第117話 究極のピッチャー

 最後のアウェイカードが始まる。

 対戦相手はシカゴ・ブラックソックス。

 今年は地区成績は三位がほぼ決まっており、ポストシーズンは自力では進出不可能。

 そんな相手との四連戦である。


 直史の登板は二戦目で、一戦目からアナハイムは勝ちにいく。

 ただしあくまでも、調整をメインにして。

 メトロズとの差を逆転する可能性は、一応残されている。

 もっとも直接対決がないので、自力で逆転は出来ない。

 ここからメトロズがポロポロと負けるのは、対戦相手からしても想像しにくい。

 特にアトランタはともかく、最後に残ったカードがフィラデルフィア。

 アトランタに全敗して、その間にアナハイムは勝ち続けると考えるのは、さすがに都合が良すぎるだろう。


 ホームのアドバンテージは、期待しない方がいい。

 ポストシーズンはどうせ、他の対戦はホームで戦えるのだ。

 ニューヨークでの対戦は、ラッキーズ戦でそれなりに慣れている。

 どうせ去年も戦った舞台なのだ。


 レナードでまず一勝し、そして第二戦。

 ブラックソックスのホームでありながら、観客の注目はむしろアナハイム側に集まっている。

 この試合に勝てば直史は、去年の30勝を更新する。

 運が良かっただけだ、と直史にケチをつける評論家。

 直史自身がそう言っているが、もし運だけだと言うのなら、MLBは運だけでどうにかなるような、甘い舞台になってしまうのだろう。

 確かに運はあるのだ。

 メトロズとの対戦で、大介に打たれてしまっていたら。

 あるいはミネソタとの対戦、ホームランを打たれた試合で味方が完封されていれば。

 失点の可能性、そして敗北の可能性はあったのだ。

 もっともそれら全てを、計算に入れて投げてはいるのだが。


 本当に負ける可能性が現実的だったのは、メトロズとの一戦のみ。

 そしてあれも、延長までを完封勝ちした。

 大介と対決するというプレッシャーによる消耗。

 それを合わせても、まだメトロズ相手に投げ切った。


 ブラックソックスからアナハイムは、初回に一点を先制。

 ここからどう試合が展開していくか、観衆たちは息を飲んで観戦に努める。

 まだ一点しか援護をもらっていない直史は、当たり前のように初回は内野ゴロ二つと内野フライ一つ。

 三者凡退で安全に一回の裏を終わらせた。




 無敗であることは、去年も同じであった。

 だが今年は全勝である。

 上杉との投げ合いによる消耗がない。

 武史と投げ合い、しかもメトロズ打線に投げたのに、今年はそれすらも勝利している。

 単純に投げ合いのプレッシャーなら、上杉相手の方が大きいということはある。

 それにしても今年は全勝、そして全完投というのは、脅威と言うよりもっと名状しがたき何かだ。

 完封を一つ逃しているというのは、むしろ可愛げがあるとでも言おうか。

 これによってかろうじて、直史が人間の領域にあることを、世間にアピールしているような。

 もう手遅れだろうと、おおよその人間は思うだろうが。


 二回の表と三回の表、それぞれにアナハイムは点を追加する。

 点差が開くと直史は、打たせて取るピッチングへ完全に移行。

 それでもヒットやエラーは出ない。

 三振の数はほどほどといったところだろうか。


 傲慢でもなんでもなく普通に、直史は自分が離脱したら、アナハイムの優勝はありえないと思っている。

 メトロズをある程度抑えても、得点力が守備力を上回ると思うからだ。

 武史をどう使ってくるのか、それも重要なポイントだ。

 ただ今年は主戦力ではなく、二枚目三枚目のピッチャーをどう運用するか。

 それでワールドチャンピオンが決まりそうな気がする。


 あくまでも調整なので、全力では投げない。

 それでも90マイル程度のボールで、内野ゴロを簡単に打たせている。

 バッターの手元でほんの少しだけ、左右に動きながら沈む。

 ムービング系のボールと言うには、変化が小さすぎる。

 上手くアッパースイングで捉えれば、フライを打つことも出来るはずなのだ。

 だがそういう時は心を読んだように、カーブを投げたり高めに外したりする。


 もちろん心を読んでいるはずもなく、カウント、バッターのデータ、わずかな挙措などから、それを見抜く。

 普段ならそんなことはしないという挙動からは、逆に相手の狙いが分かる。

 読み合いであればバッテリー二人が、バッター一人に負けるはずもない。

 負けるとしてもそれは、絶対的な敗北には至らない。

(アナハイムを無得点かせいぜい一失点にまで抑えて、俺から一点か二点を取る)

