第69話 日本の年末

 テレビでは特番がたくさん組まれる年末から年始。

 色々と出演以来がやってくるが、直史はほとんどのものにキャンセルをかけまくる。

 日本の野球村において、彼は地位も名声も必要としていない。

 そんな暇があれば、忘れそうな弁護士の仕事を、義父の手伝いでやった方がマシなのである。 

 もっともまじめな取材などには、それなりに応じることもある。

 大介はライガースの方に顔を出したり、テレビにもそれなりに出演している。

 あの二年前のスキャンダルは、もうなかったことになっているらしい。


 直史は一本だけ、まじめな感じのテレビにも出たが、もう二度と出まいと思った。

 セレモニーなどでインタビューを受けるのとは、全く別のものである。

 どうもマスコミの中でもテレビの人間というのは、自分たちが一番上等の部類の人間だとでも思っているのか。

 出演はしたが自分からは一言も言わず、ただ質問に端的に答えるだけにした。

 こういうのを楽しめる大介はすごい。

 意外と樋口はこういうものにも出ていて、その樋口との黄金バッテリーが、MLBで再現される、というのが切り口であった。

 たださすがに樋口の誘拐騒動はともかく、専門でなければマスコミと言っても、NPBとMLBの違いを全く知らない。

 直史としても元は、あまり知らない人間であった。

 なのでその点は文句を言うつもりはないが、ならば解説者に違いの分かる人間を配置しておくべきだろう。


 この直史の塩対応は、まさに慇懃無礼の生きた見本。

 逆にこれで人気が上昇するのが、直史という人間のキャラクターであるらしい。

 大介との対決や、武史のメトロズとの契約など、色々と話題にするべきことはあるのだ。

 しかし「来年はもう、楽観できないのでは?」などという問いには「そうですね」としか返すしかない。


 直史が大介を楽な相手だと、誰かに言ったことがあるだろうか。

 負けるつもりで勝負はしないとか、そういうニュアンスでは言ったかもしれない。

 だが直史はもう10年以上も大介と親交があり、義理の弟でもあるのだ。

 歴史に残ると言うよりは、歴史を作るバッターを相手に、敬意が足りないのではないか。

 そういうことを思ってはいても、口には出さないのが直史である。


 とにかく分かったのは、向こうからインタビューに来るようなマスコミは、勉強が足りなくても敬意というものは持っている。

 中にはスキャンダル目当てのどうしようもないのもいるが、そういうものは無視すればいいだけである。

 こちらに出演を依頼しておきながら、わざわざテレビ局に向かったという段階で、あちらが呼びつけたという思考にでもなっているのか。

 そもそも従来のテレビ局は、その情報の価値も権威も凋落して久しい。

 その中でこんなことをしているのだから、視聴率が回復するはずもない。

 もっともその視聴率に関しては、直史と大介のせいで、ある程度回復してしまったというか、視聴者数が増えたものはあるのだが。

 ただそういったものはもう、ほとんどが専門チャンネルになっている。

 今年のワールドシリーズはどうにか、公共放送が巨額の費用を捻出して、どうにか放送権を追加で買ったそうな。

 それでも衛星放送が精一杯だったらしいので、テレビと言うか野球観戦は、もう日本の一般的な人気コンテンツではない。


 野球ではなく、直史と大介の人気があったのだ。

 さらに今年はそこに、上杉も加わっていたわけで。

 来年もどうにか、アナハイムとメトロズで行いたいものだ。

 もっともMLBは本当に、監督や選手よりもなお、フロント陣の経営手腕が問われると言っていい。

 NPBのいいところと言うか、むしろそれは悪いことなのだが、サラリーキャップがガバガバなところが挙げられる。

 球団自体は赤字であっても、親会社がそれを補填するというものなのだ。

 だからスターズは、上杉に10億を払える。

 それでもMLBにいたら、その四倍の金額を提示されていたのだが。




 直史は金で動く人間ではない、と誤解されている。

 直史は金で動く人間だ。

 だがその金が、自分の時間を捧げるのに、相応しいかどうかの基準が厳しいだけで。

 NPBはともかくMLBは、レギュラーシーズンは本当に拘束がきつすぎる。

 特に直史にとって問題なのは、盆に墓参りが出来ないことだ。

 NPBならシーズン中であっても、どうにか行けないことはない。

