七章 対決
第128話 主導権
※ 七章は基本的に全て、AL編が前編、NL編が後編となります。
×××
いちいち大げさな、ワールドシリーズの開幕。
巨大な星条旗が、グラウンドに広がる。
アウェイチームから首脳陣やメンバーが、順番に紹介されていく。
ここでも普通にブーイングが飛ぶが、一番盛大にブーイングを浴びたのは、やはりと言うまでもなく直史であった。
逆にホームチームには拍手が送られるのだが、お前らがブーイングを送ったエースの弟が、味方のエースであり、義弟が味方の主砲であるのだが。
このあたりスポーツの応援をする人間は、頭の悪い者が複数混じっている。
仕方のないことだし、どうでもいいことだと直史は思っている。
国歌斉唱をするあたり、本当に野球はアメリカの国技なのだなと、感心する直史である。
なお実家では休日に、国旗を玄関に飾っている。
さすがにマンションで暮らしていた頃には、そんなことはしていなかったが。
ホームの守備側メトロズナインが、各ポジションに散っていく。
そしてバッターボックスには、アレクが入る。
今季の打率は0.342とア・リーグトップ5に入るほど高い。
これでも出塁率を重視した結果であるのだ。
先頭打者のくせに15本前後のホームランを、この数年は打っている。
またこれまではポストシーズンにあまり出ていないので知らない者もいるかもしれないが、大舞台でのパフォーマンスは普段よりも上がっていく。
大介ほどの化け物のようなお祭り男ではないが。
リズムを取るように足と腰が動いている。
それがセクシーなどと言われていたりもしたものだ。
本人としては本当に、タイミングを取るために必要な動作なのだ。
(基本的にはストレートとツーシームで押して、時折チェンジアップを使うタイプ)
ジュニアに関する情報は、しっかりと頭に入れているアレクだ。
(割と一回のピッチングから、安定しているタイプ)
本格的にメジャーのローテに入ってから、まだ二年目。
だが去年は18勝、今年は21勝と、勝ち星だけを見ればスーパーエースである。
防御率などを見ても、確かに普通のチームの一番手か二番手ではあるのだろう。
しかし守備指標と打線の援護を考えれば、13勝7敗程度が相当と、アナハイムの分析班はデータを出している。
必要以上に相手を強いと思って、萎縮する必要などはない。
(右だからやっぱり、ツーシームあたりから入ってくるかな?)
真ん中外寄りと思われた、速球が第一球。
アレクの出したバットの先で、ボールは外に逃げていく。
ヘッドを走らせることを意識して、無理に引っ張ろうとはしない。
打球は飛び上がったサードの頭を越えて、ライン近くに落ちた。
アレクは打球の行方を見ながら、一塁をぐるりと回る。
レフトの処理が遅ければ、二塁まで一気に行くつもりではあった。
だが二塁に早く返球されてきたため、一塁でストップ。
続く樋口にあとは任せる。
二番の樋口は、これまた打率は三割を余裕で上回り、また出塁率も相当に高い。
そして大舞台に強いのは、これまたNPB時代から言われていることだ。
MLBのピッチャーのスピードや変化球に対応するのは、さすがに一年目では難しい。
だがそれでも20本以上のホームランを打っているのだから、日本人選手としては間違いなく立派なものだ。
なおアレクと揃って、OPSが0.9を超えている。
大介の1.4とかを見ているとおかしくなるが、本来ならば相当に高い数字なのだ。
センターとキャッチャーという、守備範囲の一番広いポジションと、守備の要のポジション。
そんなところを守る二人が、これだけの打力を持っているチームは他にはない。
打てるキャッチャーが少ない時代だ。
作戦が複雑化し、情報を多く扱うことが平常化している。
ただMLBのキャッチャーは、まだしも扱うタスクが少ない。
NPBのキャッチャーの方が、そういった情報処理の点では、優遇されているはずであった。
だがキャッチャーもコリジョンルールの制定以降、フィジカルに必要とされる方向性は変化している。
頑丈で鈍足なキャッチャーというスタイルは、MLBではもう通用しないのだ。
そんな中でも樋口は、ブリアンが今年に新人王の資格を持っていなければ、おそらくア・リーグの新人王に選ばれていただろう。
盗塁阻止率は直史とバッテリーを組んだ場合は、ほとんど100%にもなる。
あえて最初から、ランナーよりもカウントを選んだ場合でない限りは。
後半になってターナーの打点の伸びが微妙になったのは、樋口が自分で点を入れてくるようになったからだ。
それでも基本的には、出塁を重視するのが樋口だ。
初回にアレクと樋口のどちらもが凡退する確率は、今年のアナハイムは二割ほどしかなかった。
ランナーのいる状態で、一番長打力のあるターナーに回る。
そういう状況を作り出すことを、樋口は狙っている。
アレクに初球を打たれたため、ジュニアはまずアウトローに外れるストレートを投げてきた。
100マイルが表示されて、さすがは次代のエースとも言える存在である。
(出来ればツーシームが内に入ってきたところを、こつんと当てたいんだよな)
ここで樋口が狙うのは、長打ではない。
もちろん狙い球が絞れてきたらそれもあるが、基本的には出塁することでアレクを二塁に進める。
最悪でも進塁打を打たなければ、自分が二番に入っている意味がない。
ボール球が続いた後に、投げられたのは真ん中近辺のボール。
だがわずかな変化が、それがツーシームだと教えてくれる。
内角のボールを引っ張り、軽くフライになる程度に打ち上げる。
またもサードの頭を越えるような打球になる。
(よし!……え!?)
