第55話 第四打席
ロースコアゲームとなった。
2-0でリードはしているが、アナハイムも大きなチャンスで一点しか取れないなど、もったいない場面が多い。
それに対してメトロズは、まともにランナーも出せないし、出せたとしても二塁に進めない。
直史にとっては日常的なことだ。
メトロズにとってはもちろん非日常的なことである。
映像や成績から、とてつもないピッチャーだとは分かっていたし、そもそもスタメンのほとんどは去年に対戦経験がある。
だがあれはワールドシリーズも終わって、気が抜けていたから打てなかったのだと、必死で思い込もうとしていた。
実際には今シーズンが始まって、早々にとんでもない記録を打ちたてたため、警戒はMAXになっていたが。
ポストシーズンに進出が決まってからは、早々に対策を立てていた。
アナハイムは他にも何人かいいピッチャーがいるが、メトロズの打線で打ち崩せないほどではない。
ただそれでも、殴り合いになって負けることはありうることであった。
最初から直史が投げる試合を、全て捨てるという選択肢は、さすがになかった。
いや、一度は考えたのであるが、NPB一年目の直史の、日本シリーズでのピッチングを見たからである。
プロの世界で連投して、そして二戦目でパーフェクト達成。
完全状態の直史を打つのは難しくても、疲労が蓄積した状態ならば打てなくてはまずい。
その程度のことは考えて、しっかりと分析して、この試合にも挑んだのだ。
この試合もおおよそは、三球目までは投げさせている。
だがその狙いが分かると、長打にしにくい程度の変化球で、カウントを取ってくる。
まともに球数を投げさせることに成功したのは、大介だけだ。
あとはもう一人、フォアボールで塁に出たが、それもまた打順調整のために歩かせただけ。
ツーアウトからランナーを出すことで、ツーアウトで大介を迎えられるなら、それで充分にリターンにはなっている。
ラストバッターを大介にした。
これはもちろん、そのつもりで行ったわけではない。
他のバッターにもヒットを打たれていたら、また打順調整をして、大介は八回のツーアウトに打順が回ってくるようにしていただろう。
だが歩かせるのは一人で充分だった。
つまりメトロズの強力打線は、直史の前に全く機能していなかった。
去年のエキシビションマッチと同じように。
直史の内心がどうであれ、結果から導き出される思考は簡単だ。
大介以外は、モブで、雑魚で、警戒の対象ではない。
計算通りに投げていたら、何の危険もなく処理することが出来る、分かりやすい障害。
内野ゴロと内野フライが多いが、三振も八つ奪っている。
完全に統計的に処理された、数字でしかない存在。
直史のピッチングは、混沌であり、混乱である。
人を絶望させるが、それ以上に発狂させる。
人間離れしているというなら、むしろ上杉の方が分かりやすい。
手の届かない存在と、諦めて割り切ることが出来る。
だが直史のやっていることは、それぞれは誰かが出来る技術だ。
それを組み合わせて、結局は打てないピッチングを組み立てる。
頭がよくないと出来ないことであるし、恐ろしく分析力も洞察力も、そして直感性も高い。
なんだかんだ言いながら一番厄介なのは、この直感というものである。
統計は確かに野球において重要な要素だが、逆に頼りすぎてもよくない。
異常値が一つの試合や一つのプレイで、確実に出ることはある。
そしてたった一つの例外によって、試合が決することはあるのだ。
試合の趨勢は決まった。
だがワールドシリーズはまだこれが第一戦であるし、決まっていないものもある。
男同士の対決の決着だ。
(さて)
(さて)
直史と大介は考える。
一方は勝つか負けるかを。
もう一方はどうやって勝つかを。
圧倒的に有利なのは直史。
だが勝つための執念は、大介の方が上回る。
直史には選択肢が多い。
ただその選択の後に、どういう結果がついてくるかが問題なのだ。
勝つか負けるか。
勝つとしてもどういう形を理想とするか。
とりあえず今の直史の力は、もう大介を確実に三振か内野ゴロで抑えられるほど、圧倒的なものではない。
特にカーブを、あっさりとヒットにされたのには参った。
ランナーが三塁の状態で大介と対決するなら、おそらくタイムリーを簡単に打たれる。
カーブ以外のボールならまだ分からないが、楽観視は出来ない。
スルーをもうカットされているというのが、かなり絶望的だ。
もっともそれらは、球種を単体で見ていった場合のこと。
コンビネーションをどうするかによって、どうにか打ち取れるはずだ。
元々内野ゴロを打たせる今のスタイルも、ある程度は打たせることを想定したもの。
大介に対してもそのスタンスで挑むしかないのだ。
そんな直史に対して、大介はホームランだけを狙う。
この試合はもう負け試合だ。それは分かっている。
今さらもう一本ヒットを打ったとしても、大介でもヒット一本を打つのが精一杯という現実が残るだけ。
長打がほしい。それも出来ればホームランが。
直史から点を取ったという実績がほしい。
NPB時代もホームランは打てなかった。
むしろ高校時代の紅白戦などより、ヒットすらも打てなくなっていた。
