第99話 スモールベースボール

 いつも通りに目覚めて、いつも通りにルーティンをこなす。

 時間になれば家族に見送られてスタジアムに向かう。

(三連敗か)

 前のヒューストン戦の第三戦から、アナハイムは今季最長の三連敗。

 やはりショッキングなことなのだろうか。

 ただ樋口とも話していたが、ラッキーズの当ててくる先発は、ローテの中でもそれほど強いピッチャーではない。

 なのでアナハイムはある程度点を取れるだろうし、直史から点を取ろうと思うなら、一発に期待せざるをえない。


 攻撃においてはスモールベースボールをするなら、直史相手ならむしろそれは悪手だ。

 グラウンドボールピッチャーは、基本的に自分自身もフィールディングに優れている。

 そして直史が投げる試合は、ゴロが多くなると味方も分かっている。

 実際のところはフライもそれなりに打たせることを、今年はかなり研究しているのだが。

 もう少し後であれば、フライを打たせることも選択肢に入れていいだろう。

 ただラッキーズが直史を相手にしてでも、バント戦法を使ってくるかは疑問だ。

 むしろ意地の悪い見方をすれば、バントと思わせバスターをして、直史に打球を当てることが、勝利のためには一番効果的だろう。


 そういった戦法は、確かに効果的ではあろう。

 だが観客からはブーイングが飛ぶかもしれない、

 それでもむしろ、直史としては楽しみだ。

 この一戦になんとしてでも勝とうというのは、まるで甲子園ではないか。

「少し燃えてきたな」

「いや、お前は燃えなくていい。凍てつく波動を出していればいいから」

 表情を全く変えないまま、そんなやり取りをするバッテリーであった。


 今日の試合の要点は、駆け引きだろうな、と直史は考えている。

 MLBは対人の勝負ではあるが、最後には自分のフィジカルで勝負する、というのがピッチャー全般に見られる傾向だ。

 もちろん最低限の駆け引きは、ほとんどのピッチャーが持っている。

 一方的にスピードで押し、適当にちょっと曲げれば打ち取れる上杉や武史は、MLBレベルでさえもごく少数派なのだ。

 毎試合ほぼ全て駆け引きを行っているように見える直史も、実のところはコンビネーションのバリエーションを選んで投げていることが多い。

 ただ久しぶりに、全てのボールに意味を持たせて投げてみようか。

(ただラッキーズの意図を探るためには、ある程度打たせた方がいいんだよな)

 そう思って試合前のアップを終わる直史であった。




 アナハイムのフランチャイズであるヘイロースタジアムで、直史が投げる。

 ファンにとってはこれ以上ない、価値ある試合であろう。

 だからといって直史が、特に力を入れることはない。

 常に冷静に。そして冷酷に匹敵するほど冷徹に。

 いつもと違うところがあれば、そこに注意して投げる。


 マウンドに登って行う投球練習は、いつものように遅い球。

 しかし投げながらしっかりと、ラッキーズベンチの様子を観察する。

 間違いなくこちらを見ている。

(つまり、ケントのことは見ていない)

