第65話 判定

 バッターは三割打てれば、おおよそ一流である。

 ただそう言われていたのは昔の話で、打率は軽視されるわけではないが、今ではOPSの方が得点に密接な関係があるとされている。

 ならばピッチャーとバッターの勝敗は、打率で決めていいものか。

 そんなはずはない。

 たとえ三打数三安打であろうと、それで点が入らなければ意味がない。

 何より大事なのは、野球はチームスポーツだということだ。


 チームを勝たせるために、どれだけ貢献できたか。

 いや、チームを勝たせた方が、勝者と言えるだろう。

 その意味で、直史は大介との第一打席。

 アウトローのボールをレフト前に運ばれて、クリーンヒット。

 ただし単打である。


 現在のMLBにおいて、盗塁は成功率を考えると、さほど重要な要素ではない。

 ただそれでも、大介は今年の盗塁王だ。

 ある程度は盗塁の阻止も考えないといけないが、大介の盗塁はレギュラーシーズン、自分と勝負させるためのもの。

 ここでリスクの高い盗塁をしてくるかは、微妙なところだ。

 ただ、直史からノーアウト一塁。

 ランナーは大介というのは、かなりのチャンスである。

 だからこそ大切にと思うか、それともここで勝負をかけるか。

 これは指揮官の野球哲学に関わるものであり、安易にどちらが正解とも言えないものである。


 直史としてはこのパターンは充分に想定している。

 まず二番のシュミットが鬼門である。

(シュミットは安易にフライを打つバッターじゃない)

 大介ほどではないが、ライナー性の打球で外野の頭を越える長打を打つことが多い。

 器用にケースバッティングをするバッターなので、この状況での最低限は心得ている。


 ここでは内野ゴロを打たせる。

 最悪の展開は下手にダブルプレイ、あるいは二塁でのアウトを取りにいって、両方ともセーフになること。

 守備の側からすれば、三振か内野フライでのアウトが望ましいが、それは続く打者でやればいいこと。

 確実に一塁でアウトを取る。

 そしてその隙に、大介が三塁を狙ったりしないようにする。

 坂本が立ち上がって注意しているが、大介が舌打ちしているのが見えた。

 ゆっくり一塁でアウト、などとのんびりしていたら、三塁まで走るつもりだったのだろう。


 一死三塁になれば、内野ゴロか外野フライで、大介ならばホームに帰ってくる。

 確実に二塁まで進ませても、ワンナウトは取っておく。

 そのあたりを坂本から内野へ、確認の指示が出る。

 直史はパーフェクトを何度も達成したが、基本的には内野の守備力があってこそ。

 普通なら抜けてしまう打球も、キャッチしてアウトにしてしまう。

 そこにさらに確認をしておくのだ。


 シュミットの最低限は、右方向への進塁打。

 だがメジャーで進塁打など、そんなせせこましいことを考える者がいるのか?

