第38話 目的
直史が完投してから、アナハイムの調子が戻ってきた。
いや、自分たちの不甲斐なさに気付いたと言うべきか。
また日程的に、リリーフデーがなかったことも理由の一つだろうか。
六連勝の後に、直史の25試合目の先発登板。
デトロイトとの二戦目である。
デトロイトは以前の直史との対戦においては、偉業を成し遂げている。
九回完封はされたものの、111球も投げさせて、ヒットを二本も打ち、三振を七個しか奪われていなかったのだ!
……虚しいが直史が九回まで投げた中では、かなり健闘した方であろう。
もはや完封負けするのが当たり前で、あとはどれだけヒットを打てるか、三振を奪われないか、球数を投げさせるか。
色々と分析をしたデトロイトに対して、直史は非情であった。
敵にかける情けはないのだろう。お互いにプロであるのだし。
九回までを投げて、最後の一人は先頭に回ってきて、そしてそれに対してスルーで14個目の三振。
本日の直史のテーマは、どうやらコース以外のコントロールのようである。
珍しくもフォアボールを一つ出し、そしてエラーが一個。
投げた球数は94球のマダックス。
奪三振が14というのは、平均よりはかなり多めだ。まさか前回少なかったことと、調整をしたわけでもないだろうに。
『ハーイ、ジェフ、私はとんでもないことに気付いてしまったよ』
『なんだいボブ?』
『今日もまたノーヒッターだったサトーだけどね。彼のパーフェクトとノーヒッターには、規則性があったんだ。今回それが崩れたんだよ!』
『そりゃ不思議だ! いったいどんな規則性だったんだい?」
『サトーはこれまで三回のパーフェクトをしてるんだが……ハハ、シーズンで三回のパーフェクトってのは本当に何かのジョークに聞こえるね』
『もったいぶらずに教えてくれよ』
『すまない。ただどうしても三回のパーフェクトというのがね。まあ、実はサトーはパーフェクトをする時は、同時にマダックスも達成してたんだ』
『な、なんだってー!?』
『一度目はあの伝説の72球! 二度目は84球! そして三度目は77球なんだ!』
『な、なんだってー!? あれ? でもそれの何が崩れたんだい?』
『話はここからでね、サトーは他に三度のノーヒッター……ハハ、一シーズンに三度のノーヒッター、いや、その三度のノーヒッターはこれまで、マダックスは達成できてなかったんだよ!』
『な、なんだってー!?』
『だがそれが今回は、ノーヒッターで94球! 規則性が壊れたわけさ!』
『なるほどなるほど、なるほどー』
どうでもいい注目のされ方をしている直史であるが、今回は球威にテーマを絞ってみた。
前回の完封では、幸い点にはつながらなかったとはいえ、外野の頭を越されてしまった。
あれでは大介などと対戦した場合、とても怖くて高めのストレートが使えない。
今日の最大の課題はストレート。
フォーシームでちゃんと空振りか内野フライが取れるかどうかというものだ。
球威に課題を置いたため、高めのストレートでフォアボールを出してしまった。
フォアボールでランナーを出すというのは、それまでに打ち取るために投げた三つのボール球も、無駄にするということである。
なので直史としては、フォアボールは圧倒的にピッチャーにとっての悪である。
だがそこから今日は、93マイルしか出ないストレートと、カーブを使って三振を奪ってきた。
アッパースイングでバレルを重視しフライを打つフライボール革命には、落差のあるカーブと高めのフォーシームが有効である。
ただしフォーシームはしっかりとスピンがかかっていて、ホップ成分が高くないといけない。
今日のフォーシームは三振も奪えたし、フライも内野フライまでにとどまった。
完全に予定通りのピッチングではあった。
問題はやはり、球威に配分をおくと、制球力がやや落ちるという点。
球速だけならともかく、ホップ成分のために回転をかけようとすると、高めに外れやすい。
意識的に高めに外すにしても、ややコントロールが乱れる。
そもそもそれ以前に、ボールカウントがスリーとなるまでに、しとめておけばいいだけの話であるのだが。
この直史のノーヒットノーランとこの間の完封も含め、アナハイムは七連勝。
そしてここから八月の残りの試合全てを、勝ってしまったのである。
ずっと優位であった勝率を、メトロズに逆転されてからほんの半月。
アナハイムはまたも勝率で、MLBのトップに立った。
エースがこれほど絶対的な存在となるのは、20世紀どころか19世紀以来ではないだろうか。
いやそれでも、勝率や防御率などによる、相手への威嚇効果を考えると、過去にこれほどの例は見ないだろう。
現在11連勝中。
