第127話 既視感
ワールドシリーズのカードが決定した。
二年連続で、アナハイムとメトロズの対決である。
戦力均衡が成されているはずの現在のMLBで、同じチームが二年連続で優勝を争うというのは、いったい何年ぶりのことであるのか。
ただ意外性はそれほどない。
意外性がなくてつまらないなどと言う人間もいるが、最強のチームが最強のチームと、頂点を賭けて戦うのだから、一般的には面白いのだ。
世の中には一定数、とにかく逆張りをしたがる人間がいる。
勝率上位のメトロズが、まずはホームフィールドアドバンテージでニューヨークからの開催となる。
10月も下旬となると、充分に夜は気温も下がる。
野球は夏のスポーツだな、と直史は思う。
大学時代は夏休みの練習など、ほとんどサボっていたのに。
勉強で忙しかったのだから仕方がない。
もしもメトロズではなくトローリーズが勝っていたら、カリフォルニア決戦となっていたわけだ。
アナハイムとロスアンゼルスは、車で30分ほどの距離。
観光都市や娯楽都市でもあるが、ベットタウンとしての要素もあるのがアナハイムだ。
治安の良さも直史が、条件に挙げた程度にはいい。
「それじゃあ先に行ってくる」
「うん、私もすぐに行くから」
瑞希は今年、メトロズとアナハイムの対決を、基本的には全て球場で見るつもりだ。
理由としては去年から今年にかけてはともかく、今年から来年にかけて、アナハイムもメトロズも選手の入れ替えが多くなりそうだからだ。
即ち、どちらのチームもワールドシリーズにまで届かなければ、対決は今年で最後になる。
来年はそうなる可能性が高いと見たからだ。
セイバーの言っていた、モートンが直史との契約を更新する準備があるということ。
これは既に一年目の時点で、大介との契約を更新したメトロズのコールより、一年遅い。
どちらにしろ直史には、そんなに長くアメリカに滞在するつもりはない。
両親にとっては孫となる存在が、全てアメリカに来てしまっているのが今だ。
親孝行と言うほどではないが、自身が祖父母に可愛がられた直史は、両親に孫を見せるのは、自分に課せられた義務だと思っている。
まして瑞希の場合は一人娘なわけであるし。
球団関係者の車によって、直史はまず空港へ。
そしてここから球団の専用ジェットで、ニューヨークで向かう。
問題なくベンチメンバー全員が揃っていた。
ニューヨークに到着したら翌日から二戦、まずはあちらで試合を行う。
七戦四勝のカードになるので、連勝しようが連敗しようが、必ずアナハイムには帰ってくる。
アナハイムの先発は、リリーフで2イニング投げてから、中五日の直史。
メトロズはおそらく、ジュニアが投げてくるのだろう。
武史は第六戦に投げて完投している。
本多を相手に1-0と立派なピッチングなのだが、16奪三振はともかく球数が123球にまで達した。
さすがに中二日で先発させるのは、エースを酷使するポストシーズンでも、難しいものである。
それにこれは、上手く直史と対決させない言い訳になる。
第三戦に投げさせるとしたら、中五日で投げられる。
アナハイムはおそらく、そこはヴィエラを当てるだろう。
ただ本当に効率を考えるなら、ヴィエラも武史と当たらないようにする。
もっともアナハイムは最悪の状況を考え、直史を中三日で使うことも考えている。
直史に対する信頼は、もはや信仰に近い。
ただここまで無敗であり、さらに失点さえほとんどなく、圧倒的な割合でパーフェクトとマダックスを達成していれば、それも無理はないだろうと思える。
そんな直史が敬遠したので、余計にミネソタは悔しかったのかもしれないが。
せめてあの敬遠は、直史がブリアンの一発をきっかけに、ミネソタの覚醒する可能性があると、懸念したものだと思っておくべきなのだ。
そうでもしないと世の中は、あまりに不健全で非寛容的な現実に満たされる。
世界最大の都市ニューヨークであるので、翌日の試合に響かない程度に、外に出歩く選手はいる。
最も直史は念のために、ホテルから外には出ないようにしている。
今時のホテルは外に出ることなく、運動する場所もあったりする。
さすがに野球の施設一式などはないが、そういった練習は直史としても、スタジアムで行うつもりだ。
