第106話 GMのお仕事

 ボストンとの三連戦、直史は登板しない。

 今年はこれで、ボストンとのカードは終わりである。

 去年は二試合投げたが、今年は投げていない。

 仕方のないことではあるが、対戦カードに偏りがあるのがMLBというものだ。


 ポストシーズンまでボストンが進出し、そしてアナハイムと当たるなら、確実に直史も投げる機会はある。

 そのため対戦しそうなバッターに関しては、しっかりと目に焼き付けておかなければいけない。

 今年からメジャーで頭角を現している選手の一人には、昨年移籍してきた選手もいる。

 上杉と引き換えに、メトロズが放出したものだ。


 プロスペクトが本当に成功するかどうかは、かなり賭けの部分はある。

 選手個人の能力もあるが、コーチとの相性もあるからだ。

 たとえば大介が、中学時代はゴロ打ちを強いられていたように。

 直史にしても普通の高校であれば、投げすぎだとして練習を止められていただろう。

 セイバーでさえそこには先入観があり、本当に大丈夫なのかどうか、検査をしてから許可をしたぐらいであるし。

 ピッチャーの中には投げていないと、肩が固まってしまう選手も稀にいる。


 バッターにしても七球団競合であったスラッガーが、まるで打てないということもあったりする。

 直史の近い年代であると、一つ上の実城が、なかなか芽が出なかった。

 福岡が選手層の厚いチームだったとはいえ、活躍するのが移籍してからになったのは意外だ。

 ただMLBにおいては、打率よりも出塁率と長打率が重視される傾向もある。

 打率が二割もないのに、30本以上のホームランを打ったりするバッターもいる。

 使うほうも使うほうだが、チームの戦略にマッチしていれば、そういうバッターも使われるのだ。

 打率が低くても、一人で一点を取れるバッターは強い。

 