 大介ならば可能であろう。

 決定的な一打こそまだ受けていないが、危険な打球は何度もあるし、長打も打たれているのだ。


 直史は無敵ではない。

 年齢的な衰えもあるかもしれないし、読み合いなどは経験の蓄積だ。

 だがとりあえず、今日のところは問題はなさそうだ。

 九回を投げて91球、ヒットとエラーが一つずつ。

 三振はやや多めの13個。

 またしてもマダックスで、31勝目を上げた。




 ブラックソックスとの試合は残り二戦。

 スターンバックとヴィエラは、無難なピッチングをした。

 六回までを勝ち投手権利を持って投げたが、ここからリリーフしたピッチャーが崩壊。

 樋口が頭を痛めていた。


 来年までは直史がいると言っても、今年でスターンバックとヴィエラがいなくなる可能性は相当に高い。

 新しいピッチャーを育てる必要は、かなり重要なことなのだ。

 打線に関しては、ターナーとシュタイナーがいるので、上位打線の得点力は心配ない。

 もちろん怪我の可能性は、誰にでもついているものだが。

 問題はやはりピッチャーなのだ。

 そして樋口が抜けた今年、レックスのピッチャーはかなり、成績を落としている。


 ピッチャーとキャッチャーがお互いを育てるという意識がない。

 ある程度はないではないが、育てるのはコーチの役目だ。

 樋口の場合はまさに、ピッチャーを育てているキャッチャーだ。

 高校時代に兄よりは劣るはずの正也をもって甲子園を制覇し、大学時代は早稲谷から何人のピッチャーがプロに進んだことか。

 樋口は間違いなく、ピッチャーの力を上手く使える。

 さらにピッチャーを育てることも出来るキャッチャーだ。


 そんな樋口としては、ピッチャーを上手く育てられていないコーチ陣は、ひそかな軽蔑の対象にもなる。

 ただ文化が違うので、それは仕方がないかとも思う。

 また樋口はNPBでこそレジェンドレベルのキャッチャーだが、MLBでは今年デビューの新人。

 それを置いておいたとしても、MLBのコーチは画一的すぎる。

 効率よく育てることを重視しすぎていて、選手間の個体差を分かっていない。

 データは充分にあるだろうに、一般的な方法でしか育成が出来ないのだ。


 ただスターンバックはそれなりにアナハイムで育ったので、全くの無能というわけではない。

 それでも柔軟性には欠けると言うしかないが。

「俺の仕事じゃないとは分かっていても、無能を見てると腹が立つ」

 直史にとってはオリバーは、自分の調整や練習を邪魔しないという時点で、充分に有能なコーチだとは思う。

 他のコーチを見ていても、オリバーが無能というのではなく、トレーナーに問題があるのではないか、と推測出来る。


 ツインズが言っていた、スポーツにおける身体操作の雑すぎ問題。

 それは直史としては、高校時代からずっと思っていたことだ。

 フィジカルが重要と言いつつも、そのフィジカルを万全に活かすのには失敗している。

 それがツインズなりの意見だ。

 才能の形については、ツインズにはまた別の持論がある。

 あの二人にそって才能というのは、生来の骨格であるらしい。


 バレエを習っていた二人にとっては、骨をまっすぐに使うことが大切なのだそうだ。

 どういうことなのかは、直史にも最初は分かりにくかった。

 簡単なたとえであると、一本の骨を横から叩くのと、縦に叩くのと、どちらが衝撃に強いか。

 もちろん縦であるが、その代わりこれで折れたときには、こちらの方が怪我としては重症になる。


 インナーマッスルで骨の位置を、まっすぐになるように筋肉を使うこと。

 それが体を上手く使う、一番の方法なのだとか。

 確かにあの二人は、女子の平均身長の割には、身体能力が高すぎる。

 だがそれを言えば直史も、体格の割にはパワーがありすぎるのだ。




 来年はもう、メトロズとのワールドシリーズはないかもしれない。

 お互いのチームの戦力の入れ替えが、それなりに激しいかもしれないと思えるからだ。

 そんなことはなくても、一期一会。

 直史はそう思って、今季最終登板に備える。


 アナハイムに戻ってきてシアトルとの三連戦。

 ガーネット、リッチモンドと続いて、最終戦が直史。

 これで今年のレギュラーシーズンは全て終わる。

 アナハイムはチームとしては、現時点で120勝。

 去年のメトロズを上回る、圧倒的な数字だ。


 この最後のシアトルとのカード、先発のローテが発表された時は、盛大に盛り上がったものだ。

 32試合目が、直史に存在する。

 31先発31勝。そして無敗。

 32試合目に何か特別な記録があるわけではないが、年間全勝がかかっている。

 年間無敗ではなく、年間全勝だ。

 去年の直史は30勝していて無敗であったが、一試合だけリリーフが打たれて負けた試合があった。

