第66話 境界の果て

 ※ 前話終盤部分、やや修正してあります。



×××



 ゾーンに入ると音が消え、そして次に色が消える。

 やがて視界に映るものが消失して、力のベクトルだけが見えてくる。

 何をどうしたらどうなるのか、世界の全てを脳が処理すると言えばいいのか。

(ここまで無茶苦茶なのは初めてだな)

 直史は意識して、思考の加速を元に戻す。


 人間の脳の限界を見た気がした。

 そして全てを把握するということは、自分の肉体の限界をも把握するということ。

(フルで使ってたらもたない)

 ゾーンを本気で使うと、情報処理の能力だけが上昇するわけではない。

 脳がリミッターをかけている部分まで、どうなっているかが分かる。

 そのリミッターを外す方法も、外したらどうなるかも。

 瑞希に話していた時は、それほどまでになるとは思っていなかった。

 だが大介は、一打席目よりも二打席目の方が、そのスペックが上がってきている。

 それに対抗するように、直史の脳も性能の限界まで発揮しようとしている。


 大介も無意識に、ゾーンに入っていることは知っている。

 直史と違って大介の方が、目から入った情報を処理するのは、重要なはずなのだ。

 ボールを極限まで見極めて、それを叩くのだから。

 直史のカットボールをしとめ切れなかったのは、体に無理な姿勢をさせたからだ。

 大介が素直にヒットで我慢し、それをすら抑えようとするなら、直史はさらにリミッターを外していく必要がある。

 最後まで解放してしまえば、おそらく体が壊れる。

 肩や肘ぐらいまでならともかく、神経系にまでダメージが残るかもしれない。

 脳内物質が過剰に分泌されているのだろうが、これが肉体に影響しないわけがない。


 どれだけの犠牲を払ってでも、人間の限界を超えて、さらなる境地の果てを目指そう、などと直史は思っていない。

 限界ぎりぎりを見極めて、人間の範囲内で勝つ。

 大介がもうそれでも止められないなら、それは仕方がないことだ。

 ただ大介も明らかに、無意識でこれを制御している。

 そうでなければレギュラーシーズンとポストシーズンで、これだけの差が出てくるはずがない。


 おそらくあの夏の甲子園、あるいはワールドカップで、ホームランを打った大介。

 あの10年以上前の大介の方が、レギュラーシーズンの大介よりは上だ。

 最後の一年の大介は、敬遠されることが圧倒的に多かったが、それでも打率が八割前後であった。

 その力を持ったまま、プロでも成績を残していると思われている。

 だが実際には、MLBに限らず日本時代でも、ポストシーズンの方が成績はいい。


 対戦する相手も、限界を感じながらも投げてくる。

 しかし大介は、さらにその上を行くのだ。

 おそらくこの感覚は、上杉にはない。

 ナチュラルのフィジカルで通用する彼には、必要ではないものなのだ。


 五回の表、アナハイムはまたもランナーを出す。

 そして二打席連続で、ターナーは敬遠気味のフォアボールで出塁となった。

 シュタイナーが打てればいいのだが、ここは左対左の優位があり、なんとか無失点に抑える。

 こちらは大介を相手に逃げていないのに、あちらはずいぶんと楽をしている。

 直史はそう考えながら、五回の裏のマウンドに向かうのであった。




 投げるたびに切れ味が増していく。

 中二日で投げる直史の状態を、アナハイムの首脳陣は心配していた。

 パーフェクトなどをやったら揺り戻しのように、筋肉痛が筋肉以外のところにまで出てくる。直史はそう表現している。

 第一戦の後も、第五戦の後も、直史は一日では回復しきらなかった。

 肉体の疲労も問題ではあったが、おそらく消耗が激しすぎたのだ。

 そしてこの試合は、やはり同じように投げている。

 バッターのバットを出すイメージが、投げる前に分かる。

 ただずっとこれを使い続けているわけにはいかない。

 いつ限界が来るのか、それが分かっていないからだ。


 これまでに直史が、試合後に気絶したことは二回。

 両方ともこの試合が終われば、あとはもうしばらく投げなくても済む、というものであった。

 試合後に体重を量れば、3kgは減っていた。

 水分も糖分も吸収していたのに、いったいどこからそんなに減っていくのか不思議に思ったものだ。

 ただおそらく、今なら分かる気がする。

 脳が限界以上に、肉体からエネルギーを消費しているのだ。


 いっそのこと栄養剤を、血管にそのままぶち込みたい気分だ。

 だがそういった医療行為は、基本的に禁じられている。

 試合前の血液ドーピングぐらいは、さすがにばれないだろうが。

 もちろん直史は、そんなことはしない。

 大介もしていないのだから、条件は互角の状態で戦うのだ。


(六番からか……)

