第131話 呪縛

 大介を打ち取るのが、次第に難しくなってきていた。

 まだあと二三打席は、どうにかなりそうなコンビネーションがないわけではない。

 だが幸いにも、味方が点を取ってくれた。

 なので通用するかどうか微妙な、相手の打ち損じを願うような組み立てで勝負してみた、

 すると立派にホームランを打たれたわけである。


 四打席目。またホームランを打たれても、点差は二点ある。

 九回のツーアウトからなら、これまでなら危険性の高いコンビネーションを使ってきた。

 それでも打ち取れる可能性は充分にある。

 普段ならばそれでいい。

 だがワールドシリーズは、あと二回は先発する予定なのだ。

 大介の打席を、多めに八打席と見積もっておく。

 その八打席で大介なら、直史に充分に対応してくると思える。

(順応の早さが異常なんだよな)

 他にそこまで、直史のコンビネーションに対応できるバッターはいない。

 おそらく高校時代からの付き合いが、大介の根底にもあるのだ。

 だから直史のピッチングの範囲を、他の人間よりも想像しやすい。

 NPBでも二年しかいなかったが、もう一年もいれば対戦経験の多いセ・リーグからは、そこそこヒットを打ってくる選手が出てきたと思う。

 その意味では選手の入れ替えが激しいMLBに来たのは、むしろ直史としては良かったのかもしれない。


 今年、ブリアンにレギュラーシーズンでホームランを打たれた。

 次の対決では封じたものの、ピッチャーは慣れられればそれなりに、打たれるようになるのだ。

 なのでピッチャーの方も、どんどんと成長していかなくてはいけない。

 もちろんそれが不可能で、プロの世界から外れていく選手もいるのだが。


 やがてどんな選手も、肉体的な最盛期を通り過ぎる。

 単純に身体能力でやっていた選手は、そこからあっという間に落ちていくのだ。

 だが技術と経験で武装していれば、まだ数年は通用する。

 そしてやがて40歳を過ぎるぐらいにまで一線を維持すれば、それはレジェンドと呼ばれるようになるのだ。


 今回の大介への、ナックルの使用。

 成功しても、失敗しても良かった。

 ナックルは根本的に、欠点は多いが完璧な攻略法もない。

 この球種を見せたことで、直史にたいする対応を、さらに範囲を広げて行わなければいけないようにする。

「本気で投げると捕れないからな」

「捕れる程度のナックルなら、あんまり意味はないからな」

 樋口をしてナックルは、キャッチングに苦労する球種だ。

 大介が空振りや見逃しではなく、なんとか当ててきたのは、むしろ幸運であった。


 直史のナックルは、実はあまり実戦向きではない。

 速度は100km/h程度しか出ていないし、コントロールもアバウトで、変化は予想出来ない。

 樋口にしてもソフトボール用のミットが、本来なら必要なぐらいである。

 だが直史は、ナックルボーラーを目指しているわけではない。


 ナックルなどを使うのは、一種の降伏宣言だ。

 普通に組み立てていっては、コンビネーションで打ち取れないと言っているのだ。

 もちろん直史は他にいくつか、通用しそうなコンビネーションを残している。

 だが残りの試合を考えれば、それで間に合うかどうかは微妙なところであったのだ。


 ナックルボールは、ただの張子の虎だ。

 フォームが普段とは違うため、投げてくるのが事前に分かる。

 またその変化量や変化の方向も、全くコントロール出来ない。

 そして何より、ストライクが確実に入るかどうかさえ、はっきりとは分からないのだ。


 現在のMLBにナックルボーラーはいないが、マイナーには挑戦している選手がいる。

 ただそれらはピッチャーとして普通には通用せず、最後の手段としてナックルにすがり付いているのだ。

 直史の場合は他のバッター相手には、こんな欠陥品は必要ない。

 また大介がランナーとして出ても、ナックルなぞは投げないだろう。

 樋口であっても完全には捕球しきれないボールは、ランナーが出れば走られ放題だ。

 だからこのボールは、ナックルボーラー以外には使い勝手が悪い。

 大介もこのボールの欠点は、分かっていたはずで、対応策も間違っていなかった。

 ナックルの揺らぎがあるのを分かった上で、フルスイング。

 あるいは見逃して、フォアボールを狙っていけばよかったのだ。


 大介との対決を逃げない直史が、フォアボールを出してしまうナックルを投げるということ。

 これは逃げではないのか?

