第42話 変幻
色々な都合で大介が一番打者をやっている今、世界一の一番バッターは大介である。
だがそれを除けば、他の誰がリードオフマンとして優れているか。
織田のよな打率と出塁率を兼ね備えた、誰もが認める一番バッターは分かりやすい。
しかしMLBの大舞台においても、アレクのバッティング技術は異色である。
とりあえず通用するのは、純粋なスピードボール。
だがそれにもある程度は対応するし、難しい変化球をあえて打つ。
フォアボールの出塁は、ピッチャーに球を投げさせるだけ投げさせた上の出塁なので、単打よりも価値があるとする人間もいる。
だがアレクにとっては、それは楽しい野球ではない。
NPB時代もパ・リーグにおいては、だいたいずっと最多安打のタイトルを取っていた。
フォアボールを選べる選球眼がないわけではないが、それよりもずっと特殊な考え方。
バッティングの楽しさを、アレクは極めている。
あるいは大介以上に。ブラジルのラテンの血が騒ぐのかもしれない。
かと言って打率が低いわけでもなく、相手の勝負球をあえて打って行く。
これもまた一番バッターの一つの形である。
特に調子のいいピッチャーからは、上手くヒットを打って、そこから足でかき回す。
出塁はフォアボールの方がいいなどとは、アレクは信じていない。
ヒットを打たれたほうが、普通のピッチャーは嫌なのだ。
そんなアレクであるが、今日の直史はパワー寄りのピッチングをしている。
アレクに対しては初打席から三連続スルーなど、正面から叩き潰す勢いだ。
直史にとってどういうバッターが嫌なのか、アレクは分かっている。
基本的にどんな球でも打ってヒットにしてきて、しかも甘く入ると長打まで打ってくる。
つまり自分のようなバッターだ。
そのあたりが関係しているのかどうかはともかく、直史は今季ここまで、テキサス相手にひどいことはしていない。
蹂躙も陵辱も破壊もしていない。
初戦でちょっぴりマダックスはしたが、それも四本のヒットは打たれていた。
二戦目は球数もかさんで、八回で交代している。
ア・リーグ西地区のチームの中では、やはり特別にオークランドが酷い目に遭っている。
もっとも二試合残っているヒューストンは、これから酷い目に遭うのかもしれないが。
とりあえずテキサスは、この試合をどうにかマダックス程度に……と言うのもなんだが、それぐらいには抑えたい。
ひどい目標であるが、現実的ではある。
相手はまだ今季、自責点一点の怪物なのだから。
アレクもまた、織田と同じくNPBの一番バッターであった。
ポジションは同じセンターだったが、幸いにも外野というくくりで、変にベストナインやゴールデングラブを争うことはなかった。
あの当時のパ・リーグでは、先輩の織田がやや評価は高かったか。
だが両者共に高卒一年目からスタメンで活躍し、新人王を取ったという共通点がある。
ただしアレクは獲得し、織田は獲得していないものがある。
それは優勝の栄誉である。
甲子園もアレクは、五試合出場し四試合で優勝。
全ての大会で一番バッターを打っていた。
アレクの甲子園でビューの年が、織田の甲子園最終年。
敗北したのはアレクの属する白富東であった。
かように織田とアレクの間には、不思議な因縁めいたものがある。
そんな織田のように、アレクにもホームランが打てないものか。
期待はされているのだろうが、アレクにもそれは難しいと分かっている。
高校卒業後は、オフシーズンはブラジルに帰国していたことが多かったアレク。
直史にバッピをしてもらっていたら、もっと変化球には強くなっていたろうに。
「何か弱点はないのか、あれ」
FMにそう言われても、アレクは首を傾げるばかりである。
「高校時代85マイルぐらいしか出ないストレートで、ワールドカップのクローザーしてた人だし」
何気に本当の意味での直史のパーフェクト記録は、あのワールドカップの12イニング連続パーフェクトが、記録に残る最初ではなかろうか。
アレクはそう思っている。地方大会ではコールドばかりであったし。
どうにかして打たないとな、とは思っているのだ。
だがどうやったら打てるのかはさっぱり分からない。
どうせ他のバッターも打ててないことだし、自分も打てなくても仕方ないか。
そんな風に考えつつも、アレクは色々と画策する。
これまでの直史の、打たれてきたヒットや出塁。
それはだいたい内野安打か内野を抜けていった球。
ゴロを打つ程度ならば、そこそこは打てるのだ。
ただしアレクを相手には、かなり警戒してパワーピッチングを行う。
直史のパワーピッチングは、普通のパワーピッチングではない。
単純に、球速や変化量の上限を上げるだけである。
それに普段どおりの、緩急をつけた球を投げ込んでくるわけだ。
(ここまで警戒されて、光栄だよナオさん!)
