第41話 終盤調整
ついに大記録が達成された。
シーズン14回目のマダックス。
グレッグ・マダックスの生涯13回のマダックスを、直史は一年で塗り替えた。
究極の打たせて取るピッチャー。
これに対してマスコミは、無責任がことを言う。
「マダックスという呼称がサトーに変えられることもあるのでは?」
そんなことを言われても、直史としてはいい気になったりはしない。
「そもそも100球以内の完封というのが、マダックスの活躍によって注目されるようになったわけでしょう。それを記録で上回ったからって、サトーと呼ばれても困る」
直史は謙虚である。
しかしマスコミはしつこい。
「だけど自分の名前が残らないというのは、たとえばパーフェクトでマダックスを達成したら、サトーと呼ぶのはどうです?」
「私はそんな自己主張が強い人間でいたくはない。せめてサトー・マダックス賞を設立して、マダックスを公式記録にするぐらいでいいだろう」
冗談で言ったつもりであったが、直史は自分の影響力を甘く見ていた。
MLBとしても新たな賞というのは、作られればそれだけ話題性にはなる。
先発による完投さえ、珍しくなっているこの時代、100球以内の完封など、年に数度達成されるかどうか。
だがこの翌年から、サトー・マダックス賞が出来上がったりする。
その年にマダックスを達成したピッチャーを、表彰する話題性優先の賞。
特に賞金などはなく、MLBから送られたメダルと、そして記録として残される。
もちろんその年、直史は複数のメダルを獲得することになるだろう。
アナハイムがやや調子を落としている。ように見える。
直史がまた、極悪非道の所業をしでかしてから、一試合を置いてアナハイムは三連敗。
やはり弱い者いじめなどするから、因果応報で返ってくるのだ。
本人以外のところに。
常識的な話をすれば、単純にアナハイムはここしばらく、ポストシーズンの優勝候補から、遠ざかっていたことによる。
地区優勝ぐらいは時折していたが、なかなかワールドチャンピオンまでは行かない。
それが過去の歴史を塗り替える勢いで、勝ち星を増産。
調子がいいはずなのに、空回りしてもおかしくない。
もちろん先発が好投しても、リリーフが打たれたりといったこともあった。
この時期にはアナハイムのような優勝を狙うチームも、新戦力をある程度使っていく。
レギュラーシーズンは敗戦処理として使っていたロングリリーフより、元気な中継ぎを試してみたいからだ。
中にはそれで、出場機会を得る者もいる。
ほんの少しだけ調子がいいだけでも、短期決戦では有用だからだ。
ただ短期決戦と言っても、ポストシーズンはこれまた期間的には、ワールドチャンピオンまでに一ヶ月ほどはかかる。
ほぼ10月いっぱいを使った、短期決戦の繰り返し。
普段よりもよほど、消耗は激しくなるのだ。
昔と比べると確かに、ピッチャーは保護されている。
だがそれはポストシーズンのための温存である。
直史と共に主に勝ち星を稼いだ、スターンバックとヴィエラ。
そしてリリーフでは転向してきたマクへイルにルーク、ピアース。
このあたりのポストシーズンでも主力となる投手は、かなり球数を抑えて調整に入る。
地区優勝を争っているならともかく、103勝もしているアナハイムはポストシーズン出場自体は決定している。
あとはどれだけ、ホームのアドバンテージを考えていくかだ。
現在のMLBではポストシーズンでのホームのアドバンテージは、勝率で決まる。
なのでワールドシリーズまで考えると、勝率が高いに越したことはない。
ただこの時期はポストシーズンの可能性が消えたチームは、かなり実験的なことも行ってくる。
メジャー契約はしていたものの、主にマイナーで活躍していた選手を、積極的に試してきたりもする。
それがピッチャーとバッターの両方ではまると、アナハイムに勝ってしまったりする。
アナハイムもアナハイムで、ポストシーズン自体は進出が決まっているのだから、選手、特にピッチャーには無理をさせようとしない。
またもジレンマがある。
記録が色々とかかっているとはいえ、直史に無理をさせるのではないか、ということだ。
30勝などというのは確かに記録に見えるが、実は冷静に考えれば、記録でもなんでもない。
21世紀に入ってから唯一の30勝ではあっても、過去にはもっと凄い勝ち星を上げる選手がいた。
それに昔を言うなら、四割打者だっていたのだ。
現代でそれをやるからこそ、とてつもない価値があるのであって。
下手に30勝を狙うよりは、規定投球回を投げて年間無敗、という記録の方が偉大だ。
こちらは間違いなく、MLBにおいて過去になかったものだからだ。
無理はさせたくはない。
