第108話 動乱のカリフォルニア

 現在のMLBでは、先発は多くて34試合ほどに先発する。

 中四日を基本とし、休める時を中五日にするのだ。

 直史は当初予定では、31試合に先発の予定であった。

 だが少しずつ調整し、ローテを変えようと首脳陣と話し合う。

 32試合目を、レギュラーシーズンの最後に。

 直史としては、欲張りすぎではないか、とも思う。


 だいたい勝ち星や勝率で記録などを目指すと、本番前のはずのレギュラーシーズンで、全ての力を使い切ってしまう。

 故障者を出さず、消耗せずにポストシーズンを迎えること。

 勝率で一位か二位を取れれば、シードで日程は楽になる。

 基本的にはそれを前提に、万一にも勝率が落ちれば、この予定も変更する。

 ここからの一ヶ月、スターンバックとヴィエラが同時に故障にでもなれば、あるいはア・リーグの第一シードの勝率に届かないこともありえるか。

 ほとんどないというか、もしそんなことがあればポストシーズンが、より大変なことになる。

 ア・リーグ全体を見れば、一位はもちろんアナハイムだが、二位はミネソタ。

 東地区はボストンが勢力を復活させたため、かなり星を食い合っている。

 逆に他の地区の星も食っているので、最終的には第三シードに収まりそうだ。

 アナハイムとミネソタによる、リーグチャンピオン決定戦。

 順当に行けばそういう結果になるだろう。


 直史はこれからの、アナハイムのスケジュールを確認する。

 八月はヒューストンとのカード以外、それほど強いチームとは戦わない。

 ヒューストンにしても勝ち越しており、負けた試合もピッチャーの弱い試合が多かった。

 おそらく八月のアナハイムは、メトロズの背中を追うのに、充分な条件が整っている。

 そしてこの傾向は、九月に入ってもさほど変わらない。


 同じ地区のヒューストン以外には、中地区のブラックソックスが、やや注意すべき相手か。

 インターリーグでのメトロズとの対決は終わり、ハイウェイシリーズでのトローリーズとの対決も終わり、ミネソタ、ボストンという他地区首位のチームとの対決も終わった。

 ボストンと首位を争うラッキーズとの対戦も終わり、本当にもう強いチームは残っていない。

 ヒューストンとのカードが六試合残っているだけ。

 ここからなら逆転の可能性は、充分残っているのではないか、


 対してメトロズは、トローリーズとの試合があり、ラッキーズとのサブウェイシリーズも残っており、油断できないヒューストンとのインターリーグも待っている。

 直接対決がないので他人頼みになってしまうが、追いつける可能性はあるだろう。

 ただアナハイムも先発に問題を抱えている。

 先発ローテの能力の上限はメトロズより高く、平均値も同程度。

 だが下限がメトロズよりも低い、もしくは安定していないのだ。

 メトロズよりも攻撃力で劣り、つまりは打線の援護能力が低いのに、先発のピッチャーの質がバラけている。

 勝てる試合は確実に勝っていくが、先発次第でそれは難しいという状態だ。


 それはなんとかしてくれとキャッチャーに無茶振りするのは、日本の野球である。

 キャッチャーのリードはアメリカにおいては、あまり優先順位が高くない。

 ベンチからの指示、そしてピッチャーの意思が優先される。

 任せた方がいいと理解するには、アメリカにおけるピッチャーの立場は日本とは違う。

 統計とトラックマンでの計測により、ピッチャーの能力は数値化された。

 しかし本当のピッチャーの力というのは、いざという時に勝てるかどうかであろう。




 フィラデルフィアとの三連戦は、ガーネットがまず勝利して、続く二戦はヴィエラとスターンバックが先発であった。

 この二人はMLBでのキャリアと自分のプライド、そして樋口の能力をバランスよく評価して、自分の成績の向上に役立てている。

 柔軟性があるために、あちらからも樋口に合わせているのだ。

 この二人はよほど立ち上がりが悪くない限り、また対戦相手が悪くない限り、ほぼ負け知らずという成績を残している。