 アナハイムはここのところ、若手の育成にはそれなりに成功している。

 コーチ陣と言うよりは、選手間の影響が大きいとも思えるが。

 ターナーの長打力が向上したのも、元からストレート打ちに強かったのに加え、変化球への対応力が上がったからだ。

 他のバッターも軒並み、変化球への対応力は上がっている。

 直史が調整でもバッターを相手に投げるためで、ピッチングコーチ以外はFMも、投げさせすぎではと心配する。

 ピッチングコーチのオリバーは、瞳をキラキラさせてその様子を眺めているのだが。


 樋口はマイナーの試合を動画でチェックしたりしている。

 日本時代から二軍の様子も、見られる限りは見ていたのが樋口だ。

 本来プロ野球選手というのは、彼の志望とは違う職業であった。

 だがやるからにはやる。それが樋口だ。徹底してやるのだ。

 女遊びの合間なので、どれだけ徹底しているのやら、とも思われるが。


 NPBに比べてアメリカのプロ野球は、その裾野が広い。

 日本で言えば二軍であるマイナーは、アメリカの場合はさらに何段階にも分かれている。

 三軍までしかない日本とは違うのだ。

 ルーキーリーグから始まり、A、AA、AAA(3A)となるが、この中でも+などといって分けられている。

 さらに日本の独立リーグのように、アメリカにも独立リーグがある。

 また海外の独立リーグとも密接に関わっていて、ルーキーリーグからいきなりメジャーに行く選手もいないわけではない。


 NPBではドラフトの新人は、現在では30%ほどは一年目で一軍を、期間はともかく経験している。

 だがMLBの場合は、海外からの移籍を除くと、ルーキーの一年目でのメジャー昇格は、5%以下なのだ。

 こんな中から樋口は、新しい戦力を探している。

 さすがにそんなのは、仕事の内に入らないのであるが、やるなら徹底してやってしまうのが樋口である。

 早稲谷の同学年からピッチャーが三人もプロ入りしたのは、間違いなく樋口の影響が大きい。

 辺見はそもそも、星には全く注意を払っていなかった。身体能力ではプロレベルでなかったので、ある程度は仕方がないと擁護する者もいる。

 それでも樋口は星に投げさせたし、鉄也は星を指名させた。

 監督の才能とスカウトの才能、そしてコーチの才能は別だとも言える。




 選手全体はともかく、ピッチャーの力量を見抜くのは、樋口の方がほとんどのスカウトよりも上だろう。

 今日はその目で、ボストンのルーキーピッチャーのピッチングを見ている。

「肩をもう少し水平にした方がいいな。あとクラッチ式は合ってないんじゃないか?」

 呟く樋口は本当に、キャッチャーの目で相手のピッチャーまで見ている。

「アーム式の方が良さそうなのか?」

「どうだろうな。合っていて肘に負担がかかるなら、クラッチ式に切り替えた方がいいだろうし。それでもメジャーに上がる前に故障したら、あまり意味はないし」

 直史は現在、クラッチ式で投げている。

 だが武史はアーム式だ。

 一般的に肩への負担は大きいと言われるアーム式。

 だが武史にはそちらの方が合っている。


 直史は自分で意識して、肉体の柔軟性を高めた。

 柔軟であるということは、それだけ故障しにくいということだ。

 クラッチ式で投げるのは、肘への負担を考えたため。

 元々クラッチ式ではあったが、高校時代にそのフォームはほぼ固めた。


 武史の場合はアーム式で、しかも水泳の中で鍛えた腕のしなりが、そのままボールへのパワーにつながるし、クラッチ式と同じように球もちが分かりにくくなっている。

 ピッチャーのフォームに正解はない。

 それぞれの人間に合った、フォームがいくつかあるだけだ。

 故障をしないことを、重視する指導者は確かに正しい。

 だが故障するリスクを抱えてでも、壁を越えたいという人間は多い。


 プロになって、一軍で通用して、三年ほどで故障して引退する。

 プロには届かず、他の道を探して、その道で生きていく。

 果たしてどちらが正解であるのか。

 たとえば甲子園などは、壊れてでもいいから甲子園に行きたい、などという選手は今でも普通にいる。

 高校生で野球は終わるのだから、甲子園で壊れても本望だと。

 ただ実際は故障してからの方が、圧倒的に人生は長い。

 故障した肩や膝や腰を抱えて、その人生をどう歩んでいくのか。

 肉体の故障は別に野球の道を閉ざすだけではなく、人生の選択肢も少なくしてしまうのだ。

 ただそれでも、壊れるまでやってしまった方が、いいのではと思ったりもする。


 直史も樋口も、それは本来なら個人の自由だと思っている。

 自分の人生に、自分で責任を持つのなら。

 だが実際のところ大人の目から見れば、そんな無茶は止めるべきだと考えるのも道理だ。

 野球で成功する意外に、人生逆転のチャンスがないのだとしたら。

 それはもう、故障した後に底辺の人生を歩むのも、賭けに負けただけだとも言える。

 一流大学を出て、一流企業に就職しても、将来が保証されているわけではないのが現代。

 直史の弁護士や樋口の官僚という選択も、何も将来の危険性がないわけではない。

 実際に弁護士は余っている傾向であるし、官僚などもトップまで出世するのは、選民されたエリートの中でもさらに一部だ。

 腕のいい弁護士は企業に就職したり、コネのある官僚は民間に天下りして活躍するが。

 何事も、その人次第だ。




 別に樋口に任せているわけではなく、球団のスタッフは当たり前のように、他のチームの選手については分析している。

 ただアメリカの合理的な分析は、合理的過ぎて特異な才能に気付きにくい。

 たとえばNPBとMLBでは、現在はアンダースローやサイドスローが、NPBの方が割合が多い。

