第132話 先制

 恐ろしい展開だと思う。

 一点を取るのが難しいのに、ホームランで一気に形勢が変わる。

 それは第一戦も同じことで、樋口のホームランは試合の趨勢を決めた。

 対して第二戦は、大介のホームランでメトロズが逆転。

 そこから追いつかせることもなく、一点を追加して5-3でメトロズの勝利。

 ニューヨークでの二連戦は、一勝一敗で終わった。


 だがこの結果に不満な者もいる。

 キャッチャーをしていた樋口と、ベンチから気配を飛ばしていた直史だ。

「どういうことだ?」

「馬鹿馬鹿しいことだ」

 問いかけた直史に、樋口は吐き捨てるように言う。

「ワールドシリーズだから勝負したんだとさ」

「……う~ん……」

 樋口の気持ちは分かるが、伝統を持たないアメリカ人の伝統への固執も、分からないではない直史である。


 アナハイムは本拠地での三連戦のために帰還する。

 この時期で既にそれなりに寒いニューヨークから、おおよそまだまだ暖かいアナハイムへ。

 おそらく決戦はニューヨークにまた向かうことになるのだろうな、と直史は考えている。

 彼我の戦力を考えれば、それは当たり前のことだ。


 試合の翌日は移動日となるため、アナハイムへ戻ってきただけの直史。

 ぷりぷり怒っていた樋口は、一晩眠ればもう冷静に戻っている。

 基本的に樋口は他人を信頼しないタイプなので、首脳陣やピッチャーのミスを責めたりはしないし、自分の正当性をひけらかしたりもしない。

 ただ次の先発のヴィエラとは、なんらかの話をしていた。


 ニューヨークではホテル暮らしであったが、アナハイムでは自分のマンション。

 異邦人であるという感覚はなくならないが、それでもアナハイムは慣れた街並だ。

 そこへどかどかと、ツインズが子供たちを連れてやってきた。

 四歳の長男を筆頭に、五人の子供である。

 世間的には双子が二組ということになっている。

 この間生まれたばかりの赤ん坊を、よくもまあ連れてきたなと思うが、そこはプライベートジェットを持っている知り合いに運んでもらったらしい。

「金銭感覚おかしくなってないよな?」

「大丈夫だよ」

「アメリカ限定」

 なおプライベートジェットなどというものは、ランニングコストがかかりすぎるので、アメリカの金持ちでも自分の財産にはしていなかったりする。


 実の兄妹ではあるが、対戦するチームの主砲の妻が、子供連れでやってくるということ。

 普段は頼んでいるシッター以外に、援軍を求めたりもした。

 子供が七人、騒がしいものである。

 ただ直史がいると、自然と静かになるのが不思議なところだ。

「一家族には広すぎると思ってたマンションだけど、客がいると確かに便利だな」

 直史はそんなことを言っているが、実家の母屋の方など、いったいどれだけの部屋があるのやら。

 田舎の旧家というのは、そんなにも広いものなのである。


 子供たちの中では真琴と昇馬が同い年であるが、生まれたのが半年ほど早い真琴の方が、今のところは大きい。

 ただ昇馬にしても同じ年齢の子供の中では、平均よりも大きいのだ。

「大介よりも大きくなるのかな?」

「そうだと大介君、ひがみそう」

「だよね」

 大介の身長コンプレックスは、根強いものがある。

 さすがにもう、あの身長だけを見て、甘くかかって来る者はいないのだが。


 子供たちを見ていると、直史の長男である明史は、おとなしい子だなと親の目線でも思う。

 ただ知能の遅れなどは感じられないので、そこは安心しているのだが。

 瑞希とツインズの間では、子供の教育についての議論がなされていたりする。

 別に直史も参加してもいいのだが、明日は投げる機会があるかもしれない。

「エミリーも来たら良かったのにね」

「ほんとにね」

 ツインズはそんなことを言っているが、恵美理は生まれ育った環境が、根本的に違うのだ。

 一例を挙げると彼女は、ベッドでなければ眠れなかったりする。