 特に在京球団で先発のローテに入っていたら、中四日でもどうにかなった。


 MLBは完全に無理だ。

 ロースターの人数とベンチ入り人数が同じなため、あがりの先発ピッチャーでも、最悪代走や代打、守備で使われてしまう場合がある。

 またチームには全て帯同して、アウェイへの連戦にもついていく。

 拘束時間がとにかく、NPBの比ではないのだ。


 直史にとって大切なものは、家庭である。

 全ての時間や金銭は、それを守るためにある。

 今はまだ子供が小さいので、この特殊性に気づかないかもしれない。

 だが直史は自分の価値観として、子供と一緒になかなか過ごせないというのは、あまりいいことだとは思えないのだ。

 それを言うなら世の中には、たくさんの単身赴任の人間がいると反論はあるだろう。

 ただ直史は自分の理想の生活のために、大学卒業後までの時間を、人生設計に捧げてきた。

 今の状態は確かに、金銭的には大きな余裕となっている。

 だからといってそれが、理想的な幸福な生活とは限らない。


 毎日子供たちの顔を見る。

 毎日愛する妻と食卓を囲む。

 直史の精神性の根本は、牧歌的なものなのだ。

 自分で自分の仕事の量を調整できるというのは、人生においてとても幸福なことなのだ。


 この自分の人生を、約束した以上に野球に縛り付けるとしたら、どれぐらいの金銭が適当か。

 1000万ドル+出来高の現在の年俸は、満足のいくものではない。

 むしろNPB時代の方が、直史の生活への、全体的な満足度は高い。

 何者にも縛られない、自由な大介とは違う。

 上杉が日本に戻るように、直史も日本へ戻る。

 そしてもう大介との約束がないのなら、野球の世界にとどまる理由はない。


 だがそんな直史でも、ある程度配慮することはる。

 自分のこんな考えを、怪我などで、あるいは単純な実力不足で、プロの世界から引退した者に、話そうとは思わない。

 去年は星が、股関節の故障により、現役を引退した。

 直史と樋口と同じ年代では、早稲谷から六人ものプロ野球選手が輩出されている。

 もっとも直史はそのまま大卒では、プロの世界に入らなかったのだが。


 星に続いて今年も一人、現役を引退した者がいた。

 大学時代はキャプテンまで務めた、近藤である。

 スターズでほぼ即戦力として働き、クリーンナップを打つことの多かったこの男は、試合中にフライ捕球でフェンスに激しく激突し、それで肩を脱臼した。

 ピッチャーならともかく野手であれば、その具合によっては復帰することも不可能ではない。

 だがリハビリ中に腰なども故障を発症し、今年で引退することとなったのだ。

 29歳。

 野球選手としては、平均的な引退年齢である。




 そんな近藤を囲んで、当時の早稲谷の中で集まれる人間が、慰労のための会を催した。

 やはり早稲谷のキャプテンというのは、特別なものなのだ。

 当時の監督をしていた辺見も呼んで、直史とは離れた場所に座っている。

 なお新潟に戻った樋口が、再び上京してくることはない。薄情なことである。

「残念だ」

 近藤は完全に、すっぱりと諦めているわけではなかった。

「だが球団もポストを用意してくれたことだし、これからはまた違った戦場で戦うことになる」

 そう、経歴からして近藤には、スターズのフロントからポストが用意されている。

 大卒で、しかもキャプテンをしていたというのは、なんだかんだ言って人間のつながりを重視する日本の野球界では、充分な価値があるものだ。

 スターズはそのあたりのつながりも含めて、近藤を獲得したと思ってもいいだろう。


 近藤は生まれも育ちも東京で、関東には知り合いが多い。

 そのつながりを活かすために、まずはスカウトをと言われている。

 実際にスカウトとして選手を発掘するより、あちらこちらとの顔つなぎが多くなるだろう。

 それが近藤の、セカンドキャリアの価値である。


 不思議なものである。

 この黄金の年代からプロに入り、そして大成功しているのは、プロに入る気などなかった直史と樋口だ。

 村上や土方も、まだ立派な戦力として活躍しているが、この二人ほどの成績は残せていない。

「もったいない。大卒ですぐにプロ入りしていたら、軽く200勝は出来ただろうに」

 引退する近藤からは、未練とも言える直史への台詞が飛び出す。

 酔っ払った近藤の言葉に、直史は寛容である。

 

