第89話 不完全

 両軍を通じてアレクがフォアボールで出塁しただけの、ガチガチの投手戦だ。

 ただこの四回の裏で、一気に試合が動くかもしれない。

 いや、一気に試合が決まってしまうかもしれない。

 先頭打者一番大介の二打席目。

 たったの一打で点を入れられる可能性が、最も高いであろう選手。

 たったの一打で試合を決めてもらったことは、対戦する直史さえ経験している。

 味方であった時は、とても頼もしかったものだ。

 敵になったらよりパワーアップしているというのは、なんだか新鮮なのではないか。普通は逆だろ、畜生。


 全く同じことが大介の側からも言える。

 高校時代はとにかく、負けないピッチングをするピッチャーであった。

 最終学年にはまさに、一度も負けることがなかったが、それでも隙のようなものはあった。

 それが本人としては手慰みのようなものなのに、大学リーグ戦では無敗。

 高校時代は参考記録でしかなかったパーフェクトを、公式戦で何度も記録するようになっていた。どうなってんの?


 プロの世界には、高校時代ならトップレベルのピッチャーが、どのチームでも当たり前のように揃っていた。

 だがそんな並み居る強者たちの中でも、大介は一年目から結果を出す。

 そして高校時代に共に戦った戦友と、今度は敵として相対した。

 結果は、プロの日本代表を相手にパーフェクトピッチング。

 前ばかりを向いて進んでいたら、障害にもなっていなかった後ろに、巨大な岩山が聳えていたような。

 攻略すべき存在は、だが一方通行の人生のレールの上で、もう後方にある。

 二度と戦うことはないと、そう思っていたのだ。


 運命は流転する。

 まるでそれが宿命であったかのように、直史は再びこちらの世界にやってくる。

 そして舞台は日本からアメリカへ。

 最も世界でレベルが高いはずのリーグで、大介は直史と対戦し、そして完敗した。


 打撃成績はそこまで一方的ではない、と言うものもいるかもしれない。

 だが大介が直史と対戦し、勝った試合が一度でもあるのか。

 ない。一度としてない。

 直史はこの10年以上、公式戦で敗戦投手になったことがない。

 そんな馬鹿なと言いたいが、チームとして試合に負けたことはあっても、直史がその原因になったことはない。

 プロ入り後は23勝0敗、27勝0敗、30勝0敗。

 ポストシーズンは三年間で12勝0敗。

 なにもここまでと言いたくなるぐらい、直史の成績は、勝敗で見れば完璧だ。


 恐ろしいのはそこに安住していないこと。

 確かに負けはついていないが、先発したにも関わらず、途中で降板した後に、その試合に負けることはあった。

 また勝った試合であっても、途中で他の誰かに試合を任せることもあった。

 そういった試合には、自分で納得していないのだ。


 先発完投などというのは、もうプロ野球の世界では常識ではなくなっているのだ。

 高校野球や大学野球でさえも、故障防止や体力温存のため、エースクラスが二人は必要になっている。

 直史もさすがに、先発で連投など、そんなことはしたりはしない。

 だがNPB時代には日本一を決める試合で、連投でチームを優勝に導いた。


 先発完投型の投手というのは、その試合に限れば最も支配的な存在だ。

 野球は九割が投手で決まるとも言われるが、実際のところはその投手を、どう使うかで決まるところがある。

 しかし直史の場合は話が別だ。

 使えば勝つ。

 絶対的な存在として、野球の世界に君臨している。




 そんな直史が二打席目の勝負、初球に投げたのはスライダー。

 ど真ん中から膝元に飛び込んでくる、コントロールはいいが平凡な球。

 精神的な死角を突かれて、大介はスイング出来なかった。

(またこれか~!)

 忘れた頃に、違う形でやってくる。

 棒球であっても精神的な間隙を突けば、ストライクは取れるのだ。


 気合が入っていなかったからボール、などという狂ったことをいうバカもいない。

 直史は気配を完全に殺して、致命傷のボールを急所に投げ込んでくる。

(暗殺者かよ)

 稀代の英雄も、暗殺者の手にかかって殺されることは多い。歴史に実例がいくらでもある。


 初球から色々と揺さぶられてしまった。

 だがそこで大介の顔から、表情の色が抜ける。

 思考の雑味がもう入らない。

 投げられたボールに反応する、スラッガーという存在になる。

 任務は打球を遠くに強く飛ばすこと。

 方向はとりあえず前方向。

 そこから先は、また違う問題になってくる。


 大介の気配が変わったことは、直史と樋口も気づいている。

 前の二試合、アナハイムは当初、大介の現在の力量を測るために、真っ向勝負をしてしまった。

 そしてホームランを打たれ、また敬遠になってしまうのだから、はっきり言って恥の上塗りである。

 ただそのホームランのおかげで、大介の攻略法の目途はついている。

 もっともそれが実際に通用するかは、また別の話だ。


 二球目のボールは、高めに外したストレート。

 球威だけを意識したボール球を、大介は振らない。

(完全に釣り球だよな)

 次は低めに入れてくるだろう。

 スルーか。いや、球速差を活かすなら、それではない。

(カーブ!)