二打席目はツーシームを詰まらせて、内野フライに終わった。
直史は身体能力という点では、一番の化け物は大介だと思っている。
上杉もそうだし、武史もそうだ。妹たちもそうであろう。女子まで入れるなら明日美などもそうだ。
それとセンスとは、違うと思う。
織田もそうだが、アレクもセンスがある。
190cmの長身という体格を持ちながらも、アレクの本質はセンスだと思う。
それだけの身長を持ちながらも、接触プレイが嫌いだからと、サッカーやバスケットボールに流れなかった才能。
まさにアレクは直史からすれば、美学で野球をやっているように思える。
ただそれぞ実際に言えば、アレクからは流暢な日本語で反論がいくらでも返ってくるだろう。
身体能力ではなく、技術や駆け引きに読み合いと、完全にセンスでやっているのはあんただと。
少なくともアレクよりも、身体能力は低いはずだ。
アレクの出身であるブラジルは、サッカーの強豪として名高い国である。
もっとも最近は選手の欧州への流出が止まらず、黄金時代ではなくなったと言える。
それでも地元では、最も人気なのはサッカーであるのは間違いない。
だがアレクは、まだ今ほどの長身ではなく、すばしこい子供であった頃から、野球を選んだ。
近くに秦野が開催していた、野球のチームがあったということも大きい。
人との巡り会わせがなければ、アレクはまだあのブラジルの、貧しい農村で畑を耕していたのかもしれない。
その意味では一番分かりやすい、ドリームをかなえたのはアレクだ。
それだけに直史に対しては、尊敬と共に反発もある。
(才能を簡単に捨てて、それでも豊かな生活が出来て、ちょっとした気分でプロに入ってくる)
そんな人間を、打ち崩せない方が、情けないのは分かっている。
アレクは陽気なラテンな男だが、本質的には怒りっぽいのだ。
それが高校時代は無難に過ごせたのは、女の癖に自分より危なそうな人間が、二人も見張っていたから。
たまにブラジルの街に出たときに見る、目の色が違う人間たち。
同じ輝きを、佐藤家のツインズは持っていた。
アレクは才能に嫉妬する。
だが同時に、その圧倒的な輝きに、魅了されるのも確かだ。
(ナオさん、俺は打つよ)
三打席目、回ってきた打席で、アレクはバッターボックスの後ろに立つ。
普段ならば変化の仕切る前に、ボールを叩くため前に立つのがアレクである。
だが直史に対しては、それでは通用しないな、と考えているアレクである。
直史の唯一の明確な弱点。
それはボールのスピードのMAXがさほど速くはないこと。
もっともスルーなどは、あの変化であのスピードなど、まともには打てないものではある。
少しでも対応するための時間がほしい。
反射で打つアレクが、そう考えて距離を取った。
直史にとってアレクは、可愛い後輩である。
彼の気質的に、必要以上にえげつない手を使ってまで、完全に打ち取ろうなどとは思わない。
もちろん全力を出さないとか、そんな訳では断じてない。
色々と考えているんだな、と思いつつも組み立てて投げていく、
ファールを打たせて、追い込んだ直史。
最後に投げたのは、タイミングを明らかに崩させる、スピードのないシンカー。
バッターの胸元から、アウトローへと沈んでいく大きな変化のこの球を、アレクは追いかけていく。
バランスを崩されて、そのままでは届かない。
ここでアレクは、右手を離した。
左手一本で支えたバットで、ボールをミートする。
もちろんこんなバッティングで、ホームランは打てるわけがない。
だがこの器用さと言うか型にはまらないところが、直史も認めたアレクのセンスなのだ。
サードの頭を越えた、レフト前へのクリーンヒット。
この日一番の技ありのヒットで、アレクは出塁。
ノーアウトのランナーとなった。
もちろんここで崩れるような、柔なセンパイ、では直史はなかった。
アレクは直史のクイックと坂本の肩を乗り越え、どうにか盗塁で二塁に到達する。
このバッテリーが今季盗塁を許すのは、これが三度目のことであった。
しかしせっかくの健闘も後が続かない。
内野フライと三振で、テキサスの攻撃は終わったのであった。
1ヒット1エラーで、直史は九回のマウンドに登る。
そして四打席目のアレクが回ってくるが、ここでは内野ゴロに打ち取られる。
ただしあと少しで内野安打に出来たかという微妙な当たり。
アレクの足の速さは、やはり驚くべきものであった。
29人目をアウトにとって、試合は終了。
直史はこの日96球で完封し、マダックスの数はついに15回目。
アレクのヒットがなければノーヒットノーランも八回目となり、MLBの通算記録を更新するところであった。