 いるのだ。なぜならこれはワールドシリーズ。

 それも優勝を決める最終戦なのだから。


 シュミットの軽く当てたボールは、バントのように右方向に転がっていく。

 セカンドが処理してファーストへ。そしてファーストは牽制のためにすぐさまサードへ。

 大介はやはり三塁まで視界に入れていたが、ここでストップする。

 ワンナウト二塁。

 確実にランナーを、ホームに近づけている。

 ただ直史としては、これはこれでありがたい。

 シュミットはその気になれば、直史のボールを普通にヒットには出来てしまうレベルの打者だ。 

 それがわざわざ、大介を進ませるためにアウトになってくれる。

 もちろん危険度は上がっているが、それもここまでだ。

 ヒットを打たれない限り、点にはつながらない。




 三番のペレスと、四番のシュレンプ。

 メトロズの誇る長距離砲であるが、打率を考えればそれほどでもない。

 直史にとっては料理しやすいタイプのバッターだ。

 この二人にとっては、フライを打たせた方がいい。

 だがやはり最初は、低めのボールで誘うのだ。


 ペレスに対してはチェンジアップを投げた後、高めにボール球を投げる。

 打ったボールはそのまま、ほぼ真上に飛んだ。

 坂本が無事にキャッチして、これでツーアウト。

 だがツーアウト二塁というのは、それはそれで難しい状況なのだ。


 ワンナウトであればフライが上がった場合、それがアウトになるかどうかで進塁が変わる。

 しかしツーアウトからでは、もうヒットになることを前提でスタートを切る。

 外野が浅めに守っていない限り、かなりの確率でホームまで帰ってこれる。

 ヒットを打たれてはいけない。

 確実に内野ゴロでしとめるか、あるいは確実にフライを上げさせるか。

 もしくはコンビネーションで大胆に緩急をつけて空振りさせる。


 ここで直史が選んだのは、確実にアウトが取れる空振り、ではなかった。

 緩急をつけた上で、カーブを打たせる。

 内野フライはショートの手前で、簡単にキャッチアウト。

 結局ランナーである大介は、二塁に到達するのが精一杯であった。


 ランナーはやはり、三塁まで持ってくるのが、野球の基本であろう。

 普通のヒットで確実に帰れるし、内野安打でもツーアウトからはファーストに先に投げる。

 ピッチャーの暴投、キャッチャーの捕逸、色々な要因でヒットもなしで、ホームに帰ってくる可能性もある。

 それを二塁で止めてしまったので、可能性は閉じてしまった。

 もちろん直史に、コントロールミスなどありえない。

 だがそれでもランナー三塁で、プレッシャーをかけ続ける意味はあるのだ。

 特にランナーが大介であったら。

 目に入るだけでプレッシャーがかかる選手は、相手にとっては悪夢のような存在である。

 

 ともあれこれで、大介のヒットを点につながらないよう、防ぐことには成功した。

 ピッチャーとバッターの勝負では、ヒットを打った大介の勝ちに見えるかもしれない。

 だが点を取られなかったという意味で、直史はメトロズに勝ったのだ。

 もちろんその勝利は、このイニングだけのもの。

 ここから八イニング、相手の打線を封じ続けていくのが始まる。


 ただここでしっかり大介以外をアウトにしたことは、次の打席では重要な意味を持つ。

 もしもこのまま、一人もランナーを出さず、大介に回ったとする。

 するとツーアウトの状態で打席が入ってくるのだ。

 ツーアウトからなら、大介もホームランを狙ってこざるえをえない。

 最低でも長打狙いで、次のシュミットに託すことになるか。

 そう考えるとここで打たれた単打は、むしろメトロズの攻撃を縛るものとなる。

 二打席目の大介は、ホームランさえ打たれなければ、次をどうにかアウトにすればいい。

 物事はおおよそ、表と裏の面があるのだ。



 

 二回の表はオットーも気合を入れて投げて、アナハイムは三者凡退。

 二回の裏のマウンドに登る直史だが、この打順のメトロズの五番以降は、それほど危険なバッターはいない。

 だがそれでも簡単にスタンドに持っていく力はあるし、せっかく大介をツーアウトで迎えられるという、この打順をずらすわけにはいかない。

 三振一つを奪い、無事に三者凡退に抑える。

 球数もさほど増えず、スタミナもあまり減っているとは思えない。

 それでも攻撃となってベンチに戻れば、生ぬるい糖分を液体で補給する。


 三回の表のアナハイムは、八番からの打順。

 ツーアウトまではあっさりとしとめられてしまったが、そこから上位に戻ってフォアボールで出塁。

 ここで一打席目にホームランを打っているターナー。

 ツーアウトで、ランナーがいて、スラッガーの打席。

 直史であったら避けたいパターンである。

 二点目が入るとかなり、メトロズにとってはまずい事態になる。

 アナハイムとしてはどうにか、ここで二点目を取りたい。


 一点あれば大丈夫だと、坂本を通じて直史は宣言した。

 しかし初回から大介に打たれ、奪三振もまだ一つだけ。

 アナハイムの打線としては、もちろん追加点は取っておきたい。

 大してメトロズは、このワールドシリーズで三本もホームランを打っているターナーを、当然ながら警戒している。

 安易に敬遠してしまえば、得点圏にランナーを置いて、これまた長打力のあるシュタイナーと対決することになる。

 ここでオットーに、確実にターナーを打ち取る自信があるのか。

 

