第56話 回復

 ※ 本日主人公がお休みのためNL編が主軸となります。

   主目線はNL編からお読みください。



×××




 ワールドシリーズ第一戦、直史の残した記録は、確かにレギュラーシーズンで残した輝かしい記録に比べれば、それほど突出したものではない。

 だが大介を擁する、MLB最強のメトロズ打線を相手に、完封したことが偉大であるのだ。

「去年もやったじゃないか」

 本人はそう言うが、去年のエキシビションマッチは、既にシーズンオフモードであったという言い訳がきいた。

 だが今年は完全に、ポストシーズンのワールドシリーズ。

 その第一戦ということで、全く持って言い訳のしようがないものであったのだ。


 大介と全打席勝負した。

 そして単打が一本だけ。

 ミスターパーフェクトからクリーンヒットを打った大介が凄いのか、アベレージスラッガーである大介を単打一本に抑えた直史が凄いのか。 

 もちろん両方が凄いのである。

 それでも判定を下すなら、チームを勝たせた直史の判定勝ちだ。

 むしろ直史の圧勝ですらあるかもしれない。


 アナハイムはニューヨークで行われる第二戦、スターンバックが先発となる。

 その朝、直史は目が覚めると、体が重いことに気付いた。

 昨日はシャワーを浴びて風呂にも入り、マッサージも軽くしてもらって、そのまま眠りに就いたのだ。

 思ったよりも疲労が溜まっていて、それに気付かなかった。

 テンションが上がっていた次の日あるあるである。

 ベッドの上で入念にストレッチや柔軟をしていると、今日も練習の時間になる。

 とは言っても昨日完投した直史に、出番が回ってくるはずもない。


 ランニングシューズでスタジアムの外周をゆっくりと回る。

 呼吸を意識して、酸素が体内を巡るように。

 キャッチボールは10球ほどして、それからまた体をぐいぐいと動かし始める。

 いつもとは違った調整に首脳陣は心配するが、今日は投げる予定はないのだ。 

 中二日ぐらいで調子を取り戻せば、しっかりと次の試合には投げられるだろう。

 今日もまた、試合は行われる。

 メトロズとしてはまさか、ホームでの二連戦を、両方落とすことは避けたいはずだ。

 何より今日投げるのは、直史ではないのだから。


 スターンバックはいいピッチャーだが、メトロズの強力打線に対抗できるかは微妙だ。

 ただサウスポーでスライダー使いなので、そうそう大介にもポンポンホームランを打たれるとは思わない。

 出来ればここで二勝目を勝ってくれれば、かなりこの先は楽になる。

 直史が意地でも二勝目を勝ち取れば、それでもう三勝となる。

 あと一勝を、どこで奪えるかという話だ。 

 もっとも今日、勝てたらという話である。


 


(今日の向こうの先発はオットーか)

