第116話 ピッチャーの価値

 ピッチャーの価値は極端に言えば、三つの要素で決まる。

 三振を奪うこと、フォアボールを出さないこと、ホームランを打たれないこと。

 それ以外の全ては、運が絡むと言ってもいい。

 内野の鋭い打球も、野手の正面に飛べば内野ゴロ。

 外野にまで持っていっても、そのフライをキャッチされるかもしれない。

 フォアボールは野手が何も働いていないのに、ランナーを出してしまうこと。

 そしてホームランは野手が何をしようと、確実に点が入ってしまう。


 直史の場合奪三振は、奪三振率で言えばまだ上がいる。

 ただしシーズンの総計で言うならば、直史がリーグトップだ。

 これは球数を少なくして、長いイニングを投げられるようにしているため。

 長いイニングを投げていれば、当然ながら多くのバッターを打ち取ることになる。

 自然と奪三振の数も増えていくというわけだ。


 ただしフォアボールとホームランについては、直史の圧勝である。

 シーズン中一度もフォアボールのランナーを出さず、ホームランは一本しか打たれていない。

 打たせて取るのが本当の技巧派ピッチャー。

 そう言われた時代もあったが、実際のところは打たれて取るのが正しい。

 ムービング系のボールの発展も、ミートをずらすことを重点に考えられた。

 そして多少のミートをずらされても、フライを打つならばそれなりにヒットになる。

 フライボール革命から、さらにその先へ。

 高めの威力のあるストレートを狙って投げられるパワーピッチャー。

 それとは全く逆の方向の、変化とコースと緩急を駆使して投げるピッチャー。

 結果だけを見るならば、誰が正しいのかは明らかだ。

 だがこの結果はあくまでも一人の個人の出した結果にすぎない。

 フォロワーとなる選手が現れて、さらにそれが成功して、ようやく新しい時代に入ったことになる。

 もっとも上杉以上のスピードボールを投げたり、直史のようなコントロールを持つ人間が、そう現れるとは思えない。

 劣化したフォロワーが、それでも通用する時代。

 寒い時代だと思わんかね。




 クリーブランドとのカードは、レナード、直史、スターンバックというメンバーである。

 レナードとスターンバックはパワーピッチャー。直史が技巧派という大雑把な分け方が出来る。

 基本的にピッチャーはスピードだ。

 なのでスピードを出すための技術が発達して、教える才能も教わる才能も、ある程度スピードに特化している。

 直史のように多数の変化球を多投することは、肩や肘への負担が大きいと思われている。

 間違ってはいないが、基本的に最も負担がかかるのは、強いボールを投げた時だ。


 直史は出来るだけ力をかけずに、ボールにパワーを伝えようとしている。

 無駄なパワーが逃げていくのを防げば、それだけ負荷もかからずストレートも速くすることが出来る。

 それにストレートにしても、重要なのはスピードだけではない。

 スピン、そして回転軸。

 一般的な数値からどれだけ離れているかが、ストレートの質を決める。

 伸びのないストレートは打ちやすい、と言われる。

 だが逆に伸びのなさ過ぎるストレートも、これまた打ちにくいのだ。

 原理的にはチェンジアップに近い。


 初戦のレナードが、調整に重点を置きすぎて、五回で球数がいっぱいになる。

 リリーフ陣が打たれたために、この第一戦を落とした。

 首脳陣としてはここで下手に勝つと、逆に問題になると思っている。

 メトロズとのゲーム差が縮まってしまうと、逆転しようという欲が湧いてくるかもしれないからだ。

 ベンチとしてはもう、ポストシーズンを完全に視野に入れている。

 本当なら選手たちも、休み休み使っていくべきなのだ。


 特にピッチャーは、新しい戦力を使いたい。

 だがリリーフで投げて、あまり結果を出せる選手がいない。

 樋口はとにかく優れたコンビネーションを考えているのだが、あくまでもそれは日本式。

 基本的に下のピッチャーを試すためには、好き勝手に投げさせるしかない。

 