 大介はとりあえず振って、そしてピッチャーゴロに倒れた。

 結果的には直史は、大介を打ち取ったことになる。

 だが打ち取られた大介は、釈然としていないだろう。




 試合後のインタビューでは、当然ながらナックルに関しての質問があった。

「ナックルという変化球は知ってのとおり、投げる側からしたらコントロールもつきにくいし、確実に三振が取れるとも限らない」

 ものすごく変化するナックルもあるが、それだとむしろキャッチャーの後逸の可能性がある。

「ランナーがおらず、空振りや見逃しではなく、ファールを打たせたい時には使いやすいですね」

 決め球としては微妙というのが、直史の評価なのだ。


 今日の使い方にしても、ナックルを投げてファールでカウントを稼いだら、そこから速球系でどうにかするつもりであった。

 微妙なナックルを大介があっさりと当ててくるのは、実は意外であったのだ。

 投打の対決というのは、ピッチャーが必ず有利である。

 それは史上最強とも言われるバッターである大介でさえ、打率が五割に満たないことでも明らかだ。

 ホームランを捨てれば五割を打てるのでは、などと言われたりもする。

 確かにそれは五割に達するかもしれないし、出塁率も上がるかもしれない。

 だが長打率の低下で、間違いなくOPSは低下する。


 そもそも勝負を避ける手段は、ピッチャーの側にしかないのだ。

 それを考えれば、ピッチャーというのは、抑えて当たり前とも言える。

 もちろん実際には、そんな無茶苦茶なピッチャーはそうはいない。

 インタビューの中には、今後もナックルを使うのか、というものもあった。

「使えるものはなんでも使う。勝つためには当然のことだ」

 それが直史の信念であるが、もちろんルールの範囲内で行う。

 そのルールに認められた敬遠を、直史は大介に対してはしない。

 ブリアンは敬遠したのに、大介は敬遠しないというのは、おかしな話にも見えるだろう。

「私一人が抑えれば、ポストシーズンに勝てるわけではない。ミネソタとの試合は、あそこで抑えてしまえばもう決まりだから、歩かせたにすぎない」

 こんなことを言っているが、もちろん大介との対決は、直史にとっても特別なものなのだ。


 調子に乗った記者が、バッターとして対決した場合、どちらの方がやりにくいのか、などとも尋ねたりした。

「それはバッターとしての数字や指標を見れば、簡単に分かる話だ」

 大介の場合は、足があるのも厄介なのだ。

 下手にホームランを打たれるよりも、ランナーとして引っ掻き回されて、ビッグイニングになる場合すらある。

 そのバッターだけではなく、その前後の打者まで考えなければいけないのが、大介とブリアンの違いだ。

 総合力では大介とブリアンは、全く選手としての能力が違う。


 初めてのポストシーズンでの失点についても、尋ねてくる記者はいた。

「人間が投げるのだから、いつかはホームランも打たれるだろうし、試合に負けるのも普通でしょう」

 少なくともプロ入り以降、直史は公式戦では負けていない。

 オープン戦では負け星こそついていないが、そこそこ打たれているのだが。

 レギュラーシーズンの開幕が近づくにつれ、段々と打てなくなっていくのは、対戦相手もよく分かっていることである。

 