 もう一点取ってもらえれば、かなり楽になる。

 直史はそう思うが、下手に期待はしない。

 初回にいきなり援護をもらった時点で、恵まれていると思うべきなのだ。

 それよりはここで、いきなり上杉などを出してこないだろうか。

 上杉のスタミナが、ここから九回までもつのなら、もうアナハイムは一点も取れないと考えてもいいかもしれない。


 だがメトロズはさすがに、まだこの時点では上杉に準備をさせていない。

 クローザーしかしていなかったピッチャーが、ほぼ二年ぶりに先発として投げたのだ。

 その肉体へのダメージは、終盤のわずかな制球の乱れで、首脳陣には分かっていた。

 上杉自身は何も言わない。もしもコールされたら、そのままマウンドに登るだろう。

 だがメトロズ首脳陣は、まだここで上杉は使えないと考える。


 ここからターナー、シュタイナー、坂本とクリーンナップ級が続くなら、三人の誰かでアウトを取ればいいと考えるべきだ。

 体力は充分のオットーを、ここで交代させるべきなのか。

 さすがにこれが最終戦としても、まだ早いと思う。

 しかし早いと思うのは、相手のピッチャーが平均的なスーパーエースであった場合。

 奇跡のパーフェクトピッチャーを相手には、絶対にここで追加点は許さない。


 歩かせてもいいというぐらいの、そんなコンビネーションで勝負する。

 もっともブルペンでは、普段の先発陣も含め、数人に肩を作らせ始める。

 特に左のシュタイナーにまで回ったら、やはり左のサイドスローのウィッツを登板させる。

 そんなつもりでメトロズは考えている。




 外の球を中心に、際どいところへターナーは投げ込まれる。

 ボール球先行で、あわよくば手を出して引っ掛けてくれないか、といったところだろう。

 だがターナーは、下手にボール球には手を出さない。

 自分が出塁することで、さらにチャンスは広がると考えているからだ。


 ただ心配なのは、ここからシュタイナーに坂本と、左バッターが二人続く。

 メトロズは本職のリリーフの他に、左バッターに強い先発のウィッツなども、この状況では使ってくるだろう。

 三回までしか投げないのかとも思うが、ピッチャーを贅沢に使うのも、ワールドシリーズの最終戦らしいではないか。

 総力戦なのだ。

 そしてアナハイムは、直史に全てを託している。


 結局はフォアボールで出塁し、ツーアウトながらランナーは一二塁。

 あるいはここで勝負が決まるか、という場面でバッターボックスにはシュタイナー。

 ターナーの成長でやや影が薄くなっていたが、去年までのアナハイムは、このシュタイナーが主砲であったのだ。

 そしてここでメトロズはピッチャーを交代。

 出てきたのは本職のリリーフではなく、特に左バッターには打ちにくい、サイドスローのサウスポーであるウィッツだ。


 ベンチの中の直史は、自分とは直接対決しないながらも、相手のピッチャーをしっかりと分析している。

 そして左バッターにこの場面で当てるには、ウィッツが最適だろうと思っている。

 元々グラウンドボールピッチャーで、キャリアも豊富。

 左のサイドスローであり、球速のMAXも直史とほとんど変わらないぐらい。

 ツーアウト一二塁というこの状況で、どれだけ冷静にピッチングが出来るか。


 こういう時に、アメリカのピッチャーは強いと感じないわけでもない。

 アメリカに限ったことではないが、優位な状況で確実性のある人間と、不利な状況でこそ燃える人間がいる。

 だいたいスーパースターは後者であるのだが、ウィッツはおそらくそこまではいかなくても、プレッシャーには強いと思う。

 また、なんだかんだで運も重要だ。

 ウィッツの投じた五球目を、シュタイナーは打ち上げた。

 高さも飛距離も悪くはなかったが、センターの守備範囲。

 外野フライでスリーアウト。追加点はなし。


 まあツーアウトからランナーが出てクリーンナップで、追加点の期待がなかったとは言わない。

 しかしどちらにしても、やることは同じなのだ。

 全力を尽くして、失点しない。

 チームを勝たせることが、エースの最大の条件だ。

(でもやっぱり点差があった方が、取れるリスクは変わるんだけどな)