 ピッチャーの力を比べてみれば、明らかにスターンバックの方が優る。

 昨日の試合、メトロズはジュニアを出してきたわけだが、はっきり言って選択を間違えていた。

 直史を相手にして、勝つためのピッチャーを使ってはいけない。

 とは言ってもメトロズは、初戦にエースクラスを出さないという選択を取れなかった。

 オットーかスタントンを使っていれば、直史が投げる以外の試合で、もう少し楽に勝てたであろうに。


 初回のアナハイムは、またも二番ターナーが当たって、一点を先制した。

 ただ今回の一点は、本当にただの一点。

 先制を許した、という以外の何者でもない。

 その一点だけでアナハイムの攻撃は終わり、そしてメトロズの攻撃。

 先頭カーペンターは、外野フライで打ち取られる。

 そして二番、怪物的バッター大介の登場。

 昨日もあったスタジアムが唸るような大歓声。

 悪夢は一晩で終わり、希望の輝きが生まれているのだ。


 大介をバッターボックスに迎えて、スターンバックは事前の分析を思い出す。

 完全無欠で攻略法らしい攻略法がない大介であるが、一つだけ明確な弱点がある。

 サウスポーのスライダーを、打てない場合がある。

 もっとも単にサウスポーのスライダーならいいわけではなく、他の左バッターもガンガンと抑えていくようなスライダーのピッチャーだけだ。

 スターンバックは確かに、スライダーを使う。

 だが左バッター相手に、そこまで圧倒的な制圧力を持っているわけではない。

 それでも一点リードの今、試す価値はあるだろう。

 上手く大介を抑えることが出来れば、この第二戦も勝てておかしくはない。

 二勝してアナハイムに帰れば、三試合のうち二つを勝ってワールドチャンピオンだ。

 まだそんな経験がないスターンバックは、ひそかに燃えている。


 初球からスライダーを放り込んだ。

 鋭く内角に突き刺さるスライダー。

 ただ大介はその軌道を読めていたようで、大袈裟に避けたりすることもなかった。

 ゾーンに入ったストライクだ。


 無反応であるというのは、ピッチャーには判断が難しい。

 他のバッターなら完全に捨てていたとでも思っていいのだろうが、相手は史上最強のバッターだ。

 ここまで対戦がなかったのは、本当にただの幸運。

 リーグも違えば地区も違う。

 メトロズと戦わなくて済んだだけで、ア・リーグ西地区のピッチャーは得をしたと言われるほどである。


 二球目をどう投げていくか。

 自分ならば、とは直史は考えない。

 自分には左ピッチャーのスライダーという武器がないからだ。

 プレートの端を使っても、どうしてもサウスポーのような角度は出せないし、変化もそこまで大きくはない。

 シンカーはそれなりによく動くが、大介相手には通用しないだろう。


 そう思いながら眺めていたが、大介に投げられた球はスライダー。

 それを叩いて打球は、ライトフェンスを直撃。

 あとわずかに角度が変わっていれば、間違いなくホームランになっていたボール。

 だがホームランとツーベースの間には、深くて広い溝がある。

 点が入るか入らないか、という明確な区別だ。


 後続もなかなか粘ったが、大介は三塁ベースに到達するのが精一杯。

 アナハイムが先制した裏に、早くも取り返されるという事態は避けられた。




 ベンチの奥に控えて、直史はもどかしさに耐えていた。

 いざとなればブルペンに行って、キャッチボールをするという小芝居もする予定であったのだが。

 もちろんそれは試合展開次第で、実際にやってみるつもりではある。

 だが一試合を投げきった次の日に、やるような手ではない。


 実際に一点か二点リードして、試合の終盤に入ったら。

 そしてそれが今日でなければ、ブルペンに行くまでのことは普通にしただろう。

 ただここでそのブラフを使うと、後の効果が薄くなりかねない。

 この試合は先制点も取ったし、大介の第一打席にもホームランを打たれずに済んだ。

 アナハイムとしては、悪くないスタートである。


 スターンバックとヴィエラは、アナハイムでは直史に次ぐ柱となるピッチャーだ。

 対してメトロズは、オットーを先発に起用してきた。

 直史からするとピッチャーとしての力は、スターンバックの方が上。

 だが打線の援護としては、明らかにメトロズが上なのだ。

(七回までを二点に抑えたら、充分に仕事をしたと言えるかな)