 確かに樋口がリードをしていても、マダックスを連発するのは直史だけである。

 大学とNPBと日本代表と、色々なシチュエーションで組んできただけに、二人の思考はかなり似通ってきている。

 だが、その気になればもっと、違うリードが出来るのだ。


 最後の打ち合わせのために、キャッチャーがマウンドにやってくる。

「あいつら、俺の方ばかりを見てるな」

「それはいつものことだろ?」

「視線から感じる敵意が激しい。基本的にリードはそっちの思考の割合を増やした方がいいと思う」

「……なるほど」

 わずかな会話で理解してもらえるのは、いいことなのか悪いことなのか。

 たとえば坂本などとは、ここまでツーカーではいけなかった。

 しかしバッテリーは二人で、プラスとマイナスの効果を持っているものだ。

 プラス同士であっても、結果がよくなるとは限らない。

 しかしそこまで計算して、配球を組み立てていけばいいだろう。


 ここまで三連敗、下手をすると打線陣が、早打ちしてしまうかもしれない。

 そういったことへの影響までも考えて、このバッテリーは初回の守りを考える。

 一点もやらない。

 それだけではいつものことだ。

「ここで普段と違うスタイルを見せ付けておいたら、次の対戦がまたすぐにあるな」

 樋口はすぐに考え付く。

「球数普通の疲労度多めで」

「多いのか」

 珍しく嫌な顔をする直史であった。




 初回の先頭打者に課されていたのは、もちろん出塁である。

 直史が初回の先頭打者に投げるのは、カーブが多い。

 ストライク判定が微妙な球で、打っても長打にはなりにくく、ミスショットしやすい。

 それをあえて点で狙って、内野の頭を越えていく。

 そう考えていたところに、投げられたのはインハイのストレートであった。


 94マイルというのは、はっきり言ってそれほど速いストレートではない。

 だが直史のストレートは、体感で実際よりも少し速く感じる。

 下手に手を出したら、詰まってしまうというのがMLBのバッターの意見だ。

 初速と終速の差が少ない。

 スピン量が多いとそうなるのだが、回転軸によっては全く別に感じることもある。


 二球目に投げたのは、その最も分かりやすい例。

 スルーと呼ばれるジャイロボールが、振り遅れたバットの下を通り過ぎた。

 そして三球目に投げられたのがスローカーブ。

 緩急はあるが、これは落差が大きくてボール判定ではと思われたが、審判の判定はストライク。

 追い込まれたら今のボールは狙っていかなければいけない。

 それに確実にゾーンを通っているのだから、遅い球ならストライク判定になるだろう。


 見逃し三振に、先頭打者は不服な表情でベンチに戻る。

 審判の心理までちゃんと計算しなければ、判定が変化することに納得出来ないだろう。

 そして審判としては、一度そういう判定をしてしまうと、少なくともその日は判定の基準を変えてはいけない。

 意識的に変わらないように気をつけるため、試合の序盤で一気に投手有利のストライクゾーンを作ってしまうのだ。


 緩急と変化量とコースの角度の調整で、一回の表は珍しくも三者三振。

 しかも全員が見逃し三振と、技巧派ならではの目先を狂わせる三振であった。

「今日の審判はどうしたんだ?」

「普段とちょっと傾向が違ったよな?」

 ラッキーズベンチはそんなことを話しているが、間違ってはいけない。

 直史と樋口の、特に樋口の計算により、審判の判断を誘導したのだ。


 直史と樋口のリードに対する思考力は、本来ならそれほどの差はない。

 だがローテの直史の正捕手の樋口、どれだけ実際に審判の判定に接する機会があるか。

 それはもちろんほぼ全試合に出場する樋口である。

 考えてみれば直史は、去年一年先にMLBに来ているが、レギュラーシーズンは31試合にしか投げていないし、ポストシーズンを合わせても36試合だ。

 樋口は既にもう68試合に、スタメン出場している。

 審判のデータにしても、蓄積されたアナハイムのデータを参考にしているのだ。


 ゾーンの取り方は審判によって、必ずクセがある。

 下手や上手と言うよりは、差異だ。もちろん明らかなボール球をストライク判定し、絶叫するような者もいるが。

 だがそんな審判であっても、なぜそんなミスをしているのかを、分析しなければいけない。

 官僚を目指すと言いながら、実はデータ分析が得意であった樋口は、審判のその日の機嫌まで、試合前には把握するようにしている。

 坂本は試合中に上手く誤魔化そうとするが、樋口は試合の前から既に仕掛けている。

 二人のキャッチャーとしての優越は、案外こんなところにあるのだろう。




 初回に四番シュタイナーのスリーランホームランがあり、いきなり三点のリードをもらった直史である。

 なお本日はキャッチャーとしての仕事に配分を増やすつもりの樋口は、ぽてぽてとした内野ゴロで第一打席は凡退した。

 しかしそれで出塁していたアレクが二塁に進み、空いた一塁にターナーがボール球を選び出塁。

 さすがにここから歩かせるのはまずいと、勝負してきたところをシュタイナーの一発。