 二人ともこのシーズンが終われば、それぞれFAと契約完了で、新たな契約を探さなければいけない。

 そのために良いと思えば、なりふり構わず数字を上げに行く。

 最良の選択肢が、樋口の提案とほぼ被るのは、頭の中を見抜かれているようで、気持ちの悪いものもあるが。


 フィラデルフィアが去っていった後は、オークランドがやってくる。

 今年もひどい成績を残し、まるでやられるために現れるようなオークランドだが、ここまでアナハイムは全勝している。

 もはや勝ち星を増やすためだけの雑魚のように思われているが、そう甘く見ていいわけでもない。

 三連戦の第一戦は先発がレナード。

 第二戦が直史で、そして第三戦がリッチモンドと予定されている。


 リリーフデーの対戦や、前回ガーネットがいた五月の対戦では、それなりに危ない試合にはなっていた。

 新加入のリッチモンドを先発で使うのは、これが初めてとなる。

 それなりに不安が残る樋口は、第二戦を投げる直史に、ある程度は注文をつける。

「次の日までショックが残るような敗北を与えたい」

「ひどいな」

 対戦相手には容赦のない樋口だが、直史も別に優しくはない。

 徹底的に叩いてメジャーリーガーに向いてないと思わせるのは、ある種の優しさかもしれないが。


 もちろんその前に、レナードに投げさせて勝ち星を得るのは、樋口の仕事である。

 レナードはここまで、内容はともかく勝利数ならば、直史とスターンバックに次ぐアナハイム三位のピッチャーである。

 本格的に先発ローテに組み込まれたのは去年からだが、今年は完全に覚醒したとも言われる。

 だが直史に言わせれば、樋口が上手く育てたのだな、というのが事実だ。

 アトランタとミネソタに連敗した後は、八試合全部をクオリティスタート、うち二試合をハイクオリティスタート。

 オークランドの現状を見れば、おそらく勝てるであろう。

 よほど調子を崩さないか、変に油断して調子に乗らなければ、だが。


 アナハイムは現在七連勝している。

 メトロズに勝率で離されないためには、相手が連勝している限り、こちらも連勝していくしかない。

 プロ野球というのはもっと、ある程度は負けることを考慮して、シーズンを戦っていくものだったはずだ。

 それがこの数年、一部のチームが突出した強さを見せ付けている。

 レギュラーシーズンで勝つよりも、ポストシーズンで勝つ方が重要。

 誰もが言うまでもないことなのだが、ちゃんと戦力を温存した上で、メトロズは勝ち進んでいる。

 アナハイムはここで戦力が入れ替わり、わずかに安定感を欠いているように思える。

 具体的にはガーネットとリッチモンドのところが不安なのだ。


 単純にメトロズを追うなら、リッチモンドは使わない。

 だが使うということは、ローテを崩したくないということだ。

 あるいはここで、負けるかもしれない。

 だがそれでも、ピッチャーのローテだけは確実に守りたい。


 その負担を主に担うのが、平気の平左で完封を続ける直史である。

 出せば勝てるピッチャーに、しっかりと完封してもらう。

 リリーフへの負担を減らすため、そんな運用がされている。

 そんなことをして直史が故障でもすれば、もうアナハイムは終わりなのだが、故障の気配は全く見せないのが直史だ。

 今年は全試合完投している直史。

 体力的な限界や、肉体的な限界がどこにあるのか、全く想像できずに恐ろしい。

 バグのように強力なピッチャーが味方にいるのは、確かに戦力としては頼もしいのだが、どこか恐ろしくもある。

 どれだけ投げても壊れない。そして勝利する。

 いくらなんでもそれは幻想のはずなのだが、これまでにどれだけの伝説を、直史は実現してきたか。


 誰もがエースと認める、その絶対的な勝利への信頼。

 オークランドはそれを最も思い知らされているチームである。




 レナードを上手くリードする樋口だが、正直少し難しい。

 純粋にレナードは、今コンディションが低下しているのだ。

 騙し騙しやっているが、ギリギリクオリティスタートを維持している。