 おそらく本人は、まだ出来る、まだやりたいと思っていたのだろう。

 それなのに明らかに野球に執着せず、一度は野球を捨てた直史が、海の向こうで活躍しているというのが、うらやましくも妬ましかったのも確かだろう。

 だがそういった愚痴も、あまり嫌味にならないところが、近藤の人徳と言うべきか。

「MLBなんて言っても、別にそうたいしたことはない」

 おそらく日本でこれが言えるのは、他に大介と上杉ぐらいか。

 

 直史は現時点で、プロ80勝に到達している。

 三年目で80勝というのは、21世紀では上杉よりも早い。

 このままのペースを保てるのなら、普通に35歳には、200勝に到達する。

 だが上杉と同じで、高卒からプロ入りしていれば。

 完全に野球に人生を捧げれば、果たしてどうなっていたか。

 ファンの中でも議論になることである。


 直史は自分の技術は、大学で今の完成形にかなり近づいたと思っている。

 それ以降も強化はしてきたが、やはりあの時代で成長曲線の伸びは、最高を記録したのだ。

 あとはほとんど、バージョンアップであって、劇的な進化はない。

 これ以上大介と対決するなら、やはり純粋にパワーを増加させる必要がある。

 ただ直史の骨格やインナーマッスルからは、もうその限界が見えていると言ってもいい。




 近藤は特に仲のよかったメンバーと共に、二次会へと消えていった。

 そして直史は星や西と共に、千葉へと戻る。

 二人は現在、千葉でも東京寄りの場所で、星は教職として、西は一般の会社で働いている。

 家庭を持っているということは、三人は共通している。

 既に家庭を持ち、子供がいる男ども。

 三人に共通しているのは、大学生活よりも、甲子園を争った夏の季節。

 直史にとって大学野球は、ただの作業であった。

 その作業の中で芸術性を追求してしまうあたり、確かに直史にとって、野球は趣味のレベルでしかない。

 ただこの世は趣味で極めた技術が、プロの技術を超えてしまうことが、ままあるものである。


 星のところには真琴と同じ年の女の子が一人いて、今も奥さんは妊娠中である。

 西のところは真琴より一つ下の男の子が一人いる。

 それぞれがもう、家庭を持っている。

 その中では直史の経歴が一番異色だ。

 電車に乗って実家への帰路、三人は高校時代の思い出などを話す。

 あとは他に、近況も話題となる。


 西の場合は会社の草野球チームで、時々試合をしているらしい。

 六大学でスタメンとなり、またドラフト候補にまで上がった西は、そのレベルではスーパースターだという。

「息子が嫁に似てるから、ひょっとしたら才能あるかもしれないなあ」

 男の子の運動神経は、割と母方から遺伝することが多いとも言われる。

 その理屈で言えば上杉の子や大介の子は、とんでもない才能を秘めているだろう。


 自分の子供に野球をやらせるのか。

 星と西は、やりたいと言うならやらせる、というスタンスである。

 もっとも星のところは女の子なので、野球はちょっと敷居が高いかもしれない。

 最近は女子野球でも、全国大会の決勝戦は甲子園を使うことが出来る。

 なので女子野球でも、それなりの需要はあるのだ。


 西のところは男の子だが、まだそういったものに興味を持つのは早いだろう。

 ただ西はいまだに、普通に野球観戦を楽しめるので、テレビで野球の試合が流されることは多い。

 直史にとって本当に青春時代と言えたのは、間違いなく高校時代だ。

 大学はもう、社会に出るまでの準備期間と割り切っていた。

 そんな直史を、近くで見ていた二人。

 直史自身には言わないが、やはり直史はもったいなかったなと思う。


