第39話 首脳陣の迷い
アナハイム首脳陣は迷っていた。
その理由の一つは、やはり球数問題だ。
ひどくざっくりとした目安であるが、一シーズンにおいてピッチャーが投げる球数は、3000球を限度とする、というものだ。ただしこれはNPBの話で、MLBではむしろ3000球を投げるのは、エースの証とも取られる。
どちらも科学的な根拠はない。
そもそもMLB一試合あたりの、100球というのも科学的な根拠ではない。
ただ科学的根拠はなくても、それだけ投げさせると投げすぎと言われる球数はおおよそ存在する。
直史自身は平然と、打たせて取るピッチングをする。
変化球を多投するが、それぞれがとんでもなくキレがあるというものは少ない。
力を入れた時は、とんでもなく曲がるのだが。
あとカーブはすごい。スライダーもいい。
やっぱりすごいんじゃないか。
すごい変化球まで持っていながら、その最高の武器はコンビネーション。
この間は試合開始の初球を狙い打たれたが、あんなことは年に一度もあるかどうかだ。
そんな直史は25試合を投げて、球数が2536球となっていた。
およそ100球で試合を終わらせる直史は、このままなら残り五試合の先発登板が回ってくる。
3000球を超える。
さらにポストシーズンも、絶対に投げてもらう場面がある。
むしろレギュラーシーズン以上に、タフな場面で投げてもらう必要があるだろう。
MLBにおいては単なる球数だけではなく、一試合あたりにどれだけを投げたか、また登板間隔がどうだったかが問題になる。
この基準であるとMLBでは、先発はタフな使い方であるが、リリーフ特に中継ぎは、NPBの方が選手を酷使していると言われる。
NPBなら中六日で投げられるし、ならば135球前後が適切だという指導者もいる。
実際にNPBのローテを守り、135球で25試合を投げれば、一年間で3375球。
MLBの中五日で投げるピッチャーと、さほど変わらない数字になる。
もっともMLBも、中四日は少なくなってきて、中五日が主流となり球数はやや減った。
それでも30試合は先発をして、3300球前後は投げるピッチャーが一球団に一人か二人はいる。
そんな基準から考えて、今の直史は投げすぎであるか?
他の先発ローテは、同じような球数であっても、完投をしていない。
スターンバックなどは完投能力はあるが、極めて厳密に100球を守ると、七回までがやっとなのだ。
レギュラーシーズンだけなら問題なく、リミット内に収められる。
だがポストシーズンではあるいは、中四日で投げてもらうことさえある。
さらには中三日の可能性さえあるのだ。
そのためにここいらで、一日ぐらいはローテを飛ばすべきか。
しかしそうすると、二度とないと思われていた30勝に、到達出来ないことになる。
オリバーにそのあたりの意思確認をさせるべきか、とFMのブライアンは思う。
なぜすぐにそうしないのかと、オーナーやGMは思うのだが、ブライアンはオリバーが、既にピッチングコーチではなくサトーの信奉者であることを知っている。
信じる者しか救わないセコい神様ではなく、スタジアムに降臨した本物の神。いわゆるゴッド。
その狂信的信頼感を教えられると、他の首脳陣も困った顔をするのだ。
なので直接、直史に訊いてみることにした。
遠征中にFMに呼び出されるなど、あまりいい話ではない。
ただ全く身に覚えのないことでもない。
この間はついに失点を許して、そのホームランを打った織田は、さらにもう一本のヒットを打った。
調子はどうだ、ぐらいのことは聞かれるだろうと思ったのだ。
ところがブライアンは、疲労は溜まっていないか、と事務的にというか冷静に問いかけてくる。
「特には」
直史としてはその程度に答えるしかない。
直史を見ると、やはりブライアンは、その体躯の細さを感じる。
身長は直史程度の選手はそれなりにいるが、直史よりも体重の軽い選手は、あまりいない。
そもそも179cmという180の手前で止まっている身長は、野球選手なら80kgは最低でもほしいところ。
ところが直史の、自分で判断した適性体重は75kgだ。
これ以上重くなると、たとえそれが筋肉でも、出力はそんなに上がらない。
ウエイトトレーニングの重要性は、現代では常識的なことになっている。
ただ昔はウエイトなどはせず、走り込みをしろという間違った常識である時代もあった。
それは間違った常識ではなく、それが体に合っている選手もいたのだろうと、直史は考えることにしている。
直史のピッチングの原点は、やはり中学時代にある。
普通なら球威を増していくのに喜びを感じる時期に、徹底的にコントロールを磨いた。
