第147話 ストライク

 大介を確実に抑えられるリードなどない。

 だが忘れてはいけないのは、こういう場合は単打までならOKだということ。

 大介が走っても、直史のクイックと樋口の肩なら、二塁で殺すことが出来る、はずだ。

 問題なのはどこかで、エラーが重なってしまうこと。

 初球からスルーを打たれて、ピッチャープレートに激突。

 それが戻ってきてファールになって、ストライクカウント。


 あのままセンターに抜けていたら、単打になっていた。

 だがファールとなって、ストライクカウントを一つ増やしてくれた。

 もっともだからといって、有利になったとは限らない。

 結果が全てであるが、この打席で大介がどうなるか。

 ツーベース以上が出れば、あの初球でヒットになっていた方が良かったと思える。

 大介の打席は、出来る限り避けたい。

 出来ればツーアウトから、対戦したかったというのは本音である。


 思わずファールのボールを捕りに行って、審判も倒して自分も倒れて、いや、これはキャッチしなくていいだろうと気付いたのは後になってから。

 キャッチャーフライではないのだ。最近はよく見かけているが。

「ソーリー、サー」

 押しのけた審判が尻餅をついたのに手を差し出し、印象の悪化を避ける。

「All right」

 自分で立ち上がった審判は、尻をはたいたものである。


 さっきは空振りしたボールを、今度は普通にミートしてきた大介。

 だがボールのミートポイントが悪く、高く上げることが出来なかった。

 アジャストすれば次は、スタンドに放りこまれるだろう。

 この打席ではスルーは使えない。

(スルーチェンジは使えるか?)

 おそらく大介であれば、それもカットしてくるだろうか。


 敬遠して歩かせることも出来ず。

 ホームランはもちろん、出来れば単打に抑える。

 もちろんアウトになるならば、それが一番いい。

 無茶なことを言っているなと、自分でも分かっている直史だ。

 そしてこの無茶振りを、樋口は受けている。


 ノーアウト満塁から一点もやるな、とかいう無茶ではないのだ。

 単打までなら大丈夫だし、長打を打たれても後続を封じる手段はなんとかある。

 あるはずである。

(二球目は……)

 サインに対して直史は頷く。

 インローへと斜めにカーブを入れる。

 ただし手前で落ちるように。つまりボール球を。


 直史の投げたボールは、ワンバウンドした。

 しかし大介はそれを打った。

 別に珍しいことではない。

 打てると思ったから打ったのだ。


 打球はファーストの頭の上、ライト線を平行に飛んで行く。

 フェンス上部へ、そのまま直撃。

 深く守っていたライトが、すぐさま追いつく。

 大介はセカンドに滑り込んで、ツーベースヒット。

 さすがにバウンドしたボールは、完全にはミートしきれなかった。

 仕損じてフェンス直撃のツーベースである。




 最悪の二歩手前だ。

 最悪はホームランであり、一歩手前はスリーベースヒット。

 ノーアウトランナー二塁で、バッターは二番のシュミット。

(ワンバンの球でも打つのかよ)

 樋口は呆れていたが、大介は甲子園などでも、そういう球を打っている。

 地面に着地して手元で変化しているのに、よくもまあ打てたものだ。

 それでもホームランにならなかっただけ、マシだとは言える。


 シュミットは直史と対戦する時も、下手にフライを打たず、上手いぐらいに打ってくる場合が多い。

 この場面では大介を三塁に進めたら、あとは三番四番に任せてもいいぐらいだが、それをやると失敗するのが分かっている。

(シュミットか)

 樋口としては大介の三盗阻止と、シュミットの確実なアウトを狙っていかなければいけない。

 外野フライは浅いものだと、大介は三塁にタッチアップは出来ないだろう。

 おそらく低いライナー性のボールを意識しているはずだ。


 内野ゴロで大介を進塁させるのが、最低限の役割だろう。

 ならばこの場面では、三振か内野フライが理想的。

 このスタジアムだけではないが、MLBの球場というのは、外野のファールグラウンドが狭いものが多い。

 なのでフライを打たせるピッチャーには、どちらかというと難しいことがあるのだ。

 ただ直史が狙うのは、内野フライである。

 