 大きな落差を持つスピードもあるカーブに、大介のバットは止まる。

 これでボール先行となった。


 今のはもしも打っていたら、外野フライになっていただろう。

 そしてアレクの守備範囲を考えれば、センターフライで終了だ。

(ぎりぎりだな)

 ただ、どうせ投げるなら今の球は、スローカーブの方が良かったのではないか。

 緩急差を使えば、ストライクが取れたとも思うのだ。


 ボール先行で、次の球はどうにかストライクカウントを稼ぎたいだろう。

(それなら見逃しでストライクを取りにくるか?)

 第一打席であれだけ判定を確認したのだから、それを活かしてくることは間違いない。

 だが投げられたのは、ほぼど真ん中から沈むスルー。

 バットを振っていったが、タイミングが合わずにファール。

 これで平行カウントになった。




 直史は最後に、どうやって空振り、あるいは凡打を引き出すかを考えて、配球を組み立てる。

 そして実は時々、それに失敗している。

 だがそこから修正し、結果的には相手を打ち取るか、最低限のダメージに抑えている。


 ここの大介相手の失敗は、かなり痛い。

 三球目のカーブは、スローカーブを使うべきであった。

 それでゾーンぎりぎりを狙えば、もし振ってきたとしても、おそらく単打までで済む。

 しかしそこでの間違いから、ツーツーの並行カウントからの決め球が思いつかない。

 あと一つボール球は投げられる。

 だが逆算して、どういうボールを投げるのか。

 下手に誘導したら、逆に読まれてしまう。

 大介の読みというか直感は、かなり正確なのだ。


(最終的には球威で勝負したい)

 小手先の技術や、コンビネーションで勝つことを、男らしくないとかそんな前時代的に考えているわけではない。

 ただそういった切り札的なものは、さらに重要な状況で使いたいだけだ。

 球威で勝負出来るなら、何も手の内を明かさなくて済む。

 そこに至るまでの過程は、やはりある程度の情報を与えてしまうわけだが。


 ここで直史が選んだのは、まずカーブ。

 だが大介の、そして樋口の想像以上に、落差とスピードのあるカーブだった。

(ナックルカーブか)

 普段の直史が、使えるが使わないカーブだ。

 なぜなら普通のカーブで、直史の場合は充分であったから。

 そしてわずかにコントロールが悪く、このボールもワンバウンドしてボールとなる。


 これでフルカウントになった。

 このカーブの後に使える球は、おそらく速球系。

 大介にもそこまでは読めるが、はたしてストレートで来るか、ムービングで来るか、それともスルーを使うか。

(さっきはスルーを使ったな)

 差し込まれるようにタイミングが合わなかったが、今度はおそらく打てる。

(するとチェンジアップか)

 速球が来ると思わせて、チェンジアップを投げる。

 ただしそのチェンジアップは、ゾーンから外れるものだろう。


 ここまでの駆け引きをしているのだから、直史がここでボール球を投げても、それを逃げだとは大介は思わない。

 だがチェンジアップを外すだけなら、カットしてしまうことで勝負を続けられる。

 そう考えていたが、マウンドの直史がやや不自然な動きをした。

 おそらくあれは、ピッチャーからキャッチャーに対するサインだ。

(何かやってくるか)

 そう大介が思ったところ、直史がぐんと腕を引き上げる。

 ワインドアップだ。さらにそこから、体を大きくひねる。

(トルネード?)

 二段階かけて、スピードを上げようというのか。

 だが実際のところ直史のフォームの完成度を考えれば、これはコントロールを微妙に狂わせて、球速などは上がらないと考えてもいい。


 リリースされてボールは、どう考えてもストレート。

 ならば大介ならば打てる。

 高めに外したというわけでもなく、ゾーンいっぱいのストレート。

 そう思ったがインパクトの瞬間、違和感があった。


 ホームランを確信する手応えがない。

 ライナー性ではなく、フライ性のボール。

 それでも打球は、高く遠くへと飛んでいく。

(伸びたのか?)