 スモールベースボールを仕掛ける割には、安易にターナーを歩かせすぎである。


 二回の表の直史のピッチングも、先頭打者を三振でしとめる。

 球数が増えているわけでもないのに、なぜ三振が増えているのか。

 絶妙なコースに投げるから、手が出ないというのはあるだろう。

 だが普段の直史を想定していたとしたら、今日の直史はかなり普段と違うものがある。

 投げているボールの球速が、平均で10マイルほども速いのだ。


 普段はカーブを投げれば、それは時速ならせいぜい130km/hがMAX。

 だが今日は先頭打者に投げたスローカーブが少なく、カーブ自体が少ない。

 そして速球が多いなとラッキーズが感じたあたりで、今度は遅い組み立てに移行する。

 言うなれば直史は、一人で二人目のピッチャーのスタイルに変更する。

 これが普段の直史に近い。


 左右のバッターのそれぞれのアウトローへ、ツーシームやカッターを放り込む。

 これが変化するストレートと、区別のついていないバッターが多い。

 見逃し三振もあれば、空振り三振もある。

 カットが上手くついていかないこともあるのだ。


 三振を奪われることが多い。

 普段から柔らかいピッチングをしているが、今日の柔らかさは同じ柔らかさでも、鞭のような柔らかさだ。

 その先端を上手く見極めることが出来ない。

 単なる速度ではなく、それは技術であるからだ。


 スモールベースボールで、直史のピッチングのリズムを奪う。

 テンポ良く投げる直史は、いつも投げている時間が短い。

 そこをあえて時間をかけさせるよう、下位打線にはバントやバスターをやらせようともしている。

 だがそういったものも、やはり技術なのだ。

 フィジカルを鍛える。その鍛え方を工夫し、より正しいフィジカルが身に付くようにする。

 MLBのやっていることは、王道に思える。

 だが道がまっすぐすぎて、逸脱した能力は衰えている。


 小器用なバッターも、いることはいるのだ。

 むしろ守備のユーティリティプレイヤーなどに、そういった選手は多い。

 ただ器用さだけを言うならば、織田に優る選手はほとんどいないだろう。

 そして器用さに加えて小ざかしさを持っている、アレクのようなバッターも少ない。

 海外からMLB入りする選手の多くは、そのフィジカルでもって認められている。

 だが技術によって圧倒的な成績を残した選手に、どうやって対応すればいいのか。

 柔の力をさらに上回る剛の力。

 それは一つの回答ではある。

 しかし柔の極みにある力というのがどういうものであるのか、剛と剛のぶつかりあいしか知らない選手には、致命的に相性が悪い。


 五回の表、井口の第二打席。

 内野ゴロがイレギュラーし、サードのターナーはどうにかグラブで弾く。

 そこからボールをファーストに送るのだが、必死で走った井口の足の方が早い。

 微妙なところであるが、転倒したのはエラーの数。

 ノーヒットノーランは継続中である。




 ワンナウトランナー一塁。

 ここで送りバントなど、MLBのレギュラーシーズンではありえない。

 ポストシーズンの試合を決める場面ならありうるが、この場合はどうなのか。

(やってこい)

 直史としてはその方が都合がいい。

 下手な送りバントをやってこい。

 足を上げた直史に対して、バッターはバットを寝かせる。

 だが投げられたボールは、高めに外れていた。


 慣れているバッターなら、これもしっかりと当てて転がしていただろう。

 あるいはあえてファールにすることも出来たはずだ。

 しかし追いかけていったバットは、中途半端にボールを捉えてしまった。

 その結果、打球は小フライとなる。

 キャッチャー樋口はそのポジションとしては異常なほど、身体能力が高くバネがある。

 落下するボールをしゃがみこんだ状態からジャンプしてキャッチ。

 そしてそれを見て慌てて一塁に戻ろうとする井口を、肩の力だけで投げたボールで、一塁に戻らせることもなくアウト。

 ダブルプレイで五回の表も終了である。


 策士策に溺れる、とでも言おうか。

 ラッキーズが色々と仕掛けてきたのは、悪いことではない。

 だがそれはピッチャーがMLBの選手である時にすべきであったろう。

 NPB出身のピッチャーの中でも直史は、揺さぶりに一番強い。

 この試合に限って言うなら、三点を取られていた時点で、もう当初のプランは破綻していたのだ。


 もちろん負けるにしても、負け方というものはある。

 エラーで出たランナーにしても、ノーヒットで一点を取ることは出来るのだ。

 だが機動力を使うにしても、小技を使うにしても、現在のラッキーズには力が足りない。

 圧倒的な力がなければ、ランナーを活かすことも出来ないのだ。


 ランナーを進めるにしても、せめて進塁打を狙うべきであった。

 もちろんそれもやはり、内野ゴロを打たされてしまえば、ダブルプレイになる可能性は高かったのだが。

 ただ内野フライアウトからのダブルプレイは、あまりに印象が悪い。

(バント下手糞だなあ)

