第2話 生贄

 この年、メトロズはスプリングトレーニングに、少し多めのピッチャーを招いた。

 招待選手であってもホテルなどは球団持ちであるため、コストは当然ながらかかる。

 しかしメトロズがまだ投手陣を決めきれていないのは確かだったので、それだけ必死にピッチャーを選ぼうとしている、とおおよその人間には思えた。

 中にはベテランで、年俸がかなり高くなる可能性のある選手もいたのだ。

 それだけメトロズのフロントは、ピッチャーの確保に積極的であると、そういうメッセージが伝わってくる。


 間違いではない。

 間違いではないが、完全に正しいわけでもない。

 メトロズはピッチャーを必要としていたが、それは試合で投げてもらう戦力としてだけ必要としていたのではない。


 キ――……ン……。


「お~、良く飛んだな~」

 シートバッティングに、連続場外弾の大介。

 ボールは落ちていくのではなく、彼方に消えていった。

 200m以上は飛んで、ひょっとしたら外で怪我人が出るのでは。

 そう考えて慌てて、大介の順番が後回しになる。

「シライシ、その、こういう言い方はあれだが、スタンドの中に放り込む弾道で打ってくれ」

 ひきつりながらそう言うFMのディバッツに、大介は鷹揚に頷いた。

 その日、バックスクリーンの三箇所が破壊され、もう前面改修でいいやと、このキャンプ中はそのままにされることに決まった。


 大介が鋭い打球をスタンドに運ぶたびに、ピッチャーのプライドが砕かれていく。

 それはあるいはバックスクリーンの修繕費より、よほど重大なものであったろう。

 ライガース時代にしても、大介に打たれても平気という味方は大原ぐらいであった。

 真田の場合はスライダーを封印しないと、特殊すぎて参考にならなかった。


 100マイルを投げるピッチャーが、次々とプライドを破壊されていく。

 それはもう呆気なく、時折キレてビーンボールになっても、大介はあっさりそれをバットで弾いてしまう。

 そのバットコントロールは、パワー以外でも天才的だ。

 ただあまりにも容赦がないので、そこはどうにかした方が、と首脳陣が思えるのは現役ではないからだ。

 バッターはやはり、打たなければいけない。

 大介の場合は、守備も楽しそうにするが。


 ともあれパワーピッチャーを用意して、大介にガンガン打たせるという計画は上手くいっている。

 マスコミもあれを見て、充分に満足しているだろう。

 紅白戦をやったら、もうすぐにオープン戦に入る。

 そこで他のチームのピッチャーが、大介に対してどう立ち向かってくるか。

 正直なところオープン戦では、あまり心配はしていない。

 レギュラーシーズンでどう抑えるかを考えるため、かなり正面から対戦してくるはずだからだ。

 問題は実際に開幕してからである。

 オープン戦で全勝しても、ポストシーズンに出られるわけではないのだから。


 シートバッティングにしても、あまりにも飛ばしすぎる大介。

 だがある程度満足すれば、バットコントロールで器用に内野の頭を越えていく。

 パワーなのではないのだ。

 ミートの技量が卓絶しているがゆえに、パワーを完全にボールに伝えることが出来る。

 だから飛ぶ。同じ技術を体格のいい選手が持っていれば、もっと飛ぶはずである。

 理論上はそうなのだが、どうも大介の筋肉は、理論限界を突破しているような気がしてならない。

 理論限界ナドト言うが、実際のところ筋肉の出せる力は、誰であっても同じである。

 なので筋肉の量が、多くなる体格の持ち主がフィジカルエリートとなる。




 メトロズは当然ながら、他のチームの動向にも気を使っている。

 その中でかなり特殊なのが、ボストンとアナハイムだ。

 共に今年から、日本人ピッチャーをチームに入れている。