 また調子を取り戻すのには、それこそ一時期マイナーで調整させた方がいいのだろう。


 追う立場がそういった選手運用を、難しくしている。

 いっそのこと地区優勝だけを目的とするなら、もっと楽な運用が出来るのだが。

 去年の例を見ても分かる通り、ホームフィールドのアドバンテージは絶対的なものではない。

 ただそういった事実とは別に、メトロズとアナハイムの勝率比べを、世間は楽しみにしているのだ。


 ソーサとマグワイアのホームラン合戦が、全米を盛り上げたように。

 MLB全体が盛り上がるのには、絶対的な強者が一人ではいけないのだ。

 出来ることなら毎年ごとに、ライバルの面子が変わっている方がいい。

 たとえば今年などは、ミネソタが一気に強くなっている。

 それでも本命と対抗は、メトロズとアナハイム。

 どちらを本命としどちらを対抗とするかは、それぞれの人次第である。


 初回から失点するレナードに対して、アナハイムもまた初回から援護を行う。

 ピッチャーが調子がいまいちでも、打線がそれを上回って得点すればいいのだ。

 アナハイムは去年に比べて、明らかに得点力は上昇している。

 ただ直史に対する援護が、少なくなるのはNPB時代と変わらない。

 それでも五点近くは取っているので、NPB時代よりはマシだろうか。

 本当にレックスは、直史を援護する精神に欠けすぎていた。

 それでも優勝していたのだから、文句などつけようがないが。


 レナードに対しての援護は続くが、オークランドも意外と点を取ってくる。

 次の試合に直史が出てくるのが分かっているので、どうしてもここで勝っておきたいのだろう。

 今年も去年に続いて、蹂躙され続けているオークランド。

 別にチームのためではなく、自分の成績のために、必死で点を取りにいく。

 それは悪いことではない。


 アナハイムもバッターは、得点を取りにいく。

 ファーストやサード、そしてレフトなどは、かなり打力に重点を置いた選手が守っているものだ。

 もっともアナハイムの場合は、特に専門色の強いキャッチャーと、守備範囲の広いセンターが、打てる選手ということが大きい。

 そしてそんな出塁率の高い一番二番の後に、完全に主砲となったターナーがいる。

 ターナーがダメでも確実に打って、打点を稼ぐシュタイナーがいる。

 これらの主力がいるので、投手陣さえちゃんと揃えれば、あと三年は絶頂期を維持できるだろう。


 レナードは五回までを投げて四失点。

 期待に添える内容ではないが、最低限の役割は果たした。

 ここからリリーフで継投していって、どうにか打線がリードすればいい。

 そして翌日が直史の登板と考えると、ベンチは勝ちパターンのリリーフを投入できる。

 直史は完投するから、リリーフは休める。

 そんな無茶苦茶な常識が、ここでは現実となっているのだ。


 最終回に勝ち越したアナハイムは、つまりサヨナラで勝利する。

 勝ち星がついたのは、クローザーのピアースであった。

 最終回の打線を見て、クローザーまでを投入したアナハイムは、ベンチの判断で勝利した。

 そしてここで敗北したことによって、さらにモチベーションを落とした状態で、オークランドは直史と対決することになったのだった。




 八月のピッチングは、スタミナの消耗に気をつけなければいけない。

 ただアナハイムの夏は暑いといっても、湿度の差で不快指数は日本ほどではない。

 直史は第二戦、省エネピッチングを心がける。

 重要なのはいかに楽に、相手に勝つかだ。


 この楽というのを勘違いしてはいけない。

 直史が使う楽という言葉は、確実に勝つということ。

 そしてそのためにピッチャーのみならず、チーム全体が消耗しないことだ。

 完封してしまうといういつものナオフミズムは前提条件。

 その中でゴロ、三振、フライをどういう配分でアウトにしていくか。

 肉体的に楽をするためには、頭を働かせなければいけない。


 血を流したくないなら汗を流し、汗を流したくないなら知恵を絞る。