それは直史が高校時代より、明らかに強くなっていたからだ。
ただブランクがあってなお、封じられたのには参った。
半年ほどは時間があったが、それで通用するほど、プロの世界は甘くはないと思っていたのだが。
ホームランか、あるいはそれに近いほどの打球で外野を越す。
いいイメージを持ったまま、次の試合を戦いたい。
もっとも結局のところ、大介しか打てなければ、それはどうしようもないことだ。
第二戦にどういう影響が残るかは心配である。
直史はようやく、勝敗を気にせずに大介と戦うことが出来る。
だがこの試合の勝敗はともかく、次のことも視野に入ってくる。
自分が次に投げる試合と、他のピッチャーに任せる試合だ。
単に勝つだけなら、それはいくらでも勝てる。
大介とは勝負しなければいい。
だがその選択を、直史はしてはいけない。
また自分が勝ってもチームが優勝出来なければ、それは喜びも一割減といったところだ。
あと一試合の先発で勝ったとして、まだ二勝目。
もう日本シリーズの時のような無茶はするつもりはない。
あと二勝、他のピッチャーで勝ってもらう。
そのためにはメトロズの打線を、次に引きずるような敗北に追い込まないといけない。
だがメトロズ相手には、今日の試合が今季初めての対決となる。
主にヴィエラとスターンバックで、どの程度の勝機があるのか。
それを増やすためにも、少しでもダメージが残る方法を考えないといけない。
一番いいのは大介が調子を崩してしまうことだ。
これは大介と勝負をするということとは、全く別の話である。
大介を封じられるなら、メトロズの攻撃力は半減する。
封じなくてもせめて、少しでも不調にすることが出来たら。
(でもそうやって負けると、逆にパワーアップするようなやつなんだよな)
直史としても頭が痛い。
今日のここまでの三打席は、三打数一安打と、普通のバッターなら普通の成績だ。
だが大介からすると、得点出来ていないことが問題なのだ。
ホームランにこだわっているわけではない。
ランナーがいたり次の打者が返してくれるなら、それはそれでいいのだ。
だが直史相手にそれを望むのは、大変に難しい。
まだこれでノーアウトであったりすると、後ろが凡退してている間にも、進塁打としたり犠打としたり、やりようはあるのだが。
それとランナーが二塁にいれば、外野の頭さえ越せば一点にはなる。
そういった状況を、直史は作らない。
どれだけ計算高いのだと思われるかもしれないが、これにはリスクもあるのだ。
強打者相手に満塁策で敬遠し、それが裏目に出るということがあるように。
ただ直史の場合は、それが全くない。
(これで打てなければ、余計に味方は萎縮するだろうしな)
バッターボックスに入った大介は、既にセットポジションに入っている直史に向かう。
この日最後の対決。
既にこの時点で、直史は判定勝ちは決まっている。
あとは意地と意地のぶつかり合いだ。
リリースポイントからの軌道を予想して、大介はスイングを止めた。
やや内よりの真ん中から、沈むように伸びる球。
スルーは低めに外れて、まずはボール。
直史は内心で舌打ちする。
大介は間違いなく冷静だ。
これまでならば今の球も、低めではあるが手を出していただろう。
前提条件が厳しくなってくる。
ここでフォアボールを選んで塁に出ても、メトロズの攻撃に未来はない。
無理に打てばホームランも打てなくはないと思ったのだが、そこでバットを止めた。
ゾーンの中だけで勝負しなければいけないのか。
直史は大介を敬遠はしない。
だがボール球を投げないわけではないのだ。
他のピッチャーであれば大介も、普通に打っていっただろう。
しかし相手が直史で、ホームランでも打たないことには意味がないと、はっきり分かっているのだ。
ホームランを打ったとしても、この試合自体はもう決まっているのだが。
二球目に投げられたのはカーブ。
落差のあるカーブは、ゾーンを通ったはずだ。
判定はストライクであったが、大介はバットを動かしもしなかった。
ワンボールワンストライク。
カウントを稼ぐのに、やはりカーブは使える。
二打席目にはヒットを打っていたが、やはりカーブを打ってもヒットにしかならないと思ったのか。
直史としてもここでカーブを打たれてヒットになったとしても、それは想定の範囲内。
大介がカーブをホームランに出来ないのなら、それはそれでいいのだ。
なんとか打ち取りたいとは思っている。
三振か内野ゴロ、内野フライなら自分の勝ち。
ライナーで野手の正面に飛んだとか、外野の守備範囲ぎりぎりであれば、どちらにも課題が残る。
ホームランかフェンス直撃の長打なら、大介のバッティングは明日につながる。
(これでどうだ)
直史の投げた球に、大介はわずかにバットを動かした。
しかしスイングにもならないように、そのボールを見送る。
スピードがあるところからの、急速な減速によるスルーチェンジ。
ここは見定めたのではなく、直感で見極めた。
組み立てならともかく、直感勝負なら負けはしない。
これでまたもボール先行。
(追い込んでから、ゾーン内に打てる球を投げてくるかな?)