 和室の環境で育った佐藤家の面々とは、根本的に違うのだ。

 彼女の精神文化は、欧米圏のものに近い。




 アナハイムのヘイロースタジアム周辺は、観光に都合のいい施設がある。

 本場のネズミの国の遊園地も、わずかな距離にあるのだ。

 都市としては30万の人口しかいないが、ロスアンゼルスの大都市圏に含まれるアナハイム。

 ワールドシリーズ開催となって、ホテルなどもしっかりと繁盛しているらしい。


 ちなみにMLBは遠征する場合、ホテルのランクが決められている。

 おおよそどのチームも、三ツ星以上のランクのホテルで、家族で泊まれるような部屋が用意される。

 選手たちにストレスなく過ごしてほしいと思ってのもので、このあたりの待遇もNPBとは比べ物にならない。

 もっともメジャーとマイナーの格差は、NPBの一軍と二軍の格差よりも、はるかに大きい。

 直史は球団職員の車で、スタジアムに向かう。

 瑞希とツインズ、そして子供たちは、まだこの場では動かない。

 実はクラブハウス内には、ファミリールームという家族が待機していられる場所もあるのだが、せっかくなので上の子供二人を連れて、ネズミの国へ参ろうという話になるのだ。


 真琴と昇馬は普通に仲良く、手をつないで歩いていたりする。

 これを引率するのは瑞希と桜であり、椿はマンションでシッターと共に下の子供たちを見ているのだ。

 あの悲劇以来、ツインズの中でも役割分担は、おおよそ決まっている。

 動ける桜が外に出て、椿は内を管理する。

 椿もどうにか普通に歩けるようにはなっているが、走ろうとするとまだ不自由が残っているのだ。

 神経の断裂であるために、そうそう簡単に治療というわけにはいかない。

 だがこれまでの治療では限界があるため、新しい治療をしようという話にはなっている。

 神経細胞を新しく作り直す。

 それは理屈的には、上杉の肩を治療したのと、同じ系統のものである。


 人体の再生技術は、現在日進月歩となっている。

 ただ神経系の回復には、まだ応用できていないことが多い。

 現在は靭帯や筋肉の深刻な断裂に、この技術が使われてきている。

 しかしそれでも上杉のスピードは、全盛期には戻っていない。

 一度壊れた部分は、完全には直らないのだ。

 なので保存治療ではなく、トミージョンでの靭帯移植が主流になっているというのはある。

 これも同じ靭帯でも、部分によってはトミージョンは不可能であったりする。

 最近のアメリカでは学生であっても、トミージョンで靭帯を太いものに変えてしまうという、なんだかサイボーグ手術に近いものが行われていたりするが。


 実のところ直史も、肘の靭帯はやや弱いのだ。

 高校時代から、炎症を起こしたりはしている。

 もっとも肉体全体の耐久度が、そもそもそれほど高くないとも言える。

 弟妹に比べると、本来のスペックは低めである。


 だが直史が肘にメスを入れないのは、必要なかったから。

 治癒する程度の炎症であるので、放っておいたら治る。

 もちろん更なる負荷を求めるなら、トミージョンは一つの手段であった。

 しかしその人生において、右手を一年も使わずに済むという期間があったか。

 それに一年もまともに投げなければ、その技術のあらゆるコントロールは、失われてしまっていただろう。


 もしも靭帯をやってしまった場合、どうするのか。

 大介との約束はどうなるのか。

 それはもう、果たされたと考えるしかない。

 クラブチーム時代から、弁護士として仕事を始めた頃も、直史は軽いトレーニングはしていた。

 だからこそ半年あまりの準備で、プロのレベルに到達出来たのだ。

 だがおおよそ一年も必要な、靭帯のリハビリ。

 そこまでやってしまえば、直史のようなタイプのピッチャーは、もう大介と対決するようなレベルには戻れない。

 大介が対決したい直史は、二度と戻ってこないのだ。


 