 第二戦は直史が、そのサイン通りに投げた。

 首を振ったのは、わずかに二回。

 それだけこのバッテリーは、完成されているとも言える。

 ただバッテリーは、あまり合いすぎてもよくなかったりする。

 お互いの理解と、共感はまったく別の話。

 そしてさらに共感はしても、判断もさえ同じになるとは限らない。


 最適解を求める二人。

 NPBにおいては間違いなく、学力でトップだった二人。 

 そんな二人でも当然、計算の結果が違うことはある。

 実際に投げる自分を、正しく把握している直史。

 他のピッチャーとのバッターの能力を、直史よりも多く体験している樋口。

 ダブルチェックにより、バッターへの対応をより正確へと近づける。

 完全な回答などない、この問題。

 だが一定のレベルを超えれば、完全でなくとも問題はない。

 問題はその一定のレベルをどれだけ最適の線に置けるかだ。


 球数を使ったり、スピードのあるボール、負担の大きなボールを使えば、それだけ選択肢は増える。

 だが少ない選択肢で、より労力少なくアウトを取る方が効率がいい。

 出来れば27球で終わらせるのが、究極の技巧派のピッチング。

 だがそれも本当に技巧派なのかという疑問がある。


 直史が絶対に譲らない、最高のピッチャーの条件。

 それは試合に勝つピッチャーだ。

 そしてそれと同じぐらい重要な条件。

 それは自分が壊れないことだ。


 試合に勝つことと優勝することはイコールではない。

 もしもそれが自分にとって最後の試合で、壊れてもいいという条件なら、壊れてしまってもいいのかもしれない。

 だが完全燃焼する高校球児などは、自分の人生がまだ始まってすらいないことを知らない。

 単に野球が出来なくなるという、その程度の怪我だと思っている。

 実際には将来、肉体労働をするならば、肘なり肩なり腰なり膝なり、満足に動かないのに気がついたりする。

 デスクワークをするとは限らないし、デスクワークにさえ支障をきたす場合がある。

 だから壊れてもいいなどとは、安易に言ってはいけないし、指導者は絶対にそれを許してはいけないのだ。

 故障したことに後悔していないとか、そういったことを言う人間もいる。

 だがそれはたまたまそういう人生を送っただけの話だ。

 大介の父などは、ようやくアラフォーになって人間らしい生活に戻ったものだ。

 ただ今でもノックなどは出来ても、守備を教えることは難しい。

 事故による故障よりも、オーバーワークによる故障の方が、後遺症は大きくなる場合がある。


 直史はあと一年、野球を続ける責任がある。

 なので壊れない範囲内で、試合に勝たなければいけない。

 余裕をもって勝ち続けることが重要だ。

 その余裕の範囲内で、パーフェクトをしてしまうのだが。


 九回を投げて、ヒット二本の11奪三振。

 球数は94球で無失点に終わった。




 試合後のインタビューも、ポストシーズンに向けてのものになってくる。

 昨年のメトロズに並ぶ117勝に到達し、もはやミネソタに追いつかれる心配もない。

 残り10試合。

 ただしここから、ヒューストン、ブラックソックス、シアトルという微妙に油断できない相手が続く。

 直史としても登板機会は、あと二回。

 30勝には到達している。


 ポストシーズンは第一シードで、最初のカードの対戦はない。

 どこが勝ち上がってくるかは、まだ分かっていないのだ。

 ただミネソタが二位なのは、もう確定している。

 東地区優勝して、三位の位置に入るのも、おそらくはボストンであろう。

 なんだかんだ言いながら、各地区の二位まででポストシーズンは埋まりそうだ。

 

 どこと対戦するのが、一番大変だろうか。

 インタビュアーがそう質問するのも無理はないが、直史は特に気にしていない。

 目標はワールドシリーズで、そこまでは全て過程。

 そしてワールドシリーズでは、優勝よりも全力を出すことを目指す。

 