 上手い選手は本当に上手く、プッシュバントで内野の間を抜こうとしてくるのだが。

 そういう場合は内野は前進守備をさせず、ピッチャーで処理したほうが確実だったりする。


 延々とアウトを積み上げる作業がまた始まる。

 三巡目となるとまた、ピッチングのスタイルを変えていく。

 一巡目と二巡目の記憶が残っていると、むしろ打ちにくくなってしまう。

 あれ、これピッチャー代わってね? となるのだ。

 投球のパターンやスタイルを、いくつも作っておく。

 普通のピッチャーには、そんなことは出来ない。

 そして直史は普通ではない。


 一試合の間に、何人のピッチャーと対戦すればいいのか。

 一度投げた球は、もうその試合では二度と投げてこないこともある。

 一人に三球で、三打席なら九球。

 九種類ぐらいならば、確かにピッチャーは投げ分けられる。

 だがそのボールが全て、打ち取れるものとは限らない。

 適切な順番で、適切なボールを投げる。

 それがピッチャーにとって必要なことだ。




 やや奪三振が多めの試合が、淡々と続いていく。

 ラッキーズはピッチャーが継投し、既に諦めモードには達している。

 結局スモールベースボールをやらせたら、NPB出身者の方が上手いに決まっているのだ。

 とは言っても日本人でも、守備の下手な選手はいるが。

 直史は内野の経験もあり、キャッチャー経験からキャッチャー的な思考も出来る。

 樋口は代打ででも使ってもらうため、ある程度は他のポジションもやった。

 目の前で変化するボールでも、しっかりとキャッチするのがキャッチャーだ。

 小回りのきく樋口は、基本的に内野守備も上手い。ただセカンドとショートなどはさすがに、普段とは視点が違うので、判断にわずかなタイムラグがあるが。


 そして8-0という圧倒的なスコアで、最終九回の表を迎える。

 ツーアウトから直史が投げた球は、さすがに今日は疲れていた影響もある。

 誰もが全く期待していなかった九番バッターが、ヒットを打ってノーヒットノーランを阻止。

 バッテリーの両方が首を傾げたが、確かに打たれても不思議ではなかったか。


 代打も送ってきていない、守備専門の選手に、ヒットを打たれる。

 だが長打になるような打球でなかったのが、偶然の限界と言えるだろうか。

 そこであっさり切り替えて、一番バッターを内野フライに抑えてゲームセット。

 今季最多の15奪三振を奪った試合。

 球数は90球しか投げていないのだが、それなりに肩を酷使した。

 90球で酷使とは笑われるかもしれないが、問題は球数ではないのだ。


 ウエイトトレーニングなどを考えればいい。

 限界のベンチプレス一回と、軽いベンチプレイ10回。

 当たり前の話だが、限界のベンチプレスの方が辛い。

 今日の試合は間違いなく、平均球速が速く、スピン量も多い球が増えていた。

 肩も肘も、そして指先も込めた力が大きかった。

 ただしその甲斐あってか、完全にラッキーズは息の根が止まったような状態になってしまっていたが。


 スモールベースボールは通用しない。

 そしてアナハイムも、三連敗で連敗は止まる。

 負けてはいけない試合で、勝ってくれるのがエースである。

 あいつならなんとかしてくれる、と思うのが一つのエースである。

 あいつでダメなら仕方がない、と思われるのも、また違ったエースの形の一つである。


 直史は前者だが、同時に後者でもある。

 直史でダメなら仕方がないと、チームメイトは全員が思っているだろう。

 ただし直史は、これまで期待を裏切ったことがない。

 果たしてその記録は、どこまで遡ればいいのであろうか。




 この勝利にて、アナハイムは調子を取り戻した。

 続いてホームで行われるのは、中地区のカンザスシティ相手の四連戦。

 これにアナハイムは、割とあっさりと四連勝。

 メトロズも勝っているので、勝率の差は全く縮まらない。

 どうせポストシーズンには出場できるとは思うのだが、アドバンテージがどうなるのか。


 メトロズもアナハイムも、史上最強と言われた去年より、さらに今年は強くなっている。

 それでも全勝とはならないのが、野球の戦力均衡の話である。

 お互いのチームが今季で、主力が数人FAや契約終了を迎える。

 補強にどれだけの金をかけるかによるが、さすがに今年ほどは強くならないと思う。

 

