第82話 四月の君の嘘のような成績

 アナハイムの四月最後の対戦カードは、テキサスとの三連戦。

 前回の試合ではホームであったが、今回はアウェイ。

 つまりアレクにとってはオープン戦を除けば、久しぶりのテキサスとなる。


 実のところアレクはテキサスの空気が肌に合っていた。

 なのでFAになってから、オファーの金額に満足すれば、アナハイムに来ることはなくテキサスで続けていたかもしれない。

 ただそこはコネクションがあるセイバーに、金を出すコールというオーナーがつながった。

 FA移籍も同じリーグの同じ地区に行くのは、ある程度遠慮するものだが、アレクにそういう無駄に空気を読む能力はない。

 だいたい成功する人間は、空気を読まずゴーイングマイウェイなのである。


 アレクとしては最初の契約で、かなり値切られたという印象もあった。

 ただセイバーからすれば、あの時点では出場機会を得るために、テキサスは外野の層が薄かったのだという正当な理由がある。

 そして衰えたアナハイムのセンターに、アレクを引っ張ってきた。

 ファンからすればある程度、裏切りという印象はある。

 別にアレクでなくとも、働き場所を変えてステップアップするのは、アメリカの他の仕事でも珍しくない。

 日本はいまだに、出来れば同じ会社にいたいという傾向があるが、アメリカ人からしたらそんなに長い間働いて、キャリアアップしていないのがおかしいと感じるらしい。


 このあたりはもう、国民意識の差だとしか言いようがない。

 日本が豊かであった時代は、労働力の流動性が低かった、終身雇用が主流の時代であったのだ。

 直史などは極めて保守的な人間である。

 ただ真の保守は体制維持のため、変革することを恐れない。

 なのでMLBにまでやってきたし、それでいてトレードには制限をつけるなど、自分に合った生き方を選んでいる。


 人間、本当に自分の思うがままに、生きるというのは難しい。

 直史はこれだけ野球での実績を残しながらも、これが自分の天職だとは思わないし、自分がやりたかったことだとも思わない。

 だからこそ逆に固定観念に囚われることもなく、最善に近い選択を選び続けることが出来る。

 アナハイムで投げるということもそう。

 セイバーを信じると決めことも自分の意思だ。

 彼女は直史とは違う行動原理で動くが、だからこそ直史が不利益をこうむることはしない。

 人間関係というのは、長年の時間的な積み重ねと、どれだけの濃密な時間を過ごしたかの、関係の積み重ねがものをいう。


 人間にとっての財産というのは、単に金銭的なもの以外にも、色々なものがある。

 その中の一つが信用だ。

 セイバーの信用とは、つまり関わった人間を幸福にする。あるいは不幸から引き上げる。

 つまり金である。

 この世の多くの問題を解決するのに、一番万能に使えるのが金。

 その点で彼女は資本主義者の申し子である。


 ただ彼女は、相場の動きなどを見て、人間の行動が経済原則から外れることもあると知っている。

 そしてその金ではない何かを求めた人間は、金で止めることは出来ないと、ちゃんと現実を認識している。

 そのあたり彼女が、知能が高いだけではなく賢明なところであろう。

 この意味ではツインズなどは、知能は高いが賢明ではないところもある。




 とにかく素早く動いたセイバーによって、アレクはアナハイムにやってきた。

 そしてアウェイとなったスタジアムで、一回の表から先頭打者としてバッターボックスに立つ。

 熱烈なブーイングは、むしろアレクを戦力として愛していたから。

 アレクとしても軽く受け流すことが出来る。


 単に仕事場を変えただけなのに、こうやってブーイングを受ける。

 なんとも損な仕事だな、と思わないでもない。

 だがアレクにとっては、大金をもたらしてくれたありがたい職場だ。