そう思ったところへ、アウトローにツーシーム。
打っても長打にならないと思って、見逃してツーストライク。
これで追い込まれたとは思わない。
重要なのは難しいボールは、カットして逃げてしまうということ。
そして読みに従って、打てるボールを打つ。
ホームラン以外はいらない。
大介は徹底している。
アナハイムベンチとしては、正直もう敬遠してしまいたい。
別に直史は、敬遠するのを嫌がっているわけではないのだ。
敬遠はベンチからの指示であり、ピッチャーがどうこう言うものではない。
だがMLBではポストシーズンのエースピッチャーには敬意を払う。
合理主義と共に、掟のようなものも残っているのだ。
それはアメリカが、真に深い歴史を持っていないからだとも言われている。
別にこれはアメリカだからとか日本だからとか、そういうものでもないだろう。
それに采配を取るFMの方針にもよる。
勝利にとことんこだわるFMもいれば、それよりは勝負によって観客を喜ばせることを考えるFMもいる。
また自分のチームのエースであるならば、その立場を崩すようなことはしない。
直史は今年の開幕二戦目から、アナハイムのエースとなった。
そしてベンチの判断が難しい場面というのを、一切作ってこなかった。
この状況でも冷静に考えれば、別にどちらでも構わないのだ。
敬遠しても既に三打席は勝負している。
そしてホームランを打たれても、2-1とアナハイムが勝っている。
直史はホームランを打たれても、それで動じることはない。
だから判断の難しさは、それこそ直史の考えているような、次戦以降のこと。
そして直史にどれだけの球数を投げさせるかということだ。
次に投げる予定は、第五戦となっている。
中四日であるが、レギュラーシーズン中もこれぐらいの間隔はあった。
それにラッキーズとの登板から中五日と考えても、その時は短いイニングしか投げていない。
球数も100球を超えたところで、疲れた様子は見せていない。
ただ直史も坂本も、大介を攻めあぐねているのは分かった。
難しい球をカットされて、際どい球もカットされる。
これまでの大介のような、スカッとかっ飛ばすものではないのだ。
レギュラーシーズン中は、散々に逃げられていたため、難しい球でも強引に打ってヒットにしてきた。
だがこの試合では明らかに、一打席の意味が変わっている。
いっそのこと直史を降板させて、などというバカなことも考えた。
それで次のシュミットにホームランでも打たれたら、2-2の同点になってしまう。
「難しいな」
「大丈夫です」
ナオフミストのオリバーは、曇り無き眼でそう言った。
「神が与えた試練です。いや、試されているのはむしろ我々。神は信仰を試すものですから」
オリバーはアメリカ人として一般的なキリスト教徒であるが、明らかに言動がおかしい。
普段の判断はまともなため、特に問題視はされていないのだが。
チームのエースが投げているとき、ピッチングコーチの意見が全く参考にならない。
これはこれで立派なホラーであった。
タイムを取って坂本がマウンドにやってきた。
「もう歩かせちゃった方がよかろうが」
「いや、単にホームラン未満の打球にするなら、ちゃんと切り札はあるんだ」
「……この先に使うがか?」
「そのはずなんだけどな」
直史はエリクサーをもったいなくて使えないタイプの人間ではない。
ただ、先のことを考えるなら、普通に打たれても仕方がない。
全力のボールを投げたとして、それがどう打たれるかというのも、試しておくべきことなのだ。
打たれたからこそ、次に進めるということもある。
「だから……で……」
「分かった」
坂本としては、それで本当にどうなるのかは分からない。
ただ彼が確信しているのは、ホームランを打たれても直史は崩れないであろうということ。
ならばそこから次のバッターを打ち取って、試合を終わらせることが出来るということだ。
坂本がマウンドに行くなど、直史の投げる試合では他にあっただろうか。
織田に打たれた時はどうだったかな、と大介は記憶を探る。
だが坂本はまた、平然とした顔で戻ってくる。
そしてキャッチャーボックスの中で、ミットを叩いた。
直史が投げたのは、またもスルーチェンジ。
低めに外れて、これでフルカウントになる。
ここからあえて際どいところを攻めて、見逃し三振を狙うというピッチャーもいるだろう。
だが大介はもうこの試合に関しては、後続のバッターには期待しない。
バットを止めることも出来た。
ここからはまだ際どい球は、カットしてファールにしていく。
右打者に投げるスライダーほどの変化する球があれば別だが、直史のシンカーはもっと遅いスピードしか出ない。
ツーシームならなんとかついていける。