 これが稼ぐための一つの真理。

 一回の表のオークランドの攻撃を、内野ゴロ二つと三振一つで抑えて、あとは先取点を待つ直史。

 MLBはピッチャーが完全にバッティングをしないので、攻撃時に休めることが重要だ。

 もしも打てるピッチャーなどがいるなら、守備特化の選手にDHを使ったり、普段から守備で疲れる選手をDHで休ませるという手段もあるが。

 ただDHに入るバッター自体を、そこそこ休ませるという選択もあるのだ。


 初回からランナーが連続で出て、ターナーのヒットで先取点。

 そしてシュタイナーが打って外野フライになり、それで樋口はタッチアップをする。

 余裕で帰ってこれる足のあるキャッチャーなど、MLB全体で見ても果たしてどれだけいるか。

 キャッチャーはどうしても捕球姿勢のために、遅筋が鍛えられてしまい、スピードを失ってしまいがちになるのだ。

 樋口にしてもプロ入りして、少しずつ走力は衰えていっている。

 それでも普通に二桁の盗塁はするので、やはりキャッチャーそしては規格外なのだが。


 直史が投げていると、とにかく狙い球を絞って、それを打てなければ諦めるというバッターが多い。

 オークランドのバッターは、直史に抑えられることに、もう慣れ過ぎてしまっている。

 なので意外とスタメンが入れ替わっているのだが、そのあたりのことはあまり直史も意識していない。

 ただデータの少ないバッターが出てくるのは、さすがに面倒ではあるのだが。

 戦う意思のない選手など、いても全く意味はなかろう。

 なんとか必死で直史のボールに、当てようという意識でスイングをする若者たち。


 圧倒的な技量でそれらの熱意を砕きながら、若さっていいなと思う直史。

 三十路に入ってなお、その技量はさらに研ぎ澄まされていく。

 純粋な技術よりは、経験などを蓄積した、読みと駆け引き。

 若手のバッターであれば、わずかな変化で内野ゴロを打たせるのが簡単になる。

 打ち急いだバッターが、どんどんとアウトになっていく。

 そしてランナーは出ない。

 やっと三巡目でランナーが、守備のエラーとして記録される。

 しかしそれをすぐさま、ダブルプレイで消してしまうあたり、本当に容赦がない。


 ここで折れてしまうのなら、いずれどこかで折れてしまうだろう。

 直史の理屈ではそういうことになるのだが、実際のところ直史が引退すれば、このタイプのピッチャーはいなくなる。

 ならば普通に、MLBでも通用するバッターになるはずが、最初に当たる壁が大きすぎて、挫折してしまうという可能性はあるだろう。

 もちろんそんな挫折は、直史に責任があることではないのだが。


 どんな人間であっても、生涯無敗ということはまずない。

 公式戦ではプロ無敗の直史であるが、アマチュアでは何度も敗北している。

 頂点に至る人間も、そこまでのどこかで必ず、大きな壁に直面している。

 直史などはむしろ、そのキャリアの最序盤である中学時代に、その壁に激突した。

 越えられない壁であった。

 舞台が変わって、上から引っ張り上げたり、共に登ってくれる人間が出来るまでは。

 MLBまで来るような選手でも、だいたいはマイナーで経験を積んでいる。

 だがこのMLBの舞台で直史を体験することは、そういうものとは根本的に違いがあると言っていい。


 ベースボールの最高峰の舞台のはずだ。

 ここまで到達するのは、どれもこれもある程度は超人。

 フィジカルモンスターが、現在のMLBの常識。

 なのに直史の体躯は、筋肉を感じさせない。


 アメリカ人のマッチョ信仰は、本当に恐ろしいものがある。

 ヒーロー物だけでなく、機械などを見ても、とにかく大きなものが強い。

 そんな中でひょろりと細い直史が、圧倒的にマッチョたちをなぎ倒す。

 正確に言うと、簡単に足を引っ掛けて転ばすのを、淡々と続けているような感覚だろうか。

 とにかくアメリカ人の価値観からは、理解しがたいのが直史なのだ。

 大介は小さいだけで、それなりに筋肉の瞬発力などは、高いことが分かっている。