 アメリカンドリーム。

 実力と運次第で、いくらでも上に行けるのが、アメリカという国家だ。


 そう、実力もだが運もある。

 単純に機会に恵まれるとか、そういう意味だけではない。

 日常のほんのわずかな危機にある、選手生命を脅かす因果。

 あとは指導者や首脳陣に、ちゃんと適した役割で使われるかということもある。


 もちろん運以上に、一般的には選択が大事だとも言える。

 ロードマップのように、目的に必要な順序を、考えないといけないのだ。

 アレクの場合はまず、ブラジルで野球のスクールに所属したのが、最初の分岐点であった。

 そして日系の強みを活かして、日本を本格的なアマチュアキャリアの出発点としたこと。

 一年生から主力で活躍できる、それでいてちゃんと強い学校に所属したこと。

 またこれはさすがに偶然だが、選手のポスティングを認めやすいNPB球団に入ったことも、アレクにとっては幸運であった。

 最初から将来のMLB移籍を口にしていたので、その影響はあっただろうが。


 金と快楽を優先するアレクであるが、そんな人間関係に疲れることもある。

 そこで選ぶのはメトロズではなくアナハイム。

 メトロズもカーペンターが抜けたため、センターを守れる一番打者など確実にほしい人材であった。

 しかしアレクにとっては、アナハイムの方が安心感がある。

 気候が良く温暖であるとか、そういった理由もある。

 だが後輩として甘える余地があるのは、大介よりは直史だと判断したわけだ。


 そんなアレクは今日も先頭打者出塁。

 一回の表からアナハイムは、もはやセオリーとさえ言える先制点のチャンスである。

 ここで下手に打撃を選ばず、ボール球を振らないのが樋口。

 実は出塁率は、アレクよりも高かったりする。

 高打率の一番二番の後に、スラッガーターナーがいるのは脅威。

 さらにその後も強打者や、確実にヒットで三塁ランナーを帰せるバッターがいるから、アナハイムは強い。




 アナハイムではメトロズが三連敗したことは、当然誰もが意識している。

 去年のワールドシリーズは、敵地での優勝決定であった。

 今年はシーズン中の勝率でも上回り、フランチャイズでの優勝シーンが見たい。

 とは行っても、短期決戦で都合よく、勝てるはずもないのだが。


 このテキサスとの三連戦、アナハイムの先発は、ガーネット、スターンバック、レナードの三人。

 まだ新人扱いのガーネットに二年目のレナードは、まだまだ安定感に心配がある。

 スターンバックは安定しているが、それにしても彼も、四月の時点で既に四勝。

 このカードで勝てば、月間五勝投手が二人目となる。

 レギュラーシーズンではなく、ポストシーズンを戦って勝てるピッチャーだ。

 仮想敵であるメトロズの打線を考えると、どんなピッチャーでも確実に勝てるなどとは言えない。

 去年のワールドシリーズでも、勝ち星三つを上げたのは直史であった。


 今年のインターリーグでは、メトロズとの対戦がある。

 その三試合では直史の登板がある予定だが、あるいは他のピッチャーが通用するかを見た方がいいのか。

 ピッチャーとバッターの対決は、回数が重なれば重なるほど、バッター有利になるという統計もある。

 ならばワールドシリーズのことを考えれば、主力ピッチャーを当てなくてもいいかもしれない。

 三連敗するかもしれないが、メトロズはここで三連敗していて、アナハイムとはやや勝ち星の差がついた。

 もっとも直接対決で全敗すれば、それでまた逆転される程度であるが。


 ある程度の点を取り、もう安心かなと思ったあたりで、アナハイムはリリーフ陣に継投。

 ガーネットはやや投球内容が悪化しているが、これは対策を取られているのか、それとも本人の問題なのかは微妙だ。