 弁護士は別に、世の中にたくさんいるのだ。

 だが直史の役割が出来るピッチャーは、世界に一人しかいない。

 千葉のより田舎へ去っていく直史の背中を、二人は静かに見送った。




 年末の忘年会は、まだまだある。

 そしてもう一つのこれは、直史にとってはより親しみやすいものであった。

 白富東野球部OB会。

 とは言っても全員が来るものではない。

 野球部員だった者の中でも、特に甲子園出場以降の世代。

 ただ北村などは呼ばれているが。


 実際白富東が本格的に甲子園を狙えるようになったのは、北村の三年の夏からであった。

 そんな北村以外にも、直史や大介の世代を中心に、ホテルのホールを借り切っての豪勢なものだ。

 金を出したのは大介であるが、色々な人間が来ている。

 白富東の人間でも、後輩の中にはもちろん、直接は知らない者もいる。

 その中で直史が気になるのは、自分が卒業後に入学してきた悟だ。


 悟は埼玉ジャガースで、一年目からショートでクリーンナップを打ってきた。

 白石二世などと言われたが、さすがにそこまでの成績は残していない。

 だがトリプルスリーの回数では、樋口よりも多い。

 現在の日本のショートとしては、間違いなくトップに立つ選手だ。


 高卒で入ったので、来年が九年目。

 FA権を手に入れることが出来る。

 もっとも最近の悟が話題になっているのは、その成績によるものではない。

 女優との浮名を流していて、それが報じられているのだ。

「六つ年下だからまだ二十歳ですよ!」

 悟と同世代のチームメイトが、その四肢に関節技をかけながら、直史に説明する。

 直史は首を傾げた。

「別に問題ないんじゃないか?」

 26歳と20歳であれば、ごく普通の話である。

 もっとも悟の場合、相手が高校生の頃から付き合っていたらしいが。

「条例で捕まりますよね!」

「そうでもない」

 直史は一応、これに関しての知識がある。

 レックス時代に高校生と、つまりは後輩と付き合っていた高卒のチームメイトの相談に乗っていたことがあるのだ。


 日本の地方自治体の定めるところの、一般に青少年保護育成条例とまとめられる条例に、その規定はある。

 おおよそは男性が年上の場合が多く、未成年との性交は淫行とと捉えられる場合が多い。

 性別は逆であるが、樋口が今の嫁と中学生の段階で付き合っていたのは、嫁の方にこの条例が適応される。

 完全にアウトであるが、お互いに真剣な交際であると、これは当てはまらない場合が多い。


 たとえば18歳と16歳の交際の場合、淫行は当てはまるが罰則は適用されない。

 だがこのカップルが一人が19歳となった時点で、淫行が適用されるという、不思議な事態になる。

 もっともこれだけの期間をちゃんと付き合っていた場合、これは婚約かそれに準ずる交際と判断され、訴えられない可能性が極めて高い。

 あとはお互いがその保護者に対して、恋人だと紹介していれば、親権者も了解していたとして、これまた訴えられない可能性が高い。

 なおこの場合でも樋口の例はアウトである。

 今はもう結婚しているので、特に問題にはならないのだが。

「そもそも年齢差があるからちょっと犯罪的だが、ガンも同じことだろう?」

「え、なんで俺?」

「お前、高卒で高校生の文歌ちゃんと付き合ってただろ? その時にセックスしていたら犯罪だ」

「おいおいおい! 俺たちは極めて純粋でまっとうな、将来を考えた仲だったぞ」

「まあ今ガンが言ったとおり将来の考えてのものなら別に違法にはならない。16歳未満はさすがにアウトだが」

「大丈夫です。その時はまだ清いお付き合いでした」

 大丈夫なのか?