 ハイクオリティスタートを、メトロズ相手に求める。

 さすがに厳しいかな、と直史は思う。

 自分自身は当たり前のように、完封を狙っているのに。


 直史はどうしても、自分が天才だとは認めたくない。

 そんな安易な言葉で、自分の努力を表現してほしくない。

 もっとも努力という言葉も嫌いで、工夫と言ったりはするが。

 なぜ自分がここまで点を取られないか、考えたことはある。

 それは野球が、頭でやるスポーツだからだ。


 他のスポーツが、頭を使わないとは言わない。

 だが咄嗟の判断というのが、野球は時間が止まらないタイプの球技よりも少ない。

 直史は自分で思っているより、咄嗟の判断力は高い。

 だがデータを蓄積して、そこから正解を導き出すというスポーツの方が、より得意である。


 データに基づいて、相手を攻略する。

 そのために必要なボールを、年月を重ねて磨いてきたのだ。

 カーブから始まって、各球種。

 そして魔球を手に入れた。

 チェンジアップの効果的な使い方に、スライダーを大きく変化させた。

 そしてMLB用にはツーシーム。


 何より大事なのはコントロール。

 単純にゾーンに投げるというのではなく、ゾーンの一点を狙って投げるコマンドの能力。

 ストレートはもちろん変化球でも、これが出来なくてはいけない。

 そしてコースだけではなく、変化量、緩急、スピード。

 それを追求していたら、いつの間にかそれは、他のピッチャーには出来ないことになっていた。


 直史は、他のピッチャーにピッチングを教えることは出来る。

 だが自分のピッチング技術は、教えることが出来ない。

 なぜならそれは、他のピッチャーがやると壊れるから。

 実の弟である武史にすら、ほとんど自分の技術を教えることはなかった。


 武史の長所が自分とは違うように、スターンバックの長所も自分とは違う。

 ただ期待していたのは、スターンバックのスライダーなら、大介を封じられるのではないかということ。

 早速長打を打たれてしまったが、結論付けるのはまだ早い。

 ホームラン未満に抑えられるなら、充分に価値はあるのだ。




 イニングが進むが、大介はホームランを打たない。

 やはりスターンバックは、大介との相性は良さそうだ。

 これはこの試合では通用しなくても、後の試合で通用するかもしれない。

 スターンバックと自分で、継投をする。

 ならばどうにか、アナハイムの得点力はメトロズの得点力を上回るのではないか。


 一応現在の予定では、直史は第五戦に中四日で登板となっている。

 第三戦はヴィエラ、第四戦はマクダイスで、第四戦はかなり捨て試合に近い。

 第六戦はスターンバック、第七戦はヴィエラで、三人は二試合以上に投げる。

 ただどちらに白星がついていくかにもよるが、直史の二試合目で三勝目に至ったら。

 そしたら第六戦をレナードあたりに任せて捨てて、第七戦をスターンバック、ヴィエラ、直史の三人で取りにいけばいいのではないか。

 もっともそこまで都合よく先行して三勝出来るかは微妙だし、出来たとしても決めるのは首脳陣だ。


 メトロズの長所と言うかストロングポイントは、おそらく大介ではなく、上杉の使い方になると思う。

 クローザーは基本的に九回を投げるものであるが、上杉は本来は先発。

 なので一イニングだけではなく、回またぎでも平気で投げられる。

 その姿はポストシーズンでも見たものだ。


 リードされた状態で終盤に突入すれば、直史が投げても逆転は出来ない。

 ピッチャーは不敗のピッチングは出来るが、必勝のピッチングは出来ないのだ。

 アナハイムの首脳陣ももちろん考えているだろうが、こういう悪巧みは坂本あたりが向いている。

 樋口も悪辣であったし、ジンも辛辣であったりと、キャッチャーというのは抜け目のないやつが多い。

 そういえば秦野も元はキャッチャーであったか。


 上杉から正攻法で点を取る方法。

 一応NPB時代に上杉は、ちゃんと先発した試合で負けていることがある。

 主に下位打線に抜いた球を投げて、それがホームランになったり、エラーなどが絡んだ時のことだ。

 自分一人でチームを背負った気になって、そして実際に背負っていた。

 なのでどうしても、無理をしてしまったのだ。


 同じパワーピッチャーでも、武史はかなり楽をしていた。

 そういった諸々の蓄積が、肩の故障となって出てしまったのだろう。

 このポストシーズンの舞台で、上杉から点を取る。

 それはおそらく二年間も離れていた、長いイニングを投げさせること。

 上手くすればそれで、四イニングほどすれば失投を誘えると思うのだ。

 希望的観測に過ぎないが。




 直史がちゃんと自分が大介に勝つことだけではなく、また自分の担当した試合に勝つことだけではなく、ワールドチャンピオンになることを考えていた。

 珍しくも利他的なことを考えていたため、あるいは完全に自己満足で考えていたため、試合はメトロズが逆転していた。

 いやもちろん、本質的にはそんなことは関係なく、メトロズ打線がリリーフのルークを打ったのであるが。

 大介を敬遠しても、後ろに長打を打てるバッターがいる。

 ただポストシーズンで重要なのは、長打よりも期待値だ。

 ホームランよりも犠牲フライが、重要になる場面もある。

 一点を争う今日のような試合では、まさにそうだと言えるものであった。


 そして九回の表、アナハイム最後の攻撃に、メトロズは上杉を投下。

 そこから先の展開は、もはや見るまでもなかった。

 三者三振でシャットアウト。

 今季何度も見られた光景であった。


 試合後のインタビューまでも、直史はロッカールームで着替えながら見ていた。

