第111話 噛み合わせ

 直史は本当に、勝つべき時に勝ってくれるピッチャーだと言われるが、それは間違いである。

 直史は全ての試合に勝つつもりのピッチャーなのだ。

 たださすがにパーフェクトを狙ったりはしない。

 パーフェクトが出来るかどうかは、運次第だと思っている。

 そもそもの直史のピッチングスタイルを考えれば、パーフェクトなど出来ないほうが当たり前なのだ。

 ゴロで内野安打になったり、たまたま内野の間を抜けていく可能性は、二遊間の強力なアナハイムではあまりない。

 それでも何本も打たせていけば、一本ぐらいは抜けるのだ。


 樋口としても自分のリードが、100%合っているなどとは思っていない。

 ただ配球にはセオリーがあり、そのセオリーをどう裏切るかが、経験と分析と洞察によるものとなる。

 直史との対話で、より正確に近いリードを行うことが出来なかった。

 なのでより危険性の少ないコンビネーションを考え、直史の球数や球種への負担を大きくしてしまった。

 レギュラーシーズンで必要なのは、いかにコンディションを整えて、ピッチャーを運用するかということだ。

 それが分かっていてなお、直史は力を見せ付けることを選んだ。

 力技になってなお、マダックスを達成しているあたり、まだ余裕があるのではと思われてしまうが。


 メトロズが三連敗した時に、アナハイムが勝ちを重ねることが出来なかった。

 これがいずれは、決定的な敗因になるかもしれない。

 相手が隙を見せれば、即座にそこを突く。

 武史にはそういったわずかな間隙があることを、直史や樋口は良く知っていた。


 だがその武史が、二度目のパーフェクトを達成した。

 わずかな隙があったとしても、そういった隙を上手く隠すのが坂本は得意だと、二人は理解していた。

 しかし実際に試合の映像を見れば、むしろ坂本のサインには首を振っていた。

 試合後のインタビューで、恵美理が観戦に来ていたので、特に頑張ったなどと言っていた。

「嫁がいたら勝つって、本当にあいつは……」

 直史はそう呆れていたが、樋口は視線で「オマエモナー」と明白に言っていた。

 もっともそのブースト量は、確かに武史の方が大きいかもしれない。


 直史としてはむしろ、イリヤのことを思い出す。

 武史は結局、女の子に応援されたら、それなりに力を出してしまうのだ。二人の妹を除いて。

(結局伊里野の父親については、もう誰も追及していないけど……)

 なんでこんな時にそんなことを考えたのか、自分でも不思議ではあった。

(いつか、自分のルーツを知りたがるのかもな)

 その時、大介とツインズは、どうするのだろうか。

 自分ももちろん無関係ではない。




 テキサスとの第三戦、先発はレナード。

 彼に関しては樋口も、それほどの危機感を持ってはいない。

 まだ若手ではあるが、今年から完全にローテを守っていて、現在15勝3敗。

 その投球内容も、充分すぎるものである。

 