 変化球がカーブとスライダーだけというのも、対応がしやすくなってきただろう。

 スライダーを上手くカットボールにすれば、かなり投球の幅は広がると思うのだ。球数の節約にもなりやすい。

 もっともそれを決めるのは樋口ではない。


 試合自体は8-5でアナハイムの勝利。

 ガーネットは五回で四失点だったが、勝利投手にはなれた。

 シーズン序盤に比べると、失点が増えてきている。

 それでも直史は平然と、完封のピッチングを続けているが。

 投手陣の流れが悪いな、と樋口は感じている。

 だが日本時代ならともかく、微妙なニュアンスが伝わなかったりする英語では、細かいフォローはしにくい。

 第二戦のスターンバックのピッチングも悪ければ、少し自分も考える必要があるだろう。

 キャッチャーの役目は重くて多いものだ。




 実のところアナハイムとしては、樋口のリードというか、それ以外の部分も含めて、プレイヤーとして満足していた。

 今日の試合でもガーネットを七回まで引っ張ったが、六回までは三失点で抑えていた。

 先発でローテ投手が投げる試合では、まだ序盤に炎上ということがない。

 立ち上がりにいきなり二点取られても、どうにか立て直してクオリティスタートに持ち込む。

 ただこれは樋口の前任が、坂本であったことも関係する。


 高校時代はピッチャーであり、アメリカに渡って来た時も、ピッチャーなのかバッターなのか、迷ったのが坂本である。

 サウスポーというのは基本的に、どこであっても貴重なものなのだ。

 それがマイナーにいる間に、左利きのキャッチャーになっていた。

 そして元投手という点からも含めて、キャッチャーとしてしっかりとリードしていた。

 アメリカのピッチャーのあり方から、そこに日本流の考えを取り入れて、丁度いいぐらいのリードをする。

 日本流のキャッチャーのポジションを、ある程度MLBに馴染ませる。

 そこに来たからこそ、樋口もちゃんと話を聞いてもらえているというところがある。


 第二戦のスターンバックも、樋口はしっかりとリードする。

 オープン戦からこちら、樋口は投手陣の信頼を得ることに成功している。

 どんな時も表情を変えないアイスマンは、この試合も丁寧にピンチを潰していく。

 スターンバックも調子は悪くないので、ビッグイニングの来る気配がない。

 球数制限のある中、八回までで100球を投げる。

 そして最後はクローザーのピアースにつないだ。


 4-1のスコアで、ピアースはかなり楽なピッチングが出来る。

 テキサスの最終回も、三者凡退で勝利。

 これでカードは二連勝となった。


 第三戦はレナード。

 これまたまだ若手であるが、ガーネットよりは落ち着いている。

 データが増えれば増えるほど、樋口のリードは精度を上げる。

 スターンバックが頑張ってくれたため、リリーフも落ち着いている。

 

 アナハイムは今季、開幕から九連勝していた。

 そしてこの第三戦に勝つと、10連勝となる。

 まだ四月中であるのに、こんな連勝が二つも。

 単純に強いと言うよりは、弱くなるはずの部分さえもが強い。

 わずかな隙を見せると、そこに付けこんで来る。

 一点をとるのがとんでもなく難しい。

 あるいは一点を取っている間に、続くチャンスを潰してしまっている。


 四月最後の試合となった、この第三戦。

 レナードのピッチングも問題なく、テキサスはまるで、積まれた巨大な土嚢に拳を打ち付けているような、手ごたえと言いにくい何かを感じていただろう。

 それなりに打っていても、致命傷には届かない。

 そしてわずかな隙も見逃さないし、無理やりチャンスを作る突破力も持っている。

 去年も強かったのに、さらに今年は強い。

 レナードもまた、この試合をクオリティスタートでリリーフにつなぐ。

 