 だが直史の身体能力は、おそらくMLBのプレイヤーの中でも最底辺。

 しかし技術だけで、その頂点に立っている。


 この日も多くのオークランドの若手が、その洗礼を受けた。

 早打ちをしていったため、球数が80球を割ってくれた。

 出たランナーはエラーの一人で、それもダブルプレイで消している。

 奪った三振は八つで、少し少なめではあった。

 ほとんどの打球が内野ゴロというこの日の試合。

 オークランドの者にとっては、やはり悪夢としか形容しがたいものであったろう。




 ズタズタに切り裂かれたオークランドの選手たちは、次の第三戦までも引きずっていた。

 リードする樋口としては、イニングイータータイプのピッチャーリッチモンドは、それなりに不安であったのだ。

 しかし直史によって無力化されたオークランドの選手は、またスタメンを大きく変えてきている。

 普段のスタメンを使っている場合が多いのだが、それでも主力はそのまま使っていたため、前の試合の精神的ダメージが抜けていない。


 リッチモンドと樋口の間には、まだ信頼関係などは成立されていない。

 ただ樋口自身は、一方的にある程度リッチモンドを理解している。

 ありがたいことにリッチモンドは、グラウンドボールピッチャーだ。

 もちろんその精度は直史には比べるべくもないが、ど真ん中に投げ込んだボールを、どれだけ動かすかというのが主なスタイルだ。

 ストレートのコントロールは、それなりにある。

 だが他の変化球は、極めて限られた制球力しかない。


 打てそうなボールを投げて、ミスショットを狙う。

 リッチモンドは基本的に、そのスタイルで投げてきている。

 先発ならそこそこの成果を上げることが出来ても、リリーフの適性はない。

 特に一点を気にかける試合では、というタイプのピッチャーだ。


 それなりに打たせることで、球数を減らしてイニングを投げることが出来る。

 ただ直史ほどのコントロールがないので、ボール球を見切られることはある。

 低めに集めた球が、浮いてしまうことがある。

 それでだいたい六回も投げれば、三点以上は取られてしまうというピッチャーだ。


 使うのはかなり微妙なピッチャーだ。

 契約も切れるため、来年もアナハイムにいることはないだろう。

 もしもアナハイムと契約するにしても、その年俸は今よりもだいぶ少なくなることは間違いない。

 統計的に見れば、勝敗は案外五分五分にすることは出来るかもしれない。

 ただそういうタイプのピッチャーは、今のアナハイムには不要である。


 やはりフロントの考えとしては、ガーネットが育つのを待つという気分なのだろう。

 そしてガーネットが序盤で炎上したり、またマイナーに落とす時のために、リッチモンドは必要になっている。

 レナードがそれなりに成長したため、アナハイムのピッチャーは先発ローテの四枚目までは、かなり信頼性の高い面子となっている。

 だがこの五枚目というのが、今年も悩ましいものだったのだ。

 ヴィエラが離脱した時に、ガーネットがそれなりに勝ち星を上げたのは、育成してきたチームとしては、嬉しいことであった。

 ただしまだ完全にローテを守るには、引き出しが少なかったと言うべきか。


 少ない引き出しでも、それを上手く組み立てるキャッチャーが、アナハイムにはいるのだ。

 投げるしか能がないのなら、素直に投げることを磨けばいい。

 リッチモンドは序盤から打たれて、ちょこちょこと点も入る。

 だがその失点を一点までに抑えることが、出来るタイプのピッチャーだ。

 もちろん強力な打線のチーム相手には、力不足と言えなくはない。

 だが実際のところはやってみないと、通用するかどうかは分からない。それが樋口の見立てだ。


 ガーネットを上手く誘導したように、リッチモンドも上手く誘導できた。

 一度FAを取ったリッチモンドからすれば、樋口は今年がMLB一年目のルーキー。

 バッティングでは見事な成績を残しているが、キャッチャーとしては信頼できない。