 一発にさえ注意すれば、それほど怖い打者はいない。

 下位打線からさえかなりの長打力を出してくるのが、MLBの怖いところだ。

 だが長打ばかりを狙う今のトレンドは、直史相手にはあまりにも相性が悪い。


 カーブとツーシームでカウントを整え、スライダーとスルーで三振を奪う。

 それを三人に向けて試してみた。

 12球を使って、三人を三振に取ることに成功。

 メトロズの打線をより、窮屈にさせていくのだ。


 直史が怖いのは、とにかく事故のような一発。

 だがここまで点が入らないと、メトロズも迷ってはこないだろうか。

 まずは塁に出て、チャンスを作る。

 そこまでは大介がやったが、あそこからは一発を狙われた方が怖かった。

 それでもアベレージヒッターでなければ、どうとでも処理は出来たのだが。




 六回の表の先頭坂本へは、まだウィッツが投げる。

 三回の途中であるから、先発なら充分に投げられる球数のはずだ。

 だがビハインドでアナハイムに投げるのは、次の一点が試合を決することになると分かる。

 ウィッツは既に三度も、かなりのピンチを抑えているため、消耗が激しい。

 ここで坂本を打ち取っても打ち取れなくても、おそらくは交代ではないのか。

 この回を抑えれば、残るアナハイムの攻撃は三回。

 そして三イニングであれば、上杉が出てくるだろう。


 この回に点を取れなければ、アナハイムは一得点で終わる可能性が高い。

 上杉のピッチングは支配的で、流れすらも向こうに持っていってしまうかもしれない。

 坂本は敵のブルペンを見てから、二点目の計算を立てる。

 ここはやはり長打がほしい。


 ウィッツのボールの軌道は、とにかく左打者には打ちにくいものだ。

 真田に比べたら100倍楽だとでも大介は言うかもしれないが、あの左用の決戦兵器と比べる方がおかしい。

 ウィッツの背中側から出てくるボールを、坂本は必死でカットする。

 この六回になんとか追加点を。

 そう思って振ったバットがボールを叩くが、全力でダッシュしたレフトのシュミットがそれをキャッチ。

 さっきからいい守備をしている。もしも今日の守備のMVPがいたとしたら、それはシュミットになるのだろう。


 続くバッターを一人フォアボールで出したが、あとはフライとゴロでスリーアウト。

 オットーからウィッツへの継投は、見事に無失点で終わっている。

(上杉さん、出てくるかな?)

 メトロズのFMがウィッツの肩を叩いている。

 直史はそれを観察し、ウィッツはここまでだと判断する。


 残りの三イニング、上杉が出てくるのか。

 少なくとももう、ブルペンには入っている。

(七番で終わったから次は下位打線だし、七回は投げてこないか?)