 佐藤直史は負けない。

 今日のホームランにしても、既に点差があったからこそ打たれたもの。

 1-0で勝つことはあっても、0-1で負けたことはない。

 それに一番近いのはNPB一年目の、15回延長0-0引き分け。

 上杉と対戦して、どちらも一人のランナーも出なかったという、伝説の一戦だ。

 クラブチーム時代は、練習試合なら味方のエラーで負けていることもある。

 だが都市対抗の予選などでは、直史の投げた試合では負けていない。


 負けてもいい試合があるように、点を取られてもいい試合がある。

 直史としてはこの試合は、三打席目は今の大介の能力を測るための勝負。

 そして第四打席は、今後の布石となる打たれてもいい打席。

 最後にワールドチャンピオンになるのは、アナハイムだ。




 翌日、ワールドシリーズ第二戦。

 前日完投の直史は、当然ながら完全休養。

 練習の時間には軽くランニングをして、ストレッチと柔軟体操、そしてキャッチボールをした。

 あとはホテル内のプールで、軽く泳いで終了。

 第四戦までの中三日間で、体調を整えなければいけない。

 それは普段の直史にとって、それほど難しいことではない。


 かなり自由に調整をさせてもらっているが、ホテルの外には出ないようにしている。

 ニューヨークはイリヤが殺された街なのだ。

 ましてや今は、ワールドシリーズ中。

 とち狂ったメトロズファンが、信じがたい凶行を起こすこともありうる。

「ブラジルのサッカーだと、けっこう選手が殺されること多いからね」

 ニコニコと笑いながら、アレクは言っていたものだ。 ※ 実話です。

 なお試合結果でファン同士の殺し合いになることも、珍しいことではない。


 本日のアナハイムの先発は、スターンバックである。

 メトロズはウィッツであり、24勝3敗と、22勝4敗という、頭がおかしくなりそうな数字を残したピッチャー同士の対決となる。

 ミーティングが終わった樋口は、クラブハウスでデータを書いた紙を、テーブルの上に広げていた。

 その中には自分で書いたものと思われる、ペンで記したデータもある。

 アナログなのではない。

 ぶっちゃけ今でも、データを最も早く記入するのは、ペンで書くのが優れている。

 野球の場合は特に記号や数字が多いため、間違ってはいないのだ。

 ただMLBでやっていると母国語でないため、樋口としては一度日本語に直すという手間が必要になる。


 昨日の試合でどれだけ、メトロズの打線がダメージを受けていることか。

 ヒットの扱いとなったのは、結局大介の二本だけではないか。

 その直史とスターンバックは、球速が5~6マイルほども違う。

 直史の遅いボールに慣れていたら、普段よりも体感速度は速いかもしれない。


 そしてメトロズのウィッツだが、これもまた打つのは難しいピッチャーだ。

 数字の上ではジュニアの方が優れた指標が多い。

 だがウィッツは、ランナーを出す割合に比べて、取られる点数が少ない、

 ジュニアよりも、ダブルプレイを取りやすい傾向にある。

「左のサイドスローだからなあ」

 球速上限は直史とほぼ変わらない。

 だが左のサイドスローというだけで、ボールの軌道は平均から大きく逸脱する。


 今年35歳のベテランは、中継ぎをやっていた期間も長かった。

 だが先発として投げれば、充分以上のグラウンドボールピッチャーとして機能する。

「隠れた準レジェンド級のピッチャーだな」

「けれどポストシーズン向けのピッチャーじゃないんじゃないか?」

「このレベルだとスタイルはもうあまり関係ないな」

 樋口はウィッツを高く評価しているらしい。


 去年のウィッツはワールドシリーズ、一試合しか先発していない。

 だがリーグチャンピオンシップで二試合を投げていて、どちらも勝利に導いている。

 もっとも一試合を完封するような、そういうタイプのピッチャーではない。

 アナハイムの先発スターンバックは今年、完封を一度経験している。

 ピッチャーのクオリティならば、今日もアナハイムの方が上だ。

 しかし打線の爆発力は、メトロズの方が上。

 ロースコアともハイスコアとも違う、一般的な点数を取り合う試合になるのだと思う。


 そういう試合においては、キャッチャーの判断が重要になってくる。

 アナハイムのピッチャーは他の球団と違って、キャッチャーの判断に重きを置いている。

 ただの壁としての機能なけでなく、ランナーが走ったら殺してくれるし、そのリードは間違いなく的確だ。

 それだけに余計、樋口には負荷がかかっている。

 直史が三試合に投げて勝っても、残りの四つを取りこぼしたら優勝は出来ない。

 昨日完璧に抑えられたメトロズが、果たして一日でどれだけ士気を上げていられるか。


 直史との話し合いでは、三試合のうち二試合は、おそらく勝てるだろうと計算できている。

 たとえ一点ぐらい取られても、打線の援護が三点ほどは期待できるからだ。

 だがメトロズが武史を出してくれば、おそらく入るのは一点か二点。

 直史に負け星がつくとしたら、その対戦しかない。


 アナハイムは直史以外のピッチャーで、二勝するべきだ。

 ならばおそらくは、メトロズを倒すことが出来る。

「白石の調子で、今日の試合は決まるな」

 樋口はそう言うのだが、直史としてはそれに同意しながらも、難しい顔をしてしまう。

 大介はメンタルにおいて、そこそこ揺れることはある。

 だが何かをきっかけに調子を取り戻せば、そこから爆発するのだ。

「状況によっては、俺がクローザーする」

「それは……」

 決めるのは最終的には、FMのブライアンだ。