だがその活躍する姿は見たい。
三連敗している中のシアトル線。
唯一本当に、自分の力で投げて、打たれたチームとの対戦。
直史には連敗ストップの期待が、当然のようにかかっていた。
終盤に面倒な試合が集中しているな、と直史は思った。
敵地シアトル、テキサス、ヒューストンでの試合で、最後にはホームでのヒューストンとの試合。
直史に最初に土をつけるのはどこか。
オークランドを木っ端微塵に破壊したが、その前の試合でシアトルには、ついに自責点を献上した。
それぐらいは当たり前のことで、いまだにピッチャーとしては非常識なことをしているのだが、徐々に神秘性は薄れてきているのではないか。
いやもちろん、そんな直史の内心を聞かされても、何言ってんだこいつは、と大半の人間は思うのだろうが。
26勝0敗。
唯一勝ちがつかなかった試合も、0-0のままリリーフに託した試合である。
あと四試合を全部勝てば、ほとんどの人間が見たことのない、30勝投手の誕生となる。
テレビの向こうで、はるか昔の存在としてしかいない、30勝投手。
色々と期待はかかっているが、FMをはじめとする首脳陣は、それよりも無理をせずにシーズンを終えることを口にしている。
対戦相手にヒューストンとの二試合があるのが、微妙と言えば微妙か。
既に地区優勝は決め、シャンパンファイトも行ったが、おそらくヒューストンもポストシーズンには進んでくる。
もう追いつけないと分かっているからこその、未知の戦力の投入。
ヒューストンは充分に、そんな人材を抱えている。
シアトルは地区三位で、もうポストシーズン進出の見込みはない。
だから手を抜いて、直史相手に未知の戦力を使ってくるか。
その可能性はあるが、それは不気味でもある。
データの少ない相手とは、直史は相性が悪いのだから。
比較的、という枕詞が頭につくが。
直史は今年、ノーヒッターを八回達成している。
そのうちノーヒットノーランは七回。
つまりMLBのピッチャーの、通算で何度ノーヒットノーランを達成できたかという記録に、一シーズンだけで並んだのだ。
大介も確かに、シーズンの記録を塗り替えてはいる。
だが後一度ノーヒットノーランをすれば、直史はたったの一年で、10年以上の選手生活でどうにか残せる、偉大な記録を更新することになる。
普通ならば一度達成しただけでも、たいしたものだと言われるノーヒットノーラン。
だがある程度は運も関係しているので、一度ぐらいならそこそこの投手でも、達成してしまうことはあった。
しかし二回以上となると、それはもうほぼレジェンドばかり。
その中で、既に七回。
何度も言うが間違ってはいけない。
選手生活の通算ではなく、一年間の記録なのだ。
記録というのは積み重ねたものが大きく評価される。
直史のK/BBなどは歴代のMLBのピッチャーの中でも、完全に他を差し置いてトップであったりする。
だがたとえば大介のホームランのような、圧倒的な記録はそうそう分からない。
たとえばピッチャーで分かりやすい奪三振記録は、年間383個。
直史は残り四試合を残して277個で、ここからはどうやってもそれには到達しない。
直史が目指すべきは、今後並ぶものはいる可能性が理論上はいるが、上回る可能性は理論上存在しない。
規定投球回を投げて、無敗という記録である。
上杉の無失点記録もすごいが、それはあくまでクローザー。
規定投球回には至らない。
シアトルは直史から、唯一の自責点を奪ったチームだ。
正確に言えばミネソタも、幻のホームランで実質的には一点を取ったと言える。
オークランドのエラー絡みは、さすがに無効としていいだろう。
点を取ったのにノーヒッターというのは笑えるが。
オークランドはおそらく、今年のMLB全チームの中で、最も酷い目に遭ったチームだ。
シアトルはそれに比べると、来年への期待が持てる。
一回の表、アナハイムの攻撃は無得点。
それだけにこの裏、先頭打者への入り方が重要となる。
様々な試行錯誤を繰り返している今、一点も入らないという事態も想定される。
そんな状況で先頭打者はホームランを打った織田。
直史はいつもよりももう一枚深く考えて、ツーシームを外いっぱいに投げ込む。
織田の鋭いスイングは、それを狙っていった。
打球は鋭かったが、外野のファールスタンドに消えていく。
この初球の入り方が、一番難しかったのだ。
二球目に投げたのはチェンジアップ。
織田は体が泳ぎながらも、どうにかバットは残す。
しかしそこから無理に当てようとはせず、バットは空振りした。
咄嗟に打っても、良くてファール、悪くて内野ゴロかフライになると判断したのだ。
織田の足なら、上手いスタートを切れば、ゴロからの内野安打はありえた。