ショートの大介が、跳ねるようにその打球を追っていた。
まさか追いつくのか、とアレクの進塁の足が止まる。
わずかにグラブが届かなかったものの、おかげでアレクも二塁に進むのがぎりぎりになった。
下手をすればセカンドでアウトになっていたかもしれない。
結果としてはアウトにならなかったものの、尋常の守備範囲ではない。
(だいたいショートをやってた人間も、衰えてきたら外野とかセカンドとかにコンバートされるもんだけど)
ゴールドグラブを受賞しているのは、伊達ではないというわけだ。
これでノーアウトランナー一二塁。
アナハイムとしては絶好のチャンスで、主砲のターナー。
不思議でもないがアナハイムは、一番から順番に、打率は低下していく。
ただそんなターナーでも、打率三割をキープしているのだ。
今年もホームラン数はア・リーグ二位で、OPSも1.0を超えている。
一塁の樋口に足があるため、長打の具合によっては、一気に二点入ってもおかしくない。
かといって一回の表から、敬遠するなどありえないだろう。
ここで最悪なのは、やはりダブルプレイあたりであろうか。
ターナーは強くスイングすることを意識する。
まだジュニアがチェンジアップを投げていないことが、今のところの注意点だ。
出来れば早めに速球を叩いて、外野にまで持っていきたい。
二点入れば、この試合は勝てる。
それがターナーの意識である。
肝心の直史は、この試合は出来れば三点はほしいと思っている。
大介はブリアンより危険で、しかも逃げられないバッターだ。
打ち取るためのピッチングというのは難しい。
単打までに抑えるなら、それなりに簡単かもしれないが。
先頭打者の初回は、自由に打っていける。
だが出塁を重視して単打までなら、充分に許容範囲内だ。
初回で二点取ってくれれば、リスクを取ってでも強く打っていくべきか。
(二者連続でヒットを打たれて、初球からゾーンには入れてこないはずだが…)
キャッチャーが坂本だしなあ、とターナーは思う。
坂本は樋口と比べると、理詰めで物を考える傾向は弱かった。
だが相手の意識外から攻めていくというタイプで、これはこれで厄介であったものだと、他のチームの選手は言っていた。
(ロビンソンのメンタルを考えて、ど真ん中にストレートを投げさせたりもする、か?)
さすがに坂本でも、この舞台ではそんなことをしそうにはないが。なおロビンソンはジュニアの本名であるぞ?