 八回と九回は、おそらく投げてくる。

 もしも八回に登板がなければ、それはどこか怪我をしたということだろう。

 ノーヒットノーランを後がない状態で達成したのだから、かなり消耗はしているはずなのだ。

 ただ出てくると思わせるだけでも、それなりのプレッシャーにはなる。


 またもスミイチの勝負になるのか。

 六回の裏、直史はマウンドに登る。

 先頭打者がカーペンターで、ネクストには大介がオンデッキ。

 ここで大介がどう動くかで、上杉が出てくるかどうかは決まるだろう。


 メトロズのピッチャーは、そこそこのレベルはあるのだが、先発もリリーフも怪物級なのは上杉のみ。

 そう考えると下位打線からでも、どうにか工夫して一点を取ってほしい。

 集中力はまだフルに使わず、それでもカーペンターから内野フライでアウトを取る。

 そして大介の第三打席が回ってきた。




 ワンナウトランナーなし。

 全体的な状況で考えれば、大介を塁に出したくない。

 ワンナウトからなら次のシュミットは、進塁打ではなく本気で、ヒットを狙ってくるだろう。

 そしてもし大介が三塁にまで到達したら、外野フライでタッチアップが出来るかもしれない。

 ピッチャーはだいたい、試合が進むほどにボールには、バッターが慣れてきてしまう。

 もっとも直史の場合は、前までの打席を布石に使うので、むしろ試合の終盤こそ、安全にアウトを取っていけるが。


 バッターボックスの手前で、少し大介は立ち止まった。

 それに対して直史も、呼吸を合わせていく。

 一打席目も二打席目も、大介にはヒット性の当たりを打たれている。

 客観的に見れば今日の二人の勝敗は、大介の勝利と思われるかもしれない。

 だが直史はそう思っていないし、大介も思っていないと分かる。

 それぞれの打席の勝負は、いわば戦闘での勝負。

 本当の勝敗は結局、チームの勝敗である。


 戦争と同じだ。戦略目標を達成するまでには、戦闘をなんどか行う必要がある。

 しかしそれぞれの戦闘には負けても、最終的な目標を達成していればいい。

 さらに大きなのが、政略目標とでも言おうか。

 試合の勝敗がそのまま、ワールドチャンピオンにつながる。

 試合に勝つことがそのまま、ワールドチャンピオンにつながる。

 いわばこれは最終決戦で、関ヶ原の戦いやザマの戦いのようなものである。


 ただこの一戦闘が、最終的な目標の達成につながる要素はもちろんある。

 大介をあと二打席封じる。

 大変なことだが、やらなければいけない。

 直史にとってはワールドチャンピオンすらも、通過点に過ぎない。

 そもそも過程自体が目標化している。

 大介と戦うこと。

 本当はそこで勝とうが負けようが、既に目的は達成している。

 だからここからはもう、男の意地である。




 脳のオーバークロックが可能になったため、一つだけ初見殺しを生み出すことが出来た。

 もっとも最後の最後に使うしかない、検証すらしていないものだが。

 それにおそらく、他のものと同じく、一度しか使えない。

 それはもっとも基本にして、純粋なものであろう。


 だがとりあえず、この打席だ。

 前の打席はインコースで勝負して、当たりは良かったが無事にアウトに出来た。

 わずかに目を細めてみれば、大介のスイングが予測出来る。

(どのコースに投げても打たれるな)

 ただしそれは、ストレートを投げた場合。

 自分の中の球種とコースを考えて、大介の持つバットの結界に穴を開ける。

 そして投げた初球は、ワンバウンドのカーブ。

 打とうと思えば、打てたはずだ。

 だがバウンドしたボールは、完全に勢いを失っている。

 自分の力だけでスタンドに運ぶには、その一瞬で大介は、肩に力が入ってしまっていた。


 ボール球から入って、まだ直史は大介の隙を見出せていない。

 だがバットが届いていない、ストライクになりそうなコースは見える。

 二球目もカーブ。ただし大きく斜めに入ったボールは、ゾーンを通ってはいる。

 審判の判定はストライク。

 やや直史に有利な判定だ。


 大介がバッターボックスを外す。

 直史はホーム側に対して背中を見せる。

 既にバッテリーのサイン交換は済んでいる。

 振り向いた直史の視線の先で、既に大介は構えている。

(見えるぞ)

 そこに投げれば、ホームランにはならない。


 直史のフォームは特にクイックで投げるということもなく、分かりやすいタイミング。

 大介のタイミングを外そうとはしていない。

 アウトハイから、やや落ちていくボールだと、大介は軌道を計算した。

 そしてそこにバットのスイング軌道を合わせる。


 鋭い打球が、サードの頭の上を越えていく。

 ファールかフェアか、わずかに回転はかかっている。

 スタンドには入らない弾道だから、これでむしろホームラン未満であれば、そちらの方がいい。

 だが打球は、ファールフェンスに当たった。

 ストライクカウントは増えたが、まだ危機は去っていない。




 大きく落ちる球を二つ投げて、そして小さく落ちる球を投げた。

 スルーのボールにも大介は余裕でついてきた。

 ただ球速が思ったよりもあったため、振り遅れてファール。

 ほんのわずかな球速の違いで、ホームランとファールの決定的な差が出る。

(今のはむしろ、フェアになってくれた方がよかったんだけどな)

