第101話 過去から現在

 アレクが日本に来て、最初にMLB級ではと感じたのは、やはり同じチームの大介であった。

 そして春の大会を勝ち進み、関東大会の決勝で対戦したのが本多。

 本多もあの時から、アレクには将来MLBで対戦するかもしれないと、ずっと思っていたのだ。

 その前にNPBで対戦はしたが、アレクとしては対戦成績は微妙である。

 圧倒的に負けているわけではないが、あまり確実に打てるとも言えない。

 打率の高いアレクが、三割に全く届かないという時点で、やはり本多はすごいピッチャーだったのだ。

(まあ、リーグが違ったから、全然対戦してないんだけどね!)

 ピッチャーとの対戦回数が多くなればなるほど、通常はバッター有利になるという。

 なのでアレクとしても、これは単なる言い訳というわけではない。


 本多はアレクより二歳年上だが、メジャーリーガーとしてはアレクの方が先輩だ。

 しっかり一年目から実績を残し、FA権を得て完全な成功者となった。

 だがそれでも、上には上がいる。


 一打席目からアレクとしては珍しく、本多の球筋を見極めるのに使う。

 本多の球種の中で、一番注意するべきはフォーク。

 スピードと落差をある程度調整しているのは、既に分析されている。

 そのフォークを使わずに、本多はアレクをツーナッシングと追い込む。


 フォークを打ちたいという、アレクの気配を見透かしているのか。

 追い込んでからも、ムービング系のボールを続ける。

 だがアレクであればそういったボールは、しっかりとカットしていけるのだ。

(フォーク来い)

 粘るアレクに対して、本多の投げたボールが沈む。

 想像以上の落差に、バットコントロールがついていかなかった。

 空振り三振で、先頭打者としての出塁に失敗する。


 二番打者の樋口に対しては、すごく落ちたとの伝達。

 軽く顎を引く程度に頷いて、バッターボックスの前で立ち止まる。

(本多……)

(樋口……)

 この二人にも、高校時代から続く、長い因縁がある。


 


 樋口にとっては高校に入ってすぐの遠征で、帝都一との練習試合をした。

 夏の前にはまだ、樋口が完全に正捕手とは決まっていなかった。

 そんな中で行った、帝都一との練習試合。

 思えばあの時は、白富東との巴戦もしたものだ。


 一年生の夏の甲子園、一回戦で樋口は本多と対戦した。

 上杉が23奪三振し、帝都一はわずかにヒット一本という、伝説的な試合である。

 あの試合だけではないが、樋口が上杉の能力を活かしきれたかと思うと、微妙なところである。

 既に高校生時点で、160km/hを軽く出していた上杉。

 だがそれでも当時の樋口に合わせて、多少は加減していたのではないか。

 プロ入り後すぐに、上杉の球速は上がったからだ。

 それでもあの当時、樋口よりもキャッチングに優れたキャッチャーを、どこからか持ってくるという選択肢はなかったが。


 春日山の圧勝と言うよりは、上杉の圧勝。

 二年生ながら既にエースであった本多は、悪いピッチングはしていなかったが、それでも樋口に打たれている。

 本多にとっては最後の夏も、立ちふさがったのは準決勝の春日山であった。

 樋口の上げた決勝点で、春日山は決勝に勝ち上がったのだ。

 そして新潟県勢としては初の、全国制覇。

 

 本多は別に、それを恨んでいるとか、そういうわけではない。

 だが因縁を感じる相手で、運命のように時折現れる。

 一緒のチームになったのは、オールスターを除けばワールドカップなどの国際大会のみ。

 あのワールドカップは、まさに大介のためのワールドカップになったものだ。

 しかしその裏で、直史と樋口のバッテリーが、12イニングのリリーフを全てパーフェクトに抑えていた。

 

 二年生たちに全て持っていかれた、という意識は強い。

 特に樋口には、恨みはないが、対抗心はある。

 バッターとしての樋口、またキャッチャーとしてリードをする樋口。

 ワールドカップのブルペンや、プロのオールスターでは、組んだこともある。

 確かに優れたバッターでキャッチャーだが、だからこそ腹が立つこともある。

 樋口は必要ないと判断すれば、バッティングを放棄する。

 ワールドカップなども、大半の打席ではやる気を出していなかった。

 大学時代の成績を見ても、下級生の間はたいして打っていない。

 試合を勝たせることを第一目標にしている。

 それは美点に思えるかもしれないが、傲慢でもある。


 ゾーンの際で勝負しても、冷静に見送ってくる。

 打ってもヒットにならないと判断したら、平然と見送ってくる。

 読みが深いのは分かるが、可愛げのなさは本当に昔から変わらない。

 追い込まれるまで一度も振らず、むしろ投げる方の意識を誘導してくる。

(分かっていても、打てるか!)