 下手に気負うこともなく、直史は三回の裏のマウンドに登る。




 メトロズはなりふり構わず勝ちにきている。

 第五戦と同じく、九番に出塁率と俊足を備えたカーペンターを配置している。

 二巡目以降の大介の前に、ランナーを置きたいと考えているのだろう。

 とりあえず先頭の八番バッターは、カーブで見逃し三振を取る。

 カーペンターはやや注意が必要なバッターだ。


 セットポジションから、ランナーもいないのにクイックで投げる。

 その初球から、カーペンターは振ってきた。

 しかし珍しくも、直史の投げた球はボールゾーンに逃げていく。

 カーペンターのわずかな気負いを、バッテリーは見逃していない。

 初回に大介がノーアウトでランナーに出るという状況で、まず失敗している。

 ならば次にはランナーがいる状況で、大介に打ってもらいたい。そう考えるのもありえることだ。

 初球からゾーンに入れてくるのが95%ほどの直史のボールを、初球攻撃するのは間違っていない。

 それによってレギュラーシーズンでは、二本のホームランを打たれているのだ。


 だがそれは、レギュラーシーズンだからという話だ。

 ワールドシリーズの最終戦で、直史はそんな統計的な、安易なピッチングはしない。

 そしてこの初球でストライクカウントを稼げたことで、後の組み立ては楽になる。

(こいつは内野ゴロは打たせない)

 俊足のカーペンターは、アベレージヒッターでもある。

 なのでストレートで押した。


 打球はふらふらと上がり、ファーストフライ。

 これでツーアウトランナーなしの状況で、大介と対決することが出来る。

(ホームラン以外なら、これでどうにかなる)

 その直史の思惑を、果たして本当に理解しているかどうか。

 傍から見れば普通に、大介にヒットを打たれた後、淡々と後続を抑えたように見える。

 だがヒット一本が出たおかげで、二打席目はツーアウトからの対決。

 単打で抑えれば勝ち、という条件がホームラン以外の長打でも勝ち、に変わっている。


 バッターボックスに入った大介の構えは、一打席目よりも大きく見えた。

 おそらく実際に、トップの位置も変えているのだろう。

 ツーアウトからなら、ホームランでなくとも長打は狙ってくる。

 次のシュミットがヒットを打てたら、二塁からなら帰ってこれる可能性があるからだ。


 直史にとって一番いいのは、もちろんここで大介を打ち取ること。

 ならば次の第三打席も、ツーアウトで対決することが出来るかもしれない。

 だが欲をかいてはいけない。

(球数を使って、どうにか抑えているように)

 大介を相手にインコースに投げる。

 危険なことではあるが、必要なことだ。

 カットボールが意外と有効で、しかし膝元の球を、大介は強振した。

 背筋がぞっとするような打球は、ライト方向へ。

 あと数歩方向がおかしければ、長打になっていただろう。

 しかしグラブに、そのボールは収まっていた。


 当たりは完全に大介が勝っていたようなものであった。

 しかし野球はどうしても、野手の正面に打球が飛んでしまうものだ。

 胸を撫で下ろす直史は、ベンチへと戻る。

 大介に打たれても後続を絶って、得点には結び付けない。

 それが事前のプランであったが、打ち取れるならそれにこしたことはない。

 次のバッターシュミットも、OPSを見れば恐ろしいバッターだ。

 大介の後ろ四人は、ほぼOPSが0.9前後。

 得点力の高いバッターを揃えている。




 四回の表、アナハイムの先頭打者は四番の坂本。

 坂本は軟投派にも強いが、ウィッツの左のサイドスローは、普通に左バッターの坂本には打ちにくい。

 なんだかんだ今年のメトロズで、一番厄介なピッチャーであろう。

 ただ打てないほどではない。

 