 夕暮れに近い時間、第三戦は始まる。

 ニューヨークよりも開始時間が早いのは、アメリカ全土で考えた場合、時差でニューヨークでの試合の終わりが、深夜になるからだ。

 青かった空が、日が没してもまだ明るい。

 薄闇の中には、遠いロスアンゼルスの街の光が反射している。

 もちろんアナハイムの街の光も、ここには集まっているのだが。


 第三戦、アナハイムは今年16勝0敗という、無敗のヴィエラが先発である。

 もっとも防御率はスターンバックより悪いし、守備の打線の援護に助けられた結果と言っていい。

 今年35歳のヴィエラは、アナハイムとの契約も切れる。

 新しい契約を結ぶのは、実績から言えば簡単なことだ。

 問題になりそうなところは、今年は故障離脱があったこと。

 それでもそこそこいい契約は、他の球団と結べると思うのだ。


 ただこの試合、メトロズも無敗のピッチャーを出してくる。

 直史の弟である武史。

 今年は28試合に先発し、26勝0敗。

 運や援護に恵まれたヴィエラと違い、直史と投げ合っても敗戦投手になっていない。

 一試合あたりに平均で18個以上の三振を奪う怪物。

 今年のレギュラーシーズンでは、完投のないヴィエラとしては、六回までを投げて何点に抑えられるかが問題なのだ。


 この試合自体は捨て試合と言っていい。

 問題なのは、どこまでメトロズの勢いを強めないで投げられるかということだ。

 樋口はいっそのこと、ヴィエラを使わなければよかったのでは、とも思っている。

 相互の得点力と投手力、第三戦は勝ち目が薄い。

 去年のワールドシリーズの対戦を見ても、アナハイムは一試合は捨てて、エースクラスのピッチャーの休養に使っている。

 明日の第四戦は直史が投げるので、おそらく勝てるだろう。

 第五戦と第六戦、どちらかを勝たなければいけない。

 そのためにはヴィエラを第五戦、スターンバックを第六戦、そして直史を第七戦というのが正しかったのではないか。

 武史が第六戦に投げてきたら、そこも落とすことはほぼ確実だ。

 