そんな直史に対して、マスコミは当然ながら質問をする。
あの一本は惜しかったですね、と。
「あれは、あちらが見事だった」
直史としては、アレクはやっぱりアレクだな、と思うだけである。
「高校時代からずっと、訳の分からない球を訳の分からない打ち方で打つ後輩だったから。懐かしい思いだった」
片手で打たれてしまって、恥ずかしいとか悔しいとかはない。
大介だってアマチュア時代は、片手で振り切って打ったりはしていた。
今日の試合、アレクとの対決は、直史にとって身内との対決であった。
もちろんそれで、手心を加えるとか、悔しくはないとか、そういうことはない。
ただ後輩の成長を見られて、嬉しく思ったのは確かだ。
テキサス相手にはあまり投げる機会がなく、今年もこれで終わり。
だがアレクは来年、もっと厄介なバッターになっていそうである。
あとレギュラーシーズンは残り二試合。
直史がどれだけの記録を残せるか、マスコミは注目している。
そんな直史がホテルに戻ると、伝言があった。
先発のため明日の出番はない直史だからこそ、ここからまださらに夜更かしが出来る。
これがアナハイムなら、嫁と娘の顔を見るために、無視して帰ったかもしれないが。
ホテルのラウンジで待っていたアレクは、軽く手を上げた。
それに応じて伊達メガネをかけた直史も手を上げる。
別に目は悪くなっていない。ただ直史はメガネをかけると、不思議なぐらいマスコミから隠れるのが簡単になる。
一応まだ明日も試合があるので、敵対するチームとしては、怪しい密談などしてはいけないというわけだ。
ラウンジは普通にバーの一角にあり、なんならキャバクラなどとはまた違ったレベルの、女性キャストがついてくれることがある。
だがアレクはそれを拒否して、自分で酒を注文した。あくまでも直史用に。
「飲むでしょ?」
「じゃあ一杯だけ」
後輩からの酒は、断りにくい直史である。
高校卒業後のアレクとは、あまり会っていない直史である。
シーズンオフにはブラジルに戻るなり、どこかにバカンスに行くなりが、アレクの日常であった。
直史の大学時代、シーズン中で東京にいると、六大リーグを見ていたりもしたアレクである。
ただ直史は勉強に忙しく、アレクの試合を見に行くことは千葉のアウェイ戦でもなかなかなかった。
ジャガースのスタジアムは交通の便が微妙であったのだ。
「またおかしな進化をしてるな」
直史の言葉に、アレクは微笑む。
「地元でノーヒットノーランの変な記録は、作られたくなかったからね」
「来年は対戦の機会が増えたら、また面倒になってそうだな」
「う~ん……」
なぜか直史のその言葉で、アレクは首を捻る。
「今の契約、今年で切ることが出来るんだよね」
「そうなのか。ちなみにいくらでやってるんだ?」
「700万ドル」
「アレクのプレイでそれは安いな」
直史としてもちゃんと、MLBの相場は分かっているのだ。
アレクの場合はNPBから移籍した時の相場であるから、その金額でやっているのだろう。
ただそう言うからには、今年で契約を破棄できるわけだ。
今のアレクならテキサスから、よりいい条件で契約できそうである。
あるいは契約を切ることが出来るというのは、FA権が発生するということなのか。
それなら他のチームに行くことも、充分に選択の内に入る。
「テキサスは今再建中だから、高い金額で契約してくるかどうかは微妙なんだよね」
それは確かにそうかもしれない。
アナハイムが圧倒的な力を示し、確かヒューストンも主力の契約は、来年も残っていたはずだ。
テキサスにいてもまだ来年は、ポストシーズンは狙えないだろう。
もっともアレクの場合は、ワールドチャンピオンよりも金銭的なことが大事。
しかし球団としても、サラリーフロアを拡大しようとは思わないのかもしれないが。
移籍というのは充分に選択肢にあるはずだ。
今のアレクの成績なら、最低でも倍の年俸が必要になるだろう。三倍でもさほどおかしくはない。
「ナオさんは今いくらでやってるの?」
「1000万ドルプラスインセンティブだな。それの三年契約」
「安いね」
「インセンティブがかなりつくから、そうでもない」
とは言っても今の直史の成績なら、一年5000万ドルでも高くはないだろうに。
アレクは考える。
「するとあと二年、アナハイムは西地区の王者だね」
「まあ補強に失敗しなければな」
「アナハイムってお金持ちだよね?」
「そうは聞いてるな」
「一番バッター、あんまりよくなかったよね?」
「……移籍してくる気か?」
アナハイムの球団の資産状況は、直史は知らない。
それにチーム作りに、直史の意見が介入するはずもない。
だがアレクには、まだセイバーの紐がついているのではないか。