夜には瑞希が同じホテルにやってくる。
子供たちは寂しいだろうが、今日もマンションでシッターと共にお留守番だ。
真琴だけならば、瑞希と一緒にこちらに来ることも出来たかもしれない。
だが明史はまだ、物心もつかない年頃だ。
せめてアナハイムの試合ならば、と思わないでもない。
瑞希がマンションで、子供たちを見ておくという手段もあった。
しかし彼女は同時代の人間として、スタジアムで観戦することを選んだ。
客観性を持とうとするあたり、子供たちの世話を他人に任せた。
下手をすれば育児放棄と取られてもおかしくない状況である。
もちろんそのためにシッターを複数用意し、非常事態には備えているわけだが。
真琴は元気いっぱいに動き回るが、明史は生来おとなしい。
そのあたりは二人にとって、幸いなことである。
ホテルのレストランで食事をして、やがて眠りに就く。
今日は睡眠前の激しい運動をするつもりはない。
朝が来る。
ワールドシリーズの朝である。
テレビをつけても新聞を開いても、話題がワールドシリーズ一色。
間違いなく去年よりも、さらに盛り上がったワールドシリーズだ。
なにしろワールドシリーズに向けて、野球チャンネル以外の一般ニュースでも、これについて話されている。
ありとあらゆるスポーツに言えることだ。
そのスポーツの市場や裾野が広がっていくのは、そのスポーツが面白いからとか、とっかかりやすいからとかは関係ない。
いかに神々しいまでの、あるいは禍々しいまでの、存在感のある選手がいるか。
人間が魅かれるのは、同じ人間の生み成す行為に関してである。
常識を外れたパフォーマンスが多くの人々を魅了するのだ。
メトロズはこれで三年連続のワールドシリーズ。
史上最強のスラッガーを、そのチームは擁している。
アナハイムは二年連続のワールドシリーズ。
そして史上最高のピッチャーを、やはり擁している。
地元ニューヨークの人間は、ラッキーズファンが多かった。
ワールドシリーズ最多出場、そして最多優勝のラッキーズ。
だがメトロズはある程度そのファンを奪いながらも、同時に新規のファンを増やし続けている。
全てとは言わないが、おおよそは大介の影響だ。
そして武史が三振を奪って、さらにその人気は加速している。
武史は五年契約。
大介に関しても、また大型契約を結ぶだろう。
メトロズのオーナーはそのあたり、ビジネスよりも趣味を選ぶ。
高齢でもう、金で手に入るものには飽きてしまった、というのもあるのだろうか。
メトロズの本拠地シティ・スタジアムの周辺には、既に行列が出来ている。
チケットを持っているのだから、並ぶ必要などないであろうに。
これをもう、イベントとして考えている人間が多いのだ。
ワールドシリーズは毎年行われる。
去年のワールドシリーズは、史上最高の盛り上がりと言われた。
だが翌年、すぐにそれを更新する盛り上がりを見せている。
お祭り騒ぎだ。
しかしいつまでこのお祭り騒ぎが続くのか。
娯楽を消費するために、人々は騒いでいる。
娯楽が多様化したこの時代で、最も刺激的な娯楽が、このワールドシリーズとなっている。
直史の見る映像からは、ニューヨークの狂騒が見て取れた。
瑞希は直史よりも広く深く、この社会的な大騒動を把握している。
おそらくこの出来事は、今年の最も大きなイベントとなる。
レギュラーシーズン、まずアナハイムがスタートダッシュから90%の勝率を叩きだした。
さすがにそれは継続せず、やがてメトロズとの勝率争いとなった。
直接対決が三試合あり、そこでメトロズは勝ち越しを決めている。
ただしエース対決では、アナハイムが勝利していた。
これはさすがに、甲子園や日本シリーズの熱狂をすら、上回るかなと思う直史である。
日本においても野球は、確かに人気スポーツではあった。
だが次第にその市場の独占力は、落ちていっていた時代が直史たちの活躍する前だ。
上杉の甲子園での活躍から、また盛り上がりを見せていた。
そして高校野球では、白富東と大阪光陰の死闘。
直史が大学野球で達成した記録により、大学野球にも脚光が浴びることになっていった。
間接的にではあるが、直史は大学野球の闇を暴いてしまった。