 直史は一試合なり二試合なり、リリーフで短いイニングを投げることは覚悟している。

 終盤になんとかリードしていれば、二点以上の差があれば勝てると思っているのだ。

 一点だけであれば、大介に打たれる可能性がある。

 勝負を避けない直史には、必ず存在するリスクだ。


 だからこそ樋口としては、第二戦を勝っておく必要があったと思うのだ。

 直史に三試合を先発させて、さらにリリーフまでさせる。

 確かにNPBにおいては、四試合を勝つという離れ業を、直史はやっている。

 ただそれは、さすがの直史も限界に近いことだ。

 去年は大介を抑えるために、限界を越えてしまった。

 それでも比較的軽症であったため、今もこうやって投げている。


 直史は基本的に、壊れるまで投げるというのは、やらないし認めない人間だ。

 だが結果的に壊れてしまうというのは、仕方のないことだとも思う。

 人間の耐久力の限界は、人によって違う。

 それにいくら指導陣が気をつけていても、限界以上にやってしまうという人間はいるのだ。

 直史のやっていたことも、普通の人間なら故障することだ。

 それをやり続けて、ここまでやってきた。

 たとえ最終的に、壊れてしまうとしても、限界を突破することも人間にはあることだ。

 ただアマチュアにそんなことを求めるのは、やはり間違っているとは思うが。




 この試合は、メトロズが先行である。

 初回の先頭打者である大介に対し、ヴィエラは外にボールを外す。

 上手くボール球を引っ掛けてくれたら儲け物と思っているのかもしれないが、大介にそんな手段では通用しない。

 結局はノーアウトから、ランナーが出ることになった。


 ヴィエラはカーブ以外は、基本的に速球で勝負する。

 カットボールとツーシームで、左右に小さく動かしていくのだ。

 それなりに三振は取れるが、基本的にはグラウンドボールピッチャーに近い。

 ベテランの安定感もあって、なんとか大介の後の打線を切った。


 ランナーに大介がいるのは、厄介なものである。

 盗塁は仕掛けてこなかったが、リードを大きく取って、ヴィエラの集中力を削ってきた。

 これだからあの場面は、大介を歩かせるべきだったのだ。

 いくら俊足であっても、前に他のランナーがいれば、少なくとも盗塁の心配はほとんどいらなくなる。

 ヴィエラがベテランとしての巧みなピッチングで、どうにか大介を三塁に進めたまでで済ませたのだ。


 ランナーが三塁に行くまでにツーアウトを取る。

 ワンナウトでランナーが三塁なのと、ツーアウトでランナーが三塁なの。

 圧倒的に得点の機会は、前者の方が大きい。

 特にMLBでは、下位打線でも外野にまで飛ばすスラッガーが存在する。

 タッチアップでの得点というのは、かなり多いものなのだ。


 そして一回の裏、アナハイムの攻撃。

 この一回に点が取れなければ、おそらくこの試合は勝てない。

 武史が失点するパターンは、立ち上がりの悪さか、あるいは中盤で集中力が途切れた時のみ。

 あとはエラーが重なるぐらいだが、その奪三振率が、エラーが出ることさえも許さない。


 先頭のアレクとしては、懐かしい対決である。

 高校時代は速球対策で、散々にバッティングピッチャーをしてもらったものだ。

 それに武史の球種は、基本的にムービング系しか最初はなかった。

 ツーシームかカットボールで、そこからチェンジアップとナックルカーブを加えていったのだ。

 スプリットは結局、ポストシーズンで安定して投げられるまでには、完成しなかった。

 アレクとしてはストレートを狙っていくが、それ以外は基本的にヒットを期待しない。

 坂本のリードというのは、狙い球を絞っていくと、その裏を書いてくるものなのだ。


 メトロズとしてもアレクは、ランナーには出したくない選手である。

 盗塁を決めてくるのは足の速さもあるが、ピッチャーの呼吸を読むのが上手い。

 もちろんサウスポーの武史から、盗塁するのはリスクが高い。

 それでも盗塁をしかけてくるのが、アレクという選手ではある。


 下手に粘っていくのではない。

 球数を放らせていくと、武史の肩が暖まってしまう。

 ただでさえ暖かいカリフォルニアのアナハイムなので、むしろ武史にはこういった南の球団の方が向いているだろう。

 他のことを優先してニューヨークにいるあたり、武史という人間らしいと言うべきか。


 カットボールとツーシームで、低めの左右にボールを集める。

 試合の序盤においては、武史はこういう配球になるのだ。

 目を慣らしたアレクは、追い込まれてからムービングを狙っていく。

 だがさすがにたやすくヒットになるわけではない。


 100マイルオーバーのムービングファストボール。

 MLBの世界においても、そうはいない球速である。

 そしてそれを、狙って打つのも普通ではない。

 なんとかカットはするが、ジャストミートは出来ない。

(これを狙うちゅうがか?)

 坂本はそこから、チェンジアップのサインを出す。

 だが珍しく武史が、首を振った。


 アレクは体が泳いでも、バットの先に当てて内野の頭を越える打球を打つことが出来る。

 武史のチェンジアップは球速差はそこそこあるが、90マイル近くは出る落差に主眼を置いたチェンジアップだ。

 ならスプリットなどいらないのではないかとも思うが、武史に期待されているのは、100マイルオーバーでバッターの目から消えるスプリット。

 これが完成したら間違いなく、武史のウイニングショットとなる。


 ファールで粘られて、フルカウントにまで到達する。

 普段なら球数が序盤で増えるのは、むしろ望んだところの坂本である。

 だが今日の武史は、少しナイーブになっているのを感じる。

 鈍感な武史であっても、高校時代のチームメイトと、大学時代にバッテリーを組んでいた先輩。

 この二人の一番二番は、武史にとっては珍しくも苦手とする組み合わせなのだ。

 それでも全力を発揮すれば、打ち取れないわけではない。


 低めに決まったストレート。

 ボールになるかと思ったが、確実に伸びてきた。

 審判のコールはストライク。

 さすがのアレクも思わず、手で顔を覆ってしまった。




 一回に点が取れなければ、この試合には勝てないと思っている者が、アナハイムには多い。

 いや、メトロズの方も、序盤をとにかく警戒しているだろう。

 アナハイムは三番までは打率と長打が揃っているし、四番のシュタイナーも充分なミート力を持っている。

 アレクが凡退した後の打席で、樋口は考えながらバッターボックスに入る。


 左打者に効果的なナックルカーブを、アレク相手に使わなかった。

 チェンジアップを使わなかったのは、おそらく武史が首を振ったからだ。

 ムービング系でカウントを稼いで、最後にはストレート。

 確かに伸びて感じて、アレクが見逃すのも仕方がない。


 樋口としてもおそらく、自分にもストレートはあまり来ないだろうな、と思っている。

 序盤はムービングでストライクカウントを稼ぐのが、武史のピッチングのスタイルだ。

 なので樋口としては、ストレートを狙いながらも、ムービングにも対応出来るように心構えをしておきたい。

(そう考えるのが普通なんだろうが)

 武史の初球は、ナックルカーブ。

 右バッターの樋口の膝元に、沈んでくるボールだ。

 あるいは見逃せば、ゾーンを通っていてもボール判定されることもある。

(どんぴしゃ!)