 カーブを主体にコースと緩急で組み立てる。

 シュミットはなんとかカットはしていくが、それでもストライクカウントが先行されていく。

 追い込まれれば、カットか前にゴロを飛ばすか、どちらかを優先して考えなければいけない。

 ペレスもシュレンプも、確かに強打者だ。

 だがここで大介を帰すことが出来るのは、自分のようなタイプなのだ。

 アッパースイングで飛ばしていく、OPSの高いペレスやシュレンプ。

 だがケースバッティングの能力は低い。


 直史の変化球で、内野フライを打たされたり、単純なゴロを打たされたり。

 ゴロならまだいいのだが、フライでは得点にならない。

(最低でも右方向に打って、三塁まで進める)

 それはだいたい成功するのだが、三番以降が外野フライを打ってくれない。

 直史は確かに、グラウンドボールピッチャーと思われている。

 ヒットを打たれても、内野の間を抜けていくというものが多い。

 しかし奪三振能力も、リーグ三位の高さ。

 さらには外野フライを、めったに打たれないという特性まで持っている。


 右方向に内野ゴロ。

 そう考えていたのに、内側に入ってきたボールを、左方向に打ってしまった。

 ショート正面のボールがキャッチされ、二塁の大介を牽制する。

 それからファーストに送って、これでワンナウト。

 アナハイムとしてはシュミットで進塁打を打たれなかったことが、かなりありがたいことである。




 攻略法は色々と無数に考えている。

 そしてその中のどれを選ぶかが、野球知能の高さとなる。

 シュミットの意識は右方向に打つというものが強くなっていた。

 実際にはシュミットの長打力や打率も、充分に脅威なのだが。


 シュミットを歩かせて、ペレスかシュレンプでダブルプレイ、などという考えもあった。

 だがここは上手く内野ゴロを打たせて、進塁させることもなかった。

 ピンチはあっさり、逃れられたりもする。

 ワンナウト二塁になったからには、もしも次のバッターで進塁されても、ツーアウト三塁。

 そこからはバッターに集中して投げれば、順当にアウトが取れる。


 三番のペレスはショートフライ。 

 これでツーアウトとなった。

 ツーアウト二塁になら、スタートが切りやすいので、単打でも帰って来れるかもしれない。

 だが四番シュレンプの打球は、セカンドが少し後退したところでキャッチ。

 まさにフライを打つバッターに、高めのストレートを打たせてアウトにした。

 ちょっと間違えばスタンドにまで飛んでいくものだが、上手く組み立てればこうやって安心の内野フライに抑えられる。


 ノーアウトから大介が出たのに、二塁から動けなかった。

 バッテリーが集中して配球を考えたら、こういうこともあるのだ。

 ベンチに戻る大介は、頭を抱えたい気分である。

 ノーアウトからランナーに出たのだから、チャンスではあったはずだった。

 しかもツーベースなのだから、アウトを一つ取られる間に、一つ進塁できればホームに帰ってこれたのだ。

(やっぱりホームラン狙うしかないのか)