 本多が投げたのは、決め球のフォーク。

 分かっていても投げてくるだろうな、とは樋口は思っていた。


 MLBの力と力のぶつかり合いは、本多のフォークと相性がいい。

 ここでも読まれていても、投げてくるのが本多だと思っていた。

 それを考慮に入れた上での、樋口のスイング。

 バットには当たらず、バウンドしてキャッチャーミットに。

(あの球速であの落差か)

 速くなってるな、と感心する樋口に、キャッチャーはタッチしてアウトをしっかり取る。


 因縁のある樋口に対して、まずは三振。

 そこで気を抜いてしまって、ターナーにはクリーンヒットを打たれる本多。

 だがシュタイナーを外野フライに打ち取って、一回の表は無失点。

 ただし空振りした樋口は、さほど気にしていない。

(ターナーが打てるなら、どうにかなるだろう)

 しっかりと今日も、相手の打線を封じていこう。




 ストライク先攻でぽんぽんとアウトを取っていく本多。

 球数を放らせないと、攻略の糸口が見えてこない。

「今日も点はやれないな」

「いつものことだろ」

 樋口に対してそう応じて、直史はマウンドに登る。


 本多に対する憧れのようなものは、直史も持っている。

 高校野球において、ドラフト候補と言われた吉村や黒田を相手に、グラウンドを賭けて戦った春の大会。

 だがその後の練習試合で、帝都一と対戦したら、さらにそれを上回っていた。

 上杉と投げ合って、そして勝っていたのは、今なら樋口がまだ上杉のボールに慣れていなかったからだ、と理由は分かるが。

 球速やスケールは吉村以上で、バッティングも黒田以上。

 上杉と同じく、二刀流でいけるのではと言われていたし、実際にピッチャーも打つセ・リーグでは、それなりにホームランを打っていた。

 ただこの両者は、共にピッチャーである方を選んだ。


 ピッチャーとして、とにかく勝てばいいというのは、直史にとっての変わらない目的。

 だが本多の場合は自分でも得点して、自力援護という力技をやっていた。

 タイタンズは保守的な思考であったので、ピッチャーとして使われることになった。

 そしてそれでエースクラスにまでなったのだから、間違ってはいなかったと思う。

 だがバッティングまでやらせれば、果たしてどうなっていたのか。


 二刀流という制度自体はあるが、MLBではどちらのリーグもDH制を導入している。

 本多はもう、バッターボックスに立つことはない。

 だから直史が勝負するなら、それはピッチングの内容で勝負することになる。

(今日も点を取られたらしんどい試合になりそうだな)

 そう思いながら、へなちょこ投球練習を終えて、トローリーズの打線に備える。


 去年も本多とは一度投げ合い、2-0で勝っている。

 完封はしたがヒットとエラーがあり、それをダブルプレイなどで殺した試合だった。

 本多はそこそこ調子の波があるが、おそらくこの試合に合わせて調整してきたのだろう。

 またメトロズとの対戦でも、充分な点差でリリーフにつなぐまで、わずか一点に抑えている。

 二点を取られたら、負ける可能性がある相手。

 去年から今年にかけて、いやそれ以前から、直史は一点までしか取られていない。

 だが本多の馬力からすると、九回までを0で抑えることも出来るかもしれない。


 メトロズよりもトローリーズの方が、おそらくリリーフ陣の質が高い。

 最悪を想定して、投げていく必要があるだろう。

 それはつまり、トローリーズを0で封じるこということ。

 いつものことである。


 


 いつも通りに直史は、三人で終わらせた。

 特に三番打者は、最後の決め球はど真ん中へのチェンジアップ。

 内野ゴロ三つで抑えて、球数は九球以内。

 81球ペースで試合は開始している。


 そんな直史を見て、本多はため息をつきたくなる。

(全く天才ってやつは)