もっともそれは直史だけの力ではないが。
アメリカの同調圧力と言うか、一つのものに集中するエネルギー。
それは間違いなく日本よりも大きい。
またこの対決は、バックアックを受けている。
かつてイリヤと共に、ワールドカップを見ていたミュージシャンたち。
彼ら彼女らはこの祭りを、一つの儀式のように感じている。
イリヤはもう失われてしまったが、彼女の意思はまだずっと続いている。
ワールドシリーズの国家を斉唱するのは、ケイティである。
今年のニューヨークでの第一戦は、ちゃんと夜中から行われる。
昼間の間に直史は、軽く投げておいた。
アナハイムは直史を、酷使することを決めている。
そして直史もそれを、当然のように受け入れている。
先発予定は中三日間隔の三試合。
だがこれはあくまで予定であって、状況次第ではリリーフで投げる可能性もある。
来年、アナハイムとメトロズの対戦は、インターリーグでは存在しない。
お互いにワールドシリーズまで勝ち抜かないと、大介との対決は実現しないのだ。
メトロズもアナハイムも、とにかく選手の補強に金を使いすぎた。
もっともワールドシリーズまで勝ち残れるなら、充分にペイするぐらいの年俸ではある。
ただ戦力を揃えるだけでは、そう毎年ワールドシリーズまで勝ち残ることは出来ない。
ポストシーズンもだがレギュラーシーズンも、選手の故障離脱があれば、一気に狂ってくるのがMLBだ。
今年もそこそこ、故障で途中離脱する選手はいた。
だがポストシーズンは、ベストメンバーで迎えることが出来た。
こういった幸運は、まさに運命によって選ばれたとしか言いようがない。
来年にもまたこんな幸運があるかは、野球の神様の気まぐれ次第。
単純な戦力だけで、勝敗が決まるわけではないのが野球だ。
直史は簡単に食事を済ませると、クラブハウスで休んでいた。
完全に肉体を覚醒状態にするまでには、起床から四時間ほどかかると思っておいたほうがいい。
一眠りしてから、最後のミーティングを行い、試合に挑む。
おおよそいつもと変わらないルーティンだ。
そんな直史とは別に、首脳陣は色々と考えている。
本日の試合、メトロズ側の先発はジュニアと発表があった。
武史に投げさせれば中二日になるので、さすがにそれはまずかったのだろう。
おそらくは明日の第二戦もウィッツが投げてきて、アナハイムに移動しての第三戦で、投げてくるのではないか。
そうすれば中五日で、完投した前の試合からも回復しているはずだ。
アナハイムとしては、直史と武史を当てるのが、いいのか悪いのか分からない。
他のチームが相手であれば、絶対的なエースをさらに絶対的なエースで叩くという、普通の手段が取れる。
だが武史はアナハイムの打線を完封するぐらいに強力なピッチャーで、そしてメトロズの打線は直史を攻略できる可能性がある。
ここでは兄弟対決は成立しない。
しかしここから先ではどうなるか。
メトロズも当然ながら、武史を使ってくる。
第三戦と、第六戦といったところだろうか。
直史が1、4、7と投げて、武史が3、6と投げるのか。
だがどちらかが先に追い込まれてしまえば、中二日でもエースは使われてしまうものだ。
エース同士の対決があった場合、どちらが勝つのか。
勝った方が勢いに乗るかもしれないが、アナハイム首脳陣は楽観ししていない。
メトロズの打線であれば、つまるところ大介であれば、直史を打ててもおかしくはない。
去年のワールドシリーズも、本当にわずかな差であったと言える。
ただそのわずかな差は、今年のインターリーグの時点では、縮まっていなかったようにも思う。
直史はレギュラーシーズンで打たれたブリアンも、第一戦では封じ込めた。
そして最後は敬遠と、クレバーすぎる選択をした。
日本人同士のバッテリーだと、あんなことをするのかと言われたりもした。
だが相手の希望を完全に断ち切るには、あれぐらいの手段は普通に選んでいいと思えたし、思っている。
今日の第一戦も、基本的に首脳陣は、守備に関してはバッテリーに任せる。
自分たちで色々考えるより、このバッテリーに任せた方が、試合の方は上手くいくだろう。