そして次は敵地シアトルで、第一戦を直史が投げる。
移動したその日が、そのまま試合となる。
アナハイムからシアトルへ、もちろん移動は飛行機だ。
「行って来ます」
「行ってらっしゃい」
「いってらっしゃい!」
お腹の大きくなってきた瑞希と真琴に見送られて、直史は空港へ向かった。
シアトルはまだポストシーズン進出の可能性が残っている。
だがそれはもう、あまり現実的ではない。
地区一位のアナハイムは言うまでもなく、二位のヒューストンとも差が開いている。
直接対決の数では、アナハイムはここからシアトルと六試合、ヒューストンとは七試合。
そしてどちらとも直史は、二試合ずつ先発が回ってくる予定だ。
シアトルがヒューストンとの残りの試合を、全勝すれば自力でポストシーズン進出もありえる。
だが実際のところ、そんなことは不可能であろう。
他のチームとの試合も含めて、このアナハイムも合わせて、八割程度の勝率はいるだろう。
現実的ではない。だが理論上は可能性が残っている。
可能か不可能かの間にある、可能性という言葉。
これがあるがために人間の人生は、様々な分岐が存在する。
今季のレギュラーシーズンで直史の先発は、あと六回の予定だ。
シアトルと二試合、ヒューストンと二試合、オークランドとテキサスと一試合ずつ。
全て勝てるだろうか。
分からない。微妙なところである。
野球はチームスポーツなので、特にピッチャーが普通はバッターボックスに立たないMLBでは、得点に絡むことがない。
相手の打線を封じ続けて、ピッチャーの心を折ることは考えるが、それも程度問題である。
レギュラーシーズン用に、調整をして投げていかなければいけない。
それを無理をしたがゆえに、二試合ほど完投の余裕がなくなった。
双方無失点のまま、延長に入ったとする。
直史はせいぜい10回までしか投げないだろうから、そこでリリーフに引き継げば、勝ちは消える。
30勝という記録を、期待している人間は多い。
だがあまりそれにこだわっていると、ポストシーズンで投げるための調整がつかなくなる。
記録に捉われてはいけない。
武史が言っていたのはMLBではなくNBAで、史上最高の73勝9敗でレギュラーシーズンを終えたチームが、プレイオフでは優勝できなかった理由は、疲労を引きずったからだという。
MLBでも116勝という記録を作ったチームが、その年にワールドチャンピオンになったかというと、実はなっていなかったりする。
そもそも116勝などといっても、一方の記録は試合数が違った時代の記録だ。
ただし戦力均衡が進むこの時代に、やはり116勝を更新するというのは大きいのだろう。
ベーブ・ルースのホームラン記録が更新されたときも、試合数が違うから参考記録として残しておくべきだ、という議論はあった。
ホームラン記録にステロイドや他の禁止薬物が、関わっていたことは間違いない。
それらの記録を全て抹消すべきとは、さすがに誰も言わない。
昔、100m走の記録がドーピングの結果だと分かった時、そのメダルは没収されたが、人類の出した記録であることは間違いないので、ギネスからは削除されなかった。
禁止薬物を使う選手は、殿堂入りの栄誉を手にしていない。
そのあたりでバランスを保っているのだろう。
記録に捉われてはいけないとは言いつつ、それよりも単純に強烈な負けず嫌いな直史である。
敵地での初回、自軍の攻撃でいきなり二点が入った。
これで最初から、コンビネーションを広く取って投げることが出来る。
直史は投球練習をしながら、シアトルのベンチの方を見ていた。
気配を探るに、既にげんなりとした雰囲気はあると思う。
先頭打者の織田は、特にそんな雰囲気に染まるでもなく、かといって気迫に満ちているわけでもない。
昔から冷静であるのが、織田の持ち味であった。
一番打者としては理想的な、打率が高くてそれよりさらに出塁率が高く、足が速くて長打もないわけではない。
高校時代からずっと、油断は禁物と注意しているバッターである。
左の織田に対しては、どういう入り方をするか。
(外にカーブ)
最初はゆっくりとした球で、反応を見る。
外角ギリギリのカーブを、織田なら狙えば打てるかもしれない。
それでも難しいことは難しいが。
リリースの瞬間、織田がトップを引いたのが分かった。
わずかな余裕も、そこにはなかった。
ボールは既にカーブの変化で、指から抜くように投げられている。
織田の強い踏み込みから、この緩い球を狙っていたのか。
(やられたなあ)
あとはどこまで飛んでいくか。
織田はアウトローに入ってきた緩いカーブに、踏み込んだ全力のスイングで対応した。
読みとかではなく、最初から一球目を決め打ちしたバッティング。