 本多は他人を見てコンプレックスを感じるタイプの人間ではないが、直史を見ていると不思議に思う。

 本多とはまるで正反対。

 それはピッチングのスタイルとか、経歴や性格などではない。

 人生の流れが正反対なのだ。


 名門シニアから東京の名門へと進み、一年生の夏に頂点を経験。

 だが確率的には当たり前なのかもしれないが、それ以降は優勝できず、最後の夏は春日山に負けた。

 思えばこのグラウンドには、あの甲子園での夏、優勝を果たしたチームメンバーがいるわけだ。

 本多は一年生の時、樋口は二年生の時、そして直史は三年生の時。

 樋口たちの優勝は、かなり運に頼ったところもあると言われているが。


 一番幸運なのは、直史たちであろう。

 三年の最後の夏を、勝って終わることが出来た。

 ついでのような国体も勝って、神宮から四冠を達成。

 大阪光陰でも、これは達成できていないことだ。

 

 二回の表のアナハイムは無得点。

 今度はランナーすら出さなかった。

 一番から始まる打線が、一番得点力の高いアナハイム。

 下位打線は二遊間が、守備の要として活躍している。

 この二人が欠けては、アナハイムの守備力は相当に落ちる。

 おそらくその二人に回る三回も、ツーアウトまではあっさりと取られるかもしれない。


 その前の段階として、二回の裏のトローリーズも、三者凡退。

 こちらは一回と違って三振を奪っていくスタイルであったが、トローリーズがまるでついていけていない。

(俺にも打席が回ってきたら、どうやってたかな)