 ただ完全にローテを守るのは、今年が初めてではある。

 なのでやはり、シーズンのこの時期には、パフォーマンスが落ちてくるのか。

 疲労が蓄積しているというのはあるだろう。

 それを前提に、樋口は休ませるピッチングを組み立てる。


 ピッチャーの疲労を考える目安の一つは、もちろん球数はある。

 だがそれよりは全力投球をどれだけしたか、そちらの方が重要だとも言われる。

 あとはあまり気付かれないかもしれないが、マウンドに立っている時間も関係する。

 スタジアムの中から、最も注目を浴びる時間が長いのは、間違いなくピッチャーである。

 バッターのスーパースターでさえ、打席以外の場面で注目を浴びることは少ない。

 しかしピッチャーの場合は試合のおおよそ半分、マウンドに立ち続けるのだ。


 メジャーリーガーはメンタルもタフだと言われているが、タフであることとノーダメージであることはイコールではない。

 さっさと相手の攻撃を終わらせれば、それだけ休んでいることが出来る。

 おそらくNPB時代と違い、バッターボックスに入る必要がなくなったのが、直史の成績向上の理由の一つだ。

 あとはピッチャーが出来るだけマウンドにいる時間を短くするよう、樋口も考えている。

 そんなわけでレナードも七回二失点でリリーフにつなぐことが出来た。

 昨日は完全に休んでいたリリーフ陣も無失点で抑える。

 テキサスは今季あまり強いチームではないのだが、勝てる星を確実に勝っていくのも、もちろん必要なことなのだ。


 そして四連戦の最終戦はリッチモンド。

 打たせて取るタイプの彼を、樋口は巧みにリードする。

 だが無失点に抑えようなどとは思わない。

 もちろんより失点の可能性を低くすることは出来るが、それで球数が増えすぎては意味がない。

 重要なのは安定して投げてもらうこと。

 六回を投げて二点までなら、クオリティスタートをやや上回る。

 そこから点を取れなければ、打線の責任。

 さらに得点を入れられたら、バッテリーの責任だ。


 そんな計算の通りに、六回までを二失点で持ってきた。

 アナハイム側は五点を入れている。

 三点差の微妙な状況で、リリーフに七回から継投。

 前日のレナードはもう少し点差が開いていたので、勝ちパターンのリリーフは必要なかった。 

 よってこの日は消耗していない状態で、勝ちパターンのリリーフを使うことが出来る。

 アナハイムは追加点を入れられなかったものの、テキサスの反撃は一点で防ぐ。

 これによって四連戦は、三勝一敗でアナハイムの勝ち越しとなったのであった。




 正直なところ今年のテキサスは、戦力が落ちていた。

 アレクがアナハイムに移籍し、そしてそのアナハイムの戦力がさほど変わらないことから、今年はチーム再建の年だと思っていたのだ。

 だがテキサスの次、アナハイムの向かったヒューストンは違う。

 アナハイムに勝つのは難しいと思っていても、ポストシーズンは狙う。

 そのためにはアナハイムが相手であっても、勝ちに来るのだ。一番はシアトルに勝つことなのだろうが。


 アナハイムの打線を封じるのは、かなり難しい。

 またピッチャーも先発の力は、それなりに揃っているが、この三連戦で直史は投げてこない。

 ロースコアゲームにすれば勝てると、ヒューストンは思っている。

 そしてロースコアゲームなら厳しいとは、アナハイムの首脳陣も思っている。


 アマハイムが負けるのと前後して、メトロズも負けている。

 ここで踏ん張りがきけば、追いつく目もあったはずなのだ。

 だがアナハイムはヴィエラの離脱から先発の機能不全を起こし、勝たなければいけないところで負けてしまった。

 そんな時でも悪い流れを、完全に絶ってしまうのが直史だ。


 パーフェクトの姿に、アナハイム投手陣の士気が上がっているのか。

 もっとも本当なら、打線の調子が上向いてほしいとは、首脳陣の考えるところだ。

 メトロズはピッチャーの調子が悪くても、ビハインドのリリーフなどの能力が、アナハイムよりも優れていると言える。

 だがその投手力を活かすためには、打線の得点力がより必要だ。

 アナハイムはなんだかんだ言いながら、メトロズよりは選手年俸の総額は低い。