そしてど真ん中にストレートが投げられて、ターナーは振り遅れた。
かろうじてバットには当てたがファールゾーンに転がり、絶好球をしとめ損ねてしまった。
ただ球威自体は相当にあったものだが。
これでチェンジアップが使える。
そう思っていたところに、また投げられたのはストレートであった。
今度は完全に意識していなくて、空振りするターナー。
ストレート二球で追い込まれてしまった。
素早く打席を外して、がつがつと地面を蹴る。
そしてもう一度ゆっくりと、足場を固める。
少しは落ち着いたように見せているつもりだが、次は何を投げてくるのか。
(ストレートかチェンジアップかツーシームか)
ジュニアの主な球種はその三つだが、他にも投げないことはない。
カーブあたりを投げてきたら、果たしてちゃんと打てるかどうか。
迷いがある。
そんな迷ったターナーに対して、投げられたのはツーシーム。
懐に切れ込んでくるボールを、かろうじてターナーは打った。
完全に打ち取った当たりであったが、そこに運命の偶然性が発生する。
ふわふわと浮いたボールは、またもサードの頭の上を通過。
今度は大介が追いつけないと、確信できる場所。
ただ内野フライかと思ったため、アレクのスタートは遅れていた。
三塁でストップし、ノーアウト満塁。
普通に連打で一点が入るより、よほど珍しい展開である。
なんだこれは、と思わないでもない。
一回の表の攻撃で、ノーアウト満塁。
ワールドシリーズの第一戦で、この展開はなんなのだ。
この裏に投げるのは、MLB史上最強にして最高のピッチャー。
グランドスラムでも出たら、いきなり試合が決定してしまう。
四番のシュタイナーは、バッターボックスに入った。
前の三人に比べれば、打率は三割を下回る。
だが長打力が高いために、OPSはアレクや樋口とほぼ同じぐらい。
大量点は期待できるが、期待値的には同じぐらい。
満塁では勝負したくないバッターだが、満塁ゆえに勝負を避けることも出来ない。
坂本がマウンドに近寄って、ジュニアと話をしている。
アナハイムでもよく会話をしていた。
おそらくターナーの打球は、打ち取ったものだとジュニアに言っているのだろう。
シュタイナーもそれは確かだな、と思っている。
アレクと樋口はある程度狙っていっただろうが、ターナーは明らかに長打を狙っていた。
バットの根元で打って、それでも内野の頭を越えるあたり、さすがと言うべきだろうが。
しかしシュタイナーも、今年は30本を打っているスラッガーだ。
歩かせる選択肢は絶対にないが、どうやって攻めていくべきか。
基本的には一点を取られるのは覚悟で、ダブルプレイ目的のゴロを打たせるのがセオリーであろう。
シュタイナーはパワーもあるし、ボールを掬い上げるのも上手い。
ゴロ以外の選択としては、やはり三振か内野フライとなる。
浅い外野フライで、タッチアップが出来ないというのもいいだろう。
だが外野は深めに守る。外野の頭を越えられたら大量点につながるからだ。
外野フライで一点なら、許容範囲内。
キャッチするポイントにもよるが、セカンドランナーをサードまで到達させないことを、目的とした方がいいこともある。
二塁ランナーの樋口は、アレクほどではないが俊足だ。
そして状況判断能力は、99%正しい。
ミスのないように、アレクはリードを最小限にする。
内野ゴロでも突っ込まなければいけない。
下手な内野ゴロだと、ホームでフォースアウトになって、さらに一塁でもアウトになる。
それだけは防ぎたい。三振や内野フライでのアウトより、さらに悪い結果なのだ。
ジュニアのピッチングが開始される。
外を中心に投げるが、左打者のシュタイナーには、わずかながら内に入ってくるボールになる。
外角のツーシームを、シュタイナーは叩いた。
掬い上げながらも、それなりに飛距離は出るように。
(帰れる)
キャッチのポイントを見定めて、アレクは用意する。
そして三塁のコーチャーがGOを出した。
状況の選択が難しい。
レフトからの返球は、おそらくホームでは間に合わない。
なのでセカンドにいる樋口を、サードにまで到達させないように、メトロズ守備陣は考えるだろう。
何より中継するのが大介なのである。この場合はレフトがそのまま、ホームにまで投げてくるだろうが。
レーザービームはアレクでさえも、ギリギリというタイミングでホームに戻ってきた。
タッチした坂本であるが、アレクがホームベースを叩いた方が早い。
セーフのコールさえ聞かず、サードにボールを投げる姿勢になるが、樋口は二塁ベースの上にしっかりと立っている。
エラーでもあればともかく、それ以外で三塁を狙えば、確実にアウトになっていたであろう。
先取点はアナハイム。
それにチャンスは続いている。
だがメトロズの守備陣に、ミスはなかった。
(盗塁をしかけてみるか?)