 だがこれを、樋口は初球から打っていった。


 レフト前に運んで、まずはクリーンなヒットを一本。

 右打者相手には、それほど極端な効果はないナックルカーブ。

 それをあえて武史に投げさせる坂本に、それを読んでいた樋口。

 坂本の読みを上回ったと言うよりは、坂本の性格を把握していたと言うべきか。

 とにかくバッターの予想していないボールを投げれば、大きな火傷はしない。

 そう考えていた坂本であるが、自分の考えを見抜かれていたのだな、とちゃんと反省する。

(まあムービングよりはサウスポーのカーブは、狙っていれば打ちやすいがか)

 樋口の思考を、坂本は辿っているわけではない。

 だが少なくとも直史を、自分よりも上手くリード出来ているのは確かである。


 ランナーに出た樋口は、リードこそ大きく取らないが、細かく左右に動く。

 それに対して武史は、牽制球を投げる。

 基本的に武史のピッチャーとしてのスタイルは、大学時代に樋口と直史とともに完成させたものだ。

 それだけに自分のデータが、向こうに全てあるようにも感じる。

(やっぱりどうにかスプリットを完成させるべきだったかな)

 牽制しても樋口は簡単に足から戻ってしまう。

 おとなしくしていてくれれば、ターナーともちゃんと勝負出来るのだが。


 普段の鈍感さを取り戻せ、と坂本は言いたいところだが、武史が無駄にナイーブになっている。

 アナハイム相手に武史が勝てないのなら、かなり問題になるのだが。

 坂本はミットを叩いて、武史を集中させる。

 そして投げさせたストレートを、ターナーは弾き返した。


 103マイルの速球を、見事にライト方向へ。

 着地してからファールグラウンドに転がっていくのは、スピンが自然とかかっていたからだ。

(三ついける!)

 樋口はセカンドを蹴って、サードベースに滑り込む。

 ワンナウト一三塁。

 アレクを抑えたことで、わずかに気の緩みがあったのか。

 かなりの確率で、一点が取れる状況になっていた。


 一回の裏、アナハイムはシュタイナーの外野フライで、先制点を取る。

 やはり外野フライが打てる四番は、チームに必要であるのだ。

 その後は残塁のランナーを、さすがに返すことは出来ない。

 だが一点が入ってからの、武史のピッチングが変わった。

 普段は初回からふわふわしながらも、なんとか抑えている試合が多かった。

 しかしこの試合は、一点を取られたところから、ギアが上がった気がする。

 105マイルのストレートで、五番を空振り三振。

 敵地アナハイムにおいて、ようやく武史も目が覚めたようである。




 最初から、出来るならやれと言いたい。

 だがそれが、武史の性格なのだ。

 ポストシーズンに入ってからも、武史は問題なくレギュラーシーズンと同じように投げていた。

 本多相手の投げ合いでも、九回を完封して勝利している。


 それでもやはり、まだ武史は本気ではなかったのだろう。

 大介も知らない、武史の本気の姿。

 頼れる上級生がいる間は、それは表に出てくる必要がなかった。


 多くの人間が勘違いしているが、白富東の最強世代は、直史と大介が揃っていた頃ではない。

 もちろんそのときも、史上最強ではあったのかもしれないが、史上最高の成功を残したのは武史の世代なのだ。

 一年の夏には甲子園で準優勝し、そこからは四連覇している。

 SSコンビが卒業し、そして甲子園では真田相手に投げ勝っている。

 直史が、才能自体は自分よりもはるかに上と言う。

 それが武史の潜在能力なのだ。


 一点は取られてしまった。

 まさかと思ったが、心配していた初回の失点である。

 だが同時に確信するのは、これ以上の失点はないであろうということ。

 そして一点で負けるなら、それは打線の責任だ。

(ここは絶対に勝つ)

 大介はそう考えているし、メトロズ打線は全員が、そう考えているだろう。

 1-0で負けることは恥。

 直史以外の相手に、そんなことは許されないと、微妙なプライドを刺激される大介であった。




  ※ NL編132話へ続く

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