 この試合でわずかに問題があるとしたら、クローザーのピアースが二試合連続で投げているため、原則としてこの試合では投げないということ。

 ただマクヘイルが回またぎのピッチングをして、ルークが今日は九回を投げる。

 充分なリードがあれば、安全策でアウトカウントを増やすことが出来る。

 もっともこの方法の問題なところは、リリーフピッチャーの数字が悪化してしまうことだ。

 それでも確実に勝つには、これが一番安定している。


 最終的なスコアは6-4でアナハイムの勝利。

 四月の試合はこれで全て終了。

 27試合を消化して24勝3敗。

 圧倒的な勝率を残すアナハイムは、連覇を目指して他のチームを蹂躙していた。




 四月の日程が終了した。

 アナハイム全体としても、数字は圧倒的である。

 勝率は八割を軽く超えて、ほぼ九割。

 翌日はシアトルに移動し、次の日からまたシーズンが続く。

 メトロズもメトロズで、充分にすごい数字を残している。

 だが強力なローテ陣の一枚を失いながらも、アナハイムはそれを上回る成績を残した。

 その中でももちろん、直史は別格だ。


 データをチェックする首脳陣であるが、去年と同じことをしている。

「これ数字間違ってないか?」

 同じことを去年も言った。

 直史は五戦全勝で、全完封。

 パーフェクト二回にノーヒットノーラン一回。そして残りの二試合もマダックス。

 このマダックスの試合も、ヒットを一本ずつしか打たれていない。


 去年も充分すぎるほど怪物であったが、それでもここまでの数字ではない。

 ヒットの数は11本から2本、WHIPの数字も0.25から0.04となりつつも、奪三振率はやや下がっている。

 何をどうすればそうなるのか、首脳陣は理解できない。

 だが確かなのは、投手陣の数字が軒並み上がっていること。

「樋口の効果か?」

 全体的に上昇しているので、そのはずではある。


 去年の四月は一試合だけだが、完投しなかった試合があった。

 だが44イニングで446球を投げていた。

 それが今年は45イニングで414球しか投げていない。

 三振の数は57から43へと少なくなった。

 それでも先発としては、充分に高い奪三振率。

 あの三つしか三振を奪っていない試合がありながらも、9.56の奪三振率。

 面妖な数字が記録されている。


 当たり前のように無四球であるが、五試合全てで無四球なのか。

 また全ての試合で100球未満での完封を果たしており、常時マダックスという成績。

 東海岸で暴れまわっている弟も弟だが、それを引き離すかのように、直史のピッチングは数字を上げている。

 三振が少ないのは、明らかに球数を少なくすることを優先したため。

 去年もシーズン序盤は、平均よりも奪三振率が高かった。

 つまりどれぐらいで投げれば、球数を減らすことが出来るのか、より緻密に把握できているからだと言えよう。


 まるでエスパーのように、相手の狙いを見抜いて、そこからほんの少し外す。

 そんなことをあのバッテリーは行っているのだろう。

 直史以外にも、スターンバックも五戦して全勝。ただし完封は一度のみ。

 それでも今のMLBでは、たいした数字を残しているのだ。


 この結果を見て、首脳陣は判断を下さなければいけない。

 直史の登板間隔を変えるかどうかということを。

 これ以上投げさせるのか、という批判が出てくるだろう。

 だが客観的に数字だけを見ると、直史は他のピッチャーよりも楽をしている。

 投げている球数も、ストレートの平均球速も、完全に他の先発陣よりは少なくて遅い。

 典型的なグラウンドボールピッチャーだが、97球のマダックスをしながら、15個の三振も奪っている。

 肉体的な余力があるのは間違いないのだ。


 ただ、大切なのはレギュラーシーズンを安定して勝つことと、ポストシーズンを消耗せずに迎えること。

 どうしても比較してしまうメトロズが、投手力を含めて守備力が上がっている。

 直史がワールドシリーズで三勝しても、他の試合を勝てなければ、結果としてアナハイムの優勝とはならない。

 そもそも七試合のうち、三試合に先発してもらうというのが、その時点で無茶なのだが。


 今はまだ変化すべきではないだろう。

 だがヴィエラの復帰が遅れて、ガーネットのピッチング内容が悪くなれば、ローテのカードを変えていくことは充分にありうる。

「それに五月は」

 誰かが言ったように、メトロズとインターリーグで対戦がある。

 このままのローテーションで投げさせれば、直史はそのカードの三試合目で投げることになる。

 あちらの事情もあるだろうが、メトロズは武史が先発の試合になるだろう。


 悩みどころである。

 メトロズは三連敗するなど、噛み合わない試合があった。

 雨天中止などで、バイオリズムが崩れたり、コンディション調整に失敗したことなどもあるだろう。

 特に三連戦の最後の試合の敗北は、かなり運が悪いことだ。

 しかし運というのは、偏ったものではない。

 アナハイムにも運が偏って、敗北という結果が出てくる可能性は充分にある。

 敗北が想像出来ないなどというのは、本当に直史ぐらいのものだ。




 テキサスからシアトルへ、長い距離を移動する。

 移動に一日をかけて、今日は試合のない休養日。

 だが普通に、直史は体を動かしている。

 この三連戦の二戦目が、直史の先発だ。

 シアトルは前回の対決では、パーフェクトに抑えてやった。