 去年の経験から、ワールドシリーズでメトロズと対戦するにしても、アウェイの緊張感というものはなかった。

 問題はミネソタ戦であろう。勝ち抜いてきたならばだが。

 ただ八月以降のミネソタは、さらに勝率を上げている。

 最終的には100勝を超えてくる勢いだ。


 どのチームが勝ちあがってきても、ワールドシリーズまでは格下と対戦することになる。

 だがミネソタの打線の勢いだけは、侮っていいものではない。

 前に対戦した時よりも、投手陣が強化されている。

 もっとも直史が投げれば、それでも二勝は確実に出来るだろう。

 三試合も投げてしまったら、ワールドシリーズが苦しくなるだろうから。


 マスコミの興味はまた、直史の無敗記録にもある。

 ここまで30試合して、一度も敗北していないと言うよりは、全ての試合で勝利がついている。

 そもそも完封できなかった試合が、ホームランを打たれた一試合のみ。

 去年もたいがいな成績であったが、今年はそれをさらに上回る。


 意外なことに奪三振率は、去年よりも下回っている。

 いや、一試合に投げる球数が減っていることを考えれば、それはむしろ当たり前なのか。

 去年よりも一試合多く、さらに延長を投げているのに、球数は50球ほども少ない。

 球数の平均がマダックスになっている。

 ここから対戦するのは、ブラックソックスとシアトル。

 どちらも今の直史を打ち砕くような、そしてアナハイム打線を完封するような、戦力を持っていない。


 これだけ圧倒的な成績を残していれば、その発言には重みを増す。

 だが直史は基本的に、通訳を通して自分の発言を行う。

 それなりに自分でも話すようになった大介とは、警戒心が違うのだ。

 アメリカ人は巨大信仰を持っている。

 世界で一番巨大な国土を持っているのはロシアで、二番目もカナダだが、この二国は寒冷地帯が多く開発も難しい。

 アメリカも岩砂漠地帯が多いのだが、とにかくアメリカは巨大信仰を持っている。


 大介は言うまでもなく直史も、MLBプレイヤーの中では小柄で、そして体重も軽い。

 直史よりも小さな選手はある程度いるが、体重が軽い選手はほとんどいないのだ。

 アメリカ人の価値観からすると、大きいことはいいことなのだ。

 だがコンパクトなくせにスマートで、多機能な日本製の選手。

 差別とまでは言わなくても、違和感があるのは拭えない。

 これは直史の学歴が大卒から、弁護士資格まで持っていることも関係しているだろう。

 間違いなくインテリで、ホワイトカラーの人間のはず。

 それがプロスポーツの世界に入ってくるのは、謎の不信感を拭えないのだ。


 直史としてはアメリカ人の言うパワーとは、また違ったパワーを使っているにすぎない。

 ただそれを上手く説明する気はないし、向こうも理解出来ないだろう。

 長く一緒にいたセイバーでさえ、納得はしたが理解は出来なかったのだ。

 直史はそういう人間だと、そういうピッチャーだと認めるしかなかった。




 アウェイのヒューストン戦、三連戦が始まる。

 ピッチャーはヴィエラ、ガーネット、リッチモンドと、比較的弱いところと当たるのだ。

 ただ初戦のヴィエラさえ勝ってくれれば、あとの二つは負けても計算内。

 しかしここで負けてしまうと、シアトルのポストシーズン進出が消える。

 もっともシアトルがポストシーズンに進出するには、最後のカードでアナハイムにも勝たなければいけない。

 結局はこのアナハイムとヒューストンとのカードが、ア・リーグ西地区の順位を決めるものとなりそうだった。


 ヴィエラが勝つことは、実はものすごく重要なことである。

 直史の記録にばかり目がいっているのだろうが、実は今年ヴィエラも、無敗である。

 リリーフしたピッチャーが打たれて負けた試合はあるが、ヴィエラ自身には負け星はついていない。

 15勝0敗というヴィエラ。

 もっとも今年は故障離脱もあったため、規定投球回には到達しない。

 ただ投げた試合は全て六回までは投げ、全てクオリティスタート。

 契約の切れる最後の一年としては、故障したことこそマイナスであったかもしれないが、成績はむしろアピールするのに充分なものであろう。


 ヒューストンとの試合も、先にアナハイムが先行した。

 そしてその裏を、しっかりとヴィエラは0で抑える。

 樋口のリードはヴィエラを勝たせることを第一に考えている。

 直史ほどの圧倒的なものではないが、もう一人無敗のピッチャーがいるという事実。

 それだけで相手は、打撃に警戒しなければいけない。

 実際のところヴィエラの防御率は、2.42と優れてはいるが異常ではない。

 アナハイムの打線が強くなったからこそ、それだけ楽に勝てるようになったと分析するのが正しい。

 だがセイバーの分かりにくい数字よりも、無敗という事実の方が重要なのだ。


 樋口はそういった戦略的なことまで考えて、ヴィエラをリードする。