 ツーベースになっていただろうが、そこまでだったろう。

 しかしまだ、大介はバッターボックスに残っている。


 ホームラン未満に抑えれば、大局的に見て勝利。

 そうは思うが大介の打球が、上手く低めの弾道になるなど、低めのコースに投げたらむしろ難しい。

(アウトローなら左に放り込むし、インローなら……)

 インローなら、まだそちらの方がいいような気がする。

(ダメだな。二打席目と同じようなコースだ)

 頭に描いたボールの軌道を、大介が見事にホームランにしている未来が見えた。


 スピードのあるボールの中で、打ち取れそうなのはストレートのみ。

 だが逆に、遅いボールを投げたらどうなるか。

 カーブか、あるいはシンカーか。

 上手くスプリットで振らせることは出来ないものか。

(ボールの回転数で沈む球が分かるってのは、本当にバグった能力だよな。

 そして直史が投げたボールは、上手く膝元に沈んでいくカーブ。

 外の高めの後に、内の低めを投げるコンビネーション。

 大介はその球をゆっくりと呼び込んで、体の近くで痛打した。


 打球はセカンドの頭の上を越えていく。

 外野の右中間を割って、そのままフェンスに激突。

 跳ね返ってきた勢いが強すぎて、一塁を回った大介が、そこで止まってしまった。

 あまりにも勢いがありすぎて、外野の頭を抜けたのに単打。

 またおかしなことをして、大介の三打席目は終わった。


 三打数二安打で、アウトになった打球も長打になりそうな当たり。

 これだけを見ればこの日の勝負は、大介の勝ちのように見えるだろう。

 だが直史は、これでいいと割り切っている。

 試合に勝つためなら大介に打たれてもいいというわけではなく、まず試合に勝つ状況は作っておく。

 そしてここから、最後の勝負を仕掛けるのだ。


 ここからランナーが出なければ、最終回の大介は先頭バッターで出てくる。

 もしもそこでホームランなどを打たれたら、それだけで同点だ。

 延長に入ったとき、メトロズは上杉が投げていたら、そのまま投げさせるだろう。

 どちらのピッチャーが先に潰れるか、そういった勝負になってくる。


 大介の五打席目とは対決したくない。

 切り札を四打席目に使えば、五打席目まで体がもたないかもしれない。

 いや、もたないぐらいに力を入れて、切り札を使うわけだが。

(まあここで後続に打たれたら、どうにもならないわけだが)