 そしてサウスポーの数は、MLBの方が多い。

 日本の場合はかつて、生来の左利きも全て右利きに矯正していた。

 現在ではあまりそういうこともないが、投げることまで右に矯正していたことがあった。

 ものすごく昔だと左利き用のグラブやミットが、なかなかなかったせいもある。

 現在では逆に、生来右利きでありながら、ピッチングだけは左ということも多い。

 ただ右利き文化ではない文化圏からの選手も受け入れるアメリカでは、サウスポーが結果的に多くなる。


 サイドスローはともかく、アンダースローは本当に最近は少ない。

 だが歴史を紐解いてみると、元はアメリカのベースボールは、アンダースローで始まっていたりもする。

 そういう時代の記録は、今とは比較にならない。

 スカウトやスコアラーの記録は、最終的には数値となってしまう。

 今でこそコンピューターの記録と処理能力で、かなりピッチャーの価値を判断することが出来るようになった。

 だがそれでもなお、人間の頭脳の方が、優れている部分はある。

 画期的なアイデアなどは全て、人間が生み出すのだ。

 もっとも将棋ソフトなどは、人間が思いつかない手を、もう出してきている場合があるが。


 コンピューターの創造性が、一般的な人間を上回ったとしよう。

 それでも人間の価値がなくなることはない。

 一部の天才の創造性は、凡俗から突出している。

 重要なのは両方をしっかりと使うことだ。


 ボストンとの試合の中でも、GMのブルーノは様々な情報をチェックしていく。

 数字で判断するのが、基本的には正しい。

 だが最後にプレゼンの機会があるのが、やはり人間ということか。

 セイバー・メトリクスが一般化する上で廃されてきた主観。

 それが今では逆に、セイバーの計算外の選手を見出すことに、大きな力となっている。


 バージョンアップ、バージョンチェンジ、そして対応できなくなって逆に以前のバージョンを使ったり。

 野球のやり方はおおよそ、先鋭化と復古の繰り返しだ。

 あるいは文化というものが、そうであるのかもしれない。

 そんな中でブルーノは頭を抱えている。

 アナハイムがトレードデッドラインまでに、どう動くべきなのか。

 単純に考えれば、リリーフを強化するべきだ。

 先発は直史にスターンバック、ヴィエラの三枚を中心として、あとはレナードが育ってきているからこれでいい。

 ただ来年のことまで考えると、スターンバックとヴィエラ、あるいはその両方がいなくなる。


 ヴィエラはそれほどの大型契約を求めるのか。

 もちろんアナハイムとしては、ある程度の金額のオファーは出す。

 だがそれで納得する、今のヴィエラの成績ではない。

 あるいは単年安めで、長期の契約を提案してみるか。

 だが今年で35歳、しかもシーズン中に故障をしていたヴィエラが、来年以降どこまでパフォーマンスを維持できるか。

 ヴィエラを切ってスターンバックと契約を結ぶなら、それはそれでいいことかもしれない。

 しかし今のアナハイムのピッチャー、、特に先発ピッチャーは、打線の援護の恩恵を受けている。


 目の前の補強に加えて、来年のチーム編成。

 アナハイムは基本的に、スタープレイヤーを必要とする球団だ。

 世界で一番有名な遊園地のある、アナハイムという都市。

 娯楽の一環として、MLBも存在する。

 近くにはロスアンゼルスに、MLBとしては競合する巨大チーム。

 毎年のように地区優勝を狙ってくるトローリーズに対抗するには、ここにしかないものが必要なのだ。


 直史の三年契約を、条件を変えて伸ばそうというのは、オーナーと一致している。

 そして若いターナーに関しては、今の内に大型契約を結んでおこうか。

 リードオフマンのアレクを取って、樋口も取ってきた。

 コアになる打線と守備の主役は揃っている。


 たとえ負けても点の取り合いであると、それなりに満足するのが野球というプロスポーツだ。

 ただ直史ほど傑出していると、手放すわけにはいかない。

 直史が投げる試合には勝って、あとはどうにか勝率五割をキープする。

 そうすればポストシーズンまでは進出出来る。

 それがオーナーのエンターテイナーとしての役割になる。


 勘違いしてはいけないが、別に負けたいわけでも、優勝したくないわけでもない。

 だがそれよりも優先されるのが、利益を出すということだ。

 もちろん一番ファンを熱狂させ、アナハイムの資産価値を高めるのが、ワールドチャンピオンになるということだとは分かっている。

 しかも今回は連覇がかかっているのだ。21世紀以降、一度もない連覇が。

 去年のメトロズが、その連覇を果たすのかと思われた。

 それを覆すのが、まさか自分の持っているチームだとは。


 巨大な利益が、ポストシーズンに進出することで生まれた。

 球団の資産価値は、これまでになく高まっている。

 だがこれに、経営者である自分までが夢を見てはいけない。

 メトロズのオーナーであるコールとは、そこが決定的に違う。

 オーナーである前にファンなのか、ファンではあるがそもそもオーナーなのか。

 優先順位が一つ違うだけだ。




 オーナーとGMの目の前の課題は、違いが一つだけ。

 リリーフを強化するか、打線を強化するかというだけだ。

 オーナーはとにかく、攻撃面での派手さを見たいし、見せたい。

 負けるチームを作るつもりはないが、今のチームのままでも充分に、ポストシーズンに進出できることは分かっている。

 今後の主力となる選手を、どれだけの期間所持していられるか。

 それを考えると今年は無理だとしても、来年再来年のポストシーズン進出は確実に思える。


 負けていいわけではないが、負けても仕方がない。