 二点目は必要だ。

 一点だけの方が緊張感は持続するだろうが、直史は少しでも息を抜いて投げたいだろう。

 一点差で点を取られてはいけない時も、とんでもないピッチングをする。

 だが常識的に考えて、点差は多い方がいい。

 大介の当たりも、一打席目はヒットであるし、二打席目も普通に外野の間を抜けるぐらいの当たりだった。

 坂本に通訳させた、一点でいいというのは強がり、あるいは打線への配慮と鼓舞。

 たった一点を取って、満足しているメジャーリーガーはいない。


 坂本としても、追加点は狙っていきたい。

 もし追加点がないにしても、アナハイムが押しているという空気は作りたい。

 メトロズは第五戦でパーフェクトを食らっている。

 そのダメージを思い出させる何かがほしい。


 そういったメンタル的なものを別にしても、こちらの攻撃時間は増えていた方がいい。

 試合時間が長くなれば、ピッチャーの集中力は維持するのが難しくなる。

 だがその点、坂本は直史のことは心配していない。

 信頼とかではなく、直史がそういう人間だと理解しているからだ。


 試合時間を長くすることによって、メトロズの打線の勢いを削ぎたい。

 出来ればあちらの攻撃時間は短く、こちらの攻撃時間が長ければそちらの方がなおいい。

 そのために必要なのは、まずは出塁。

 相手の打線は同時に、守備をする野手でもある。

 守備のほうに意識が向けば、それだけ直史を打つのは難しくなる。


 初球から坂本は、セーフティバントを決めた。

 一塁線へ。メトロズのファーストシュレンプは、打撃に長じてはいるが守備はさほどでもない。

 ピッチャーのウィッツも、打たせて取るピッチャーで小回りは利くが、ファーストへのカバーは遅い。

 見事なバント安打成功で、無死のランナーとなる。 

 三回に続いて四回も、アナハイムはメトロズを攻め続ける。




 攻撃は最大の防御と言うが、野球では確かにそうだな、と直史は思う。

 とにかくこちらが攻撃の主導権を握っていれば、相手はどうしても点差のことを考えるようになる。

 大介の二打席目は、確かに結果的にはアウトになったが、ボールはヒット性のものであった。

 だが確実に単打で出るなら、もっとバットコントロールで、外野の手前に落とせたはずだ。


 ビハインドのチームは、まず同点に追いつけばいいのだが、実際のところ直史を相手に、前のめりで攻撃をしてきている。

 アナハイムの打線がしっかりと攻撃して、追加点のチャンスをたびたび作るからだ。

 まずは同点という意識が薄れれば、無理なバッティングが多くなる。

 追加点を取られる前に早く追いつき、追い越さなくてはいけない。

 そんな心構えで直史を打てないだろうに。


 出塁した坂本は三塁までは進んだが、ホームに戻ることは出来なかった。

 それでも試合の流れは、アナハイム優位に動いていると言っていい。

 四回の裏、メトロズの攻撃は二番のシュミットから。

 このシュミットも先頭打者としては、なかなか厄介な者なのだ。


 マウンドの上の直史は、スタジアムの大観衆を見ていない。

 その視線の全てを無視して、対戦相手を観察し続ける。

 ここまでメトロズは大介の、初回のヒット一本のみ。

 そろそろあせってきてもおかしくはない。


 一打席目は直史の変化球に早くから追い込まれ、結局はセカンドゴロに終わったシュミット。

 だが直史はそれで、相手を甘く見る人間ではない。

 今年も30本を打っているバッターは、一撃で試合を変える力を持つ。

 ホームランというのは確かに野球の華で、一打逆転をするものなのだ。

 大介は直史から、まだ一点も奪えていない。

 それがこのワールドシリーズの、間違いのない事実である。


 シュミットはクリーンな長打を打つバッターで、直史としては苦手なタイプだ。

 だが大介ほどに人間離れした能力を持っているわけではない。

 緩急を使って、そして変化球を主体に。

 内と外を上手く使い、そしてゾーンギリギリへも投げていく。

 コールはストライクだが、シュミットとしては今のはボールだと思っただろう。

 審判のストライクゾーンは、ほんのわずかだがカウントによって変わる。

 平行カウントであれば振らなければいけないし、大介ならば振っていた。

 そのあたりが限界なのだとは思う。

 ただシュミットも、無様に三振をするわけではない。

 そして転がしてしまえば、アウトにならない可能性も出てくる。


 そんなわけで四回の裏は、先頭がなんと内野安打で出たものの、また失点にはいたらず。

 強打のメトロズと言われているが、また今日もクリーンヒットは初回の大介の一本のみ。

 ただし今日は、大介とはあと二度、最低でも対戦がある。

 ベンチに戻る直史の背中から、わずかに湯気がたって見えた。

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