その結果としては、充分な出力を持ちながらも、先にコントロールを徹底的に鍛えたピッチャーが誕生したわけだ。
そしてその鍛え方としては、とにかく投げること。今MLBではほとんど全部がタブー視する投げ込みだ。
投げることによって、筋肉は発達する。
だが投げるだけで、鍛えられるわけではない。
たとえば投球動作に近いと言われるのが、テニスのサーブである。
これはサーブの練習だけをするよりも、明確に筋肉を鍛える。
無駄なところの筋肉までつかないようにだ。
本質的なことを言うなら、投げることを鍛えるならば、投げるのが一番いい。
しかしそれだと投げすぎで、肩肘に負担がかかりすぎる場合がある。
そのためにウエイトで、筋肉を他の方法でつける。
また足腰の出力が、そのまま腕にまで伝わるというのも確かだ。
そのため足腰を鍛える走りこみも、瞬発力系ならばまちがってはいない。
それらの常識を踏まえた上で、直史は何を行っているか。
とんでもなく多いキャッチボールと、八分程度で投げる球を100球以上と、全力のボールを数球である。
試合の中でどれだけ全力のボールを投げているか。
普段ならば10球もない。
そして重要なのは、その全力の10球を、間違いなく理想どおりのコースで投げることだ。
投げすぎは良くないというのは、直史にも良く分かっている。
だが投げないと分からないということも、絶対にあるのだ。
そんなわけで直史は、自分の球数が心配されていることを知った。
ただそれを言うなら他のピッチャーも、充分に球数は投げている。
たとえば24先発をしているスターンバックも、2345球を投げている。
あともう一人、勝ちを期待されているヴィエラも24試合で2336球。
確かに直史が25試合投げている以上に割合としては多いが、それでも許容範囲。
圧倒的に多いのは、球数ではない。
投げているイニング数だ。
他の先発と比べて、50イニングも投げているイニング数が多い。
そのくせちゃんと球数は抑えているのである。
50イニング多ければ、全て九球で終わったとしても、450球は多く投げていないとおかしい。
だが直史にはそんなことはない。
完全に打たせて取って、球数を減らすピッチャー。
だがア・リーグの先発ピッチャーの中では、奪三振率は三位を誇っている。
もちろんアナハイムでは一位である。
要するに柔軟性が高いのだ。
引き出しが多いがゆえに、ケースバッティングならぬケースピッチングが出来る。
それでも球速のMAXは、他の本格派には遠く及ばないのだが。
直史としては、この心配は仕方がないかな、とは思う。
去年の直史は27勝しているが、投げた球数は九月のレギュラーシーズンを終えたところで2617球。
間もなく道の領域に入ることは確かである。
ただし去年は中盤以降、中四日で投げていた。
離脱したのも本人の故障などからではない。
ちなみにプロ入り一年目の直史のレギュラーシーズンの球数は、2378球である。本人もいちいち憶えていなかったが。
心配は分かるが直史としては、今さらな話である。
自分の感覚で言えば、一番危険だったのは、三度目のパーフェクトを達成した試合の次の試合。
七回で降板したが、その後に一度ローテを飛ばすべきであった。
何がどうとははっきり言えないが、あの時点が一番、自分の体の限界に近かった。
今はもう回復期にある。
織田に打たれたというのは、あくまでも一つの現象に過ぎない。
その奥にはもっと根本的なものがあるのだ。
他のピッチャーでも、トップレベルのピッチャーであっても、10回に一回ぐらいは調子が悪くて立ち上がりから点を取られることはある。
直史にしても微妙に、コントロールが定まらないことはあるのだ。
だがそういう時は、緩急なり変化球のコンビネーションで、どうにかアウトを取っていく。
そしてその試合の中で、修正していくのだ。
あの試合で無理をした影響は、もうなくなっている。
この先も遠慮なく、使ってもらえばいい。
「どんなピッチャーでもシーズン中に一度や二度ぐらいは調子が悪くなるものです。もう修正は出来たので問題ありません」
お前それ、去年の自分にでも言ってみろ。
直史が自分のことをどう自己認識しているのか、ひどく疲れながらもようやく分かってきたブライアンである。
オリバーに続きターナーもあのピッチングに魅了されているが、それも無理はないかと思う。
自分だって子供のころ、お気に入りの選手はいたものだ。FAで出て行ってしまって、とても悲しかったが。
彼が打ってくれるとき、相手打線を一点も取られずに抑えたピッチャーがいて、そこからファンになったりもした。