もしもそうだとしたら、そこからアナハイムへのラインもあるだろう。
ここで一緒にやろうとか、移籍してこいとか、そういうことを言うわけにはいかない。
契約が残っている現在、そんな交渉は禁じられている。
だがセイバーならば個人的にアレクに会うことは可能であろうし、密室の中なら当事者が口を噤めば、秘密は漏れない。
直史は法曹の徒である。
ルールは守らなければいけないと、魂に刻み付けられている。
だが業界のルールと言うのは厳密に言うと、もっと幅広い法律に対して、反している場合がある。
たとえばプロ野球のドラフトに関しては、所属するチームを自分で決められないということで、職業選択の自由に抵触しているのではないか、とか。
これは就職先をNPB、そして配属先を各球団と捉えることで、一応の筋を通していることにしてある。
MLBにしても最初の三年間、どれだけ活躍しても最低年俸ぐらいにしかならないし、その後もFA権を得るまでは安い年俸になる。
最初からアメリカでやっても、六年を経過しなければ高い年俸にはならない。
ある程度は改善されたが、これが若年メジャーリーガーの実態である。
アレクの場合はNPBで比較的高い年俸でやって、スムーズにポスティングしたことによって、おそらく一番いいルートを辿っている。
このタイミングで契約を切ることが出来るように契約してあるというのも、三年をMLBで見せた後なら、充分にその評価は定まったことだろう。
おそらく一番高く、FAで売れるタイミングだ。
「セイバーさんとは会ってるのか?」
「遠征先では時々。あとブラジルに会いに来たこともあったね」
やはりまだ、完全にラインはつながっている。
セイバーの考えていることは、直史には良く分からないが、確かなことは一つある。
彼女が大介と直史を送り込んだ結果、メトロズはチャンピオンチームとなり、アナハイムは完全なその対抗馬となっている。
彼女のやっていることは、完全にプロモーターではないか。
それこそ去年、エキシビションでメトロズにレックスが勝ったこと。
彼女の考えている範囲内で、全ての名勝負や歴史に残る勝負が展開される。
(あの人、ボクシングのプロモーターでもやった方が、影響力高かったんじゃないか?)
そんなことも直史は思う。そしてそれはおそらく事実だ。
直史としては、どう思うのか。
「お前とまた一緒にやれるなら、それは嬉しいな」
本当に一緒にやりたいのは、大介とであるが。
大介が打って、直史が投げる。
それが最後に成立したのは、直史の大学時代のWBCだ。
あれからはずっと、二人は対決する立場にあった。
もっともそれはそれで、やはり面白いものであったのだが。
樋口や西郷と、チームメイトとして覇権を築いた大学時代。
確かにあれは、圧倒的な栄光の時代であったろう。
しかしやはり直史にとっての原点は、あの高校時代にあるのだ。
過酷な日程、過酷な環境、そして一戦ごとに成長していく感覚。
あれを共有したアレクは、やはりもう一度一緒にやってみたい者の一人だ。
「お前のプレイスタイルからして、全盛期はあと5~6年ぐらいか?」
「これでもちゃんとケアしてるからね。40歳まではやるつもりだよ」
アレクはなんだかんだ言って、天性の肉体のバネが、そのプレイスタイルの根幹になっている。
それが衰えるのは、やはり35歳前後。早ければ30代の前半だろう。
もう一度、一緒にプレイするのか。
それはそれで、やはり面白いことだろう。
未来はまだ定まってなどいない。
だが自分の手で、選択出来る部分はないではない。
「そういえばお前って、結婚はしないのか? うちはもうすぐ二人目が生まれるんだけど」
「あ~、実は子供はいるの。ただ結婚すると下手に遊べないから、認知だけはしてる」
「ひどいやつ……でもないのか、アメリカなら」
そのあたりの価値観は、どうも直史には分からない。
だがアメリカではあくまでもパートナーという立場であって、結婚はしないのだという主義があったりもするらしい。
どうせ離婚大国アメリカなのだから、それはそれでいいのかもしれない。
プロスポーツの選手は下手に結婚すると、女房が浪費したり、離婚で莫大な慰謝料を取られたりする。
織田のように女房というか、パートナーの方が稼いでいる場合は、かなり希少なのだ。
翌日も試合に出るアレクが席を立つまで、二人の対話は続いた。
久しぶりの話題の交換で、結局直史はグラスを五杯も空けた。
もちろん翌日二日酔いになるような、酒に弱い直史ではなかった。
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