 だがそこから急激に負け続けることもなく、勝率は五割以上を保っている。

 ポストシーズンへの進出が、まだ絶望的になったわけではない。

 それがシアトルというチームの現状だ。


 コンディションを整えながら、直史は色々と考えている。

 それは次の試合に限定されたものではない。

 四月の成績は直史としても、さすがに出来すぎだと思う。 

 おそらく樋口のリードの思考が、まだMLBのチームに理解されていないのだろう。

 直史自身はストレートを磨きながらも、ゴロをより打たせることが多かった。

 五試合目などは三振を奪って、15奪三振。

 武史や上杉ほどではないが、かなりの多い奪三振数だ。


 直史の場合は三振を奪うためには、相手のバッターにゴロを打たせるピッチャーなのだと、その認識が先になければいけない。

 ミスショットを狙う球を、鋭くミートしようとするところに、伸びのある球を投げる。

 これで空振りなりフライなり、ゴロと同じく打ち取ることが出来る。

 ホームランの可能性が高くなるということを除けば、ゴロよりもフライの方が、アウトを確定させる手順が一つ少なくていい。

 グラウンドボールピッチャー、時々フライボールピッチャー。

 おそらくこれが技巧派ピッチャーとしては、一番安定した形である。


 翌日はマクダイスが第一戦を投げるということだが、直史と樋口はそのあたりのことも話し合う。

 もちろん二人に選手起用の権限はないが、樋口は正捕手として、ピッチャーの調子を首脳陣に伝える役目がある。

 そしてそういう観点から見れば、アナハイムのピッチャーは改善の余地がある。

 スターンバックとヴィエラのうち、もしも残すとしたらヴィエラになるだろう。

 スターンバックは年齢的なことも考えて、複数年の大型契約を結ぶことになる。

 今のアナハイムのマイナー事情などを見ると、そこまで大きな契約を、スターンバックと結ぶのはリスクが高い。

 逆にヴィエラはもう35歳で、契約するとしてもせいぜいが三年。

 それにこの怪我の離脱期間で、復帰してからのピッチングがどうなるかも微妙だ。

 あるいは一年契約をして、そこで結果が生まれなかれば、引退ということもありうる。

 35歳のピッチャーというのはそういうものだ。


 樋口の目から見て、マクダイスは微妙な評価のピッチャーなのだ。

 防御率も四点台で、現在26歳。

 FAまでは今年も含めてあと三年使えるが、そこで残しておく価値があるか。

 選手は年齢的に、25歳ぐらいでスペックは完成すると言っていい。

 だがその先の壁に挑むには、単純にメジャーで通用するスペックというだけでは足りないのだ。

 三年安く使えるというが、このあたりでいい成績を残せたら、他のチームのプロスペクトとトレードした方がいい。

 樋口などはそんなGM的な発想をする。


 若手ピッチャーのこれからのアナハイムを背負うのは、レナードやガーネットなどだろう。

 スターンバックを残すという余地は、かなり微妙なところだ。

 先発の足りないチームはいくらでもあり、スターンバックは安定して投げることが出来るピッチャーだ。

 去年も今年も各種指標となる数字を見れば、ほぼスーパーエースクラスの成績と言っていい。

 だが樋口なら、スターンバックではなく他のピッチャーを選ぶらしい。


 去年の優勝したメンバーの中でも、間違いなく主力であったスターンバック。

 だが直史があと二年はいるのだから、今季の前にトレードで、他のチームの若手数人と交換できなかったものだろうか。

 スターンバックがいれば、ポストシーズンに進めると考える、中地区のチームなどは多いだろう。

 このあたりGMの判断力は、少し冷徹さが足りないな、と樋口は言う。

 そんな樋口はしっかりと、三年間のトレード拒否などという条項を契約に入れてあるが。


 まだ四月が終わったばかりであるのに、来年の話をしている。

 しかもプレイヤーである自分たちには、それほど関係のないところで。

「日本に戻ったら弁護士やりながら、レックスのフロントにでも関わったらどうだ?」

 樋口はそんなことも言うが、それは気が早すぎる。

 それに契約していたこととは言え、わずか二年で去ったチームに、どんな顔で戻ったらいいものか。

 そこはドライに考えていいだろうと樋口は思うのだが、野球村の人間は、かなり頭が昭和で止まっている。

 だが樋口の感触としては、直史がいた二年間は、レックスとしてはかなりの得をしている。

 安い年俸で二度の日本一に導いてくれたし、ポスティングの移籍金でかなりの収入になった。

 無理を通すのではなく、最初から約束していたことなので、恨まれる筋合いはない。

 樋口としてはそう醒めた考えをしているのだ。


 どうせフロントで働くなら、東京まで出ずに千葉にいたいな、と考えるのが地元大好きマン直史である。

 今年と来年、直史の野球選手としての終わりは、もう完全に二年を切っている。

 その最後の期間を、また樋口と過ごすのか。

 大介を相手にして、チームで優勝を目指す。

 なかなかめぐるましい展開だ。

「詰んだな」

「ん?」

 樋口が駒から手を離した瞬間、直史はそう言った。

 そして手持ちの駒の中から、桂馬を盤面に打つ。

 わずかに考えた樋口は、負けました、と頭を下げた。

 試合前の一勝負であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る