 それだけ層が違うということも、ある程度は言えるだろう。


 ヒューストン戦第一戦は、スターンバックが投げる。

 ただこのカード、さすがに厳しいかなと樋口は思わないでもない。

 蓮池がいる以外にも、いまだ衰えぬ36歳の右腕スノーマンがいて、左の103マイルオーバー、ポーターがいる。

 今日の対戦は、まずスノーマンとの対戦となる。

 するとやはり初回の、ヒューストン先攻をどう防ぎ、その裏にどう先取点を取るか。

 当たり前のように重要なことだが、まずは先取点の前の守備となる。


 ヒューストンは攻撃も優れたチームであり、二年前にはワールドシリーズまで進出している。

 その時の選手はやや入れ替わっているが、去年も地区二位とアナハイムに続いていた。

 今年の対戦はアナハイムが、六勝四敗で勝ち越してはいる。

 だが油断など全く出来る相手ではない。


 この試合も初回、まずはヒューストンが一点を先取。

 そしてその裏、アナハイムが同点に追いつく。

 ただヒューストンがヒットを重ねたのに対し、アナハイムはターナーのソロが一本。

 打線の流れという意味では、ヒューストンの方がいいだろうか。


 ピッチャーは両軍、一点を取られても追加点を許さない、安定感のあるエースクラス。

 ただ純粋にピッチャーの能力だけなら、スノーマンの方がスターンバックより上だろうか。

 しかしアナハイムには樋口がいる。

 スターンバックは今年、ヒューストン相手には一勝一敗の五分。

 おそらくピッチャーの能力は、キャッチャーのブーストを受けてアナハイムの方が上。

 スターンバックは元から、かなり早い段階で樋口には信用を置いている。


 この試合、ヒューストンは果たしてエースクラスのピッチャーを出してくるべきだったろうか。

 地区優勝を狙うのはほぼ不可能なので、二位でのポストシーズン進出が無難だ。

 シアトルとのゲーム差を縮めないためには、確かに西地区内で買っていくことは重要だろう。

 だがアナハイムに勝つよりは、他のチームとの試合に投入した方がいいのではないか。

 当てるにしても、スターンバック以外に当てた方がいい。

 アナハイムはこの第三戦で、ヴィエラが復帰してくる。

 第二戦はガーネットなのだから、いまいちかみ合っていないガーネットと、復帰直後のヴィエラを狙った方がいいのだ。


 ただ明日のガーネット相手には、さほど強力なピッチャーを当ててきていない。

 ローテを守っているだけと言えばそうなのだろうが、もう八月も終盤に入っているこの時期、ローテを崩してでも、シアトルとの差を開けないといけないのではないか。

 ポストシーズンに出そうなチームは、おおよそ決まってきている。

 ア・リーグに限って言うなら、西地区はアナハイム、中地区はミネソタ、東地区はボストンでほぼ決まりだろう。

 だから重要なのは、どんな勝率で終えるかということ。

 おそらくこのままでは、東地区から三チームが出てくるのではないか。

 中地区はミネソタが大暴れして、かなりどのチームも削られている。

 アナハイムも壮大に削ったものだが、それでも対戦した試合数が違う。

 ラッキーズ、トロント、タンパベイ、ブラックソックス、ヒューストンの五チームが勝率の上位。

 東地区から三チームというのが、いかにも戦国風味でよい。

 そしてヒューストンを追いかけているのが、シアトルというわけだ。


 アナハイムはこれらのチームのうち、苦手としているチームは特にない。

 明確に危険性を認識しているのは、ミネソタだけである。

 二番目に注意しているのは、やはりヒューストンだろうか。

 ボストンを相手にしても、それほど恐ろしいとは思わないのだ。




 ベンチの中で直史は、試合の推移を見守る。

 なんと言うか、野球らしい攻防で、お互いのチームが戦っている。

 スタンド冗談まで平気で飛ばすバッターもいなければ、パーフェクトをしたり三振を取りまくるピッチャーもいない。

 全くもって平和な試合である。


 色々と考える余地もある試合だが、深く考えずに勝てばいいのだ。

 無理をしない程度に、という注釈をつけて。

(チーム力ではヒューストンが上だけど、シアトルも侮れないからな)