そもそもメトロズ打線を、完全に抑える作戦などないだろう。
正確には大介を、であるが。
ポストシーズンに入った大介は、やはりここ二年と同じように、レギュラーシーズンよりも無茶な成績を残している。
五割近い打率、七割を超える出塁率、そして2以上のOPS。
全打席で出塁しているのと、同じぐらいの意味を持つ。
ブリアンとの勝負は避けた直史であるが、大介との勝負は避けない。
本来の直史は、面倒と見れば勝負は避けてしまうピッチャーなのだが。
しかし大介を封じることは、メトロズ打線を機能不全に陥らせる。
そこにつけ込んで、アナハイムは主導権を奪う。
まずは初戦、どう戦うか。
ワールドシリーズの初戦である。
軽く昼寝をして、直史は目覚めた。
体を動かして、いつも通りに投げられるかを確認する。
リリーフ登板から中五日。
もちろん完全に疲労は取れている。
ここからメトロズを、大介を相手に、最低でも三試合は投げていく。
おそらく今の直史をもってしても、それは簡単なことではない。
打線の援護が必ず必要になる。
特に後になればなるほど、こちらが投げられる球は減ってくるはずだ。
普段であれば後になれば後になるほど、バッターは直史の出す糸に絡みつかれていくものなのだが。
そんな直史に対して、樋口は質問する。
「白石を敬遠するという選択肢はないのか?」
「ある。が、まずそんな状況には陥らない」
歩かせた方が確実に楽な場面では、歩かせてもいいのだ。
ブリアンにやったように、大介に対しても。
ただそこは直史の、野球選手としての存在証明の問題になる。
大介と対決して勝つために、今の直史は戦っているのだ。
事情を知っている樋口は、直史の頑固さも知っている。
基本的には柔軟な人間である直史であるが、譲れないラインは明確に存在する。
正直なところ樋口にとっては、絶対に歩かせないと分かっている時点で、大介には圧倒的に有利になっていると思うのだ。
そんな状況であるのに、直史は大介との勝負を避けない。
最高のピッチャーと言われようと、直史は極めてエゴイスティックだ。
優れた野球選手のみならず、何かの分野で傑出した人間というのは、おおよそが譲れない部分を持っている。
むしろそれが大きければ大きいほど、その人間の傑出度は高い。
普通の人間は世界に合わせて己を削り、穏当に生きていく。
だが自分を中心に、世界を変えてしまう人間は、わずかながら確実にいるのだ。
樋口はもちろん、ここで直史に全面的に協力する。
だがおそらくその貢献度は、キャッチャーよりもバッターとしての方が大きいだろう。
アナハイムの先攻で始まる、この最初の二試合。
樋口には先制点を取るチャンスが与えられる。
先に点を取って、一気にメトロズを追い詰める。
第二戦以降は、おそらくキャッチャーとして、メトロズ打線を最低限に封じることが役目となる。
来年以降、メトロズとアナハイムが、ワールドシリーズで対決出来るとは限らない。
多くの評論家や解説者と同じく、樋口もそう思っている。
本当に勝負したいだけなら、NPBにいた方がよかったのだ。
同じリーグであれば、25試合の中で、何度かの対決があった。
もしも日本シリーズで対戦したいと思っても、12チームの中から選ばれるだけ。
だがMLBでは30チームものチームがあるし、戦力均衡もNPBよりよほど機能している。
それでも二人は、アメリカに来た。
そして二年も連続で、圧倒的な結果を残して、優勝を目指して対決する。
(七戦目までもつれ込むことは、多分間違いないんだろうな)
樋口はそう思いながら、先のことを考える。
このワールドシリーズではなく、来年のシーズンでもなく、直史の引退後のシーズンだ。
五年ほどもやれば充分に稼ぐことは出来るだろう。
野球選手を引退してからは、自分の本当の働き盛りだと考えているあたり、樋口は直史同種の人間である。
やがて日は没し、観客たちがスタンドを埋める。
去年はまさかという希望があった。
だが今年はおそらくという期待があった。
アナハイムとメトロズ。
今年最後のMLBのカードが始まる。
第六章 了
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