 しかしオリバーの進言と重なれば、その望みは叶えられるだろう。


 完投した次の日に、エースがクローザー。

 さすがのMLBでも、ここ最近ではそうそうないことだ。

 直史は第四戦も、先発の予定なのだ。

 昨日は結局、104球も投げている。

「それが一番、楽に優勝できる選択のはずだからな」

 平然という直史に、確かにそうなのかもな、としか思えない樋口であった。




 ワールドシリーズ第二戦。

 サウスポーをさほど苦手としないアレクであるが、さすがにベテランのサイドスローが相手となると、いささか分が悪い。

 すこしは粘ったものの、最終的には内野ゴロでアウト。

 そして二番の樋口である。


 アナハイムの上位打線は、比較的右バッターが多い。 

 樋口にしてからが、右バッターなのだ。

 基本的には左バッターの方が、一塁に近いため有利なのが野球の理論。

 その中で理論の塊の樋口が、右打者であるというのは、彼を知る人間からすれば不思議な話である。


 なぜかと言えば、単純に樋口は左目が利き目なだけである。

 またシニア時代は普通に、左バッターへの転向も考えた。

 だが実際にはサウスポー相手の対策、またキャッチャーとしての技術向上を考えたため、結局は右打者のままなのである。

 ちなみに左打席に入っても、ある程度は打てる。

 大介の右打席ほどではないが。


 ウィッツの武器はコントロールであるが、その中でも厄介なのが、アウトローぎりぎりの出し入れである。

 ストレートでの出し入れもだが、カットボールを投げてくると、キャッチングの位置によって、ボール球がストライクになる。

 直史もやっていることなので、文句は言えない。

 樋口としてはそれを上手く見逃して、審判がボールだと認識するようにさせたいのだが。


 バッターボックスの中で考えるのは、この打席をどうするかということ。

 ウィッツはベテランであり、何かをしかけてもそうそう崩れるということはない。

 そして左バッターに対しては、相当の制圧力を持っている。

 ただ三振奪取率は、それほど高くはない。特に右バッター相手には。


 ターナーの前でランナーとして出塁し、なんとかチャンスを作っておきたい。

 四番のシュタイナーは左なので、ウィッツ相手にはいささか荷が重いのだ。

 その後のDHの五番も、左打者。

 アナハイムは左打者にやや偏っている。


 なんとかアレクに出てもらって、自分がそれを前に進めて、どうにかターナーに返してもらう。

 漠然とした計算では、それが一番ではないかと思っていた。

 しかしアレクがアウトになったため、そのアバウトな計画は破棄された。

 ここからどうにか、一点を取っていくのか。


 フロントドアで入ってくるカッターを狙い打ちというのは、一つの手段ではある。

 だがそれをこの場面で、やってしまっていいのか。

(メトロズはリリーフ陣は、あんまり良くないんだよな)

 クローザーのレノンはともかく、セットアッパーがやや弱い。

 第一戦においても、取られてはいけない四点目を取られてしまった。

 勝ちパターンのピッチャーでなかったので、それはそれで仕方がないが。

(ナオが投げるわけじゃないから、五点は取っておきたい)

 そう考える樋口は、いつも通りに気配を消して構えている。


 対する坂本としては、バッターとしてはかなり厄介だなと感じている。

 日本的なキャッチャーと言える、作戦理解力。

 バッターとして見た場合、ケースバッティングをしっかりとしてくる。

(アウトローはむしろ危ないか)

 そう思って、むしろ内を攻めていく。


 ウィッツのツーシームを上手く使えば、右バッターにとっては自分に当たるような球が、変化して内角に突き刺さるのだ。

 またチェンジアップも使って、ツーストライクまでは追い込む。

 そしてここからは、アウトローを使うのだ。

 ボールからゾーンに、ぎりぎりで入ってくるカッター。

 芸術的なコントロールであるが、樋口のバットはそれを捉えた。

 足の踏ん張りが足らず、ボールはスタンドまでは飛んでいかない。

 だが外野の頭を越して、ツーベースヒット。

 昨日から完全に、主役的な仕事をしている。




 一回の表は結局、アナハイムが一点を先制した。

 ターナーがクリーンヒットで一三塁にした後、シュタイナーがどうにか外野にまで運んで、タッチアップでの一点だった。

 このシリーズ、アナハイムは四番のシュタイナーが、地味に重要な仕事をしている。

 一点では足りないかな、とも思う樋口であるが、まずはこの裏を抑えなければいけない。

 一番バッターは大介。

 昨日の試合ではいきなりツーベースを打たれて、せっかくの先取点を追いつかれるところであった。


 シュタイナーのスライダー系を使ったピッチングは、左打者の大介の膝元に集まる。

 これを上手く投げていったら、内野ゴロを打たせることが出来るのではないか。

 もちろんインロー一辺倒では、逆にそれを狙われてしまう。

 アウトローやインハイとの組み合わせ。

 そうやって普通なら打てないコンビネーションを使っても、大介は打ってしまうのだが。


 打線をつないで、ようやく取れる一点。

 それを狙って一人で取ってしまう、ホームランアーチストが大介だ。

 国際大会で何度か、同じチームになったことはある。

 その時の対戦相手であるアメリカ代表は、後に何人もメジャー入りしているのだが。


 あの頃は前にランナーを二人ほど出しておけば、長打で複数点を取ってくれる頼もしい相手であった。

 だが敵に回ってみれば、とびきり厄介な相手だと、NPB時代は苦労したものだ。

(単打までなら及第点)