 そうは思うがあの打球も、もう少し高さがあればホームランになっていたと思うのだ。


 実際アナハイムバッテリーは、あの一打には脅威を感じていた。

 確かに大介にはああいうボールを打った前科があるが、ワールドシリーズの最終戦で、それをやってしまうのか。

 しかもこれで大介に、四打席目が回ってくることも確定した。

 他にランナーが出なければ、第三打席はツーアウトからになるのだが。

 やはりリードがわずか一点では、全く安心できない。

 球数がやや多かったことも、気になる点である。


 五回の表、アナハイムの攻撃。

 なんとか武史のボールにバットは当たるのだが、前に飛んでいかない。

 ミートできておらず、本当にただバットに、当ててるだけになっているからだ。

 だがそれでもいいのだ。

 球数が増えてくれれば、二つ目の作戦が使えるかもしれない。

 万一にも追いつかれてしまった時、先に武史の限界が来れば。


 メトロズの他のピッチャーからなら、どうにか点は取れるだろう。

 しかしそれまでに直史が、どれだけメトロズ打線を抑え続けることが出来るか。

 四回の終わった時点で40球。

 充分に球数は抑えられている。

 だが武史が三振や内野フライを打たせて、あっさりとこの回も三者凡退。

 わずかに水分を補給して、直史は五回の裏のマウンドに登る。




 この回のメトロズの先頭は、厄介な坂本からであった。

 初球から三塁戦に、バントヒットなどを仕掛けてくる。

 幸いにもラインを切れて、ファールにはなった。

 ただタイミング的には、おそらくセーフになっていた。


 アナハイムは武史を、球数を投げさせて消耗させようとしている。

 そしてメトロズは直史を、攻撃パターンを色々と変えて、消耗させようとしている。

 もっともそういうややこしいことを考えているのは、メトロズ打線でも坂本ぐらいであるが。

 二球目は最初から、バントの構えをしている。

(バスターだな)

(バスターだろ)

(バスターかよ)

 だが投げられたカットボールに対しては、かなり引きつけてからバットを引いた。

 もちろんその程度の嫌がらせで、樋口がキャッチングをミスることはないが。

 本気でやるとしたら、ツーストライクに追い込まれてからであろう。

 そしてまた普通の構えに戻して、直史と対峙する。


 投げたのはフォーシームストレート。

 坂本の打球は、内野の頭は越えていった。

 だがその軌道は、あまりにも高く上がりすぎる。

 定位置からわずかに下がったところで、アレクがキャッチ。

 直史にしては珍しい、外野フライでのアウトである。


 高めに力のあるストレートを投げれば、それは外野フライに抑えられるはずだ。

 直史の投げるボールが、ことごとくゴロを打たせるものだからである。

 だが坂本のように、直感で読んでくる相手には、そういうボールを投げるのは勇気がいる。

 それでもここでは、ちゃんとアウトにして、無駄なピンチを作らない。


 重要なのは、ここからはランナーを出さないことである。

 ツーアウトで三打席目の大介を迎える。

 そのためには統計や確率ではなく、もっと難しい組み立てをして、出塁率の少なくなる配球をしなければいけない。


 普段の直史は、わずかにヒットを打たれる可能性があっても、球数が最低限に収まるように考えている。

 だがこの試合においては、幸運によるヒットすら許したくない。

 ここからは変化球でも、三振を取れる組み立てにしていく。

 二人を三振に抑えて、これで五回の裏も終了。

 スコアは1-0のまま、全く変わっていない。




 六回の表も、アナハイムに追加点はない。

 武史のボールに三振が二つ記録され、また上位打線のアレクに打順が回ってくる。

 ジャストミートはほぼ不可能なスピード。

 それでもどうにか当てたボールは、バットの方が折れてしまった。

 ピッチャーゴロでスリーアウト。

 バットが折れることがイコール、そのままボールの威力というわけではないのだが、見た目には派手である。


 そして六回の裏。

 メトロズは、八番からの打順。

 直史もまた、ほんのわずかにではあるが、球数を多めにして連続三振。

 ツーアウトになったところで、大介の打順。

 三度目の対決となる。


 直史が確実性を重視して、三振を奪ってきていることには気付いていた。

 普段のゴロを打たせるスタイルであると、内野を抜ける可能性が、わずかだが出てくるからだ。

 ランナーが一人でもいる状況では、大介にホームランを打たれなくても、長打で一点が入るかもしれない。

 なのでここは、確実に三振を奪ってきたのだ。


 普段は普通に、100球未満で抑えてしまう直史。

 この試合も途中までは、その方針であったはずなのだ。

 しかしランナーが一人出てから、つまり大介が打ってから、三振も狙える変化球の組み合わせで投げてきている。

(俺相手にも、そういう組み合わせで来るか?)