 もっともちゃんと情報を仕入れていれば、樋口の優秀さはすぐに分かるはずだ。

 そういうこともしていないあたり、リッチモンドは典型的なメジャーリーガーだと言える。


 そんなリッチモンドをリードし、オークランドを相手に六回を三失点。

 アナハイム打線はそれに対して、倍の六点を取っていた。

 三点差であるので、勝ちパターンのリリーフにつないでいく。

 そしてリッチモンドは違い、短いイニングをしっかりと抑えて行くリリーフ陣は、メリハリが利いているため効果的ではあった。

 最終的なスコアは8-3でアナハイムの勝利。

 リッチモンドはアナハイムに来て、これが初の勝利となった。




 アナハイムが八月以降、メトロズに比べて有利な理由は強いチームとの対戦が少ないということもあるが、弱いチームとの対戦が多いということもある。

 その代表的な相手が、オークランドの次に当たるボルチモアだ。

 今年はオークランドほどではないが、ア・リーグ東地区では最下位。

 ボストンやラッキーズ、トロントがいるから仕方がないとは言え、それでも圧倒的に同じ地区のチームに、星を取られてしまっている。

 

 こことの六試合が、八月にまとめて行われる。

 もちろん若手の中には、それなりに成績を残している選手もいるが、野球は総合力。

 そしてチームとしての力を、上手く引き出すためには、経験豊富なベテランが必要になる。

 ボルチモアには年俸の高いベテランはほとんどいない。

 それなりに経験と、勝つための手段を持つベテランがいなければ、チームは再建出来ない。

 それが常識であるのに、ボルチモアは戦力の補強に動かなかった。


 今年も負けることによって、ドラフトの順位を高いものにしようとした。

 そして安い選手を揃えることで、とにかく支出の方を減らした。

 球団経営としては、それほど間違ってはいない。

 それにアナハイムとしては、相手が弱いことに文句はない。

 先発がガーネットというのも、心配の理由の一つだ。

 ただ樋口も一度ガーネットを使ってみて、その性能をある程度把握している。

 六回までをどうにか投げさせれば、あとは打線で援護すればいい。


 ガーネットの後に続くのは、ヴィエラとスターンバック。

 今のボルチモアのチームを見ていれば、二人が調子を整えていれば、負ける相手ではないだろう。

 だが樋口は勘違いしていた。

 ガーネットの能力はともかく、その性格を把握しきれていなかったという方が正しいか。

 前の試合で七回を二失点で抑えたガーネットは、それが樋口のリードに従った結果だったということを、すっかり忘れてしまっていたらしい。

 勝てた試合のイメージを、自分の中に残しておく。

 それは自信をつけるためには必要なことなのだろうが、そればかりでいいはずもない。

 この試合は序盤から真っ向勝負をしかけて、一回にいきなり四失点。

 そして二回にまた一点を取られたところで、交代となったのだった。


 リッチモンドはこういう時には、ロングリリーフとして使えるためにも獲得されていた。

 しかし前日に投げているピッチャーに、ここで長いイニングを投げさせるわけにもいかない。

 アナハイムは序盤のビハインド展開で、投げていくピッチャーがいない。

 野球は大逆転のあるスポーツだと考えれば、これも間違いなく弱点と言えるだろう。

 ただポストシーズンにまでなれば、大量点をひっくり返すような大味な試合は、なかなか生まれないという印象もある。

 なのでそういう時は、もう諦めてしまってもいいのだ。


 アナハイムの連勝は10でストップした。

 そしてこの試合の失点は、今季最悪タイの九失点。

 打線もそれなりに頑張ったが、これを上回ることは不可能であった。

 こうやって負けてしまっても、また翌日には試合がある。

 反省はしてもいいが後悔をしてはいけない。

 長いレギュラーシーズンは、まだ50試合近くも残っているのだから。

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