 打球の行方を注意しながら、それでも大介は走り始める。

 スタンドには届かないかもしれないが、フェンスに直撃すればそれでツーベース。

 ただしアナハイムの外野はあらかじめ深く守っていて、そしてセンターはアレクだ。


 フェンス際まで走って、そこからジャンプしてさらにフェンスを蹴って、フェンス最上部に届いたボールをキャッチする。

 スーパープレイでフライアウト。

 打球にも歓声が上がったが、このアレクのジャンプキャッチにも歓声が上がる。

 ボールを戻してきたアレクは、手を上げて歓声に応えている。

 対戦相手側のフランチャイズなのに、いい性格をしている。

 それに対してメトロズのファンからも、拍手が湧き上がっているが。

 素晴らしいプレイは、たとえ悔しくても胸を打つ。

 ただ凡退にされてしまった大介は、今のボールの正体を考える。




 間違いなくストレートだった。

 ただトルネードだから、あの威力になったのだとは思わない。

 球速がアップしているわけでもないし、実際にほぼほぼ捉えた当たりではあったのだ。

(う~ん……)

 分からない。


 ベンチに戻った大介に、坂本があっさりと種明かしをする。

「ありゃあフラットなストレートぜよ」

「ああ!」

 それで疑問は氷解した。


 直史はストレートさえも、種類を変えて投げ分けている。

 その中でフライを打たせるか、あるいは空振りを取るかに特化しているのが、深く踏み込んで低いリリース位置から投げるストレート。

 フラットなどとも呼んでいたが、確かにそれなら分かる。

 あの特徴的な踏み込みを消すために、ワインドアップとトルネードを使ったのだ。

 おそらくファームではなく、リリース位置からボールを見ていれば、気づいたはずだ。


 なるほど色々考えているな、と大介は感心する。

 初見殺しを上手く、あまり意味のない要素で包み隠した。

 ただ普通なら、それだけフォームを変えてしまえば、根本的に球威が落ちるし、コントロールも悪くなる。

 体軸がしっかりとしていて、フォームの根幹的なところは変えていない。

 そういった能力を持つ直史だからこそ、出来るピッチングなのだ。


 果たしてこれを、どう判断すべきか。

 小手先の技術であれば、いずれは全てを看破される。

 しかしアナハイムとメトロズが対戦するのは、ここが終わればワールドシリーズしかない。

 そして大介以外のバッターには、ここまでせずに抑えることが出来るだろう。

 ひたすら大介を封じるためだけに、これだけのことをやっているのか。


 NPB時代の同じリーグにいたのとは、全く条件が違うのだ。

 あちらではレギュラーシーズンで数試合、対戦する機会があった。

 ただしMLBでリーグと地区が違えば、これだけ対戦する機会は少ない。

(まるで甲子園か)