 タイタンズの事情としては、二刀流などにチャレンジさせても良かったのではないか。

 だがなんだかんだと新しい可能性を回避するタイタンズでは、そんな機会はなかった。

 本多のいる間に何人も監督やコーチが代わったが、一度としてそんな声は上がらなかった。

 FAで金は出しても、革新的なことは出来ないタイタンズ。

 本多がタイトルなどを狙いにいくには、完全に体勢が整っていなかったのだ。


 三回の表、ツーアウトまでは簡単に取ってしまった本多。

 そしてアレクは二度目のバッターボックスに入る。




 アレクはフォークを狙っていた。

 ピッチャーの決め球を狙って打ち、それを投げにくくするというのは、本当なら四番の役割であろう。

 だが現在のMLBには、四番に最強打者を置くことは少ない。

 一番から強打者をいきなり置くことが、統計的には勝率が高くなる。

 もっともアレクのような、長打も打てるが打率と出塁率が高いバッターだと、こういう場合には色々なバッティングを試みることが出来る。

 やはり長打も打てて打率も高い、樋口まで回せれば。

 実際のところアレクは、この打席ではフォークを狙っていない。


 追い込まれる前の初球から、バットコントロールで高くバウンドするボールを打つ。

 サードが捕るにはバウンドが高く、ショートが上手く回りこむ。

 だが深いショートゴロとなったこの打球は、アレクの俊足により内野安打。

 ツーアウトながらランナーが出て、二番の樋口がバッターボックスに入る。


 アレクがフォークを狙わなかったのは、もちろん樋口には分かった。

 打てる球に狙いを絞り、それをミートする。

 ダウンスイングで上手く強いゴロを打ったのは、昨今のフライボール革命以降のMLBでは、器用な打ち方と言っていいだろう。

 だがもちろん、樋口にも理解出来る打ち方だ。


 ただ樋口は本来、センスで打つバッターではない。

 経験と洞察力から、狙いを絞って打つタイプなのだ。

 それが上手く重なった時には、決勝打を打つことが出来る。

 勝負強いと言われるのは、その狙いが当たって実際に得点になるからだ。


 おそらくこの場面で本多は、追い込めばフォークを決め球に投げてくるだろう。

 一打席目やその後の使い方を見ても、今日のフォークを打つには、まだ頭の中で軌道がしっかりと描けていない。

 ならば他の、カウントを取るためのムービングを打つ。


 ジャストミートしたツーシームはショート正面のライナー。

 反射神経に優れたショートは、それをしっかりとキャッチする。

 当たりは良かったが、もう少し角度をつけるべきであったろう。

 スリーアウトでこの回も、アナハイムには得点がない。




 味方の打線が点を取ってくれないと、どうしてもピッチャーの方もモチベーションが下がる。

 全く動じない直史や、意識しない武史のようなピッチャーは、絶対的に少数派だ。

 本多もエースとして、試合を動かすだけの力は持っている。

 だが三回までが終わって、アナハイムが多少は攻撃を通したのに対し、トローリーズは無安打。

 完全にゴロを打たされて三振を奪われて、打球が上がる気配がない。


 こういったピッチングで相手を抑えることが、ピッチャーにとっての攻撃だ。

 ダメージの与え方というのは、守備側にもあるのだ。

 もちろん点さえ取られなければそれでいいと、開き直ることも出来る。

 本当に開き直れれば、それで力も出せるのだが。


 本多は共感型のピッチャーで、チームに影響を与えることも出来るが、同時にチームからの感覚も受け取ってしまう。

 直史のピッチングに対する、味方の打線の絶望。

 トローリーズは間違いなく、強力な打線を持っている。

 だが直史に通用する絶対値を、超えてはいないらしい。


 絶望的な差がある。

 だが野球は何か一つの突破点があれば、そこから点が取れたりするものだ。

 一発による失点は、直史も経験している。

 しかし今日の直史は、いつにもましてゴロを打たせるピッチングをしている。

 それでいて三振も奪っているのは、本多がフォークを投げる以上に、スルーを使っているからだ。

 高めに釣り球を投げておいて、そこからスルーを投げる。

 ゾーン内であってもゴロになるし、ボール球なら三振だ。

 ただゾーン内で当てられれば、それなりに速いゴロにはなる。

 内野の間を抜けていくという運が、今日のトローリーズの打線にはない。


 野球は統計のスポーツであり、ピッチャーの成績はかなり運に左右される。

 フライであってもゴロであっても、どういう打球の方向かなどで、ヒットになるかアウトになるか変わる。

 そのイメージをどれだけ、はっきりと脳裏に描くことが出来るか。

 対戦するバッターの力量の把握は、とても重要なことである。

 明らかに技術的に上の大介を打ち取れるのは、他のバッターよりも精密に、そのスペックやパフォーマンスをイメージするからだ。

 これが、どうやっても打ち取れないイメージになった時、大介には負けるのかもしれない。

 だがトローリーズの打線は強力でも、まだまだイメージの範囲内だ。


 五回まで、直史のパーフェクトピッチングは続く。

 そして六回の表、アナハイムの打順は一番からの好打順。

 三打席目のアレクが、バッターボックスに入る。




 試合が進めば進むほど、バッターはピッチャーの投げる球に対して、微調整が済んでくる。

 アレクもここまでに、かなり本多のボールに慣れてきている。

 それでもしっかり狙い打ち出来ないのが、ピッチャーのパワーがバッターの予想を上回る時。

 直史のように五打席目まで、完全にタイミングなどを崩して投げることなど、普通は出来ない。

 やろうと思っても、そんな投げ方をしていては、逆に自分のリズムで投げられなくなる。


 直史は野球の雑なピッチングではなく、もっと精密な動きをすることによって、そこから上手く逸脱してボールを投げることに成功した。

 スポーツは確かに出力を高めれば、それで相手を上回って勝つことが出来る。

 パワーを出すためのテクニックというのは、確かにあるのだ。