落ちてくるカーブに対して、あえて線ではなく点で捉えるセンス。
左方向に向かって、大きな放物線が描かれる。
レフトが長身で、ものすごいジャンプ力があれば、どうにか届いただろう。
だがそんな仮定の話をしても仕方がない。
ポール付近のスタンドに入るホームラン。
初回の先頭打者に初球を打たれるのは、今季二度目のことだ。
そして織田は、ベースの踏み忘れなどはしない。
高々と右手を上げながら、織田はベースを一周する。
軽く吐息した直史は、帽子を取って織田に敬意を示した。
(完全に狙ってたか)
初回の初球では、布石を打つことも出来ない。
それに下手なスピードボールならともかく、遅いカーブなら織田相手では、ホームランにはならないとも思っていた。
読み合いに負けて、フルスイングされれば、スタンドまでは届くのだ。
ならば何を投げればよかったか、と言われればゾーンへのカーブ以外の全て、となるのだろうが。
ともかくこれで、自責点記録が途切れた。
あとは荒天となって途中で没収試合となるぐらいしか、この記録を残さない手段はない。
しかし今日のシアトルの天気は、朝まで晴れのはずだった。
三日間雨は降らないな、と確認していたので確かである。
坂本のみならず、内野陣全員がマウンドに集まってきた。
さすがにこれは、心配されてしまったということか。
前回に打たれたときも、やや制球を乱してしまった。
だが今回は、打たれたことを納得している。
「大丈夫だ。今回は落ち着いている」
打たれたのが織田だから、まだ納得できていると言えようか。
重要なのは、ここからフォアボールでランナーを出さないこと。
(次は初球でアウトローに一個外して、大丈夫かどうかを確認する)
シアトルは士気が間違いなく向上しているが、冷静に見れば2-1でアナハイムが勝っている。
ランナーは一人もおらず、直史自身の精神面以外を考えれば、それほど恐れる状態ではない。
(冷静なつもりだけど、ちゃんとコントロールできるかな?)
投げたアウトローは、90マイル程度のボール球。
だが調子にのったシアトルは、それを打ってきた。
コントロールを確認するため、わざとボール球にしていたのに。
内野フライになって、ファーストがしっかりとキャッチする。
ボール球になってたか、と坂本に確認する。
大丈夫だ、というサインが返ってくる。
失点をすることは、仕方のないことだ。
ただ完璧主義者は、一つの失敗から大きく崩れてしまう。
直史はパーフェクトをやたらと達成するが、完璧主義者ではない。
多くの人間が勘違いしているだろうが。……本当だよ?
三人を内野ゴロとフライで打ち取り、ベンチへと戻る。
心配そうな顔をして、首脳陣は直史の顔を覗き込む。
「オーケー、アイムオーライ」
織田の後を抑えて、直史は冷静な自分を確認してある。
ただしまだシアトルは調子に乗っているだろうし、スタジアム全体も盛り上がりを見せるだろう。
一点差。直史の負ける姿が見られるかもしれない。
(ここで崩れて負けるようなら、まだ可愛げがあるんだが)
織田は手荒く全身をバシバシと叩く歓迎を受けた後、味方が前のめりに攻撃していくのを見ていた。
下手に三振を取ろうなどとはせず、タイミングを外す緩急を上手く使ってくる。
結果続く三人は、全員がひょろひょろとした打球で、内野ゴロと内野フライに打ち取られた。
そして二回の表の守備に就くわけだが、一点差になったことを何か勘違いしたのか、シアトルの先発が真っ向勝負を仕掛けている。
(違うんだ。そこは冷静に普段どおりの)
そうは思う織田だが、それも仕方のないことなのかな、思わないでもない。
一点差なら、まだ勝てる。
それは当然の感想だ。
しかし二回の表、アナハイムはソロホームランを一発打って二点差へ。
真正面から勝負しなければ、そんな打球にはならなかったろうに。
(力と力で勝負したら、一方的に技でいなされるだけなんだ)
織田にはそれが分かっているが、だからといって技で対抗するのも、今のMLBでは無理だろうなと分かっている。
単純化されたパワーとパワー。
分かりやすいものではあるが、それでは直史は打てない。
(まあ技を持ってるバッターなんて他にいないから、一発が当たる方向に賭けるしかないか)
そしてそれを確率で計算したら、おそらくとてつもなく低い勝率が出てくるのだろう。
直史としては打たれたことより、それによって自分にどう影響が出るかが問題だった。
前回の失点と違い、今回は奇跡も起こらなかった。
自責点が記録された試合で、どうやって相手をしっかりと抑えていくか。
(下手に力で抑えようとはせず、かといって逃げ腰になることはなく)