 とりあえずこれで、ニューヨークでの二試合は終了。

 都合よくスターンバックが大介を抑えてくれないかと考えていたが、それは甘い考えであった。

 果たして二つ目の勝ち星を、どこで上げるべきか。

 第四戦はマクダイス先発の、リリーフ陣を継投でつなぐ試合となる。

 それで大介を筆頭とするメトロズを抑えられるのか。

 案外そこで大介を敬遠し、なんとか点をロースコアゲームに出来るかもしれない。

 ただ直史としては、第三戦のヴィエラに期待したい。


 ヴィエラは数字的に見れば、アナハイムの第三のピッチャーだ。

 だが各種指標の数字を見れば、立派なエースクラス。

 そして防御率や奪三振率、そしてWHIPもスターンバックには負けているが、それでもベテランとしての経歴は長い。

 スターンバックに比べると、被本塁打率と、ゴロの確率が高いのだ。

 つまり打たせて取るタイプ。

 メトロズはどちらかと言うと、パワーピッチャーを粉砕するのに長けている。

 上手く打たせて取って、継投で大介のところで出血を少なくする。

 そうすればどうにか、勝ってくれるのではないか。


 直史が四試合に投げて、四勝するわけにはいかない。

 必ずどこかで、直史以外で勝つしかないのだ。

 なんなら第三戦、短いイニングならリリーフで投げてもいい。

 さすがに第四戦は、連投になるので避けたいところであるが。


 一勝一敗というのは、直史の考えていた予想の範囲内だ。

 明日は移動日であり、そして一日空いた翌日が、第三戦の日である。

 ヴィエラもであるがリリーフ陣も、メトロズをどう抑えるか。

 いや、今日の3-2の結果というのは、投手陣が悪かったと言うより、打線に問題があったと言うべきだろう。

 アナハイムはレギュラーシーズン、平均で四点以上は取っているチームだったのだ。

 それが二点しか取れていない。

 四点取れていれば、4-3で勝っていた試合なのだ。

 もちろん点差がそうなっていれば、試合の展開も変わっているのであろうが。




 士気は衰えないまま、アナハイムは本拠地へと帰還した。

 確かに第二戦負けはしたが、メトロズを三点に抑えたのだ。

 それにそこそこ手ごたえを感じるのはいいが、だからといって安易に考えてはいけない。

 四点取れなかったことを、首脳陣は問題としていた。

 実際メトロズ打線を三点に抑えたのは、レギュラーシーズンでは五試合だけ。

 一番多い試合は、六点を取ったという試合。

 そんなチームを三点に抑えたのだから、投手陣は仕事をしていた。


 打線もそれなりにヒットを打っていたので、二点しか取れなかったというのはあくまで結果論。

 ただ直史が投げた試合も、取ったのは二点だけであった。

 ピッチャーからすれば三失点で敗戦投手にはなりたくないところだろう。

 実際に二戦目の負け星は、先発ではなくリリーフのルークについたのだが。


 移動したその日、直史はまた病院の方へ向かったが、もう瑞希はおおよそ回復している。

 いつ退院しても、もう問題ない状態ではあるのだ。

 ただそれでも出産後一ヶ月、体が完全に元通りに動く状態ではない。

 この辺りは直史も、妻を甘やかす夫であった。

 金で楽に育児が出来るなら、いくらでも楽になればいいというものだ。

 ただ楽にする方法ばかり知っていると、楽を出来ない時に、困ったりもするのだが。


 退院の日は、ワールドシリーズが終わってから。

 そして直史は、ワールドシリーズはアナハイムでは終わらないだろうと思っている。

 第五戦に直史が勝ったとして、他を負けていたら二勝三敗。

 どうにかして勝つにしても、第三戦と第四戦、両方を勝つのは難しい。

 だから決戦は、またもニューヨークになるはずなのだ。


 重要なのは第三戦。

 ヴィエラがなんとか勝ってくれないと、残りの試合は厳しくなる。

 直史がプロに来なかった理由の一つ。

 自分がいくら頑張っても、チームとしては優勝出来ない、という自体が充分にありうるのだ。


 移動に一日をかけて、その日は軽く調整だけをした。

 この日の試合は、まだ空に青みが残る夕方から始まる。

 もちろんそれまでに練習はあり、疲労が残らない程度には直史も動く。

 ただ万一にも怪我をするような練習は、ここではもうしないのだ。


 キャッチボールから始まって、ブルペンキャッチャーを座らせて軽く投げる。

 体の重さははっきりと消えていて、今日でも充分に投げられそうではある。

「試合の展開によっては、投げてもらうかもしれないな」

 FMのブライアンは冗談でもなく、本気そうにそう言った。


 首脳陣にバッテリーなども合わせて、本日の攻略について考える。

 メトロズ打線の攻略と言うが、主題は大介をどうやって抑えるかだ。

 昨日の試合までの大介の、今年のポストシーズン成績は、打率0.580で18本のヒットのうち5本がホームラン。

 単打よりも二塁打が多いという、長打お化けとなっている。

 これをどう単打に抑えるか、あるいはホームランだけはなんとか避けるか。

 サンフランシスコからもトローリーズからもホームランを打っている大介だが、ワールドシリーズ二試合ではまだ、ホームランは出ていない。

 たとえ打たれても、ソロホームランなら仕方がないと言ったところだが。


 妥協はどうしてもある。勝つために必要なことだ。

 そしてその妥協することを、ベテランのヴィエラは許容する。

 蜘蛛の糸のように、大介の打棒を封じることが出来るだろうか。 

 アナハイム第三のピッチャーの挑戦が始まる。

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