 正確にはこの時点では、上杉はまだ招待選手なのだが。

 そこで出した球速について、MLBでは持ちきりだ。


 NPBはもちろん、WBCなどでも上杉の球速は知られている。

 だがそれらは信用がならないというのが、MLBでの実感であったのだ。

 先入観というのは恐ろしいもので、そんなスピードボールを投げるのが東洋人にいるわけはない。

 いや、チャップマンだって元はキューバであるのだが。


 本来ならば去年のエキシビションマッチで投げた、直史の方が注目されるはずであった。

 だがアメリカ人は、結局のところは大味なのだ。

 スピードという分かりやすいものに飛びつき、ニュースもそちらが売れる。

 今年の大介のホームランが、更新されるかどうかなどに偏っているのに似ている。

 個人的には出塁率をどうにかしたい。

 あとは単純にホームランを誇るのではなく、強いピッチャーと勝負したい。

 これだけアメリカは選手を集めているのだから、直史のようなピッチャーが、あと一人ぐらいいてもいいではないか。

 いや、それはおかしいのだが。


 生贄として捧げられたピッチャーたちを、大介は次々に薙ぎ払っていく。

 ただバットを振れば、それだけで倒れていく。

 チームがわざわざ用意してくれたものだが、さすがに哀れになっていく。

「またつまらぬ球を打ってしまった……」

 そして大介は、170km/hを出すマシーンに向かっていくのだった。

 現在180km/hを出すマシーンを注文中である。




 キャンプが進み、紅白戦が始まる。

 基本的にはレギュラー組とそれ以外に分かれる。

 もちろん大介はレギュラー組だ。

 味方の主力投手のメンタルを、シーズン前からポキポキと折ってもらっては困るのだ。


 やはり予想していた通り、まだ味方のピッチャーが揃いきっていない。

 また去年と同じく、バッティングで勝負ということになるのか。

「重要なのはイニングイーターがいることだからな」

 そう言うのは年齢もあるが、かなり安く二年契約をしたシュレンプである。

「本当にポストシーズンで勝つなら、またトレードデッドラインまでに選手をトレードするだろう」

「そこんとこが良く分からないんだよな」

 この一年でだいぶ、自分でも英会話が出来るようになってきた大介だ。


 去年のシュレンプとランドルフの獲得というように、本格的に補強をするのはシーズンが進んでから。

 確かに開幕すぐあたりに大介が事故などで今季絶望になったら、無理にポストシーズン進出を狙うことはなくなるだろう。

 そのあたりのリスクを考えて、この時点ではチームを完成させないというわけだ。

 日本とはそのあたり、本当に考え方が違うなと思う大介であるが、別にMLBの全てがこういう考えなわけでもない。

 ラッキーズやトローリーズなどは、常に強いチーム作りを目指しているのだ。


 たとえワールドチャンピオンになれなくても、ポストシーズンにさえ進出すれば、興行収入はかなり変わる。

 一気に戦力を集中して優勝を狙うのと、常に優勝をねらうのでは、やはりフランチャイズの力に関係がある。

 ラッキーズとトローリーズの強さの秘密は、やはりニューヨークとロスアンゼルスという、巨大なマーケットとなる都市がフランチャイズであるということだ。

 ただ同じシカゴでも、チームによって人気に差がないわけでもない。

 アナハイムなどもロスの衛星都市のような感じはするが、それだけ近距離にある。

 なので実質はロスアンゼルスの第二の球団的に、観客を集めたりは出来るのだ。


 とにかく重要なのは、この時点での戦力ではない。

 最低限の勝ち星を稼いでいくことと、チームからの離脱者がいないこと。

 あとはこの戦力でどれだけ勝てるかで、フロントの本気度も変わる。

 大介のやることは変わらない。打って、走って、守ることだ。

 