だがあそこまで体勢を崩していれば、それも難しいという判断だろう。
チェンジアップを打たされるのは、あの甲子園の夏で既に経験している。
最後の最後に出てきて、わずかな可能性も摘み取る。
直史の徹底した性格は、織田も分かっているのだ。
対戦経験が少ない割には、お互いをよく理解している。
ともに投打で、力ではなく技術を売りにしているからだろう。
ともあれこれで、ツーナッシング。
完全にピッチャー有利のカウント。
だが織田としては、直史の次のボールが、ただのボール球にはならないという確信がある。
必ず打たせるか振らせるかで、アウトを狙っている。
それが直史というピッチャーの絶対的なスタイルなのだ。
直史としても、次で決めることは考えている。
ただ少しだけ、織田には敬意を払っている。
いつものパターンを少し崩してでも、確実に打ち取りたい。
ある意味大介に対するよりも、直史は慎重になっている。
(日本時代、プロでは結局対戦がなかったしな)
直史がプロ入りしたとき、既に織田はMLBに移籍していた。
一年目からリードオフマンとして、新人王を争うほどの活躍であった。
NPBから来た選手を新人と呼んでいいのか、という見方が強くなっていなければ、確かに新人王は取ってもおかしくなかった。
三球目、直史の投げた球はアウトローへ。
(ここから曲がる!)
そうスイングを始動した織田であるが、曲がってこない。
カットボールではなく、ただの外れたアウトロー。
体勢を崩しながらスイングして、それでも届かない。
バッターボックスの中で倒れこみ、織田の一打席目は三振に終わった。
調整をしながらも、しっかりと打っていくアナハイム打線。
先取点を取ってもらって、直史はピッチングの幅が広がる。
ただしシアトルは巧打者を揃えている。
織田の二打席目を打ち取った、次のバッター。
打球が勢いよく、内野の間を抜けていった。
今日のパーフェクトは、三回と三分の一で終わり。
あとはどれだけ球数を抑えていけるか。
それと展開によっては、継投もありうる。
セプテンバーコールアップで、試したい選手はいくらでもいるのだ。
ただ、アナハイムの首脳陣の思惑通りにはいかない。
あまり点差が開かなければ、一番期待出来るピッチャーをそのまま使うしかない。
メトロズとの勝率争い。
ワールドシリーズで対決することを考えると、無視するわけにはいかない。
そういった事情とは別に、目の前の光景を見ればいい。
直史はまた一本ヒットを打たれたが、ダブルプレイでランナーを消す。
下手にミート力があるだけに、シアトルは空振りをしない。
当てることを重視していれば、確かに時折でも直史からは打てるだろう。
だが長打がなければ、直史から点は取れない。
日本時代を合わせても、一発による被弾の確率が高いのだ。
ヒットの連打を食らっての失点がないというのは、むしろ恐るべきことだが。
試合は順調に進んでいく。
さらにヒット一本と、エラーが一つでシアトルは出塁する。
しかし点差は3-0となってまだ無得点。
シアトルとしても今さら、直史を攻略するための戦術など、そうそう思いついても実行しない。
ポストシーズンでは自分たちを圧倒的に抑えたアナハイムに、ぜひワールドチャンピオンにまでなってほしいのだ。
最終回は四打席目の織田から。
今日の織田はヒットがない。
そしてヒットがないということは、イコール直史相手では、出塁もまずないということ。
出塁率の高い織田は、塁に出てこそ価値がある。
そのあたりの印象まで利用して、あのホームランを導き出したのだが。
追い込まれるまで、織田は一球も振らない。
簡単にツーストライクを取られたが、それも承知の上。
今日の織田にはまだヒットを許していない。
(前回の恨み、というもんでもないんだろうな)
直史は感情が、ピッチングに乗っていくタイプではない。
いつでも沈着冷静に、最善手の付近をうろついて投げる。
簡単なコンビネーションも使えば、普通はありえないコンビネーションも使う。
柔軟性が直史の、最大の武器だと言えるだろう。
三球目、何を投げてくるか。
この間打ったカーブを投げてくる可能性は、さすがに低いだろう。
あえてカーブを投げるようなピッチャーもいるが、直史はそういうタイプではない。
もちろんあの試合の記憶が薄れた頃には、あるいは普通にコンビネーションの中では、カーブも使ってくる。
だがこの状況で使うなら、それはないと思うのだ。
セットポジションから、ランナーもいないのにクイックで投げてくる。
そのボールにはスピードがあった。
だがストレートでも、ムービング系の球でもない。
バッターの手前で沈んでいくジャイロボール。
織田はこれに手を出す。