 そして重要なのは、ヴィエラもこの無敗の意味を理解しているということだ。

 ピッチャーとキャッチャーが、完全にお互いに意思疎通して、相手の打線を抑えようとする。

 もちろんあくまで、ヴィエラが故障しないような、そんなピッチングを前提としているが。


 アナハイム打線は、着実に追加点を取っていく。

 対してヒューストンは、多少はランナーを出しても、ホームベースを踏むことがない。

 点が取れないという焦りが、ヒューストンにも出てきただろうか。

 対してヴィエラのピッチングは、直史と同じく打たせて取るタイプ。

 球速こそ上回るものの、精度では大きく劣る。

 だが緻密でなくても、コンビネーションさえあれば、どうにかなるものだ。

 六回を投げて、あとはリリーフへと託す。

 この時点で五点差がついていて、アナハイムは勝利を手にしようとしていた。


 この九月に試される新戦力。

 あまりないことであるが、わずかにここから、ポストシーズンに出られる40人枠の選手もいる。

 ポストシーズンのピッチャーは、ビハインド展開の敗戦処理などは必要ない。

 ただアナハイムはどうしても、確実に勝つには四人までの先発が必要なのだ。


 最終的なスコアは8-3でアナハイムの勝利。

 ヴィエラはこれで16勝目である。




 二戦目と三戦目、これもある程度は重要な試合だ。

 ガーネットとリッチモンドは、ローテを回してはいるがさほど重要なピッチャーではない。

 少なくとも今のところは。

 だがこの実戦の中で、どれだけの成長をしてくれるか。

 既にベテランの域にあるリッチモンドには、それほど期待していない。

 だがガーネットを育てることは、アナハイムにとっては重要なことである。


 MLBのキャッチャーは、リードの責任を負わされることはあまりない。

 そもそも組み立てなどは、ベンチがしっかりと考えて作るものだからだ。

 それでも樋口としては、やるべきことはやっておきたい。

 来年で直史はいなくなる。

 アナハイムの黄金時代は来年か、あるいは今年で終わるのだ。


 移籍の多いMLBだけに、樋口もずっとアナハイムにいるとは思わない。

 そもそも上杉が引退でもすれば、即座に自分も引退して、上杉の秘書として働くつもりなのだ。

 もしくはキャッチャーとして必要だと言われたら、NPBに戻ってもいい。

 スターズを勝たせるために必要なピース。

 福沢も優れたキャッチャーであるが、少なくとも打撃は自分の方が上だ。


 ただ必要なのは、金である。

 上杉は素封家の家の出であるが、政治には金がつきものだ。

 汚いとかそういうことではなく、まずは権力を握らなければいけない。

 そのために必要なのは金であるし、その他の力でもある。


 力の中には、当然知名度も含まれている。

 上杉兄弟の知名度はものすごく高いが、樋口もまた低いわけがない。

 故郷である新潟を良くするためには、権力が必要だ。

 その中で財力を得るためには、MLBで稼ぐほうがいい。


 早稲谷の学閥、そして東京でのコネクション。

 プロ野球選手のつながりというのは、意外なほどに大きなものなのだ。

(けれどこうなるか)

 ガーネットとリッチモンドは、共に負けてしまった。

 正確には二人とも、負け星はついていない。打線がそこまでは援護したからだ。

 だがリリーフ陣が、やはり弱い。

(結局はレギュラーシーズン中の勝ちパターンで、ポストシーズンも戦っていくしかないのか)

 一切の遠慮もなく判断するならば、そうとしか言えないだろう。

 直史がどれだけ抑えられるか、それが問題となる。


 ミネソタはピッチャーを補強したので、それなりに強くなっている。

 ポストシーズンに進出した選手があまりいないので、そのあたりに付け入る隙はあるかもしれない。

 だがそれは希望的な観測であって、樋口の冷静な計算ではない。

 ミネソタの戦いぶりは、実際のポストシーズンで確認できるはずだ。


 これで残りは七試合。

 ブラックソックスとの四連戦と、シアトルとの三連戦である。

 どちらのカードも直史が、先発として登板する予定である。

 勝率から第一シードとなって、レギュラーシーズンとポストシーズンとの間には、ちゃんと休養の時間がある。

 なので故障をしない程度には、無理をしていっていいだろう。


 メトロズは確かに強い。

 だが短期決戦に強いピッチャーは、こちらの方が多い。

 アナハイムは着実に、ポストシーズンでの戦闘準備をしている。

 ワールドシリーズで、メトロズと戦うために。

 そしてその中で、直史が何度大介と対決するのか。


 思っているよりもずっと、二つのチームの差は小さい。

 ローテの平均値は、ポストシーズンでは重要度が落ちる。

 突出した戦力による、最後の対決へと。

 残りのレギュラーシーズンは加速していく。

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