 その時も自分は無失点であったので、無敗ということに間違いはない。

 だが全勝ではなかったし、今年の直史は一度も、自分が投げているときに、相手のリードを許していない。


 チームが点を取ってくれるまで、絶対に自分は点を取られない。

 そしてそこから相手打線に、引き分けになるような点を取られたりもしない。

 去年は完投出来ない試合があったが、今年は全て完投。

 これが本当の、完璧なピッチャーだ。


 シアトルはこの最後のカードの前に、既にポストシーズン進出は不可能になっていた。

 なので残りの三試合は、選手にとってはアピールのチャンスだ。

 あまり組織的には攻撃してこないシアトルに、アナハイムはガーネットとリッチモンドが奮闘した。

 二連勝の後に、直史の最後の先発。

 今年の162試合目は、まさに伝説の完成する日。

 祭りになった。


 遠征に来てくれているシアトルには、非常に申し訳ない気分である。

 ……嘘である。特に何も直史は感じていない。

 だが究極のピッチャーの条件は、なんとなく分かったと思う。

 絶対にチームを勝利に導くピッチャー。

 これ以外の他の条件は、全て無駄なものだ。


 奪三振も、パーフェクトも、マダックスも。

 確かにそれぞれすごいものだが、エースとして必要な要素ではない。

 バックを守る野手、ボールを受けるキャッチャー、ベンチの首脳陣、そしてスタンドの観客たち。

 相手側のベンチの人間すら、絶対不敗の確信を抱かせるもの。

 それがエースというものだろう。




 勝てないな、と織田は思っていた。

 野球は色々なやらかしがあるスポーツであるし、ホームラン一発で逆転や、エラー一つから崩れることもある。

 だが今の流れは、アナハイムがかつ流れでしかない。

 正確に言えば、直史が勝つ流れか。

 一回の表の攻撃で、打ったボールはライト正面のフライであった。

 直史であるのにゴロを打たせなかったのだが、ほどよいぐらいのフライを打ってしまった。

 もしもこれさえも計算してのものなら、既に人間の領域ではない。

 たびたび思っていたものだが、今日も直史は変わらない。


 ベンチから味方の攻撃を見ていても、センターからアナハイムの攻撃を見ていても、なんだか既視感がある。

 絶対に勝てないと思える試合が、年に一回ぐらいはあるものだ。

 そんな空気が今日は、試合をする前からあった。

 いつも勝てそうにないという雰囲気はあったが、今日ほど絶対的なものではなかった。

(だが、せめて一太刀)

 織田は二打席目で粘り、そして七回の三打席目を迎える。

 先頭打者ということは、パーフェクトをされているということだ。

 ゴロやフライ、そして三振の数も、普段どおりのもの。

 つまりパーフェクトをしていても、おかしくないというものだ。


 しかし二打席目に織田が粘ったことによって、球数はやや増えている。

 直史としてはそれが、やや不愉快であったし、不安でもあった。

 マダックスにこだわるわけではないが、球数は少ないほうがいい。

 打たせて取ると考えて、織田に対しても投げる。

 ここは三振を奪うつもりで、スルーを投げていった。


 織田の合わせたバットから放たれた打球は、真上に手を伸ばしたセカンドのグラブの、わずかに先にかすった。

 これが外野用のものであれば、あるいはキャッチ出来たかもしれないが。

 最終戦においてパーフェクト阻止。

 そしてここからもう一打席回ってくることによって、織田は直史のマダックスさえも阻止したのであった。


 最終162試合目は、ただの完封。

 延長になったわけではなく、得点を入れられたわけでもないのに、マダックスが出来なかった。

 それは今シーズン、なんと二度目のこと。

 意地を見せたと言うべきか、最後っ屁と言うべきか。

 とにかくこれで、アナハイムのシーズンが終わった。

 123勝39敗。

 これまでの勝ち星をはるかに更新する、圧倒的な数字。

 だがメトロズは、さらにこの上を行くのであった。




 最後の最後で、つまらない試合になったな、と直史は思わないでもない。

 だがそれは直史の見方であって、普通はまたもワンヒット完封か、と呆れるぐらいのものなのだ。

 ただしここまでくると、もはやナオフミストは物足りなくなっている。

 それと同時に見事にヒットを打った、織田への憎しみ交じりのリスペクトを向けるのだ。


 試合後に端末を調べると、祝電のようにメッセージが色々と入っていた。

 日本は朝であろうに、よくもまあ見ていたものである。

 そのメッセージを送ってきた者の中には、なんと今日唯一のヒットを打った織田からのものさえもあった。

『また来年な』

 その短文を眺めて、直史は難しい顔をしたものであった。

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