二塁ランナーの樋口は考える。
これでワンナウト一二塁となって、まだチャンスは続いている。
しかしシュタイナー以降、五番より後ろのバッターには、さほどの期待はしていない。
それでもランナーが三塁にいれば、ゴロや外野フライで一点を追加出来る。
何気なく坂本を見ていたが、ピッチャーのジュニアに樋口への注意を与えていた。
坂本のキャッチからスローの動きは早く、そして次の五番も左打者。
右打者ならサードへ投げるのにわずかな邪魔になるが、左打者はそんなこともない。
(ここは勝負する状況じゃないか)
普通に後続が打つのを待つと、ベンチも判断している。
(もう一点取れれば、かなり楽になるんだけどな)
樋口はとにかく、大介の一発までなら許容するように投げさせたい。
おそらく世界で、直史と樋口だけが、この試合も直史が完封することを信じていない。
(それは大げさかな?)
ともかく先制点は取れたのだった。
ランナー二者残塁で、一回の表は終了。
ノーアウト満塁の状況から一点だけなのだから、よく守ったと言ってもいいのだろう。
アナハイムは一番から四番までの、得点力の高い選手が、自分の仕事をした。
その裏にはメトロズの攻撃。
一点もやらなければ、この試合には勝てる。
先頭バッターは、もう散々にシミュレーションした大介。
歩かせてしまえば楽なのだと、バッテリーは分かっている。
だが同時に、ピッチャーは気付いていないがキャッチャーは気付いていることが一つある。
直史は大介と対決する時、ほんのわずかに笑みを浮かべているのだ。
去年のワールドシリーズは、ほとんど直史一人の活躍で、メトロズの連覇を阻止されてしまった。
敵ながら見事と、メトロズのファンでさえ思っている。
大介を打ち取ってそこで交代と、故障するまで投げたのだ。
今年もそれぐらいぎりぎりにまで、極まったピッチングをしてくるのか。
直史はそんなつもりは一切ない。
もしそこまでぎりぎりのピッチングをするとしたら、最終第七戦の最後の打席だ。
大介を打ち取れば、あとは任せられるという状況。
それこそ去年の第七戦と、同じような状況だ。
この打席は、絶対にホームランを打たせてはいけない。
また長打を打たせても、大きなチャンスになってしまう。
形はどうでもいいから、アウトにすれば合格点。
単打までなら及第点と考えるべきだ。
(合格点と及第点って意味同じか?)
ふとどうてもいいことを、直史は考えたりもした。
スタジアムは、小さい大量のざわめきに包まれる。
歓声や口笛はないが、同時に無言にもなれない。
静寂になりきれない、スタンドの観客たち。
その呼吸音さえもが、直史の耳にははっきりと聞こえる。
まだ集中できていない。
だが考えているのは、とにかく大介を打ち取ることだけだ。
同時に大介が何を考えているのかも、洞察しなければいけない。
ただバッターボックスに入る前から、既に存分に殺気を発散している大介である。
これは野球であって、殺し合いではない。
命を賭けると言っても、本当に命がかかっているわけではない。
だが大介が、生命力そのものを燃やして、直史に対峙しているのが分かる。
(そこまでやるのか)
命を燃やして、とまではいかないものの、間違いなく大介は大量のエネルギーを消費している。
そのエネルギーで全身をフル稼働させて、直史と対峙しているわけだ。
これは決闘だ。
開拓時代のガンマンか、あるいは戦国終盤の剣豪か。
己の存在証明を賭けて、二人はこの場に立っている。
(最初から、楽をさせてくれない相手だな)
直史はそう思うが、大介にとってはこれは悦楽の時間なのだ。
スーパーエース級と呼ばれるほどの主力投手でも、大介相手にはまず正面から投げてくることはない。
実際には大介であっても、五割は打てないのだ。
ただ打った時にホームランが二割もあれば、勝負をするわけにもいかないだろう。
今季の大介は勝負されて打った場合、それがホームランになる確率は14.8%。
ヒットにおけるホームランの割合を考えれば、まともに勝負出来るはずもない。
だが、直史は勝負するのだ。
野球に関しては、別に人生を賭けてなどいない。
虚業であると一蹴し、ただしそれが大きなビジネスであることは否定しない。
どうでもいいことだからこそ、全力でプレイすることが出来る。
そして当たり前のことだが、負けたら悔しい。
樋口のサインから、直史はこの勝負の方向性を悟る。
そしてすぐに頷いた。
三振を取りたいとか、ここで打ち取ればメトロズの意気を挫くとか、そんな都合のいいことまでは考えない。
とにかく点を取られないことだけを、直史は考えている。
※ NL編128に続く
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