 直史はシュミットと、三度目の対決を迎える。




 ぎりぎりのところで抑えている。

 直史のピッチングをしても、大介を抑えるのは不可能なのか。

 それがアナハイム首脳陣の見解であり、さすがはMLB史上最強のバッターと言うべきだろう。

 いや、MLBに限ったことではないのかもしれないが。


 ホームランだけは打たれないという、この直史の計算。

 それは他のバッターであれば、どうとでも出来るという自信からなる。

 今日も大介以外は、シュミットの内野安打があっただけ。

 ポストシーズンに入ってからの直史は、トロントにもヒット一本を打たれただけ。

 レギュラーシーズンもとんでもない成績であったが、ポストシーズンはさらにとんでもなくなっている。

 メトロズの大介と同じことだ。


 野球というスポーツの中で、今まさに人間が、新たな進化をしている。

 そしてそれは一人ではなく、競い合う二人以上がいなければいけない。

 大介を一塁に置いて、直史は牽制を一つ入れた。

 もちろん大介を、牽制で殺せるとは思っていなかっただろうが。

 そして好打者シュミットを三振にしとめる。

 これでツーアウト一塁。

 ピンチからは遠ざかりつつあるように思えるが、まだ打席にはスラッガーが続く。

 アナハイムよりもはるかに、攻撃力の高いメトロズの打線。

 だが直史はそれを、大介以外は脅威と見なしていないのか。


 三番ペレスもまた、三振でスリーアウト。

 見逃しと言うよりは、手の出せないアウトローへのボールであった。

 球数はやや増えているが、内野ゴロよりもさらに安全な、三振を奪いにいくという意思を感じる。

 マウンドからベンチに戻ってくる直史の顔に、疲労の色は見えない。


 まさかこのままいってしまうのか、とアナハイムの首脳陣は考える。

 ワールドシリーズの最終戦、直史は中二日で、完全にいい状態とは思っていなかった。

 いきなり大介にヒットを打たれて、アナハイムはブルペンに数人を送ってある。

 だがなんだかんだ言いながら、ここまできてしまったではないか。

 ワールドシリーズで三試合に登板して、全ての試合を完封。

 データベースは見ていないが、そんなピッチャーはいないと思う。


 このままならば、七回は四番から六番、八回は七番から九番。

 そして最終回に、また大介からの打順が回ってくる。

 一回には大介が出塁し、それをシュミットが進塁打で得点圏に進めた。

 あそこから既に、メトロズの攻撃への執念は感じていたのだ。

 だがそれでも、はるかに直史が上回る。

 まったくもってメトロズに、負ける感じがしない。

 もちろんそれは幻想であり、その甘い幻に溺れたとき、夢は現実に帰る。


 残り三イニング。

 七回の表のアナハイムの攻撃に、メトロズはピッチャーを代えてきた。

 だが恐れていた上杉ではなく、今季は一時期先発のローテも回していたワトソン。

 今季の成長株と言うと、メトロズではジュニアが先発としてほぼ一年を投げたのだが、このワトソンもリリーフでいい成績を出している。

 七回のアナハイムは、八番からの下位打線。

 このイニングだけは、なんとかするつもりなのだろう。




 ベンチに座って、直史は休んでいる。

 体の方の休憩ではなく、頭のほうの休憩だ。

 何も考えることなく、目に試合の映像を映しておく。

 あとからその映像の記録を、処理していったらいいであろう。


 アナハイムの七回の表は、三者凡退で終わった。

 眠りから覚醒するように、直史はすくっと立つ。

 この回もやはり、一発のあるスラッガーを置いているメトロズ。

 本当に気を抜くことなど、ピッチングの中では一つもない。


 ただその中で直史は、速球を使ってくるようになった。

 序盤からは普通に、いつも通りのカーブ。

 だがこの打順の三巡目からは、伸びるようなストレートを投げてきている。

 そしてそれで、空振りが取れてしまうのだ。

 上杉のような107マイルどころか、97マイルも出ていないストレート。

 それなのに打てない。


 セットポジションからのフォームの動きに、無駄なところがない。

 始動からリリース、そしてキャッチャーミットに届くまで、その時間が短いのだ。

 ストレートのスピードではなく、とにかくタイミングが速い。

 それでいて完全にストレート一本やりではなく、ゴロを打たせたりもする。


 三者凡退で、七回の裏は終了。

「多いな……」

 ピッチングコーチのオリバーが思わずそう洩らしたのは、直史の奪三振がこの時点で、もう11にもなっていたから。

 もちろん上杉には比べられないし、比べるべきものでもないだろう。

 ただ直史が、確実なアウトを取りに来ているのだ。


 ゴロは内野安打になるし、フライはポテンヒットになる。

 だから可能であるなら、三振が一番いいのは確かだ。

 もうこの試合を最後と見て、球数制限を考えていない。

 そして同時に、延長戦も考えていない。


 八回の表、スタジアムを熱狂させる、上杉の登板。

 確かにここから、追加点が入るようには思えない。

 どさりとベンチに座った直史は、そのまま目を細めて試合を見る。

 まさに機械のように、ひたすらアウトを取るマシーンだ。

(このまま勝てるのか?)

 大介の打席が一つ残っている。

 そして九回は、その大介が先頭になるはずなのだ。

 気にしているオリバーに、坂本が小さく囁く。

「リリーフの準備させた方がいいですよ。もう限界が近い」

 おそらく、と坂本は考える。

 大介の四打席目までが、直史の限界ではないかと。

 兆候が見えているわけではなく、ただの直感だ。

 だが坂本の直感はよく当たるのだ。


 上杉の奪三振ショーが始まるが、追加点はこの際考えない。

 1-0での勝利が、アナハイムの優勝への道。

 いよいよこの決戦が、終わろうとしているのであった。

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