 一試合あたりの重要度、そして対戦の可能性を考えれば、甲子園よりはマシだろうが。


 それにしてもここまで、大介専用で色々と考えるとは。

 一打席目とは全く、アプローチの仕方が違う。

 確実に回ってくるのは、あと一打席。

 ただしそこでも、目先を惑わすだけのピッチングをしてくるかもしれない。


 これは駆け引きだ。

 確かに大介との勝負を、避けているわけではない。

 しかしおそらくワールドシリーズを見越して、あえて小手先の勝負を仕掛けているのかもしれない。

 最悪ここで負けたとしても、本当の勝負となるのはワールドシリーズだ。

 おそらくレギュラーシーズンについては、練習試合程度にしか思っていないのでは。




 だいたい大介の想像していた通りである。

 直史にとってこの試合は、あくまでもワールドシリーズの前哨戦。

 初打席の初球のようなボールも、ワールドシリーズなら大介は見逃さないだろう。

 とんでもない打撃力を誇る大介は、他の選手のバッティングとは一線を画している。

 しかしそれでも、ポストシーズンとはパフォーマンスが違う。


 今の大介に勝っても、あまりポストシーズンの参考にはならない。

 だがこの試合で直史が、そしてアナハイムが勝つことは重要だ。

 パーフェクトに勝ってきているピッチャーが、さらに勝利数を伸ばすということ。

 大介を抑えられれば、今の幻想的なまでの、メトロズの強さを打ち砕けるかもしれない。

 あとは単純に勝率で逆転したいというものもある。


 おそらくワールドシリーズで当たったとすれば、また最終戦までもつれる可能性が高い。

 正面から対決すれば、打線の力の違いにより、メトロズの勝率の方が高くなるだろう。

 あとは武史の使い方による。

 確実に勝つために直史に当てないか、直史から一勝を取るために当ててくるか。

 去年のことを反省すれば、直史に当ててくるだろう。

 もしくは当てることと当てないこと、両方をしてくるかもしれない。


 とりあえず二打席目も、どうにか抑えることに成功した。

 だがもう少し打球が伸びていれば、アレクも届かずスタンド入りしていた。

 去年の最後に打たせた外野フライより、さらに危険な結果となっている。

 それにここでフライアウトを取れたことは、後の布石につなげられる、といいなあ。


 二番のシュミットも、危険なバッターだ。

 大介がランナーにいないので、ここもゴロを狙って投げることが出来る。

 しかし初球を狙われた。

 膝元を攻めたツーシームを、ミートされてライト前へ。

 両チーム合わせて、本日初のヒットである。




 ワンナウトながらランナーが出て、三番のペレスと四番のシュレンプにつながる。

 このベテラン二人は、どちらも変化球に強い。

 そうは言ってもMLBの変化球は、直史以外のピッチャーの変化球。

 打ち取ること自体は難しくない、だが判断すべきは他にある。

 シュミットとのダブルプレイを狙うか、それとも確実にアウトを取っていくか。

 どちらも一長一短と言える。


 シュミットを併殺で消すことが出来れば、大介の四打席目は回ってこないかもしれない。

 ただこのまま順当にアウトを取っていくと、大介の三打席目はツーアウトで勝負することになる。

 ノーアウトで迎える大介と、ツーアウトで迎える大介は、意味合いが違ってくる。

 ツーアウトからなら間違いなく、一発にだけ注意すればいい。


 樋口の判断は、四打席目が回ってくる可能性を残しても、三打席目をツーアウトで迎えたいというものだ。

 そしてこれは直史も同じである。

 二人はこの試合の行方を、おおよそ見切ってきている。

 アナハイムがメトロズを、正確に言えば武史を打って、点を取れる可能性は低い。

 少なくとも九回までには。

 つまり延長戦を視野に入れなければいけない。


 幸いにも球数は、圧倒的に直史の方が有利に推移している。

 また直史にとって危険な一発は、武史も今季既に浴びている。

 ここで大切なのは、点を取られないこと。

 そのためにはペレスを確実に抑えて、シュレンプをゴロかフライで処理する。


 延長に入れば、あとは首脳陣の判断で、勝敗は決まる。

 直史は球数を節約しているが、それでもどこまで投げるのを許されるか。

 武史の限界は直史よりも遠くにあるはずだが、それ以前に球数を多く使わされている。

(殴り合いじゃなく削り合いだな)

 ペレスに対して、直史はいつも通りに組み立てる。

 長打でなければ点にならないというのもあるが、直史がここで求めるのは、変化球による空振りである。


 ツーストライクまでは、ファールを打たせてストライクカウントを稼いだ。

 そしてここから三振が取れるのは、ある程度決まっている。

(けれどそれも、そろそろ読まれてるか?)