 40人枠には入る若手の他に、まだ所属せずに動いているベテランもいる。

 補強の自由度は日本よりも、よほど高くなっているのだ。

 チームが一丸となって戦うという、日本の野球に慣れた大介には、どうにも納得できないところではある。

 だがそのあたりMLBは、ビジネスであると共にシビアな数字の世界。

 チームに戦力を集めるところまでは、GMの采配である。

 それをどう扱うかがFMには求められる。




 大介を抑えることが出来れば、そのままメジャー契約だ。

 そう考えてしっかり勝負してくるピッチャーは少なくない。

 だがコントロールで勝負するならともかく、パワーで勝負するのは無謀である。

 ただコントロールがほとんど利かないと、それが幸いして狙いだまを絞りにくいということはあるが。


 ただのスピードボールであれば、大介は102マイルでも打つ。

 今年のセットアッパーの一人として期待されていたピッチャーも、あっさりと打たれてしまった。

 それでも彼はロースターに残す予定だ。

 今のまま大介に打たれたピッチャーを落としていくと、明らかに数が足りなくなるのだから。


 紅白戦はあくまでも、お互いの力を見るためのもの。

 試合に勝つのではなく、試合においてどれだけのことが出来るかを見せるかが大切なのだ。

 ただそれでも大介は、ここにまで至ると「まずいな」とは感じるようになっている。

 あまり打ちすぎると、まずい。


 どうせ打つならオープン戦だ。

 確かにこちらの手の内を見せることになるが、特にまだメジャーに昇格してきたばかりのピッチャーなどは、今の時点で叩いておくべきだろう。

 そちらの方が大介も楽しい。

「楽しそうだな」

 そう声をかけるロイも、まだ残っている。

 ここまでの動きなどを見ていると、おそらくスーパーサブ的に使われることはあるのではないだろうか。

 ただスタメンは厳しいと思われる。

 もっともロイのキャリアなどを考えると、200万ドルぐらいでの契約にはなるだろう。

 日本でなら高いが、MLBのFA権持ちとしては安い。

 ジャーニーマンとしては、ある程度の長期契約がほしいのだろうが。


 大介はさすがに、そこまで選手の起用について、上に言うような立場ではない。

 メトロズの打撃陣でそれを言うとしたら、ペレスかカーペンターぐらいのベテランになるだろう。

 そもそも大介も、他の選手の雇用についてなどは、さすがに口を出すつもりはない。

 元チームメイトとして、やれるだけのことはやってやったが。


 紅白戦が終了し、オープン戦に突入する。

 ここでさらに、競争は激化していくのだ。




 アメリカという国の、根本的な強さはなんだろうか。

 国力が高いというのは確かにその通りなのだが、どうしてその国力を維持しているのか。

 圧倒的な競争社会、経済社会、格差社会というのはある。

 あとは外部からの、新しい力の流入だろうか。


 里紗と伊里野に米国国籍を得られる権利があるように、また大介が結局はアメリカのリーグに入ったように、最高峰の場所を作る。

 広大な国アメリカには土地があり、その土地が最低限は人類居住なところが多く、資源もまだまだある。

 こういったところへ、能力だけで勝負したいという人間が、外から入ってくるのだ。


 アメリカン・ドリームは野球だけの話ではない。

 最先端の科学などは、やはりアメリカの資本を受けるのが一番早い。

 能力や成果に対して、大きな報酬を払える。

 それがアメリカの強さなのだろう。


 大介はオープン戦に入って、これまでに対戦したことのないピッチャーを打つことになる。

 最終的にはまだまだ絞られるが、あちらもこちらも選手の数は多い。

 レギュラーシーズンでは対戦せず、ワールドシリーズでも対戦しそうにないチームに、優れたピッチャーがいたりする。

 そしてそういったピッチャーは、またどんどんとトレードやFAで移籍する。

 三年が過ぎたら、とふと大介は思うことがある。

 上杉が復活して日本に帰り、直史が引退するのなら、あまりアメリカにいる理由もないのではないかと。

 もちろん年俸的なことを考えれば、そこからもう一度は大型契約を結ぶのがいい。

 だが純粋に野球の勝負を楽しむには、確実に強い選手のいる場所の方がいいのではないか。


 自主トレの期間に、上杉にアメリカでやるつもりはないのかと訊いたことがある。