 だが直史のテクニックは、コントロールと言うのが正しい。

 肉体の完全な制御。

 それによって、投げたいボールを投げる。

 コンビネーションを正しく組めば、そこにはパワーの出力の低めのボールも必要となる。

 それを本当に意識して投げているピッチャーが、他にどれだけいるか。


 本多の投げるパワーと、それを迎え撃つアレクのパワーが、上手く噛み合ってしまった。

 ジャストミートしたボールが、そのまま右中間へ飛んでいく。

 フェンスにまで達したボールに、アレクは高速でベースを巡り、三塁まで到達。

 無死ランナー三塁という、絶好の状況を作り出すことに成功した。


 ここで二番の樋口に求められるのは、とにかく一点が取れるバッティングだ。

 上手く内野ゴロを打っても、アレクなら帰って来られる。

 角度をつけて外野フライを打って、タッチアップでもいい。

 樋口はあるいは、スクイズをしてもいい。

 一点あれば、おそらくは勝てる試合なのだ。


 アナハイムが、樋口がどう打ってくるか。

 ここが試合の正念場かもしれない。

 六回までを0に封じれば、それは先発としては充分な仕事をしたことになる。

 もちろん本多自身は、それで納得出来るわけがない。


 プロならばある程度割り切って、満足しなければいけないこともあるのだ。

 しかし下手に割り切ることに慣れれば、それはもう成長の終わりでもある。

 ベテランであっても、30歳を超えても、まだ成長する人間はいるのだ。

 30歳になる今年、直史や大介は、キャリア最高の数字を残していたりする。

 ここで樋口から三振を奪うのが、エースとしての役割だろう。

 本多はそう考えて、そしてそんな本多の思考を、完全に樋口は読んでいる。


 ヒットはいらない。

 重要なのは外野フライを強く打つこと。

 そして外野フライを打つことに絞れば、フォークを狙っていける。

 ここまで主に決め球に使ってきたフォークだが、樋口は二打席目、早いカウントから打っていった。

 おそらく今度は、カウントを稼ぐためにフォークを使ってくる。

 その樋口の洞察は完全に正しかった。


 初球、甘い球と見えたそれ。

 樋口は完全に、それを決め打ちした。

 落差のあるスピードのフォークは、上手く掬えば反発力で遠くへ飛んで行く。

 後退したセンターがそれをキャッチするも、その体勢からではタッチアップを刺すことは不可能。

 貴重な樋口の犠飛によって、アナハイムはやっと先取点を得る。

 そしてこれが、この日の決勝点になった。




 一点ならば、まだ可能性はある。

 その考えは正しい。

 七回の裏には、ゴロが上手く内野の間を抜けていって、直史のパーフェクトが途絶える。

 しかしそこから、三振を奪っていくのが直史のスタイルだ。

 今日はスルーが鋭く沈む。


 本多は八回までを投げたが、球数が多くなってきてここで交代。

 そのリリーフにしても、アナハイムに追加点を許さない。

 完全な投手戦であった。

 そしてそういった投手戦は、常に直史が勝利するのだ。

 実際には上杉などと投げ合えば、とんでもないことになったりもするのだが。


 ヒット一本と、そこからの犠牲フライ。

 本多に因縁を感じる二人が、二人だけのバッティングで一点を取った。

 他の場面でも本多は、単打を打たれることはあった。

 だが長打に上手く外野フライが絡んだのは、わずかに一度のみ。

 気分屋なところもある本多だが、今日は間違いなくベストに近いピッチング。

 それでも1-0で負けるところが、野球の面白いところだろうか。

 

 これで直史は今季、二度目の1-0での勝利となる。

 前回が武史との投げあいで、延長を制したことに比べれば、まだしも今日は楽な試合だったと言える。

 なにしろメトロズとの試合では、相手の打線に大介がいたのだ。

 打たれたヒットも三本と一本。

 本当にパーフェクトが達成できずに、惜しかった試合であった。


 だが直史のパーフェクトというのは、強いチームとの競った試合で、達成されることも多い。

 高校時代の真田との投げ合いなどは、その一例であろうか。

 大学選抜と日本代表との対決、またメトロズを相手にしたエキシビションマッチ。

 チーム力ではこちらを上回るであろうと思われた対決において、直史はパーフェクトに抑えてしまう。

 または、追い込まれた時。

 プロ一年目のに日本シリーズなど、四試合に投げて最後の試合をパーフェクトなど、ありえないことだろう。

 追い詰められれば追い詰められるほど、逆にその力は高まっていく。

 本当の直史の力の限界。

 倒れた時がその限界だとしても、その場合は常に勝ってから倒れている。

 打たれて負けて倒れるということは、今までになかった。

 つまり直史の限界を、まだ誰も知らないことになるのではないか。


 パーフェクトには抑えられなかったとはいえ、トローリーズの打線は完敗した。

 これだけの試合をさせられて、残りの三試合をどうやって戦っていくのか。

 直史よりも優れたピッチャーは、アナハイムにはいない。

 それはもちろん分かっているはずなのだが、今日の打てなかったイメージが脳裏にこびりついている。

 98球で12奪三振。

 またもマダックスを、当たり前のように達成するピッチャー。

 直史としては、もう頭は次の試合に切り替えている。


 そう、次の試合は因縁の試合。

 今年直史が、初めて点を取られた、ミネソタとのカード。

 わざわざそのために、一日を空けて中六日にした。

 首脳陣としても、分かっているのだ。

 直史が打たれて負けたとしたら、おそらくその試合だけではなく、そのカード全体に影響する。

 ポストシーズンであれば、その時点で敗退と考えていいだろう。


 六月も終わりが見えてきた。

 直史は既にこの時点で、15勝に達している。

 はたしてこの無敗記録、連勝記録がどこまで伸びていくか。

 ピッチャーとしての空前絶後の大記録は、まだまだ続いていく。

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