 直史がスルーを投げて、ペレスはバットにそれを当てる。

 高いバウンドのゴロは、シュミットを二塁に進めるのには充分だった。

 だがペレスは一塁でアウトで、これでツーアウト二塁。

 スタートが切りやすいので、ヒットならば点が入る可能性は高い。


 直史はシュレンプに対して、ストレートから入った。

 高めいっぱいのストレートを、シュレンプはまず空振り。

 タイミング自体はおそらく合っていただろうが、目がボールを捉えきれなかった。

 そしてそこに、高目から一気に低めに落ちる、チェンジアップを試してみる。

 緩急差のある低めいっぱいのボールを、シュレンプは振らない。

 これで一気にツーストライクと追い込んだ。


 チェンジアップの後には、スピードボールが定番である。

 また高めのストレートかと思えば、今度はアウトローいっぱい。

 低いかと判断したが、審判の腕が上がる。

 ストライクバッターアウトで走者残塁。

 大介を打ち取ってアウトにした後に、ヒットを打たれてしまった四回であった。




 五回の表、先頭打者に武史もヒットを打たれる。

 ふわりと浮かんだボールが、センター前に落ちたのだ。

 これで両投手、ノーヒットノーランまでが消滅する。

 あとはマダックスあたりの記録がどうか、とアナハイムのファンであったら考えたかもしれない。

 そしてその先に思いつく。

 延長になったらどうなるのかと。


 アナハイムの方が、直史のチーム内での、ピッチャーとしての傑出度が高い。

 もしも一試合を疲労で飛ばしたとしたら、それはリリーフまでにも影響が及ぶ。

 しかし四回まで投げて、球数はまだ44球。

 延々と延長も投げるわけにはいかないが、ここまではそれほど多いわけではなく、むしろ少ない。


 NPB時代のことなどを考えれば、130球ぐらいまでは普通に投げられる。

 そして武史の方と比較する。

 あちらは初回の粘りが効いて、四回で65球を投げていた。

 だがこれまた直史や樋口は、150球までは全く問題がなく、170球でも投げられることを知っている。

 メトロズの首脳陣も調べてはいるだろうが、おそらくそこまで投げさせることは出来ない。


 アナハイムがメトロズに勝つための現実的な作戦。

 それはある球数で武史を降板させて、その後にリリーフのピッチャーを打つことだ。

 こうすればメトロズの方も、武史には負け星がつかず、まだまだ無敗の看板が使える。

 アナハイムは武史を打ち砕くという最良の結果は得られなくても、最低限試合に勝つことは出来る。

 もっとも普段なら簡単な直史の完封は、相手が大介のいるメトロズだと、大変なものになってしまう。


 ここでメトロズのベンチがどう考えるか、直史たちも注目するところだ。

 素直に代えてくれえばいいが、武史の球数は一回こそ30球であったが、二回以降はずっと少なくなっている。

 しかしアナハイムベンチは、ここで嫌らしい手を打っていく。

 バッターにバントの構えなどもして、武史を揺さぶろうとする。

 ただ武史は上杉と違って、サードなども多く守ってきた。

 なのでフィールディングも優れている。


 送りバントが一回あって、ワンナウト二塁と状況は変わる。

 正直よくも、あのボールをバントにしたものだ。

 ここから下位打線だが、代打を送ることは難しい。

 控えの選手を出して守備力が落ちた状態からなら、直史から内野ゴロのひっとは打ちやすくなってしまう。


 武史と言うか坂本は、ここから三振を奪う配球を考えた。

 そこで実際に武史は投げたのだが、確かに三振は奪ったものの、思ったよりも粘られた。

 ホップ成分多めのストレートを、完全にカットされたのだ。

 前に飛ばないのはさすがだが、当てることは当ててくる。

 ホームランどころかヒットさえ難しい、グリップを余した状態でスイングをしながら。


 それでも結局、ここは二者連続三振。

 五回が終わったところで、既に11奪三振。

 これはやはり、試合が動くのは上位だけか。

 下位では偶然でヒットを打てても、それがつながることがない。

 もっともこの二人のピッチャーにしてみれば、上位でさえも連打を許すのは、ちょっと考えられないのだが。




 両チームの首脳陣と、そして頭脳が考える。

 打線の仕事が、あまり見られない試合。

 サクサクと進んでいって、それでいて見所は多い。

 粘られながらも三振を奪っていく武史は、試合に分かりやすいアクセントを加えてくれる。

 そして互いの上位打線との対決は、かなりピッチャーも頭をひねって投げている。


 お互いに作戦として、ピッチャーを打ち崩す手段が思い浮かばない。

 武史の場合は出会い頭を期待するしかないし、直史の場合はとにかく大介に任せてしまう。

 野球は団体競技だが、個人技が多く表れる。

 その究極の部分が、ピッチャーとバッターの対決だ。


 一回の表に投げさせられたので、おそらく坂本がそこは修正したのだ。

 ただもちろん武史の、スロースターターな点も原因である。

 ヒットを打たれたのも、ストレートではなかった。

 低めに投げたツーシームが、上手くバットに当たってくれたという感じだ。


 五回の裏のマウンドに立って、直史は考える。

 武史が降板するまで、投げ合いが続く。

 だが実際のところ直史は、その対決するバッターの中に、大介がいるのだ。

 条件としてはこちらの方が絶対に厳しい。

 ただチームバランスという点では、どちらのチームも同じぐらいには強いだろうか。


 運か、あるいは実力か。

 野球はかなり運が介在するスポーツなため、この一試合でどちらが上かを考えるのは乱暴だ。

 だがそれでも、結果自体ははっきりと出る。

 その結果まで踏まえた上で、どちらのチームがどのように受け入れるか。

(とりあえず次の大介の打席までは)

 届くようで届かない、そんな繊細なピッチングを、直史は続けていく。



×××


 ※ NL編89話に続く

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