今ではもう、完封という記録自体が、そうそうなくなってきているが。
シアトルとの残り二試合は、勝率の高いスターンバックが崩れて五回で五点を失い、崩れるとはこういうものだろう、と奇妙な納得をしていたブライアン。
だが今年の投手陣は全体的に、とにかく調子がある程度以下に落ちることが少ない。
直史が投げることによって、全体のローテーションに余裕があるからだ。
これはメトロズのクローザーを、上杉が務めているのとはまた違う。
完全に一人のピッチャーに、その試合を任せてしまえるからだ。
スターンバックは前の試合で、直史が点を取られたことに、なぜか自分の方が動揺したらしい。
ただこの試合でもシアトルは織田が二安打で、得点の機会を作った。
さすがに統計から、次のヴィエラも打たれることは考えにくい。
そんな期待通りに、しっかりとシアトル打線を抑える。
それでも織田はヒットを打っていて、打率をしっかりと上げていったが。
ヒットを打って、フォアボールを選ぶ。
長打は少ないが打てないわけではない俊足。
まさにリードオフマンである。
この後にアナハイムは、アウェイでオークランドと対戦する。
三連戦の最後に、直史の投げるローテがある。
前の試合から数えれば、ここは中四日になる。
休養日の兼ね合いでそうなっているのだが、これもまた直史に、ローテを確認する理由の一つであった。
出来れば中六日ではなく、もっと短いスパンで使いたかったのだ。
そういえばそうだったな、と今さら思い出す直史。
だがここで登板を一つずらしていたら、ポストシーズンの前に、休む日が少なくなる。
どのチームと対戦するかは分からないが、今年からの制度の変更もあって、出来れば主力はゆっくりと休ませたい。
ただ直史の場合、今後出現しないであろう30勝もかかっているので、アナハイムとしてもなかなか完全に休ませるというわけにもいかない。
メトロズと違ってアナハイムは、選手の個人成績にこだわっている。
なにしろそれだけ、売れるチケットの数が変わってくる。
もちろん直史の試合はそうだがそれ以外も、ポストシーズンが迫ってくれば、ほぼ確実にソールドアウトする。
117勝の記録更新には、かなりこだわってしまっている。
ただ連覇という目的に縛られてはいないため、現場はそれなりに柔軟な選手起用が出来る。
優勝という目標は、かなり現実的になってきているが。
アナハイムはついに100勝に到達した。
九月上旬の、まだまだ25試合が残っている状況である。
対戦するオークランドは、直史にパーフェクトマダックスを食らってから、15連敗などをしたりしたが、ここしばらくの数字は五割。
しかしこのカードの三試合目に、直史が出てくるのは予告されている。
今年はもう、ほぼ完全に地区最下位が決まっているオークランド。
しかしアナハイムとの試合では、観客がそれなりに入ってくれる。
皮肉なことだが本来のMLBファンでなくても、現在最強のアナハイムとの試合が、どういうものになるのか見たがっているのだ。
まして三戦目の直史の登板試合は、既にソールドアウトである。
ホームでのゲームなのに、まるで勝利を期待されていない。
そんなキツイ状況においても、自らの成績だけにこだわる、若手選手は変わらない。
今年でFAとなる選手は、チームの成績がどうであっても、まず自分の成績が重要だ。
いい数字を残していれば、これまでせいぜい300万ドルだった年俸が、一気に三倍にはなる。
それに複数年契約がセットになれば、もう田舎に農場を買って老後が送れるレベルだ。
もちろんそんな20世紀半ばのような、牧歌的なイメージの現実は、現在のアメリカの農園にはない。
メジャーリーガーといっても本当のアメリカンドリームは、FA権を得るまで活躍して、そこから契約してもらってやっと手に入るものだ。
ぶんぶん振り回してくる打線と、意地でも点をやりたくないピッチャーが組み合わされれば、それなりにアナハイムが負けることもある。
第一戦は先発のマクダイスが、フォアボールで乱れたこともあって落とした。
終始オークランドにリードされて、どうしようもない展開であった。
第二戦はアナハイムも若手のレナード。
六月からメジャー昇格を果たしたレナードは、防御率は五点台とかなり微妙であるのだが、必ず五回までは投げるという、最低限の仕事をしている。
アナハイムは攻撃が粘り強いということもあって、おかげで勝ち負けの星がはっきりとついている。
5.35の防御率で9勝5敗は驚異的なことであるが、まさにイニングイーターの働きだ。
この試合も六回までを三失点と、クオリティスタートでリリーフに引き継ぐ。
