第57話 三番目の男

 アーロンゾ・ヴィエラ、あるいはアロンゾ・ヴィエラはラテン系アメリカ人である。

 祖父の代にメキシコからやってきた不法移民であったが、父はアメリカ国籍を取得。

 出生地はサンディエゴであったが高卒ドラフトでフィラデルフィア・フェアリーズに三巡目指名され、プロの世界へ。

 そこから順調にマイナーを昇格し、21歳でメジャーの舞台に立つ。

 だがそこからまた数年、メジャーとマイナーの間を行き来し、本格的に先発として定着したのは、24歳の時。

 既にトレードでセントルイス・カジュアルズに移籍していた。

 そこからFA権を取ったのは28歳の時であるが、またも在籍球団はワシントン・ネイチャーズへと移っていた。

 先発の一角ではあったが、エースクラスの実力ではない、四番手か五番手。

 それがヴィエラの評価であり、FAになった時もそれほど高い評価はつかなかった。

 ところが長めにアナハイムと契約してから、ようやく花開いたと言うべきか。

 途中で契約を更改して、今年がキャリアハイ。

 34歳でありながら、まだ数年は投げられそうだ。


 ヴィエラは微妙な成績であった時期が長かっただけに、技術の吸収には貪欲である。

 もっとも直史の真似をしようとは思わない。

 根本的に基礎から築きあげた部分が、違いすぎると分かるのだ。

 日本人は裕福だからそういうことも可能なのだろう、などと思ったりもする。

 現在の日本人は別に、そんなに裕福でもないのだが。

 ただアメリカのような海外に行く層は、確かにいまだに裕福ではあるかもしれない。


 直史と坂本を含めて、首脳陣から対策案が出される。

 これ自体は既にやっていたことだが、改めて情報を更新するというものだ。

 スターンバックのスライダーは、大介に通用するのか。

 直史が言うには、通用していた、ということになるらしい。

 長打を含む二本のヒットを打たれていたが、それでもまだマシなのだ。

 ライナー性の打球で、スタンドまで届かなかったのだから。


 その上でヴィエラに対し、どういった配球で行くのかを話し合う。

 坂本はともかく直史は、敬遠するのが一番賢いと、身も蓋もないことを言ってきた。

 確かにヴィエラもそれは分かるのだが、他の前後のバッターも強打者が多いだけに、下手にランナーにも出したくはない。

 だがその辺りはもう、割り切って考えるしかないのだ。

 一番いいのがランナー二塁でファーストを埋めるタイプの敬遠。

 満塁策もかなり効果的であろう。

 危険な場面では勝負をしない。

 メジャーリーガーとしては情けないかもしれないが、それだけ危険なバッターだ。


 その判断に直史は異を唱えない。

 大介と勝負するのは、あくまでも自分だけの使命みたいなものだ。

 チームとして考えるならば、勝負は避けて当然。

 むしろ危機的場面以外では勝負するのは、大介を舐めすぎである。


 レギュラーシーズンの大介ならば、まだ相手のしようもあっただろう。

 だがポストシーズンの大介は、打率が五割以上に達している。

 もちろんだからこそ、封じないといけない相手ではある。

 ただその役割は直史が担うべきものだと思う。


 ヴィエラはある程度点を取られるだろう。

 だが直接対決してみて、直史にはかなりメトロズ打線のバッターの感覚を詳細に分析した。

 それは既に二試合対決している坂本も同じだ。

 後のことを考えれば、この第三戦で二勝目を上げるのは、かなりアナハイムが有利となる。

 と言うよりはここで勝てないのなら、かなり不利になるのだ。

 第四戦はアナハイムにとって、ピッチャーを休ませる試合。

 無理をすれば直史が投げるということも可能ではあるが、どのみちどこかで直史以外で勝たなければいけない。

 ジョーカーが手の内にあるが、その枚数は限られている。

 アナハイムの状態はそういうものである。




 ベンチの中で見ている直史は、オリバーに提案する。

「失点を防ぐより、大量点の機会を減らす方がいいのでは?」

 ふむふむとオリバーは頷いてブライアンに話しかけるが、その大量点を防ぐことこそ難しいだろうな、とは思っている。

 ただここ二試合を見て、勘違いしていてはいけない。

 メトロズは本来、打撃で相手を破壊する、ハイスコアゲームの殴り合いが得意なのだ。

 直史の完封は、あくまでも例外なことなのだと重いだすべきだろう。


 直史は今日は、万が一だが登板の可能性がある。

 終盤に、特に九回に一点差などであれば、クローザーとして頭からいくだろう。