 インローとアウトローを使い分けて、カウントを稼ぐ。

 そしてしとめるのは、高めのストレート。

 ただしゾーンはしっかり外して、ちゃんと狙って投げるのだ。


 抜けてしまった高めのストレートではなく、あえてスピンをかけた高め。

 ここまではカットボール系で、少し沈む球を投げてきた。

 もしも昨日の試合のショックが残っているなら、このボールをミスショットしてもおかしくない。

(なんとか外野フライにまでに抑えられるか)

 大介のバットは、全力で振り切られた。


 ボールは高く上がって、センターのアレクが追いかける、 

 いつまでたっても落ちてこないと思ったら、むしろ逆に失速していく。

 慌てて前進したアレクのグラブに、しっかりとキャッチされる。

 おそらくボールにかかっていたスピンと、上空の風のせいで、こんな打球になったのだろう。


 肝を冷やすフライであったが、これで無事にワンナウト。

 ただ計算通りではあるものの、樋口は笑みを浮かべたりをしない。

(昨日のダメージは、あまり残っていない、か)

 わずかなミスショットと言えるかもしれないが、フルスイングしてきたのだ。

 マウンドのスターンバックも、少しおどけたような顔を見せた。

 なんとかこの試合、優位に進めていけないものか。

 少なくとも守備に関しては、樋口が全力でグラウンド内を指揮していた。




 ベンチの直史からすると、上手くはぐらかすような試合だな、と感じる。

 メトロズのウィッツにしても、グラウンドボールピッチャーだ。

 スターンバックはMAX160km/hオーバーのピッチャーだが、それでもカット系のボールを上手く使い分ける技巧を持つ。

 そんな一流のピッチャー同士の対決であっても、お互いの打線はそこそこの点を取っていく。


 バッティングのスイングスピードと、ピッチャーのストレートのスピードは、間違いなくMLBがNPBを凌駕する部分だ。

 だが自分はそういった速度に頼らず、技術で相手を抑えている。

 だからそういった技術までそろえた大介や、あるいは織田などが厄介な相手なのである。

 井口などは長打力は織田より上であるだろうが、直史にとっては一発の事故以外、それほど恐れる相手ではない。


 直史がこの試合に投げるとしたら、九回限定。

 アナハイムが勝っていて、そして大介の打席が回ってこないという状況だ。

 一点差で大介の打席が回ってくるなら、もう確実に抑えきれるとは言えない。

 大介にしても直史がナックルを投げると分かっているのだから、それへの対処も考えているだろう。

 主に大介ではなく、その妻たちが。


 だがこの試合は、直史が投げるべきかどうか、なかなか判断の難しい展開になっている。

 先制したのはアナハイムであるが、メトロズは長打二発を連続し、一点を取ってくる力がある。

 追いつかれたらアナハイムは、確実に得点を狙っていけるのは上位のみである。

 元々守備特化の人間を、下位打線に回しているのだ。

 打てる選手がいないと困る他のチームと違い、アナハイムは守備の力で、ピッチャーをフォローするのだ。

 直史以外のピッチャーの時は、二遊間を丸ごと入れ替えることもある。

 内野においてここの連携は、おそらく最も難しいことであるのだ。


 そしてほんのわずかな優位に進めていた試合も、ホームラン一発で逆転される。

 打ったのはやはりというか、大介であった。

 ランナーがいて、しかもホームランなら逆転という状況で、大介と勝負する。

 自殺行為だと思うのだが、樋口はフォアボールになってもいい組み立てをしていた。

 しかしベンチとピッチャーには、欲があったのだろう。

 リードしているのだから、素直に歩かせても良かったのだ。

 しかしスターンバックの好投で、そのあたりの判断が鈍ったか。


 ワールドシリーズは、レギュラーシーズンとは全く違う熱狂を持っている。

 もしも歩かせれば、敵地にて大きなブーイングを受けただろう。

 おそらく第六戦か、第七戦までこの対戦はもつれる。

 その時にも相手のホームのアドバンテージに、流されて勝負をするのか。

(そんな馬鹿な真似は、俺だけでいいだろうに)

 激しく動く試合で、メトロズがリード。

 試合は終盤に入っていく。




   ※ NL編131話に続く

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る