速い球が来るはずだ。
だがそう思わせておいて、スローカーブなどの場合もある。
速い球にタイミングを合わせておいて、遅い球ならカット。
大介はそう考えて、ゆっくりと息を止める。
これで決める。
直史がそう考えて投げたのは、スルーだった。
高めから真ん中に変化してくる、伸びは凄いが打てなくはない球。
大介もそう考えて、完全に捉えていく。
バットから伝わるコンタクト時の衝撃は、全身を震わせるほど。
打球はやや低く、右方向に飛んでいく。
セカンドは反応できず、ライトは反射的に手を伸ばす。
グラブの中に入ったボールの衝撃で、そのまま腕が引っ張られてその場に倒れる。
外野まで飛んできて、これだけの威力が残っているのか。
それでも離さなかったのが、メジャーリーガーの意地だ。
しかし正直もう少し左右にずれていれば、届かなかったであろう。
スリーアウトゲームセット。
大介は四打席一安打ながら、その打球の二つはヒットになってもおかしくないもの。
ただそれでも、数字として残るのは単打が一本。
打点も得点も0で、アナハイムは2-0で第一戦を勝利した。
スルーを高めから真ん中に投げれば、意外とと言うか、大介のレベルスイングでは打球を高く上げるのは難しい。
直史はちゃんとそれに気付いていたのだ。
出来れば使いたくはなかった、初見殺しの中の一つ。
ただこれによって、強力メトロ打線をわずかワンヒットに抑えた。
球数は104球。もう少し我慢すればと言うか、故意のフォアボールがなければ、これもマダックスであった。
直史は試合後のインタビューで、球数について質問を受けた。
正直二試合分ほど投げた気分なので、出来ればこれも避けたいぐらいであったが。
途中のフォアボールは、崩れかけたのかという質問もある。
もっとも試合の結果から逆算して、あれはわざと歩かせたのだな、と気付いている記者もいたが。
ただそれをそのまま質問しても、絶対に直史は否定するだろうことは分かっている。
それよりも注目するのは、準ノーヒットノーランとでも言うべき投球内容だ。
大介のヒット一本以外、ランナーとして出たのはフォアボールが一つ。
ただ今日の直史は、全く安心して勝てたなどとは思わなかった。
「今日の試合は本当に、打線が早めに援護してくれて、あとは守備が頑張ってくれた結果だから」
実際に大介の打球を、フライ以外はよくも捕ってくれたものだ。
奪三振が八つなので、それなりに直史も自分の力で三振を奪っている。
だがそれでも球数は、直史にしてはやや多めであった。
「次はもっとタフな試合になると思う」
そう答える直史の表情は、いつものような取り繕った無表情ではなく、本当に疲れが見えるものであった。
同じように負けた方にも、マスコミはコメントを求める。
特にニューヨークはメトロズのフランチャイズ。
このホームでの第一戦に負けたことが、今後の試合にどう影響してくるかどうか。
「当たりがよくても、点が入ってないことが全て」
大介としては唯一のヒットを打ったことなど、別に誇れることでもないのだ。
「ただ、相変わらず立ちふさがる壁であってくれて嬉しい。次は必ず打ってみせるという気持ちになるから」
今日は負けたが、また明日も試合がある。
そして今年が終わっても、また来年がある。
直史がアメリカにいてくれるのは、三年間。
この時間を有効に楽しむためには、まだまだ磨かなければいけないことがある。
今日の直史の投げたボールのことを、大介は考える。
一本は外野までフライを打ったが、あとはライナー性の打球になっていた。
大介はいつもレベルスイングで、そこからしっかりとスタンドまで持っていく。
レベルスイングに見えてはいるが、実際はアッパースイングの要素があるのだ。
ただ今日は、最後がライトライナー。
もしもあれが左右に少し動いていても、フェンスまでの打球であった。
ホームランにはなっていない。
直史の計算内で、自分は打たされたのだ。
一人になって、スタッフの運転する車で、マンションに戻る。
その中で考えるのは、どうやれば直史に勝てたか、ということだ。
アナハイムにではない。直史にだ。
ホームランを二本打つか、それが無理でも長打を打っていれば、どうにか点にはつながっていたかもしれない。
いや、点にはならなくても、他のバッターへの希望にはなったろう。
あのライトライナーで終わりというのは、かなり微妙なものであったと、自分ながら思っている。
どうやってこの、頭の中にこびりついた残像を消して、明日の試合に備えるべきか、大介はひどく迷っていた。
×××
※ 本日のNL編は、主に他者視点になります。
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