コンビネーションで、低い確率を引いていく。
そして時々、その配球をわざと崩す。
織田がいきなり打ったのは、シアトルを勘違いさせたのかもしれない。
ここのところ直史は、完投が出来なかった試合の後に、ノーヒッターを達成と、調子の浮き沈みが激しいように見えた。
そして織田のホームランで、今日なら打てると思ったのか。
実際に直史は打たせていった。
打たせて取って、あっさりと試合を進めていく。
二度目の織田の打席は、内野ゴロを打たせた。
左方向で内野安打になりそうなぎりぎりであったが、メジャーの内野守備の強肩は送球も素早い。
織田のホームランからずっと、九人連続で凡退している。
そしてこの凡退は、まだしばらく続いていく。
アナハイムの打線は、じっくりとボールを見て行きながら、打てるボールをしっかりとミートしていく。
それでも連打がそうそう出るわけではなく、なかなか四点目は入らない。
しかしそれ以上に、直史のピッチングは点を許さない。
二点差のままで、試合は進んでいく。
そして17人連続凡退の後、織田の第三打席が回ってくる。
一度は盛り上がったシアトルのベンチが、またも墓場のような雰囲気になっている。
これはまずいな、と織田は意識している。
この試合だけを負けるならまだしも、これはアナハイムとの三連戦の初戦なのだ。
ヒューストンの打線も勢いを殺してくれるであろう直史だが、ここでホームラン一本の完投などをされたら、ワンヒットの試合として記録に刻まれてしまう。
最初のホームランさえなければパーフェクトだった。
そんな世にも珍しい記録を、作らせるわけにはいかない。
そう考えた織田は、直史のツーシームに合わせてきた。
ミートの瞬間に見極めて、右手の力をわずかに抜く。
ボールのやや下を叩いたバットは、サードの頭を越える打球を放つ。
ジャンプしたターナーのグラブの上を越えて、レフト前に転がっていった。
これにて本日、二本目のヒット。
一度目の絞った狙い打ちとは違い、今度はちゃんとツーシームに対応したバッティングだ。
ヒットを打たれた直史はボールを受け取ると織田を無表情で眺めた。
それに対して織田も、表情を崩さない。
(心配しなくても盗塁なんかしないぞ)
直史の牽制で、アウトになったランナーは、今季だけでも10人に近い。
クイックの速さや坂本の肩まで含めて、あまり成功率は良くないだろう。
だからこそやる価値のある盗塁もあるが、ここではそれは難しい。
ツーアウトからならば、二塁にまで行けば、得点の確率はかなり高まるのだが。
(どうせ打てないだろうしな)
事実、後続の打者はセカンドフライに倒れた。
ゴロを打たせなかったのは、少し意外ではあった。
結局この試合は、4-1でアナハイムが勝利した。
四打席目の回ってきた織田は、またも内野ゴロに倒れて、今年一試合で、唯一直史から三本のヒットを打った男、という称号の獲得に失敗する。
シアトルが出したランナーは、結局はこの織田の二本に加えて、エラーによる一つだけ。
それでもいい試合をしたような、不思議な空気に包まれていた。
いや、二安打に抑えられたら駄目だろう、と織田は思っている。
だが下手に檄を飛ばしても、それはチームを萎縮させるだけかもしれない。
シアトルが目指すのはポストシーズン。
直史を打つことではない。
そして打たれた直史は、冷静にインタビューを受けていた。
「ホームランは想定外だったが、織田さんになら二本のヒットは打たれても意外ではなかった」
こんな風に冷静に、織田の実力は評価している。
「それよりも今日は、打たれた後にフォアボールを出さなかったので満足している。前回はかなり乱れて、守備にも負担をかけただろうし」
いやいや、とチームメイトは首を振っていたが。
投げた球数は99球。
初回のあれがホームランでなかったら、またもマダックス達成であった。
記録に残る、通算13マダックスに、直史は迫っている。
シーズンだけで、その記録に迫っている。
(あまり勢いはつかない試合だったかな)
だが少なくとも、シアトルにも勢いをつかせない、堅実なピッチングであった。
堅実とは何か。
言葉の意味がかなり、おかしくなっている気がする。
だいたい堅実というのはクオリティスタートであったり、ハイクオリティスタートであろう。
九回を一失点、しかも100以下に抑えるというのは、堅実という言葉とは股意味が違うか、かろうじてその意味の端っこにぶら下がっているような感じだろう。
第二戦以降、アナハイムがどう戦っていくか。
ベンチから直史は、それを見守ることになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます