エースはまだ自分の限界を知らない[第六部B N・L編]
草野猫彦
序 二年目のキャンプ
第1話 怪物の二年目
客人たちが去った後の屋敷は、別に静かにはなっていなかった。
赤ん坊が二人もいるし、幼児もうろうろ歩き回る。
子供で遊ぶのが楽しい大介であったが、やりすぎて怪我をさせても困る。
自分とあの二人の子供であるから、頑丈なことは間違いないが、それでも限度というものがあるだろう。
天才の子が天才とは限らないし、超人の子が超人とは限らない。
だが昇馬は真琴と同じように、活発な子供であることは間違いなかった。
「と言うか、真琴ちゃん元気すぎなかったか? あれが生まれてすぐ死ぬとか言われてたの信じられないんだが」
「女の子は変わるから」
「うちの子も変わるよ」
「……」
あんまり母親を見習わず、反面教師にしてほしいと思う大介である。
ジムなどに通っていると、サインを求めてくるファンに遭遇したりもする。
大介は陽キャなので出来るだけそれに応えているが、本当に並んでサインをもらいにきてたりするのは困ったものだ。
アメリカはもっとドライなものだと思っていた大介だが、単に自分が規格外なだけである。
そんなわけでメニューも、毎日変えて行うこととした。
そもそも大介のような人気者は、ストーカーなどの追跡をかわすため、毎日のルートを変えたほうがいいのだ。
「いや、早く教えてくれよ」
ツインズから聞いて、大介はそう言った。
なおこの知識はかつてツインズが犯罪行為をしたときに、追跡をする側として身に付けたものである。
スプリングトレーニングはバッテリーの方が若干早く始まり、それでもまだ先発とリリーフ、一枚ぐらいは足りないのではと思う大介である。
だが考えてみれば前年までマイナー契約だった選手と、メジャー契約をしたりもする。
しかしその契約に関しても、出来るだけ安く長く使うために、契約の日を後ろにずらしたりもするのだ。
去年既にメジャー契約にありながら、なかなかメジャーのロースターに入らなかった選手。
その中から当然何人かは、ピッチャーも選ばれるというわけだ。
もちろんキャンプに招かれた中にベテランの、まだ契約が決まっていない選手もいる。
ここ数年の成績が奮わず、いい契約が取れていない選手だ。
大介はそんなことはなかったので想像出来ないが、そういう選手だって当然ながらいるのだ。
ちなみに大介がトレーナーに頼んで探してもらったキャッチャーも、そんな中の一人であったらしい。
彼は樋口の高度なキャッチングを見て、やっとMLBを諦めて故郷に帰ったそうだ。
いや、あいつは日本でも三本の指に入ると言うか、大介がMLBで見た中でもかなり上位に入るキャッチャーなので、あまり比較にしない方がいいのだが。
とにかく、そんなわけで。
今年もスプリングトレーニングがやってきた。
こちらは既に数日が経過している。
つまるところバッテリーの組である。
東洋系の中では顔が濃く、髭の剃り跡も青い。
身長が高いだけではなく体の厚みもあり、そこから投げるボールは速く重い。
上杉が投げると、周囲が沈黙に満たされる。
同じフロリダの、ボストンのキャンプ地。
上杉並の身長の選手は珍しくないが、体の厚みはあまりない。
そこまで筋肉が発達していると、普通はキレがなくなるものだと思うのだが、軽く投げても100マイルを簡単に超えてくる。
MLBの速球に慣れているキャッチャーでも、技術に優れた者でなければ、そのボールの衝撃に耐えられない。
打てるキャッチャーではなく、捕れるキャッチャーが必要だと、首脳陣に思わせるほどの存在。
上杉勝也。
(これが故障で一年間投げていなかった人間の球か)
ピッチングコーチは正直、小便漏らしてブルペンの隅でガタガタ震えたい気分である。
ちょっと力を入れたら105マイルが出て、それを10球ぐらいも続ける。
思わず止めると、まだ力を入れていないと、通訳を通して迷惑そうに言ってくる。
なかなか、怪我をした前には戻らないのだと。
これでは大介に勝てないのだと。
大介もまた、数字でその異常さを見せてきた。
10試合以上も欠場していながら、なぜホームラン記録を更新するのか。
スタジアムの上段にまで軽々と運び、歴代の数字を塗り替えていく。
しかし上杉はそれよりも凶悪だ。
一球見れば、それがどんなピッチャーか分かる。
もしも直撃を食らったら、マスクをしていても審判などは首の骨が折れるのではないか。
もちろん科学的に衝撃を逃がし、そんなことにはならないようになっている。
だが上杉の投げるボールには、そんなありえないことを起こすような力が秘められている気がする。
まだバッターと対戦して、その威力を確かめる段階ではない。
だがスピードガンを持ったスタッフは、必ずそこに表示された数字を見て、顔を引きつらせる。
「誰だ、わざわざこれをテストしろなんていったバカは」
思わずそう呟いてしまうが、実はGMなのである。
誰も知らせなかったのは幸いである。
上杉としては不思議である。
これまでにも確かに、高校に入学した時や、プロ入りしたときに、周囲が驚くことはあった。
それがどうしてMLBでは、ここまで驚かれているのか。
驚くというよりは驚愕と言うか、あるいは愕然と言おうか。
上杉の方を見て動作が止まってしまっている人間が多数いる。
いや初日だけならいいのだが、これを何日続けるのだ。
「山手さん、これはいったいどうしたもんか」
通訳さえもが顔を引きつらせて固まっているので、ニコニコと笑うセイバーに話しかける。
セイバーとしては想像以上の効果であった。
映像で見ても分からないだろう。
だが直接目にすれば、誰もが認めざるをえない。
生物として明らかに、上杉の方が格上であると。
セイバーの計画が全て上手くいっているわけではなかった。
むしろ100用意して、1が残れば充分だ。
その代わり、その1は1000にも10000にもなる1だ。
上杉のボールは、多くの人間が目にしていく。
日本のスタジアムは球速が出やすいのだ、などと言っていたのもやがては消える。
とにかくどんな形であれ、MLBのどこかのチームで、上杉を投げさせてしまえばいいのだ。
ボストンのスタジアムは歴史があって古く、正直観客収容力は少ない。
そのためもあってか、かなりの確率で満員になっている。
上杉が投げるとしたら、それを見るために必ず客席は全て埋まる。
ライガースで、あるいは直史が投げるレックスで、起こっていたのと同じ現象だ。
おそらく今頃、ボストンのGMは頭を抱えているだろう。
上杉がレンタルされるのは、今年一年のみである。
だがこれだけ強力なピッチャーならば、多少は無理をしてでも、補強をするべきではなかったか。
いや、上杉のことは知っていたのだ。
だが肩を壊したピッチャーが、ここまで復活するはずもない。
だからこそ招待選手として招いただけで、残念ながらカット、という判断になるはずだったのだ。
それがこれはなんだ。
FMもピッチングコーチも、興奮して身振り手振りで話す。
画面で見るのと実際に目の前で見るのでは、その脅威が違う。
その球威を評して、メテオストライク。
日本人なら喜びそうなネーミングである。
今からどう動いても、チームを優勝まで強化させることは難しい。
そう考えるGMに対して、金髪の悪魔は囁いた。
「その手があったか!」
彼女の思惑通りに、事態は動いていくようになる。
キャンプ初日から、キレキレの動きをする大介である。
ノックを打たれた時の、反応の速度が尋常ではない。
バッティングにどうしても注目がいってしまうが、プロの特に首脳陣が注目するのは、その守備である。
絞れていない腹をしていても、打てるバッターはいる。
だが絞れていない体で、軽やかに打球を処理するフィールダーはいない。
……嘘である。動けるデブは存在する。
ただ大介は体重が軽く、それだけ足腰などへの負担がかからないのは事実だ。
既に暑いと言うか、一年中暑いフロリダにおいて、太陽の下でノックを取る。
(野球サイコー!)
このあたりの感覚は、佐藤兄弟にはない。
生き生きとプレイする大介を見て、首脳陣は密かに考えていたことを、とりあえず今年は凍結することにした。
それは大介のコンバート計画である。
去年のゴールドグラブを取り、プラチナグラブにはなぜ選ばれなかったのか、不思議に思われる大介。
そんな大介をセンターにコンバートというのは、誰が聞いてもおかしいと思うだろう。
だが俊足を活かすことによる、守備範囲の圧倒的な広さ。
瞬発力勝負のショートよりも、外野の方がおそらく、他の選手からの傑出度が高くなる。
身長による不利は考えられたが、ジャンプ力でそれは補える。
やはりショートというのは、どうしても怪我のイメージが強くなる。
ただ大介はそれで、ずっと日本でやってきたのだ。
負傷離脱もないではないが、それはショートをやっていたのが原因ではない。
守備負担を減らすことで、より打撃の攻撃力を増やす。
肩が強いというのも、大介のプラス要因だ。
測れば95マイルほど出たので、去年も下手をすれば、捨てる試合で登板機会があったかもしれない。
ただここまでの実績を見れば、やはりポジションを変えるのはモチベーションの低下につながる。
ただ年齢を重ねれば、確かにポジションの変更は考えられるだろう。
これはライトのポジションが埋まっておらず、カーペンターをそちらにコンバートしようか、という状況があってのものだ。
だがもちろん優先度は、ショートの方が高い。
若手のショートに出番を与えようかという話だったのだが、やはりこれはセカンドへコンバートして使うべきだろう。
大介は29歳。
そして契約は三年。
若手を上手く育てて、その後釜に据える。
ただ大介としては特に問題がなければ、同じチームでずっとプレイしたいというのはあるのだ。
選手の移動が普通のMLBではあるが、大介はNPBではライガース一筋だった。
FA権が発生した時はその動向が注目されたが、特に本人は意識すらしなかった。
もっともその時は、同じセに直史が来ることが分かっていたこともあるが。
選手生活の晩年は、またライガースで送りたい。
それが大介の正直なところである。
なおここで大介は、懐かしい顔と再会した。
「ヘーイ、ダーイ!」
「ローイ! それはやめろー!」
ライガース時代に助っ人外国人として活躍していた、ロイ・マッシュバーンである。
日本での活躍からメジャー契約を手にした彼は、それなりに活躍した。
だがあくまでも守備と足の選手としてであり、バッティングではさほどの成績を残せなかった。
最初の契約が切れてからは、複数年契約はなかなか結べず。
それでもしっぱりスーパーサブ的に、あちこちの球団を渡り歩くジャーニーマンである。
既に33歳のシーズンとなる彼が、まだ現役であるということは、実はそこそこすごいことなのだ。
基本的にMLBの選手寿命は、五年前後となる。
スタープレイヤーでなければどんどんと、ポジションは若手に取られるのだ。
同じぐらいの実力どころか、実力では上回っていても、その期待度を含めてポジションを取られることもある。
そして契約も大きな有利なものではないため、マイナーに落ちることも経験しているのだ。
それでも一度ちゃんとメジャー契約をしたので、普通なら一生食っていくだけの金は稼げているのだが。
「ワイフと離婚してかなり持っていかれて、子供の養育費も払わないといけないんだ」
「……」
嫁が二人いてガンガンと金を増やしてくれている大介には、なかなかかける言葉がない。
ロイは招待選手であり、40人の契約を結んでいるわけではない。
即ちこのキャンプの間にも、クビを切られる可能性はあるわけだ。
しかもそれは決して低い可能性ではない。
そこで「しゃーねーなー」となるのが大介であり、けっこう日本人はそんなものだろうと、自分では思ったりもする。
今のロイに必要なのは、当然ながらバッティングの能力だ。
まずは打てないという部分が、切る最大の要素になる。
守備などを見ていたがそちらは、日本時代と同じように、かなり上手いものである。
もっともカーペンターがいるので、センターのスタメンは難しいが。
(こいつならライトも出来ないか?)