そして勝ちパターンの七回以降、アナハイムは強い。
マイナーに落ちてブルペンで覚醒し、勝ちパターンのセットアッパーとなったマクヘイルがこの試合もいい働きを見せた。
そして最終的にはクローザーのピアースが無失点に抑えて、これでピアースも40セーブに到達。
ア・リーグは圧倒的に上杉がセーブ記録では突出していたのだが、ナ・リーグに移籍してしまったため、こんな奇妙な現象が起こっている。
最多セーブのタイトルを取れないのは気の毒なことであるが、普段の年ならその代わりに、サイ・ヤング賞を獲得していただろう。
上杉も高校時代に結局甲子園で優勝できなかったあたり、運の総量には微妙なところがあるのかもしれない。
そして第三戦。直史の先発登板。
これまではそこそこ空席もあったが、敵地にて満席となっている。
それもオークランドの応援ではなく、明らかにアナハイムと言うか、直史を見に来た観客が多い。
完全に当て馬となっているオークランドだが、仕方がないと言ってしまうべきだろうか。
オークランドのファンは過激な人種がいて、またスタジアムの周辺も比較的治安が悪いと言われている。
実際にどうなのかは、直史はホテルを出歩くことがないため分からない。
直史はアメリカに、仕事に来たのだ。
せいぜい楽しんだのは、スプリングトレーニング前の自主トレ期間ぐらいだろうか。
フロリダのビーチで、少しは楽しんだ。
ただあのあたりは、けっこう鮫が出るとも言われている。
なお千葉の山育ちの直史であるが、武史ほどではないがそれなりには泳げる。
山にも川があるからだ。
今季もまだオークランドとの試合は残っているが、直史が先発するのは今日が最後になる予定だ。
それを抜きにしても、残りの試合はアナハイムのホームでの試合となる。
アナハイムにとっては今日が、オークランドでの最後の試合。
ただもう最下位がほぼ決定しているオークランドに、これ以上の追い討ちをかけようとは思わない。
普通にやって、普通に勝とう。ただし怪我だけは厳禁で。
オークランドは若い選手が多いだけに、勢いに乗ってしまった試合は、実力差を跳ね返して勝ってしまうことがある。
だが直史はそういった、勢いには乗せないようなピッチングが出来るピッチャーだ。
はっきり言って直史から勢いで勝とうと思えば、サイン盗みでもするしかない。
そうは言っても今の時代、サインの伝達も機械を利用する。
直史と坂本の間には、それらには当てはまらない、見せるためのサインが存在するが。
今年のMLBのア・リーグは、特に西地区は、ひどい話が多かった。
テキサス、シアトル、ヒューストン、オークランドと、マダックスやノーヒッターを食らっていないチームがない。
なお食らわせたのは全て直史である。
その中でも一番被害が大きいのが、パーフェクトを二度食らっているオークランド。
いくらなんでも弱いものいじめがひどすぎる。
直史にしてみればこれは完全に、やられる方が悪いのだ。
イジメはやる方が悪いが、パーフェクトはやられる方が悪いのだ。
何度も言うが、ホームランは打たれる方が悪いし、パーフェクトは打てないほうが悪いし、勝負は負ける方が悪いのだ。
素晴らしい力の世界である。
そしてこの試合のオークランドは、ある程度気合を入れているように見せながら、パーフェクトだけは避けたいと、とても低い目標を持っていた。
ただでさえ一シーズンに二度もパーフェクトを食らったチームとして、人気ががっつりと低迷しているのである。
いっそのこと三度目を食らえば、それはむしろやられ芸になるのかもしれないが。
ただもちろん選手も監督も、そんなことをしていれば首になる。
特にこの場合、最下位が決まっている監督は、残りのシーズンが短いから首がつながっているだけであって、来年の契約は延長されないものと考えた方がいい。
一回の表、アナハイムの攻撃。
ここでいきなり連打があって、一点だが先取点が入る。
今年のアナハイムで、初回で先制点を取った試合は、勝率が極めて高い。
直史が一人で確率を押し上げてしまっているのだが。
わずか一点であるが、先取点。
これまた馬鹿のような事実であるが、直史は先制点を取ってもらった試合では、一度も負けたことがない。
そもそも先制点を取られていなくても、一度も負けていないのだから。
叙述トリックである。(いや違う
×××
※本日群雄伝が投下されて、限定ノートも昨夜投下されました。
群雄伝は先行公開版から少しだけ加筆修正が加えられています。
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