 ただメトロズのオーナーは、もしも今年も負けたら、来年は限界を超えてでも金を出す可能性がある。

 メトロズもアナハイムもオーナー権限はほぼ一人に集中しているチームだが、アナハイムのモートンはそこそこ、商売っ気がある方なのだ。

 メトロズのコールの方は、趣味でオーナーをやっているところが感じられる。

 大介との契約を、早々に延長したのは、大正解であったと思うが。


 アナハイムはカンザスシティとの四連戦を終わり、移動に一日をかけて、今度はニューヨークでのラッキーズ戦に臨む。

 ラッキーズから見れば二試合連続で、アナハイムは直史を先発に出してくることになる。

 あちらはやはり調子を落とし、ボストンとの首位争いで逆転されている。

 もっともここから逆転するのは、試合数を考えれば難しくはない。


 だが、ここでさらに直史にぎたぎたのめためたにされれば。

 さらにメトロズとのサブウェイシリーズは、一番暑い八月に予定されている。

 そこでまた敗北を積み重ねれば、地区優勝はボストンに取られかねない。

 むしろそうなれば、二位争いが重要になる。

 大幅な観客増が見込めるポストシーズン、なんとしてでも出場したいだろう。

 それに出ることを計算の上で、予算を組んでいるのではとさえ思える。

 たとえばトローリーズなどは、まさにその通りだ。

 でなければ毎年のように、FAでの大型補強が出来るはずもない。


 アナハイムは今度は、敵地となるニューヨークへと出発する。

 移動に一日を使える、西海岸から東海岸への長距離移動。

 そして第一戦に、直史は投げることになる。

 おそらくラッキーズの面々は絶望しているだろうが、案外そう単純な話でもないのだ。

 移動直後の試合、しかもやや時差もある。

 直史はパワーだけで投げるピッチャーではなく、メンタルまでをも含めたコントロールで投げるピッチャーだ。

 ラッキーズも前回とは先発ローテがずれて、やや強いピッチャーを回してくる。

 ただそこまで条件がそろっても、ラッキーズがアナハイムにというか、直史に勝てるとは思えてこない。


 直史としてはここで、自分ひとりの勝ち星が増えればいいとは思わない。

 重要なのはこの勝利でチームに勢いをつけて、ラッキーズに勝っておくこと。

 ラッキーズの次はボストン、そしてその次にはついに、トローリーズとのハイウェイシリーズが待っている。

 アナハイムとしてはトローリーズとの試合が終わってようやく、一息をつけるという正念場なのだ。




 ラッキーズもここで、スーパーエースクラスを当ててくる。

 直史相手の試合は捨てて、他のピッチャーを確実に打ち崩すということはしないらしい。

 前回の対戦であっさり負けてから、意識改革をしたのか。

 本気で勝ちに来ている。

 そのためアナハイムの一回の表の攻撃は、三人で終わってしまった。


 本当に本気なのか、という疑問は出ないでもない。

 このカードのアナハイムは、直史の他にスターンバック、レナードと数値指標の高いピッチャーが先発になっている。

 そして舞台はラッキースタジアム。

 MLBの中でも屈指の、歴史あるスタジアムである。もっとも改修はなんどもされているが。


 奇襲のような形ではなく、正面からぶつかって戦う必要があるのでは、と思わないでもない。

 フランチャイズでの情けない敗北は、チームの士気にも影響するが、ファンの応援にも影響する。

 負けるにしても負け方がある。そういうことだ。

 善戦して負けたのなら、選手の士気の低下はそれほどでもないであろう。


 だがまずは、この一回の裏の守りだ。

 スタジアムを埋める、ラッキーズの大応援団。

 歴史と人気を兼ね備えるラッキーズを相手に、油断できる要素などあるはずもない。

 ただ直史と樋口は、この試合はいつも通りでいいかな、と考えている。

 ラッキーズが正面から来るなら、受けて立てばいい。

 そして普通に制圧していけば、継投の段階で一気にアナハイムが有利になる。

 直史個人としても、ミネソタ戦に調整するため、一試合ずらすことは決めているのだ。

 トローリーズ相手には投げるし、その後にミネソタ戦がある。

 この試合も前の試合と同じく、それなりに力を入れて投げても構わない。


 レギュラーシーズンで大切なのは、安定して投げていくこと、

 試合に負けてはいけないが、あまり内容自体にはこだわる必要もないだろう。

 そんなことを言っておいて、気づいたらパーフェクトを達成していたりするのだが。

 先日のアナハイムでの試合は、どうにか消し去りたい記憶のはずだ。

 バッターボックスに入ってくる先頭打者からは、並々ならぬ気迫を感じる。


 そういう時ほど、直史は冷静になる。

 最初に投じたのはスローカーブで、これは普段の直史も使っている投球パターンの一つだ。

 見逃してもいいだろうに、これを初球から打ってきてしまった。

 そしてショートゴロで、たったの一球で終わってしまう。


 前の試合は、球数はともかくそれなりに疲労して投げた。

 今日の試合のテーマは、脱疲労である。

 また80球以内に抑えたいな、という直史の欲望がピッチングには表れる。

 パーフェクトよりも、安定して勝つこと。

 それを求めた結果、普通にパーフェクトになってしまうというのが、直史にとっての理想のピッチングなのだ。

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