 まあ社会人と高校生のお付き合いでも、双方が真剣ならそれでいいだろう。

 教師と生徒であったりすると、そこに発生するのは別の問題だ。




 騒がしい連中の中で、ジンはゆったりと歓談を交わしていた。

 彼は現在、兵庫から東京に戻って、帝都一の采配を握る予定である。

 まだ29歳の若さであるが、二年連続で帝都姫路を甲子園のベスト8以上に持っていった手腕が評価された。

 高校時代からの目標であった、甲子園優勝を狙えるチームの監督。

 ジンはその目標を叶えようとしている。


 ただ横から、ジンに対してリクルートをかけている存在がある。

 大阪光陰である。

「それはまた……」

 さすがの直史も、言葉をなくす方向からの勧誘だ。


 大阪光陰の監督の木下は、現在50台の後半。

 確かにそろそろ、後継者を探す年齢ではある。

 数年コーチをやってもらって、そこから正式に監督へ、という話であるらしい。

 木下監督もキャッチャー出身で、ジンとしては声をかけてもらったこと自体は確かにありがたい。

 だがいまだに甲子園優勝の常連である大阪光陰は、戦ってみたほうが面白い。

 それに同じ近畿となれば、自分の教え子たちと近畿大会で戦うことにもなりかねない。

「自分でも驚くほど迷ったよ」

 帝都一の方は結果を残したジンに対して、もう招聘の体制を整えている。

 名門校に若い監督の誕生であるが、ジンとしてはそれこそまさに望んだものだ。


 高校野球の状況は、さほど変わっているとは言えない。

 ただ一時期の白富東のような、おかしな強さの公立校はもうほとんど出ていない。

 代表例たる白富東も、ここのところは甲子園に出ていない。

 少子化や球数制限などで、特にピッチャーの有力校による囲い込みが、顕著になっているのだ。

 いくら体育科を作っても、世の中の流れは大きくは変えられない。

 最近の千葉は、トーチバがほぼ一強となっている。


 トーチバにしてもその系列の中では、東名大相模原が、一番優先で選手を集めている。

 神奈川の覇権を握るというのは、大阪の覇権を握ることの次ぐらいには難しい。

 ほぼ大阪光陰一強の大阪と違い、神奈川は現在私立四強などと呼ばれている。

 その中では東名大相模原は、一二を争っているが。


 ただ白富東は大学野球や、社会人野球に進んで、それなりに結果を残す選手が多い。

 山根優也と児玉正志の世代以降、プロの選手は出ていない。

 だが今時はプロまでも視野に入れている人間が多いわけではない。

「高校野球は結局、三年間だからなあ。その後の人生の方が圧倒的に長いわけだし」

「分かるっす。プロでさえ引退してからの方が、人生は長いっすから」

 いまだにプロの世界にいる鬼塚は、ハッスルプレイでチームのムードを高める。

 平均的なプレイが全て上手い選手だが、どこかが飛び抜けているわけではない。

 強いて言うならその精神性が、他の野球エリートとは違う。


 白富東はやはり、奇跡のようなチームであったのだ。

 あの三年間の間に、排出したプロ野球選手が、大卒も含むが九人。

 もっとも同時期であれば、大阪光陰の方がさらにすごかったが。

 私立であることもあって、プロ養成所などとも呼ばれた。

 そんな最強の私立に、公立の白富東が勝つというのが、当時の一番熱くなる展開であったのだ。




 男どもが騒いでいるのを、シーナやマネージャー陣、それに瑞希は面白そうに見ていた。

 ここにいるのは直接間接問わず、白富東の野球部を応援していた者たち。

 ただ一人、ここにいるべき人物はもういない。

 彼女を偲ぶために、白富東のメンバーは集まったと言っていいのか。


 イリヤがいなくなったのは、今でも信じられない。

 海の彼方よりも少し遠い世界で、まだ歌を作り続けている。

 そんな錯覚があるのだ。

 またそのイリヤの臨終に立ち会った、ツインズも来ていない。

 桜は妊娠していたので見送ったのと、椿はその桜に付き添い、また足が不自由なのを見せたくなかったため。

 もっとも違う集まりの方には、普通に顔を出すらしいが。


 この女子グループの中には、セイバーもひょっこりと顔を出していた。

 他に指導者側としては、プレイヤーでもあった北村以外は、色々と用事があるため来れていない。

 社会人ともなれば、なかなか日程が合わないことも多い。

 そもそもこのホテルで働く人間などは、むしろイベントの時こそ休めないだろう。

 秦野や国立は、それぞれが違うチームを率いている。

 国立は千葉県内の公立校を普通に異動し、千葉県の野球の底辺を、一気に上げていったりしている。

 対して秦野は東京から埼玉へと移り、そこで新興の私立の監督をしている。


 選手たちはあるいはプロの世界へ進み、あるいは指導者になり、あるいは青春の輝きを胸に社会生活を送っている。

 高校を卒業しても、甲子園を目指さなくなっても、むしろ人生はそこから始まるのだ。

 それを勘違いして、甲子園に行くためには何を捨ててもかまわないというのは、さすがにもう時代遅れだ。

 自分の限界のずっと前に、ラインを引いてしまう者もいる。

 だがそれを無理やりに越えさせるというのは、今の時代には合わないらしい。


 そうやって素質に優れた者ばかりを、マニュアルに沿って鍛えて、何が面白いのか。

 少なくともセイバーは、単純にMLBの流儀を、白富東に導入したわけではない。

 それだけでは高校野球は、最後まで勝ちきれなかったのだ。

 直史と大介がいてなお、あの夏は負けてしまった。

 そういう意外性は、高校野球だけではなく、野球と言うスポーツ全般に多い。


 夜は更けてくる。

 宴は終わらない。

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