当たりそこないは、ショート正面へのゴロ。
俊足の織田ではあるが、アナハイムの守備は堅い。
内野安打も許さず、これにてワンナウト。
直史にとっての最後の山場は越えた。
最後のバッターは三振で抑え、これで直史は27勝目。
これもまた実は、一つの区切りの数字である。
MLBで最後に30勝以上が記録されたのは、1968年のこと。
それ以降の最多勝で一番多かった勝ち星が、27勝なのだ。
直史はその記録に並んだ。
もはや誰も、そのハーラーダービーに対抗する者はいない。
残りの登板機会は三回。
それを全て勝てば、30勝に到達する。
アナハイムは確かに増えたベンチメンバーを色々と使うが、基本的に直史が投げるなら、守備陣はスタメンで揃える。
ノーヒットノーランになってしまうのは、エラーによることが多い。
そうは言っても直史の場合、上手く打球を殺すことには成功している場合が多いのだが。
27勝無敗。
ぎりぎり球数は100球を超えたが、それもそれほど重要ではない。
東では大介が打撃の記録を。
西では直史が投球の記録を。
それぞれ圧倒的な力で、達成していっている。
チームとしてもこれで104勝。
そして次の第三戦は、リリーフデーでアナハイムの勝利。
105勝目を記録する。
いささか歪な日程ながら、アナハイムは本拠地に帰還。
ここからはトロントとの勝負となる。
四連戦のカードは、二勝二敗。
忙しいがここからはまた、アウェイでの試合となる。
150試合が経過し、107勝43敗。
残りの12試合で10勝すれば、MLBの記録を塗り替える。
ただその対戦相手は、テキサスとオークランドが三試合ずつ、そして七試合がヒューストン。
直史が完全にプライドを叩き潰したオークランドは、直史の登板のローテではないが、おそらく勝てるだろう。
ただしテキサス、そしてヒューストンとは、そんな簡単な試合にはならないだろう。
ヒューストンはここから全勝しても、地区優勝は不可能である。
ただア・リーグ西地区の二位通過として、いいイメージでポストシーズンには入りたい。
リーグチャンピオンシップでアナハイムと対戦したら、その時こそレギュラーシーズンの借りを返す。
今年はこれまでアナハイムは、ヒューストン相手に10勝2敗。
直史は普通にノーヒットノーランとマダックスを一度ずつ記録している。
ただもしも残りの七試合を全勝でもされたら。
ヒューストンはアナハイムへの苦手意識をなくして、ポストシーズンを戦えるかもしれない。
もっとも直史の登板の、最後の二試合の相手はヒューストン。
ここではほぼ確実に二勝するだろう。
そしてただの二勝ではなく、その野球選手としての尊厳を破壊するような勝ち方をすれば、ポストシーズンでは必ず楽に戦える。
だがまずは対戦するのはテキサス。
ポストシーズンでは当たることはないが、選手はそれなりの意地を見せてくるかもしれない。
テキサスにはアレクがいる。
高校時代の直史は、アレクのバッピを何度もしたが、そこはボールだから振るなというコースを、打てそうだからという理由で打ってヒットにしていた。
アレクにとってのヒットゾーンは、バットが届いて自分が打てると思った範囲。
下手な組み立てをすれば、問答無用の論理無用で、なぜだか打ってくるだろう。
むしろポストシーズンで当たる可能性のあるヒューストンの方が、球団としてもデータを色々と集めている。
それらのデータに従って投げれば、まず失点することはない。
ただヒューストンは、普通に強打者は多いので、平均的な配慮は必要になるが。
敵地テキサスに移動し、ホテルからそのまますぐにスタジアムへ向かう。
今夜が直史の、28勝目がかかっている試合なのだ。
直史は特に気にしていないが、他の部分で気にはしている。
間もなく瑞希は、出産予定日なのだ。
MLBにおいては選手に、妻の出産に立ちあうための、休みがしっかりと認められていたりする。
元々直史は先発ピッチャーであるし、この時期には他にも投げられるピッチャーが多い。
なので上手くいけば、しっかりと立ち会うことが出来る。
事前の検診で、男の子とだということは分かっている。
ポストシーズンを目の前に控えながらも、直史は子供の名づけのために、色々と調べて余念がない。
もしも直史が記録の達成に失敗したとしたら、それは他の球団の努力によるものではない。
純粋に妻と子を心配する直史の、集中力の分散によるものだ。
真琴が生まれた時と違い、今回はちゃんと立ち会えるかどうか分からない。
そんな不安がわずかにだが、直史のパフォーマンスに影響を与えていた。
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