そのためにも打てることが必要だ。
ロイが大介に声をかけたのは、正直打算がある。
ただ大介にしても、困ったら普通に、昔の知り合いに声はかけるだろうと考えるのだ。
まずロイは、シートバッティングからして、チームのピッチャーを打てなければいけない。
大介としては去年まで一緒に対戦していた、チームメイトから打ってもらうわけだ。
だが入れ替えが激しいため、さほどのアドバイスが出来るわけでもない。
ただ大介はその動体視力で、ピッチャーのわずかなクセを見抜くことが出来る。
自分としては基本的に使わない能力であるが、他のバッターなら役に立つだろう。
なお樋口はこれと同じことを、もっと高い精度で行っている。
なので彼は基本的に、分かっていても打てない球は打てない。
練習中にそういったことをしている暇もないため、自分の屋敷に招く大介。
まあキャンプの時間だけでは練習量が足りないため、丁度いいパートナーを手に入れたとも言える。
「凄い豪邸だな」
「お前も貯めてたら買えただろ?」
「そうかもしれないが……いや、ワイフが二人いるっていうのはどうなんだ?」
ロイも話には聞いていたが、同じ顔の嫁さんが二人というのは、多様性に富んだアメリカ人においても、なかなか理解しがたいらしい。
そしてモニターに映されるのは、大介が手に入れていたピッチャーたちの映像。
MLBでは毎年同じピッチャーでも、バージョンアップを行うため、あまり当てにしすぎてもいけないのだが。
そこで大介はわずかな手首の動きなどから、球種の見分け方を教えていく。
ぶっちゃけこれも、出来るだけの才能がなければそれまでだ。
だがロイなら出来るのでは、と大介は思っている。
ちなみに二人の会話は、日本語と英語が混じっている。
練習中ならともかく、これはプライベートだ。ただこういう場合でも、大介は通訳を使っていいとは言われている。
だがそれではロイのことがチームにはばれる。
よってツインズが通訳をしたりする。
「大介君もお人よしだよ」
そうは言うが、同じ釜の飯を食った仲であるのだ。
ロイは寮で一緒だったわけでもないが。
「こうやってあの打率と打点を叩きだしているのか?」
「いや? 初めて対戦するピッチャーも多いし、スタジアムによっては上手くクセが見えないこともある。だからそれよりは配球を気にするかな」
もっとも大介は、勝負をとにかく避けられるので、打てるコースの球をしっかりと、打っていくスタイルでやっている。
ロイとは前提からして違うのだ。
この時期はまだ一線級のピッチャーの球は打たず、マシンなどを使ったバッティング。
そちらでもまた大介は、普通に場外にまで飛ばしていたりする。
これはキャンプのスタジアムのスタンドが狭いのが悪い。
主に引っ張って打っているわけだが、場合によっては左方向にも打っていく。
ロイはとても、それを真似しようとは思わない。
「つーか金の問題だけだったら、日本ならまだ通用するんじゃないか?」
「そうなのかな?」
悩むロイがどういう決断を下すのか、それは分からない。
だが大介のキャンプは、ちょっと変わった感じで、今年は進んでいくのであった。
そうは言ってもまだプロ二年目。
五月に29歳になる大介にとっては、20代の春はもう少ない。
まだまだ成長をしながら、いよいよ円熟味も増そうかという年齢。
他の選手の世話を焼くのは、ベテランの仕事なのか。
もっとも相手は、自分より年齢では上なのだが。
ただ他の人間に教えるのは、また別の気づきがあるものだ。
他のチームのキャンプからの噂も、色々と聞こえてきたりはする。
その中ではある意味予想通り、直史よりも上杉の話題の方が多かったりするのだが。
(クッソー! もっと対戦するカードになればなーっ!)
大介の願いは叶わない。
だが違った願いは、叶ったりするのである。
×××
※ 群雄伝 悟 その二 公開しています。
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