 シアトルはとにかく、堅実なチームなのだ。

 ただポストシーズンでは、爆発力のあるチームの方g恐ろしい。

 あっさりと負けることもあるが、格上を食ってしまうこともある。

 ヒューストンは安定感もあるが、ピッチャーの投手力と上手く絡まった場合、爆発力と言うか制圧力がすごくなる。

 やはりポストシーズンでも戦いたくはないか。


 そんなことを直史が考えている間に、勝ち越したのはアナハイム。

 だがヒューストンの逆襲は、またもランナーを溜めていく。

 そこから一点だけに抑えて、同点でとどめる。

 試合は終盤に入っていく。


 スターンバックも頑張っているが、アナハイム打線がそれ以上に、スノーマンを打ち崩すことが出来なかった。

 リリーフ陣は同点の状況からも、勝ちパターンを出してくる。

 機能も使っている、勝利の方程式。

 基本的には二日連続はあっても、三日連続にはしないのが、アナハイムの今年の継投策だ。

 そしてこれはMLBでは一般的な基準だ。


 この投手起用から、首脳陣は明日投げるガーネットに、あまり期待していないのだと分かる。

 明日も勝っている状態で終盤にもつれこめば、リリーフが重要になる。

 しかしここで連戦で勝ちパターンのリリーフを使うということ。

 残りのレギュラーシーズンの期間から考えて、故障でもされたら問題となる。


 見捨てられた、と考えるべきだろうか。

 しかし純粋に、戦力を運用しているだけであろう。

 ここまでの戦績を見ていれば、ガーネットにここで、そこまで大きな期待をするはずがない。

 ならばどうにかここで、一試合を勝っておきたいというのが、アナハイム首脳陣の考えなのだろう。

 そしてその賭けに勝つ。


 アナハイムは終盤、リリーフが点を許さない。

 その間に打線が、勝ち越し点を取った。

 試合はそのまま3-2でアナハイムが僅差の勝利。

 まずは第一戦に勝利したのであった。




 首脳陣の考えがどうであろうと、樋口のやることは変わらない。

 ピッチャーの能力を最大限に発揮させるということだ。

 そしてこの第二戦でガーネットは、自分のピッチングを抑えている。

 これこそがまさにコントロールなのだ。


 抑えて投げても、その球速のMAXは、直史よりも上。

 ピッチャーとしての素質は、基本的には出力に依存する。

 直史のやっている全身のコントロールは、彼一人の特殊技能。

 だがやろうと思えば他にも誰か、出来る者はいるはずだ。

 そう言われても首を傾げる者が大半だろうが、直史の認識する限りにおいて、この技術は他の人間にも出来るはずのものなのだ。


 そんな直史が試合を見ているわけだが、ガーネットはいい内容のピッチングをしていた。

 完全に樋口に従っているわけではないが、首を振っている回数が違う。

 少し球数が多めになってきたが、六回までを二失点で投げる。

 ここでリリーフ陣に継投である。


 三連投はさせないというのが、ベンチの判断である。

 よって普段なら七回を任されるマクヘイルは、ブルペンには行っていない。

 それに明日のヴィエラのこともある。

 ヴィエラは故障明けなので、長いイニングを投げさせることはないだろう。

 ならば絶対に、リリーフは強力な者が求められる。


 割を食ったという言い方になるだろう。

 だがこれでガーネットは、数字での評価はちゃんと上げている。

 来年以降は、確実に戦力となってもらわなければ、困るのがガーネットというピッチャーだ。

 あえてこの試合で、勝てなくてもいい。


 そしてそんな気持ちでいると、実際に試合には勝てない。

 終盤に逆転されて、アナハイムは四連勝でストップ。

 ガーネットは運が悪いと言うか、間が悪かったのだ。




 そして翌日、首脳陣の予測は正しかったことが証明される。

 故障明けながらヴィエラは、六回までを三失点で抑えた。

 ここから勝ちパターンのリリーフを投入で、試合には勝利。

 ヒューストン戦は二勝一敗で終えた。

 次にオークランドをホームに迎えて試合をするのだが、その第一戦は直史である。


 もうオークランドに直史という組み合わせだと、ひどい結果になるとしか思えない。

 直史は別にそんなつもりはないが、そんなつもりがなくてもひどい目に遭わせてしまうのが直史である。

 三連戦の中で、しかも初戦。

 ホームでの試合が続くので、直史は移動による微調整の必要もない。

 この間に続き、またもパーフェクトをしてもおかしくない。

 オークランドは調教されて、蹂躙されるのに慣れてしまっている。


 もちろん前日の直史は、そんな物騒なことは考えず、体調を整えておくことに務めた。

 レギュラーシーズンも残り一ヶ月ばかりとなり、戦力を維持したままポストシーズンに突入するのを、そろそろ見据えていかないといけない。

 ただもちろん、楽に投げても勝てる相手なら、普通に楽に投げる。

 そんな楽なピッチングで、相手を完封してしまうのが、現在の直史の至った境地だ。


 朝も普通に起きて、普通に食事をする。

 ストレッチもしてみるが、何もおかしなところはない。

「それじゃあ、行ってくる」

「いってらっしゃい!」

「行ってらっしゃい」

 真琴の元気なお見送りは、両手をぶんぶんと振るものであった。

 そして瑞希も控えめに手を振って、直史を見送る。


 今日の天気も見事に晴れている。

 日本の夏との違いを感じて、不思議に思う。

 よくもまあ、あの酷暑の中で、野球などをやっていたものだなと。

 まだたったの二年前であるのに。


 そして今日もまた、楽しい野球の日が始まる。

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