 その点でどうしても勝ちたいGMや首脳陣、そして選手たちとは思惑が異なる。

 もっとも選手の中には、ひたすら自分の年俸だけが重要な者もいる。

 加えて言えば直史でさえ、優勝よりも大介との対決が重要なのだ。


 オーナーはコンスタントにポストシーズンに進出し、それなりに勝ち進めるチームを根底とする。

 その上にワールドチャンピオンという栄光を乗せる。

 GMはまず目の前のワールドチャンピオンを取りたい。

 もちろん来年以降も強いチームを保ちたいが、そのための打線の強化は、今年のストーブリーグで考えればいいと思うのだ。


 選手の中で優勝を目指しているのは、充分に稼いだベテランというものが多い。

 既に富はあるから、あとは名誉というわけだ。

 ただアナハイムの主力のほとんどは、去年と変わっていない。

 なので優勝自体は経験している。

 樋口は別に優勝にこだわるというわけではなく、常に優勝を目的としている。

 アレクは優勝を目指してなくても、プレイの内容は変わらない。

 そして直史は、優勝を目指す。

 それがメトロズに勝つということにつながるからだ。

 もしもワールドシリーズに他のチームが出てきたら、やる気も責任もないので、負けてしまうかもしれない。

 もっともそう思っているのは、当の本人ばかり。

 直史が負けず嫌いであるのは、周囲の人間はおおよそ知っているのだ。


 アナハイムのオーナーとGMとのすり合わせは、今回はGMの意見が通った。

 リリーフを獲得する。出来れば若い選手がいいが、そうでないなら単年で、トレードにこちらから大きな戦力を放出せず、期待の若手も手の内のまま、という都合のいいものだ。

 そんなに都合よくいくのかと問われれば、いくこともあるのだ。

 MLBのチームの中には、もう今年のシーズンを諦めるチームも、そろそろ出てくる。

 そういったチームは来年を考えてチーム構想を練っていくわけだが、すると高額年俸のベテランで、しかも契約が今年で切れる選手などは、すぐにでも放出したい。

 残りの二ヶ月と少しであっても、普通に残りの契約を持ってもらうだけでも、球団としては助かる。

 ただし本当に放出するだけでは、せっかく戦力となれる選手なのに、使い方がもったいない。

 なのでトレードに出し、相手のプロスペクトで将来を夢見る、ということが起こるのだ。


 ボストンとの三連戦が終わった頃、アナハイムはリリーフのピッチャーを一枚獲得。

 それと引き換えにマイナーの有望選手を放出する。

 リリーフのピッチャーも一枚付けてだ。

 つまりアナハイムは将来性を少し減らしながら、リリーフ陣を強化した。

 放出された選手には気の毒だが、これもMLBという世界だ。

 まだまだこの先、チームは動いていくかもしれない。




 ボストンとの三連戦は、スターンバックが微妙に立ち上がりから崩れて、一つを落とした。

 六回までを投げて五失点で、その後のリリーフ陣も失点。

 打線は五点を取ったが、それでも追いつけなかった。

 だがヴィエラは安定して七回を投げたし、レナードも六回を二失点。

 今年のアナハイム打線なら、その点を上回ることが出来る。

 連勝は九でストップした。


 三連戦の後、アナハイムは遠征でクリーブランドに向かう。

 その遠征の前日に、リリーフ陣から一人トレードに出されることが決まった。

 次の日にロッカールームに行けば、その選手のロッカーが片付いているという、スプリングトレーニングでも見られた光景だ。

 あまりトレードの積極的でないNPBに慣れると、これには驚く。

 樋口としてもせっかくシーズンの半分も終え、ピッチャーとしての特徴も把握していただけに、新しくピッチャーの特徴を憶えるのは面倒くさい。

 それでもやらないわけにはいかないので、コミュニケーションを行うが。


 今回のトレードは、リリーフ陣とリリーフ陣のトレードであるが、実際に重要なのは、アナハイムがもう一枚つけたマイナーの選手だ。

 これも樋口が来年か再来年には上がってくるだろうと見ていた、若手のピッチャーとなる。

 こういうことの動きが、MLBは本当にすっぱりしている。

「契約時にトレード拒否権を持ち込めないのかな」

 樋口自身はそういう契約をしているが、他の選手にはそういうものは少ない。

「人数を空けないといけないから、トレードを拒否するならカットされるだけだろ」

 そもそも契約社会なので、トレードを拒否できない場合もある。


 普通にカットされてもいいと思っても、その先をどうすればいいのか。

 この時期に中途半端なリリーフの一枚を、あえて拾う必要があるだろうか。

 少なくともトレードされるなら、契約はそのまま引き継がれることが多い。

 クリーブランドに到着してみれば、知らない顔が一枚増えている、というわけだ。


 ただ樋口としては、悪い取引ではないのだろうな、とは思う。

 左投手というのは、MLBでもやはり希少なのだ。

 リリーフと言ってもMLBは現在、ワンポイントで使うというのがルールで禁止された。

 ただ左打者が多くなれば、サウスポーの価値も上がる。

 もっともサウスポーが増えすぎれば、バッターもそれに慣れやすくなり、希少性が薄れるかもしれない。


 それなりにイニング数を投げられ、ビハインドの場面で使われることが多いという。

 もちろんピッチャーとしての役割は、ローテーションの先発と、クローザーがポジションとしては重要だ。

 しかし結果を残していれば、ロングリリーフから先発への道も開けるかもしれない。

 ただ年齢的にも契約的にも、まさに今季のみの補強といった感じなのだろう。

 シーズンが終わればFAとなるので、もう一度契約をどこかと結ぶため、必死で投げてはくれるだろうが。


 