 きっぱりと「ない」と言われた。

 上杉にとっては日本でやることが、重要なことなのだ。

 日本人としての意識が強くて、日本を第一に考える。

 そもそもMLBへの参戦を、挑戦などとは全く考えていない上杉であった。


 ただ、大介はどうだろうか。

 直史がいる間は楽しめるだろう。ただそれも、ワールドシリーズにまで勝ち進まなければご褒美とならない。

 そして直史にしても、約束が過ぎてまでアメリカに、そもそもプロスポーツの世界に身を置く理由がない。

 ライバルがいない中で、何のために戦うのか。

 意外なことに大介も、少しはモチベーションについて考えているのだ。


 純粋に野球を楽しんでしまえばいい。

 だが楽しむためにはやはり、ピッチャーに勝負してもらわなければどうしようもない。

 自分の記録を更新していくことに、何か意味はあるのだろうか。

 確かにそれは挑戦だろうが、孤独な道のりではある。

 直史がいる三年間。

 その間に大介は、何か目標を見つけなければいけない。

 そしてそれを達成した後に、日本へと帰ることになるだろう。

 引退は甲子園で迎えるのだ。




 三月に入ってオープン戦が始まった。

 確かに色々と試してくる、これまでにはないピッチャーたち。

 大介相手に投げてくるのは、やたらと変化球を使ってきたり、あるいはアンダースローであることが多い。

 どこかに弱点はないか、探しているのだろう。

 そしてその弱点探し自体は、間違っているわけではない。


 だが気づいているだろうか。

 そういった変則派のピッチャーをここで使うことは、大介に経験を積ませていることに。

 アメリカ以外の場所からやってきたピッチャーには、かなりクセのあるフォームで投げる選手もいる。

 確かにそれらは打ちづらくはあり、大介もてこずることはある。

 もっともそれは完全に初見であるからだ。


 オープン戦で調子よく抑えて、そしてレギュラーシーズンで対戦。

 その時までには大介は、対処法を考えているだろう。

 それにどんなピッチャーがいたとしても、直史よりも打ちにくいピッチャーはいないはずだ。

 いてくれたらそれこそ、逆に嬉しい。


 不甲斐ないバッティングによって、バットを叩き折る選手。

 大介は絶対にあんなことをしないと言うか、そもそも材質が違うため逆に怪我をする。

 だがそんな怒りを呼び起こすほど、翻弄するピッチャーがいるのだろうか。

 もしもいたとしたら、おそらくシーズン中にトレードされるのだろな、と大介は思っている。

 ワールドシリーズを明確に狙うア・リーグのチームか、ナ・リーグ東地区のどこかのチームへ。

 ただ大介を封じるためだけに。


 今年のナ・リーグ東地区は、一応はメトロズがコンテンダーとしてトップを走る。

 だが去年頑張ったアトランタと、そして補強に成功したワシントンが、地区優勝を争うライバルとなる。

 マイアミとフィラデルフィアは、まあ……といった感じらしいが。

 フィラデルフィアは再建中なのだが、マイアミはその再建もまるで上手くいっていない。

 そもそも若手を育てて、その安い戦力の中で戦うのがマイアミだ。

 もっとも大介からすると、そんなチームに長くいては、選手のほうも腐ってしまうではないかと思うのだが。


 MLBはFA権が取れるのが、六年と日本よりも早い。

 またマイナーの方にもドラフトがあって、そこで飼い殺しはしにくい状況になっている。

 もっともじっくりと戦力を整えすぎるため、実際にはFA権を手に入れるのに、それなりの時間は経過してしまう。

 年俸調停を受けてからFAまで頑張って、そこから一気に高給取りになるのが、MLBの流れだ。

 そしてマイアミは、高くなった選手はそのまま放出する。

 本気で勝つ気があるのかと、今までもこれからも、ずっと問題ではあるのだ。


 それはまあ、大介には関係のないことだ。

 今考えるのは、ボストンとの間にある、二つのオープン戦のこと。

 上杉は短いイニングしか投げていないが、完全に蹂躙している。

 去年は大介、今年は上杉と、アメリカ東海岸は動乱のシーズンを迎えている。

(下手をすれば、最後の対戦になるかもしれない)

 そう考えて牙を磨く大介に、MLBの記録保持者の慢心などはなかった。

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