 ただし九回に、点差を詰められてさらにランナーがいる状況では、その可能性は低い。

 忘れてはいけないが、直史はグラウンドボールピッチャーだ。

 ゴロを打たせるのが専門であって、そのゴロを打っている間に、ランナーは進塁するかもしれないのだ。


 ただ、ヴィエラのピッチングは素晴らしい。

 防げないときは素直に一点をやって、それでもちゃんと確実にアウトを増やしていく。

 短期決戦ではあまり需要のないはずの、安定したピッチャー。

 だが点の取り合いになれば、どれだけ粘り強く投げられるかが、ピッチャーの資質としては重要になる。


 初回からいきなり大介を敬遠したが、ランナーを満塁にしながら一点に防いだ。

 すると味方が、また早々に逆転してくれる。

 ホームランを打たれて連打を浴びても、集中力を切らさずに確実にアウトを積み重ねる。

 逆転されてもすぐに、打線が追いついてくれる。

 ものすごく一般的な、緊張感のあるいい試合だ。


 メトロズのスタントンも、本来はこういった試合に慣れているのだろう。

 防御率三点台でありながら、21勝もしているスタントン。

 先発登板した試合の全てに自分の勝ち負けがつくという、ある意味ものすごく珍しい記録を達成した。

 21勝6敗というのは、これだけを見ればスーパーエースだ。

 だが防御率やWHIPを見れば、それは違うなというのが分かる。

 MLBでは様々な指標があって、勝敗でピッチャーの価値を決めるのは、もはやオカルトだとさえ言える。

 もちろん直史や上杉のような、頭のおかしな数字を残していれば別だが。

 

 スタントンのピッチングも、イニングイーターに似た大量失点を避けるというもの。

 五回の表にはメトロズがまた打って、同点に追いつく。

 しかしその裏にまたアナハイムも打って、さらに勝ち越し。

 直史の目からすると、もうこのあたりで交代して、リリーフを矢継ぎ早に投入した方がいいのではと思う。

 メトロズはとにかく一勝はすれば、ニューヨークに戻るのは確定するのだ。

 だががむしゃらにこの試合を取りに来ないのは、ある程度の計算があるからか。

 相手の立場から考えれば、とりあえず直史の投げない試合では勝ちたいはずだ。

 それなのにピッチャーを出し惜しみしている?


 プロ入り一年目、直史は日本シリーズで、七試合中四試合に先発して全てに勝利した。

 その記録をちゃんと実感しているなら、直史の投げない試合は全力で取りにくるはずなのだ。

 あるいはそれは、自分の自己評価が高すぎるのか、と直史は自省したりする。

 しかし無茶な間隔で投げて、それでも優勝したというのは、紛れもない事実だ。


 まさかまだ、NPBとMLBではレベルが違う、とでも思っているのだろうか。

 確かに一年目の日本シリーズ、大介のいるライガースと対戦したなら、四先発というのは負担が大きすぎたかもしれない。

 だがこの状況で、他のピッチャーが一勝してくれれば、もう一試合は直史が、そして残りの二試合でリリーフして、勝つことは不可能ではない。

 他のバッターを甘く見ているわけではないが、かなり運の要素に頼らなければ勝てないバッターは、大介だけだ。

 あとは工夫しさえすれば、どうにか抑えることが出来る。




 メトロズの采配がおかしいと思ったのは、スタントンを七回も引っ張ったこと。

 確かに六回にも、ちゃんとランナーは出したが無失点に抑えた。

 しかしピッチングの内容と球数を見れば、もうリリーフリレーをするべきだと思うのだ。

 他にいったいどういう意図があるのか。


 ヒットとフォアボールで、ランナーが二人でた状況で、ようやくスタントンを代える。

 この継投は遅いだろう、と直史は考える。

 スタントンはこのポストシーズン、二試合に投げて二敗している。

 まさか懲罰的に、長いイニングを投げさせようとでもしたのか。

 だがそれで試合に負ければ本末転倒。

 選手の失敗とは最終的には、全て起用した監督の責任になるのだ。


 代わったのがライトマンというのも、直史には首を傾げる人選である。

 ランナーが一二塁でクリーンナップなのだから、ここは本来の順番を変えてでも、上杉を投入すべき場面だと思うのだ。

 まだ七回であっても、おそらく上杉なら三イニングは投げられる。

 このピンチを確実に無失点で抑える自信は、直史であってもない。

 シュタイナーは長打力があるし、坂本はなんだかんだ一点は取るバッティングはしてくれる。

 上杉なら三振であれ、またムービングでゴロを打たすのであれ、好きに料理できるはずだ。

 