 ストレート、カーブ、スルー、ツーシーム、スライダーと、直史の今日のボールは、おおよそ頭の中で軌道計算が出来てきている。

 他に注意すべきは、スルーチェンジぐらいだ。


 初球から何を投げてくるか。

 考えるのではなく、既に考えてあるボールを、前提としてスイングをする。

 直史と樋口も、ここは深く考える。

 そして初球から投げられたのは、シンカーであった。

 アウトローに落ちていくボールは、わずかのゾーンから外れていく。

 ボール球から始まり、次にはスローカーブ。

 やはりアウトローのボールを、大介は見逃した。


 こちらはストライクとコールされる。

 やはりベースの上をどう通ったのかではなく、キャッチングの位置で判定が決まっている。

 バッテリーとしては、あと一つのストライクをどう取るか。

 追い込んでからなら、なんとか封じられると思うのだ。

 しかしまだ見逃すことも出来る、ツーストライク目を取るボール。

 これをどう投げるかで、意見は食い違ってしまう。


 三球目、アウトローへの高速シンカー。

 大介はこれを見送り、審判はやや遅れてボールとコールした。

 ゾーンは通っている。

 だが樋口のフレーミング技術をもってしても、わずかに足りなかったと言えるのか。


 ツーボールワンストライク。

 ピッチャーからすれば、次のボールでストライクを取りたいだろう。

 そしてバッターからすれば、おそらく次はストライクに入ってくるから、それを狙いたいと思う。

 だがそれは、凡人や一流が相手の話だ。

 超一流でさえない、たった一人「直史」という枠に入れられたピッチャーとしては、投げるボールの範囲は決まっていない。


 四球目のボール。

 スライダーが懐に入ってきた。

 大介はこれを振ったが、バットの根元。

 そしてボールはファースト方向、内野スタンドの中に入っていく。


(追い込んだ)

(追い込まれてやったぞ)

 あとボール球が一つ投げられる。

 直史は果たして勝負にくるのか、それともフルカウントにしてくるのか。

 樋口のサインに対して、珍しくも首を二度も振る。

 そして決まった。

 投げられたボールはストレート。

(ボールだ)

 分かっていたが、振っていった。

 際どい球でもなかったが、アウトハイのボールを、わざとカットしてみたのだ。


 カウントは変わらない。

 むしろ直史は、フルカウントにしてから、勝負をするつもりだったのかもしれない。

 そこで樋口と意見が合わなかったのか、それともただ首を振るサインもあったのか。

(ストレートだったか)

 ボール一つ半ほどは外れていたし、スピードも充分に乗っていた。

 レフトのファールフライになったが、このスタジアムでは外野のファールゾーンは狭い。

 スタンドに入って、キャッチされることもない。

 カウントは変わらなかった。


 さあどうする?




 直史としては、もう確実に大介を打ち取るボールなど、持ってはいない。

 ただホームランにさえされなければ、それでいいのだ。

 自分のピッチャーとしてのスタイル。

 まずそれは、三振を量産するピッチャーではない。

 しかしパーフェクトやマダックスを量産する、そんなスタイルも、直史の理想の自分とは違うものなのだ。


 直史の理想とするピッチャー。それはエースだ。

 チームを必ず勝利に導く、それがエースというものだ。

(この打席でこれを使うと、第四打席が苦しくなるけど)

 直史の気配から、樋口は投げるボールを察する。

 初見殺しになりそうなボールは、もうこれしか残っていないだろう。

 第四打席に残しておかなくてもいいのか。


 樋口のサインに、直史は頷いた。

 そしてセットポジションから投げる。

(フラット!?)

 わずかに沈んだ位置から投げられる、直史のボール。

 今日はこれによって、大介は空振り三振を奪われている。

 そして投げられたのは、スルーではない。かといってストレートでもない。


 軌道は高めのスルーかと思われた。

 そこから落ちていくなら、ほぼど真ん中に入ってくる。

 だがそのボールは、明らかに減速して大きく落ちてきた。

 大介のスイングの軌道と、それは衝突しない。


 チェンジアップだ。

 縫い目により空気抵抗を感じさせ、スルーでありながら逆の性質を持つ。

 急減速して、より落ちるこのボールは、大介も散々に苦労させられてきた。

 だがここにおいて、違うフォームからこんなボールを投げてくるのか。


 振らなければボールと判定されたであろうそれを、大介は振ってしまった。

 当然ながら審判は、ストライクを宣告する。

 ストライクスリーでバッターアウト。

 三振しないバッターである大介は、今年一試合に二度の三振をしたことがなかった。

 だがワールドシリーズの最終戦で、その貴重な経験を積んでしまうことになったのであった。

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