 アリゾナから移籍してきたリッチモンドは、必死である。

 過去には先発ピッチャーとして、六シーズンを過ごしている。

 その五年目にFA権を獲得し、アリゾナと契約。

 だが先発のローテに入れたのは一年目だけで、それ以降はリリーフ、しかも勝ちパターン意外での起用が多い。


 残している数字は悪くないのだが、一イニングをびしりと0で抑えることはあまり得意ではない。

 なので本来なら、やはり先発が向いているのだろう。

 勝ちパターンのピッチャーとして使うには、一発などを食らうことがそれなりに多い。

 微妙な点差の試合や、序盤に先発が炎上した場合は、よくマウンドを任されることがある。

 値段の割にはスペックは微妙だが、今年のオフでまたFAとなる。

 この一年だけと割り切って使うなら、悪い取引ではないという判断だったのだろう。


 実際にバッテリーを組んでみた樋口としては、とりあえずリリーフ適性が低いのは分かった。

 セットアッパーやクローザーに必要なのは、奪三振能力と、四球を出さない能力。

 あとはリリーフの勝ちパターンであれば、出来れば肩の作るのが早いのと、回復力も求められる。

 この中でリッチモンドが満たしている条件は、少なくとも奪三振能力や、四球を与えないコントロールではない。

 過去のデータから見れば、回復力は早いのではないかと思われる。

 ただ肩の作るのに時間がかかるので、本来ならじっくりと準備する、先発に向いていると思うのだ。


 先発に必要なのは、一イニングを確実に抑えることではない。

 六回を三点まで、あるいは七回を二点までに抑える安定感。

 そしてローテを確実に守ることである。


 直史が投げるこの日、樋口はリッチモンドのボールを受けてみた。

 実感したのはやはり、先発の方が向いているのでは、というものだった。

 勝ちパターンに投げさせるには、メンタルの抑制がきいていない。

 弱気なわけではないが、冷静さが足りない。

 なのでペースを抑えて投げる、先発やロングリリーフが向いていると思ったのだ。


 あるいは、と樋口は思う。

「ローテに入れるつもりかもな」

「六人ローテか?」

「いや、一人外して」

「ああ……」

 トレードデッドラインまで、あと五日ある。

 以前に離していたことは、先発ローテの中では、マクダイスが弱いなというものだった。

 上手くトレードに出して、違う面を補強するのではないか。

 そういう会話をしていたが、なんだかんだいってマクダイスも白星が先行している。

 今年のアナハイムの得点力を考えれば、それもおかしくはないのだが。




 とりあえずはクリーブランドとの初戦、先発は直史だ。

 この怪物投手のピッチングを、リッチモンドはスプリングトレーニングでは見ていた。

 あちらは注目していなかったかもしれないが、アリゾナとアナハイムは、オープン戦では対決している。

 やたらとゴロを打たせるのが上手いな、とはリッチモンドの目から見た、リアルタイムの直史である。


 だがレギュラーシーズンが始まってからは、そんなオープン戦の甘さなど全くない。

 今年もどれだけパーフェクトを達成し、完封を果たしているのか。

 弟のほうもとんでもないパワーピッチャーだが、兄の方はやっていることがまるで魔法だ。

 なぜあんなに少ない球数で、記録を残し続けるのか。

 それを知ることが出来たら、自分の今後に活かすことが出来る。


 今年の成績のままであると、おそらく今度の契約は、安くて長いものになるか、単年での契約になるだろう。

 安くて短いという可能性まで、現実的な範囲だ。

 味方であるし、とてもそのポジションを奪えるとは思えない。

 だが何かを学ぶことが出来れば、残り二ヶ月と少しの間に、数字を残して有利な契約を結べるかもしれない。

 そういった心理を、直史も樋口もおおよそ分かっているのだが。


 期限までにはあと少し。

 選手たちはそれを気にすることなく、目の前の試合に集中する。

 もっともスタメンでない選手は、それなりに不安ではあるだろうが。

 トレード移籍はMLBにおいては日常。

 だがアナハイムの環境はいいし、何よりワールドチャンピオンが見えている。

 あえて移籍はしたくないチームだということは、誰にとっても間違いのないことであった。

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