 ライトマンは去年も今年も、途中でクローザーの座を追われたピッチャーだ。

 直史としてはいくら防御率などが良くても、勝つべき試合に勝てないピッチャーを、そうそう使うのは勇気がいると思う。

 ましてメトロズは今、一点差で負けている。

 おそらく大介に五打席目が回ってくる状況で、なぜこの一点差を守ろうとしないのか。

 愚かだと思うのではなく、純粋に疑問である。


 そしてシュタイナーがスリーランホームランを打った。

 これで点差は四点となり、ほぼアナハイムの勝利は決定する。

 大介は二打数二安打でホームランも打っているのに、やはりピッチャーが打たれると負ける。

 野球とは理不尽なスポーツである。

 ただしピッチャーが一点もやらなければ、負ける可能性はとても低くなる。

 だから直史はピッチャーをしているのだ。


 最終的なスコアは8-4でアナハイムの勝利。

 一見するとそれなりに楽そうな点差であるが、七回まではどうなるか分からない試合であった。




 坂本と一緒に首脳陣に呼ばれたため、直史はアナハイムの首脳陣の思惑を知っている。

 それはもしも第三戦を勝てたなら、第四戦は捨てるというものであった。

 いくらなんでもそれは潔すぎるというか、そこでボロボロに負けたら、続く試合に響くだろうと思ったものだ。

 だがその次の第五戦は、直史が先発である。


 第一戦は大介にヒット一本を打たれた以外は、ほぼ完璧にメトロズを封じた直史。

 第五戦、いくらメトロズは勢いづいていようと、絶対に直史なら止めてくれる。

 そんな無茶苦茶な信頼が重い。

 別にそれはいいのだ。もし直史が打たれても、こんな状況なら直史の責任ではないと思うから。

 もちろん打たれるつもりなどはないが。


 ただ先発のマクダイスや、その後を投げたピッチャーは気の毒だな、とは思った。

 序盤から点を取られて、味方の援護はないではないが、とても足りるものではない。

 メトロズの先発が、四人の柱の中では一番太い、ウィッツだったというのもあるだろう。

 捨てる試合と捨てない試合を、明確に区別している。

 アナハイムの首脳陣は、最終的な勝利のために、選手のプライドを犠牲にしている。


 ただそれは別にいいだろう、と直史は思う。

 悔しかったら打たれなければいいだけだ。さすがに一点しか取られていないのに、味方が一点も取れなかったなら、それは問題であろうが。

 アナハイムの打線は順調に機能し、ある程度抑えれば勝てるだけの点は取ってくれている。

 だがそれ以上に、メトロズの打線が打っている。


 第一戦は無得点、第二戦は三得点、第三戦は四得点。

 直史の与えた打てない呪いは、試合が重なるごとに減っているのだ。

 ホームランもポンポンと出て、マクダイスは敗戦投手のまま途中で交代。

 そしてそこから投げるリリーフも、勝ちパターンのピッチャーではない。

 メトロズはレギュラーシーズン、平均で六点以上を取っていたチームであった。

 なので勝つパターンではないピッチャーを使うと、こういう結果になるのか。

 最終的なスコアは9-5でメトロズの勝利。

 ただこれは、メトロズからちゃんと、五点は取れたという見方をした方がいいだろう。


 第五戦には直史が投げる。

 そしてそこで勝って、三勝二敗でまたニューヨークに向かう。

 移動に一日かけるため、そこを休みと考える。

 中一日の休みがあれば、直史はリリーフで一イニング程度なら投げることが出来る。


 また完全な状態に戻っていなくても、大介以外であれば、おそらくどうにかなる。

 あえて大介相手に使うとしたら、ベンチは大介を申告敬遠するだろう。

 そしてその状態から、後続を断ってくれればいい。

 そういう考えなのだろうが、メトロズはシュミットも好打者であるし、その後のペレスやシュレンプも、一発の怖い打者ではあるのだ。


 直史の弱点は、完全にボールを決め付けられて一発を狙われたら、それなりに打たれること。

 分かっていても打てない上杉とは、そこが違うのだ。

 もっとも一発を狙われていても、カーブやスルーであれば、ホームランにまではされない自信がある。

 だからもしリリーフで使われるとしたら、イニングの頭から使ってほしい。




 そんな少し先のことを考えながらも、直史は今日の試合のことを考えていた。

 単純に試合の打席だけを見るだけでは分からない、相手の選手たちの持つ個性。

 ベンチの中の様子を見ても、それが分かってくる。

 自分以外のピッチャーと対戦したとき、どういう意図で打席に入っているのか。

 それが分かれば自分が投げるとき、より効果的なピッチングが出来る。


 ピッチャーとバッターの勝負は本来、対戦経験のない初戦の方が、ピッチャーは有利である。

 対戦の経験値が積まれていくと、バッターはピッチャーのボールに慣れていくからだ。

 その例外が、直史というピッチャーだ。

 バッターの特徴などをつかんでいくと、明確な弱点があれば、そこを突くだけの技術がある。

 ただ大介のような、右腕から投げるボールであれば、まず苦手なボールがないバッターは、さすがに困る。

 正直なところ次の対戦では、一点ぐらいは打たれても仕方がないとさえ思っている


 メトロズのピッチャーから、アナハイムは何点か取ってくれるはずだ。

 第五戦の先発はまたもジュニアで、前回はなかなか得点できなかった。

 しかし先攻と後攻が変わった今、アナハイム打線にはもっと得点を期待したい。

 一番重要なのは、一回の表のメトロズの攻撃で、大介に打たれないことだろうが。


 もはやホテルのように感じるようになってしまった、病院のVIPルーム。

 試合前日の直史は、ゆっくりと眠りに就く。

 戦うための心構えは色々としていたが、最後には考えすぎない方がいい。

 その日もまた、普段どおりに眠りに入った。


 アナハイムにおける、ワールドシリーズ第五戦。

 直史のピッチングを見るために、多くの人々がテレビの前に釘付けになるであろう。

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