉の出番はなく、オープン戦で当たるとしたらそれは残り一回。

 大介はため息をつきつつ、ベンチに戻るのであった。

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